冬華馴染みの総菜屋で、鳥のささ身の味噌漬けを口に放りこみながら全は繰り返した。
「クリエイト社の強盗失踪事件? 知っているよ、3人もいなくなったんだもん」「その事件について改めて調査をしたいんだけど、何か面白い事知っている?」
鳥のささ身の湯引きを味噌醤油でいただきながら冬華は軽く聞く。
「それほど大した事は知らないな。3人の社員と現金が行方知らずになった。現場には血痕が大量に残されていたけど、被害者たちの姿はない。3人の社員が盗んだんじゃないかとも言われているけど、それにしては現場がひどく荒らされていた。机が真っ二つになっていたり、人間には到底出来そうにないほどね。まるでAGが暴れたんじゃないかのようだけど、扉はAGが入れる大きさではなかった。不思議だね」
AGとは装甲騎兵Armor Gearの略語だ。人型で全高2,5m程度の昔の世界大戦に投入された装甲服のような歩兵用兵器。安価の割りに強く、現在の戦争や紛争の主力となっている。もちろん冬華は持っていない。いくら安いからといっても個人が所有するには高すぎる。
「それは不思議だ。社員におかしいところはあったの?」「何にもないよ」
「クリエイト会社の評判は?」
「バイオテクノロジー関係においてその筋ではすごく有名だね。以前はぱっとしない普通の会社だったけど、1年位前から急成長を遂げている。噂では、あの3大企業のフォーレスもが注目しているんだって。でも成長の仕方があんまり良くない。取引先に軍事関係が増えている。バイテクによって、個人の判断力、耐久力に関することですごくいい物を開発したんだって。でも多分、戦争とか戦いとかに関することなんだろうね」
嫌そうに全は顔をしかめた。善良なフリーターとしては当然の反応である。
「近藤栄子という名前に聞き覚えはある?」「いや、知らない」
「クリエイト社に関係する事なのだけど」
「う〜ん、分からない」
「そっか」
38度にお燗された日本酒「春の夢」を口に含み、その軽やかにして爽やかなうまみを堪能した後、むぅと冬華は唸った。食事に文句がある訳ではないしあまりのうまさに感動したからでもない。
「1年前からか。裏があるとすれば近藤嬢ではなくその会社かな。この依頼自体には特におかしくはない。アセスの所も聞いてみないと分からないけど、受けてもいいか」「お仕事? 大変だね」
「ま、それなりには。だから全の情報にはいつも助かるよ。これからもバイト先を点々としては情報収集してね」
「別に冬華さんのためにバイトを変えてる訳ではないけど、がんばってね」
「そうする。じゃ、後はゆっくり食べていてよ、わたしはこれで帰るね」
伝票をつかんで冬華は席を立ち、自分の薄汚いロングコートを小脇に抱え店を出た。店の外に出て端末を取り出しかける。
「アセス? こっちは大丈夫。企業のほうは怪しいけど、近藤嬢は特に問題がない。警察の方は?」『依頼人は問題なしだ。犯罪暦もねぇし、おかしな付き合いや噂もない。きれいな物だぜ』
「そうか、ならこの依頼受けよう」
冬華は長すぎる前髪を掻き分けた。
「近藤嬢に連絡よろしく。それから今後の調査も頼める?」『また俺か? ずりぃぞ』
「いや、ずるくないよ。わたしには明日は別件の仕事もあるのだから。これはアセスには無理だよ」
『あ〜、そんな事もあったな。ちっ』
「分かればよろしい、では、お願い。何か特別な事が分かったら連絡してね」
『へいへいっと』
冬華は端末を切った。名残惜しそうに端末は今の通信時間を表示し、時計機能に戻る。1分も喋っていなかった。
「明日から、危険なお仕事になるか」冬華はコートを着て荷物を肩に負った。
「そうこなくっちゃ」翌朝7時半。冬華は大学にいた。
あらかじめ断っておくが、冬華は大学生ではない。冬華の学歴は傭兵学校中退で止まっていた。
ではなぜ来たのか。答えは大学内の生協の、清潔な設備の一角の「着付けコーナー」にあった。
「全く、今時の若者ははかまの着付けも自分で出来ないのか。実に嘆かわしい」何でも屋の仕事の一環である。もちろんアセスには出来ないので冬華限定で着付けの手伝いをする。
「普通の人は着れませんよ、双琉さん」着物のレンタル会社の社員が冬華に苦笑いをする。レンタル会社も着付けが出来る人が少ないので急遽冬華にお出まし願ったのだった。今は卒業シーズン、外見に似合わず和風な冬華の稼ぎ時だった。
「それにしても、全く」ぶつぶつ言いながら冬華と大して年が違わない大学生の着付けを終えて、「次、どうぞ」と呼びかける。
「後何人ぐらい?」「そうですね、70人と言う所ですね」
よほど冬華は帰ってしまおうかと思った。
9時直前になり、卒業式が始まる頃に全員ようやく終わった。
「お疲れ様です、何でも屋さん」「お疲れ」
冬華は自分の手の指紋が消えたのではないかという錯覚に襲われつつ、挨拶をしてから人気のない建物の隙間へ行き、端末でアセスに連絡を取る。
「もしもし、アセス? こっちは終わったけど、そっちはどう?」『驚くな、収穫大有りだ。とりあえず、こっちへ来い。相談したい事がある。銃器は今持っているか?』
「当然」
愛用のライフルが入っているスポーツバックは今もなお冬華の肩にあった。普通はこんな所まで持ち歩かないのだが、冬華は普通の職業ではない。
『ならすぐに来い』「こっちはくたくただというのに。へいへい、行きますよ」
冬華は端末を切って、その足で待ち合わせ場所に行った。
アセスの指定した待ち合わせ場所はジャンクフードの店だった。ここで昼食を食べながら打ち合わせと言う事なのだろう。アセスにしては気の利いている方であるが、冬華の機嫌は悪くなった。美食家の冬華にとってくず肉を使ったハンバーグや古い油を使い塩を必要以上にかけるポテトなど、とても口に合わない。先にそれらをさもおいしそうに食すアセスの前に冬華は座り、バックの中から包みを取り出した。冬華特製弁当である。
「飯屋の中で、他のもん食うのはまずいんじゃねぇのか?」「今更多少のルール違反ぐらい、どうって事はない」
少なくとも持ち物だけで、冬華はすでに法律違反をしている。
「勝手にしろ。ところで、今日俺が汗水たらして情報収集した結果な」きつい安物油の臭いに冬華はうんざりしながら続きを待った。アセスがそこまでがんばったかは知らないが、それなりに有効な情報を仕入れてきたのだろう。
「どんな事が分かったの、それで」「近藤の兄貴が勤めていたクリエイト会社だがよ、2年位前、兄貴が失踪して少ししてから子会社を設立しているんだ。名目はバイテク関連の専門的研究ってことで、その会社からの製品がここ1年から伸びている。取引先は軍事関連ばっかりだ」
「ふんふん、それで?」
「近藤の兄貴は研究者なんだろ。死んだ事にしてその研究所に送られたって事は考えられねぇか?」
「ありうるけど、なら他の2人も一緒に? 2人も研究者だったの?」
「いや、普通のバイトだったらしい」
「なら、それはありえないよ。何で普通の人も一緒に消えたか。それが問題だ。研究者1人なら、拉致されたとか口封じとか、そう言う事もありうるのに」
冬華は箸を取り、弁当を食べ始めた。食事中は静かにする。話しながらだとご飯の味がよく分からないというものもあるし、そもそも食事中にしていい話題ではない。アセスも冬華もその事は気にしないが。
「その子会社を、もっとよく調べる必要があるね」「おい、これ以上どうやって調べろって言うんだ? 外からじゃ無理だよ」
「中から調べるといい」
手作りふりかけと白いご飯を飲み込んでから、あっさり冬華は言った。
「侵入しよう」翌日の早朝。
「おはようございます。双琉清掃会社ですっ」無駄に爽やかな声で作業服を着た冬華とアセスがモップとバケツを持ってクリエイトバイオテクノロジー部門会社にいた。2人とも多少の化粧をして実年齢より年をとっているように見せかけ、アセスは髪を黒く染め富士シェルターの住民らしい外見になっている。さらに彼らは背中にそれぞれ大きな荷物を背負っている。掃除道具だろうと普通は推測される背負い袋にはライフルやコートや拳銃が詰まっている。
「ったくみっともねぇ格好だぜ」「文句を言わない。この格好だとどこにいても怪しまれないのだからいいでしょう。普段のわたしたちの格好だと2秒で追い出される事請け合いよ」
「へいへい。じゃあ、昼にまた集合な」
「了解」
冬華とアセスはそこで別れた。冬華が資料を探し、アセスは機材などを見ておかしな所がないかどうか調べる。深追いは禁止、とお互いに確認しあっているのでそうは時間がかからないだろう。
冬華は科学雑巾を片手に人気のない社内を観察しながら進んだ。いかにも生物系の会社らしく、清潔で人の臭いがまるでしない。適当な部署をのぞき、何回か失敗してから冬華は埃臭い資料室らしき場所を探り当てた。
「さて」冬華は紙の束の背表紙をしばらく眺めて、子会社成立の2年前の資料から探すことにした。あいにく冬華にはバイテク関連の知識も経済的知識も大してないが、冬華はこのようは資料は慣れで読むものだと思っている。いざ人が来ても怪しまれないように扉の前に水の入ったバケツを置き、冬華は適当な書類を手に取った。
『……新部門を独立させる』『研究者は厳選の上考慮。3人以上、10人以下が望ましい』
『偶発的クリーチャー技術を人工的に作り出し……』
『新技術はワルシャワシェルターの上層部と取引。3年後の結果によっては買い取り決定』
『試作品は順当』
「……よく分からない」
数十枚読んだところで、冬華は目を押さえて書類を元の位置に戻した。細かい文章を読んだので目が疲れた。
(確か、ワルシャワシェルターと言えばあまり評判が良くない所だけど…… 揉め事やらなんやらで。そんな所と取引なんて、どんな物を開発しているんだか)
新部門を独立、と言うよりは新部門が危険なので本社から隔離したと言う方がよさそうだ、と冬華は思った。
(どんな研究しているんだか。そのバイテクについてもう少し知りたいね。しかし、またよほど資料を読み込まないと分からないだろうな。自分の学歴が憎い)
舌打ちをして、冬華は別の資料を手に取った。細かい数字からそれは給料明細書らしい。役にたたんと冬華はそれを元の場所に戻そうとして、ふと目を止めた。
「おや」冬華は2回それを読み返し、書類を閉じて自分のポケットに入れた。
「ふむ」自分の前髪に手をやり、少し考える。
「ふむふむ、ふむ」無意識のうちに長い前髪を手ですいた。そろそろ切らなきゃと昨日も思った事を今日思う。
「ふぅむ。なるほど、これは予想外だった」冬華はその足で資料室を出た。もう出社時間はとおに過ぎたらしく、白衣を着た社員と何人もすれ違うも、誰も清掃員に注意を払わない。冬華はある部署へ行くと、落し物の名目でとある人物を呼んだ。何も考えていない社員はその人物を連れてくる。冬華はその人物にそっと耳打ちをした。
「!」「大声を出さないで。わたしと一緒に来てもらいますね」
その人物が混乱しているのをいい事に、冬華はまんまと連れ出し、アセスとの待ち合わせ場所へ戻った。資料室に思った以上に長くいたらしく、アセスは清掃員の格好をしていなければ今すぐにでも煙草を吸いたそうに口をすぼめてまだ待っていた。
「おせぇぞ、冬華。なにしてやがった。そいつは誰だ」「悪い悪い。でも大収穫もあったものでね」
冬華は胸を張ってその人物をアセスの前に出した。その人物はおどおど冬華とアセスを見比べており、とても重要な者には見えない。
「紹介するよ、彼は近藤正治、噂の尋ね人だ」冬華が先ほど発見した物は、近藤正治の給料明細書だった。
「で、何であんたがここにいるのか、聞かせてもらおうか。言っとくが俺はあんたの生死確認のために金払って知り合いに頭を下げて借りを作って聞き込みをして、そんでもってこんなみっともない格好をして掃除をしてるんだからな。よっぽどの事がない限りは歯を食いしばれ」
「は、はい……」
3人は近藤氏がまず人がこないと言った旧会議室にいた。アセスを見る限り、本気で殴るつもりだとうと冬華は自家製の梅干入り胡麻和えのお結びをほおばる。スタイリッシュを至上としているアセスにとって、よほどこの格好が気に食わないのだろう。近藤正治氏にもそれは伝わったらしく、青ざめながらも筋道を立てて話そうとした。
「僕はクリエイト会社でバイオテクノロジーの研究をしていました。主題はいかに後天性バイオテクノロジー技術による人間の肉体ならびに精神の強化です。低価格で手間も簡単な手術によって人間の肉体的補佐を目指していました」「つまり、手軽に強い最前線の兵士の製作」
あほらしい事を、と冬華は呟き小型ポットの白湯をすする。温度は暑くもなくぬるくもなくちょうど良い。
どこに強くなりたいからといって自分を改造する民間人がいると言うのだ。多少はいるかもしれないが、そんな事は企業がわざわざ手を出すほど数がいない。各シェルターごとの情勢は不安定である。侵略のため、あるいは自衛のため、どこのシェルターでも強い機械、強い兵器、そのような物に冬華が一生お目にかかれないほどの金を注ぎ込む。そんな上層部の人間にとっては安価での兵士の改造は好ましい物として映るだろう。
そのような事は冬華からすればどうでもよかった。よくある話であり自分が直接犠牲にならない限り目くじらを立てるほどでもない。それに第一、まだ一般的に技術は完成していない。実験体が何体かいると風の噂で聞いてはいる物の、実用には程遠いとの見解だ。
今までは。
「そのような物にも使いますが、しかし本来は」「いいから続けろ」
「あ、はい。ですがある時、アルバイト2人と他の企業との打ち合わせのために待っていたら、突然アルバイトたちが変態して」
「はぁ?」
アセスが理解できないとばかりに大口を開けた。
「いわゆる、クリーチャー変化です。アルバイトたちの仕事は本来実験で出た廃棄物の処分だったのですが、恐らく、その」「実験の結果が漏れていた。偶然それらに接したアルバイト2人はクリーチャー…… 化け物に変身した」
冬華が助け舟を出して、次におかかのお結びを取り出した。
「はい、そうなんです。その場ではアルバイト2人を会社の護衛によって殺さざるを得ませんでしたが…… 偶然とはいえ、実験の成果をクリエイト社は重要視しました。この結果は完成すれば世界中に技術革新をもたらします。その機会を逃したくなかったのです。僕はいったん死んだ事にして産業スパイやその他の、例えば他のシェルターの工作員の目から逃れ、ここで研究をする事になりました。あいにく技術は完成はしていませんが、それでも部分部分の成果は十分に社にとって利益をもたらす事になりました」「気にくわねぇな」
アセスが吐き捨てるように床につばを吐いた。近藤氏がぎょっとして口を閉じる。
「てめぇが気にくわねぇ。てめぇごとをまるで人事のように。依頼対象でなかったらとっくにその面に穴が開いていたぜ」アセスだったら依頼対象でもやりかねないだろう。暗い雰囲気に圧されて近藤氏が青ざめた。
「あんたのしっかりした妹さんに死亡を確認してほしいって頼まれたんだ。どうする、冬華」「そうだね」
もちろん冬華もこの件に関してよい印象は持っていない。しかし依頼は依頼であるし、そんな事にいちいち目くじらを立てていたら生きていけない、と言うのが本音でもある。今冬華にできる事は、目先にぶら下がっている依頼内容だった。
「近藤氏、私は妹さんに貴方の死亡を確認してほしいと頼まれた。実際に貴方はぴんぴんしているけど、妹さんにその事を伝える。異論はない?」「……ありません、それと、僕からも1つお願いできませんか?」
「何?」
「ぼくはクリーチャー変化の原因が分かってすぐに死亡扱いされて、そのままこの研究所に移されました。きちんと家族に別れを告げるまもなく離れたんです。恐らく会社に伝えても素直に会わせてくれないでしょう。お願いです、最後に家族に合わせてください」
はん、とアセスは鼻を鳴らした。
「それくらいなら、サービスでやっても構わないよ」「ありがとうございます!」
「大声は止めて。とすると、そうだね、いつがいい?」
「……今すぐで。下手に動いたり時間をかけて、駄目にしてしまいたくありません」
「よし。近藤氏、2時間ほど時間を借りるよ。まずはここから出て、近藤栄子嬢に連絡を取らないとね」
アセス、準備はいい? と冬華は立ち上がった。
「誰に聞いてやがる、相棒」「よし、すぐに脱出しよう」
簡単だと思っていた脱出は意外と難しかった。冬華は近藤氏が多少外出しても平気だろうと思っていたのだが、弱小企業の割りに警備は全シェルターでおなじみの3大企業並みである。結局冬華の清掃員の服を近藤氏に着せ、冬華は持ち歩いていた普段のロングコートに着替えた後、掃除道具の中にもぐって3人は脱出した。
「ったく、腹が立つな。爆弾仕掛けて研究所を消し飛ばしてやろうか」クリエイトバイテク部門会社の周囲に人気がない。恐らくシェルター計画に失敗したのだろう、この時代にしてはとてつもなく古い空きビルばかりだった。そのビルの間の路地で冬華は埃にまみれた自分のコートを手で払い、髪を手ですいた。近藤が恐ろしい物を見るような目で冬華を見る。
「冬華さん、まさかそんな事はしないですよね」「するか。冗談だよ。全く、私は一応この中で唯一の女なのにこの扱いは」
「いや、冬華ならやりかねないぜ。歩く武器倉庫だからな。ライフルに拳銃、爆弾まで持ち歩いているんだよな」
アセスが茶化し、近藤の顔色がますます悪くなった。冬華は不機嫌になるものの、事実なので言い返せない。実際ナイフはちゃんとブーツに挟まっているし、右ポケットにはタイマー付プラスチック爆弾が放り込まれている。さらに手榴弾に警備突破のための簡易工作キット、さらに今は万が一のため撃っても血が出ないため心に優しい麻痺銃「パラライズ20」も持っている。結局それらはまったく使わなかった。無駄だったなと冬華はまた前髪を払う。
「じゃ、依頼人に連絡取るぜ。確か勤め先が下階層だったよな。すぐだ」アセスは端末を取り出し、軽やかに番号を打つ。冬華も緊張感なく座り込んだ。
「あの、大丈夫でしょうか。もし逃げ出したとばれたら僕は」「1時間ぐらい、ばれないでしょう。何か良い言い訳考えておいて下さい。もし駄目そうだったら、わたちたちが適当に騒ぎを起こして気をそらしますから」
それよりも、と冬華は続けた。
「近藤氏はこれからどうするんですか? ずっとこのままでいるつもりですか? もし逃げ出したいのなら、手伝いくらいしますよ」「……それは」
冬華は前触れもなく伏せた。
「!? なんだ?」「しっ」
近藤の服をつかみ、無理に転ばせて冬華は周囲の様子をうかがう。アセスはとっくに端末を切ってしゃがんでいる。
「何人だ?」「2人」
ちっ、とアセスが拳銃を構える。冬華御用達のソーサラー社ではなく3大企業の1つ、武器のことならお任せユニオンのSMG拳銃である。隠密製に優れ威力もそこそこ、価格的にも使い勝手は良い。
「あの、どうしたのですか!?」「ばれちゃったみたいです。追っ手が来ています」
「しかもご丁寧に武器持ってやがる。無所属の傭兵か? ちっ、てめぇは本当に重要人物だったようだな。迎えが来ているぜ」
冬華もパラライズ20を手にする。
「脱走したと思われたか、あるいは連れ出した事が分かったのか。意外と早く分かったね。しょうがない、近藤氏、覚悟決めてください。ここを出てからこの件を表ざたにします」「表ざたって、どう言う事ですか! 大体貴方方に任せたのにこんな事になって、どうするんですか!」
「おい、その口今すぐ聞けなくしてもいいんだぜ?」
アセスが言うが早いか、近藤の口の中に拳銃をねじ込もうとする。とっさに冬華は手をかざして止めた。長い付き合いである、いい加減アセスの性格にも慣れていた。
「やめい、アセス。近藤氏、今後あそこの部署に戻っても運が良くて生涯監禁、悪くて銃殺でしょう。逃がしたのがすぐに判明した事はわたしたちにも非はあります。この後はこの階層を脱出してしばらく身を隠し、その間にあの企業の違法性を訴えて会社を潰した方が良いでしょう。幸いに警察関連に友人がいます。彼女に頼みます。なお、今のところ最善策はこれです。文句はいいっこなしでお願いします」冬華の冷静な説得が利いたのか、アセスが怖かったからか、とりあえず近藤は黙った。
「冬華、2人くらい俺がやる。手を出すなよ」「人殺しは騒ぎになるよ。パラライザー(麻痺銃)を貸すから、これでやりなよ」
アセスには多少の殺人快楽症が見える。だからこの仕事に向いているのだろうが、それでも人殺しはされると困る。
「ちっ、全く、富士シェルターときたら」アセスはそれでもパラライザーを構え、外の様子をうかがう。2人の人物を見定めて、瞬間的に立ち上がり銃の引き金を引く。少しして、重い物が倒れる音が冬華の耳に届いた。
「お上手」「本物の銃なら即死だぜ」
「それは今見せんでもいい」
「ちっ、びびっているのか? 2流だぜ」
「やかましい、郷に従え。アセス、あたしは彼らを見る。周辺を探ってみて。3分後に合流だ」
「了解。そっちは素人抱えているんだ、注意しろよ」
アセスはふかが笑うような笑みを浮かべ、足音1つ立てずに走った。冬華は口も聞けない近藤を放っておいて追っ手に近寄る。
自慢するだけあってアセスの銃の腕はいつもながらすごい。感心しつつ、冬華は追っ手を観察する。ただの傭兵にしてはいい武装をしていた。
(無所属ではなく、傭兵派遣組織ディスパーチの者かな? それにしては違和感があるな。なんだろう)いつの間にか冬華は胸元を手で押さえていた。胸が苦しい。
「危険」冬華の頭の中が紅く染まった。耳鳴りがする。不安が突然膨れ上がり、抑え切れなくなった。前にも冬華はこの現象に出会ったことがある。第六感が告げている。危険の信号。
冬華は追っ手の銃をつかんで製造社名を調べようとした。削り取られており分からない。心臓の鼓動が早くなり、血が冷えた。
冬華は簡易工作キットを取り出し、すばやく銃をばらした。四十六日銃に囲まれている冬華である、いとも簡単にばらばらにした。その中の部品の1つを見る。Lichenのスペルがそこにあった。
「気づくべきだった!」自分のうかつさに冬華は殴りたいほど腹が立った。リチン社とは3大企業フォーレスの下に存在する、武器の製作の会社である。フォーレス社は主にバイオ、ナノマシン関係を中心としており、兵器銃器は弱い。実際にリチン社は価格が売りで、性能はよくなく冬華などの専門家からは敬遠されがちである。
なぜ彼らがこれを持っているか。偶然と考えても構わないが、冬華はそうは思わなかった。
「クリエイト社の後援をフォーレスがやっていたんだ! だから専門的機関が作る事が出来た。裏で繋がっていた……わたしのぼけなすめ」
この対応の早さ、武装。もし冬華の推測が正しければ、事態は致命的だった。冬華は1シェルターの1企業を叩くことはできても、世界を支配する3大企業とは立ち向かう事さえ出来ない。
「お〜い、何か分かったか?」アセスがのんきに戻ってくる。
「こっちは何事もなさそうだぜ。さっさとここを立ち去るぞ」冬華は呆然とアセスを見る。その後ろに白い影を見た。人よりはるかに大きい影は冬華もよく知っているものの影だった。
「後ろにAG!」アセスが気が付いた。遅かった。冬華は近藤が隠れていた通路へかけ逃げる。アセスは振り返りもせずに走り出す。装甲機兵・AGは無造作に腕に二機あるマシンガンを乱射する。アセスがどうなったのか、冬華には見る余裕がなかった。
「こっちへ!」無理に近藤をつかみ、適当なビルの一室に駆け込む。ライトニング15を取り出し、外をうかがう。
「!」アセスは無事だった。転げまわったせいか清掃員の制服が埃まみれである。こっちへ、と冬華は言おうとした。とりあえず逃げて、それから何らかの対策を練らないといけない。
そのアセスの後ろにAGがいた。いくつもの戦場を駆けたかのごとく、どす黒い血の色をしたAGが。小型の、しかし人には大きすぎるミサイルがAGから発射される。対人用ではないミサイルは走っているアセスを外れて、その背後の建物に命中した。建物が崩れる。たった今、アセスが走っている道まで灰色の土煙を上げて堕ちる。アセスが振りかえって何か言おうとするも、それはビルの崩壊の音に紛れて冬華の耳には入らなかった。
「……あ」冬華は何かを言おうとして、何も声は出なかった。背後で近藤が悲鳴を上げたが、それも半分耳に入らない。冬華はぼんやりと相棒がビルの底に埋まった事を示す土埃を見ていた。
「あ…… あんたのせいだ」近藤が冬華の首をつかむ。冬華は振り払う。はらりとポケットから厚紙が一枚落ちた。冬華はそれを拾い、眺めるとライフルをつかみ直した。強く武器を持つ事で気が持つ錯覚を覚える。
「あんたが無理にぼくを連れ出したから、こんな目に会うんだ! なんでAGが出て来るんだ、どうしてこんな物まで出て来るんだ。もうお終いだ、あんたのせいだぞ!」「諦めるな!」
冬華は怒鳴った。こんな時だというのに、脱力感の後は闘志が湧いてくる。相棒は死んで、敵は強大で、こっちはたったの1人。死神の鎌は首にかかり、あと一息で鎌の上に首が乗る状態。しかし冬華は怒鳴った。
「まだだ! まだわたしは五体満足で、武器もある!」「相手はAGだぞ。それでどうやって生身の人間が戦うんだ。もうお終いだ」
それだけ言うと、近藤はへたり込んだ。「もうお終いだ……」繰り返す。
冬華は目をつぶった。手の中にはカードがある。返してくれと、言われたカードだ。
冬華という名はは冬の花の意味を持つ。極寒の世界に潜み、分厚い雪を割り、静寂の世界に息づく命。冬だというのに、いや冬だからこそ美しい花を咲かせる。大地も太陽さえも凍りつく中で、しぶとく、頑丈に、1つ堂々と生き抜く花。
こんな時代だからこそ。こんな時代だから。
「お終い、なんかじゃない。まだだ。まだ選択のカードは散らばっている。それなのにあんたは絶望するのか。頭を抱えて、自分を嘆いて、何もせずにケースの中にいるのか」この時代に生きてきた。核の冬が世界を覆うこの時代に。いつ死んでもおかしくない時代に生きている。
だからこそ、最後まで諦めない。
「貴方はここにいろ」冬華は言い切った。
「わたしがAGを何とかする。その後乗り物を見つけて逃げ出す」「無理だ、そんな事」
「無理じゃない」
冬華はライフルを肩にかけた。
「見ていなよ、わたしを」そして冬華は走り出す。これ以上何も言わせずに。
冬華はAGに見つからないように慎重に回り込んだ。他の敵がいる事は考えない。いくらなんでもAGがもう1体いるのなら気づくであろうし、人間の敵がいるのならもろともAGの攻撃に巻き込まれない。AG1体なら隠密行動が取れる。
十分に近藤のいるビルから離れると、観察をしてから目をつけた廃ビルに入り込み1階に少し手を加えてから2階に回った。
(相手は恐らくこっちをなめている。素人連れで逃げるつもりだろうと踏んでいる)冬華は少し笑った。
「なめるな、私は双琉冬華だ」2階の窓からAGに狙いをつけ、冬華はライトニング15の引き金を引いた。AGの後頭部辺りに直撃する。直撃したら人間ぐらい粉々になる威力のライフルである。AGといえど、ただではすまない。
もちろんあくまでもライトニング15は人間が使う物である。どんなに威力があるといっても限界がある。
「AGが吹き飛ぶ兵器を使用したら、私の腕のほうが吹き飛ぶ」AGは冬華に気づき、来る。AGにしては早い。冬華は3階へ走った。
(50,59,48)2階への階段にAGの頭が見える。冬華はライトニング15を撃ち、すぐさま上階へ走った。ライトニング15は外れる。もともと当てる気はなかったのだからしょうがない。駆け上がった階段に爆音が響く。立った今までいた3階への階段に何か撃ち込まれたのだろう。かなり離れていたとはいえ、冬華は背中に熱風と高速のつぶてが当たるのを覚えた。覚悟がなかったら冬華は足を取られて転んだかもしれない。
「へったくそ。わたしなら当てたね!」4階で冬華は下り階段に手榴弾を投げつける。
(26,25,24)結果を見ずに背を向け5階へ走る。この程度のおもちゃではAGは傷1つ付かない。疲労より緊張と戦闘への興奮で冬華の呼吸は荒くなった。AG特有の排気音が近づいて来る。
(10,9,8)最上階の5階で、冬華は非常階段へ走った。たった30歩足らずの距離がここと空より遠い。AGはすぐそこまで迫る気配がする。死まであと少し。
(4,3,2)非常口を開ける。錆びだらけの鉄の踊り場に出て、扉に手をかける。AG装備の簡易ミサイルの安全装置が外れる音を、冬華は確かに耳にした。
(1)扉を閉める。隣のビルへ飛ぶ。
(0)どんっ。
下から爆音が響いた。冬華が1秒まで立っていたビルが大きく揺れる。冬華は伏せた。耳をふさぐ暇がなかったため、その轟音に冬華は頭が裂けるかと思った。
5階のビルの屋根が吹き飛ぶ。AGのミサイルが地面の揺れにより、目標を誤って命中したのだろう。そして人への天罰のごとく、ビルは天井まで届く土煙を上げて崩壊を起こす。老朽化したビルは耐え切れなかった。AGの重量と戦闘と、そして冬華が1階に仕掛けたプラスチック爆弾に。冬華の予想通りに。
「っしゃ!」冬華は落ちる勢いで1階に下りる。やっと聴覚が戻ってきた。火傷だろうか、今更ながらに背中が痛む。
「あの…… 何でも屋さん!」近藤は下で叫んだ。爆風にあおられたのか白い服は黒ずんでいる。返事の代わりに冬華は激しく乱れる髪を押さえてふてぶてしく笑った。
「逃げるよ! 生きていたければ、ついて来い!」相変わらず人気がない、みずぼらしい通りだった。靴の裏がべとべとするのが気持ち悪い。シェルター内ではどこも光量は一定のはずだが、ここだけはやけに暗く感じた。その一片の潰れかけた小屋に入る。何のための物か分からないそれらの小道具は棚にびっしり並び、店の主はその奥にひっそり座っていた。
冬華が占い師の元へ行ってから、1週間がたっていた。
「遅かったですね、冬華。タロット占いが出来なくて困りましたよ」「1枚ないだけで出来ない物とは知らなかった。いろいろごたごたしていたから来れなかったの」
落ち着いて、しかし安心したようにフォーチュンは柔らかく笑う。実はあれから1日病院で過ごし、2日間警察の調査に半強制的に協力させられていたのだが、もう終わった事だった。許可も問わずに冬華はフォーチュンの前に座った。
「で、信じていただけましたか? 占いは」「……少しくらいなら信じるよ」
しぶしぶ応える。フォーチュンは満足そうにカードをきった。
「全くひどい目に会った。相棒に死なれて、しばらくはしょぼい仕事しか出来ない」冬華は伸びをした。前に来た時も、このようにのんびりと過ごしていた。あれから生身でAGと戦うなんて予想だにしてもいなかった。相棒の死も応えている。怪我を理由に、少し休むつもりだった。
「新聞を見ましたよ。謎の戦闘。それの調査の末、クリエイト会社という所が調査、解体されたとか。なんでも違法実験、拉致などを行っていたそうで」「まぁね。フォーレスまでは手が行かなかったけど、でも上等上等。少しは近藤も罪にはなるだろうけど、すぐに出てこれるさ。近藤の奴はどうしようもない奴だが、妹さん喜んでいたしな。依頼が果たせて、ほっとしているよ」
「今覚えておくとまずい事を言われたようですが、無視させてもらいます」
フォーチュンはまったり答えてお茶をすすった。緩やかに時が流れる。
「じゃ、帰るね。こう見えても怪我が治っていないの。出歩くと痛い。さっさと帰ってとっておきのヒラメでおかゆにするよ」「冬華さん」
冬華は振り返った。「何?」
「無印、愚者のカードの意味する物は自由です。崖に立っている旅人は崖から落ちるか、それとも空を飛ぶか。次に何が起こるか分からない。既成概念を破壊、全く新しい旅立ち」フォーチュンはあでやかに微笑んだ。
「冬華さんは、この世界に何をもたらすのでしょうね」「フォーチュンが何を言いたいのかは知らないけど、もしわたしがこの世界に影響するなら」
冬華は振り返らなかった。
「冬の花が知らせるのは、まだ世界に命があると言う事。そして春が来ると言う事だ」