三つ首白鳥亭

−カーリキリト−

地下道の娘 3

目が覚めて、俺は改めて自分が寝ていた事を知った。

ぼんやりする頭で俺は起き上がって考える。真っ先に考えたのは、どうして俺はいきなりあんな所で寝たんだろう、という事だった。自分でも不思議だ。確かに寝不足だったがそこまでではないし、第一興奮していたんだから寝る訳はないんだけど。

「あ、もしかして」

あれが魔法という奴だったのではないだろうか。俺は自分にかけられて事はないが、そうでもしないと説明ができない。とはいえ、魔法だけでは説明になっていないが。

「あの後どうなったんだ?」

解毒剤はどうなったんだろうか。あんなに叫んだのだからちゃんと使われているとは思うが、どうなんだろう。そして俺は今どこにいるんだろう。寝たせいか気分が落ち着いてすっきりした俺は、行動の手始めとしてあたりを見渡した。

何もないところだった。床すらなく、地面がむきだしになっている8畳くらいの土間で、レンガ造りの壁が四方を囲んでいる。俺の身長より1メートルくらいのところに小さな窓があって、鉄格子で塞いでいる。大きな扉には残念ながらといおうか当然といおうか。鍵がかかっていて開かない。部屋の真ん中には俺の荷物がナイフで切り裂かれて転がっていた。

「ひで。何でこんなことするんだよ」

俺は怒るよりも先に、なんだか悲しくなって荷物を手にした。地下道の一底のところでああいう目に会って、人間側でもこういう目にあるのか…… と、ふと気付く。中の荷物がほとんどそのままだった。さすがにイーザーからもらったナイフとか、危ないものは取られていたが、それ以外には何も失ってはいない。なめられているのか、ただ調べたかっただけなのか、でもなんで切り裂くのか。そこまで考えて、俺はかばんのファスナーを見て、ふと気付いた。ひょっとして、ファスナーの開け方が分からなかっただけだったりしてな。

「そんなことで切り裂かれたら、かばんもたまらないよ」

俺はそれ以外に何かあるか見てみた。何もないみたいだ。

「誰かいないか?」

行動の手始めとして俺は扉の向こうに呼びかけてみた。返事はない。

「聞きたいことが1杯あるんだ。ここはどこだ? あの後どうなったんだ?」

何を言ってもしばらく待っても、うんともすんとも返事は返らなかった。俺は諦めた。この向こうには人はいないらしい。

これからどうしようか。俺は壁に穴が開いていないか、でなければもろい所はないか探してみたが、徒労に終わった。

「せめて、外の様子が知りたい」

俺は小窓を見上げた。あそこぐらいしか外が見える場所はない。でもとてもではないが届きそうにもない。その場で飛んでみるが、もちろん駄目だった。助走をつけて飛ぶのはどうかと試そうとして、俺はもっといい方法に気がついた。

「確かかばんに入れたよな、俺」

切り裂かれたかばんに飛びつくようにして俺は中をあさった。すぐに見つかる。

「あった、ビニールロープ!」

そのうちロープが必要になるんじゃないかと軽い気持ちでかばんに入れたこれが、今の俺には光り輝いているようにありがたく見えた。幸いにも取られてもいない。封を切っていない状態だから、丸くまとめられたこれはここの人たちにはロープとは思えなかったんだろう。後はこれの先に重りになるようなものをくくりつけて小窓に引っ掛ければ、簡単に登れる。俺はロープの先が窓にくるくるからみついて、そのロープをつたい楽々登る自分を連想した。

その考えは甘かった。重りとして財布を選んだものの、財布が落ちないようにくくりつけるまでが一苦労だった。どうやっても俺の小銭入れはビニールロープから逃れる。何十にもしてしばって、やっと安心して投げたら、財布は一重にも鉄格子に絡みつかずに向こう側に落ちた。

「そんな」

とはいえ、考えてみたら当然だった。俺は今まで鉄の棒に先に重りが付いた紐を絡ませる練習はしていないし、冷静に考えると難しいことのような気がする。何回かやって1回もうまくいかなかったので、俺はあきらめて別の方法を考えてみた。

どうしても外が見たい。様子だけでも知りたい、外を見るための手段は小窓をよじ登るしかない。ロープで引っ掛けるのができないならば、ロープの先に何か長いものを結んで鉄格子に引っ掛けて、それからロープで上に上がるというのはどうだろう。いい考えに思えた。

早速俺はお茶の入ったペットボトルでやることにした。これから真ん中にくぼみがあるし、重いからちゃんとした支えになるだろう。俺は投げてみて、ロープの反対側が向こうに落ちたらすかさず引っぱった。ペットボトルが引っかかった……かに見えたが、次にペットボトルは上部の丸みで滑って戻ってきた。

また俺はくじけそうになったが、うまくいきかけたんだから、と自分を励ましてと再挑戦する。3,4回やって、突然ロープが軽くなり、空の先端が戻ってきた。

「すっぽぬけた。このっ」

地面を蹴飛ばして八つ当たりをする。もう一回蹴ろうとして、そのまましゃがみこむ。

「俺には無理かもな」

ため息をついて俺はひざの上にひじをついた。何やっているんだろう、俺。どうも何もかも駄目になっていく。動けば動くほど、どこかで何かが壊れる。硝子細工で一杯の部屋で目隠しをして歩いているみたいだった。急に空しくなってそのまま寝転がった。

「こうなるんだったらイーザーの言う通り宿でじっとしていればよかった。あ〜あ」

あのまま朝まで寝て、ひたすらじっとしていれば。俺はこんな所じゃなく、荒いし肌触りは悪いとはいえ一応はベットの上に転がっていたんだろう。そもそも地下道の一族にひどい目に合わされることはなかっただろうし……

地下道の一族。それにまで考えがいきわたり、俺は跳ね起きた。

「何やっているんだよ、俺」

まだ寝ぼけていたみたいだった。どんなに悔しがろうと後悔しようともうそれは起こってしまったこと、済んだことだ。事態は動いていて止められない、そして俺はこれを引き起こしたからには行かないといけない。ここで腐って横になっていても事態は良くならないし、それはキャロルを裏切ることになる。それは絶対に嫌だった。今何をしているのか、どんなことになっているのか分からないキャロルに比べたら今の俺なんて幸せそのものだ。

俺は立って、他に何か支えになる何かを荷物から探し始めた。

「これなんかどうかな」

俺は折り畳み傘を出した。骨があるからそれなりに丈夫だろうし、他のものと違って羽の部分は柔らかいからきつく締め付ければすっぽ抜けないだろう。俺はそれをはさみでもなければ解けないほどきつく結びつけて、祈りを込めて投げた。2回失敗した後、折りたたみ傘はがっちり引っかかった。よし!

1回引っかかれば後は楽だった。俺はいつ傘が落ちないか、ロープが切れないかと思いながらとひやひやしながらビニールロープで登る。大した距離ではないとはいえ、ロープが手に食いこんで痛かった。2メートルぐらいでやっと俺は小窓から外を見ることができた。どうもここは館の敷地内みたいだ。目の前には館の一部がある。

そこで俺は何気なくロープから手を放して鉄格子へつかみ直した。単にその方が落ちる可能性が経るし、手も痛まないという理由だったがつかんだ鉄格子がさびだらけで回ることに初めて気がついた。上下に動かしてみようとすると軽い音を立てて揺れる。

俺は目の前にあるとんでもなく重いものがすとんと落ちた気分だった。だから引っかかりにくかったのかと納得する反面、狂おしいほどの希望がわいてきた。これを外せば外に出られる。早速一番頑丈そうな鉄格子を奴を右手でつかんで、左手で折りたたみ傘を取って下へ下ろしてから、適当な鉄格子を一本外そうとし始める。

簡単ではない作業だった。全体重が片手にかかっているからすぐに支えている方の手は痺れてくるし、3分もしたら指が動かなくなるほど血の通いが遠ざかる。ちょくちょく支える手を交換したけど、そのたびに手をもみほぐさなくてはならなかった。おまけに作業は全部手探りでやらなくてはいけないから進んでいるのかどうかよく分からなく、じれったい。

それでも休憩なしでやったかいはあった。しばらくして1本目が外れ―ちなみに後で時計を見たら、想像していた以上に時間がかかっていた―隣立する2本目も1本目よりはすんなり外れた。

興奮する心を抑えて、俺は1回床に降りて穴の大きさを測った。……通れるかな?

もう一回、外していない側の鉄格子に傘を引っかけて登って、その穴へ入った。肩がつかえたけど、自分で思っている以上にすらりと出られる。慎重に足まで出して、そうして体形を整えて足から着地した。

やった! すごいぞ俺!

でもまだ出られただけだ。これから……まず宿でイーザーが来たかどうか確かめて、もし来ていたら相談して、それから……知り合いがどうのって言っていたから、そのひとにも言うだろうな。

そこまで考えて、足を止めた。心臓が跳ね上がる。

目の前に人がいた。女の人でこっちには気がついていないらしい。俺はその辺の物陰に隠れた。

とりあえず、脱走中の身としてはここから出る事を優先しないと。俺はこそこそ壁伝いに歩いて門まで行こうとする。

でも、門まで行っても門番がいるんだよな、ここ。どうやってここから出よう。荷物は置いてきているし、着のみ着のままの俺で何かできるのか? あれこれ考えているうちに門の近くまで来た。そっと物陰から様子をうかがう。

さて、どうしよう。門番は2人、何とかして通りたい、方法が浮かばない。そうして考えて無為に時間を過ごしていると、問題の門番が騒ぎ出した。

やば、ばれたか? そんなはずはない、門番は門の外側に向かっているんだ、俺が原因のはずがない。でもなんだろう。やがて門番を振り切って、ある一行が入ってきた。いかにもヨーロッパの騎士、と言いたげな重そうな鎧を着た大男たちで、イーザーのよりも大きな剣を持って顔は厳しい。集団だろうと個人だろうとあんまり会いたくはない種類の人々だ。それ以外の人間もいた。細身の長髪の男が1人に、俺と同じような年頃の男の子が2人……

俺は開いた口がふさがらなかった。夢ではないよな。でも、何で、どうして、そこにいるんだ? いつの間にか立ち上がった俺に向こうも気づいて、口をあの形に大きく開ける。

「イーザー!」
「アキト? お前、どうしてここにいるんだ?」

もちろん門番も騎士たちも同じ年の奴も俺に気づいた。門番は「お前は!」と手にしていた槍を握りしめ騎士たちもいっせいに俺を見る。俺は我知らず引いた。しかしイーザーは背で起こっている事は気にしないで俺に迫る。

「こんな所で何しているんだ? 宿にいたんじゃなかったのか?」
「いや、こっちで色々あって。イーザーこそ、何やっているんだ?その人たちが言っていた知り合いか?」
「ああ。それはともかく、悪いが、俺の方を優先させてもらうぞ。アキトの話は後で聞く」

イーザーは興奮して早口でそう言うと、一行のほうへ戻っていった。俺もなんともなしに行く。門番は口出ししようとして、騎士たちの一行を見て止める。その気持ち、分かるな。

俺のことなどなかったかのように騎士たちの一団は進んだ。みんな俺の事をちらりとも見もしない。1人を除いて。

「君がアキト?」

俺と同じくらいの年の男が話しかけてきた。黒い目で、茶色がかった黒髪なのになぜか前髪だけが脱色をしていて、薄い茶色になっている。赤と白の服で、白いマントには金の文字の刺繍がしてあった。腰にはごちゃごちゃ飾り付けられている剣を差しているが、生真面目そうで穏やかな顔にはあんまり似合っていない。

「あ、ああ、そう」
「ここで会えるとは思わなかった。僕はアット。イーザーの古い友人だよ。よろしく」
「こちらこそ、よろしく」

人畜無害の見本みたいな奴だな。俺は好感を持った。

先頭の騎士たちは館へ入りこんで、驚いている使用人(と、いうんだよな)を無視して奥の一室へ押し入った。騎士たちに阻まれてよく見えないけど、奥から険しい声と椅子から立ち上がる音がする。

「何者だ!」
「ポートライト卿であられるか」
「その通り。それが分かっているのなら話は早い。さっさと出て行きたまえ、さもないと」

人の隙間から頑強そうな中年男性の顔が見えた。彼がポートライト卿という人物だろうか。無事薬が届いたのか元気そうなのを見て俺は安心する。騎士の1人が言いかけたそれをさえぎって続ける。

「ポートライト卿。貴公は禁術に手を染め、地下道の一族に呪いをかけ、滅ぼそうとした。それにより貴公の領主としての権限を没収、貴公を拘束する」

先頭の騎士がそう宣言し、他の騎士たちがいっせいに部屋に入った。2人が卿と名乗る大男の左右に回る。俺はなんだかとんでもない流れに呆然とした。

「証拠はあるのか?」

意外に静かな声で、ポートライト卿は反撃した。

「お前たちのようなものにそのような無礼な仕打ちを要求されるいわれはない。私は国王陛下の命により、爵位を与えられたものだ。無礼者たちが、失せろ!」

アットはため息をついて色の薄い前髪に触れると、一歩前に出た。

「残念ですが、卿。僕の信頼すべき人物より確かなる証言を得ています。そしてこの命は僕の名において下されました。貴公は従わざるをえません」

ポートライト卿は疑わしそうにアットを見て、いきなり目をこじ開けた。

「殿下!」
「その通りです」

アットは気乗りしないように頷き、自分を励ますように背中を伸ばした。

「アティリス・フィォラ・ジェネ・フォローの名において、ポートライト卿の権限を僕が保有し、今日の身柄を拘束する」

さっきの騎士と比べて威厳が足りなかったが、硬貨は桁違いだった。今日は全身ぶれが来るほど震え、力尽きたように膝をついた。

俺はイーザーにそっと聞いた。

「イーザー、アットって偉い人なのか?」
「おい」

イーザーは深いため息をついた。

「驚かないと思ったら、分かっていなかっただけか。いいか、アットはフォロー王国第一王位継承者だ」
「……」

この時の俺は49パーセントのよく分からないと51パーセントの分かったけど分かりたくないからできていた。

「まだ分からないのか? 要は、アットはこの国の殿下、王子様なんだよ!」

100パーセント理解した。

「うえぇぇ!? イーザー、王子様と友だちなのか!?」
「まぁな」
「2人とも、怒鳴りあうなよ」

てきぱき部下―部下だとは思わなかった―に指示を出した後で、アットが会話に割りこんできた。そうは言うけどな、とイーザーが反論する。

「こいつは物を知らなさ過ぎるんだよ」
「仕方ないだろう。次元移動者なんだから。そう言い訳したのはイーザーだろう」
「限度がある」

イーザー、俺が喋ったら怒るくせにこいつには話したのか……と思いはしても俺は緊張して動けなかった。そんな俺にアット殿下は人の良さそうな笑顔になる。

「あんまり気にしないでよ、アキト。偉そうな身分に聞こえるけど、実は実権はそれほどないんだ。それよりなんでアキトはここにいたの? 聞かせてよ」

イーザーも俺に注目するので、俺は気持ちを切り替えて話し始めた。初めはつっかえつっかえだったけど、話が進めば進むほど口は滑らかに動いた。話が終わるとアットはそうか、と頷く。

「すぐに手配しよう。地下道のこと、キャロルと言う女性のこと。アキト、君は自分が思っている以上の事をしたね」

軽く笑いを浮かべ、イーザーをからかうように続けた。

「イーザー、掘り出し物じゃないか」
「うるさい」
「怒るなよ。イーザーにも感謝しているよ。伝えてくれてありがとう」

不快そうなイーザーの肩を叩くと、アットは笑いを引っこめた。

「明日再び話を聞かせてもらうよ。今日はもういい。宿から荷物を持って、今日は僕らが泊まる宿に移ってくれ。今回の君たちの活躍について、フォロー王国はささやかながらも恩賞を出すつもりがある。よく知らせてくれた」
「大した事はしていない。俺の方こそ、何か手伝えることがあれば言ってくれ」
「ああ」

イーザーはそれきりで門の方へ向いて行く。俺もそれに従った。イーザーに聞きたいことがあった。

最後にアットを見ると、また騎士たちと相談していた。


門をくぐって、俺は不機嫌そうに黙り込んだイーザーに軽い話題を振った。

「何でイーザーは王子様と知り合いなんだ?」
「前にパーティを組んでいた仲間の1人だ」

そこまで言って、俺の表情を見て慌てて付け加えた。

「その時はアットは王族どころか、はした貴族の1人だったんだ。だから友達になれた。色々あってアットのお兄さんが王位を継承してアットも今の地位に就いたけど、それでもアットは王族らしくないし、俺たちとも付き合いは変えていない」
「頼りになる人って、アットのことだったんだ」
「もちろん。さて、何が言いたいんだ?」
「えっ」

心臓が高鳴った。イーザーは俺を無遠慮に見ている。

「聞きたいことがあるんだろ。そっちから先に言えよ。こっちだって山ほど言いたいことを我慢しているんだ」

突き放されるように後押しされて、俺は恐る恐る口を開いた。

「キャロルだけど、大丈夫かな?」

イーザーはしばらく何も言わなかった。

「正直に言おう。俺がアキトなら希望は持たない」

そうだろうとは思っていた。けど、俺は暗くて深い穴に突き落とされたような感覚を覚えた。吸った息が胸につかえて喋ることが苦痛になる。

「でもさ、キャロルって結構強そうだったし、何とかなるかもしれないって思わないか?」
「思わない。絶望的だとは思うけど」
「……あ、そ」

俺はもう何も言わなかった。イーザーも何か言おうとして俺の表情を見、喋るのを止める。俺たちは黙って情報屋に着いた。

「あっ」

イーザーが小さく叫ぶ。俺は全身が緊張した。何だ?

「宿の追加料金払わないと。予想外に泊まったからな。お金、足りるか?」

所帯じみた悩みだ。付き合っていられん。俺は落ちこんでいるんだ。

「先行っているぞ」

上の空でイーザーはああと答えた。俺は階段をゆっくり上がって部屋のドアを開けた。鍵はかかっていない。俺がかけないで出たからだ。そろそろ夕日になってきた陽が窓から入ってきている。俺は底明かりで、部屋に誰かいることが見えた。俺のベットに寄りかかるように直接床に座っている。光が乏しいからよく見えないけど、灰色のフードつきローブで全身をすっぽりくるんでいた人物だった。

「誰だ!」

盗賊か強盗か。警戒した俺に、その人物はゆるゆる顔を上げた。

「……冷たいなぁ。もう、あたしの顔忘れたの?」

笑っているような声に、俺は耳と目と、この現実を疑った。

「キャロル!?」
「大当たり。さすがはアキト」

疲れたようにキャロルはうつむいた。

「生きて、いたのか。良かった。イーザーなんて絶望的なんて言って、もう駄目だなんて思っていたんだ。やるな、キャロル」
「当然。あたしは地下道の一族の次期影の長だもの。……違った。だった、だ。今ではめでたく犯罪者」
「キャロル、疲れているのか?なんだか投げやりだぞ」

俺は近寄って、突然気がついた。初めてイーザーと出合った時もこの臭いを感じた。錆びた鉄の臭いが口の中に広がった気がして、俺はキャロルのそばでしゃがんでフードを取った。フードの内側には黒いしみが染みこんでいて、キャロルの灰色の髪はどす黒い赤がこびりついている。

「キャロル! 怪我している」

119番が頭の中に浮かんできて、電話なんてないぜと自分で自分を突っ込んでから、医者を呼ぼうと俺は部屋を出かけた。

「アーキートー。街中の地下道の一族相手にけんかを売って五体満足なんだよ? ありがたいじゃない」

怪我のどこがありがたいんだよ。そう思ったが、口に出すより早くキャロルがさえぎる。

「うまくいったの?」

俺は一瞬何のことが分からなかった。

「あ、ああっ、そのことか。事件はイーザーがこの国の王子様を連れてきて、ポートライト卿をしょっぴいた」
「引っぱっていかれたなら、きっとすぐに元気がなくなるよ。そう、よかった……」

キャロルは目を閉じてベットに寄りかかった。まさか。

「キャロル」

そっと、硝子細工を扱うように俺はキャロルの肩に手をかけた。軽く揺する。キャロルは俺の手に合わせて小刻みに揺れた。

「キャロル」

返事はない。俺は頭の中が真っ白になった。

落ち着け、落ち着け、秋人。学校で習った事を思い出せ。まず、呼びかけをして意識がない。じゃあ呼吸しているかどうか確認する。震える右手をキャロルの鼻と口の前に差し出した。すぐに俺は手を下げる。息はあった。安堵の余りよろけて崩れ落ちそうになるが、それはまだ早い。次は止血だ。

ドアが開いて、俺の心臓を跳ね上げた。

「何やっているんだ? アキト、その人知り合いか?」
「イーザー!」

イーザーのことをすっかり忘れていた。もっとイーザーは何か言いたそうだったが俺はそれをさえぎって怒鳴った。

「キャロルが大怪我しているんだ! 医者を呼んでくれ!」
「見せろ」

短く言ってキャロルの正面に座り、イーザーは襟を合わせていた紐をほどいてローブの前をはだけさせた。俺はそれに慌てふためくより先に気が遠くなりかけて、イーザーは眉をひそめた。イーザーのものと良く似た皮鎧はいまだ流れ落ちる鮮血で赤く染まり、止め具は役に立たずに鎧は落ちそうだった。止血のつもりかきつく布をあちこちに巻いていたが、それはかえって血を吸い取るだけだった。全身切傷と打撲で、無事な体の箇所がどこにもない。俺は正視できなかった。

「よくもまあ、ここまで持ったな」

イーザーはそっとキャロルを横にしてつっ立っている俺を一瞥した。

「アキト、施術院に行ってくれ。あ、違う、地神殿の方がいい。場所が分かるか?」
「いや」
「じゃあアットだ。すぐアットにこのことを伝えてくれ」

イーザーは手を放すと、緊張したように座り直した。右手をキャロルの上にかざして、左手で何かを握って自分の胸の上に置いて、口の中で転がすように何かを言った。

それはさっぱり意味が分からなかった。でも全く無意味という訳でもない。例えば、知らない国の言葉―あるいはそれ以上の秩序で律された言葉―を聞いているようだった。

イーザーの右手が蛍光のようなかすかな光に包まれた。それが移るようにキャロルも光で包まれる。それは俺にある言葉を思いつかせた。

「……魔法?」

イーザーは言葉を途切れさせずに俺を睨んだ。早く行けと言われた気がして慌てて俺は部屋を飛び出した。


幸いにも、アットはまだポートライト卿の館にいた。俺が飛び込んで事情を話すと、即座にアットは自分が連れてきた集団から、ひょろりとした男を情報屋に向かわせた。

「ナーシェは魔道士だ。医療の心得もあるし僕は信用している。安心して」
「それって変じゃないか?」

情報屋の方角を見ながら俺は聞いた。

「魔道士なら、魔法でぱっと治しちゃえばいいじゃないか。どうして医療知識がいるんだよ」
「魔法は万能ではないよ、アキト。自然ならざる術だ。特に怪我や病気は自然治癒力に頼った方がいい。少なくともこの地域ではよほどのことがない限りそうしている」
「ふぅん」
「アキトはやっぱりここの世界の人間ではないんだね。見かけは僕たちと全く変わらないから、イーザーにからかられたのかと疑問に思っていたんだよ」

興味深く言われても俺は困る。とりあえず今は暇ではないので情報屋に戻らないと、と俺は帰りかけた。しかしアットが肩をつかんで止めた。おとなしそうな外見のわりに力は結構強い。

「イーザーもいないのに情報屋に戻すわけにはいかない。悪いけど、しばらくここにいて」
「え、何でだ?」
「アキトは地下道の一族に狙われているから」

アットは何事もないように答える。俺はその意味を理解するのに少しかかった。

「キャロルは動かせるほどに回復したら内密に安全な所へ移そう。戦士を多めに連れてきてよかったよ、警護も必要だ。いつ地下道の一族がかぎつけるか分からないし、ばれたらその後は簡単の予想がつく。警護されるのは、アキトもだよ」
「何で俺まで! キャロルが狙われるのは分かるけど、俺も?」

そんなに大したことをした覚えはない。

「だって、卿へ解除の薬を渡すきっかけを作ったのも実行したのも君だろう? 恨まない方がどうかしているよ」

言われてみれば、そんな気もする。ぞっとした俺に、アットは厳しい視線を注いだ。
「悪いけど、アキトはしばらくじっとしていてくれ。僕がじきじきに来たんだ、地下道の一族の話はすぐに収めるから、その時までは


それからの俺は退屈だった。朝から夜まで外出禁止で、アットが泊まる大きな宿にずっといた。1国の王子様が泊まるくらいだから相当豪華なんだろうけど、俺にはそうとは思えなかった。どうしても日本と比べては不便だと思い知る。誰かと話そうとしてもアットは忙しそうだったし、イーザーはそんな旧友に付き合っていた。

そしてもう1つ出来事があった。暇ながらも生活が安定したせいか、俺はほぼ1日おきに日本とこっちを行き来するようになった。こっちで寝たら朝俺の部屋で目覚めて、向こうのベットに入ったらこっちの寝心地の悪い毛布の中で目覚める、の繰り返しだった。あの声もだんまりを決めこんでいるのか、聞こえてこない。なんだか人の2倍生きている気がする。

でもそれで俺が参ったかというとそうではなかった。日本では自由に動けるし、こっちはこっちにで気晴らしがある。

そうして、今日も俺はカーリキリトで気晴らしの元の部屋の前に立ってドアを叩いた。

「入って」

許しが出たので俺は重いドアを開ける。大きなベットが中央にある部屋で、白いシーツの上には灰色の髪の女の子、キャロルが横になっていた。白っぽい服を着ていて、俺を見てにっと八重歯を見せて笑う。

「毎日お見舞いありがと」
「いいよ、どうせ暇だし」

カーリキリトのほとんどの時間を俺はキャロルの見舞いに費やしていた。初めのうちはキャロルはほとんど絶対安静の状態で面会禁止だった。アットが連れてきたナーシェという魔道士が回復魔法を連発……したかどうかは知らないが、ナーシェのおかげでとりあえずキャロルは小康状態にまで回復した。俺はふと、その知らせを聞いて早速キャロルに会いに行った時の事を思い返した。

――「アキトは次元移動者なの?」

しばらく黙ってから言ったキャロルの言葉に俺は驚いて椅子から転げ落ちそうになった。

「何で知った!? イーザーから聞いたのか?」

イーザーの奴、俺が喋ると眉をひそめるくせに、自分は平気で言いふらして、と俺が1人で怒っていたら、キャロルは無表情に「違う」と答えた。

「見ていたら、なんとなく。服装も名前も喋り方、顔まであたしが知っているどんな国籍の人間とは違う。身体は大きいのに本来持っているべき常識が全然ない。馬鹿って訳ではないのに。考えて、非常識というよりあたしとは違う常識を持っているんだろうなと思えてきた。まるではるか異国からいきなり来たようだ、と。そこまで考えたらもう簡単に分かった。あたしだって、召喚術のを聞いたことがあるし」
「すごい」

自力で見破ったのか。しかしキャロルはそっぽを向いた。

「あんまりすごくない。考える時間はたっぷりあったし」

と、にっといきなりキャロルは笑った。

「この世界のこと、あたしが教えようか?」
「えっ?」
「どうせすることもないし、退屈しのぎに」
「なら頼む。どうせ俺もすることないし」

どうもカーリキリトとは長い付き合いになりそうだった。そろそろ詳しい話を聞いておいた方がいい気がする。

キャロルは首だけを俺の方に向けて、ゆっくり口を開いた。その顔色が思ったより悪いのに今気づく。

「基本から。
カーリキリトには竜の姿せし神々がいる。
武勇高き火竜神、
知恵深き水竜神、
平安なる地竜神、
自由なり風竜神、
そして、全てである光竜神、
光と異なり、しかし等しい闇竜神、
火、水、土、風、4つの力の要素のかけらは、けして軽んじられぬ神々の姿となる。すなわち氷竜神、霧竜神、樹竜神、雷竜神」

雷竜神、それを聞いて俺は心臓が高鳴った。重要な秘密がばれたような、そんな気持ちを感じる。

神々の姿形、その活躍など、キャロルの話は広がっていく。俺はそれに次第に飲み込まれ、ただじっと聞いていた。

――それ以来、キャロルへの訪問はカーリキリトでは日課になっていた。キャロルの話は神話とか、英雄伝とか、この世界を直接説明する訳ではないけども単純に面白かった。こっちが途中で話をさえぎっても怒るでもなしに――その代わり、俺をからかうようなあいまいな表情になるけど――細かい説明をしてくれる。理想的な話し手だった。

「アキトはいつごろここを出るの?」
「えっ?」

いきなり思い出話から現実に引っ張り出された。でも、聞き返したのはそれだけではない。キャロルの言っている意味が分からなかった。

「何のことだ?」
「おいおい、もうぼけたの? いくら何でもアキトは永遠にここにいる訳はないでしょ? いつここを出るのかって聞きたいの」
「ああ」やっと意味が分かった。
「さぁ。アットが安全だと宣言するまでだろうな。そもそもここで缶詰になっているのだって、地下道の一族やポートライト卿とかに殺されかねないほど恨まれているからだし」
「殿下はいつその許しを下さるの?」
「分からない。それからキャロル、殿下、じゃなくてアットと呼んだらどうなんだ? アットはそっちの方がいいって言っていたぞ」

ふっとキャロルは俺を小さな子供を見るような目で見た。

「うらやましいね。あたしには恐れ多くてできない。アキト、ならイーザーに聞いてみてよ」
「いいよ」

いつもと違う今日だけど、言われてみれば俺も気になった。俺はイーザーを探すためにキャロルに背を向けた。

その辺にうろついていたお手伝いさん(使用人と呼ぶそうだ)に聞いて、難なくイーザーがいる場所は分かった。礼儀正しくドアを叩いて俺は部屋の中に入る。イーザーとアットと魔道士のナーシェは何かを話し合っていた。

「イーザー、ちょっと聞きたいんだけど」
「アキト、ちょうどいい時に来た。今召喚術について話していたんだ」

どきり、と俺は罪悪感を覚える。こんなにイーザーはやってくれているのに、実は最近毎日帰っているなんてとても言えない。思わずイーザーから目をそらすと、そこにアットがいた。俺の目線を催促だと思ったのか、ナーシェ、と促した。はいとナーシェは頷く。

「アキト、残念ですが、フォロー国内には召喚師はいません。この国では未発達なのです。見習い程度なら探せなくもありませんが、アキトの求める術士とはかけ離れています。国外を当たるより他はありません」

げっ。

「国外って、どこへ?」
「さて。どこが召喚師の研究が進んでいるかは分かりません。多分、フィル森共和国か、エアーム竜帝国か、他に」
「いいよ、ナーシェ」

イーザーは青年の言葉をさえぎった。俺を見る。

「つまり、相当長い旅になりそうだってことだ。どうする?」

俺はつばを飲みこんだ。

「どうするって」
「本当に、元の世界へ帰るための手がかりを探す旅に出る気があるか、ないかだ」
「あるって!」

俺は反射的に答えた。そりゃ、今だってちょくちょく帰っているけど、こんな状態を喜んでいる訳ではない。息が荒い俺に、ならいいやとイーザーは笑った。

「そこまで思っているならいいか。何せ1年2年はかかりそうだしな。いやになって止めるって言うかと思った」

俺は思わず脱力した。

1年2年はするって? 洒落にならない年月だ。俺は一気にこの旅が嫌になった。だが、今から止めるというには遅すぎた。もう俺は行くと答えてしまっている。俺は軽率な自分とその事を言わなかったイーザーを恨んだ。

「イーザーはいいのか?」

半分やけになって俺はイーザーに聞く。イーザーはきょとんとした。

「何言っているんだ。どうせ俺は目的地がない旅をしていたからな、付き合えるところまで付き合うよ」

あっけらかんとした返事。俺はイーザーに限りない罪の意識を覚えた。

「ところで、アキトは何の用で来たんだ?」

いけね。忘れる所だった。

「そうだ。アット、俺たちはいつここから出られるんだ?」
「もう少し待って。この街を管理する人間をすえないといけないし、地下道の一族との交渉は難航しているしね。なるべく万全を期したいんだ」
「そっか。大変そうだけど、がんばって」

アットは続けて、キャロルの様子はどう? と俺を見ずに聞いた。

「どうって、別に普通。顔色もいいし、きっともう少しで治りきっちゃうよ」
「そうか」
「話をしたいのか? なら今ならいつでもいいと思うけど」
「いいや、もう必要なことは聞いたからいい。それならいいんだ」

どうも俺はアットの望んだ事を言わなかったらしい。アットは不満そうに、それでもなお安心していた。

何だったんだろう、一体。


平凡かつ安定した日々は、これを前兆としてすぐに終わりを迎えた。

キャロルが消えた。俺からすれば1日日本に帰ってから次の日、部屋を訪れたらもぬけの空だった。

初め、俺は誘拐されたのかと思って、大急ぎでイーザーの所へ駆けこみ、大騒ぎした。所がイーザーは少ししか、アットにいたっては全く驚かなかった。

キャロルがいた部屋に入ってイーザーは重々しく見回した。

「片付いているな」
「?」

確かに部屋は綺麗だった。キャロルがそこにいた形跡何1つない。しかしそれがなんなんだろう。

「それがどうしたのか? そんな事より、早く犯人を見つけないといけないだろう、イーザー」
「いや、アキト。部屋が綺麗という事は、無理にキャロルは連れ出されたのではないということだ。力ずくで連れて行かれようとしたらキャロルは抵抗するだろうし、それなら部屋が荒れるだろう?」
「言われてみれば、そうかもな」
「という事は、キャロルは自主的に出ていったんだろうな」
「でっ! 何でだ? キャロルだって危険だって事、知っているだろう? 何でそんな事するんだよ」

うう、ああ、とイーザーは苦しそうに言いどもった。代わりにアットに聞こうとしたら、いつの間にかいない。逃げられたか。仕方なくイーザーに詰め寄る。

「イーザー、何でか知っているんだろ? 言えよ」
「知ってはいないけどな。予想はつく」
「じゃあ、それでもいいから、言ってくれ」
「……つまり、今回の出来事はキャロルにとって世界がひっくり返るほどの衝撃だったんだろうな、という事だ」

よく分からなかった。

「何でそうなるんだ? 確かに死にかけたのかもしれないけど」

確かに俺だったら死にかけたら人生観がきっと変わる。でもそれと出て行くのとはちっとも結びつかない。

「死にかけたのは問題ではない。

いいか、アキト。つまり、キャロルはこれまで地下道の一族に尽力してきただろ。今回だって利用できる者を探すために呪いを耐えて、わざわざ自分で出向いた。俺は地下道の一族の事は詳しくないが、影の長候補だったという事はキャロルにはとても名誉な事で、誇らしく一族のために生涯をつぎ込んできたんだろう。

ところがそこで、明らかに一族がおかしな方向を取った。キャロルは一族のためにそれを食い止めようとして、一族の敵になった。

分かるか? キャロルは同族のために同族を裏切った。もう、今まで絶対としてきたものはなくなった。当人にとっては世界がひっくり返ったのと同じくらい衝撃的だろう。今まで全てだったものをキャロルは一瞬で失った。生きるためのとりかかり、理由、存在意義、全部がなくなったんだ」

イーザーの言葉、1つ1つが俺の身体に染み込んでいく。俺は全身の血が冷たくなるのを感じた。

「俺とアットは初め、キャロルが自害しないかと冷や冷やしていた。アキトが話し相手としていい気晴らしになっていたみたいだし、表面上は安定していたから油断していたな」
「俺は馬鹿そのものだな」

俺はうつむいた。イーザーが困ったような顔になる。

何をやっていたんだろう、俺。自分の事で一杯で、キャロルの事なんてろくに考えもしなかった。キャロルが平然としているのを見て、もう平気だと勝手に思っていた。ちょっとでもいい、もし注意深くしていれば気づいたのに。

って、俺はここで後悔しているよりも、やらなくてはいけない事があった。

「イーザー、キャロルを探しに行こう」

そうだ、何とかして見つけ出して、戻るように言って、出来れば謝るんだ。ごめん、と。イーザーはそれに首をかしげた。

「アキト、何で俺たちがキャロルと一緒にここにいるのか忘れたのか?」

忘れていた。が、今更そんな事は言えない。

「もう何日も出ていないし、いい加減に向こうだって忘れているよ。少しだけなら平気だ」
「そんな訳、ないだろ」
「じゃあ、イーザーはこのまま放っておくのか!?」

明らかにイーザーは動揺した。ぐっと詰まり、何か言おうとしては止めて、静かに肩を落とす。

「放っては、おけない」
「だろ?」
「駄目だよ」

高めの柔らかい声が響いた。いつの間にかアットが戻っていて、ドアの前に立っていた。

「それでも2人とも、出ては駄目だ。千年王国フォローの名において、イーザーとアキトは保護されている。外に出すことは許されないよ、イーザー」

落ち着いた態度に俺は不快になった。

「じゃあキャロルはどうするんだよ」
「今部下に命じて探させている。でもアキト、こうも考えられないか。キャロルは自分の意思で出て行ったんだ。キャロルからは聞くべき話はもう全て聞いている。ならば、もう僕たちが追って、君たちを危険にさらしたり、人手を裂いたりする理由も余裕も義理もない。キャロルの勝手にさせておこう」

この時のアットの顔が悲痛そうでなかったら、声が沈んで拳が硬く握り締められていなかったら、俺は殴りかかっていたかもしれない。血の味がするほど俺は唇を噛みしめた。


それからのカーリキリトでの監禁生活は退屈と言う名の拷問だった。俺はもどかしさの余り誰もいない部屋の中を動物園の熊のようにただ意味もなく歩き、表情は自分でもぎょっとするほどいらだたしそうなしかめっ面になっていた。やることもなければ話相手もいず、俺は1日中悲観的なことばかりを考えて過ごした。夜寝ればうなされて、日本でも最近お前怖い、人相が変わったと関口に言われた。何かあったのかとも聞かれたが、俺は首を振っただけで何も言わなかった。

カーリキリトのそんな暮らしに終止符が打たれたのは1週間後だった。長い日々の後、やっとアットが話がまとまったと宣言した。

「人間の方ではポートライト卿を裁き、新しい統治者を迎える。地下道の一族は長老を初めとする主だった指導者に引退してもらい、新たにする。そっちは影の長の最終候補がみんないなくなってしまって大変そうだが、諦めてもらった。最後の影の長をなくしたのは、自分たちのせいもあるしね」

肩の荷が下りたとばかりに安堵して話すアットに、俺は脱力しそうだった。

「話はまとまった。アキトたちはもう安全だよ。もっとも、だからといって長居してほしくはないけどね。もう自由だ」
「本当、に?」
「嘘をついても仕方がないだろう」

俺は外を見た。もう暗くなりつつある。

「キャロルはまだ、見つかっていないんだな?」
「悪いけど、見つかっていない。でもアキト、気持ちは分かるけどもう今日は時間が遅いよ」

もっとアットは言おうとしたが、俺はそれ以上聞かずに外へ飛び出した。

――宿から出た瞬間、視界に異界の街と風景が入ってきて、俺は頭がくらくらした。街の一連の事件で、もしくは時間帯のせいで人は少ないだろうとたかをくくっていた俺は不意を突かれる。人ごみに酔った、という訳ではないが、その3分の1が人間ではない、というのにはまだ驚かされる。

まごつきながらも、俺はキャロルを探そうと歩き始めた。当てもなく闇雲に行き、出た宿が見えなくなるまで来た所で、聞き覚えのある楽器の音がした。これは。

「フォールスト?」
「あ、アキト」

青い服の楽師、フォールストが適当な高みに腰掛けていた。演奏を止めて、薄暗がりの中、笑って俺を手招きする。俺は知り合いに会えた嬉しさで何も考えずに近寄った。

「しばらく会ってなかったね。あの後大丈夫だった? 用は済んだ?」

何の事かと首をひねり、俺は思い出した。確かフォールストに地下道の一族の住処を聞いたんだった。

「済んだ。あの時はありがとうな」
「どういたしまして。街での噂、知っている? 一時は凄い騒ぎだったんだよ」
「少しは知っている」

実は知っている所ではないが。当事者だし。

「それよりも聞きたい事がある。7日前にもここにいたか?」
「ううん」

フォールストは細い首を左右に振った。もしかして、と細い期待を抱いていた俺は自分で思っていたよりもがっくりと失望する。

「そっか」
「何でそんな事を聞くの?」

墨色の瞳を静かに興味の色に染め、フォールストは尋ねる。俺は改めて彼女を見る。

藍、紺、水、様々な蒼で染め上げられた布を幾つも重ねて、フォールストいがいには着こなせないように複雑に着ている。地面より1段高いところに腰掛け、七宝焼きで彩られた美しいリュートを持っている。高めの身長からしてもやや長すぎる手足は、楽器を抱くと綺麗に収まった。長く骨ばった指が蒼の長髪を軽くすいた。美人、と言えなくもない整った顔は穏やかに俺とリュート両方を見ている。

急激に火が下りるこの時、俺はささくれ立っていた心が急に静まるのを感じた。街から音が消え去り、代わって冷たい空気が流れ込む。
「実は、キャロルがいなくなったんだ」

ぽろりと、言葉がこぼれ落ちた。

「キャロルって言うのは地下道の一族なんだけど、この街であった事件で大活躍をしたんだ。それで大怪我して、しばらく宿にいたんだけど」

俺はうつむいた。フォールストが促すかのようにリュートの絃に手を伸ばす。俺はその音色が日本で聞いた音楽より、はるかに単純で簡単なのに気が付いた。曲もその場で作り上げたかのように滅茶苦茶で気まぐれに揺らぐ。一章奏でたかと思うと不意に高くなり、途切れ途切れに休みが入る。まるででたらめなのに心地よく俺に響いた。

「実はキャロルは事件にすごく衝撃を受けていたんだ。それで傷が治りかけたら消えちゃった。俺は探しに行きたかったんだけど、その時は外出禁止で行けなかった。やっと出られるようになったから探しに出たんだけど」
「そっか」

フォールストは演奏を止めて俺を見た。

「わたしも探すよ。一緒に行こう」
「え? いや、いいよ、別に」
「遠慮しなくってもいいのに。そこまで話を聞いたんだから、付き合うよ」
「いいって、本当に」

俺は自分でも認めたくなかった事を言った。

「どうせ、見つけられる訳ないんだ」

土地勘も、それ所が世界観すら持っていない俺がいくら走ったって人1人を見つけられるわけがない。危ないだけだ。ましてや相手はキャロルだ。百年探したって見つけられそうにない。それに。

「そんな事はないよ、アキト。やってみないと分からない」
「さすがに分かる。それに、キャロルはきっと嫌がるだろうな」
「嫌がる?」
「ああ。だって、原因は俺にあるから」
「何で」
「あのな」

俺は話した。この場にイーザーかアットがいたら、絶対に止められるほど、全部を。俺がその時どう思ったか、何でそうしたか、微に入り機に入り詳しく、イーザーたちにさえ言っていない事を。なぜかフォールストには話してもいいような気がした。ろくに知りもしないのに信用していいような、そんな雰囲気があった。

フォールストは黙って聞いていた。時々相槌を打つだけでほとんど動きさえ見せずに。全ての話が終わった時、もう街はほとんど暮れていた。日は完全に沈み、空の端の強い真紅以外は全て紺色に染まっている。フォールストの髪が夜の色に溶けていった。

「俺があの時じっと部屋で待っていたら、キャロルを巻き込まなかったんだ。だから俺が元凶なんだよ」

会いたがる訳ないなと長い話を終えて俺はため息をついた。こうして考えると俺は本当にろくな事をやっていない。怒りを覚える前に俺は自分が嫌になった。顔を上げる。

驚いたことに、フォールストは何だ、と笑った。

「元凶なんて言ったから何だと思ったら、アキトはそれどころかとってもいい事したんだ」
「いい事? どこが、俺が動かなかったらキャロルは無事ですんだのに」

どこをどうしたらそれがいい事になるのだろう。

「ねぇ、アキト。それは違うと思うよ。

もう事態はアキトたちが行動するより前に動いていたんだよ。誰にも止められなかった。アキトがやったことはその中でいくつか選択して行動しただけ」

「それがよくなかった」
「そうかな。わたしはそれこそが良かったんだと思う」
「どうしてだ?」
「それはまだキャロルが動けるうちにキャロルに知らせたから。もしもキャロルが知らないままだったら事態はキャロルが思い描いていた最悪、地下道の一族と人間の前面抗争になっていたと思う。

アキト、キャロルは何よりも1番それを望んでいなかった。自分が傷付く事を望んでいたとはないと思うけど、戦いが起きるよりははるかにそれがましだと思っていた。だからキャロルは動いたし、アキトもキャロルが願っていた事を、いや、それ以上の事をした。アキトはキャロルにとっては元凶どころが恩人だよ」

「……本当に?」

そうだったらどんなにいいだろう。どんなに救われるか。でも。

「だったらなんで失踪したんだよ」
「独りになりたかったんじゃないかな。やり残した事がきっとたくさんあっただろうし、それを整理したかったとか。アキトに会うのが恥ずかしかったのかもね。大丈夫、すぐに戻ってくるよ」

フォールストは自信たっぷりにそう言った。おいおい。

「どうしてそんな楽観的に思えるんだよ」
「アキトや、イーザーや、他の人を心配させるから。誰もいないところで落ち着いて、そうしたらきっとまたアキトに会いに来るよ。ごめんね、もう大丈夫だよって。
イーザーもそう思うでしょう?」

フォールストの視線を、俺は振りかえった。黒いマントを着たイーザーが俺たちの背後にいた。

「イーザー! いつからいたんだ」
「さっきからずっとだ。アットから聞いて、飛び出してきた。

フォールストの言っていることは正しい。アキトのせいじゃないんだ。1人で考えた挙句に突っ走らないでくれ。どうやって探そうか、途方に暮れかけたんだ」

どこか怒ったような表情に俺は冷や汗をかいた。

「わ、悪い。悪気はなかったんだ」
「そうだろうさ」

声から察するに、怒りは解いていないらしい。今度はフォールストに向く。

「ありがとう、おかげでアキトを探す手間が省けた」
「大した事していないよ」

よっと小さく呟いて、フォールストは荷物を肩に背負い直した。イーザーはそれに目を向ける。

「何しているんだ?」
「うん、そろそろ別の所へ行こうと思ってね。ずいぶん長くこの街にいたし、そろそろ頃合かな、と」

旅をするには小さすぎるかばんに、イーザーは疑わしそうに首を傾げる。

「今すぐ?」
「うん、最後のつもりで弾いていたの。アキトたちと話せて楽しかったよ」

そしてフォールストは地に足を着けると、歩き始める。

「さよなら、アキト、イーザー」

最後にそういうと、フォールストは俺たちに背を向けて、すっかり暗くなった街へ行った。俺はその背が見えなくなるまでじっと動かなかった。

「旅の楽師か」

イーザーはそう言ってから、気はすんだかと俺に聞いた。

「皮肉か?」
「そういうつもりでは言っていない。そう聞こえたかもしれないが」
「気はすんだ」

俺は実の所、完全にではないがほとんど納得していた。フォールストの楽天的な考え方が移ったのかもしれない。

「ならよかった。だったら、今度はこっちの番だ」
「こっち?」
「アキトの旅だよ。アットだってそろそろ引き上げだし、今後の事を決めないと。第一このままだと風に吹かれっぱなしで寒い」

それもそうだ。俺は宿に戻る事にした。

どこからかフォールストの声が聞こえた気がした。もちろん気のせいだけど。


フォールストに会った次の日、俺はカーリキリトで目覚めた。

「あ。俺の部屋じゃない」

いつもなら1日おきに日本に戻っているのに、がっかりだ。俺は起きて1つ伸びをした。その時点で俺は外が騒がしいのに気づく。

何だ、何が起こった、これ以上何が起こるんだろうと憂鬱に思って…… 俺は思い出した。

「アットが帰るんだ」

もうあらかた片が付いたし、後は部下だけで十分だからと首都に戻って事のあらましを報告するそうだ。昨日聞いていたが忘れていた。

まさか、もう出発していないだろうな。俺は慌てて身支度を整えて、部屋を出た。アットのいる部屋へ向かう。丁度都合よく半開きになったドアを開けようと手を伸ばした時、アットの声が聞こえた。

「どこへ?」

何となくそっとのぞいてみると、イーザーとアットが向かい合って話していた。割って入って邪魔するのは悪いと思ったので、じっとその場で待つ。

「アルの所へ行こうと思っている」
「あ」

なぜかアットの声の調子が変わった。苦しいような、懐かしいような、そんな声だ。

「アルは顔が広いからな。召喚師の心当たりもきっとあるだろう。ただ、家にいるかな?」
「大丈夫、いるよ」
「アットも知っているだろう。アルのひどい放浪癖を」
「アルちゃんのお母さんがもうしばらく家にいなさいって言ったらしいよ。ざっと2年も家を空けていたんだから、当然だけど」
「そうか。なら安心だな」
「馬はいる?」
「いらない。金持ちに間違われていらない苦労を引き起こしかねない」
「……アルちゃんに、よろしく言ってくれ」
「ああ」

そろそろかな。俺はドアを2回叩いた。返事の前にドアが開けられる。ナーシェと言った魔道士がドアを開けてくれた。ナーシェは喋っていなかったからいたなんて知らなかった。俺は一礼をして部屋の中に入った。2人が俺を見る。

「アキト。アットは一足先に帰るってさ」
「そっか」

俺はアットの方へ目を向けた。はにかんだように笑うアットはやはり王子様なんという柄ではない。

「今までありがとう。アットがいなかったら、どうなっていたか」
「そんな大した事はしていないよ。こちらこそありがとう」

奥ゆかしく謙遜したアットに、俺は続けて聞いた。

「キャロルは見つかった?」

アットは無言で首を振った。そうか。

「悪いがアキト。俺たちもキャロルを探さずにすぐ出発する予定だからな」

イーザーが冷酷に言った。俺の言いたいことが分かったらしい。

「どうして」
「いくら危険はなくなったといっても、いつまでもここにとどまる訳にもいかないだろう。早く出ればそれだけ安心だ」
「そうかもしれないが、イーザー冷たすぎないか?」
「でも、何人もの人が探して駄目だったんだったら、俺たちがやっても何もできないよ」
「確かにそうだけど」

俺は嫌になった。キャロルを探さずに、こそこそ逃げるように出発しないといけないなんて。俺は別に悪いことはなにもしていない。でもイーザーがこう言っている以上、無視する事は出来ない。俺はキャロルを思い浮かべて、仕方がないかなと俺はあきらめ半分に思った。


アットとのお別れは簡潔だった。

「じゃあね、イーザー」
「色々悪いな。礼はそのうちする」
「覚えておくよ。アキトも元気で」
「ああ」

アットはそれだけ言って部屋から出た。後ろに控えていたナーシェもゆっくりお辞儀をしてアットについていく。あっけない別れだった。

「俺たちも支度をしよう」

特に心残しがなさそうに、イーザーは俺に言う。

「いいのか、別れを惜しんだりとか、しなくて」
「構わない。またそのうち会えるよ」

そんなものなんだろうか。俺は首をひねりつつも、自分たちが寝泊りしていた部屋へ向かうイーザーへついていった。その後姿を見て、俺はふと思い出す。

(いいか、今回はお前にとって重要なことが起こる。気をつけろ、関われ。そのことはお前の生死を左右する、そしてそれ以上のことがある)

日本でだけで聞こえる声は確かにそう言った。

一体何だったんだろう。深刻にああ言っておきながら結局俺は危ない目に会っただけだ。確かに生死には関わった。主に死の方だけ。過ぎた今ではぴんと来ないが、俺は今死んでいてもおかしくはない状況だった。

思い返すと、だんだん腹が立ってきた。

「あいつ、よくも嘘っぱちついてくれたなっ」

口に出すとますます怒りがつのる。ちらりとイーザーが俺を見るけど、無視。イーザーもそれほど気にせず、前に向き直った。

全く、何が大切だよ。そのせいでとんでもない経験をした。その結果としていい事があったかといえば、何もない。まだこの日本とカーリキリトを往復する変な状況は変わっていないし、解決策のきっかけ1つない。せいぜいキャロルとかアットとか、知り合いが増えただけだ。

キャロル。そこまで考えて俺はふとあの地下道の一族の女の子を思い浮かべた。声への怒りも綺麗さっぱり忘れる。

ここから逃げて、今頃どうしているんだろう。どこへ行ったんだろうか。探せずに帰る俺たちを恨んでないだろうか。俺はフォールストの言葉を思い返した。本当に俺に怒っていないといいな。フォールストに言われた時はそうかなと思ったけど、こうして離れてみると、やはり違う気がする。

憂鬱な憂鬱な方向へ行こうとする考えを振り切って、俺は荷造りを始めた。今の仕事はこれだ。

―それほどたくさんではない荷物をまとめて、宿を俺たちは出た。街の大通りの隅っこを歩いて外へ向かう。思えばこの街では本当に色々あった。忘れそうにはない。
「あの楽師、もう出て行ったのかな」

イーザーがぼそっと呟く。人々のざわめきの中でもそれはよく聞こえた。

「そうなんじゃないか? なぁイーザー、俺たちはこれからどこへ行くんだ?」

俺はイーザーの旧友の所へ行くと知っていたけど、それでもあえて聞いた。

「アルの住んでいる所」
「アルって誰だ?」
「アル・グラッセ。昔、数人と一緒に旅をしていた時の1人。旅が大好きで、根っからの風来坊だった。奴は顔が広いから、何か知っているだろうなと思って」
「へぇ」

そろそろ街の外に出る。俺は今までのこととこれからの事を思いふけながら、門とその外に広がっている世界に目を向けた。

「えっ」

そこで俺は想像だにしないものを見てしまった。イーザーも口をあんぐり開ける。俺は外へ走り出した。

その人の前に着いた時、俺はすっかり息を切らせていた。無理に静めようと唾を飲む。

その人は言った。

「たったあれだけでもう息切れ? だらしがないね」
「キャロル!」

からかうように言った灰色の貫頭衣の女の子は、見間違えようもない、地下道の一族のキャロルだった。イーザーが信じられない、と目を丸くして駆け寄る。

「キャロル、今までどこへ行っていたんだ? アキトが心配していたぞ。何でここにいいるんだ?」
「1回に聞くのは1つずつにしてよ。せっかちね、イーザー」

にっといたずらっぽく笑ったキャロルに、暗さは見られなかった。

「悪いね、心配かけて。ちょっと転職の準備していたから」
「転職?」

よく見るとキャロルの足元には麻袋が1つ転がっていた。

「地下道の一族の影の長にはもうなれそうにないし、この街にいてもいいことなさそうだしね。イーザーみたいな冒険者にでも転職しようと思ってさ、待っていたの。あたしも一緒に連れて行ってよ」

さばさばとキャロルは言った。何の迷いもためらいもない。俺はうろたえた。

「え、ええ? 何で」
「アキトみたいな異邦人でも出来るんでしょう?あたしはアキトたちを見て興味を持ったの。アキトだって2人よりは3人の方がいいでしょう。あたしは足手まといにはならないよ」

俺はイーザーを見る。驚きからさめたイーザーは、こくりと頷いた。2人の視線が俺に集中する。俺は。

「俺のこと、怒ってないよな?」
「どうして怒るのさ」

面白がっているように、キャロルは目を軽く見開いた。

「キャロル、俺をからかっているのか?」
「さぁ。で、アキト、どうなの?」

俺は……

喜びと混乱の中、俺はこれだけを言った。

「本当にいいのか? 俺たちのしている事は1年以上することだぞ。大変だろうし、成果も上がるかどうか分からないし、それでもいいんだったら」
「くどい!」

キャロルは俺に抱きついた。うわっ!

「キャロル、やめてくれっ、柔らかい、じゃなくて、俺、そういうのに慣れていないんだ!」
「いいじゃない、別に。あたしは嬉しいの、それだけよ」

俺は真っ赤になってもがきながら、フォールストの言葉を思い出した。

大丈夫だよ。その通りになったと、俺は頭の隅で考えた。