三つ首白鳥亭

−カーリキリト−

1. 犯罪都市レイド

悪名高い犯罪都市レイドの評判は、大げさな表現だったという印象だった。

「絶対に一人では行動しない。なにがあっても無視する。動揺しない、人に関わらない。自分以外の人間は全員敵意を持って近寄ってくると考える」

昨日からキャロルにさんざん聞かされたが、それほどひどい街である気はしない。確かに人々は手に手に武器を持っているし、街は乱雑な雰囲気だ。でも武器携帯はレイド国内では当たり前のことでもう慣れたし、乱雑というのも活気があるといえる。そう考えるなら悪くない。

「キャロルが言うほどすごいところには見えないぞ」

今にも喉が張りさけてしまいそうな商人のけたたましい呼び声を背景に、俺は田舎者丸出しでレイドを見上げた。

「そりゃそうよ。まだ正面、表だもの。だからって油断しないでね。アキトのしりぬぐいで危ない目に会うのはごめんよ」

憎まれ口を叩きながら、しかしキャロルが本当に心配しているのは俺ではなかった。

「特にザリ、ファナーゼの外では馬は高価ということを忘れないでね」
「ええ」

ザリは黒海を引いて大通りを歩く。手の関節が白くなるほど手綱を握りしめている。例え今大災害が起きたとしても放すまいといった覚悟なのだろう。

黒海は人目を引いた。通りすがる人々みんな巨大な黒馬を見上げ、ふりかえる人もけして少なくない。

俺は黒海が盗まれる心配はしていない。こんな大きな生き物をどうやって盗めというんだ。でもなにかあったらやっぱり困るから、用心するにこしたことはない。

「ただでさえあたしたちは目立つのだからね」

キャロルがだれのことを言っているのかよく分かった。自然と他人事のように歩いている黒翼族へと目を向ける。ミサスが悪党に誘拐されるなんて心配は、黒海以上にありえない。そんなことを考えるよりも自分の心配をしたほうがはるかに生産的だった。それとも空が落ちてきたらどうしようと考える方が。

警戒しながら今日の宿兼本拠地にする情報屋を探していると、道の端屋台の隙間で2人の男が口論していた。かなり白熱しているらしく、2人とも口から泡を飛ばしてはげしく争っている。

「なにを言ってるのだろう」
「政治的なことみたいだ」

男のうち片方が手を腰へ持っていったかと思うと、小刀を取り出してもう片方の男の胸を刺した。いかにも日常的でさりげないその動作に、しかし男は口から血の泡を吹いて倒れた。どう見ても致命傷、もう生きていない。

刺した男は走って逃げるわけでもなく、裏路地に消えるわけでもなく、堂々と大通りの流れに加わる。

「待てよ、おい!」

もちろん黙って見ていられなかったのはイーザーだ。男の肩をつかむ。キャロルがあきらめたように額に手をあてた。

男は言い訳も反論もせずにイーザーの腕をつかみ、腹めがけて小刀を突き刺そうとする。イーザーも刺されまいと身体を横にそらし、男の手首をつかむ。互いに数秒動かなくなった後、男の小刀が耐えきれないように手からこぼれ落ちた。

「キャロル、役人を呼んでくれ」

勝利を確信して男から目を離す。そのわずかな隙をつき、男はイーザーの腕をふりきった。大通りの人波へ消える。

「待てっ!」

イーザーは追いかけようとするが、なにも持っていない男と皮鎧や剣やそれ以外の荷物を背負っているイーザーとでは勝敗は明らかだった。予想通りすごすご戻ってきた。

「逃げられた」
「予想はついたわ」

俺は奇妙な息苦しさを感じてキャロルに聞いてみた。黒海がとつぜんいなないて後じさり、「どうしたの?」ザリがなだめようとする。

「キャロル」
「なに?」
「どうして、だれも気にしないんだ?」

白昼堂々とけんかと人殺しがあるのに、だれも足をとめなければ役人に知らせに行かない。倒れている男はまだ暖かく、血だまりを作っているというのに、道行く人々はごみ袋が転がっている程度の認識しかないように平然としている。俺は死体と人々の無関心さに気分が悪くなって口を押さえた。

「レイドだからよ。珍しくないから気にしないの」
「人殺しだぞ!」
「そうよ、珍しくないでしょう。そのうち追いはぎが服をかっぱらうのじゃない」
「そんなの、ありか」
「ありよ。しょせんチンピラ2人がけんかして殺しただけ。調べられることもないわね。みんな自分を守ることしか考えていないのだから」

あたしたちも立ちぼうけしていないほうがいいわね。キャロルはつけくわえて周りを見た。

「ザリ、馬に気をつけてって言ったでしょ」
「えっ?」

思わずザリは黒海の首に抱きついた。

「さっき盗まれそうになったのよ、知っていた?」
「全然気づかなかった。いつ?」
「まぬけ面で死体を眺めていた時。手綱をひったくろうとして近づいたのだけど、馬の方が先に気づいて暴れたから無事だったの」

馬のくせに黒海は賢いらしい。ザリは安心して脱力した。

「手綱を取ったらすぐに気づくじゃないか」
「気づくでしょうけど、その後は大声で自分のだと主張すればいいだけよ。周りの人はどっちが正しいのか分からないわ」
「こっちは5人だぞ!」
「人数は勝っているけど、だからといって論破できるとも、絶対に力づくで守りきれるとも限らない。危険を犯しても手に入れたかったのでしょう」
「なんて街だよ」

しぼり出すようにうめいた。街のど真ん中で盗みが起きて殺人が起きる。キャロルは肩をすくめた。

「言ったでしょう、犯罪都市だって」

おなじみの情報屋さえもあれすさんでいて、入るのに勇気が必要だった。それでも普通の宿よりは安心だということで部屋を取り、分担して買い物に出る。俺とイーザーが食料、キャロルとザリが衣服や雑具。ミサスと黒海は留守番だ。情報収集はその後。どんなに有益な話が街のどこかにあったとしても、その前に俺たちがしっかりしていないといざというとき立ち往生してしまう。避けたかった。

街で早々に殺人を見たせいか外に出たくなかった。でもそんなこと俺が言っても笑われるだけだ。観念して立ち上がる。

「ミサスは出不精が許されていいな」

うらやんでイーザーに愚痴をこぼす。イーザーは人波にうまく乗りながら「そうだな」同意する。

「でも時々部屋から消えているぞ。出不精というわけじゃないんだろう」
「どこに行っているんだろう。買い物か? なに買っているんだろう」
「魔法使いならではの道具かな。多いぞ、色々。鉱物に宝石、精製した薬品、薬草毒草、骨や羽根、鱗といった生き物の身体の一部。ぴんきりだ」
「ミサスがそんなの持っているの見たことがないぞ。使っているのもない」
「俺もだ。でもきっとそうだよ」

いつの間にか大きな川と、それに続く海へ出てきた。海は黒くにごってごみと泡が浮き、潮の香りは生ごみのにおいと混ざってとんでもない悪臭を生み出していた。よく見ると魚が白い腹を見せて浮いている。

「ひどい海だ」

東京湾の方がまだ清潔でいい香りがする。イーザーは汚さにあきれたのかぼんやり眺めた。

「海ってこんなのなのか? 初めて見るけど、なんだか聞いていたのと違う」
「違う違う、こんなの海じゃない」

イーザーは海さえ見たことがないのか。俺は漁師でもなんでもないが、学校は海の近くだし島国育ちだ。イーザーよりは多少はいばれる。美しい海のために俺は解説することにした。

「本当の海はもっときれいなんだ」
「そうか?」

イーザーはなにげなく周りを見わたし、「っく」しゃっくりをした。

「そうなんだよ。まず色が違う。これは黒だけど、本当は透きとおるような青だ。そして時間によって色が変わっていく。朝は金色で夕方は夕日色だ」
「そうか」
「匂いだって違う。こんなどぶ川の臭いじゃない。潮の香りっていいぞ」
「アキト、ちょっとお前だけで先に行け」

イーザーはあわただしく手さげ袋を俺に押しつけた。

「え? 俺で?」
「お使いぐらい一人でできるだろ。いいから行け」

振り返りもせずに、あわただしくそのまま走って建物の影に消えた。俺はなにがなんだか分からずに背中を見送っていたが、悪名高い街にいるのを思い出して、荷物を守るように胸に抱き、そそくさと商店の方へ頼まれた買い物をすますために行く。なんなんだ。

小麦粉や干し肉、保存食を山のように買いこむ。重さにうめきながらせおって宿へ戻ろうとすると、「よお」ふてくされたようなイーザーが俺を見つけた。

「イーザー。どうかしたのか」

気軽に声をかけてから気がついた。だらりとたれさがっているイーザーの右腕が切りさかれて、手から血がしずくを作っていた。

「腕!」
「あ? あ」

今気づいたように血にまみれた右手を自分の目の前にかかげた。

「大したことはない。止血するの忘れた。急いでアキト見つけようと思っていたし、その時はこんなに流れてなかったんだ」
「大したことはないって、どうしたんだよ!」
「ちょっとな」

あんまり言いたくなさそうだったが、血相を変えた俺を見かねたのかしぶしぶ言い重ねる。

「けんかだ。さっきちょっとした知りあいを見かけたんだ。会いに行ったらこのざまで逃げられた」
「知りあい? アットとかアルみたいな昔の友だちか? 仲が悪いのか?」
「そう昔じゃないけど、仲はよくないな」
「すごく悪いだろう。いきなり切ったはったになるなんて。イーザーもイーザーだ、だったら俺も連れて行けばいいのに」
「いいだろ、別に」

不機嫌そうな表情に、ひょっとしてイーザーの方からけんかを吹っかけたのかもしれないと思った。イーザーはいい奴だけど血の気が多く喧嘩っ早い。やりかねないな。だったらイーザーの口がどこともなく重いのも分かる。

「手当てしないと、宿に戻ろう! 早く、買い物している場合じゃないっ」
「俺も宿に戻りたい。話すことがあるんだ」

険しい表情のイーザーの手を引き、もといた宿へ戻ろうと走ろうとする。

「っ」

あわてすぎた。流血していないほうの手を取ったらつんのめりそうになって、持っていたなにかが転げおちる。

「あ、悪い」

代わって拾いあげた。

本だった。そんなに大きくも重くもない、古そうな普通の本だった。開いてみると見たこともない文字がびっしりつまっている。

「なんだこれ」

俺は文字の勉強をしている。まだ満足に読めないけど、それでもこれがカーリキリトで普通に使われている文字でないことは分かる。使いこまれているらしく、所々に細かい書きこみが入っていた。丁寧で小さい、かすれがちの文字だった。

「魔道書だと思う、たぶん」
「イーザー本なんて持っていたのか?」

今まで荷物に本なんて見かけたことがない。ましてやイーザーが本を読んでいる姿も見たことがない。持っていてはいけないということはないのだろうけど。

「まぁな。でも俺には分からない」
「イーザーは魔法を使うのに、なんで分からないんだよ。魔法の本なのに」
「俺の魔法は一般的なものじゃないからな。しょうがない。あ、待てよ、ということは」

自分でなにかに気づいたようにイーザーは動きをとめた。

「行くぞっ」

なかなか行こうとしなかったのはイーザーのせいなのに、俺を押しのけて泊まっている情報屋に急ぎ走った。

「おかえり。どうしたの、イーザー。怖い顔をして」

足音を聞いたのだろうか、不思議に思って廊下へ出てきたキャロルに言いはなつ。

「ミサス、いるか?」
「いる。こっちよ」

自分たちの部屋を指差した。キャロルの肩ごしにザリが見える。荷物をおいてくつろいだ様子で文字で一杯の本を開いている。本を読まない俺からすれば、それでくつろげるというのが信じられない。

キャロルのいう通りなぜかミサスも部屋にいて、黒い上着に白い糸でつくろいものをしていた。

「なにやっているんだ、ミサス」

あぐらをかいて床に座りこみ、図面表を何枚もひろげて縫いものをするミサスにたずねた。自分の目で見たことながらなかなか信じられない。ミサスは俺を無視してもくもくと縫っていたが、代わりにザリが本から目を離した。

「縫いものよ。さっきミサスが裁縫箱を借りにきたから、ここでぬっているの」

なぞのひとつは解けた。ミサスは荷物の軽量化をはかるあまり、日常生活に必要な道具さえも持ちあるかない。もし服がほつれたら針糸を買うか借りるかしないといけない。地味にちくちく繕いものをするミサスを見ると、なんだか笑えた。

「どこがほつれたんだ?」
「違うよアキト、ほつれたから縫っているわけではないの」
「えっ?」
「使っている針はわたしのだけど、糸は銀糸、ミサスが外で買ってきたものなの。それで服の裏にまじないの文様を縫いつける。図形は災害から身を守る魔法を持っていて、ただの服では望めないような防御能力を備えるのよ。多くの魔法使いたちがやっているわ」
「へぇ」

ただの縫いものではなくて魔法を服にほどこしているのか。俺は感心し、かつ心の中で笑ったことを謝った。ミサスは気にせず、仕上げとばかりに玉止めをして丁寧に糸きりばさみをふるった。

「のんきに魔法講座している場合じゃない」

イーザーは強引に俺を押しのけて前へ出る。

「これを見てくれ、なんだか分かるか」

服を着るミサスの鼻先に魔道書を突きつける。

「どうしたって言うのよ」
「キャロル、お前とも話し合いたいことがある。今すぐにだ」
「……はっ。了解」

なにか、俺には理解できないことを察したのだろう。3人はミサスの部屋に閉じこもり、俺とザリは蚊帳の外におかれた。

「なにがあったの?」
「俺にも分からない。どうしたんだろう」

急に消え、傷を負って帰ってきたイーザー。どこから出てきたのか魔道書。なにかあって相談しているみんな。ザリをつまはじきにするのは分かる、ザリには疑わしい点があるし、キャロルはものすごく嫌っているから。でもどうして俺までなんだろう。なにがあったんだ。

ザリは首をかしげて俺を見た。

「荷物の整理でもしようか」

現実的だった。そりゃ明確に「アキトは駄目」と伝えられた以上、無理に割りこもうとするつもりはないし、そこまでしなくてはいけない理由も特にない。だったらいつかしなくてはいけないことを先にしちゃうか。ザリと2人で買ったものを使いやすいように分け、荷物の中に入れていく。

向かいあって雑用をしていたが、ふと困った。

手を動かしているからとはいえ、黙っているのはまずいのだろうか。俺はちっとも気にならないけど、やっぱりぎこちない。

ザリの顔を気づかれないようにうかがう。キャロルの言葉がよみがえった。「ザリは隠しごとをしている」「あの手紙を書いたのはザリ」

なにを隠しているのだろう。フォロゼスの危機に、ラスティアについてどう関わっているのだろう。キャロルは疑いすぎる、でももしかして本当に敵なのかもしれない。

なんでついてきているのだろうか。考えてみると以前話してくれた義憤という動機もなんだか疑わしい。あれが嘘だったのなら、どうして俺たちと一緒にいるのだろう。キャロルなら内部から侵入しているのよと説明するだろうな。丁寧に布を折りたたんで背負いかばんの中に、しわができないよう入れている横顔を見ながら考えた。なんで。

「なにしているのよ、アキト」

あきれたようにキャロルが扉に立ちふさがっていた。

「なにって、ほっとかれたから雑用している」
「それは置いておいて。街へ出て、聞くこと聞いたらすぐレイドを出発よ」
「急ぐのか。どうして。それにさっきの話はなんだったんだ?」
「ちょっとね」

ごまかすというには明らかな拒絶だった。その話は後。きっぱり言われる。

「急ぐって、街から逃げるの?」
「いいや、まだなにも聞いていないのよ。情報収集だけはしないと。時間はかからないわ。雷神殿と水神殿付属の図書館で魔法使いの名簿を見るだけ」
「手分けをするのか」

買い物みたいに分ければ早くすむ。急いでいるのだったらそうした方がいい。軽い気持ちだったのになぜだかイーザーの顔がこわばった。

「駄目だ。一緒に行くぞ」
「みんなで?」
「みんなでだ。まず水神殿に行って、次に雷神殿」
「分かった」

水神殿は遠かった。早足で人波をかけぬけてようやく古く巨大な建物が見えてきた。

さすがの犯罪都市レイドも図書館内は武器持ちこみ禁止だった。フォローでは当たり前だったことがこんなに安心するなんて。ついでに図書館の利用は有料だった。職業や種族によって細かく料金が決まっていた。日本国憲法の基本的人権に真っ向からけんかを売っているような制度だったが、紙も本も日本よりはるかに貴重で、しかも治安が極端に悪いここではしょうがないのかもしれない。ちなみにキャロルが一番高くてザリが一番安かった。

踏みこんで驚いた。

「おおっ」

わたされた魔法の明かりがともる短棒はかなり明るかったが、それでも図書館の奥まで照らしきれなかった。

所々に魔法の明かりが灯っていて、なにも持たなくても歩ける程度には照らされているが、図書館の広さと暗さに完全に負けている。よく絵本で人が本の中に吸いこまれる話があるが、この図書館には本当に行方不明者が出そうな雰囲気がある。こっそりだれかがいなくなってもおかしくない。俺は怖気づいた。

「目的はラスティアのこと。精霊術を使う魔法使いなのだったら、どこかに書かれているはず。それだけでひとつの論文や本になっていてもおかしくない。がんばって探すように」

秘宝目指す冒険隊隊長のごとく、キャロルは勇ましく全員に命じた。

みんなが思い思いの速度で散らばる。最鈍は俺の時速0キロだった。

「キャロル」
「なに」
「俺がつったっている理由を聞かないのか」
「聞かなくても分かるわよ、字が読めないんでしょ」
「分かっているなら連れてくるなよ!」

ここで天文学的分量の書物を見るまで気づかなかった俺も俺だが、ほかにだれも思いださなかったのか。読解能力3歳児並みの俺には、並んでいる背表紙がなにひとつ理解できなかった。

「外に一人おきざりは危ないじゃないの。あたしらも期待していないからその辺でおとなしくしていて」

扱いまで子どもと同じだった。16歳として抗議したいところだが、現実として読めない以上、その立場に甘んじているしかない。照明棒片手にしばらく俺は立ちつくしていたが、やがてふてくされてその辺の椅子に座った。けっ。

しばらくして、両手に山のような巻物を抱えたイーザーが戻ってきた。

「アキト、ぐれているか?」
「調べ物はどうしたんだよ」
「今からやるって。古い精霊使いの伝承に関する巻物だ。きっとなにか見つかる」

生徒手帳と鉛筆を前に、日本語で書き記している俺を横からのぞきこんだ。当たり前だが言葉が読めず、怪訝そうに俺に聞く。

「なにしているんだ?」
「じっと待っていてもしょうがないから、俺なりに分からないことを書いていた」
「どういう風に」
「大まかな謎は3つ。ラスティアのこと、声のこと、その他俺たちのこと」

イーザーは巻物を広げたが、興味は明らかに俺の方へ向いていた。俺は意地の悪い気分になって、大げさに「悪いな」と謝る。

「調べ物の邪魔をしちゃいけないな。イーザーは自分のことをしろよ」
「いいから先を言えって。さっきの子ども扱いした仕返しか? あれはキャロルがやったことだ、俺は見ていただけだろ」

同じくらい悪いわい。でもあんまり意地を張って本当のけんかもしたくない。もったいぶるのはここまでにしておこう。

「ラスティアについて今まで分かっていることは、金髪の俺より年上の男であること、影の導師や、……響さんを部下にしていること。精霊使いと魔法を使うことだ。クレイタの街を闇に沈めたり、フォロゼスの城に化け物を呼んだのはラスティアの仕業だ。ラスティアは俺をつけ狙っている。俺たちのほうもアットの依頼で追っている」

イーザーは真剣に相槌をうった。巻物のことはもう忘れている。

「ラスティアについて分からないことは一杯ある。どこの国のどういう人物か、なんの目的でフォロー王国を混乱させて俺を狙っているのか。ラスティアの素性を調べることが俺たちの一番の目的だ」

視界のはしっこでザリが姿を見せて、すぐ消えた。

「次に声のこと。声について分かっていることもないに等しい。口うるさいことぐらいだ。日本では俺ばっかりに話しかけた。カーリキリトで俺以外の人に話しかけていたし、向こうでグラディアーナも声を聞くことができた。それが声がそうしたいからなのか、グラディアーナがカーリキリト人だったからなのかは分からない。あとラスティアを知っているらしいし、どうも俺をカーリキリトに送りこんだ本人だと思っている」
「一番初めのはおまえの主観だろ」

いや、客観的に見ても声は性格が悪い。

「声についてはラスティアよりも分からないことだらけだ。どこの国の人なのか、そもそもどっちの、どこの世界の住民か。外見は、性別は、立場は、身分は。俺たちの敵か見方か。ラスティアとの仲は悪いみたいだけど、どういう関係なのか、なんで俺に関わるのか、目的はなにか」

本の森からミサスが帰還した。まだ探索の途中らしく、手ぶらで本棚をゆっくり見回っている。

「声については本当になにがなんだかだよな。俺たちの依頼とは無関係みたいだけど、ラスティア探しの中では絶対に重要だと思うぞ」
「俺もそう思う。で3つ目、その他だ」
「どこに分からないところがあるんだよ」

ミサスが足をとめて、本棚の一角を見上げた。

「俺たちはともかく、キャロルは色々隠しごとをしているはずだ。ミサスなんて分からないことのほうがまだ多いぞ」
「今は関係がないだろ」

口が重そうに、イーザーはつぶやいた。

「うん、全然関係がない。関係がありそうなことだけ考える。まずはザリのこと」
「あ、そういう意味でか」
「なんだと思ったんだよ。キャロルいわく、ザリはなにか隠しごとをしている。ラスティアについて手紙を渡したのはザリみたいだ。本当かどうかは分からないけど、キャロルが警戒するのももっともだ。

ザリはいい人だ。きっとイーザーとためを張れるほどのいい人だろう。でも同行する理由にしろ手紙の字にしろ、キャロルの疑問に対抗できないのも事実だ」

ミサスが目指す本へ手を伸ばした。そこまで高いところにあるわけではなかったが、身長が低すぎてぎりぎり届かない。

「俺のことも謎だよな。なんで声やラスティアが俺に関わるんだろう。俺は普通の高校生なのに」

ついでに楽師のフォールストもそうだった。あの人は今どこでなにをしているのだろう。

「そして俺たち全体」
「なんだよ。俺はなにも隠していないぞ!」

ミサスはその辺から台座を見つけて、目的の本の真下まで動かそうとした。引っぱるが足場は動かない。重いらしい。

「違うよ、俺たち全体でだよ。分からないことがあるんだ。ラスティアたちが言う俺たちの呼び名だよ」
「呼び名」

イーザーは繰りかえして、思い返したように「ああ」口を開けた。

「俺たちもラスティアのこと適当に呼んでいるけど、向こうはすごく変な風に俺たちを呼ぶだろう。俺は宿命の者、ミサスは翼の戦士。ウィロウは」

ふと黙った。もしここにウィロウがいたらどうするだろうか。大量の本を見て喜ぶのか、すごく難しいことを言って俺を眠くさせるのか。いないとさみしい。まだ平気で名前を呼べない。

「アキト」
「……ウィロウは、道標だろう。なんでそんな風に呼ぶのかな。ミサスは見た目から呼んでいるのかもしれないけど、俺なんかは訳が分からないよ」
「そうだな」

向こうではミサスを見かねたのか、ザリが肩をつついて声をかける。

「な。俺たち全体として、なにがなんだか分からないことに遭遇しているだろう」

イーザーは眉を寄せてうなった。暗い表情で考えこむ。イーザーの憂い顔なんて珍しかった。

「どうしたんだよ、おい」
「なんだか、よくない感じだな」

アキト、アルを覚えているか。イーザーは出しぬけに聞いた。

「もちろん覚えている」
「アルが言っていただろう。不吉な感じがする、危ないって」

そういえば言っていたような。

「俺はな、それを軽く考えていたんだ。アルはもともと楽天的で、ああいうことを言うのは珍しい。精霊使いとしてなにか見たのだろう、ぐらいにしか考えなかった。でもこうして考えてみるといやな感じがする」

本はザリほどの長身なら楽々届く位置にあったらしい。難なく本を取ってミサスに手渡した。「これ? ほかにも取ってほしいものはある?」聞く。

「なにがいやって、今まで敵は分からなかったけど、特に自分たちに疑問は持たなかっただろう。ばらばらの性格の俺たちがアットの頼みでラスティアについて調べる。話はそれで終わりだった。ひとりひとり、例えばミサスの内面とかは分からないところだらけだけど、それでも俺たちが何者かなんて悩まなかった。

でも実はそうじゃなかったんだな。俺たち自身さっぱり分からないことにまとわりつかれている。どうして、なんの理由で。見当がつかない。

アキト、俺は気味が悪い。俺たちの知らないどんなことが俺たちに隠されているんだ?」

俺は答えることができなかった。


ミサスの選んだ本は重そうだった。ザリに机まで運んでもらい、少しでも頁が開きやすくなるようにとほかの本を組み合わせて傾きを作り本をめくった。表情はかすかながらいやそうだった。

しばらくめくっていたかと思いきや、いきなりミサスは立ち上がり本はそのままにして立ち去った。

「おいミサス、本を片付けてから帰れよ」

当たり前のように無視された。しょうがない、俺とイーザーで後始末をする。

「イーザー、ミサスのあれなんとかならないか」
「無理じゃないか。人の性格なんて根深い問題だぞ。俺はもう気にしていない。ミサスはああいう性格なんだ。逆にまめまめしく片付けていたら気味が悪い」
「俺もあきらめているよ、でも時々な」

俺のかかえている数々の重荷に比べたら、ミサスの問題なんて微々たるもの、どうでもいいようなことだ。それでもやっぱり気になる。ぼかした言葉を口の中でもてあましながら、ミサスが開いたまま放置した本を閉じようとする。結局ミサスが目を通したのはこの一冊だけ、後は全部本の支えだった。非効率的なやつめ。

「アキト、待て」

手首をイーザーにつかまれた。

「閉じるな。その頁、変だぞ」
「変?」

イーザーに指摘されて、改めて開かれたページを見る。言われてみればおかしかった。その頁は数枚分刃物で切りとられ、なくなっていた。もちろんミサスの仕業ではない。俺たちはちらちらミサスを見ていた、そんなことはしていない。だれかのいたずらなのだろうか。本は貴重なのにひどいことをする。イーザーは本の表紙をめくった。

「水神殿に登録した魔道士の名簿だ。持ち出し禁止の本」
「持ち出し禁止? なら図書館の中で切ったのか?」

図書館は武器の持ちこみは禁止している。外に持ち出せないならどうやって頁を切りとったのだろう。

「そんなの刃物を隠して持ちこんだに決まっているだろう。それで人が見ていないすきに切りとったんだ」

謎はすぐにとけた。イーザーは前髪をかきむしる。

「やられた」
「なにをだ」
「ラスティアに先をこされた! きっとここにラスティアについて見られたくないことが書かれていたんだろうな。それで先にきて切りとったんだ」

キャロルとザリを呼ぶぞ。宣言する。

「この本は駄目だけど、ほかにまだあるかもしれない。この本は、えっと、結構昔の本だ。20年前のものだな。だったら簡単だ、同年代の本をがんがん探そう」

すぐに別の手がかりが見つかるさ。わざと力強く言う声に、から元気だと分かりつつも俺は慰められた。

本人でさえ信じていないなぐさめの言葉は、やはりかなうことはなかった。

3人で必死に探した結果、見つかったのはやっぱり切りとられた本が一冊のみ。

「でもこれはこれで立派な手がかりになるわ」

キャロルはなぐさめではなく本心から言う。

「切りとられたのは昔の魔道士の名簿、厳密なものではなく、出身地と名前が文字列順に並んでいるにすぎない」

キャロルは俺たち3人へ向く。

「一冊目が初級魔道士の名簿で22年前、もう一冊が中級の魔道士ので19年前。2冊とも文字列はラ行だった」

ラ行? カーリキリトにあかさたなはない。英語のアルファベットでもない、独自の文字列を使っている。だからキャロルがラ行なんて言いだすのはおかしいのだが、これは勝手に分かりやすいように翻訳されたのだろうか。

「このことから2つ分かる。ラスティアという名は本名であること、少なくとも22年前から使われていたこと。

もうひとつ、ラスティアはこの国周辺の生まれで、22年前に魔道士の初級を、19年前には中級を通っていたこと」

俺は手を上げた。

「魔道士の初級や中級ってなんだ?」
「水神殿内の魔道士としての力を計る試験のようなものだよ。基本魔法や知識を試す」
「イーザーは何級だ?」
「知らん」

なぜか不機嫌そうだった。

「俺の魔法は簡単に人前で使うものじゃないから、試験なんてしたことがないな」

ザリが苦笑いしながらつけくわえる。

「基本魔法しか水神殿の尺度では測れないから、魔法使いの基準にはならないわよ。召喚魔法も黒翼族の魔法も、全部範囲外で測定不可能でしょうね」

その試験だとミサスも初級未満か。あんまり信頼できない。

「隠したつもりだったのでしょうけど、本ごと燃やさずに切りとるだけでよかった。粗末なやり方で助かったわ。雷神殿へ行こう。もう考える材料は十分に手に入れたわ」
「また先回りしていないかな」
「知らない。でも急ごう」

本を片付ける手間も惜しい。後で司書の人に迷惑をかけることになるが、そのままにして図書館を出た。ミサスのことは言えないな。

「本が切られていないといいな」
「それならまだましよ。神殿に放火とか、関係者皆殺しになっていないといいわね」

うっくとイーザーは変な声を出した。残念ながらキャロルの考えすぎだとは思わない。今までラスティアは街ひとつと城ひとつを滅ぼしかけた。ついつい俺は空を見上げる。また金髪の男が浮いて魔法をとなえていたらどうしよう。

街の中央部に近づくにつれ、人も多くなり走れなくなった。ほどなく固まって歩くことさえ難しくなり、俺たちは肩をよせあいはぐれないように進んだ。がらの悪い男に2回からまれかけて1回けんかを売られたが、人波につぶされかけているミサスの黒い羽根を見ると引下がるか逃げた。

「キャロル、雷神殿まで後どれくらいだ?」
「もう少しのはずよ」

やかましい露店の物売りの声で、俺たちの会話はかき消されそうだった。もう少し通りやすい道はないのだろうか。

キャロルのねずみ耳が痙攣したように動き、いきなり露店と露店との間、屋台と天幕のわずかな隙間に入る。もちろん店を展開している犬の獣人と半魚人にはにらまれ怒られたが、キャロルは気にせず「ここよ」笑って告げた。

「ここ?」

色とりどりの布と店がひるがえる露店が展開している通りは騒がしく、到底神殿があるような雰囲気ではない。キャロルが言っている建物もぱっと見た限りでは小さくてきたなく、神殿というよりつぶれて半年たった店舗だ。キャロルが先陣を切って入らなかったらからかわれたと思っただろう。

「ここ? キャロルの勘違いじゃないのか」
「行こうぜ、後ろがつかえている」
「わたしは黒海を見ているわ。先に入っていて」
「分かったザリ。行こう」

イーザーに押されて、俺は半強制的に敷布を踏んで建物の中へ入った。