三つ首白鳥亭

−再生する世界−

力の乙女は世界を夢見る 後編

早速冬華はここがどこかを正確に知った。

「ワルシャワシェルターの管理下の研究所?」
「そう。例の大戦前に作られた施設で、当時多額の資金を投入されて制作された最先端の研究所」
「ちょっと待って。それってつまり」
「うん」

竹屋は冬華の困惑を知っているとばかりにうなずく。

「ここはシェルター外だよ。幸いにも施設密閉度が高いから少し工事するだけで十分に人が住めたんだ。シェルターにも近いしね」

予想外だった。冬華は軽い目眩を起こす。もしこれでうっかり出口を見つけても外に出れない。核の冬真っ最中の外に人が飛び出て生きられない。聞いてよかったと冬華は心底思った。

「じゃあ、どうやってここへ出入りするの?」
「ちゃんと対応された乗用車とバスで出入りするよ。僕は車で来た」

シェルターでは乗用車は珍しい。卵形のシェルターでは横移動は徒歩と動く歩道で事足りる。ちなみに上下運動はエレベーターとスパイラルエスカレーターを利用する。

「と言う事は、車を見つけないと移動もままならないのか」

もっともAGも放射能対策をしてあるのでそっちを持って行っても良いのだが。しかし車なら強奪できてもAGは強奪する前に殺されてしまいかねない。また一歩困難が増えた。

「その車置き場はどこ?」
「こっち」
「後、さっきからAGの戦闘音が聞こえているのだけど、ここが襲われる理由を知っている?」
「僕が知っている訳ないだろ! 小樽シェルターから昨日来たばかりだ」

怒鳴り、唇に手を当てた。

「いい噂がないのは確かだよ。ぼくは前は農作物のバイオテクノロジーに携わっていたのだけど、ここでは生き物、しかも軍事的に利用できる物の研究とかで」
「軍事的? 例えば、怪我が一瞬で治ったりするとか、腕が伸びるとか」
「冬華さん、君はバイオテクノロジーに偏見を持っていないか?」
「持っているかも」

冬華にとってバイテクはトラブルの種、面倒ごとの元である。そもそもきちんとした生物の知識ですら怪しい。最も、人の身体のどこを刺せば致命傷だとか、魚や鳥のさばき方などは熟知しているが。ちなみに冬華は、魚であれば最大でぶりをさばける。

「バイオテクノロジーなんて、化け物を生み出す技術でしょう? 猫人間とか鳥人間とか、殺戮人間とか。その気になれば人食いみかんやフライングトースターまで作り出しちゃうような」
「それは偏見だ! バイオテクノロジーはけしてそういう技術ではない。大体フライングトースターって何」

竹屋はどうやらパーソナルコンピューターにはうといらしい。

「分かった、説明するよ。
まず、僕たちが普段食べている野菜や家畜はすべてバイオテクノロジーの産物だ」
「全てって、にんじんや豚も?」
「ああ。それらは長い年月をかけて野性の動植物の中から、人間が扱いやすいように交配を繰り返し、現在の姿になった。にんじんの原種を知っているか? 少し太いだけの根っこだよ。当然食べられないし、食べてもおいしくないだろうね。豚も元は猪を家畜化したものだ」
「ほう」
「この馴染み深い交配だってバイオテクノロジーの一種だ。交配には長い年月がかかるが、現在のバイオテクノロジーはそれをせいぜい数世代で起こす事が出来る。まず遺伝子を調べて、人間にとって都合のいい遺伝子を取り出し、それらを組み込んだ大腸菌を培養して増やした後、植物に組み込む」
「その結果化け物が……」
「出来ない。そもそも現在の動植物は気の遠くなるほど弱肉強食の環境適応の中で生き残った奇跡のような存在なんだ。その奇跡を変に組み替えたり、都合よく作り出したりは出来ない。例えば、人間の何十倍もの筋力を持つ人間を造りたいと思った、でもそのひずみがどこかに必ず出る。例えば、病気に非常に弱い。例えば、普通の環境では生存できないほどの欠陥を持つ」
「はぁ」
「バイオテクノロジーの本来の目的は遺伝子を組み替える事によって病害虫に強い農作物や高収量の作物を作り出したり、環境浄化機能の高い植物を作り出すのが目的なんだ。そのような化け物と一緒にされるのは職業上困る」
「分かった、悪かった」
「もしバイオテクノロジーを悪用するのだとしたら、細菌兵器などが現実的だな。そんな化け物なんて造っていられない」

倫理的にはどうなんだ、と冬華は思ったが、賢明にも口には出さなかった。まぁこの男の性格なら手は出さないだろう。

「でも、現にそういう噂はあるわよ。それはどうなの? ただの都市伝説?」

竹屋は今までの賢明な講義の態度とはうって変わって歯切れ悪くごまかした。

「そういう噂は確かにある。腕が伸びたり、猫人間なんて完全に空想の産物だけど、身体能力が人間よりはるかに高いという話は、確かに存在する」
「で、専門家の意見としてはそれらは実在するの?」
「……していないと思うが、万が一はあるな」
「その化け物人間がバイテクに非効率だとしたら、何で存在できるの? 今の技術はそこまで優れているの?」
「作り出すことは出来ると思う。でも何の欠陥もなく、完全に普通の人間と同じようには無理だよ。絶対に障害が発生する。肉体的ではなく、精神的に。何かの依存症や恐怖症、脅迫概念とかがね。人間は所詮、本来の自分の決められた枠から出てはいけないんだよ」

簡単バイオテクノロジー講義は爆音を終了のチャイムとした。今まで聞いていたかろうじて人事と言えるだけの距離からのではない。明らかにすぐそこでの音だった。

「! どこだ?」

相変わらず武器なし、服借り物、の非常に無防備な状態である。しかも今回は非戦力の竹屋がいる。逃げの一手しか打てない。しかしずいぶん曲がり角も扉もない廊下を歩いてきたので、逃げようとしたら相当走るはめになる。走るのは嫌いではないが、もし相手が銃器を持っていたり、はたまたAGだったりとすると逃げるにはきつい状況だった。

「い、今のは」
「静かに。見極める」

爆音は前から響いた。戦闘しているのではなさそうだ。その証拠に応戦の破壊音がしない。きっと出会い頭に敵に出会い、素早い方が勝ったのだろう。爆音が収まると静かに、それでも静寂に満ちた廊下では十分にやかましい一定の機械音がした。

勝者はAGである。冬華は判断して竹屋にすぐに引き返すように手で合図した。相手がAGだったら多少どたばた走っても聞こえない。竹屋が青ざめながらもあごが胸に乗りそうな勢いでうなずいた。なるべく音が出ないよう、小走りで逃げようとする。

のんびり歩いているはずのAGがにわかにうるさくなった。冬華は眉をひそめて舌打ちをしたい気持ちを抑える。若い男性の物と思われる通信音が響く。

『そこの2人、止まれ。さもないと撃つ』

この状況ではお決まりの英語だが、非常に単純明快分かりやすかった。威勢良く反抗してもよかったのだが、その結果弾丸の藻屑となりたくはない。冬華は立ち止まり、どういう嘘をつくべきか素早く頭の中で設定した。ここは竹屋と同じ、うっかり逃げ遅れた何も知らない民間人、というのがいいだろう。下手に武器を持っていない無防備な姿が今となってはありがたい。

「(わたしに合わせて)」
「殺さないで! 止まるから!」

冬華は大げさに手をあげて英語で降参をした。小刻みに震えて、顔を恐怖で歪めるその姿はどう見てもトリガーハッピーの何でも屋には見えない、はずだ。冬華が若い女性である事も演技にはいい方で加算される。ドイツ語を取得していないのが痛いが、英語でもそれほど疑われないだろう。

「(冬華さん)」
「(黙って。何とか切り抜けるから、私に調子を合わせて)」

出てきたのは3体のAGだった。冬華内心舌打ちする。多い。1体は直接戦闘用、1体がそれのサポートのための知覚調査兼武器運搬といったところか。もう1体は見慣れないAGだった。恐らく直接戦闘用だとは思うものの、背中に奇妙な形で4基のスラスターが広がっている。いくらカスタマイズされているとはいえ非効率で、冬華はどういう物なんだろうといぶかしく思った。

『所属と名前を言え』

直接戦闘用から通信音が聞こえる。

「わ、わたしは万象全。小樽シェルター出身。それと竹屋優慈。ここの研究員とその助手で、部屋で休んでいたら爆発の音がして、逃げようとしていたの」

全よ許せ、名前を借りる。どうせ青い髪のフリーターの当人は遠く離れた富山シェルターだから気にしないだろうが一応謝っておく。サポート用のAGが何かのセンサーで冬華たちを探っているのが分かった。どうせ重火器、爆発物の確認だろう。持っていないのだから冬華は何も心配していない。

「お願い、何も知らないの、どうか助けて」

かたかた震えながら冬華は手を組む。少しいきすぎかなと思うが、極限状態の人間の行動形式なんてそう種類がないのだからいいだろう。後は冬華の演技にどれほど得点がつけられるか。失格だと命が危ない究極の試験である。冬華が望んで受けた訳ではない。

AG同士で通信用電波が飛び交ったらしい、少し沈黙があった。

『ねぇ、万象さん』

補助用AGから驚いた事に日本語が聞こえてきた。しかも上手い。だがその声はどう聞いても少女、20に満ちていないようだった。国際児童法に反していると、冬華はあるんだかないんだか分からない法律を持ち出して心で愚痴る。

「は、はい」
『万象さんって、ライプチヒシェルターの使者?』

冬華の心臓が高鳴った。

「な、何のことですか? わたしは何も知りません、助けて」

このような事を聞かれると言う事は、冬華は調査書の使者をやっているから狙われたのだろうか。しかしそれなら荷物を奪えば事足りる。なぜ冬華まで誘拐するのだろうか。冬華は混乱してきた。

『あのね、私たち、ライプチヒシェルターから頼まれて、使者と情報を保護するように言われたんだけど』

これは冬華にとって十分意外な展開だった。おびえる小市民、の演技こそ崩れなかったものの言葉が出てこない。

『いいじゃんニック兄』何か通信上で冬華には聞こえない話しがあったのだろう。『すぐに信じないのも無理はないけどね、証拠代わりにお届け物を届ける人の名前を言うよ。レンティール少尉でしょう。当たり?』

大正解である。冬華は脱力しそうになった。となると冬華はすぐ近くに強力な味方がいたのに逃げ惑っていた事になる。あまりといえばあまりにも間抜けだった。

「味方ならそうだと最初から言ってよ! 私は双琉冬華、富山シェルターの何でも屋、こっちはさっき説明したとおり、通りすがりの研究員。そっちは?」

味方だと分かると途端に態度が代わる冬華だった。演技する必要がない以上、卑屈になってもしょうがない。

「私はアーシェンス、それとニック兄とドライ。ソウリュウ、それで今情報は持っている?」
「冬華と呼んで。調査報告書ならないよ。荷物ごとどっかに取られた。武器も弁当も」

まさか報告書がないからって見捨てられないだろうな。冬華は内心不安になった。

『Toka! Did you have the coat on?』

背中にスラスターがついた赤いAGから聞かれた。やはり若い、幼いと呼んでもいいような年頃の女の子である。冬華は本気で彼らが何者なのか分からなくなった。傭兵幼稚園から鍛えられた選良傭兵少女なのだろうか。9割9部そんな者が存在する訳がないが。

「Yes」
『あのね、資料の荷物は見つからなかったけど冬華の服らしいものは見つけたんだ。どうする?』
「よこせ」

冬華は即答した。長い質疑応答になりそうだ。着替えしながらでも構わないだろう。


彼らはライプチヒシェルターの何でも屋、グリーレ兄弟だそうだ。兄のニックと妹のアーシェンスとドライ。非軍人には珍しくAGを操り、戦闘や破壊活動を主な仕事とする何でも屋であった。あるいはこれはシェルターごとの違いであろうか。冬華はコートを羽織ながらつらつら思った。ありがたい事に胴着もコートも無傷である。お洒落さんな冬華としては、そして武器マニアの冬華としては新しい物を買いなおして改造する気にはなれなかった。

冬華が持っていた調査報告書は確かに費用的に割が合わない実験であり、結果をまとめたら後は資料倉庫行きのデータだった。しかし冬華が国際シェルター間リニアモーターカーに乗っている間―厳密には乗ってから食べる弁当用の、鶏を骨ごと砕いた肉団子をこねていた時―その費用を大幅削減する新しい技術が発表されたのだった。すぐさまライプチヒシェルター上層部は冬華の実験データを読みたがったが、リニアモーターカーはその頃古めかしい列車強盗にあっていた。もちろんただの列車強盗であるはずがなく、傭兵崩れの荒くれたちが起こした事件の裏では、それを扇動したある者たちが冬華をこっそりワルシャワシェルター近辺の研究所に運び込んだらしい。管理シェルターが違う以上、正規の軍を動かすのは国際的に大きな問題になる、しかし正式に訴えて調査を求める時間も、そこまでする利益もなかった。そこで荒くれ事が得意な何でも屋に出動願ったらしい。

「ありがたいね、ライプチヒシェルター。救助までしてくれるなんて」

もちろん冬華は人としてそれなりには礼儀をかねそなえていたから、だったら郵送で送っておけばよかったなんでおくびにも出さなかった。

「トーカ、ひょっとして気づいたのついさっき?」

AGから姿を現したアーシェンスが身を乗り出した。金髪のポニーテールが可愛い、しかし明らかに十台半ばの少女だった。何でこんな少女が傭兵の真似事をしているのか冬華には理解できない。今はよそ様の家庭事情に口を出している暇はないが、この件が片付いたら後で聞いてみようと思った。竹屋は礼儀正しく冬華が着替えている間後ろを向いている。着替えが終わったらアーシェンスのAG「雷花」に乗り込んでさらに資料探しをしなくてはいけない。初めから乗せるつもりだったらしく、雷花の後ろのコンテナに人程度なら乗れそうだった。

「そうだけど」
「やっぱり。さっきAGで侵入していた時、トーカっぽいのが電動手押し車にのって、白衣着ていた人たちに運ばれていたのを見た気がしたんだ」
「うぇっ?」
「でも、その時ちょうど警備のアントAGと出会ってね、ニック兄が景気よくマシンガンぶっ放して戦闘になっちゃって。白衣の人たちトーカ見捨てて逃げちゃうし、電動手押し車はブレーキかけてなかったから勝手にどっか行って見失うし、あの後見てみたら手押し車には何もいなかったから放っておいたんだけど、やっぱりトーカだったの?」

やっぱり冬華だったのである。だから起きた時自分は1人きりだったのかと冬華は納得した。コートのポケットのプラスチック爆弾は当然ならら没収されていたので、冬華は服に埋め込んで隠していた拳銃の部品を取り出して組み立てる。ソーサラー社の携帯用拳銃、エネルギーボルト05。威力よりも形態性、隠密製に優れたいざという時には頼もしい奴である。

(でもなぜわたしまで誘拐したのか?)

彼らの母国語で口論を始めた兄妹を放っておいて(恐らくその時冬華を後回しにした事だろう)冬華は口元を引き締めた。彼らの目的が調査書だとしたら冬華の荷物をかっさらえばいい事である。そもそもこの仕事はアセスの役割で冬華が来る事は向こう方には予想外だったはずだ。なぜ冬華が使者だと分かったのだろうか。

「終わったから乗せて」

兄妹けんかは無視して、冬華は日本語でそう告げた。分からない事は分からない。それを放置するのは良くないが、保留するのはしょうがあるまい。冬華は割り切った。

「あの、僕はどうすればいいんだ?」

竹屋は弱々しく主張した。冬華は少し考える。

「一緒に来れば、最低限の保身は得られるよ。ここに残るもよし、来るもよし」

竹屋は少し考えて、おもむろにコンテナに乗り込む。それはそうだろう。

「で、これからどこへ行くの?」
『もちろん、調査資料を探しにだ。どこに行けばいいのか当てはない。ライプチヒシェルターから研究所内の簡易的地図をもらっているから重要度の高い地域から捜索する』

ようはしらみつぶしである。しかし他によい方法があるかというとない。冬華は自分の荷物に発信機を仕掛けておかなかったことを後悔した。普通そんな事はしないのだが。

がんばれと冬華は無責任な励まし方をしてコンテナに乗り込んだ。

1人でうろついていた時と比べて、グリーレ兄弟と同行するのは冬華にとって非常に楽だった。自分たちの方が強いのでこそこそ隠れる必要はない。いくら警護が厳重でもここは研究所であり、専門家のAGで乗り込まれたら敵わない。冬華は弱者を力押しで圧倒する強者の心境になった。ちょっぴり気分がいいと思った事は胸の奥に収めておく。

『ニック氏、今度敵と会ったとき、敵を無力化できない? 分からない事がいくつもあるから、情報収集をしたいのよ』

機内通信で冬華は兄に呼びかけた。

『あぁ。というかもともとそうする予定だった』

そりゃそうだろう。目につく物片端から叩き壊していくのは、軍人としては及第点でも何でも屋としては追試ものである。左腕にあるお手製のワイヤーガンらしいものをかかげながらの通信だったから、それでどうにかするというのだろう。

『了解』

冬華はそれに期待をして通信を切った。後は冬華は寝ていてもいいのだが、代わりにエネルギーボルトをいじって時を過ごす。

無為に時が流れた。本当は無為にではないが、冬華にしては同じである。調査、捜索はAGのセンサーが代わりにやるし、戦闘はいわずもがな、人間がAGに敵う訳がない。ついさっき出合ったばかりの者に自分の運命をゆだねるのは冬華の好みとする所ではなかったが、冬華が出来る事は先にAGがしてしまう。かといっておしゃべりして交流するほど状況は穏やかではない。冬華はやる事がなかった

『トーカ、次の角の先にアントっぽいのが潜んでいる。やっつけるよ』
「了解」

アーシェンスの通信に冬華はうなずき、身を縮めて来るべき戦いに備えた。アーシェンスの雷花は下がっていて、ニックの舞花が先陣を切り、ドライのシュツルムフリューゲルがその後に続く。後ろで見守っていた冬華は、出現したAGに驚きを隠せなかった。

「あれはユニオン社製『U-AG-012』最新型AGマンティス!」

全高2メートル90センチ、稼働時間約240分、右腕には10oレールガン、左腕には90oバズーカ砲、両肩は4連装長距離ミサイル、背中に小型1人用装甲車をくくりつけている。重火器と高い機動性も特徴の1つだが、何よりこめかみに特殊な軟膏とコードを貼り付ける事により、ある程度の精神同調が可能な初めての機種だった。つまり「危ない」と思った時、人間の極めて微弱な危険信号に反応し、とっさに防御反応への構えが可能なのである。画期的な機体で、その分値段も普通のAGに比べてずば抜けて高かった。

「うわっ、あれほしい。ニック、お願いだから生け捕って」

自分勝手な冬華の願いが通じたのかどうかは分からないが、戦闘はあっさりすんだ。シュツルムフリューゲルが威嚇射撃をしてその隙にワイヤーガンで拘束する。通信で降伏勧告がなされ、あっさり受け入れられた。後は楽しい詰問である。コンテナにはアーシェンスの雷花との通信機しかないのでどのような会話が飛んでいるか分からない。冬華はふてくされて結果を待った。

「アーシェンス、話し合いが終わったら結果を頂戴ね」
『はーい』
「ついでにそのマンティスもおくれ。わたしが乗る」
『ふえぇ!?』

驚いたらしい。無理もない。

『トーカ、AG乗れるの?』
「傭兵学校で乗り方を習った。こう見えても実技は得意分野だ」

一番得意はもちろん重火器だった。

「後ろでのんびり守られて結果を待つのは性に合わない。そっちだって戦力が増えればいいはずだ。わたしも戦闘に加わる」
『暇なの?』
「実を言うとそう」

冬華とアーシェンスが漫才している間に詰問は終わったらしい。ニックからの通信がアーシェンスの機体に来た。

『こいつはただの雇われ傭兵だ。傭兵派遣組織ディスパーチからではなく、軍崩れのフリーの傭兵らしい。仲介人を通して雇われていて、自分の雇い主が誰かは知らないらしい』
『ニック兄、それ信用できるの? 怪しくない?』

そうでもない。機密性の高い施設や違法な施設を警護するために傭兵を雇う事はよくある事だし、具体的に何に雇われているかを内密にするのも珍しくはない事だ。

『大丈夫、嘘はついていないようだ。俺たちの進入を知ったものの、上司からそれ以上の命令がないので警備兵は混乱しているらしい。命令が出ている最重要基地の場所が分かった。奪った調査資料書もそこにあるそうだ、運び込まれたのを目撃している』
『よかった、ニック兄、すぐに乗り込んでやっつけようよ!』
「待ってニック」冬華がアーシェンス機を通して呼びかけた。「何でわたしを誘拐したのかも聞いて」
『分かった』

しばらく通信は沈黙していた。

『その資料を持った使者は、同時に人工筋肉の被試験者でもあったそうだ。具体的な構造を知りたくて資料だけではなく当人もほしかったらしい』
「あん?」

もちろん冬華は人工筋肉を内蔵していない。

「わたしは代理の使者で、人工筋肉を埋め込まれていた当の本人は星になったんだって!」
『俺もそう聞いていたが、彼らは聞いていなかったそうだ。それに薬物が充満したリアルモーター内で銃を撃てるくらいなのだから、何かしらの改造が加わっていると判断したらしい。確かに特徴は違うが』
「わたしがあそこでエネボを撃てたのは、単に訓練の差だ!」

アセスと冬華では経口30mmミサイルランチャーとパチンコほども違う。それを飛び道具だから同じだと、一くくりにするのと同程度には間違えられるのは屈辱だった。

冬華はコンテナから飛び降り、大股でマンティスに歩み寄った。自力でマンティスによじ登り、強制解放レバーを開放する。中に30歳ほどの男がおびえたように、しかし敵意を込めて冬華をにらんでいる。

「退け」

冬華は英語に直す事も忘れて命令し、重火器を扱うことで鍛えた腕で男を力ずくで引きずり出した。自分が代わりに操縦席に乗りハッチを閉める。通信や稼動に必要な器具はユニオン社テンプレートに乗っ取って設置されているので、初めて乗る冬華でも操縦は可能である。冬華は通信機へ乱暴に叫んだ。

『ニック、こっちは準備が出来た。その最重要基地へ殴りこもう』
『……貴方もか?』
『当たり前でしょ』

人違いでさらわれてこんな目に合わされたのだ。冬華はぜひとも責任者に会いたいし、出来る事なら殴り飛ばしたかった。


間抜けな勘違いに対する怒りは、新型AGを操作する事によって多少は和らげられた。少し調べたが変な仕掛けも罠もなく、安心して操作できる。考えてみれば冬華がAGを動かすのは傭兵学校を退学して以来だ。なかなか心に浸るものがある。

『トーカ、もう一度言うが、捜索に参加してもいいけどここでは俺の命令には絶対に従ってもらうぞ』
『了解、分かっている』

通信機の調子もいい。冬華が少し首を振ると、こめかみにつけた色とりどりのコードが揺れた。精神同調する事の利点は今の所ないが、危機に陥った時はきっと良い仕事をしてくれるだろう。アーシェンスの雷花から送られてきたデータにニックがどこに行くのかの指示を書き加えて冬華に送信する。示された場所に冬華は少し意外に思った。

『外か』

地図ではこの研究所を出て、南に30メートルほど行った所だった。

『もともとここは大戦前の施設だからな。重要基地はばらばらに建設されている』
『なるほど』
『急ごう。相手は混乱している。それにつけこむ』

冬華たちは隊列を組み、周囲を警戒しながら着た道をたどって外に出た。出口はニックのAG舞花が腕のマシンガンをうならせて造ったその辺の廊下の大穴だった。なんとまぁ豪快なと冬華は思ったが、正規の出入り口が遠くて時間の無駄になるのでしょうがないだろう。今更器物破損に痛む良心などという軟弱な物はない。

外に出た途端、強い吹雪で冬華は一瞬視界を見誤った。

外は灰色だった。天も地も等しく同じ色で、冬華は現実感を失った。空は分厚い曇天に、大地は降り続ける雪に覆われ本来の色を見失っている。目印となる物はグリーレ兄妹のAGのみ。冬華は舌打ちをして彼らを注目した。

「すごいな。これが外か」
『なんか言った?』
『いいえ』

気のせいか、頭の中の雑音を感じる。全てを切り裂く風に混ざって何かの声が聞こえる気がする。気のせいだ、そうに決まっている。冬華は雑音から注意をそらすために乱暴にニックに通信をつないだ。

『実際にその基地に潜入したら、どういう手順で資料書を取り戻すつもり? もし戦闘が起こったら?』
『ああ、それは』

雑音はますますひどくなる。冬華は頭を押さえてうめいた。

『外からアーシェンス機で警戒しながら探索する。その後俺とドライで潜入、後続にトーカとアーシェンスが続く。侵入したらまず』
『ごめん、聞こえない。もっと大きな声で』
『何だって? 通信機の調子が悪いのか?』

ニックの通信機を通した声は、ほとんど冬華に届いていなかった。冬華はこめかみの奥にしめつけられるような痛みを感じてうめく。額に脂汗の玉ができ、AGの操縦席内で可能な限り、身体を前に倒してうずくまる。目を開けていられないほどひどい目眩を感じた。

『トーカ、応答しろ。どうした?』
「……雑音だ」

ノイズが頭の中に響く。吹雪の悲鳴と共に、到底無視できない大音量となって冬華に襲いかかる。耳をふさいでも一向に効果はない。

『トーカ?』
『ニック兄、なんだかおかしくない? やっぱりこのマンティス何かおかしな仕掛けがしてあったんじゃないの!?』
『でも、センサーには何も反応はありませんでしたよ』

耳元で複数の人間が叫ぶ。冬華は前を見ようとした。汗が目に入り視界が歪む。

「あなたは、誰……」

その時冬華は何を見たのか、本人にも分からなかった。大音響と苦痛に満ちた操縦席から、冬華は速やかに静かな暗黒に意識を滑らした。


空は青く、空気は清浄だった。暖かな風は優しく冬華の前髪を揺らし、冬華は寝転びながらそろそろ前髪を切らないとなと思う。適度に水分を含んだ草原は、寝転ぶと柔らかく昼寝には最適だった。

「無防備にねっころがると、後で髪がもつれるんだよね…… 猫毛はこういう所で辛いよ」

お弁当はどうしたっけ、と冬華はそのままの体勢で頭上を見上げる。頭の上に笹の葉で包まれた握り飯と竹で編まれたかごの弁当箱があった。中身は基本に忠実に、甘く仕上げた玉子焼き、ウインナーにぷちトマト。ちなみにウインナーはわざわざ牧場が手作りで作っているもので、化学調味料は一切使っていない。冬華はそれを食べる時を想像して満足そうに唇を吊り上げた。大人の楽しみとしてちゃんと酒も用意してある。最高の日本酒「浮雲」はきっと美味だろう。

どこからか甘い香りがする。花だろう。きっと桜だ。あまり知られていないが、淡い桃色の桜はいい香りがする。冬華はそれが好きだった。少しとって酒に浮かべようか。きっと風流で、食事に花を添えるだろう。そう思ったがどうも冬華は立ち上がる気にはなれなかった。静かに、穏やかに時が過ぎる。

「春だなぁ」

冬華はのんびりと暖かな日差しを楽しんだ。こうもくつろいだ気分は初めてかもしれない。今まで冬華はどんなに平和でも、どこか心の奥で緊張があった。今まできつい世界で生きていたせいだろう。ここは幸福だった。平和で、悩みもなく、うららかに世は流れる。永遠の春。

「……え?」

冬華はかすかな引っ掛かりを感じた。春が来る訳はない。昔、誰かが言っていた。

この世界には春は来ない。少なくとも自分が死に、その子どもが死ぬまでは。それは悲しむ事であり、その原因を作った者たちは非難されて当然である。どんな理屈も言い訳も通用しない、歴然とした事実だ。

でも事実ならしょうがない。受け入れるしかあるまい。そして、永遠の冬だからこそ、存在できるものもある。

冬華は立ち上がった。桜の花びらがどこからか1つ1つ舞い降りる。冬華は桜がそう簡単に存在する訳がない事を知っている。もう桜は富山シェルターの植物園にしか存在せず、以前花びらを手に入れるだけでも冬華はずいぶん苦労した。

穏やかに雲が風に流れる。その空から白い天のかけらが舞う。雪だ。全てを覆い隠す冷たい白い結晶はしきりに天から降りて、今の季節を冷酷に告げる。

冬だ。今は冬。暖かい春は遠く記憶の中で、訪れる気配は微塵もない季節。冬華はそういう季節に生きて、それしか知らずに生涯を駆け抜ける。

冬華はエネルギーボルト05が下げてあるはずの腰に手を伸ばした。何もないそれをつかみ、太ももへ向けて力いっぱい降ろす。何かが壊れるような衝撃音が遠い所から聞こえ、冬華は鈍い痛みに歯を食いしばって耐えた。

存在しない季節は心地良い。果てない夢はあまりにも美しく、永遠に過ごしたい。しかし冬華は知っている。本当は人は卵型のゆりかごでしか生きていけず、空は暗く大地には何もない。そして冬華の立っている所は戦場だ。逃げるつもりはない。冬でしか咲く事のできない花は冬に適応して立ち向かう。それが現在にふさわしい生き方であり、冬華の道だ。

「起きろ……」

冬華はもう一度、エネボを振りかざした。

「起きろ! ここは違う、戻れ、戻れ、戻れぇ! わたしに、わたしにもっともふさわしい場所へ!」

世界が崩れる大音響が響いた。冬華は耳をふさぐ事も出来ず耐える。目を閉じて身を縮め、大災害を迎える。

そして冬華は目を開けた。

懐かしいマンティスの操縦席があった。太ももは青あざになり、周囲の器具は乱闘後のようにあちこち壊れ、落ちている。手の甲は皮膚が切れ、血がしたたっていた。

「これか!?」

冬華はこめかみのコードを力任せに引っこ抜いた。目の前に電流が走り視界が暗くなる。冬華は目をつぶり、頭痛が治まるのを待った。

「分かった。何かの電磁波信号に過剰反応するか何かで、脳に変な幻像を見せたのか……」

とんだ欠陥品である。冬華はマンティスに喜んでいた自分を蹴飛ばしたくなった。不意にフォーチュンのカードが頭にひらめいた。世界のカード、意味するものは完成、完璧なる終了、これ以上望む物がない結末。しかしそのカードは冬華に不完全といびつな末路を予兆した。

「そうだ、ニック! アーシェンスたちも、どこ行った?」

彼らに声をかけたくとも、通信機のマイクは冬華が引きちぎったらしくだらしなく床に落ちている。冬華はこれ以上マンティスに乗る気には到底なれないし、目盛りを見てみると稼働時間がそろそろ限界に近い。冬華は操縦席から身を乗り出し、重い身体を引きずってマンティスの背中にくくりつけられている小型1人用装甲車へ移った。装甲車にも通信機はあったが、冬華はそれよりも凍える吹雪の中、周囲には何もない事を知った。

「見捨てられたか」

冬華は少々思う所があったが、しょうがないと開き直った。どの道急いでいたのだし、急に稼動しなくなったAGを放って進むのは小隊の長として間違った判断ではない。それにこの世にはむしろ敵に捕まって情報をもらさないように動けない味方を処分する者だっているのだ。マシンガンをお腹一杯食らうよりはまし、と思うと冬華はずっと気分がよくなった。

「今からだと遅刻だろうな。しょうがない、ここでじっとしているよりはましだ」

冬華は見届けるために装甲車のアクセルを踏んだ。マンティスで見た地図を思い出して進もうとするも、AGと車では視界が違うせいか、どうも進みにくい。それよりも何もない雪景色には複数の足跡が残っている。それを追って車を走らせるのはそう難しくはない。

冬華は大きく息を吐いてもう1回世界を見た。装甲車はAGよりも生身の視界に近く、強化ガラスの向こうの世界はそっけなく冬華を無視して存在している。冬華はそれを厳粛といってもいい気持ちで受け止めた。これが冬華の生きる世界だ。人が生きていけない、ひどく荒廃した世界だが冬華はなぜかそれが嫌ではなかった。むしろ自分にふさわしいとすら思う。雪と、雲と、それに彩られた灰色の世界はひどく冬華を落ち着かせた。どうあがいても冬華は今の世界の住民なのだ。こんな世界でもいとおしい。

吹雪のため目的地が目前であった事に冬華はすぐに気がつかなかった。半分地面に埋まった四角い人工建築物で、何重にも堅く閉められていたシャッターは全て無理にこじ開けた跡がある。冬華は装甲車で土足侵入して、車の中からシャッターを下ろした。3つ目辺りの、倉庫のように車やコンテナ荷物が放置された部屋で放射能検知器のランプが緑色に点滅しているのを確認して車から降りる。

耳をすませた。破壊音も爆音も聞こえない。

「ひょっとして、もう全部すんじゃったのだったりして」

平和的に話し合いですんだとは微塵も思わない冬華だった。まぁ無理もないが。

ではのんびり進むか、と冬華が一安心した瞬間、もうそろそろ耳慣れた腹に響く重騒音が聞こえてきた。反射的に冬華はその辺に隠れる。幸いに隠れる場所には事欠かない。

ニックたちか、と冬華は軽く考えていた。冬華が来た事をいち早く察して迎えに来たのか、それとも報告書を手に帰ろうとしていた所か。冬華は本能で隠れた自分が馬鹿らしくなって出て行こうとした。

ニックたちではなかった。冬華はとっさに神経をそのAGに集中させる。あちこち弾薬をあびて電撃に焼かれ、見るも無残なAGだった。左足に当たる部分に裂傷を加えられたらしく、歩き方がぎこちない。けしてニックたちの物ではない。

ユニオン社製『U-AG-008』バスタービー。冬華は唇だけでそう呟く。重装甲重火力、まさしく冬華好みの全身武器のAGだった。人間で言う満身創痍のAGはシャッターのスイッチを入れて背中の扉を閉める。身体感覚を崩して転び、そのまま動かない。死んだのか? という冬華の甘い希望はAGの胸に当たる部分が開き、人影が躍り出た事で打ち砕かれた。

冬華はいぶかしげに眉をひそめた。奇妙な人物だった。年のころは10代後半、戦場に立つには若すぎる。しかしそれには違和感はなかった。黒の伸縮自在の身体に張り付く戦闘服を着て、腰には高周波ブレード、上に建築物用の灰色の迷彩服を羽織っている。人工照明にも当たった事があるのだろうか疑問に思うほど肌は白く、瞳は小川のように清らかなスプリングストリームだった。ほっそりした身体は無駄なく鍛えられているようだが、体の線が露出している格好なのにもかかわらず性別が分からない。整った顔つきからは面白くてたまらない事があったように、そしてこれからもあるかのごとく、笑いをこらえているように歪められている。それはけして不快ではないが、冬華は背筋が凍る思いを味わった。ボタンを掛け違えた時のような不快感にも似た感情だった。

「そこにいるんだろ? 出てこいよ」

少年のように高い声だった。冬華はもちろん黙っている。出ろといわれて出てくる戦士がいるのならばお目にかかりたい。冬華の存在は装甲車の件から確信されているだろうが、黙っていれば今の冬華の隠れ場は分かるはずがない。

「そこに、いるんだ」

その人物は一息ついて、飛んだ。

「ろ?」

瞬間的に冬華の目前まで来た。高周波ブレードを大きく振りかぶる。とっさに冬華は左へ飛び、エネルギーボルトの引き金を引いた。当たったかどうか、冬華には判断がつかなかった。何もない地面へ冬華は左肩から着地し、そのまま数回転がると飛び跳ねて立ち上がる。その者の姿はどこにも見当たらなかった。全身を神経のように研ぎ澄まし、どこから来ても不意を撃たれないように警戒する。そしてやっと正常な時間と思考が戻ってきた。

「な、にものよっ、あなた」
「へっへっへっ」

先ほどまで冬華が背もたれにしていた大型車両の上から得意そうにその者が顔を出す。

「あんた、俺の名、当ててみな」
「問題を出すとは、偉そうに!」

冬華は撃てなかった。まさか銃より剣の方が強い訳はない。そんな事があったら冬華は今頃剣士になっている。それなのに、この者の動きは冬華の予想だにしないほど早い。はっきり言って冬華の目がついていかない。さっきかろうじて反撃できたのは本能とも言ってもいいほど身に着いた習性であり、幸運でもあった。2回目を当てにする気にはなれない。

「あなた、バイオウェポンでしょう!」
「当ったり」

人の身体の地図を組み替えて出来た新しい人間。外見的には間違いなく人の、しかしけしてそうではない者たち。竹屋の言葉が蘇る。「作り出すことは出来ると思う。でも何の欠陥もなく、完全に普通の人間と同じようには無理だよ。絶対に障害が発生する。肉体的ではなく、精神的に」

冬華を見下ろしながら、子どものように無邪気に笑っている彼を見て冬華は納得した。なるほど、知性はある、個性もある、しかし確実にどこかが破綻している。

「さっき、こっちへ来た3人とおまけはどうした?」

話しながら、何とか冬華は付け入る隙を見つけようと唇を噛みしめた。この距離なら普通の相手なら確実に撃ち殺せるが、相手は一瞬ですさまじい距離を移動できる神速の持ち主である。外して切り殺されるのはごめんだし、死ななくても銃持っていて剣に負けたとあれば末代までの恥となる。何とか一撃で勝負をつけたかった。

「あんたの友達か? ひどい目にあった、3人がかりで集中攻撃されたぞ。せっかくのおもちゃがぼろぼろだ。もう整備してくれる人いないのにな」
「おもちゃだと。バスタービーがいくらするのか知らないのか!?」

変な所で腹を立てる冬華だった。

「で、整備してくれる人?」

冬華は何となく思い当たった。ついでにこの研究所の本来の目的も。

「ここは、あなたみたいなバイオウェポンを研究していたのでしょう。整備してくれる人がいないってどう言う事? 研究者たちは逃げたの?」
「少し違う。えっと、」
「冬華。双琉冬華」わざわざ名乗る冬華だった。
「そうそう、冬華。ここはただ、俺のために作られた、俺を生み出す研究所なんだ。ここにいた人たち全部の知恵を費やして、ここの協力した全てのシェルターの資金で、ありとあらゆる機械で俺はここにいられるんだよ」

自慢しているようにも取れる口調だった。

「でも、皆もういないよ。全部終わって、俺が完成したからね」
「何よそれ。侵入者におびえて逃げたの?」
「違う違う。もっと頭を使えよ」

彼は指を振った。

「最後の人工筋肉が俺に組み込まれたからな。もういいと俺は思って、全部片付けた。もらったAGを使って全員」

彼は顔一杯に無邪気な笑みを浮かべた。

「すごかったよ。地面がまっかっかで培養浴槽みたいに水びたしなんだ。あんたもいればよかったのに。本当にめったに見られないんだから」
「……見たくもないわよ、そんなもん」

だから命令系統が混乱していたのか。冬華は心の奥で納得した。全員いないのならば命令が下されるはずがない。研究者たちに同情はしなかった。今はそれより自分が同情される立場にいる。

「で、その後に来たAGはどうしたの!?」
「さぁ。知らない。何とか1体動かなくしてから逃げてきた。どうせあれ、もう動かなくなりそうだしな」

あごで動かなくなったAGを指す。4人が生きていますようにと冬華は願った。

「なぁ冬華、こっちは答えたんだぜ。なら冬華も答えろよ」
「何を」
「俺の名は?」

知るか、の一言と共にエネルギーボルトを撃ちたい気持ちである。実際そうしても冬華は構わなかった。しかしその隙が見つからない。

「……Ostern」

オースターン。冬華の母国語では復活節、一般的にはイースター。長い冬の後の晴れやかな春の祝祭を意味するドイツ語を答えた事に深い意図はなかった。彼の顔を見ていたら、ふと思いついただけである。

「そう、それ。その通り。俺はオースターン」

オースターンはわが意を得たりとばかりに輝かしい笑みを浮かべた。

「あなたの命名者は、趣味がよかったのね」
「そんなの、俺は知らねぇよ」

その瞬間、オースターンはすさまじい跳躍力で飛び、冬華のエネルギーボルトは火を吹いた。1発。大きく外して金属片に反射し鼓膜を破らんばかりの音をだす。オースターンの高周波ブレードがまるで飛んでいるかのように冬華の目に映る。2発目、信じられない事にオースターンには当たらなかった。冬華はオースターンの軌道を予測して撃ったが、オースターンの動きは冬華の常識を大きく超えていた。オースターンは着地する。そのまま冬華へ走る。冬華は時の流れが粘り自分にまとわり着く感触を味わった。狙い直す、構える。

高周波ブレードが走る。

撃つ。

冬華のエネルギーボルトはオースターンには当たらなかった。オースターンの高周波ブレードは冬華を切り裂かなかった。オースターンは初めから冬華を狙ってはいず、そのせいで冬華の狙いがそれた。

オースターンは冬華の横を駆け抜ける。冬華が腰を落とし、背中へ銃を向けた時、オースターンはシャッターを背にしてスイッチを押していた。骨まで凍える風が冬華の前髪を揺らす。

「どこへ、行くつもり!」
「どこかへだよ! でも冬華、あんたとはまたどこかでまた会うぜ、絶対っ。嫌といっても俺が会ってみせる! 約束だ」

オースターンは汚染された吹雪の中へ飛んだ。人がけしてそのまま行ってはいけない場所へ、何も持たずに飛び出す。

冬華はその背中を撃つ事が出来た。止まれと叫ぶ事も出来たかもしれない。でも冬華は何もせず、だらりと両手を下げてオースターンを見送った。オースターンの姿が掻き消えたのはあっという間だったが、冬華にはやけに長い時間に感じられた。

「……冗談」

冬華は前髪をかきあげてからため息をついた。冷たい風が冬華のコートと髪を揺らす。

シャッターの向こう側から聞き覚えのある少女のわめき声が聞こえてきた。冬華は放心したように放棄されたAGの後ろのシャッターを見る。逃げたバイオウェポンは放っておいて、グリーレ兄妹を迎えに行かないといけない。冬華はシャッターのスイッチを押した。

その後は大した事は起こらなかった。冬華はシャッターを開けてグリーレ兄妹と再会した。オースターンとの戦闘でニックのAG舞花が致命傷を負って動けなくなっていたが、中のニックは幸運にもそれほど怪我はしていなかった。まるでごみのように無造作に転がっている研究員の中を吐き気をこらえながら探し、冬華たちは調査資料書を探し当てると、すぐさま舞花を引きずってライプチヒシェルターへ帰還した。

着いたら着いたでライプチヒシェルター上層部への報告、AGの修理、起こった事件のあらましの報告などで忙しかった。冬華やニックはわりと早々に開放されたが、竹屋はたとえ滞在期間1日とは言えあの研究所の数少ない生き残りと言う事でたっぷり事情聴取されているらしい。気の毒といえば気の毒だが、五体満足で生還しただけでもよしとなるだろう。結局研究員で生き残ったのは彼のみなのだから。

オースターンの消息はつかめなかった。まさか本当にあの後荒野を走り抜けた訳ではあるまい、どこかで車かAGに乗ったのだろうと推測するも、本当に神隠しにあったかのように足取りは消えていた。ついでに彼についてはライプチヒシェルター上層部は返答をするのを嫌がった。何か大人の事情があるのだろう。冬華はそれが気になったが、今はそれより休息が欲しかったので放っておいた。

そして研究所を出て5日後の今。

冬華は朝食として差し出されたものを唖然と見ていた。汚いテーブルの上には乾パンの缶詰が1つ鎮座している。これが朝ご飯だった。

何が悲しゅうて美食家の冬華が朝飯に乾パンを食べないといけないのだろうか。3者は文句も言わずに食しているから、今日が初めてという訳でも新手のいじめでもないらしい。ライプチヒシェルターの食糧事情は承知していたつもりだったが認識が甘かったようだ。

「トーカ、食べないの?」
「いや、頂くよ」

アーシェンスが食べないなら欲しいといいたげな目で缶詰を見る。確かにレンティール少尉とアーシェンスの勧めでライプチヒシェルターの宿代わりにしばらくグリーレ兄妹の元に世話になる事にしたが、こんな事なら富山シェルターにとんぼ返りした方が良かったのかもしれない。冬華は泣く泣く缶を開けた。持ってきた日本食はライプチヒシェルターからまだ帰ってきていない。あれが早く帰らないと冬華は命に関わるかもしれない。

「せめて皿に盛ろうよ……」

誰にも聞かれないように小声で冬華は氷砂糖をつまんだ。せめておいしいお茶もあれば気が紛れたのかもしれないが、飲み物は水1杯も出ていない。ここは文明区かと冬華は嘆いた。

冬華の失礼な呟きは幸いな事に有線電話のけたたましい悲鳴によって誰にも聞こえなかった。アーシェンスがのどを詰まらせてドライに背を叩かれる。ニックが呆れたように立ち上がり電話を取った。

「はい。……いるが。トーカ、君だ」
「わたし?」

氷砂糖を頬に入れて、冬華は首をかしげながら電話を代わった。ここに冬華がいる事なんて一部の軍人しか知らないはずだ。誰だろう。

「冬華さん! 僕だ」

竹屋だった。ひどく慌てている。

「何? どうしたの? ひょっとして、食事が口に合わないから逃げ出したいの?」

そんな事で逃げ出すのは冬華ぐらいである。竹屋はもつれたように「あの、大変なんだ。今日すごい事が起きて、うっかり聞いちゃって、もうどうすればいいのか」

「どうすればいいのかなんて、知らないよ。一体何があったの? 何をそんなに脅えているの」

うんざり冬華は氷砂糖を噛み砕いた。竹屋は息を無理に整えて、のどを鳴らしてから震える声で冬華に告げた。

「バーミンガムシェルターが何者かによって攻撃を受けて占領された」