宣言通り翌日からザリも一緒になった。
厳密に言えばザリは一人ではなかった。一頭の馬も連れていた。黒い毛並みの大きな馬で、素人目から見ても立派な馬だった。
「黒海っていう名前よ」自分の弟妹を紹介するような、うれしそうな様子で紹介する。
「馬って高価なんだろう。なんでザリは持っているんだ?」「ファナーゼ人だもの」
その一言では分からなかった。キャロルはもう少し説明する。
「草原国ファナーゼは馬の一大産地で、かつ唯一の国といってもいいくらいなの。広い国でね、ファナーゼだけは馬がありふれているし馬術も非常に盛んよ。ファナーゼ人は歩きだすより先に馬に乗ると言われているくらい」「それ、大げさに言っているんじゃないんだよな」
イーザーは黒海に見とれながらつけくわえる。
噂通りだったらザリは馬に乗るのもとてもうまいのかもしれないが、一人だけ馬上で速く進んでも意味がない。ザリもとっくに理解しているようで、愛馬の背中には荷物が山のように積まれる。もったいないけど荷物運びになるみたいだ。
俺たちは街道を外れて細い道へと行った。人の足音を忘れたような、獣道かと見間違えるような道は人が通るのも馬が通るのも大変だった。ザリは黒海をなだめはげまし最後尾を遅れがちに歩いた。俺は道中に荷物を持ってくれる馬が一緒になるので喜んだが、ザリの様子を見て考えを改めた。
1日目は山小屋を見つけてそこに泊まった。しばらく放置されていたみたいで泥や葉枝が積もり、掃除だけで結構な時間を費やした。
せっせとほうきを使い、今日寝る場所の泥をはきだしながらこっそりザリの様子を観察した。いつものようになにもしようとしないミサスを捕まえてほうきをおしつけようとしている。まだミサスについてなれていないんだな。その手の労働はミサスはしないんだぞ、もう俺たちはあきらめている。
ザリは浮いていた。年も離れているし合流してまだ日が浅いから当然といえば当然だけど。反対しているキャロルはもちろん、俺もなんとなく気後れして話しかけにくい。こういう時ザリがなじめるように積極的に声をかけなくてはいけないのは加わる原因になったミサスだけど、でもミサスだからな。あっさりザリのほうきをかわして逃げる小さな後姿をぼんやり見ながらあきらめた。
孤立しているザリだけど、だからいじけるかというとそうでもなかった。むくれたようにほおをふくらませ、掃除を続けて荷物をおく。大人だから平気なのだろうか、それとも女の人にしては珍しく、一人で黙っていても平気な性質なのだろうか。俺にはよく分からない。ひょっとしたら今までお供は黒海だけの旅をしていたので慣れているのかもしれない。
いい加減に気配を感じとったのかザリはふりかえった。俺と目が合う。「アキト、なに?」いかにもうれしそうにほほえむ。
――「どうしましたか?」そう言って、不思議そうに首をかしげる。深い緑の瞳で俺を見る。
ウィロウだったらきっとそうした。
「なんだ?」思わず顔がゆるむのを感じながら、俺は飼い主に呼ばれた犬のようによった。
やっぱりいい、ずっと高いところから呼び声がするのは。それだけでウィロウがいる気がする。
一回似ていると思いはじめれば、他のところでもあちこち共通点がある気がする。穏やかなところ、ずっと年上なところ。薬草の調査をしているところも樹の精霊使いだったウィロウっぽい。
こじつけだと分かっている。そんな小さなことでウィロウの面影を見るなんて。2人は別人なんだし、本当なら重ねもしないはずだ。
いっそ全然違えばよかった。騒がしくって背の低い、ウィロウの影が絶対にかぶらない人だったらよかった。あるいはいっそウィロウそっくりのエントだったらよかった。気がねすることなくウィロウをそこに見られる。なんで中途半端に似ているんだろう。似せちゃいけない、分かっている。
でも、少しぐらいならいいよな。
「逃げられたわ。なんて人なの」「ミサスはな。他のだれかでもできることなら絶対に自分でしないから」
たわいのない会話をしながら、俺はそっと言い訳をした。少しくらいなら大丈夫だ。
道はますますせまくなり荒れてきた。鋭利な草でむき出しの手を切りじんわり血がにじんでくるのを恨めしく見る。
「大丈夫? 薬あるわよ、次の休みにつけようか」目ざとくザリが俺の手をのぞきこむ。ザリ自身はいつの間にか革の手袋をしていた。
「あ、うん、お願いします」「アキトッ」
キャロルがぴしゃりとたしなめる。
「ザリ、甘やかさないで。癖になるから」「甘やかすって」
「この程度、なんてことないわ。そうでしょ」
キャロルの言う通り。この程度のすり傷普通だったら薬なんてつけない。でもキャロルは引きかえしながら「でれでれして」不愉快そうに俺をにらみつけた。怖い。まるで敵と仲良くしている裏切り者を見るような目だった。
こういうところだからやや早めに野営場所を探しはじめた。
よさそうな場所はなかなか見つからず、やっと小河近くの平地を発見した時には空が暗くなりかけていた。乾いた地面に急いで火をおこし、水をくんで天幕を木に引っかけて寝る場所を作る。
「川が近いから水くみが楽よね」キャロルが気楽に言った。地面がやわらかく、キャロルが通った跡は点々と足爪の跡が残っていた。足爪なんてそうは地面に残らないのに、珍しい。
俺はその後珍しいだけで済ませたことを後悔するのだが、よく考えもせずに夕食の支度にいそしんだ。
携帯用のハムに干し飯のおかゆ、食べられる木の実に熱いお茶の夕食を食べると、だれからともなくそそくさと2つに分かれた天幕に寝に入った。いつもなら火のそばでおしゃべりをしたり、キャロルが古い伝承を語ったり、逆に俺が日本について面白おかしく話すのだが。どうも全体的にうまくいっていない。
「ぎこちないな」後ろにむすんだ髪を下ろしながらイーザーが違和感の正体をずばりと言いきった。ミサスは天幕のぎりぎり、木に寄りかかって寝ているみたいだ。キャロルとザリはもうひとつの天幕だ。
「そうだな」「おまえだってそうだろ」
イーザーの口調は厳しかった。
「アキトのなつき方は気持ち悪いぞ。だれが見てもウィロウを重ねているって分かる」「俺はそこまででれでれしていない。少しだけ似ていると思っているだけだ」
「アキトが人見知りをしないのは知っている。でも普通あそこまで初対面の相手に付きまとうことはないだろう」
「イーザーこそ」俺は少なからず不機嫌になった。
「同じだろう。キャロルから話を聞いてからずっと逃げているじゃないか」
「あれはっ」
叫びかけ、隣の天幕を気にして絶句した。うなだれる。意外と長い髪が表情を隠した。
「キャロルもな、にこやかに避けるからな。いびつだ、いびつだよ今は。でもどうしようもない。全員の気持ちが分かる」「イーザー」
「もう寝る」
ふてるように背中をむけた。今日の会話はこれで終わりにするといわんばかりだった。
「きっと明日は雨だな。今日は雲が多かった」独り言のようなつぶやきは、もっとほかのことを言っている気がした。
「起きて、起きてアキト」ゆさぶられて俺は上半身を起こした。頭がぼんやりする、目を開けようと思っても開かない。今何時だ。まだ起きていない脳で思う。
「お願い、もう少し寝かせて……」「イーザーも目をさまして。すぐに出発するわよ」
「まだ夜だよ、おやすみ」
「アキト! 起きて、このままだと大変だから」
「眠いよ」
どうにか目を開ける。ようやくだれが起こしにきたのか分かった。
「ザリ!」昨日の話をこっそり聞いていて直談判をしにきたのかと思った。もちろんそうではなく、次にイーザーを起こしにかかる。
「すぐに荷物をまとめて。出発するよ、ミサスも起きて」ミサスはもう起きていた。いつも寝てばっかりのくせに眠りが浅いから、こういう時に強い。外にでると水滴が葉を打つ音がうるさいくらいだった。雨だ、しかも結構はげしい。
「どうしたんだ」「浸水。小川が増水してあふれだしたの。わたしたちの天幕はもう水が入ってきた」
「うえっ?」
外は暗すぎて、横にいる人の顔もよく見えない。夕方は遠くだったせせらぎが、すぐ近くで急流が流れるものに変わっている。どこかで渦を巻いている、ごぼごぼというおぼれるような音まで聞こえた。耳をすましているうちに足元がぬかるんできたような気さえした。気のせいか。
「なんでだ。雨はひどくなってきているけど、そんなに時間がたっていないのに」まだ一晩たっていない。そんな短時間に川が氾濫するのか。俺は呆然となにも見えない空をあおぐ。ザリが角灯片手に天幕を飛びでた。
「俺も懐中電灯っ」角灯よりも明るい光を取って照らした。いつの間にか足元が川になっている。深さは小指の長さもないものの、確かに川だ。キャロルはあわただしく荷物をまとめて黒海の背中に乗せ、イーザーもさっそく天幕の綱をほどきはじめた。
「アキトも手伝えっ!」「分かっている! でもどうして」
「知るかっ」
「あ、俺分かった」
天幕をたたみながら思いあたった。
「分かった?」「きっと上流でものすごい雨が降っていて増水したんだ。この辺植物が多くなくって平地だろ。きっと今まで何回もこんなことがあって、そのたびに草がなぎ倒されてここまで川になったんだよ」
なんて俺は気がつかなかったんだ。自分を責めた。街育ちのキャロルや他の人はしょうがないかもしれないが、俺は雨も川も多い日本人だ。災害については授業でも新聞でもさんざん習った。俺が一番初めに気づいてしかるべきだったのにのんびり寝ていた。これを馬鹿と呼ばずしてなんて呼ぶのだろう。
「気づいて当然だったわ」ザリの声が沈んだ。
「草木の群生を見れば当然分かったことだったわ。まぬけねわたしは」「いや、ザリは悪くないだろう」
とっさに肩をつかむ。思ったより高いところにあるけど無事つかめた。驚いたようにザリは顔を見る。髪はべっとりぬれて頭の形そのままに張りつき、眼鏡は水で反射してよく見えない。
「そこ、速く!」キャロルがどなった。俺は返事を聞かずに天幕をたたむため背を向ける。水はもうくるぶしまできていた。
俺たちはすばやく片付けて自分で背負い、または黒海の背にのせた。これより速くは片づけられないほど速かった。しかし水が迫るのもまた速かった。やっと全部終わる頃には水はひざのすぐ下まできていて、勢いは油断すると持っていかれそうなほどだった。ミサスは一時本当に流されかけて、即座に一人だけ木の上に逃げた。さすがにだれもとがめない。体重が軽いと大変だな。
「さっさと逃げるぞ」肩がきしみそうなほど思い荷物を背負い、イーザーはよろめきつつも戻った。キャロルがその肩をしっかりつかんで続く。
「黒海、行こう」ザリも黒海の手綱を取って歩く。足元を見ずに邪魔されているとはいえその歩みは非常に遅かった。俺はキャロルから離れてザリに近づく。
「ザリ、俺も手伝う。うわっ!」手綱をにぎって力任せに引っぱったとたん馬は嫌がっていなないた。俺を振り払おうとすごい迫力で首をひねるが、ザリが馬の首筋をなでてなだめる。
「ごめんねアキト、この子わたし以外に触れられたがらないの。育て方が悪くって。わたし以外を背中に乗せないし」なんて馬だ。そういえば今までザリ以外触れなかった。なんだか日坂高校にいた、触ろうとするとすぐ逃げるぶち猫を連想させる。俺は結局あいつに触れずじまいだったか。
平和な記憶に思いをはせている場合ではない。俺は手綱をにぎりしめた。
「手を放さないでねアキト。一緒に行きましょう」俺に言うというより自分をはげますようにうつむいて一歩進む。
「アキト!」先に高台へ逃げたキャロルが叫んだ。
「馬にしがみついて!」とっさにザリが俺を黒海のほうへと乱暴におしつける。
どっと大量の水が押しよせてきた。腰まで水につかり、俺は危うく連れて流されそうになる。巨大な馬である黒海さえもよろめいた。下手に動けない。流れが早い、それなのに水かさは増す。
どうしよう。俺は相手が嫌がるのにもかまわず黒海にすりよった。このままじゃあ流されるかもしれない。でも動けない。
「アキト、黒海に乗って!」俺がどうすることもできずに動けないでいると、ザリがきっぱり言った。
「え?」「黒海なら大丈夫、水に取られないわ」
「でも、ザリ以外には乗せないんだろ。それに俺馬には乗れないよ」
「わたしが頼んで、わたしがつきそえば乗せてくれるわ。速く行こう」
「でも」
俺は反論しようとしたが、ザリはまったく耳を貸さなかった。優しく黒海にささやく。
「黒海、いい。乗せてあげてね。いい子だからお願い」優しい声で、首を2回軽く叩く。「さ、乗って」俺にうながす。
なんだか強引だ。こんな人だっけ。もっともフォロゼスから強引にミサスに同行した人だ。おとなしく人の言うことをよく聞く人でないことは確かだな。
「ちょっと待って」うながされて馬の肩にしがみつき登ろうとする。といっても相手は馬だ。乗るべき背中ははるか高い位置にある。登れといわれてもそう簡単に登れるものではない。苦労して登ろうともがくと、ザリは俺の背中をつかんだ。
「ザリ」「動かないで!」
ぴしゃり命令されて俺はとまった。力づくで持ち上げ、無理に背中まで引きずり上げる。まるでものすごく重い荷物を扱うかのような強引な手段だった。よく持ち上げられるな、外見のわりにというか外見どおりにというか力が強い。もちろんウィロウほどではないけど。
さいわいに黒海は暴れなかった。暴れられたらもうどうしようもなかっただろう。俺は落ちないようにたてがみをしっかりにぎりしめしがみつく。こんなでは馬を走らせるどころか前足も動かせられなかっただろうが、そこを心配することはなかった。
「よし」ずぶぬれで暗く、表情どころか顔さえ見えない。それなのにザリが満足したのが分かった。
「っ!」なにか油断したのだろうか、それとも俺みたいな重いものを持ち上げて足を取られたのだろうか。小さく叫び、前のめりに倒れる。
俺はとっさに馬上から身体を乗り出して手を伸ばす。
「ウィロウ!」手はすり抜けた。しっかり手綱をにぎっていたはずの手はいともたやすくすり抜ける。そのまま闇の向こう、水音の先に消えてしまう。俺の腕はむなしく棒のようだった。
もし今、ちゃんと名前を呼べたら。
俺のよく知っているウィロウの名前ではなく、あの赤毛の薬草師の名前を呼んであげられたら、俺はちゃんと手をつかめたのだろうか。
なんで俺は言い間違えたのだろうか。違うのに、別人なのに。似ているところは少ししかないのに。勝手に重ねて、面影をザリに見て。
「ザーリィ!」手綱をしっかり握って泥水へ飛びこまんばかりにのぞきこむ。届かない。もう赤い色さえ見えない黒い影が、少しもがいて流される。
させてたまるか。俺は手綱を手ばなした。泳いででも行く。
「アキト、動くな!」動きをとめられる。叩きつけるような叫びだった。
イーザーはその場でブーツと外衣を脱ぎすて後ろに投げる。キャロルが縄をイーザーの二の腕に巻きつけ「行け」力強く背中を叩く。ずぶぬれのままロープのもう片方をしっかりつかみ、角灯を高くかかげた。
イーザーはためらうことも恐れることもなく泥水へ飛びこんだ。流れに巻きこまれて下手すれば自分も足を取られかねない。顔をしかめ不恰好にもがきながらもザリまでたどりつき襟首をつかむ。
「ザリ、ザリ! しっかりしろ!」「……」
俺には聞こえなかったがイーザーには声が聞こえたようだった。「引きあげるぞ、じっとしていろ!」
「イーザー、丁寧な扱いをしてね。水を飲んでいるかもしれない」
「分かっている」
俺も助けないと。飛びおりようと黒海の首をつかむと、急にうなり俺を振り落そうとした。
「馬鹿アキト、今行く!」
必死でしがみつく俺を見てあわてて水に足を取られながらもかけよる。
「なにやっているんだよ」手綱をつかみ静めようとするが、かえってかみつかんばかりに歯をむき出しにされて威嚇される。
「イーザー、こいつ人見知りするんだって」「なんだそれ、このっ、忙しいんだから落ち着け馬!」
イーザーは舌打ちをし、力任せにおとなしくさせようとした。
「待って」その横から手が伸び手綱をつかむ。とたんに黒海はおとなしくなった。
「ザリ!?」「肩を借りるわね、イーザー」
その言葉どおり、イーザーにほとんどもたれかかるようにしながらもザリは黒海をなだめて、川岸へ引っぱろうとする。今度はおとなしく黒海も引かれた。
「大丈夫なのか、おとなしくしろよっ」「平気、少し驚いただけ。おとなしくしている場合じゃあないでしょ、こっちへ」
もうだれがだれを支えているのかも分からない。団子のようになりもたれかかりあい、俺たちは暴力的な水から出た。
まだ水は増える川を後ろに大急ぎで逃げだす。俺は黒海から降り、ザリが馬を引く。大慌てで高いところへ逃げた。
一息ついたら夜が明け空のはしが白く輝いていた。ぬれた布団や服、天幕を干してようやく人段落ついたときは昼近くだった。
へとへとでくたくただった。今すぐ横になって寝たいところだったがそうは行かなかった。
「アキト」いつもちゃんとむすんでいる髪が、今日に限って日が高くなってもそのまま肩にかかっている。イーザーは険悪そうに俺を見た。
「イーザー」「言ったぞ、俺は」
「なにを」
「とぼけるな。ウィロウとザリを重ねるなって言った!」
俺はひっぱたかれたような気がしてつまった。聞こえたのか。
「名前くらいちゃんと呼べよ、そうすれば手をつかめたのかもしれないのに。もう重ねるな、ザリとウィロウは別人なんだ。認めろ!」「でも」
「でもじゃない。支障が出ているんだ、実際に悪い影響が出ているんだ、もうするな」
「でもイーザー、ウィロウのことももう忘れろって言うのかよ」
疲れているはずなのに、あるいは疲れているせいなのか。無性に腹が立った。
「そんなことは言っていない」「言っているだろ。重ねるなって、いないことにしろって。そんなの無理だ、絶対に無理だ。似ちゃうと思うのは当然だろ」
イーザーのほおに赤みがさした。
「そのせいでおぼれかけただろ! お前のせいだぞ、話をずらすなっ」言いすぎた、殴られるかもしれない。とっさに目を閉じて歯をくいしばった。
「そこまで」凛とした声が響く。目を開けるとザリが俺とイーザーの間に入っていた。
「話なら後で、落ち着いたときにしようね。今はとにかく休んで支度を整える」「ザリは腹が立たないのかよ」
ザリにもくってかかった。待てイーザー、言うな。
「アキトはな、ザリとウィロウを一緒に考えているんだぞ、腹が立たないのか?」「別に」
平然としていた。まるで小さな子ども相手にしているようなあしらい方だった。
「なんでだ。一緒にされて腹が立たないのか」「どうして腹を立てるの? わたしの前に別の人がいたことぐらい知っているのよ。ラディーン陛下から聞いたわ。その人と重ねてみるのなんてしょうがないことだし、名前だってとっさに出てこなくても仕方のないことでしょう。怒るわけないわ」
なだめるようにイーザーに言い聞かせる。
この人はだれだろう。
俺は半分、今まで会ったことも見たこともない人を見る目でザリを見つめていた。
この人はだれだ。赤い髪で落ち着いていて背の高い人は。
一見おとなしそうでありながら、フォロゼスの魔性ディスポーザーを追いはらい、まんまとミサスについてきた人。俺を持ち上げられるほど力が強く、おぼれかけてもその手で黒海の手綱を握り、今俺の前でイーザーを軽くあしらうこの人は。ウィロウを重ねていたことなど承知で、あっけらかんと受け入れて。
俺は今までなにを見ていたのだろう。
ザリはウィロウではない。それどころか全然違う。外見や種族ではない、もっと根本的なところ。性格が違う。
今までウィロウとザリを重ねて見ていた。とんでもない話だった。どこも似ていない、別人だ。
とうとうイーザーが根負けしてふてくされたようにそっぽを向いた。よかったねとザリが笑う。俺はああともなんともいえない、あいまいな返事で離れた。キャロルが追いかける。
「アキト?」「キャロル。俺勘違いしていた。ザリは魔法使いでも王族でもないけどすごい人だ」
「なにをいまさら」
キャロルには特に驚くことではなかったようだ。
「ディスポーザーをうちはらって、あのミサスについてきた人よ。普通の人であるわけがない」「気づかなかった」
「ついでにもうひとつ、教えておくわね」
キャロルは少し考えるようにためらい、そしてささやいた。
「ザリは嘘をついている」「えっ?」
話し方にもしぐさにもまったく嘘をついているようには見えない。あんな正直そうな人が俺たちをだましているとは思いたくなかった。
「馬鹿、人は顔で嘘をつかないわよ。なら言いなおすわ。ザリは隠しごとをしている。あたしたちにはまだ言っていないものを腹に隠しているわ。注意しておくことね」なんて答えれば分からなかった。
「ついでにもうひとつ、ラスティアのことへの手紙、ザリが書いたわ」「もごっ!」
危うく叫びかけた。あらかじめキャロルは予想していたのか、手ですばやく俺の口をおさえて続ける。
「すきを見てかばんをのぞいたの。薬草の束や入れものにあった走り書きは、手紙と同じ文字だった」「ならあれはザリが書いたのか? なんでザリが知っているんだよ」
「あたしも知らないわよ。本当にラスティアの配下なのかもね」
「どうしよう、どうする? ミサスは知っているのか?」
「知っているでしょう。ああ見えてもミサスは馬鹿ではないし目端がきく。手紙はミサスがあずかっていたものよ。知っているんじゃない」
「聞くか?」
俺は首をめぐらせキャロルにおさえられた。
「なにを」「決まっているだろ、ザリに直接声をかけて、どういうことか説明してもらうんだ」
「冗談。いきなり真っ向から挑もうとは思っていないわよ。あれはアキトよりも弱そうだけど、他にどんなことを隠しているのかまだ分からないからね」
気をつけてねとキャロルは軽やかに注意する。でもどうやって。キャロルの話に俺は呆然とする。ようやくキャロルのああまでの反応が分かった。ただでさえ穏やかではない道のりに黒雲が立ちこめるのを感じた。