「アティウス殿下、なぜここに」
俺以上に驚いた姉弟は護衛竜に守られながら問いつめる。
「無礼な、急に訪れるなんて。いつからフォロー王家は礼儀を無視するようになったのです」「その姿はなんだ? また城が焼け落ちたのか?」
姉弟の言う通りだった。王族皇族間で不意をついて訪問なんてよほど仲がよくなければしてはいけないだろう。そして今のアットはひどい風貌だった。ルーサーの皮肉が皮肉にならない。
いつもきちんと櫛を通していたはずの髪は乱れ、目は血走っていた。服は本来はきちんとしていたのだろうけど、そのまま戦乱をひとつふたつ抜けてきたかのようにほつれ埃っぽい。これで帯剣していたら俺と同じような放浪の旅人だ。アットは帝国の後継者たちの非難を無視して俺の手をつかんだ。
「アキトの身柄は僕が預かる」「なっ」
ルーサーのうめきはその場にいたものたち全員のうめきでもあった。そりゃ最終的にはフォロー王国に引き渡す予定だったのかもしれなかったが、今のままだとまるで部外者がいきなりやってきて激しく争っていた目標を横からかっさらおうとしているんだ。しかもちゃっかり盗もうとしているのではない、堂々と正面から戦いを挑んだ。腹を立てるよりも意表を突かれて動けなくなる。シェシェイだけが「あ〜あ」苦笑交じりに平常心だった。
ひとりアットは俺を力任せに引いて出て行こうとする。握力こそイーザーより劣っているが気負いに負けて連れて行かれる。
「待ちなさい、勝手は許しません!」サーラの叫びに押されシッコクが立ちふさがる。長身のくせに無駄のない、素早い動きだった。アットは状況が分かっているのかいないのか、不自然なほど落ち着いている。懐から紙を取り出しシッコクへと突きつけた。
「フォロー千年王国ラディーン・フィオラ・ジェネ・フォロー陛下からの命令だ。彼は僕が預かる。サーラ殿下、ルーサー殿下、申し訳ないが引き下がってもらおう」「まさか!」
悲鳴だった。
「ラディーン王が、そんなことを王の名でするはずがないわ、正規の手続きも踏まずに無理やり連れて行くだなんて、我がエアームとの不和の元となり、ゆくゆくは2国間の外交問題になってしまう。エアーム帝国を治めているのは我々だけれども、フォロー千年王国は議会が政治をしているのよ。下手をすれば王位廃位だわ」「それでも兄上の命だ。従ってもらおう」
アットは押し殺したような態度を動かさなかった。
「サーラ皇女もルーサー皇子もまだ皇帝その人ではない。一後継者の、しかもまだ候補にしか過ぎない。れっきとした国王である兄上と、どちらが上か分かりきっている。アキト、行こう。黒竜、道をあけろ」乱暴にシッコクを押しのけ、手を引いて出て行こうとする。
「待て、分かったぞ!」ルーサーが叫んだ。
「アティウス、お前のたくらみは分かったぞ。なんてことをしているんだ、分かっているのか!?」「……だから、なんだよ」
同年代の、似た立場のルーサーへゆっくり振り返った。
「それで。だから。この書があるのにその先を言えるのか?」まるでアットらしくない、挑発するかのような言い方だった。
「できないだろ。僕とルーサー皇子の差だよ。ルーサー皇子は僕よりずっと賢い、陰謀をたくらむのは得意だけど、それはあくまでも皇位のためだ。だから僕に手を出せない。そうだろ。結局皇子には捨てられないものが多すぎるんだ」「なぜだ」
敗北の屈辱を浮かべながら、ルーサー皇子はつぶやいた。
「なぜアティウスはそこまでする?」「なんでだろうね。ルーサー皇子には分からない理由があるんだよ、きっと」
行こうアキト。言われて俺は引かれるまま行った。後ろを振り返ると皇家の姉弟も黒竜も動いていなかった。
自分がここの主であるかのようにアットは堂々としていた。城で働く使用人や兵士はいぶかしげに道を譲り、ある人は明らかに顔色を変えて逃げるように走って行ってしまった。肩のシェシェイが複雑そうに眺めている。
「アット、アット。待て、どうしてここにいるんだ」「イーザーはどうしている」
全然関係がないことを聞かれたぞ。普段ならともかく今は世間話をしている場合じゃないのに。
「どうって、普通だ。アルのことで傷ついたけど、なんとか立ち直りつつある」「そっか。よかった」
ようやく俺がよく知っているアットに戻った。くすりと笑う。
「イーザーはいい人だよね。僕は今まで何回も助けてもらったよ」「俺もだ」
「アット、あそこ」
シェシェイが耳を引っぱって左右に立ちつくす人々の一角を指差した。アットも手を上げ「きて」うながす。
「アティウス殿下」いつもアットには礼儀正しく振舞うキャロルが、心の底から嫌そうに歩み寄る。
「キャロルも知らなかったのか。てっきりこれキャロルの立てた計画だと思ったのに」「そんな訳、ないでしょう。あたしがこんな馬鹿な作戦立てると思っているの? 気でも触れられたのですか殿下」
「イーザーたちは」
「外ですよ。あたしたちもちゃんと脱出について考えていたので待機しています」
「呼んできて。今すぐ行くところがある。帝都の北東部、灰色の屋根をした竜の宿営地がある。代々竜便を営みフォロー王家御用達の竜使いの家だ。みんなを集めて」
「その前に話すことがあるのではないですか」
「早く。急いでほしい」
「……かしこまりました」
堂々と正門から出る。目を白黒させた亜人の兵士が慌てて立ちふさがった。
「待て! そこのものは外出禁止だ。皇女殿下より命じられている」俺を指さしていた。
「皇女の許可はもうある」大した気負いもなく、フォロー国王からの書をつきつける。「開けるんだ」
兵士は躊躇した。
「さっさと開けろ! 今すぐにだ!」アットらしくない強い口調に、嫌々ながらもすみやかに門は開く。
外に出たらすぐに雑踏に紛れた。キャロルは白の使用人服をその場で脱ぎ捨て、振り返らずに走り出す。
「アキト、僕たちも行くよ」「あ、ああ。竜便って竜に乗るのか」
「うん、そう」
小走りになりながらアットはうなずいた。
「エアームでは竜は身近な生き物だ。騎士の最強の騎乗動物にもなれば早馬よりも確実な足にもなる。馬よりはるかに高いけどお金さえあればだれでも使える」「それで街から出るのか」
「僕が知っている限り一番速い方法だよ」
先を行くアットの顔がよく見えない。シェシェイが複雑そうに肩から俺を眺めている。
俺は不安になった。なんだろうこの感覚。助けがきて堂々と脱出できるというのにまるでとんでもない間違いをしでかして気づかないままのような不安定さは。
立ちどまりたくなったが、俺が気にくわない以外の理由がなかった。代わりに口を開く。
「アルについて知っているか」「アルちゃん」
「フォロー王国の命令で俺たちを捕まえにきたって言っていた。でも負けて、その場で置き去りにしてきた。そうだ。その場合どうなるんだ。できなかったから罰せられるのか」
「心配はいらないよ」
アットは振り返らなかった。
「アルちゃんなら大丈夫」「シェシェイはどうしてここにいるんだよ」
本当に聞きたいことはそうじゃないのに。でも口に出したら急に気になった。アットがいるのは分かる、国王の弟だからだ。でもシェシェイはただのピクシーだ。「アルと一緒にいないのか」
「いや、それは僕もとめたんだよ。家に帰った方がいいって」アットにとってもそれは謎のようだった。
「ピクシーに本来家はない。ピクシーに家はない。この世さえもかりそめとする光の妖精だもの」「そうじゃなくて。アルちゃんの家だよ」
「ば〜か、アット。もう絶対に帰れないよ。帰れる訳ないじゃない。いくらぼくが能天気なピクシーだからって。知っているくせに」
「でも一緒にこなくったって」
「もういいよ。ここまできちゃったんだもの。とめられるならとめたかったし、他の方法があるのだったらそうしたかった。でも、こうなっちゃったからね。じゃあ最後まで一緒にいるよ。巻きこまれたんだったらとことん首を突っこまなきゃ、気になっていつか還る時化けちゃいそうだもの。だから、もういいの」
「シェシェイ」
「ふんっ」
諦めたように飛び上がる。なんなのだろう、どうしたというのだろう。
「あれだ」もっと聞こうとする前にアットが指を指した。灰色の屋根の、大きく無骨だが実用的な農家のような建物だった。3人いる、いずれもがっちりした体格の男たちが「おお、アティウス殿下」格式ぶらずに手を振る。
「意外と早かったですね。全員ですか?」「後数人きます。準備はどうでしょうか」
「ばっちりでさあ」
「申し訳ありません、急な頼みで」
「フォロー王家とは長いつき合いですからね。このくらいなんでもありませんわ。でもどうしてそんなところに行きたがるのです?」
「事情があるんです」
やんわり拒絶して勝手知ったるように俺を連れて入っていく。
竜の宿舎ではまるで馬小屋のように竜がおとなしく飼われ、鞍と手綱をつけられている。灰竜よりは小柄だがそれでも俺を5人は乗せて飛べそうな大きさだった。いくら街外れとはいえ帝都内なのに柔らかそうな牧草地が確保され、中央にはまるでヘリコプターのエアポートを連想させる固いむき出しの地面がある。
「騎手をのぞいて2人まで乗れる。分散するよ」「ああ」
いまだに実感がわかない俺は、ふと違和感を感じた。飼いならされた幻想上の生き物から目をそむけ、発生源を探す。
すぐ見つけた。宿舎の壁、竜はいないし人も周りにはいない一角に寄りかかり座りこんでいる人がいた。いかにも疲れ果て倒れるようにもたれかかり、目を固く閉じている。
よく知った顔だった。
「アル!」「……アキト」
大儀そうにうっすら目を開ける。起きてはいたが、立ち上がる力も顔をこっちへ向ける力もないようだった。俺は駆けよる、かつて刃を向けられたことも忘れそうなほど無力な姿だった。
「アル、どうした。なにやっているんだ!」「がんばりすぎた。疲れて座っているの」
「なにをしたんだよ」
ただ疲れただけのようには見えない。まるで過労死寸前だ。
「医者、医者を呼ばないと。そうだ、ザリがきっとなんとかしてくれる」俺は振り返った。ここまで連れてきたひとりと一匹をにらむ。
「アット、なにしているんだよ。冷たいじゃないか。アルがここでぐったりしているのになにもしなかったのか?」「アキト、違う違う」
うつむきよろめくようにアルは首を振った。
「なにもしなかったんじゃない、なにもできないの。精霊術を使いすぎて心をすり減らした人には薬も手当ても意味がない。じっとうずくまって寝るだけ」「精霊術を使いすぎて? なにしたんだよ」
「アキト」
アルはだらしなく砂が混ざった床に寝そべった。寝そべったままで俺を見上げる。
「アットくんとシェシェイが、こんなに速くエアーム帝国についたのはどうしてだと思う? 馬でも竜でも無理だよ」「どうしてって、じゃあ魔法を使ったとか。瞬間移動の魔法」
「そんな高位の魔法を使わなくてももっと速い方法があるよ。無理をしたけど」
もったいつけているような説明に、ふと俺は思いつくことがあった。そういえば、そもそもアルはエアーム帝国まで徒歩できていない。確か竜便と。
「風化か?えっと風の精霊術の、自分の身体を気体にするすごい技。でもあれ大技じゃないのか? 他の人に対して乱発できるのか?」「大技だよ、乱発したくないよ。でも無理をすればできるんだよ」
アルはだらしなく唇をゆがめた。まるで笑っているかのように。
「今まで色々無茶したけどここまでやったことはない。消耗が激しかったよ、魂ごと消えるかと思った。もう駄目、動けない。疲れた」「なんでそこまでしたんだ!」
大声をあげる。今にもここで消えそうなアルを見て、無性にあせりと怒りがわいてきた。
「なにしているんだよ、もっと安全な方法ぐらいあっただろ!」「なかった」
アルは目を閉じる。
「他の方法なんてなかった」「なんでだ」
「あんまり驚かないでよ。アットくんはもっとすごいことしているんだもの。私がかけたのは私自身だけだけど、アットくんはさらに名誉も家族も、アットくん全部を捨ててかけたのだから」
「はっ?」
振り返る。アットは異様なほどの静けさで俺たちを見守っていた。
「どういうことだ、アット。一体なんなんだ」「アットオ!」
つめよろうとした俺を吹き飛ばしかけない勢いで、イーザーの叫びが広いはずの竜宿舎にとどろいた。声に負けず劣らずの激しさでアットに詰めより襟をつかむ。顔は赤く息が上がっている。走ってきたみたいだった。
「どういうことだ、言え」「イーザー、思ったより早くきたな。それになんで分かったんだ。気づかないかもと思った」
「答えろっ!」
アットが持っていた書類を乱暴に取り上げる。国王直々の署名があるものなのに破れてもいいとばかりだった。慌ててとめようとする俺を手で制する。
「この文章は偽物なのか!? アットがエアーム城で見せた行動ははったりだったのか!?」イーザーがなにを言っているのか分からなかった。
「キャロルから聞いたぞ、なにがあったかを。加えてラディーンがそんな命令をするはずがないって。そんな訳がないって。どこの王がたかが異界人奪回のために他国の主権を踏みにじるものか、しかもろくに実権を持っていないフォローの国王が東の竜、エアーム帝国に。ラディーン国王が正気だったら、自分の首と王国千年の伝統をかけてまでそんな命令を出さない」
はったり。さっきのルーサー皇子の反応を思い出した。
ルーサー皇子は気づいていたのかもしれない。自信満々にアットが突きつけた親書が偽物だと推理した。
推理しただけで証拠がなかった。イーザーみたいにつかみかかって問いただすこともできなかった。だからその場で言わなかったのか。
「うん、そう」荒れるイーザーと対照的に、アットはあっけなくうなずいた。
「兄上はそんな命令を出していない。そもそもアキトがエアームで客人になっていることを知らない」「アット!」
「僕が独断で動いた。押印のある場所は知っているから借りて、文章も僕が書いた。僕と兄上の字は似ているんだよ、真似くらいできる。で、アルちゃんに風化で運んでもらった」
「お前、なにやっているんだよ!」
イーザーはさらに激する。俺は動けず、竜使いたちは大声をあげるイーザーを遠巻きに眺めている。今更ながらにキャロルたちもついて走りよってきた。
「つまり、それはアットが勝手にフォロー王家をかけてエアーム竜帝国にけんかをふっかけたってことだろっ、なんてことしたんだ、アットのお兄さんどうするんだ」「時間が惜しかっただろ」
アットは指摘した。
「グラディアーナと会った時のことも書いてくれたよな。あれは一刻遅かったらもう会えなかった、すれ違っていた。今のイーザーたちにゆとりはない。どこでなにが左右するのか分からない。だから全力を尽くさないと。ラスティアの喉元に食いつくために急がないといけなかった」「そりゃ」
「どんな救出方法を考えていたのか知らないけど、それはどれくらい時間がかかることだったんだ。準備をして根回しをして、帝都の警備は厳しいし皇城となればなおさらだ。加えて一回逃げたら帝国の威信をかけて追われる。とてもそれじゃあラスティアを追うことに集中できない。だから面倒なことを全部僕が引き受ける」
「だからって、アット」
「そうですよ、殿下」
冷ややかな視線でキャロルも責めるのに加わった。俺の腕をそっとつかみ、アットから離そうとする。
「王族として代々語られかねない馬鹿げた行為です。下手をすればラディーン国王陛下もろとも廃位ですね。錯乱でもしたのですか?」まだかろうじて敬語だけど、内容はこの上なく冷ややかだった。よくそこまで言えるな。
「錯乱ね。しているかもしれない」アットは怒らなかった。
「でも少なくとも兄上に迷惑はかけないはずだ。それほどは」「これ以上迷惑させようとしてもさせられませんよ、殿下」
「キャロル、僕はもう殿下じゃない。ラディーン陛下の弟ではない。光竜神レイファミストの名において絶縁状を書いて兄上に送りつけた。僕はもうフォロー王家の人間じゃない。アキトと同じ、身寄りのないただの人だ」
「え?」
イーザーが力をゆるめた隙に、アットはちゃっかり逃げる。
「そう、絶縁状」アットの頭上へ図々しくシェシェイは胡坐をかく。
「光竜の神官脅して印もらって書いちゃった」「嘘だ」
「本当本当。身分と縁を投げ捨てないとラディーンに責任が行くからって」
「信じられない」
「目の前で見ていたぼくも信じられないけど、でも本当」
イーザーは立ちつくし、シェシェイを見上げる。
「だって、それだと。アット、お兄さんとは唯一の家族じゃないか。縁切ったって、なに考えているんだよ」「そんなことより!」
キャロルが割りこんだ。目が血走っている。
「書類を偽造した上身分を捨てるなんてっ、それは確かに国王陛下の責任は軽くなるのかもしれませんけど、代わりに殿下が! 見つかったら即死刑です、ただ切り殺されるだけでは足りません。なぶり殺しにされます。それくらいとんでもないことをしています」「そうだよ、そうなんだよ」
シェシェイが深く同意した。はるか後で立ち尽くす竜使いを、さりげなくグラディアーナが見えなくなるところに引っぱっていく。
「ほんっとに馬鹿なことしたよね。アルもアットもさ。もう知らないよ、ぼく」「シェシェイ」
「エアームから帰ってきてからというもの人間2人は無茶無理無謀ばっかり。アルは消えそうになるまで風化を使うしアットは縁切りに偽造書つかんでエアーム城へ殴りこみ。どうするのさ、立派な反逆者だよ、大悪人だよ。なんでそこまでするんだか」
「シェシェイ、ついてきているんだから理由なら分かっているだろう」
アットは俺へ向いた。思わずひるむほど真正面から。
「この戦いが雷竜神と反逆者ラスティアの全世界を左右する戦いだからだ。政治や貿易のはるか上、僕たちが普段立っている足元と世界律をゆり動かす戦場だからだよ」「アット、本気で信じているの? 神様とか反逆とか異世界とか、どうして信じられるのさ」
「イーザーが言って、アルちゃんが確認したからだ。イーザーは嘘をつかない。だまされることはあっても嘘をつくことはない、そしてアルちゃんの精霊使いとしての能力は確かだ。アルちゃんが平静を保っていられないほどのゆらぎがあるのだったら信じない訳にはいかない」
「でも」
イーザーがよろめいた。
「だからってアットがやらなくても。アルだって。せっかく安全なところにいたのに、どうしてのこのこくるんだよ! 俺に任せてじっとしていろ、馬鹿野郎!」「だからきたんだよ、友だちだから!」
一喝してイーザーを黙らせた。血走った目で、汚れて顔色が悪い表情でアットは叫ぶ。
「イーザー、なに言っているんだよ。昔友だちだからなんて理由で僕を助けたのはイーザーだろ! イーザーとアルちゃんと、あんなに危ないって言っているのに無理して僕のところにいて、ずっと守って助けてくれただろ。忘れたなんて言わせないぞ、くるななんて言うな!僕とイーザーは友だちだ。離れても年をとっても友だちだ。友だちだからきたんだ。イーザーたちが戦っていて、苦しい思いをしているのなら僕が助ける。エアーム帝国だろうとアザーオロム山脈だろうとどこにでも駆けつけて一緒に戦う。イーザーが命をかけて辛い目にあっているのだったら、僕だって同じくらいのものをかける。僕なりのやり方で」
「私も」アルは目を開けて笑いかけた。
「このままとち狂って敵のままなんて格好悪すぎるからね。がんばった」「アル」
「感謝してね。自分の誇りとアキトのためにがんばったのだから。国と家族を裏切って逆らいがたい本能に逆らってきたのだから。私もアットくんも宿命の中に入っていないけど、これくらいは許されるよね? だから殺しかけたのごめんね」
行け。厳かにアルは告げた。
「アキト・オオタニ。宿命の者。行け。雷竜の導きの元、反逆者ラスティアの元へ」ようやく俺はアルの肩に手をかけることができた。壁にもたれかけさせる。
「アルたちは」「ここにいる」
寝る直前のようにうなだれる。
「見て分からないの。これでどこに行けって言うの。精神をすり減らしすぎた、きっと長引くよ。3日は寝こむね」「でも」
「精霊使いは行けない。あまりにも影響を受けすぎるから。極めて大きな力のぶつかり合いに理性を破壊されて害となるから。行くことはできない」
「なんとかなるよ。今までだってそうだろ。一緒に行こう」
「アキト、私は行かないし行けないの。アットくんとも話し合った。アキトを逃がしたら残るって」
「えっ」
振り返るといつの間にかアットがすぐそこにいた。俺の手を外し代わるようにアルの横へと動く。
「エアーム帝都にいてルーサーやサーラの追っ手をできる限り食い止める。アザーオロム山脈でラスティア以外のものに苦戦させない」「アットは逃げた方がいいだろ。危ない。このままエアームになんていないで、一刻も早く出て行かないと」
「僕がここにいるのはイーザーとアキトを少しでも有利にさせるためだ。保身は後回しだ。セイングさん、竜の支度をお願いします!」
遠くでなにごとかとうかがっていた竜使いたちに聞こえるよう、大声で呼びかける。
「だからって置いていけるかよ。ばれて捕まったら殺されるんだぞ」「イーザー、ならこのままエアーム帝都になにもせずに行けって言うのか。エアーム皇室がイーザーたちがどこを目的地にしているのか知っているんだよ。自分たちのために、帝位のためにイーザーを捕らえる気だ。後に大軍で追いかけられたくないだろ」
「それぐらいなんとかする」
「遅れたらどうする気だ。見えない時間制限があるんだろう。ラスティアはグラディアーナと会わせないためだけにマドリームを操ったのだろう」
「見捨てろって言うのかよ!」
「そうだよ! 目的を間違えるな、優先することがあるだろう!」
イーザーは言い負かされた。絶句するイーザーから目をそらし、そっとアルに寄りそう。
「無茶はしないよ。シェシェイだっているんだ」「ぼくはなりゆきでいるんだけどね」
「だから早く行け、僕たちがやったことを無駄にするな」
顔をそむけた背中が、かすかに震えていた。
「アット」「イーザー、私も残りましょうか」
グラディアーナが目線を合わせるようにイーザーへのぞきこんだ。
「えっ」「人をだますのもごまかすのも私はお手の物ですよ」
「でも、危ないぞ」
迷うイーザーをグラディアーナは笑い飛ばす。
「だったらなおさら私がいた方がいいでしょう。第一忘れていませんか」「なにをだ」
「私は宿命に招かれてはいないのですよ。クララレシュウムの呼び声は届いていません。ひとりだけ仲間外れなのです」
確かにグラディアーナはそう言っていたな。
「クラシュムから逃げ出すために一緒にいた方が得だと踏みましたが、もういいでしょう。これから先は同行する方が危ないようですし、頃合です」肩を大げさにすくめ、飄々と笑う。俺は一歩前へと出て、黄色の猫人間を見上げた。
「任せられるか」「もちろん」
「じゃあ、頼んだ」
グラディアーナの謎めいた、こんな時でさえふざけているような表情を黙って受け入れた。
「やっぱり馬は駄目ですね。連れて行けませんわ」
老竜使いの言葉に、ザリは顔を曇らせながらもうなずいた。
「だと思いました。申し訳ありませんが預っていただけませんか。すぐ戻ります」「もちろんですよ」
ザリは黒海の首筋へ、そっと顔を寄せささやいた。
「すぐ迎えにくるからね。ここの人の言うことをよく聞いて、いい子にしているのよ」黒海もおとなしくザリの言葉を受け入れたようだ。文句も言わず引っぱられていく。前俺が歩かせるだけでも苦労したのに。
「はい、お客さんはこっち! ついてきて!」吹き飛ばすような明るさで、ポニーテールの女の子に俺は手を引かれた。俺は言われるままに狭い小道を小走りで行く。
「なんだか言い争っていたね、大丈夫?」「あ、大丈夫。解決したから」
内容は聞こえていなかったのだろう。聞こえないように話したのだしな。王家や皇家や宿命の話なんて説明するだけでも一苦労だし、正直に話したら竜に乗せてもらうどころではなくなる。
連れて行かれた広場には、すでに竜が3頭待っていた。船の帆ほどもある翼を緩やかに動かし、のどの奥で意外に軽い声を転がす。
「あたしは竜使いのフィーナ。お客さん、竜に乗ったことは?」女の子は明朗に問いかける。
「ないです」「しっかり捕まって、あたしの言うことをちゃんと聞いてね。そうすれば絶対安全、最速で着くわ。あたしの白雪は速いのよ」
輝くような自信が頼もしい。言われるままに鞍にまたがり、使い古されて切れそうな縄をつかむ。鞍は背中というより竜の肩辺りにあった。フィーナはまたがり手綱を取った。
「! うわっ!」今までくつろいでいて身動きひとつしなかった竜の白雪はなんの前触れもなく上体を起こし羽根を広げた。吹き荒れる突風だけで思わず平衡を失い落ちそうになる。ちょっと後を見ると、とりわけ体重が軽いミサスが吹き飛ばされそうになり、同乗しているザリに慌ててつかまれていた。
はばたきは大きくなり、足元の筋肉がうねる。と、竜もフィーナも俺も揺れる。死に物狂いでしっかり綱をつかんだ。
「と、飛んだ。飛んでいる!」「よしよし、白雪いいわよ。行け!」
俺の悲鳴などちっとも気にせず、はちきれんばかりの緊張と喜びの声でフィーナは命じる。白雪は主人に応えた。巨大な翼を空一杯に広げ、はばたきをとめると大地へ半分落ちるように滑空する。
「うわあぁぁ!」俺の外聞はばからぬ叫びの余韻が竜宿舎から消えないうちに、もう宿舎の領空から飛び去っていた。高度も速度もぐんぐん高くなる。上下左右全てさえぎるものがない空だった。やっと俺は悲鳴をやめて、病気のように全身を震わせながら前を見る。すぐ下や知覚を見たら落ちてしまいそうだった。こんなジェットコースターなんて聞いていない。しかも唯一の安全装置が古ぼけた革紐なんて。
「アザーオロム山脈よね、ふもとまで最短距離で行くわよ!」「どれくらいで着く?」
「日暮れまでには」
「結構かかるな」
「東の果てだもの。エアーム人でも普通そんなところ行かないわ。お客さん物好きね」
金髪を強風ではちきれんばかりにたなびかせながら言う。普段通りの態度に少し冷静さを取り戻した。景色を見降ろす。
今まで生きていた中で一番迫力のある眺めだった。何百年も生きている森がささやかな芝生のように見えるし、広く立派で何台もの荷馬車や人が行き買う街道は緑と緑の間を縫うただの境界線だった。城も街もおもちゃみたいで、俺は耳元吹きすさぶ強風と肌を切る冷たい大気にひるみながら見いった。
「ふもとにはいくつか集落みたいのがあってね。大昔からの決まりでアザーオロムに入るには竜の番人と会わないと入っちゃいけないのよ。その番人の周りに集まるように小さな集落が暮らしている。そこに降りるわ」「竜の番人?」
「白雪みたいな騎竜じゃなくて、しゃべって人間にも化けられる竜の方よ。アザーオロムは神聖な山だからしきたりが大切にされているの。あたしたちはふもとでしばらく待っているから、なにかしらの用事が済んだら言ってね。帰るから」
「分かった。……だっ、あれなんだ!?」
突風が直接当たる真正面に、今まで遠くの雲だと思っていたものが広がった。
前方の視界全てをさえぎる隆起だった。ふもとはまだ緑も人家もあるものの、上へ行くに従って乾いた、かすかに低木の茂みがある以外は不毛の地になる。そして雪があちこちに見られ、大地は一面の雪に覆いつくされ上へと伸びる。
頂上は見えなかった。首が痛くなるほどみてもぼやけて霞がかかり、雲と一体になっている。今まで見たことがない、とてつもない大きさだった。
「お待ちかね、アザーオロム山脈よ」「これが!? こんなに大きいのか?」
「そうよ。エアーム帝国の端、世界地図の最東。今までだれも向こう側を見たことがない神々の山! 初めて見る人はみんな驚くわね」
「俺だって驚いた。まるで世界の果てにある壁じゃないか」
「お客さん詩人ね」
俺の思惑も悩みも悲しみも全て圧倒し、俺たちの目的地は言葉なくそこにあった。俺はただ黙って見上げていた。