三つ首白鳥亭

−カーリキリト−

いながぐらし

曇天の中、イーザーとキャロルは口論しながら歩いていた。

「山の中の集落、確かにそう言ったのでしょう。ならやっぱりスフィア山脈でいいと思うわ。フォロー王国内にあるから彼女が行ってもおかしくない」
「確かにアルはそう言った。俺の首をかけてもいい」
「ずいぶん安っぽい命ね」

ぐっ。キャロルは混ぜっ返しつつも目は地図を追っている。

「でも、あそこには街はない。村さえないんだ」

2人とも行き先が決まったのにまだ話し足りないのか、アルの住んでいる街を出てすぐにイーザーが異議を申し立てたのだった。昨日寝る前に地図を囲んで冒険者イーザーと地下道の一族キャロルのけんげんごうごう話し合いの末、やっとここじゃないかと決まったのに、今更蒸し返すなよ、イーザー。俺はカーリキリトの土地勘がないのでそもそも話し合いには不参加、今もどうでもいい状態で2人の後を追っている。それでも2人の歩行速度は落ちないのだからたいしたもんだ。

「でもアルは集落と言ったんでしょう。村ではなく」
「ああ」
「ならやっぱりそこにある可能性が高い。集落というのは村よりも小さい単位だから、村として地図に登録されていないと言う事も考えられるよ」
「それもそうだな」
「納得した?」
「した」
「じゃあ、行こう」

もう街を出て歩き出しているんだけどな。2人は気分として今が出発らしい。30分ほどの歩行は彼らにとって何でもないのだろうか。

そう俺が思っていたのを不安と取ったのか、キャロルは珍しく裏のない笑みを浮かべた。

「近いよ、アキト。ほんの20日もあればすぐスフィア山脈だ」
「どこが近いんだ!」

江戸と大阪だって歩いて1週間なのに20日!?  そんなに歩けって?  俺は心底うんざりしたが、選択肢はこれ以外にはない。仕方なく諦めた。

「フォローは道がしっかり整備されているし、金も十分にある。楽な旅になるよ」

イーザーが励ました。それでも俺の気分は晴れなかったが。

ちなみにイーザーの予想は外れた。楽どころか死ぬかと思うほど大変な旅になった。もちろんその時の俺はそんな事知りもしなかったが。


昼を少し過ぎた頃に小さな村に着いた。畑の中に家々と家畜小屋が集まっている、こじんまりとした村だ。

「今日はあそこで1泊かな」

イーザーが村へ入る前に言った。

「あそこに情報屋があるのかな?」
「ある訳ない」

キャロルが貫頭衣のフードを深く被りながら即答する。

「キャロル、何で顔を隠そうとするんだ?」
「こういう田舎では、地下道の一族は好まれない場合が多いからね。用心だよ」
「後それから、何で宿がないって分かるんだ?」
「宿がないとは言っていない。情報屋がないんだ。規模を見ようよ、この村の。こんな村に情報屋が支部を置こうと思うわけないでしょ。置いても何もいい事がない」

なるほど。

「じゃあ今日はどこで泊まるんだ?」
「そうだな」

イーザーは悩むというよりも俺に教えるように指を3本立てた。

「大農園のような物があったらそこに頼んで泊めてもらう。それがなかったら酒場か。それも駄目なら神殿に行く。一番いいのは風神殿だ。風竜神は旅人を守護しているから喜んで泊めてもらえる。見聞の旅なら水神殿に、武者修行の旅なら火神殿だ。土神殿も願えば1泊泊めてもらえる」

俺たちの姿を確認した若い女の人が、村の奥に引っ込んだ。それを眺めながらキャロルが決め付ける。

「1番最後のになりそうね」
「どうして」
「村が小さすぎて農園も酒場もない。あるのは神殿、しかも小さな土神殿だけ。なら道は決まっている」
「よく観察しているな」

俺がキャロルに感心していると「いや、俺もそれは見て分かっていた」とイーザーが小声で答えた。俺だけかい。

柵に覆われた村の入り口に入るとすぐに奇妙な雰囲気に気づいた。村にいる女、子供、老人が遠巻きにこっちを見ている。俺は小声で2人に聞いた。

「なぁ、あれ、何なんだ?」
「あたしらを警戒しているんでしょう」
「何でだ?」
「何でって、武器を持っている若い集団が来たら警戒するのが当然でしょう?」
「あ、そうだった。でもこんなに冷ややかに迎えなくてもいいじゃないか」
「追い返されないだけましとおもうんだね。それともアキト自らが行ってそう話したら?」
「我慢する」

けらけらキャロルに笑われた。しかしやっぱり釈然としない。胸に何かつかえたような気分で、いつの間にかイーザーに誘導されて地味な家の前に来た。扉は開放されていて、周りの家よりも少し大きく、門の両横に太ったとかげの様な生物が彫られている。ここが土神殿らしい。

「失礼」

イーザーを先頭に門をくぐった。中は暗く、ほとんど何も見えない。奥で人の気配がした。

「こんにちは。旅の者ですが、一晩の宿をお借りできないでしょうか」
「これはこれはこんにちは。どちらから参られた」

慎重な男の声がした。

「イゼーオから来ました。人探しのためにスフィア山へ行く予定です」
「ずいぶん遠くまで行かれる」

イーザーの丁寧な言動のせいか、少しは男の態度が和らいで立ち上がった。

「こちらへ。狭い部屋だがくつろぐと良かろう」
「心使い、感謝します」

村の人間の態度からすると、極めて順調に話は進んだ。その事をこそっとキャロルに伝えると、

「素直、正直、実直、誠実、快活明朗、の好人物の顔をイーザーはしているからね。あたしならどんな事言っても半信半疑だ」

なるほど。本当に狭い部屋に通されるとすぐ、キャロルは別の部屋に連れて行かれた。その間に俺は荷物を置いて、床に座り込む。うむ、硬い。

「やれやれ、何とか信じてもらえたか」

イーザーもほっとしたように座った。

「そういえば、イーザー」
「何だ?」
「土竜神って何だ?」
「知らなかったのか!?」

イーザーは顔色を変えて俺に詰め寄った。

「怖いって、イーザー」
「あの神官の前でそんな事言うなよ。えっと、土竜神というのは、大地をつかさどる竜だ。安定とか、大地の豊饒とかも土竜神によって守られている。どんな田舎だろうが必ず土竜神を祭る土神殿はあって、そこでは子供たちに読み書き計算を教えたり、親のいない子供の面倒を見ている」
「へぇ。本当の教会みたいだな、普通だな」
「本当だよ。なのにどうして知らないのやら」

俺たちではない声がして、イーザーと俺はびくっと身体を震わせた。そこにはキャロルがいた。

「アキト、あたしでよかったね」
「驚かさないでくれ、キャロル」
「そりゃ悪かった。すぐ気づくと思ったんだけどね。ところでイーザー、アキト。ここの神殿の裏に集会場のような物があるよ。都合よく人目につきにくい」
「それがどうしたんだ?」

キャロルの言う事だから裏があるのだろうが、何を言いたいかがさっぱり分からない。イーザーも同じらしく、きょとんとキャロルを見ている。鈍いなぁとキャロルは肩をすくめた。

「いつまでアキトを素人のままにしておくつもり。打ち稽古しないでもいいの?」

イーザーは自分の剣と同じ長さの木切れをつかんで、俺に対峙した。

「さ、アキト。どこからでもかかって来い。遠慮はいらない」

俺もスタッフを持ちながら、どっと背中に冷や汗が湧いてくるのを感じた。狭く何かの像意外には何もないこの空き地で、何でイーザーと俺は向かい合っているのだろう。

―でも、俺は棒術は全然知らないんだよな。

―なら、アキトに実践訓練をばしばしつけて、自分でそれなりになってもらえば?

全てはこの会話のせいだった。キャロルはのんびり腰を降ろして無責任に応援してくれている。ああ嬉しい。

「おい、早くしろよ」

そんな事言われても。今までのことでイーザーが俺よりはるかに強い事は知っている。そんな奴に突っかかっていく気にはなれない。

「なら、こっちから行くぞ!」

未だ心の準備が出来ていないのに、イーザーの表情が厳しくなった。何かを思う間もなく、後半歩のところまで近寄られる。

「うわっ」

慌てて俺はスタッフを振った。遅すぎた。スタッフがイーザーに命中する前にイーザーの木刀が俺の両腕に叩きつけられる。

「いっち」

俺はあっさりスタッフを落とした。

「アキト、やる気があるのか?」

冷たく俺を見ながら、イーザーは元いた位置へ戻る。だっらしないよーとキャロルがからかった。

「早く拾え。次、行くぞ」

修行と拷問の違いはなんだろう。中高一貫で帰宅部だった俺には違いがよく分からない。

イーザーは手加減を一切せず切りかかってきた。おかげで頭、額、顔、肩、腕、手、胴、足、その他もろもろを木刀で叩かれた。俺は何とか避けるかスタッフで受けるかしようとするのだが、さらりと見切られた。根は熱いイーザーの心に余計な火が灯ったのか、それはもう厳しい特訓を受けた。

横で見ているキャロルの助言もこれまた嬉しくはなかった。

「せっかくイーザーより獲物が長いのに、懐に入られてどうするの」
「相手の剣ばかり見ていないで、全身を見ようね」
「こらこら、バランスが悪いよ」

全部的を得ているのがまた小憎らしい。くそ。

「たっ」

十うん回目、強く弁慶の泣き所に当てられて俺はひっくり返った。そんな俺ののど元に木刀を突きつけて停止するイーザー。

「次、早く立て」
「イーザー」

元の位置に戻ろうかとしたイーザーに、キャロルが声をかけた。俺もうめいて起き上がりながらそっちを見る。俺はイーザーの扱いがひどいから苦情を言うのかと少し期待した。

「お客さんだよ」

残念ながらそうではないらしい。キャロルの視線上に、革の服を着た子供が3人いた。その中で一番背の高い子供がおずおず口を開く。

「そこの黒いお兄ちゃん、強い?」

黒いお兄ちゃん、つまり黒マントのイーザーは眼を開いた。

「どうした?」
「お化けをやっつけてほしいんだ」

もう1人の遠慮がちな、しかしとっぴな言葉に俺は思わず笑った。

「本当だよ、本当にいたんだよ!」
「おいおい、お化けなんている訳ないじゃないか。嘘は良くないぞ」
「本当だったらっ」

子供は顔を真っ赤にして俺に食ってかかった。と、分かったとイーザーは何を考えているのか、うなずいた。

「詳しくそれは聞きたいな。キャロル、アキトを任せた」
「任された」

放り投げた木刀をキャロルは何て事なく受け取る。イーザーは子供たちを連れて広場から立ち去った。

「さ、アキト、続けようか」
「キャロルが?」

俺は顔をしかめた。自分と同じ年の女の子と戦えるのか?  俺は戸惑い、ふとキャロルと会ったときの事件を思い出す。そういえば剣を使っていたような。

「うん、でもあたしはイーザーみたいにまっ正直には戦わないよ」
「ん?」

言いたい意味がよく分からないが、キャロルは木刀を片手に軽く構えている。本気なのだろうか。正直女の子を相手にするのは、と思ってスタッフを握りなおそうとして……  まだ構えてもいないのに、キャロルは切りかかってきた。

「うわっ」

イーザーよりもはるかに速い、それでも俺は何とか受け止めた。伊達にイーザーにいじめられていた訳ではない。

その衝撃を利用して、なぜかキャロルは半回転しようとし……わっ。

「ぶへっ」

いきなり目に鞭のような物が飛んできた。思わずスタッフを放り投げて目を押さえる。じんわり涙が出てきた。

「何なんだ?」
「ああ、これ」

ゆっくり目を開けた俺に、キャロルはしっぽをわざとらしく揺らした。そうか。

「これだけ自在に尾を操れるのは地下道の一族くらいよ」
「そんな、ずるい」
「種族の違いは有効利用しないとね」

しれっとキャロルは他にも、と続けた。その辺の石ころを拾い上げる。

「例え人間だとしても、あたしにはこんな事も出来る」
ばしっ!

キャロルの腕が動いたかと思うと、拾いかけていたスタッフがはじけた。

「え?  今何をやったんだ?  魔法か?」
「あたしは魔法使いじゃないよ。石を当てたの。極めるとこれ、なかなか便利よ」
「でも、たかが石だろう」

石を投げるなんてどんなゲームにも漫画にも出てこない。第一格好悪い。

「そうでもないよ。印地打ちはその気になれば目を潰し、武器を落とせる。石なんてどこにでもあるからなくて困る事もないし、隠しやすい。そもそも人なんて木切れだろうと石っころだろうと、当たれば痛いし運が悪いと死ぬんだ。馬鹿にしない方がいい」

イーザーのように戦わないと言った意味がなんとなく分かった。イーザーがあくまでも剣1つで来たのに対し、キャロルは色々なからめ手を使う気らしい。俺はきっとキャロルをにらみつけ、スタッフを握る手に力を込めた。キャロルが女の子だから戦えない、という考えは捨てた方がよさそうだ。

「その意気、その意気」

軽やかにキャロルは笑った。


「いっつぅ」

その日の陽が落ちてしばらく後。土とほこりと汗まみれの服を脱いでみると、全身擦り傷と打撲とあざばかりだった。とほほと俺は別の服を着る。

そもそも、キャロルはイーザーよりたちが悪かった。木刀で来ると見せかけて腰から本物の短剣を抜き、減らず口で翻弄する。1回はスタッフを盗られてそれで殴られた。

「大体、向こうは俺よりずっと昔からああいう訓練をしているんだ。手加減の1つや2つはして欲しいよ」
「本気でやれば、あたしは10数えるうちに決着をつけられたよ」
「げっ」

いつの間にかキャロルが部屋の中にいて、扉に寄りかかっていた。

「いつからそこに!?」
「大体向こうはから。ああ、平気平気。アキトの小汚い着替えなんて見たくもない」

人の部屋に勝手に入って、こいつは。俺が不満を言うべく口を開きかけると、それをキャロルはさえぎった。

「夕食だけど、いる?」
「いるいる」

俺はころっと手のひらを返して、ないしっぽを振ってキャロルへついていった。

「土竜神から出される飯だから、味は期待しないでね」
「別にいいよ。もう腹ペコだ。悪いなぁ、夕食まで出してもらって」
「何言ってるの。ただじゃないよ。ここを出るとき多少の寄付をするの。常識よ。ただで泊めてくれる神殿なんて風神殿しかないのだから」
「なんだ」

俺はがっくりして、やっと誰かがいないのに気がついた。

「イーザーは?」
「さて」気のない返事だった。
「まだ戻ってないよ。生きているとは思うけど」
「当たり前だろ。それにしてもどこ行ったんだろう」
「いいじゃない。朝には帰ってくるよ」

どうでもよさそうにキャロルは手を振って、俺を食堂まで連れて行った。薄情だなと俺は思ったが、どこに行ったか分からないのならしょうがないか。

それほど明るくない部屋では夕食が俺を待っていた。小さなパンとチーズのかけら。終わり。こっそりキャロルが俺をたしなめるほど俺はがっかりした。確かにキャロルは期待するなと言ったけど、これではおやつにもならない。

「もう1人の方は?」
「彼は今、外出しております。後で食事を彼に届けたいのですが、良いですか?」

なめらかにキャロルは答えた。もちろんですと神官は寛大にうなずく。

「しかし、どのような用で?」
「先ほど、子供たちに頼みがあると連れられました。1人は大柄の少年、もう1人は褐色の髪をした兄妹のようでしたが、お心当たりはありませんか?」
「ああ、カーチスたちですか」

俺は席に着きながら聞きなれない名前に神官を見た。神官は困ったように温和な顔をしかめる。

「いたずらっ子たちですよ。それならまだしも、最近は嘘までつくようになった。実に良くない事です」
「じゃあ、からかわれているのかもしれませんね。後で迎えに行きます」

いつもの俺に対する話し方とは全然違う。豹変するよな。

「ところで、どんな嘘をつくのですか?」
「何、他愛ないことですよ。墓場に幽霊が出るとか」

しょぼい夕食を前にして、ようやくおしゃべりは終わった。さぁ食べようとパンをつかもうとしたら、隣のキャロルに脇腹をつつかれた。何するんだよと言おうとして、神官が静かに祈っているところを目撃する。俺は静々と手を下ろし、形だけでもその真似をする。顔を伏せながらこっそりキャロルを見ると、にやにやしていた。

わびしいながらも食事は終わった。イーザーの分は風呂敷で包んで、食器は洗い場へ持って行き布できれいにする。そこまでするとキャロルはまるで逃げるように食堂を後にした。

「どうした?」

俺は後を追って尋ねてみた。キャロルは手に夕食の包みを持って暗い廊下を歩く。

「旅の話をしてくれと頼まれないうちに行くの。何せあたしはまだ何もしていないし、そこで時間を取りたくはない」
「何で。いいじゃないか、別に」
「あ・の・ね、アキト」

ちらりとキャロルは振り返りにやりと笑った。暗くてよく見えないが、多分笑ったのだろう。

「アキトの事だから早くイーザーにこれを持っていってあげようと言うと持ったんだけど、あたしの思い違いだった?」

キャロルは包みを叩いた。そういやイーザーの事忘れていた。

「でも、どこにいるのかも分からないのにどうやって渡すんだよ」
「あたしは分かっているよ。アキトまさかまだ分からないの?」

不愉快な言い方をされて俺はむっとした。

「そうだよ。言い惜しみをしないで言えって」
「ついてきてよ。案内するから」

そっと俺の手を握って、キャロルは俺をなだめた。


こういう雰囲気はどこも同じらしい。冷え冷えとしてやけに暗く、君が悪い。そんな中、俺とキャロルは足音を立てぬようこっそりと歩いていた。

「聞いていいか、キャロル」
「ん、何」

月があるのと目が暗さになれたので、何とかキャロルの表情が見分けられる。

「何で俺たちは墓場にいるんだ?」

ついでになんで夜、青々と冷たい月光だけを頼りにこんな所をひっそり歩いているのかも答えてほしかった。

「何でって、ここにイーザーがいるからよ」
「何でそうなる?」
「土神官が言っていたじゃない。子供たち、カーチスたちが幽霊が出るって言っているって。そのことでよそ者をからかおうとしているんでしょ、きっと。だったらここにいるだろうと思ったのよ」

なるほど。

「しかし、そんな事でこんな時間まで。冗談にしても度が過ぎているな。こらしめないと」
「声が大きい。でもあたしもそう思うよ。おっと」

キャロルは立ち止まり、身体を伏せて俺にその先を指で指した。

地面すれすれに橙色の明かりが灯っていた。一瞬人魂かとぎょっとしたが、あれは日本固有のものだと思い直す。冷静に見返して、あれは地面に置かれたランタンだとすぐに分かった。そしてその近くに、黒いマントのため半分闇と同化しているイーザーが剣を腕に立てかけて座っていた。表情は厳しく、何かを待っているようだった。だまされているとも知らず、気の毒な奴。

キャロルも俺と同じ事を考えているらしく、肩をすくめると、腰をかがめて石ころを拾い、声に出ない気合と共に近くの木へ投げた。そこいらの野球部員と同等、もしくはそれ以上の速度で樹へ突っ込む。

「ぎゃん!」

子供の声がして、はっとイーザーは樹の方へ走ろうとした。

「おぉい、イーザー」

もう出てきてもいいかな?  俺はイーザーに大きく手を振って大股で歩み寄った。イーザーは口を大きく開けて、子供と俺たちどっちへ行こうか迷っているように両方を交互に見た。

「何で、アキト、こんな所に?  それにキャロルも。それに君たち、カーチス、どうしてここにいるんだ?」

もうとっくにばれているのに子供たちはそれでも木陰に隠れようとした。そのうち1人が額を押さえているのには俺がやった訳でもないが心が痛んだ。

「俺たちはイーザーを探しに来たんだ。夕飯を届けに」

キャロルが俺の代わりに夕飯の包みを高く上げる。

「イーザーこそ、どうしてここにいるんだ?」

分かっているけどあえて聞く。イーザーは俺たちが近づいてきたことによって、子供たちの方へ行く事を決めたらしく、樹の方へ立ち上がろうとしながら返事をした。

「そこにいる、カーチスとルルとコナーに頼まれたんだ。墓地に幽霊が出るから、やっつけてくれって。それですぐここへ来て、ずっと待っていたんだ」

石をぶつけられた子供に大丈夫かとイーザーはささやいた。おいおい。

「イーザー、それ、嘘だぜ」

ここまで信じているイーザーにこんな事を言うのは気が引けたが、事実だからしょうがない。一番せが高い子供がかっと反射的に言い返した。

「嘘なんかじゃない!」
「しらばっくれなくってもいいって。お化けもお岩さんも一つ目小僧もこの世にはいないんだ。もちろん幽霊なんている訳もない」
「違うよ!  本当なんだ、本当に俺たち見たんだよっ」
「あのなぁ」

往生際の悪い子供だ。俺はさらに幽霊の非現実さをとくとく説こうと頭の中で論理をまとめようとした。

「しまった!」

はっとイーザーは周囲を見渡した。

「何でこんな時にっ。俺の近くに来い、皆!」
「へっ?」

俺はイーザーの慌てる理由がさっぱり分からなかった。何でだと出来ることなら聞きたかったが、「早くっ」と焦るイーザーにのんびり尋ねる勇気はなく、おとなしく従う。

イーザーが剣を抜き、地面に突き立てた。予想と違い、少しも大地に突き刺さらず硬い音がしただけだが、イーザーの気負いは十分に伝わる。

「あの、イーザー、何やっているんだ?」

でも、もちろんますますなにをしたいのか分からなくなって、とうとう俺は恐る恐る尋ねてみた。

「静かにしろ!」

怒鳴られただけだった。

俺は急に悪寒を感じた。背中の骨の辺りが寒くなり、氷を飲み込んだかのように全身が冷える。けして温度は下がってはいないのに。

「きゃあ!」

子供たちのうち唯一の女の子が悲鳴を上げた。なぜ叫んだのかが分かると、俺も悲鳴をあげたくなった。白い靄のような物が俺たちの周りを取り囲んで、風もないのにゆっくり回っている。

「出た」

石が当たった子ががちがち震えながらかろうじて呟く。出たってまさか。

「ゆ、幽霊?  これが?  まさか、いる訳ないって、そんなの」

なっと俺はキャロルの肩を叩こうとして空振りをした。キャロルはしゃがんで石ころをつまみ上げながら、悪いけどと首を振る。

「どうも大当たりだったみたいね、これは」
「……本物?」
「アキトは前提自体が間違っている。そもそも幽霊は存在する。本来行くべき所へ行かずに世界をさまよう哀れな人だった者たちは確実にいるんだ。そして時には生者に牙をむく恐ろしい敵になる」

キャロルは起き上がって、俺の肩を同情するように叩いた。

「アキトの世界はいないようだね。羨ましい」

そっか俺ってば恵まれていたんだなぁと考える余裕は今の俺にはなかった。

「で、で、で、どうするんだ?」

内心恐慌状態に陥りながら必死に外に出さないように俺は努めた。自分より幼い子供が3人もいる前でヒステリーを起こすわけにもいかない。俺にだって誇りというものがある。

「さぁ、どうなるんだろうね。幽霊には刃物は聞かないし、あたしは物理攻撃以外の攻撃手段を持っていないし」

誇りが粉々に砕けそうになった。キャロルって、冷たい……

「う……  うわぁぁん!」

とうとう女の子が泣き出した。小さい方の男の子もつられて涙ぐむ。

「おい、ルル、泣くな!」

大きい男の子が怒った。俺も自分の感情を棚上げにして女の子をあやす。

「泣くなよ、平気だって。えっと」

困った。慰められない。

「イーザーが何とかしてくれるさ!  きっと」

はなはだしく他力本願だったが、これしかない。

「そうだよな、イーザー?  幽霊退治をしようとしたくらいなんだから、何とかできるよな?  なっ?  なっ?」
「まぁな」

こちらを向きもしなかった。

「でも騒ぐなよ。子供ならともかく俺と同じ年で大騒ぎするなよ。集中できない」

それは無理だ、イーザー。俺は今恐慌寸前だ。

「姿を現せ!」

俺たちを後ろにかばった状態でイーザーは怒鳴った。生暖かい風が強くなり、その辺の石が宙に浮かび、イーザーの腕やほおに軽い音を立てて当たる。これがいわゆるポルターガイストという奴なのだろうか。「ぐっ」とイーザーがうめいて後ろへ下がった。

「イーザー、何で何もないのにそうするんだよ」
「何もないのかは、あたしやアキトには分からない事だよ。じっとしておいた方がいい」
「う……」

真剣にイーザーの様子を見守っているキャロルにそう言われて、しぶしぶ口を閉じる。イーザーとキャロルだけが怖がっていない。

「このっ」

イーザーは拳をにぎり直し、歯を食いしばって前を向いた。

「門をくぐるべき身でありながら、現にとどまりし者よ、姿を見せろ!」

イーザーが発したとは思えないほど、それは堂々としていて自信と威厳に満ちていた。俺はほんの少し恐怖を忘れイーザーを見た。まっすぐ前だけを見ている。

「剣は境界、境は門、我らは鍵。

錠門魔道士の名において、俺の前に姿を見せろ!」

それに答えたのか、もやがイーザーの前に集まっておぼろげながらも人型を取った。ただ3メートルぐらいはあるが。

イーザーはさらに歯を食いしばって、腰にくくりつけてある皮袋から黄色い粉を一握りつかみ、自分から半円を描くように撒いた。何回か荒い呼吸を繰り返して、それから人影を見上げる。

「お前はさまよえし者か?  門の先へ行く事を望むか?」

人影は何も言わない。心なしか寒気が緩くなった。イーザーは目を閉じる。

「そうか。なら俺が導こう」

俺たちか、もっと親しい友人に話しかけるように声の大きさを落とし、俺には意味の分からない言葉を口ずさんだ。1回ではなく何回も何回も、口の中で転がすようにくり返し。

「おい、イーザー」
「しっ、黙って」

俺はキャロルに制された。

「キャロル、イーザーが何をしているのか、分かるのか?」
「大体は。アキト、静かにして。ここで何もかもぶち壊したくはないでしょう?」
「うん」
「ならこれ以上何も言わないで。事情は後で説明するから」

言葉は穏やかだが、目が「これ以上喋ると実力行使で黙らせる」と語っている。俺は何も言わずに口を閉じた。

イーザーは例の、俺には聞き取れない言葉で今までのくり返しとは何かを言った。それと突然周囲の空気が軽くなる。人型のもやが離反し、ただの大気となってしまう。同時に今までずっと感じていた悪寒も不安も、奇妙に心を圧迫していた何かも霧か霞かと消えていく。

「うあ?」

俺は驚いて胸の辺りを押さえた。泣いてぐずっていた女の子も不思議そうに目を開く。

「お化けは?」
「大丈夫」

イーザーは額に玉のように浮いていた汗を服の袖でぬぐい、剣を鞘に収めた。女の子の視線までしゃがむ。

「もう大丈夫、本来いるべき所へ帰ったよ。もともと悪意はなかったんだ。分からなかっただけだ。俺がきちんと案内した。もうここには彼らは来ない」
「う……  うわぁぁん!」

また女の子は泣き出した。でも今度は恐怖からではなく、安堵から。

「で、何で君たちはここにいるんだ?」
「カーチスが」
「兄ちゃんが、本当に幽霊を消してくれるか見張っていたんだ。どうせ嘘だろうって帰っちゃうかもしれなくて」

背の高い子供が、すねたように言い訳をする。やれやれとイーザーはその子の頭に手を置いた。

「危ないって、俺は言っただろう。ここにいた彼らはちっとも危険じゃなかったけど、亡霊の中には聖者を激しく憎んでいる物もいるんだから」

無事でよかったな、もうしちゃ駄目だぞと優しくイーザーは頭をなでた。カーチスとやらの顔が、今にも泣き出しそうに歪む。

「さて、で、何でお前たちまでここにいる?」

俺たちには子供たちのように優しく振る舞うつもりは毛頭ないらしい。

「いや、本当に夕飯を届けにきたんだよ。後だまされているに決まっているからその事も伝えようと思って。本当だったんだな、はは」
「はは、じゃない。がせと真実の区別くらいつく。俺を何だと思っているんだ?  まったく」
「それより今のは何だ?  錠門魔道士ってなんだ?」
「う、アキトのくせに、よく聞いていたな。それは」
「イーザー」

キャロルが水を差した。片目をつぶって子供たちを親指で指す。

「あの子達を家に送るのを先にしない?」

その通りだった。謎はいくつもあるが、俺はそれを後回しにして、今やるべき事を見た。


「錠門魔道士というのは」

すっかり夜もふけた土竜神殿の一室にて、イーザーは話し始めた。

「生けし生けとし者の生と死を司る秘術魔道を使う者たちの事だ」
「何で錠門なんだ?」
「現世と死者たちの冥の国を隔てる物は門だ。強固で、けして揺るがない門。ただ人の身で開ける事が出来るのは秘術魔道を伝える一族のみだ。俺の一族は、その錠門魔道士の一族だ」
「え」

俺は心底驚いて立ち上がった。イーザーが表情を曇らせ、キャロルが口を開きかける。

「イーザーまで人間じゃなかったのか」
「誰がだ!」

イーザーも立ち上がって怒鳴った。

「だって、一族って」
「に、人間にだって部族も家系もあるよ、アキト」

キャロルが大爆笑しながら、涙ながらに訂正した。

「俺は錠門魔道士の部族の村出身なんだよ。一流の剣士になりたくて、こうしているけどな」

そこまで言って落ち着いたのか、イーザーは座り直した。

「見られたから話したけど、この事は他言無用だぞ。錠門魔術は秘術なんだ。おいそれ話していい物ではない」
「ああ」

俺は納得してうなずいた。前々からイーザーが魔法を使えるって言う事を言っていたけど、こう言う事だったのか。

「そういえば、キャロルは驚かないのか?」
「あたしはイーザーたちの事を多少は調べていたからね。錠門魔法なんて知らないけど、魔法を使うことは知っていたし、それくらいじゃ驚かないわよ」
「そういえば、そうだったな」

忘れていた。俺は照れ隠しに頭をかいた。


次の日。

「どうもありがとうございました。これは少しですが」

イーザーが土竜神官にお礼を言っている間、俺とキャロルは外で待っていた。

今日もいい天気だった。上空は風が強いらしく、多めの雲が次々に流れていく。とても昨日幽霊騒ぎがあったとは思えない。俺はそれを不安げに見守っていた。

「ん、どうしたの、アキト。筋肉痛?」

キャロルがにやにやしながら問いかける。とても嬉しそうだった。

「まぁな」

俺は苦笑してあいまいに答えた。それもある。ずいぶんましになったが、それでも歩くだけでも筋肉がきしむ。でもそんな事よりも大切な事があった。

「あの!」

甲高い声に俺は振り返った。昨日の3人の子供が、緊張したようにもじもじとしている。

「えっと、カーチスとルルとコナーだよな。何の用だ?」
「これ」

女の子が、そっと麻袋を出した。

「これをあの、お兄ちゃんに」

俺が受け取ると、3人は逃げるように走り去った。

「なんだ、一体あれは」
「中は何、アキト」
「えっと」

俺は封を解き開けてみた。中からはくすんだ胴の硬貨が3枚とどんぐりのような木の実がたくさん入っている。

「何のつもりなんだ?」
「お礼じゃない?  かわいいわね」
「へぇ」

やっと土神殿から出てきたイーザーにキャロルは麻袋を持って行き、なにやら話しかけている。イーザーの表情が明るくなり、にこにこしながら袋を受け取った。その様子は俺よりずっと年下のようだ。俺はそれには加わらず、ぼんやり考え事をしていた。

もう3日はカーリキリトにいる。最近は声も来なく、日本にも帰っていない。

もしかして、このままなし崩し的にカーリキリトにい続けるのじゃあ。可能性はあった。そもそもなんでこうなったのかも分かっていないんだ。俺にとって分からない理由で置き去りにされる。そういう事は十分にありうる。

俺はぞっとしてその考えを振り払った。そんな不吉な事は考えるな。考えても仕方のない事だ。俺は息を吐いて空を見た。

雲が飛んでいく。きっとすぐに雲は晴れて青空のみが広がるだろう。