三つ首白鳥亭

−カーリキリト−

俺たち3人は夜明けまでまだまだあるというのに、道を歩いていた。周囲は真っ暗で懐中電灯がないと一歩も前へ進めそうにない。そんな中、俺は眠いのも疲れたのも我慢して、いかにも何でもないかのように歩き進んでいた。

草木も獣も眠っている時間にさまよっているのには訳がある。昨日の夕方、俺たちは街道沿いの小さな村へ着いて、そこにあった酒場の納屋にお金を出して泊まった。そして真夜中、その村に住む1人の子供が高熱を出したらしいのだが、なんとそれがキャロルの責任にされて、村を追い出された。彼らいわく、地下道の一族は病気をたくさん持っていて人間に振りまく、そして人間が苦しむのを楽しく見ているそうだ。もちろん俺とイーザーは猛烈抗議したが、多勢に無勢、このままだと集団で襲われそうだから歯軋りしながら村を出た。もちろん宿泊代は返ってこなかった。

俺は前のキャロルをちらりと見た。その言いがかりに怒った俺とたけり狂ったイーザーとは裏腹に、引く事を一番主張したのはキャロルだった。こんな事は慣れているとばかりに今も先頭を進んでいるが、内心は絶対傷付いているだろう。俺はキャロルに負い目を感じてほしくないからやはり何て事がないかのように振る舞った。しかし内心腹が立ってしょうがない。キャロルは確かに人間ではないが、すごくいい奴だ。それなのに良く知りもしないで扱われるのは腹が立つ。

「いつ朝食にする?」

何事もなかったかのように平然とキャロルは俺たちに振りかえった。

「日が昇ってからにしよう。どこか座れる場所を探して、のんびりいこう」

イーザーが空を見上げる。

「しかし、本当にあいつらには腹が立ったな。どこにでもああいう奴はいるとはいえ、決闘してねじ伏せたくなったぞ」

イーザーは俺が気を使って言わなかった事を言う。まだまだ怒髪、天をつくの状態にあるらしい。

「勝てっこないでしょう」
「1対1ならあいつらの誰にも負けない」
「そういうのはよしなよ。うっかり負けたときにみっともないよ。まぁいいじゃないの、無事に逃げたのだし」
「あんな連中になんて負けるものか!」
「強さと人格は無関係だよ。数の力には逆らわない方が利口、利口」

キャロルになだめられているイーザーに、俺は立場が逆なのではと思った。

「まぁまぁイーザー、あっちに岩みたいなのがあるぜ。あの辺で座って日が昇るのを待とうよ。なんなら、火を灯すのもいいだろうしさ」

何で俺が2人の気を使わないといけないのだろう、この2人はひょっとしたら相性が良くないのかもしれないとささやかながらも悩みつつ、俺は前を指差して口論を止めさせようとした。

キャロルが当たり前のように俺の襟首をつかむ。

「あそこから少し離れた所で、朝を待った方がいいかもね」
「何でだ? 寄りかかる所がある方がいいだろう」
「何でって、一目瞭然よ」
「よく分からない。詳しく説明してくれ」

俺にとって状況がよく分からないのはよくある事だが、今回はイーザーにも通じていないらしい。大きくイーザーもうなずいた。

「これだから、夜目が見えない人たちは。説明するのが面倒だから、行って見てみたら?」

なんだそれは。訳が分からないながらも、言われたとおりに素直に俺は言ってみる事にした。

「止めとけ」

なぜかイーザーに止められた。

「ん? イーザーは何か分かったのか?」
「薄々は。血の臭いがする」
「え」

俺はその場で立ち止まった。自慢にすらならないが、血は苦手だ。別に気が弱いとか女々しいという訳ではない。ここと日本では、流れる血の量が圧倒的に違いすぎて慣れないだけだ。日本で流れる血といったら、せいぜいけんかで流血沙汰なのに対し、こっちは人死にが出ることもありうる。

「誰か、怪我しているとか? それともまさか死んでいるとか」
「まさかではなく死んでいるんじゃないの? ぱっと見て3人、臭いからして5人以上。アキトが岩と見間違えたのはひっくり返った馬車。たぶん行商人というところかな。追剥ぎか、山賊か」
「もういい、もういい、それ以上言うな」

まだ俺はその血の臭いをかぎ分けられないが、キャロルの淡々とした事実に吐き気がしてきた。懐中電灯をイーザーに渡し、道端であろう場所にへたり込む。想像するだけで気持ちが悪くなってきた。

「悪いね、アキト。イーザー、ここから早く離れよう。臭いで変な動物が来られると困るし、山賊にあたしたちまで襲われるのはごめんだ」
「駄目だ、きちんと埋葬して弔わないと」

よくイーザーは素面でそんな事が言えるな。人として正しい行動だけど、俺はまだ死体を直視出来ない。

「どうぞ。そう言うとは思ったよ」

キャロルは投げやりに言って、その辺に座り込んだ。


だから俺たちはその場で朝食を食べて、明るくなってから墓作りにいそしんだ。

そんな状況でよく食事が出来るもんだと我ながら思ったが、暗くて見えないし臭いもまだ感じないので、自分をごまかして食事をした。こういうとき、平然としているイーザーとキャロルが羨ましい。

しかし日が昇った後は自分をごまかしきれなくなった。なるべくなるべくそっちの方を見ないようにして、遺体検証はキャロルに任せ、俺はイーザーの命じるままに6つの俺が入れるほどの穴をせっせと掘った。スコップもシャベルもなく、剣を代わりに使うというとんでもない状況で昼ごろには腕と腰がしびれるように痛かったが、それでもキャロルが楽そうでいいなとは思わなかった。埋葬は完全に2人に任せ、俺は死体が完全に土の中に埋まってからやっとそれらを見る気になった。

「情けないね、アキト。少しは慣れないとこの先苦労するよ? まぁ今貧血で倒れられても困るからいいけど」

慣れてどうせいと言うのだ、キャロル。埋葬の祈りの言葉らしい、俺には理解できない言葉を即席の墓の前で唱えるイーザーを尻目に、俺はキャロルにこっそり聞いた。

「キャロル、山賊って、まだこの辺にいるのか?」
「うん。確実にね」
「これからどうするんだ?」
「どうするって、進むんじゃない? 出会うかどうかは運任せだし、戻るのは道を改めて考え直さないといけないしね。それは時間がかかるよ」
「それで、もし山賊に会ったらどうするんだ?」
「どうしようか」
「おい」
「冗談よ。普通、あたしたちみたいないかにも貧乏そうなものは襲わないから、心配する事はない。もし襲われても、あたしとイーザーがいるんだ。すきを見て逃げるよ」

そう簡単にいけばいいのだけど。俺は頭をひねったがキャロルが太鼓判を押した以上、それ以上追求をせずに俺は黙ってイーザーの方を見た。祈りは終わったらしく、への字の口の、いかにも不機嫌そうに俺たちに手を上げる。

「行こうか」
「あ、うん」

俺は直感した。今イーザーにも積極的に触れ合わない方がいい。親切かつ熱血家のイーザーはこの事に心底義憤を感じているらしい。下手に話しかけて八つ当たりされるのはいやだし、そうでなくても不機嫌な人間のそばには近寄りたくない。俺は心なし2人の後ろの方で荷物を持ち直してついていった。

その後の道中は3人とも無言で、非常に気まずい思いをした。イーザーは和やかになる気は全くないであろうし、キャロルも雰囲気が悪い事はどうでもいいらしかった。よく考えれば多少雰囲気が悪かろうが道のりにも歩く早さにも影響しないので、それに無関心のキャロルは正しい。しかしながらキャロルに比べて精神的に弱い俺としては気が気でなかった。

話さないので自然に目線は周囲に向かう。回りは人気のない森だった。葉は深緑で幹が濃茶、というよりは黒に見える木々はいかにも不吉そうに生い茂り、あちこちで灰色の苔や生気のない黄緑の下草が見える。獣や鳥の鳴き声1つなく、俺たちと同じように静まり返っている。視界のすみっこに小さな虫が這いずり回るのを見た。他の生き物の気配がすればしたで、猪や狼に襲われないか怯えるのだから不安に思うのは間違っているのだが、それでも何かの音がほしい。いい加減息が詰まる。

しかしよく考えてみれば、これらの中に山賊がいるのだった。そうしてみると、これくらい陰気な方がいいのかもしれない。むしろ俺は鳥獣の声を希望するより先に山賊に出会わない事を祈るべきだったのかもしれない。今更ながらそう考えると冷や汗が出てきた。

「あのさ、もし山賊が出たら、俺はどう動けばいい?」
「どうって。やけに黙っていると思っていたら、それを考えていたんだ」

俺が黙っていたのは声をかけるにかけられない空気だったからだよ、キャロル。

「その時その時で取る方法は違うし、一概にこうしろといったらアキトはかえってまずい事になりそうな気がするんだけどな。どうせ弱いんだし」

悪かったな。

「絶対に1人にならない事、戦闘よりも逃亡を優先する事。それだけを守ってね。そうすれば後は何とかするから」
「ああ」

やっと助言らしき助言を聞くことが出来た。その2つを心に刻んでおく。簡単な助言で守るのは楽そうだ。

「天気が崩れそうね」

キャロルが空を仰いで、小声で呟いた。

「え? そうなの? 結構いい天気だと思うけど」

雲1つない、とまではいかないが空の大半が青空の心地良い天候だ。これから雨が降るとは思えない。イーザーも俺と同じように眉をひそめた。

「そうか。なら、早いうちに避難出来る所を探しておくか」

しかしイーザーはキャロルの事を信用したらしい。

「イーザー、イーザーも雨が降ると思っているのか?」
「いや、思っていない」
「ならどうして」
「でもキャロルがそう言っているだろ。人間よりも獣人の感性の方がはるかに鋭いのは当たり前の事だ」

そうだったのか。俺は知らなかった。

「そのキャロルが警告したんだ。従うのは当然だろ」
「そうか。もし外れたら?」
「早めに寝るだけだよ」

なるほど。当たってずぶぬれになるよりはましだな。

「だから急ごう。昨日の夜から歩いていたんだし、この上雨に降られたくない」
「ええ」
「分かった」

俺たちは仲良くうなずきあった。


俺たちの見通しは思った以上に悪かった。まだのんびり歩いていた昼過ぎ、空が暗くなったなと思いきや水滴が頭に当たり、雨が降り出した。雨はすぐにどしゃ降りとなり、俺たちは慌ててその辺の大木の下に雨宿りするはめになった。

「こんなに早いなんて」

イーザーが舌打ちをしながらぬれた髪をしぼる。黒い髪から水玉が滴った。

「困るね。風邪ひいちゃうわよ」

キャロルもまた貫頭衣をしぼり、雨で顔に張り付いた髪を撫でつける。いつも癖の強い髪は珍しくまっすぐに落ちていて、そんな時ではないのに俺は珍しいと凝視してしまった。ちなみに色っぽいと思ってしまった事は永遠に胸の内にしまっておく。

「どれくらい降ると思う?」
「長いぞ。下手をすれば数日はずっとこのままだ。今のうちに覚悟を決めて出発した方がいいかもしれない」

雨は冷たく、体中が冷えた。ぬれた服は体に張り付き、気持ち悪いだけではなく体温を奪う。特に手足などは半分感覚が消えかけていて、俺は真冬にそうするようにこすり合わせて暖める。日本とは違って酸性雨の心配はないな、何て考えは慰めにもならなかった。イーザーが真剣に俺の様子を見てから「雨が少しでも小降りになったら」と言いかけ、変な顔でしゃっくりをする。

「おい、キャロル!」
「分かっているわよ。平常心平常心、何でもない顔をして。気づかれる」

キャロルは全くいつもと変わらずに長い手袋を脱いだ。下から獣の毛で覆われた腕が見える。いつもさりげなく隠している事だが、これをみる度にキャロルは俺とは違う生き物である事を知る。

「一体どうしたんだ? 何かおかしい事があったのか?」

もういつもの事だが、俺にはさっぱり事情が飲み込めなかった。

「アキト、平常心でね」
「あ、うん」
「山賊らしき者たちに囲まれたみたい」

それでどうやって平常心を保てというのだろうか。

「ぶぇ!? 本当か!」
「大声を出さないでって。あたしの見たところ、3人以上。じっとこっちの様子を見ているみたい」

キャロルは一見無邪気な、しかし目だけは明らかにそうではない笑いを見せた。正直、その笑顔の対象が俺でないと分かっていても怖い。

「少しちょっかいを出してみようっている腹かしら。たった3人で何が出来るっているのさ」
「俺たちも3人だぜ、キャロル。そもそも、襲われないと言ったじゃないか」
「何事も予想外という物はある。潔く諦めて今後の対策を練ろうよ。イーザー、どうしたらいいと思う?」
「どうするって、正面きって戦おうとしても勝ち目はないだろう。向こうは山賊なんだし、地の利もある、おまけにこっちのアキトは半分戦力外なんだ」

やはりイーザーも平常心を保ちきれないようで、緊張したように剣に触れた。しかし俺は戦力外か。否定できない所が悲しい。

「だから、キャロルがわざと敵を引き寄せて、その隙に俺とアキトが逃げる。出来るか、キャロル」
「誰に向かって言っているの」

キャロルはさりげなく、足元に転がっている幾つかの小石を拾った。

「あのな、本当を言うと、キャロルは女だからこういう風におとりになってほしくないんだよ。でも俺よりもキャロルのほうが向いているんだよな、間違いなく」

うつむいて首を傾げるイーザーは、本当にやりたくないんだというのが伝わった。

「男女差別はよくない」
「差別じゃない。誇りの問題だ」
「地下道の一族に誇りを説かれても困るよ。じゃあ、そう言う事で」

キャロルは流して小石を手に木陰から雨の中を出て行った。小石を真上に顔の高さまで投げては取る、を3回くり返し、突然木陰へ向かって投げる。その勢いは俺に向かって投げていたのとは気迫も速度も段違いだった。弓矢のように一直線に木陰に小石は吸い込まれ、くぐもった悲鳴が聞こえた。キャロルは剣を抜き、無音の気合と共に森へ走っていく。

「行くぞ」

イーザーが簡潔にそう言うと、抜き身の剣を手にキャロルと反対側に走り出した。俺は後ろを気に駆けつつも、置いていかれないようについていく。足場が水をたっぷり含んだ泥沼で俺は転ばないかと真剣に心配した。いつもは転んでも痛いだけだが、この場では命に関わる。背後から重い靴の足音がすぐ後ろから来て、振動が首筋に響いた。

「追って来ているぞ!」
「知っている! がんばって逃げろ」
「がんばれって、無茶言うな!」

世の中、どんなにがんばっても無理な事がある。例えばキャロルに口で勝つとか、イーザーに剣の稽古で一本取るとか。肉体能力でカーリキリト人に勝つとか。

転ばんばかりの死に物狂いで走っても、追いつかれたら比喩抜きで殺されるというのが分かっていても、背後の足音はだんだん大きくなっていく。俺は悔しくて泣きたくなってきた。どんなに全力でやっても追いつくことの出来ない壁がある。

手前のイーザーが突然減速した。街道の木で出来た道標に身体全体でぶつかるようにして無理に止まり、そのまま道標を蹴り飛ばして、雨にぬれた抜き身の剣を山賊に向ける。俺は止まろうとして勢いを殺せず、泥水に頭からつっこんだ。

「ぐぇ」

気温は間違いなく寒いはずなのに俺は全身に汗をかいていた。うっかり飲み込んだ泥水を吐き出そうとして逆に呼吸が止まり、地面に両手を着いてむせる。俺は自分が息を切らしていた事にやっと思い当たった。雨が降っているのに喉には一滴の水も存在しないかのように乾いていて、空風のような呼吸音が耳にうるさく聞こえた。

のんびり苦しんでいる暇はない事は分かっている。雨と泥水と、少しだけそれ以外のものが混じった目をこすり、何とか俺は立とうともがいた。やっと視界がいつも通りになった俺は、泥水がやけに鮮やかな緋色に染まっているのを見た。

「あ」

振り返る。そこには雨によって色が落ちているものの、紛れもなく緋色の剣と、それを持ってうつむいているイーザーと、地に伏しているぼろぼろの服の男がいた。緋色は男の下から湧き出ている。

「うえぇ……」

俺が水溜りの中で泳いでいた時何が起きたのか。理解した瞬間に俺は乏しい朝食を戻していた。あのままだったらそこに寝ていたのは俺だっただろうし、襲ってきた俺たちは悪くなく、イーザーは全く非はない事は分かっているけど、吐き気は胃の中が空っぽになっても治まらなかった。

「立てるか?」

しばらくしてやっと俺が落ち着いた時を見計らってイーザーは口を開いた。

「な、なんとか」
「水でも飲むか?」
「いい」口の中が気持ち悪いが、何かを口に入れたらまた戻してしまいそうな気がする。

その男の服でイーザーは剣の汚れを拭いて鞘に戻した。よろめきながら立ち上がった俺に肩を貸そうかどうか迷って、止める。俺も少し貸してほしかったが、1人で立てたのでそのままスタッフを杖代わりにして歩き出した。もう走る必要はない。

「強いな、イーザー」

黙って歩くのも気まずいので、俺から口を開いた。

「そんな事はない。あれは不意を付いただけだ。まっとうに戦えば向こうが勝つ。奴らは失うものがないからな」

うつむきながらのイーザーはそんな自分がひどく悔しそうだった。歯を食いしばる。

「もし俺がもっと強ければ、山賊なんて皆倒してやるのに」

俺は何でそこまでイーザーが気落ちするのかが分からなかった。

「……いいじゃないか、別に。確かにキャロルは心配だけど、自信満々だったしなんとかやっているよ。それとも山賊がそんなに嫌いか?」

言ってから何変な事をと後悔した。襲われて好きである訳がない。

「嫌いだよ。もちろん。同族嫌悪という意味も含めてな」
「同族嫌悪?」

どう言う事なんだろう。どんなに贔屓目を排除しても、勇敢で意外と優しいイーザーと問答無用に襲ってくる山賊が同じ類の人間とは思えない。

「つまり、山賊たちは食い詰めた傭兵、税が払えない農民、騎士崩れ、そして夢を追って敗れた武者修行の若者とかがなる。そういう意味では俺と奴らは同類だ。俺はいい友人に恵まれたし腕も自慢するつもりはないが結構いい。でももし運が悪かったら、何かあって食うに困ってどうしようもなくなったら、俺も山賊や盗賊になっていたかもしれない」

イーザーは血と雨でぬれて色が変わった前髪をぬぐおうともしなかった。髪が顔に張り付き表情を隠す。

「だからなおさら、奴らのようなものは許さない」

俺は後ろを振りかえった。もうあの男の姿は見えない。

イーザーの言った事は、そっくりそのまま俺にも当てはまった。俺だって、もしもあの場にイーザーや、フィルさえいなかったらどうしていた事か。十中八九野垂れ死にであろうし生き延びていても犯罪者になっていたかもしれない。そう思うと襲われたというのに奇妙に彼らに同情を感じ、そして鳥肌が立った。今俺はここでは恵まれている。それはひとえに幸運だっただけで、1つ間違えればあそこで雨に打たれて倒れているのは俺だったのかもしれない。けしてこの世界は異邦人に優しい世界ではない。そう思うと無性に恐ろしくなった。何に対して恐ろしいのか、それは俺にも分からなかったが。

「そろそろ、雨が止むな」

不意にイーザーは空を見上げて呟いた。俺もつられる。灰色の空はけしてそうには見えないが、心なしか雨量が小降りになってきた気がする。

背後から呼びかける声がした。振り返ると、キャロルが無傷で俺たちに向かって走ってきている。俺は無性に嬉しくなって子供のように手を振った。