三つ首白鳥亭

−カーリキリト−

灰の降る街で 8

灰が降る。

滅び死んだ街を悼むようにぶ厚い雲が天にかかり、空から灰が降って焼き焦げた建物や倒れて動かない人々を優しく覆い隠す。

「ひどいな」

静かな商店街を2人の人物が歩いていた。ひとりは槍を手に柔らかな肌の代わりに鱗で全身を覆っている竜人。もうひとりは大地と共に生きる小柄な妖精ノーム。

「2人だけでよかったですよ、こんなの女の子たちに見せられません」
「どういうことだ? 学問通りの研究者と合流して一緒にミリザム遺跡に行く予定だったんだぞ。オレがはるばるエアーム帝都大学からきたのは学問通り滅亡を見るためじゃない!」
「イクオンジュルト」

激した竜人をノームがなだめる。道の隅で生き残りが木片を燃やして無言で暖を取っていた。黒い煙が細く立つ。

「合流どころではなくなりましたね」
「マドリームへの食糧は十分だよな。これじゃ買い出しもろくにできない」
「あります」
「よし。帝都大学まで伝令を飛ばしたら出発しよう」
「ええ」

ノームは後ろを振り返り、灰の上に点々と続く足音といまだ火がくすぶる水神殿を見た。どこか遠くで弱々しいなきごえがする。

「学問通りはもうお終いですね」
「ここまで徹底してやられたからな」

イクオンジュルトは苛立たしそうに灰を蹴った。

「なにがあったんだ」
「アム火山の火口に住む灰竜が襲ったのですよ。自警団も魔道士たちも全く歯が立ちませんでした」

ノームは不思議そうに大柄な竜人を見上げる。

「そんなはずはない。灰竜はよぼよぼの老竜だった。長生きして終の棲家に活火山の穴倉を選んで、温かい溶岩の近くでうたた寝ばかりのじいさん竜だったんだ」

興奮したイクオンジュルトは身ぶり手ぶりを交えて話した。槍が腕の動きに合わせて揺れ、ノームはいつものことだとばかり冷静に一歩離れる。

「そんな話知りませんよ」
「竜人の間では知られた話だ。そんな半分ボケが入った竜がある日突然怒り狂って学問通りを襲うだと?」
「街の人間がなにか怒らせることをしたのですかね」
「正気の人間が竜に手を出すだと? そんなの命知らずかよっぽど実力と自信があるやつだけだ」
「どちらにしろ、灰竜に聞こうにも聞けませんよ」

ノームは西を指差した。

「ねぐらを飛び出して行ってしまいました」
「ああ、もうなにも分からない」
「! イクオンジュルト!」
「くっ、失せやがれ!」

急降下してきた灰竜の眷属、巨大蝙蝠へイクオンジュルトは槍を振るった。竜人の剛力と勇敢さを知ってか、大蝙蝠は大きく旋回してすすだらけの屋根へと降りる。大通りから離れたここは狭く、破損がひどかった。いざ戦いになったらイクオンジュルトは満足に戦えそうもない。壁一枚の落書きを悲しそうに見ながらノームは同行者を見上げた。

「帰りましょう。長居すると心配されます」
「そうだな。見るものは見た、もう用はない」

おっととノームは足を止めた。

「人がいます。まだ立てる人が」
「人ぉ? ああいるな、逃げていないのか」

帯刀した若い男だった。なにをするでもなく壁を眺めている。イクオンジュルトは男の周りに人がいないのを確かめた。

「危ないぞ。灰竜の眷属がまだ飛んでいるのに」

イクオンジュルトの心配は的中した。さっきの大蝙蝠が翼を広げ、男の無防備な背中めがけて鋭い爪を向ける。

「おい、そこの人間!」

イクオンジュルトが走り出しノームは精霊術を使うべく集中した。

男は振り向きざま剣を抜いた。異様に細い剣はきらめき、男とコウモリがぶつかり合う。

蝙蝠の腹が大きく切り裂かれ、甲高い悲鳴とともに壁にぶつかり一面に血の花を咲かせた。血しぶきは男も剣も赤く染め上げる。自分の内臓の中で絶命している蝙蝠をちらりと男は見る。

「なんだ、やるじゃないか。おおい人間」

男は剣の血を自分の外衣で拭くと、イクオンジュルトへ視界を走らせ、2人の研究者へ背中を向けた。

「なんだ、無愛想な奴。でもあれなら心配いらなかったな」
「今の人」

ノームは震えていた。竜人は小さな妖精を見下ろす。

「どうした」
「すごく怖い人だ。目が冷たくて、すごく」
「オレら胡散臭く思われたか。まあそうだろ」
「違う、そうじゃない、そうじゃなくて」

ノームは子供のように首を振る。その繊細な感情に大味のイクオンジュルトはついていけなかった。

「怖いか? オレには痛々しく見えたぞ。ざくざくに痛めつけられて、自分で傷の具合さえも分からずよろめいている感じだ。襲撃でなにもかも失ったんだろうな。もう身内も友人も生きていなさそうな顔だ」
「あの人、どこ行くんだろ」

ノームの問いには、当の男でさえ答えられなかった。

灰が降る。滅びの学問通りに無人の家に。たったひとつの誓いを胸に歩き始めた修の背に、すべてに等しく――

ただ、灰が降る。