目覚めると冬華は、見知らぬ所にいた。
「はっ?」起き上がると身体にかかっていたタオルケットが床に落ちた。自分が今まで横たわっていた物を見る。重量貨物を乗せるための電動手押し車に乗っていた。
ここは廊下のようで白々とした蛍光灯がまんべんなく照らしている。どう考えても冬華の小汚くも心温まる住居ではない。服もいつもの物ではなく、清潔な化学繊維のそれに代わっている。もちろん武器も一切ない。
「うえぇぇ?」何が起きたのか、冬華には全く心当たりがなかった。
「ちょっと待て、落ち着け、落ち着けよ、自分」鈍く痛む頭を抱えて冬華は必死に考えをまとめた。何でここにいるのか。原因はもちろん、その手がかりを思い出そうとして……
「上生菓子というのは、食べる芸術だ」
目まで届く前髪、女性にしては長身の身体に薄手のロングコートをまとい、背中に物騒な道具を入れたスポーツバックを担いだ何でも屋の双琉冬華は、薄暗い占いの店の中で店長兼唯一の従業員のフォーチュンを前に力説していた。
「材料から気を使って作る。安全で上質の小豆、それに昔ながらの方法で作った餡は爽やかな甘みを伴い、口の中でさらりと溶ける。これだけでも満足だけど、さらに季節感を伴い、見た目にも美しく上質に作り上げないといけない。あくまでもさりげなく、しかし気品に溢れ、それでいて古臭くない物を」そこでやっと冬華は背中に隠していた菓子折りを取り出した。ちなみに菓子折りの紙は和紙で、かすかに桃色がかった上品な透かしが入っている。
「と、いう訳でわたしの手作りの上生菓子だ。銘は八重桜。じっくり賞味してね」「……冬華さん、一応営業中なのですが」
つややかな黒髪、女の冬華よりもよほどきめ細かい白い肌の占い師フォーチュンは、上生菓子を冬華の用意した懐紙と黒文字で取りつつも抗議した。
「客が入っていないのだからいいじゃないか」冬華は抗議を気にしなかった。実際、フォーチュンの店は客が入らなかった。今日だけに限らず、冬華はここで客を見た事がない。占いの道具という今時誰が買うんだというような商品と、人気がなく物騒な通りに接し、さらに店の外見が小汚く、営業中なのかつぶれているのか分からない店舗では繁盛するわけもない。これでなんでやっていけるのかと冬華は心底疑問だが、フォーチュンの占いを頼る常連には金持ちやシェルター管理関係者も多く、その収入で成り立っているらしい。
人は来ない、静かで穏やか、店長はなかなか好人物。冬華がこの店に入り浸るのはあっという間だった。それでいて何も買わないのだからフォーチュンにしてはいい迷惑であろう。実際、つい先日まで占いを絶対否定していた人物が、今多少信じる事になったからといっていきなり道具を買いあさる訳もないのだが。
「確かに私以外には迷惑をかけていないのですがね」フォーチュンは手に持っていたタロットカードを置き、黒文字で桜を模した菓子を一口食べる。なんだかんだ言ってフォーチュンの付き合いのよさも冬華が入り浸る原因の1つだろう。
「しかし、ほかの友人はいないのですか?」「煙草臭かったり異臭がするから自宅に上がりたくない奴ばかり」
冬華の何でも屋という職業を考えれば当然であろう。いわゆるまっとうな友人は少ない。ちなみにここの店も香を焚いているのだが、けして不愉快な香りではない。
「お仕事はいいのですか?」「アセスがいないからさ。しょぼい仕事しか出来ないの」
机に頬杖をついて冬華はため息をついた。アセスは元冬華の仕事上の相棒だった。もうすでに現世にいない。
「すみません」「謝る事ではない。早く新しい相棒を募集しないと」
しかし募集といっても簡単ではない。まさか新聞に「何でも屋の仕事仲間募集。銃ならびに戦闘経験者希望、元軍人歓迎、一芸望む、いざという時法を破れる人待ってます」と掲載するわけにもいかない。仲間が増える前に冬華が当局に御用になってしまう。
「でもわたし、明日からいないし、相棒募集は当分先になるなぁ」「明日? 仕事ですか?」
「うん、そんな感じ。ライプチヒシェルターに行ってくる」
「観光、じゃなさそうですね」
「届け物だよ」
冬華は自分も八重桜を一口食してみた。
「アセスが、ライプチヒシェルター上層部が研究していた人工筋肉のモニターをやっていたみたいでね、報告書が部屋に置いてあった。もう本人がいないのだから届けられないし、配達して事故が起きても困るしで、わたしが行く事にした。向こうにも連絡済だよ」「何で冬華さんがその事を知っているんですか?」
「あいつ、こっちに知り合いも身内もいないみたいでね。身辺整理をわたしがやったの。その時出てきた」
「危なくないでしょうか」
「大丈夫。報告書を見たけれども、性能はいいけれども作るのにも維持するにも金がかかりすぎる。あんな物実用できないよ。実用できない物を報告するだけなのに、危ない訳がない」
「だといいのですけどね」
フォーチュンは黒文字を置いて、机に規則正しく並べていた3枚のカードのうち中央の一枚をめくった。
「愚者の逆位置」「何それ」
冬華はカードを覗き込んだ。以前も見た事がある、荷物1つを背負った青年が足を犬にかまれながらがけを歩いている図式が紙の上に描かれている。
「愚者はカードナンバーがありません。いわば0のカード。何が次に起こるか分からない、無限の可能性のカードです。しかしこれは逆位置、その意味は絶対的な混乱。冬華さん、近いうちに、よくない事が起きますよ」「止めてよ」
冬華は苦い顔をした。冬華は占いを全く信じていないがフォーチュンの予言めいたカードにはそれなりに敬意を持っている。そのような事を言われて、けしていい気はしない。
「その左は?」「過去のカードですか?」
フォーチュンの男とは思えない細い指先が店内の空気をほとんど動かさずに持ち上がる。動きに無駄が無いのだ。だから強いかと言うとそうでもないが。
「月の正位置。大切な物の欠如を意味します。分かりますか?」「どういう意味だか、よく分かるよ」
冬華はふてくされて机にあごを乗せた。
「どうしてそう悪い意味ばかりのカードを引くかな。少しは明るい話題がほしいよ」「私に言われても困りますね。冬華さんの運気がカードを引き寄せるのですよ。では、最後の未来は」
最後の1枚のカードはタロットカードに興味のない冬華の目から見ても美しかった。中央に女性が立ち、周辺には自分の尾を飲み込んだ巨大な蛇が円を描いて囲んでいる。四方には女性、獅子、鷲、雄牛が存在していた。しかし占い師の位置からしてそれは逆向きだった。フォーチュンは長いまつげを伏せる。
「なに、それは」「カードナンバー21、世界のカードです。意味するものは完成、完璧なる終了、これ以上望む物がない結末」
「でも、逆向きね」
「はい。ですから意味は不完全、未遂の失敗、いびつな末路、不安定です。冬華さんの未来です」
「それでもフォーチュンテラーか?」
冬華はいらだつというより呆れたように懐紙を畳んだ。占い師の英語読みはフォーチュンテラー、その名の通り幸運を告げる者だ。あいにく冬華は今まで不幸しか告げられた事がない。
「もしも不吉なカードを読んだら、どのようにしてそれを回避できるのか読むのも私の仕事です」フォーチュンは改めて椅子に座りなおし、横に控えられたカードの山を上から取り、丁寧にきった。そして1枚を引く。やっとフォーチュンの顔の緊張が解けた。
「6番、恋人」フォーチュンが見せてくれたカードには1組の男女と天使が描かれた明るいカードだった。
「冬華さん、あなたはその地で出会うべくして出会う人物に出会います。その人物が鍵ですね。あなたはその人物にとってかけがえのない存在となりますし、あなたもその人物が忘れられないと思います」「恋人として、と言う事?」
「さて、それはどうでしょう。私が読み取れるのは出会いまでです」
あまり救いにはならなかった。不服そうな冬華の表情を見てフォーチュンは少しばつが悪そうにうつむく。
「すみませんね、出掛けに不吉な事を行って。でも警戒はしてくださいよ」「分かった。覚えておく」
冬華は自分が食べた分の懐紙を捨てると、で、とフォーチュンに聞いた。
「お土産は何がいい?」世界中に散ったシェルターはそれぞれ国家のように、各自の上層部で治められている。しかしシェルターの分厚い壁を越えて協力し合う事業も多々ある。冬華が乗ろうとしている各シェルター間の移動手段、国際リニアモーターカーがその主たる物だった。あいにく全てのシェルターに繋がっている訳ではないが、それでも各シェルターごとの移動に利用が出来、移動時間も日々改良の末短縮されている。
冬華は富山シェルター窓口で3等の禁煙席を購入し、やたらと巨大な荷物を預けると指定された席へ移動した。荷物の内容は着替え、生活必需品、そして武器である。米、味噌、醤油、砂糖塩、調理器具なども加わっている。世界大戦当時最前線のライプチヒシェルターは食糧事情がよくない事を冬華はよく知っており、本気で滞在中の食事を自炊する気だった。もちろん荒事お任せの何でも屋として武器を全て預けてしまうわけもなく、きちんとコートのポケットには隠密用拳銃マジックミサイル03とプラスチック爆弾が入っているし、内側にはエネルギーボルト05がばらばらにして隠してある。
『まもなくライプチヒシェルター行きの便が発車します』人工合成の麗しい女性の声を聞いて冬華は時計を見た。18時ちょうど。冬華は肩掛けかばんから包みを出して開ける。美食家の冬華が無農薬の原料を厳選した材料で作った冬華特性弁当である。うっとりするような深い色の漆器の箸を取り出して、冬華は夕食を食べ始めた。動いたかどうか鋭い人間でないと分からないほど静かにリニアモーターカーが発車する。こんな世界でも技術は日々進歩しているのである。
かまどで炊いた米は冷えていても適度な粘り気と甘みを持ち、冬華は箸で口に運びながら今後の事を考えた。
向こうに着いたらライプチヒシェルターの上層部が出迎えに来てくれるはずである。後は報告書を手渡して終わり。特にやる事も警戒する事もない。終わったら観光でも行こうか、とのんきに冬華は考えた。狭いシェルターに観光すべき場所があるかどうか分からないが、冬華は武器や兵器に心ときめく人間なので、過去の激戦の遺物でも見れば楽しく過ごせるだろう。
「あと何かおいしい物があればもう言う事はないのだけど」食事状況は悪い事は承知で食べ歩いてみるのも悪くない。富山シェルターではお目にかかれない美味に味わえるかもしれないし、美食に幸せを見出す人間はどこにだっているだろう。それを考えると、この小旅行も悪くない気がしてきた。それなりに楽しめるし、アセスの分の気分転換になるかもしれない。
食べ終わった弁当箱を片付けて、あとはぼんやりするのみ。いくらシェルター間が近くなったとはいえ、後着くのに何時間かかるのだろうか。冬華はかばんから雑誌を取り出し、新型対人用小型ロケットのパンフレットを見ることで暇を潰そうとした。
数十分後、冬華は妙だ、と第六感が警告するのを聞いた。パンフレットを閉じようとするも、力が入らない。親戚を訪ねに行くのか、手前の席の家族づれが奇妙な表情で崩れ落ちる。頭が重い。冬華は立ち上がろうとしてあがき、床に崩れ落ちた。全身に力が入らない。
ガスだ。無臭の精神性の。どこの誰がこんな事を。
何者かが複数、重い足音を立てて冬華のいた車両に入る。鉛のように重いまぶたをこじ開けて冬華は彼らを認めた。全身を防護スーツですっぽり覆っており、年も国籍も分からない。
こいつらが、犯人だ。冬華はとっさにマジックミサイル03を彼らに向けて撃った。もう意識は霞がかったように朦朧として、行動できたのは半分訓練された無意識のおかげだった。
そして完全に闇に落ちた。
そして現状がある。冬華は腕を組んだ。
「いまどき列車強盗なんて、映画の西部劇でもお目にかかれないわよ」口に出して誰かに聞かれると非常にまずいのだが、口に出さずにいられないほど冬華は混乱していた。
現状では推測しようにもその材料が少なすぎて、何がなんなのかまるで理解できない。ともかく列車ごと襲われた事、その後誘拐されてここに放置されたであろう事は分かる。しかしなぜ、どうして。
「そもそも、リニアモーターカーをどうして襲う? それぞれのシェルターが合同して統治しているのだから、そこを襲うなんて全シェルターを敵に回したも同然、どこの犯罪組織でもそんな事は出来ない」
実を言うと、そこまで不自然でもないのだが。確かに実入りが多いが危険ももっと多い割に合わない仕事だが、シェルター上層部とつながりがある犯罪組織ややけっぱちになった傭兵もどきが時々起こす。しかしそれはありうるとしても、なぜ冬華がここにいるのかの理由がさっぱり分からない。金目当てではもちろんないだろうし、もし例の報告書目当てだったらそれのみを持って行けばいいのだ。狙われる可能性は低いと見て、冬華はかばんに入れただけだった。身体検査をすれば2分で見つかる。それなのに謎の理由で冬華は快適なリニアモーターカーからここにいる。ご丁寧に服までなく。
フォーチュンの占いを冬華は何の前触れもなく思い出した。「意味は絶対的な混乱。冬華さん、近いうちに、よくない事が起きますよ」
「どうしてフォーチュンの不吉な占いはこうもよく当たるんだ?」冬華は頭を抱えたくなった。頭痛がする。けして神経毒のガスの後遺症ではない。ふと空腹を感じた。ずいぶん寝ていたらしく時間感覚はさっぱりないが、倒れる直前に弁当を食べたのだから相当時間はたったのだろう。とりあえず一通り騒いで混乱して気が済んだのか、それを感じる程度には落ち着いてきた。
今後、どうするべきか。この場でじっと考えていても堂々巡りである。ならば行動あるのみ。しかし下手に動くのも困る。どういう訳か今は放置されているが、拘束されていてもおかしくはなさそうだ。とすると、もしも誰かに見つかった場合、親切な対応は期待できないだろう。
どぉぉん。「はっ?」
冬華の長い前髪が前に流れた。瞬きの半分の時間の後、冬華は後ろで爆風と爆音が来た事を理解した。後ろを向くよりも先に、冬華は前へ走り出す。
「な、何? 何が起こった? 戦闘か、破壊活動か」どちらにしても巻き込まれるのは冬華は遠慮したかった。ライフルや大型拳銃どころかナイフ1本、石ころ1個も持っていない身で戦闘はしたくはない。もちろん冬華は何でも屋のたしなみとして格闘技にもそれなりに通じてはいたものの、相手も素手でない限りは立ち向かいたくない。
さらに背後で、つい最近聞いた事のある起動音が重火器らしき爆音に混じって聞こえた。冬華は忌まわしい記憶を脳裏に浮かべて、とりあえず手近な扉に駆け込む。何かの控え室らしい室内はテーブルや荷物が散らばっており、無人だった。テーブルの上にはついさっきまで有人だった事を示すコーヒーとクッキーが置いてある。冬華はテーブルに手をついて呼吸音を整えた。
「あれは」忘れようとしても忘れられない。他の兵器とは明らかに異なる独特の音は、間違いなくAG−2メートルを超える、人型の兵器―の音であった。冬華は全身の鳥肌が立つ感触を味わった。先日AGに相棒を殺された上、生身でそれに対抗した事はまだ記憶に生々しい。
「何でまたAGがこんな所に」AGは兵器としては比較的一般的である。だから結構冬華も見かける。しかし問題は、ここに兵器が導入されているという事実だった。一般生活ではもちろんのこと、冬華が首を突っ込むような非一般的な事件でもそうは兵器は関わってこない。例えば、よほどの大企業、軍関係、あるいはシェルター上層部に関係するような事でAGが登場する。
「何がなんだか。気がついたらわたしは1人で荷物がなくて、AGが暴れている音がして、誰か説明する人はいないの? 人がいたら締め上げてでも聞き上げてやるのに」過激な事を言いながら冬華はテーブル上のクッキーを1枚つまみ上げて手で半分に割り、口の中に放り投げた。
「ん、これは。3枚食せば1食分のカロリーと脂肪分を補えて、鉄分、カルシウム、ビタミンCもたっぷり。忙しい会社員や軍人に最適」こんな事を言える辺り、まだ冬華は余裕らしい。
もちろん冬華は美食家だが、成分分析器ではないので、1口食べただけでそれの成分を分析できる訳ではない。いくら冬華といえども、時には不本意にも粗食に耐えたり、飲まず食わずで過ごす事もある。以前ワルシャワシェルターへ行った時、食事代わりに旧ヨーロッパ地方で大流行のクレメンス社の栄養食シリーズのクッキーを食べた事があり、その味を覚えていたのだった。もちろんそれだけでも相当すごいが。
「と、言う事はここは旧ヨーロッパ地方なのか。ひょっとして目的地だったライプチヒシェルターだったりして」もう1枚取ろうかとしばらく手がテーブル上をさ迷い、冬華は思いとどまった。栄養食であるだけあって味は残念ながら重要視されていない。平たく言えばうまくなかった。まずくはないのだが、冬華の口には合わない。同様の理由で冬華は安物のインスタントコーヒーも辞退し、適当なマグカップでポットの湯を直接入れ、少しさまして飲む。ついでにいざと言う時のためにティッシュにいくつかクッキーを包んでポケットに入れた。
「さて、とりあえず大まかな場所の見当はついた。で、ここはどういう施設なんだ。少なくともついさっきまでは人がいて使われていたみたいだけど」冬華は部屋を見渡し、適当にその辺の引き出しを開けたり戸棚を探したりとまるで空き巣のように振る舞った。この行為はどう好意的に見ても犯罪だが、冬華の方も合法的な手段でここに連れられた訳ではないのでいいだろう。
特に冬華が欲しかった武器らしき物はなかった。当たり前である。一応文房具のカッターや調理用の包丁などはあるが、それを持っていくくらいなら素手の方が敵意がないように見え、言い訳が聞く分ましである。
いくつか資料らしき書類を見て、冬華はここがワルシャワシェルターかライプチヒシェルターである事を確信した。書類がドイツ語である。冬華はドイツ語は読めないので書類の内容は分からないが、それを差し引いても十分な収穫だった。
「彼らが、わたしに何の用だろう」冬華はここで得られる物はもうないと判断し、冬華はドアに耳をつけ外の様子をうかがった。もう爆音は聞こえない。それでも冬華は全身耳のように慎重にドアを開け、外へ出た。周囲に人影はないが白いプラスチックの粉が空中に少し舞っている。破壊活動の名残であろう。
冬華は先ほどの破壊音の場所へ行ってみる事にした。けして物見高い訳ではない。一体何が暴れたのか、様子を少しでもうかがうためだ。もし冬華の存在がばれたらただではすまないだろうが、どうせこのままふらふらしていても危険度は大して変わらなかった。
戦闘行動は場所を動いて再開したらしい。はるか遠くの方からまだ爆音は聞こえるも、その場ではもう終わっていた。
「うゎ」
冬華は前髪をかきあげた。通路があちこち陥没し、もうあとはばらして鉄くずとしてしか利用法がなくなったAGが1体転がっている。AGの事なら何でもお任せ、ユニオン社製『U-AG-006A』アントはお腹いっぱいの弾薬をぶち込まれていて沈黙していた。
「敵は世界征服を狙うテロリストか? それともシェルターごとのぶつかり合いか」そんなこじ付けでもなければ、兵器と兵器が衝突する理由なんて思いつかない。いずれにしろ、この場には何らかの紛争があり、それに巻き込まれたら人間である冬華はあっさり昇天してしまうだろう。
今後の方針を現状把握ならびに逃亡と脳内会議で決定すると、冬華は情報収集のためにアントを見上げた。
AG専用の重火器で沈黙している事は分かる。冬華のライフル・ライトニングでは残念ながら傷1つつかないであろう分厚い装甲は弾薬により3桁の風穴が開いていた。確認するまでもなく内部は壊滅状態であろう機中のパイロットは生きていないだろう。操縦席に無理に入り込み、使える武器を引っ張り出す考えを冬華は捨てた。「マシンガンというところか。でもさっきまでここにいたのにもういないって事は、移動速度もそこそこ」
勝者のAGが進行したであろう通路へ向いた。通路は重量のあるAGが通った後らしく、合成強化プラスチックの床はほじくり返されたように灰色のコンクリートとエネルギー供給のパイプがむき出しになっていた。行こうと思えば何とか冬華も後を追える程度には道はまだある。
「少なくともAGの大群という訳ではないよね。せいぜい数体。少数の傭兵か、軍の特殊部隊か」きっとここは何かの調査地区か施設で、そこに侵入者が来たのだろう。なぜここに冬華がいるかは分からないが、またとんでもない事に強制的に巻き込まれたようである。巻き込まれて壮絶に爆死しないためにも、侵入AGの方向とは逆に冬華は脱出方法求めて歩き始めた。
廊下を歩きながら、こう考えた。智に働けば策におぼれる。情に棹されれば流れ流され。意地を通せば絶体絶命。とかくに人の世は住みにくい。
「いや、この状態はわたしのせいじゃないぞ」冬華は自分でつっこんだ。今の冬華には流される情も通す意地もなく、智に働こうにも情報が少なすぎて働きようがない。かといってうかつに動くと敵対者と鉢合わせする可能性もある。冬華としてはとにかく慎重に慎重に危険がない事を確認してから行動に移るしかない。
冬華は気配を殺し、周囲を警戒しながら歩いた。しかし行けども行けども敵どころか人の気配がない。物音は自分の足音のみ。いい加減冬華は馬鹿らしくなって、いつものように背筋を伸ばして進んでいた。見事に何もない。AGの戦闘音すらない。それはそれで好ましい事だが。
廊下を曲がると扉があったので、耳を張りつけ物音の有無を調べてから空ける。個人の部屋らしい寝台と家具一式、本などがあった。先ほどからずっとこうである。初めのうちは中へ入り込み何か手がかりはないかあさってみたが、何1つ役に立つ物はなかった。せめてドイツ語の文献が分かれば何とかなるのかもしれないが、冬華はドイツ語の心得はない。
「これは、行く方向を間違えたか?」例え危険でもAGの進んだ方へ行けば、もっと有効な物があったのかもしれない。そうだそうに違いない、今でも遅くない戻ろうか。逆方向に行きたい気持ちを抱えながら、冬華は義務のように扉を開け周囲の壁に身体を張り付き中をうかがった。
人がいた。
「!」無人だと思っていた冬華はとっさに全身の筋肉を弛緩させ、相手がどう動こうと対応できるように身構えた。今までと同じつくりの個人部屋だが、ほとんど私物が置いていない。代わりに入り口近くに荷物が3つ転がっていて、本人はベットにうつぶせに寝ていた。ドアが開いても身動き1つせず寝るその人物は、ぱっと観察したところ冬華と同じ黄色人種らしい。よほど疲れているのか、普段着で寝床に転がっていた。
足音を忍ばせて中へ入り、冬華はその人物を観察する。恐らく研究員か従業員か、生きるために必要な筋肉しかなさそうな細い手足から察するに運動には縁がなさそうな青年だった。近くに琥珀色のフレームの眼鏡が転がっている。
どうしたものかと冬華は考えた。もし冬華が軍人だったら銃を突きつけ叩き起こすのだろうが、いきなりそんな事をして最悪の初対面を迎えたくはない。嫌われるのが怖くはないが、今後話をする上で友好的であるのに越した事はなかった。罠かもしれないと思ったが、どうもそうではなさそうなので冬華は起こしてみる事にした。
「Guten Morgen!」ドイツ語は出来ない冬華だが、それでもおはようぐらいは言える。同時に軽く揺さぶってみると、男は何かをうめきながら顔を上げた。
「あ、Good morning…… いやここはワルシャワか、Guten Morgen.あれ、君はワルシャワ住民にしてはなんだか」「旧日本人よ」
「あ、そうなんだ。久々に聞く日本語だなぁ」
緊張感なく男は起き上がって、あくびをしてから大きく伸びる。
「やれやれ、頭がすっきりしたよ。そろそろここの所長と対面させてくれるの?」「ここは何かの研究所なの?」
「え? うん、そうだよ。生物バイオテクノロジー研究所、トルーク。君はバイト? それくらいは知っておいたほうがいいと思うけど」
「で、あなたは誰?」
何か誤解が生じているが、冬華は気にせず続けた。
「僕は竹屋優慈」「ここの研究者?」
「うん。元は旧日本地区の小樽シェルターの研究者だったのだけど、研究所がつぶれちゃってね。途方に暮れていた所で、トルークのスカウトが来たんだ。でも君は」
また戦闘再開の合図の爆音が聞こえた。冬華は顔をしかめたが、幸いにも音の発生源ははるか遠くらしい。こっちにとばっちりが来る事はなさそうだった。竹屋は顔色を変えてドアから外をうかがう。
「聞こえたか、今の!」「聞こえたよ」
「何だ、事故でも起きたか? オートクレープが爆発でもしたのか」
「きっとAGが正面衝突したのでしょう。ここまで被害が来なさそうだから大丈夫よ」
「は?」
勘違い状態のまま会話が進むのはなかなか面白かったが、そうも言っていられない。冬華はやっと自分の名前とおかれている状況など事情を話す事にした。下手をしたらこれでこの男とは敵対するかもしれないが、そうなったら力ずくで話を聞きだすまでである。冬華は無駄な暴力は好きではないが、無駄ではない暴力を振るうのにはためらわない。
「と、言う訳でわたしはここの話をもっと聞きたい」「おい、そんな。僕をだましたのか?」
「いや、勝手に誤解して自分ではまっただけじゃないの」
冬華が顔の前で手を否定の形に振ると、竹屋は顔を赤くしたが、思い出したのか黙った。
「じゃあ、双琉さん」「冬華って呼んで。そっちの方が好きだ」
「冬華さん、君は気を失っている間にここに助けられたのか?」
「あるいはここに連れ去られたのか、それとも敵対者がここへ置き去りにしたのか。どっちにしても、私は自分の持ち物を取り戻して富山シェルターへ帰りたい。そのために協力をして欲しい。お礼はする」
心の中で嫌だといったら無理にでも協力してもらうけどなと付け加える。肉弾戦は得意ではないが、それはあくまでも銃の扱いに比べたらの事。この男相手なら十二分に太刀打ちできる。
案の定、竹屋は嫌そうな顔になった。
「そんな事言われても僕はここに昨日来たばっかりでろくに知らないし。荒事は悪いけどごめんだよ。大体なんで僕なんだ? 他の人に聞けばいいじゃないか」「他の人がいないのよ。もぬけの殻」
「何だって!?」
竹屋は今度こそ外へ出て、他の部屋を探す。冬華はなんとなく、この男が他の研究員に見捨てられたのではと思った。新米でなじみの薄いのなら仕方がない。哀れだなぁと人事のように感慨にふけり、ふとドアの近くの空調調整などのボタンを見る。
「竹屋氏」「何だ?」
「これ、何?」
それは施設内放送の音量調整ボタンだった。0に設定されている。
「着いたばかりで眠かったから、無駄が入らないように音をなしにしたんだ」竹屋は心なしか血の気を引きながら解説した。
「それじゃ、例え避難命令が出ても分からないじゃないか! 置き去りにされるのも無理はないよ」竹屋は頭を抱える。冬華も頭痛がしてきた。この抜けている男から提供された情報がどれほど役に立つのだろうか。
「竹屋氏、1つ提案がある」「何だよ」
冬華は険悪な表情でにらまれたが、竹屋がこうなったのは冬華のせいではないので無視した。
「どうも自分のうっかりミスで逃げ損ねたようだけど、もしも聞いた事を教えてくれたり案内してくれたら、最大限の努力を払って 護衛をするよ。乗る?」竹屋は胡散臭げに冬華を見た。
「君は何でも屋だったな」「うん、荒事は得意」
物によるがな、と卑怯にも脳内で言い訳をする。
決断に悩む竹屋の背中を運命へ押したのは、再び思い出したような爆音だった。清潔そのものの部屋だったが、埃が落ちてきたからには相当すごい衝撃だったのだろう。
「分かった、だから助けてくれ」「よし、交渉成立」
内心嫌そうな竹屋の手を無理に握手の形に握り、冬華はすばやく今後の方針を練った。