体育の陸上の記録が伸びた。
藁半紙に鉛筆の書き込みを見ながら、俺は目を丸くする。関口が後ろから覗き見していたらしく、大谷〜と恨めしそうに言った。
「何やった? 薬物使用は禁止だぞ」
「やる訳ないだろう」誰がたかが体育に。
「言われてみれば、それに近いな」
「何がんばっているんだよ。試験はまだ先なんだぜ?」
「そういう関口はどうなんだよ」
俺はからかってごまかした。本当の事なんて言えるか。ここではない所で、命がけの運動をしているなんて。
学校が終わって、俺は帰ろうとした。
(良かったじゃないか、能力が向上して)(わっ、いたのか!)
突然、声の気配が出現した。俺は驚いたものの、何事もなかったように自転車を駐輪場から出す。傍から見れば何でもないんだ、ここで驚いたらどう見られるか。
(そりゃ、あんな目に会えば脚が速くなるのも当然だよ)カーリキリトに行ってからというものの、連日走ったり歩いたり。走るのはそれほど大変でもない。いくら何でも1日中走る事はないから。それよりむしろ歩く方が。
(やむをえない。現在お前がいる地方では他の移動手段は金がかかる。それくらい分かっていると思ったのだがな)(分かっているって。それより何の用だよ)
(ずいぶん私にも慣れてきたではないか。初めとは大違いだ)
(そりゃな)
自分でも新発見だった。人間、どんな事でも慣れるらしい。そのうち自分が魔法がないと騒ぎ出すかもしれないと思うと怖い。俺ってこれからどこへ行くんだろう?
(どこへ行くかだと。そんな事は知らん)(お前のせいだろ!)
(そうだな)
(悪びれもなくそう言うんだったら、今すぐあれをやめてほしい)
(それは無理だ)
どうせそう言うと思っていたよ。むっとしつつ自転車をこいで、俺は家に帰った。
(そうだ、話をそらされて忘れていたけど、用がないなら聞きたい事がある)(何だ?)
(何で俺がこんな事やっているんだ?)
(それは教えられない)
(何でだよ)
(お前は何で、何でとしか言えないのか? どうしても必要だからだ。その事を言う事は宿命を妨げる。もう行け)
声がそういった瞬間、唐突に視界が歪み、暗くなった。
(ず、ずるいぞ!)(ああ、そうだな)
ひでぇ、何て事するんだ。俺の意識はそう最後に抗議して、消えた。
まだ暗い。俺は情報屋の宿のベッドから起きた。シーツはごわごわで毛布は重く、寝心地は悪い。2人部屋の反対側ではイーザーがすやすや寝ていた。ここは間違いなく、もうおなじみになったカーリキリトだった。
とりあえず、いまの制服のままだと色々まずい。荷物の中からカーリキリト用として入れて置いた汚れてもいい服に着替える。さて、いま何時ごろだろう。
窓にはまっている木戸を外すと、外は暗かった。街全体が暗いので驚くほど星々がたくさん見える。全部俺にはなじみのない星座だが。また、月も空の端っこに浮いていて、その近くには惑星だろうか、赤く大きく輝く星があった。はるか遠くから物音がすることから、まだそれほど遅い時間ではないのだろう。最近気がついたのだが、ここカーリキリトの人々は夜が早い。繁華街などの遅い所は遅いのだが、一晩中電灯がついている日本とは比べ物にならないくらいに早く静かになる。
大体11時、12時ぐらいといった所か。だったらこれ以上起きている必要もない。俺は寝ようと布団に潜りこんだ。カーリキリトの昼間は何があるか、もう俺は知っている。ここで寝ないと後で泣きを見るのは分かっていた。学校帰り、特に体育があったせいか、俺はあっさりねこけた。
次に目を開けたときは、イーザーが寝巻きから普通の薄汚いシャツに着替えている所だった。窓からうっすら白い光が差し込まれている。
「おはよう、イーザー」「ああ、おはよう、アキト」
俺も起きあがって、寝た正で乱れた髪を手ぐしで梳かす、どこからかいい香りがして、俺は空腹のあまり倒れそうになった。
カーリキリトで一般的に俺たちみたいな者が利用している宿は情報屋だ。1階は飯屋、情報を売る(情報を売買するという事は俺の感覚からは馴染みにくかったが)、酒場などをやっていて、2階以上は宿になっている。便利といえば便利だが、毎朝毎朝胃が痛む。
「飯にしようか」イーザーが束ねるには長さが足りない髪を結びながら言った。待ってました。
下の階に下りていくと、キャロルが先に待っていた。黄色のお茶をすすっていたが、俺たちを見て手を上げて挨拶をした。
一時はどうなるかと思ったが、キャロルは俺よりもはるかにこの旅に適応していた。頭もいい、すばしっこいし、色々知っている。戦いだって、俺より強い、おまけにここの世界の人間(正確には人間ではないが)だから、いまだに新発見や驚きの事実を見つけている俺とは違い、生まれてからずっと旅の人生送っているのではないかと思うほど新生活に慣れた。とほほ、先輩面しようと思ったのに。
さらに悪いことに、どうやらキャロルは俺をからかう事を喜びとして見出したらしく、しょっちゅう俺は笑われている。悪気ではなく、むしろ好意だろうとは思うが、それでもあまり嬉しくはない。イーザーも笑って助けてくれないし……
実を言うと、さらに1つ俺には気になることがあった。キャロルの服装だ。別にキャロルがおかしな格好をしている訳ではない、革の胴着に長手袋、ズボンと足の爪が出ているブーツ、その上に灰色の貫頭衣という格好だ。ごく普通の格好だが、その革の胴着の胸元の紐の結びがいつも緩んでいて…… つまり、いままでの生涯で女の子と付き合ったこともなければ個人的に話すことも年に数回、触れたことなんて数える程度の俺の俺としては、非常に色々困ることになった。しかもキャロルはかわいらしく、肉体的魅力に溢れた女の子だという事で…… 色々と色々と、俺には思うことがあった。
そんな俺の回想を知ってか知らずか、キャロルは自分の前の席を示す。俺は席に座って、せっせと朝食を取るのにいそしんだ。質素で薄味の飯にもなれたけど、よくイーザーたちはこれを食って一生生きていけるな。
「今日はどうする?」「天気もいいし、食事が終わったら出発しよう」
さも当然のように、2人は旅について話している。時々日本へ帰っている俺とは違い、毎日ぶっ通しで旅をしていて疲れないのだろうか。試しにそう聞いてみたら「そんな訳ないだろう」「アキトと違って軟弱じゃないもので」との答えが返ってきた。へぇへぇ、そうかい。
短い憩いの時は過ぎ、イーザーとキャロルはとっとと立った。俺も数秒遅れて立ち上がる、旅の再開だった。
ここカーリキリトでは馬は高い。前にイーザーが少し借りるだけでも所持金の大半を払わなくてはいけなかったそうだから、本体の価格は押して知るべし。他の騎乗動物もいない訳ではないが、足が遅かったり性質が乱暴だったりと短所があるらしい。だから、ここでの旅というものは徒歩での物だった。朝から晩まで、暗くて歩けなくなるまで歩き続ける。
歩くことがこれほど辛いとは俺は知らなかった。日本での最長歩行は小学校の遠足で、1時間かけて公園まで行った事だった。それが今やひたすらひたすら歩くはめに。初めのうちは翌日日本で強烈な筋肉痛になって本当に指1本動かせなかった。今となっては湿布のおかげで翌日が鈍痛、その翌日は完治している状況だった。ありがとう現代医学。
天気は良かったが、青いだけの空を見ても仕方がない。初めは日本と違う澄んだ青さに感心したが、もう飽きた。イーザーはキャロルと話しでもしようかと思うけれども、話す内容が思いつかない。退屈の中、歩く歩く。
わっ。
子供のような体格の奴が、荷物を背負って俺たちとすれ違った。全身を茶色のローブで包んでいて、さらにサングラスをしている。ここにもサングラスはあったのか……てのはさておき、その手はこげ茶色の毛でびっしり覆われていて、指は異様に短く先に巨大な爪が生えていた。足も同じように爪が生えていて、先が意図的に切られていて、ブーツの先から大きな爪が地面に着いてはおかしな音を立てる。
その人物が行ってしまってから、俺はこっそりキャロルに聞いた。
「今のは何だ?」「地底の一族だよ」
さらりとキャロルは答える。そして俺の表情を見て、面白そうな顔をした。
「ん、何? もっと答えてほしいって?」「だって、それじゃ何の事だか分からないよ」
「はいはい。要はね、もぐらって知っている?」
「当たり前だろ。そこまで無知じゃない」
実物を見た事はないけど。
「なら話は早い。もぐらの獣人だよ」「へぇ。何を持っていたんだろうな」
「鉱物の見本じゃない? 彼らは地下の洞窟に住んでいるから、そういう物に強い。そういや、光が苦手な種族だから、昼間に見るのは珍しいかな。それにもぐらに近い外見だったし、きっと急用で運び物をしているのでしょう」
「? 最後のは何だ?」
「もぐらに近い外見って言ったけど?」
「何でそれが急用になるんだ?」
「それは外見がより獣に近いから。あまり人前の前に姿を見せないような役割を部族の中で担っていると思うけど、そんなものが昼、外を歩いているのだから急な用だと思ったんだよ」
「なんかだそれだと外見が人間の近い奴もいるみたいだけど」
「そうだよ」
何言っているのとばかりのキャロルだった。
「たいていの獣人は外見がまちまちだよ。人間にしか見えない者、獣が二足歩行しているような姿の者、あたしは中間、どちらかというと人間寄り」「へ〜ぇ、知らなかった」
「無知」
ぐっ。あっけらかんと笑うキャロルに俺はへこまされた。イーザーも後ろで無言で笑っている。ひょっとして、俺、この2人の暇つぶしにされているのじゃ……
と、歩いているうちに茶店のような所に着いた。時刻は昼ごろ、ざっと4、5時間は歩いたと思う。
茶店があって一休み出来ると言う事は実はものすごくありがたい事だと、カーリキリトに着てから思い知った。止まって、座って、しかも何か飲み食いが出来る。完璧だった。しかも店側もそういう事は考慮しているのか、歩き疲れたときに茶店に着くので、喜びもひとしおだった。
にぎわっている店内に入って、座って軽食を注文する。ちなみに金は前にイーザーがアットに礼金といって渡された金がたっぷりあるはずだが、無駄使いはせずちびちび使っていく。
「あ〜 疲れた……」「まだ昼だよ、アキト」
「うるさいやい」
キャロルにからかわれる。と、ふと店の出入り口が騒がしい。俺はつられてそっちへ向く。何なのだろうか、いつの間にか混んで人ごみが出来ていた。俺はくたくたに疲れているはずだったが、好奇心が勝って、席を立って行ってみることにした。人ごみの中をかき分けて前へ進む。
一目瞭然だった。友達になりたくないような乱暴そうな男2人と、それに囲まれて男たちを睨みつけている1人の女の子。こういうのがカーリキリトでも日本でも同じならば、これは絡まれているのだろう。しかし男たちは見るのも恐ろしい大きな剣やら斧やらを持っている。周りの人たちも怖いのだろう、手出しは誰もしない。
「それを返せ、それはあたしんだ」女の子が唸るように言うと、男たちはにやにや笑いを浮かべた。
「小さなお嬢ちゃんは引っ込んでな。すぎたおもちゃだ」手の中の、濃緑色の装飾品を男のうち1人はわざとらしく掲げる。日の光に当たったそれは、俺のような素人目にでも高価そうだった。
「この、泥棒!」「人聞きの悪い事言うなよ」
何がおかしいのか、女の子が顔を真っ赤にすると、さらに男たちは面白そうに…… と、俺の横から誰かが出てきて俺は一瞬呆けた。不機嫌そうなイーザーがすたすた進む。
「おい、イーザー」か細い俺の呼びかけは無視して、イーザーは争いの渦中に入っていった。
「いい加減にしろ。嫌がっているじゃないか」突然のイーザーの乱入に、女の子も男たちも驚いたようだった。男たちの方が早く立ち直る。
「おいおい、兄ちゃん、あんたには関係ないだろう?」「それとも何だ? このお嬢ちゃんの騎士気取りでいるのか?」
これによるイーザーの答えは単純にして明快だった。いきなり男の腕を捻じ曲げて、男が悲鳴を上げる中、その手から装飾品を奪い取り女の子の方に投げる。手際がよすぎて俺はとっさに何をしているのか理解が出来なかったぐらいだ。
ああ、やった……
「この、ガキが! 何をする!」もう1人がイーザーの顔を殴ろうとする。
「お前らに言う事なんて、何もない!」さっとイーザーは避けて殴り返した。骨と骨とがぶつかり合う、痛そうな音がする。その後ろに人影が出る。
「イーザー、後ろ!」俺はとっさに叫んだ。イーザーは後ろを振り向き、動く。ついさっきまでイーザーが手をつかんでいた男の拳が胴に当たり、イーザーはひっくり返った。すぐ立ち上がる。
「こいつ!」男の1人が背中の大剣に手を伸ばした。まずい。血を見る戦いになると俺は青くなる。
「いいの?」その手に手を重ねておかしそうに、しかし冷ややかな声がした。いつの間にかキャロルが男の背後にいて笑みを浮かべていた。
「獲物を使うなら、こっちもそれ相当の対応をするよ? もちろんあたしは構わないけど。痛いのはあたしじゃないから」いつの間にか抜いたのか、手に持ったナイフで剣に伸ばされた指をなでる。4本の指の第二関節に赤い線がにじみ出て、男はもちろん、俺まで青ざめた。
「お……おい」ふんと男は傲慢そうに立ち上がり、人ごみをかき分けて逃げるように行ってしまった。いつの間にか女の子もいない。
「おい、イーザー大丈夫か?」人々が見るものは見たとばかりに散っていく中、やっと俺はイーザーに駆け寄ることが出来た。
「もちろん。これくらい、何でもない」イーザーは服の埃を払った。本当に何でもないらしい。頑丈な奴だ。そしてイーザーは周りを見渡した。
「あの女の子は?」「イーザーたちが漢の殴り合いをしている間に逃げた」
近寄ってきたキャロルがさらりと言った。
「あたしたちもとっとと逃げよう」「えっ、どうしてだ? まだほとんど休んでいないのに」
「ア・キ・ト。あいつらがぞろぞろ仲間を連れてくる可能性もあるのよ。奴らが仕返しをしに来たら、アキトがあたしたちの代わりに戦ってくれる?」
「すぐに行こう」
まだ鈍く痛む足を無理に動かして、俺たちもとっととその場から退散した。
いつも30分から1時間は休んでからまた歩き出す。それがなしになっただけでこんなに答堪えるとは俺は思わなかった。キャロルと並びながら俺は1つ先を歩いているイーザーを恨めしく見た。あの女の子には悪いが、あそこでイーザーが余計な事をしなければこんなに急いで行く事もなかったのに。
しかしよく考えてみれば、イーザーがこのように正義感の強い、行動的な奴でなければ俺は今頃情報屋に拉致監禁されていたのかもしれなかったんだよな。というとこれは言わば必須。これくらいは大目に見るべきかもしれない。そもそも俺のほうが大目に見られているんだろうし。
と考えること1時間。
「ここまで来たんだし、少し休まないかぁ?」俺はかろうじて言った。もう無理だ。たとえへなちょこと言われてもいい、休みたい。
「そうだな。もうずいぶん来たし」イーザーは道端に座る。俺も大喜びで従った。助かった……
「あ、そうだ」いい事を思い出した。俺は荷物の中からあるものを取り出す。
「茶店で食事を取り損ねたし、これ食べないか?」M印チョコレートだった。非常食にいいとよく言われるので万が一のために持ってきたけど、少しくらいつまんでもまた買えばいいか。封を切って小さく折ると、俺は1つずつイーザーとキャロルの手の中に入れた。
「なに、これ」キャロルが不思議そうにチョコのかけらを見る。
「何って、チョコレート」「だから、それは何?」
「知らないのか?」
驚いて俺は聞き返した。キャロルはかけらをつまみながら困惑したように言った。
「確か、南洋諸島の飲み物の名前に似たものがあったと思うけど、分からないわ」どうも本当に知らないみたいだ。こんなことも知らないのかと驚くと同時に、俺はとてもいい気になった。
「食べてみれば分かるよ」余裕げに俺はかけらを放り込んだ。甘い香りと味が口いっぱいに広がる。それほど甘い物は好きではないけれども、この時ばかりはありがたい。2人とも俺を見て、恐る恐る口に運んだ。
「……甘い」「な? うまいだろ?」
「うん。もっとある?」
「ああ」
どうせ100円くらいなんだ、俺は気前良く残りをキャロルにあげた。そういえばここには甘いものといったら果物やパンケーキとかで、チョコレートや飴みたいなものはないのかもしれない。今度ケーキとかを持って来たら、どんな顔をするんだろう。
キャロルはそれを幸せそうに食べていたけど、ふと俺に聞いた。
「これ、どうやって作るの?」「え?」
「出来るのだったら、あたしも作ってみたいのだけど」
この辺がやっぱり俺とは違うな。俺は魔法を習いたいなんて思ってすらいない。
「えっと、カカオから作られたと思うけど」「カカオって何?」
「……」
困った。なんと説明しよう。大体カカオからの作り方なんて知らないよ。
「カカオは熱帯地方に生える植物で、その実を使うんだと思う」「熱帯? じゃあこの辺にはないね。南洋諸島へいかないと手に入らないか」
さっきも南洋諸島と聞いたけど、この世界にも熱帯地方はあるらしい。それはともかく、キャロルの興味が反れて良かった。これ以上聞かれたら、また恥をかく所だった。と、キャロルがとんでもない事を言い出した。
「ところでアキト、どうせなら南洋諸島に行ってこれで商売を始めたら? 大儲け出来るよ」「げっ。何でそんな事しなきゃならいんだ。そもそも俺はここで一生を過ごす気なんてないぞ」
「やむを得ず、と言う事もあるかもね」
「う゛っ」
言ってはならない事を、こんなに軽やかに言いやがって。
「止めとけ」チョコを全部食べ終えて、読めないパッケージを見ているイーザーが口を挟んだ。
「メルストアの民が怖くないのか」「何だそれ」
「メルストアの民?」
俺とキャロルはほとんど同時に口を開いた。ちらりとキャロルが俺を見る。
「メルストアの民とは、昔、神々から初めて魔法を習った人間の部族の呼称。今はもういないはずだけど。少なくともあたしは見た事があるという人を見た事がない。で、イーザー、その伝説の民族がどうしたの?」「俺もこの前アットから聞いたんだけど、メルストアの民は今でも細々と生きていて、世界の秩序を見張っているんだって。そしてそれが乱れる時、彼らは出現してそれを正そうとするそうだ」
「なぁ、それとチョコレート制作とどういう関係があるんだ?」
いい加減うんざりして俺は説明に水を挟んだ。イーザーが俺をまじまじと見る。
「アキト、情報屋の時にも言わなかったか? メルストアの民からすればアキトは世界を揺るがすかもしれない存在なのだって」「そんな、大げさな」
「大げさじゃない。アキトの知識がこの世界に大革命をもたらすかもしれないんだぞ。個人で細々と何かをやっている分には大した事もないが、大々的に事を起こしたら、どうやる事やら」
「どうなるんだ?」
「抹殺されるんじゃないか?」
あっさり最悪の筋書きを言った。俺の顔から血の気が引いていく。
「そんな、横暴な。古くから魔法使いをしているんだったら、ちょいちょいと俺を戻してくれればいいのに」「召喚術は新しい魔法なんだって。メルストアの民が分かるはずはない」
キャロルはへぇ、と感心したようにため息をついた。
「そうなんだ。ちっとも知らなかった」「俺も。その事でアットから警告された。目立たない方がいいって。ところで、そろそろ行くか?」
「ええ」
もう? と俺は口に出さずに立ち上がった。まだ足は痛いけれども、ずいぶん和らいでいる。それに今の物騒な話題を忘れるためにも身体を動かしたようが良さそうだった。
そして数時間後、イーザーは山道を落ちつかなげに見回していた。
「さっきから何探しているの?」キャロルがたまりかねたように聞く。俺は2人について行くので一杯一杯でそれどころではなかった。
「確かこのあたりに、宿泊できる山小屋があったと聞いたんだけど」「そんなもの、見ないよ」
「うぅん」
イーザーは空を見上げた。そろそろ端の方が紅色に染まってきているものの、まだまだ昼。
「他に宿代わりになる場所もないな。諦めて野宿の用意でもするか?」「キャンプか?」
俺はうきうきしてきた。カーリキリトではまだ1回も野宿はしていない。よく漫画にあるみたいに、夜皆で焚き火を囲むのかと思うとなんだかどきどきする。
「アキト、嬉しそうなところ悪いけどさ、あたしが見つけた」「え? どこに」
「あれ」
キャロルは道からずいぶん離れた森の奥を指差した。暗くてよくは見えないけれども、確かにキャロルの言うとおり建物が見える。しかも小屋の名にふさわしくない、8畳以上はありそうながっしりした家が。
「今日はあそこに泊まろう」イーザーが安心したように言う。俺は少なからずがっかりしたけれども、顔にも声にも出さなかった。キャロルに悟られたら、また何か言われかねない。なら1人で外で寝ろ、とか。
俺たちは道を外れて、森を数十歩突っ切って山小屋へ行った。1歩森に入った途端に視界が夜のように暗くなるのにぎょっとする。前にも体験したが、濃密な植物臭といい、歩きにくさ、視界の悪さなどここの森は俺が知っている日本の森とはずいぶん違う。
先頭のイーザーはよっと山小屋の扉を力任せに開けて中へ入った。小屋の中は何もなかった。せいぜい無骨なかまどのような物があるだけで、あとは壁と床と屋根と窓だけ。室内の空気は乾いているが、でもかび臭い。せめてベッドぐらいあると思った俺はがっかりした。そんな俺は放っておかれて、まずイーザーはかまどを調べた。
「うん、十分に使える。枯れ枝を集めないとな」「特に何もないよ」
キャロルがずいぶん遅く入ってきて言った。
「特にって、何がだ?」「やだな、アキト。小屋の周りを見てきたんだよ。特におかしな物も、変な物もなかった」
「そんな事まで考えていたのか。キャロルは慎重だな」
「アキトは大胆だね」
それはつまり、俺は慎重の逆だと言われてからかわれているのだろうか? 残念ながらそれを確認する前に、無理に俺の腕に自分の手を通して、キャロルは俺を引っぱった。
「と、言う訳でアキトと枝拾いに行って来るね、後よろしく」「ああ」
いや、何で俺も? それよりキャロル、なぜ俺の腕をつかむ? その、あの、俺の腕に当たるのだが。キャロル、自分でそのことに気づけ。頼む。そのままだと俺が動けないじゃないか。
無言の切々とした願いをキャロルは完全に無視して、俺はキャロルに引きずり出されるように外へ出た。
俺は今まで、森に入れば枝が石ころのようにその辺にたくさん転がっていて、それを片っ端から集めていけば薪拾いになると思っていた。
大間違いだった。まず、ほとんど枝が落ちていない。たまにあるかと思えばそれは湿っていた。とても燃える気がしない。
しかも何とか数本集めてみればキャロルはその枝を一目見て、
「で、生木でどうするの? 燻製パーティでもするの?」と来た。
「生木?」「そう。乾いていない木で、火を付けると煙がひどく出て燃えにくい。乾いている物にしようよ」
「ああ」
俺はその場に枝を放り投げて捨てた。結局骨折り損だ。
「何むっとしてるの?」俺の不機嫌が分かったのか、キャロルは俺の顔を覗きこんだ。
「別に」「すねないでよ、アキト。じゃ、あたしの荷物持ちになって、あたしについてきて。教えるからさ、どんな所にある物を拾えばいいか」
はい、と風呂敷のような物(かごじゃないのか、と思ったが、かごはかさばるからそもそも荷物として持ってきていなかった)を手渡してキャロルは返事も聞かずに軽やかに奥へ行った。やむなく俺も後を追う。
すぐに倒れている大木の付近まで来た。大木は半分腐っていて苔などが生えている。押したら水が染み出てきそうだ。もちろんキャロルはその木を持って行こうとはしない。その木の陰に落ちている枝を拾っていった。場所が雨でも大木にさえぎられて濡れない所なのでどんどん乾いた枝が集まる。それ以外のも落ち葉や木の皮まで持っていこうとした。
「樹皮をどうする気だ?」「この部分は油を多く含んでいるの。よく燃えるよ」
「へぇ。知らなかった」
俺の片腕とキャロルの両腕、風呂敷がいっぱいになってようやく薪拾いは終わった。周囲が暗いを通り越して真っ黒になってくる。
「夜は危ないし、アキトは視界が聞かないでしょう。早く帰ろう」キャロルがそう結論付けて、俺たちはとっとと小屋に戻った。
小屋ではイーザーがどこからか見つけたのか、箒で掃き掃除をしていた。
「裏に井戸があったぞ。水を汲んできた」「ありがとう。じゃあ、火を点けるか」
イーザーは木のくずを集めて小さな山を作ると、2つの石を取り出した。火打石という奴だろうか。なら、俺はもっといい物を持っていた。
「ちょっと待てイーザー、これを試させてくれ。火を点ければいいんだよな?」「そうだけど、何をする気だ?」
俺はそれには答えずに荷物の中からライターを取り出す。100円ショップで買う、安っぽい奴だが十分だろう。
火を点けようとして「おっと」と口をすぼめる。考えてみれば普段ライターなんて使わないから、点けるのが意外と難しい。2回3回やってやっとじゅと先端に火が灯った。やれやれ、失敗したら恥ずかしいところだった。
すばやくおがくずの山に火を移す。火は見る見る間に広がり、熱と光を発した。
「おおっ!」イーザーは大げさに感嘆の声を上げて、キャロルは俺の横で素早く大きめの枝を組んで火を大きくしようとした。そして俺のライターを見る。
「大した物ね。それ、アキトの世界の物?」「ああ、ライターって言うんだ」
いい気になって俺はライターをしまった。やりすぎるとメルストアの民とやらが怖いって言うけど、これくらいはいいだろう。
夕食は具のたっぷり入ったスープと火のそばで温めたパンだった。空腹のせいもあってうまいけれども量が少ない。その星かどうかは分からないけど、すぐ寝る事になった。かまどを暖炉代わりにして、イーザーは黒いマントを、キャロルは灰色の貫頭衣をそれぞれ毛布代わりにして壁に寄りかかる。俺はそんな物はないので、ありったけの着替えを身体にかぶせた。
静かになってしまうと、火のはぜる音が疲れた身体に心地良い。時々火の粉が飛ぶことさえ、そのリズムに組み込まれているかのようだ。火は小さく、部屋を全て明かりで満たせてくれない。そのせいでやけに寂しく、そして少々恐ろしい。ここは日本ではない所なのだという実感が、疑っている訳でなかった事実が改めて確認された。
眠れない。床の方から寒さが忍び寄り、ちっとも暖かくはない。
「アキト」俺が何とか寝ようともそもそ動いていると、キャロルが声をかけてきた。キャロルは部屋の隅、暗闇の方にいるのでその姿は見えないし、どんな顔をしているかも分からない。ただ、真面目な声が聞こえる。
「寝ないの?」「眠れないんだよ」
「ふぅん。実はあたしもよ」
「寒いのか?」
俺は親近感を覚えた。
「どこかの誰かさんがごそごそうるさいからよ」「……悪かったな」
俺は動くのを止めた。静かに時が過ぎる。
「なぁ、キャロル、ちょっといいか?」昼間から、俺は気になっていた事を聞く事にした。
「何?」「メルストアの民の事だけど」
「……安心してよ、アキト。目立たなければいいのだし、いざって時にはあたしが貴方を守る」
「違う違う、そうじゃない」
なぁ、と俺は続けた。
「メルストアの民って、魔法を初めて習ったんだろう」「うん」
「誰からだ?」
「ああ、その事か。ついでに、説明しておくよ。
世界創生、覚えている?」
「えっ」そういえば前にそんな神話を聞いた気がする。大真面目に神様の話をするなんて馬鹿みたいだと思ったが、真剣にそれらを信じているキャロルにダーウィンを語るほど、俺は無鉄砲ではなかった。
えっと、確か。
「まず、全ての母と呼ばれる存在がいたんだよな。その人から竜とか、人間含むあらゆる生き物、動物や植物とか、大地とかいわゆる世界が出来たんだよな」「大雑把過ぎるけど、そう。全ての大いなる母は世界を創生した後、己は力を失ったため眠りについた。かの時、最も初めの子、光竜神レイファミストに己の役割のうち一部を託して」
俺は目を閉じて神話を聞いた。キャロルの、いつもとは違う硬い言葉使いが小屋に静かに広がる。
「だが、かのレイファミストはあまりの使命の重さに耐えかねて、闇竜神ヴィディラと共に世界と世界の狭間へ逃げた。カーリキリトは世界を守るべき神の存在を見失い、混乱が起きた。人、その恐ろしさのあまり偽りの神の竜を言葉により創る。かの大罪により『唯一の神なる竜』と『絶対の邪悪なる竜』が生命を得る。
二別されし善と悪は生まれた瞬間より三日三晩争う。そして邪悪なる竜、善なる竜を殺し、世界を焼きつくさんとす。
風竜神フォールストは世界に満ちる悲鳴を風に乗せ、レイファミストの元へ届ける。闇の説得の元、かの光己を悔い改めカーリキリトへ戻る。そして邪との戦のため、鎧兜を着け剣を取る。
まずレイファミストは、人々の中で最も弱く、最も賢き部族、メルストアに言葉によって全ての律を決す魔術を教える。森に住み獣の姿せし人に特力によってその力の全てを授け、全ての物に戦いを、邪と立ち向かうための力と知恵を与え、邪に挑む」
つまり、メルストアの民に魔法を教えたのは神様らしい。俺はぼんやりとそう思った。火の粉のはぜる音がまた聞こえた。
「戦いにより、世界は揺れた。国が消え、街がなくなり、千を超え万を越す民が命を落とした。そして邪は氷竜神ガラディアスヴォにより北の海に封じられた。神々、かの地に大陸を創り、ガラディアスヴォに久遠の時もて邪竜を見張る事を命じ……」
だんだんキャロルの声が遠くなっていく。俺は俺自身が闇に融けていくかのような感覚を覚えながら大きく息を吸った。
ふと気付くと、静かだった。2人分の寝息と火の声しか聞こえない。俺はいつの間にか寝ていたようだった。
外の空気が吸いたくなって、俺は1つ伸びをしてキャロルたちを起こさないようにこっそりと外へ出る。身体のあちこちが強張っていた。
―外は、はっとするほど寒く、静かで暗く、恐ろしかった。
何気なく俺は1歩夜の外に出て、その瞬間直感した。危険だった。今の俺はとてつもなく恐ろしい事をしている気がした。しかしそのまま、俺はもう1歩踏み出した。木の葉が風に揺れる。遠い口笛のような風の声も聞こえる。それ以外は何1つ、鳥の声も獣の声も聞こえなかった。
何で危険なのか、なんとなく理解した。ここは夜の森だからだ。カーリキリトにおいて、夜は人の時間ではない。人ではない者、魔性の物、そして闇竜神ヴィディラの物だ。うかつに入ったら帰れない。
それでも魅入られたように、俺は小屋へ戻らずにその場にしばらく留まった。
何でレイファミストは、逃げる時ヴィディラを連れて行ったんだろう。しばらくぼんやりして、俺はふと考えた。
光と闇の仲がいいなんて、聞いた事がない。ならなんで一緒に行ったんだろうか。いくら考えてもさっぱり俺には分からなかった。下らない事かもしれない。所詮神話なんだから大した意味がないのかもしれないが、俺は気になった。
いい加減寒さが身体に染み渡り、俺は振るえた。とうとう夜に耐えられなくなって俺は小屋に戻る。
キャロルの古めかしい言葉が頭の中で蘇って消えた。
俺は寒くて目が覚めた。寝てからどれくらいの時間がたったのかよく分からない。暖炉にはまだ火が、小さくだが灯っている。イーザーとキャロルはまだ寝ているのか静かだった。果たして今が早朝なのかそれともまだ夜なのか知りたくて、俺は外へ出てみた。
外はまだ真っ暗だった。残念、夜らしい。また寝直そうと俺が小屋へ引き返そうとすると、「もう起きたの……?」とぼんやりした声が灰色の貫頭衣から漏れてきた。
「起こしちゃったか。悪い、まだ夜だ」「そうじゃないと思うな」
乱れた髪を手で撫で付けながらキャロルも外を見上げた。
「もう、そろそろ夜明けだ」「……じゃ、そろそろ起きて、朝食にするか」
イーザーも起き出して、火の調子を見る。
「こんな早くから? まだお日様さえ出ていないんだぞ」「でも、夜明けだぞ。それにこの時間帯は寒すぎて寝ていられない。起きて動いた方がまだ楽だ」
そうか、俺は寒くて目が覚めたのかと思うと同時にイーザーもやっぱり寒かったのかと1人納得した。俺だけかと思っていた。
白湯(ただのお湯の事)とパン、干し肉などの簡単な朝食を終えて、後片付けをして山小屋を出る。そのころにはもう日が昇っているかと思ったが違った。やはり、隣にいるイーザーの顔さえも見えないほど暗い。
「もう少し山小屋にいた方がよかったんじゃないか?」「アキト、もう日は出ているよ」
「こんなに暗いのに?」
「ここが森だという事を忘れているの? 朝からさんさんと森の底まで陽光が届く訳はない、そうじゃない?」
「う〜ん」
よく軽井沢の宣伝広告などである山小屋の朝は太陽が眩しいのだけれども、確かにあれは避暑用の小屋でこっちは正真正銘本物の山小屋だ。比べ物になりそうにない。
すぐに昨日まで歩いていた街道に出た。やっとそこで俺は今日お日様を見る事が出来た。空は藍色と白群の中間色に染まり、一刻一刻と明るさを増している。俺は久々に清々しい気分で伸びをした。太陽を見ないと朝という実感がわかない。
「イーザー、後どれくらいでそのアルのいる街に着くんだ?」「もう少しだ。昼には着くよ」
さらに嬉しい事が聞けた。いい事が続きすぎて、怖いほどだ。俺はうきうきとした気分になり、つい聞いた。
「そういえばさ、どうしてイーザーはアルやアットと知り合ったんだ?」実は常々疑問に思っていた事だった。前は昔はとよくイーザーは口にはするけれども、きちんと話してもらった事はまだ1度もない。イーザーは不意に鼻に水をかけられた猫のような顔をした。
「そう大した事じゃない」「あ、あたしも聞きたいな、それ」
キャロルも俺を援護してくれる。参ったなとイーザーは頭をかいた。
「聞いてもがっかりするなよ、ありきたりの話なんだから」「それは聞いてから判断するよ」
「そうだな、どこから話せばいいのか。俺は故郷の村から、剣の武者修行のために旅立ったんだ。特に当座の目的もなく、平穏な村から出て一流の剣士になりたくてな。
そうしてすぐに、ある怪物退治に巻き込まれた。今からすれば大した事はない化け物だけど、その時の俺も今思うとどうしようもないくらい弱くてな、やっとの思いで倒して、いざ止めを刺そうとした所でアルが出て止めた」
イーザーはそこで1つ息をついた。まるで薄れて行きつつある記憶を呼び戻そうとしているように遠い目をして。
「あいつは俺をなだめて、怪物騒動の裏にあるもっと大きな事件を突きつめて解決した。その過程でなし崩し的に俺も協力させられた。アルはそういうのが得意だったんだ。そういうのっていうのは、例えば人を巻き込んで、よく分からないうちに友人になって一緒にいく、っていうのが。結局、その事件が解決してもアルは俺と一緒にいるのが当然って顔をしていたし、俺も嫌じゃなかったからな、そのまま同行した。どうせ確たる目的地もなかったし」「アットとはどういう風に知り合ったんだ?」
「やっぱり、アルを中心に集まった。アルとアット以外にも4人他にいたんだけど、母親同士が友人とか、友人の友人とかでな。人間以外の種族もいたよ。比翼族とか、エルフの亜種とか。アットはその時はまだ一介の貧乏貴族の子息だったんだけど、街で悪漢に襲われた時、アルに逃げるのを手助けしてもらったらしい」
俺はそんなアルという奴を想像してみようとした。結果は大失敗だった。リーダー格で顔が広くて…… というのは、人物構成の手がかりとしては弱い。とりあえず、金髪碧眼の剣士風の好青年を考え出してみた。
「所で、比翼族って何だ?」「アキト、街歩く時ちゃんと目を開いている? ぼんやりしているんじゃないの? 比翼族って言うのは、背中に白い羽を持つ人間によく似た種族。時々鷹の羽を持つ者もいるよ」
ぐっ。実はエルフという物も俺にはよく分からないのだが、これ以上キャロルに言われるのも少し嫌だったので止めておいた。そのうち調べよう。
「合計6人で色々冒険者みたいな事をして、事件やもめごとを解決したり、謎の遺跡や洞窟を探索して旅を続けた」話しているうちにイーザーの表情が変わった。目つきが少し優しくなり、いつも俺たちに見せる顔よりも少し幼く見える。懐かしんでいるのか、回想に浸ってその時の気分になっているのか、どっちかは俺には分からなかった。
「で、あるとき、千年王国フォローの国王陛下の調子が思わしくないため、王位継承問題が持ち上がったんだ。アットは王位とは遠い地位にいたけど、お兄さんが国王の秘書のような立場にいて、その時のもめごとに俺たちも巻き込まれた。首都にはいろいろは問題や陰謀があった。俺たちはアットとアットのお兄さんを守るために陰謀を暴いたり叩き潰したりしているうちに話がおかしな事になってな。結論から言えば、アットのお兄さんが次期国王になった」
「現国王陛下ね。王位から離れた位だったけどその能力と人柄を見込まれて即位したと聞いているわ」「国王になる前にアットのお兄さんとは何回か会ったけど、確かに頭はいいけど普通の人に見えたな」
「イーザー!」
キャロルが顔色を変えて、周囲に誰かいないかと慌てた。俺もキャロルほどではないけど、国王を普通の人呼ばわりなんて驚いた。
「とにかく、そういう訳でアットも俺たちに同行している訳にはいかなくなった。同時にいい機会だからって仲間のうち数人が郷里に帰って、俺たちはばらばらになった。アルもずいぶん家を離れていたから帰らざるを得なかったみたいだな」俺は感心して合槌を打った。人に歴史ありだ。イーザーがそんな道を辿っていたなんて俺は考えた事さえなかった。
そうこうしているうちに完全に日が昇った。空は多少の水色を含んではいるものの、抜けるような濃紺色が広がっている。周辺の木々が深緑色に映り、心地良い風が進行方向より吹いている。
いい一日となりそうだった。
しかしどんなに天気が良くてもやる事はただ1つ、ただ歩く事のみなのだった。緩やかな山道をひたすら登る、登る。金輪際俺はハイキングがピクニックに魅力を見出さないだろう。少しでも辛そうな顔をするとキャロルからからかわれそうなので俺は平然としているように歩いたが、内心では休みたくって休みたくって仕方がなかった。イーザーは昼頃と言ったけど、実際は太陽が天の頂きに来てもまだ着かない。いい加減俺は弱音を吐いた。
「イーザー、まだか?」「見ろよ」
イーザーが前を指差した。俺は絶句する。今、俺たちがいる小高い丘から盆地にすっぽり収まっている白い街が眼下に広がっている。街の中央には河が流れている。落ち着いた佇まいをしている。静かだが寂びれている訳ではないらしく、人通りはそれなりにあり昼食の支度だろうか、煙があちこちからたなびいている。しかしそれでもなお何かの遺跡のような超然とした雰囲気がある。
「いい眺めね」キャロルがあっさり評した。そしてまだ動かない俺の肩を軽く叩く。
「アキト。感動するのもいいけど、あたしたちまだ着いてもいないのよ」その通りだった。
―遠くからの印象どおり、街は落ち着いていた。住んでいる人も地味ながら、清潔そうな服を着て、特に不満がなさそうに道を行き来している。ここに永住するつもりはないが、もしそうしなくてはいけなくなった時はここが住む所候補1番となりそうなほど、感じの良い街だった。
そんな街を、イーザーはきょろきょろしながら進んだ。
「確か、この辺だと思うが」「確かってイーザー、はっきり覚えていないのか?」
「覚えているよ。ただ、久々だし、前に来たときもじっくり見物した訳ではないからな。仕方がないんだ」
どうもイーザーの記憶はあやふやらしい。不安だ。
「そのアルの家はどんな外装なの?」「すぐ分かるよ。下宿屋をやっているんだ。大きい…… あ、あれだ」
言うが早いが、イーザーは走り出した。角を曲がり周りの家より一回りは大きい2階建ての家の前に行き、ほうきで掃除をしている女の人に話しかける。俺は慌ててイーザーを追いかけたが追いつく頃にはイーザーはその人に頭を下げ、違う方向へ歩き出していた。
「なんだ、イーザー。家を間違えたのか?」「違う。出かけているって。風神殿に行っているってさ」
「風神殿って何だ?」
イーザーとキャロルはぽかんと俺を見た。掃除をしていたあの女までちらりと俺を見た。何だよ。
「悪い、あんまり常識的な事を尋ねられたので、つい」「風神殿っていうのは風竜神フォールストを祭った神殿の事。大概街外れにあるからまだまだ歩くよ、アキト」
「うぇ」
俺はげんなりした。くたくたなのにまだ行くのか。
「で、どこにあるんだ、それ」「確か、あっち」
イーザーは街を取り囲んでいる山のある一点を指した。けして低くない。
俺はまだ見ぬアルとやらに向かって心の中で叫んだ。何でそんな所にいるんだ。
街を突っ切って整備されていない山道を行く。大した距離ではなかったけど、気が急いていたのでやけに長く感じられた。
「アキト、あんまり急ぐな。自分の速度配分を守らないと無駄に体力を消費するぞ」イーザーに注意されていったん止まり、落ち着こうと息を吐く。
「ん?」俺は歩き出そうとしてつんのめった。女の子の声がどこから聞こえる。独り言のような、誰かに話しているのか、それは分からない。俺はどこから聞こえるのかと思って耳を澄ませた。
すぐに分かった、前からだ。やっと山道が開けて視界が広がった。白い石造りの建物が1番に目に入る。あちこち崩れかけて修理の跡がある。ずいぶん古いみたいだ。
その建物の前で崩壊している石の1つに腰掛けているのは1人の女の子だった。
年はせいぜい中学生くらいだった。イーザーと同じように日に焼けて、肩までつややかな黒髪が伸び、黒い瞳は夢見るように半分閉じられている。青い上着をその辺に脱ぎ捨て、涼しそうな格好をしていた。軽く手を伸ばし、その中に小さなつむじ風を閉じ込めているかのように手の中でくるくる空気が渦をまいている。それに話しかけるかのように小さい声で女の子は何かを言っていた。
「よぉ」イーザーは大声を上げ手を振った。はっと今初めて気が付いたかのように女の子はこっちを向く。手の中のつむじ風はあっという間に消え去った。
「イーザー!」伸びやかな声で女の子は石から飛び降り、俺たちに―正確にはイーザーの元へ駆け寄る。
「久しぶり! どうしたの?」「アルに聞きたい事があったんだ。いいか?」
「もちろんっ。何? 何でも聞いてよ」
そこでイーザーは俺たちの方へやっと向いた。
「紹介するよ、アル・グラッセだ」イーザーはそう、13,14歳ぐらい女の子を俺たちに向かい合わせた。
俺の抱いていた空想は木っ端微塵に砕けた。
「召喚士か」
風神殿は人の気配がない所だった。こんな場所にあるからめったに人が来ないんだろう。それでも一応の調理施設はあって、アルはすばやく人数分のお茶を俺たちにご馳走してくれた。俺はそれをすすりながらアルを観察する。
どこをどう見てもただの女の子だった。イーザーから15歳と聞かされたけど、だとしたらかなりの小柄な子だ。大きなマグカップを両手に抱え、じっと考え込むその姿はとてもイーザーの言う武勇伝の中心人物には見えない。
「ごめん。召喚士に知り合いはいない」「げ」
唯一の希望はあっさり潰えた。
「でも、似たような者でよかったら心当たりはあるよ」「何だ、それは」
この際何でもいい。わらにすがる思いで俺は言いつのった。
「前に友達になった人がいるの。異界研究者って肩書きを自称していた。こことは違う世界について学んでいるんだって。それじゃ駄目かな」微妙な所だ。俺が用があるのは召喚士で研究家ではない。しかしそれしかいないのであれば代理とするのもまた良し。それにそういう職業の人なら召喚士との繋がりもあるかもしれない。
「どんな人だ?」「名前はグラディアーナ。月瞳族」
月瞳族って確かどこかで聞いた事があるような。
「半人半猫」キャロルが助け舟を出してくれた。そうか、そいつも人間ではないのか。「後ね、どこに住んでいるのかが分からない」
「へっ?」
何でだ。知り合いだろう?
「お互い旅人で偶然出会って話をしただけなんだよね。これが。だからどこに住んでいるのか、その異界研究者というのが本業なのか趣味なのか全然知らないんだ。嬉しそうに薀蓄たれていたから研究者である事は間違いではないと思うけど」それでよく友人と名乗れるな。むしろ赤の他人じゃないか。
「どこで出会ったか、覚えている?」「フォロー王国内だと思うけど」
なんて曖昧で不確実な情報なんだ。俺はげんなりした。そんな事では1年どころか一生分かかっても帰れない。
「でも、他に手がかりもないしね。他の情報探しながらのんびり行こう」キャロルが俺の心を読んだかのように肩を叩いた。
「ねぇ、アキトが故郷に変えるための旅に、私も手伝える事ない?」「もっとよく思い出せ」
旧友であるためか、イーザーは手厳しかった。うん、努力するとアルは気軽に答える。アルの信用性に不安になっている俺に、アルはにんまりと笑って顔を近づけた。
「ね、こっちも聞かせて。アキトの世界ってどんな所なの?」「えっと、そうだな」
よせよ、とイーザーが顔をしかめたが俺は続けた。
「俺の世界は地球と言って、魔法はないけど科学が発達している」「科学って何?」
「えっと、機械技術の事だ」
「機械って何?」
俺は押し黙った。
普段のイーザーとキャロルの困惑が今やっと分かる。そこまで遡らないといけないなんて思っても見なかった。
「からくり仕掛けみたいなもんだよ」「へぇ。それでどんな事が出来るの? どんな国があるの? 文化とか、人種とかは?」
矢継ぎ早に次々と質問が飛んできた。初めのうち俺はせっせと答えていたがだんだん疲れた。1つ答えるたびに3つ質問が帰ってくるし俺が当然だと思っている事が通用しないこともよくある。国名の事については地理、歴史、政治経済について俺の知っている事をほとんど吐く羽目になったし、高校生の説明をしているはずがいつの間にか学歴問題と職業選択の自由について語っていた。改めて俺はイーザーとキャロルに感謝した。2人とも嫌がらずに色々答えてくれる。
そのキャロルは初めのうちは真面目に聞いていたけれども、今は腰にくくりつけてあったナイフの手入れをしている。イーザーは初めからこうなる事が分かっていたらしく、だれた顔でそれでも一応耳を傾けていた。あるだけが頬を紅潮させて生き生きと聞いている。
「じゃあアキトのいるニホンの文化は気候と深く関わっているんだね。他の国でもそうなの? 他に関わる要素はなかったの? 後それから」「アル、もういいか」
うんざりが限界に来たイーザーに止められなければ夜まで話は続いていたかもしれない。
「悪いが、そろそろ宿を探さないといけないからこれで帰るぞ」「宿? わたしの家に泊まっていけば? 下宿だから2,3人くらい泊められるよ」
「遠慮する」
剣もほろろに、イーザーは背を向けた。キャロルがそれだけではあんまりだと思ったらしく付け加える。
「誘いはありがとう。それじゃあね」「何か思い出したら伝えるね」
ばいばい、と手を振るアルを後に、俺たちは風神殿を立ち去った。
情報屋の2階で、俺はベットに倒れこんだ。
「疲れた……」はねたり飛んだりはしていないけど、別の意味で疲れた。マントを下ろしたイーザーがすまなそうにため息をつく。
「悪いな、奴が好奇心の塊だと言う事を忘れていた」「なぁ、イーザー。本当に、あの女の子がアルなのか?」
「そうだが?」
「悪いけど、アルって頼りになるのか? 思っているよりずっと小さいし、なんだか冒険に出れそうには見えないぞ」
「見くびらない方がいいぞ。確かにちびで、力も弱いけど風使いなんだ。外見と内面は違うさ。甘く見ると痛い思いをする」
「風使いって何だ?」
「風の精霊使いのこと」
「精霊使いって何だ?」
魔法使いの一種なんだろうか。俺がそう言って首を傾げると、イーザーが頷いた。
「魔法と精霊術の違いか 普通の人なら同じと思ってもいいが、アキトだと知っておいたほうがいいな。説明するよ」「頼む」
イーザーは備えつけの椅子に座った。
「魔法ってのは、昔神々によって授けられた言葉とシンボルによって働く、誰にでも学べば使える事の出来る力の事。強力だけど言葉に縛られているから決まった事が出来ない。攻撃とか傷を治すとか色々な系統がある。いくらでも使う事ができるけど、実力不相当な魔法を使うと体に反動が帰ってくるから注意。シンボルは大抵はリングとか杖とかを使う。腕輪をつけた弱そうな人は一般的に魔法使いだ。精霊術とは、神々以前に人々が持っていた、生まれつき精霊と話せ、念じれば色々な事が出来る力の事。能力は個人の生まれつきだけど、それを十分に扱うには修行が必要。魔法に比べて弱いけど想像次第で何でもできる。ただ心の力、精神力を使うから多用は出来ない。土、火、水、風、光と闇の主に6系統がある。アルに昔聞いた。
後、獣人たちがそれぞれの獣の特性を使って変身したり強くなったりするのは特力という。昔、魔法がなかったとき、精霊使いを見た人たちが何とかして似たような物を作り出そうとしたのが法術、魔法と精霊術のあいの子。法術は今では絶滅寸前で、一部の獣人や人間での間でしか使われていないって言われている」
「はぁ」急にたくさんの事を学んだので、頭がちんぷんかんぷんだった。
「要は、勉強すれば使える、呪文を唱えなくちゃいけないのが魔法、生まれつき使える、念じればいいのが精霊術。そう思っていればいい」「なるほど。それなら分かりやすくて何とかなる」
「それよりも、グラディアーナがどこにいるかだな。全く、アル、もっと詳しく覚えてくれたらいいのに」
「入るよ」
腕を組んでいるイーザーは遠慮なく入ってきたキャロルに目をやった。キャロルは俺たちとは別の部屋を取っている。
「何の用だ?」「アキト、組み合いしない? 稽古をつけてあげるよ」
「俺、疲れているんだけど」
歩き尽くめの上山登りしてさらにおしゃべりして。控えめに主張するとキャロルに軽く笑われた。
「何言ってるの。いつもよりはましでしょ。あたしたちはいつもそうなんだから」「キャロルは元気そうだな。分かった、やるよ」
そういえば戦いの練習なんて初めてだった。俺は立ち上がり、
「あれ、俺の棒はどこだ?」「アキトのスタッフ?」
情報屋では1階で剣とかをロビーで預ける。持ったままで2階へ行くのは(両方の意味で)危ないからだ。それに剣は手入れをしたいとかの理由があれば持ち込めるが、俺の棒はそもそも物理的に宿に入らない。でも俺は預けたか? なくしたか落としたか。落ち着け、朝は持っていた。街へ入る時もあった。ないのは確か。
「風神殿に忘れた!」思い出した。俺は慌てて外に飛び出た。
「ちょっと取りに行ってくる!」走り出す俺の耳に「本当かよ」というイーザーの声と、キャロルの大爆笑が届いた。
俺は何でまた山登りをしているのだろう。
夕暮れ時、俺はそんな事を考えてしみじみ自己反省した。きっと帰ったらまたキャロルにからかわれるのだろう。
2回目だったので思った以上に早く着いた。まだ何とか明るい。どこに置いたっけと俺は思い出そうと立ち止まり、ぎょっとした。
アルがまだいた。黒い髪を風に流すままに吹きさらし、岩に腰掛けじっと俺を見ている。俺が動かなくなったので岩から飛び降りる。その顔はけしてさっきのように笑っていず、さっきとは違って大人びていた―今度は、15歳よりも年上に見える。
「忘れ物?」はい、とアルは壁に立てかけてアル木の棒を手に取った。
「何でこんな時間までここにいるんだ? それに、忘れ物って何で気づいたんだ?」俺は率直に疑問をぶつけた。アルは答えない。
「ひょっとして、俺の棒、わざと隠したのか? 俺が後で、1人でここに来るだろうと思って」「ううん、それは単にアキトが忘れて行っただけ。ここで待ってればそのうち取りに来ると思っていたよ」
さいですか。
「別に待たずにそのまま帰ればよかっただろ。何でここにいたんだよ」俺は恥ずかしさをごまかすため棒をひったくるように取り、重ねて質問した。
「少し話したかったからの。だから待ってみた」「話したい?」
軽くアルは頷き、真剣に俺の目を見据えた。
「本当にこのままイーザーたちについていくの?」アルが何を言いたいのか、俺はさっぱり分からなかった。
「なんだ、それ」「だって、イーザーってあの性格だよ? ぱっと見て、俺は沈着冷静、一流の剣士だって言っているようなものなのに困っている人がいると後先考えず助けようとするし、かっとなると損得利害考えなしに問題に飛び込むし、頼りになるようでならないし、ね?」
俺でも明らかに分かるほど白々しく笑い、唐突に笑顔を止める。
「ごめん。そうじゃない。わたしが言いたい事はそれじゃない」「一体何が言いたいんだ?」
「……怖いんだよ、私は」
表情を強張らせ、意外な事をアルは言った。
「なんだろう、根拠は特にないんだ。イーザーとかアキトに言っても笑われると思うけど、それでも言っておくべきだと思うから言う。今後、楽な捜索にはならないよ。たくさんの戦いがある。痛い思いをする、苦しい事がある、泣きたくなるような事も起こる。風がそう告げる」「いわゆる、予言って奴か?」
俺はいつの間にか汗をかいていた。
「違う。予言は雷竜神のみの物。私たち、風竜神を初めとする風使いは定まった未来という考えをしない。ただ予感するだけ」どう違うのか俺にはよく分からないが、きっとアルたちには大切な違いなんだろう。
「どうしても、いやな感じがするの。不吉だ。寒気が止まらない。怖いよ、アキト。アキトのそれからが、アキト自身が。アキト本人は何も悪くないんだと思うけど、そう思わずにいられない。出来ればついていきたいけど、同行したいけどそれがあるから怖くて一緒に行けない。それでも、アキトは行くの?」
目を見据えられて俺は問われた。
「……行くよ。このままでもすごく不便という訳じゃないけど、それでもずっとこうしていたくはない。何でこうなったのか分からないから、知らないといけない。当たり前だろ、そう思うのは」
第一、どうして予感なんという訳の分からない物で中断しないといけないんだ。アルは悪い奴だとは思わないが、そんな頼りない物まで信用はしない。
アルはそっか、と頷いた。まるで俺が言わなかった理由まで分かっているかのように。
「なら止めないよ。ただ、失敗してもいいから死なないでね。イーザーもアキトも好きなんだから」「物騒な事言わないでくれって」
「うん、そうだね。でもね、アキトの旅が成功するためには風神の加護がたっぷり必要だって、そう思うんだ、どうしても」
今更ながら、俺は背筋が寒くなった。一体、アルは俺の背後に何を見ているんだろう。いつの間にかすっかり身体が冷えていた。木の棒を受け取り、俺は山を下ろうとした。もうすっかり暗くなっている。帰るのに苦労しそうだ。
「アキト!」後ろから大声がした。
「あれから考えたんだけど、確かグラディアーナと会ったのは山の中の小さな集落だったと思うよ。イーザーにそう伝えて」「分かった」
俺は振り返らなかった。再び後ろからアルの高い声が聞こえる。俺に向けられた物ではない。
きっとそれは何かへ歌っていたんだと思う頃には、すでに声は聞こえなくなっていた。