三つ首白鳥亭

−カーリキリト−

1. 爆弾宣言

フォロゼス王城壊滅なんてとても信じられない。俺はフォロゼス城を歩いて部屋をのぞきこみ、窓から外をながめた。そのお城がもうこの世にないなんて言われても本当のこととは思えない。でも事実なんだろう。俺をだますだけに情報屋ぐるみで嘘をつくとは思えない。

正直につぶやいたらイーザーに肩をつかまれ力いっぱい前後にゆさぶられた。

「アキト! 縁起でもないこというなっ。まだ滅んだと決まったわけじゃない。そうだろっ。……どうなんです!」

血走った目で、それでも比較的冷静に店員に話を聞く。俺たちの反応をよく分かるとうなずきながら店員は説明してくれた。

今日からさかのぼって5日前の夜、お城に怪物があらわれて大暴れしたそうだ。化け物は1時間たらずで消滅したが被害は甚大でほぼ壊滅状態、混乱は今でも続いているらしい。

「情報が錯乱しているみたいだけど、少なくともアットとお兄さんの無事は確実みたいだ」

聞くだけ聞いてから好奇の視線をのがれるように情報屋を飛びだして外で話した。道の人たちが変なものを見る目で俺たちを見るが気にする余裕がない。

「結構。でもさしひいても大変なことになっていたのね」

キャロルは大きく息をついた。大変ですむ話ではない。

「アットは無事でいいかもしれないけど、フォロゼスはどうなるんだ? フォローの首都にあるお城だろ。すごい大変なことじゃないのか」
「聞かなくても分かるでしょ。大変なことよ、とんでもないことよ、大丈夫じゃないわよ」

いらだったように足爪で地面を引っかいた。

「フォロゼス城は王家の象徴よ。それが魔物に好きなようにされたとなってみなさい。現在フォロー王家はお飾りで直接国政をになっているわけではないけれども、フォローの権威がどん底に落ちるわ」
「キャロルは地下道の一族だろ。人間の支配者がどうなろうといいんじゃないのか」
「あたしは地下道の一族だけど、同時にフォローの国民なのよ。ひとごとではないわ」
「国政なんて俺たちに関係ないだろっ」
「イーザー、あなたもフォロー国民でしょ。関係あるわよ」

キャロルがたしなめる。

「いいんだよ、どうせ俺の故郷は度がつく辺境だ。首都のことなんて半年しないと届かない。それよりアットだ。アットは無事か。命があるからって無傷とは限らないだろ。

それにミサスだ。ミサスの方は無事なのか? 連絡がないぞ、大丈夫なのか」
「心配いらないんじゃない、ミサスだし」

どうでもいいとばかりに、キャロルは自分の爪を見ながら答えた。

「ミサスだって不死身じゃない」
「アットでも無事なんだからミサスがやられるわけがない。依頼人のアットのために怪物を倒したのがミサスじゃないの。そんな途方もないものに対抗できるのなんてミサスしか考えられない」

言われるとそうであるような気がする。化け物をミサスが消滅させたんだろうか。

「そんなこと分からないよ。どんなにミサスが強くても生身なんだ。油断していたら死ぬだろう」
「そうかもしれないけど、じゃあどうやってミサス生存を確認するの? 情報屋にも入っていなかったし、ミサスの立場はあくまで一般人なのよ。よほどのことがない限りおおやけにはならないわよ」
「っ」

冷静に問題点を指摘するキャロルにイーザーは言葉をつまらせた。

「ミサスの安否なんて到底分からない。判断のしようがないわ」
「……そうだ」
「5日前のことなのでしょう。ことが起きてから翌日出発したのだとしたら、明日には追いつくわね」

キャロルは気楽だった。

「だったら明日には再会できるわよ。あたしにはミサスの安否よりフォロゼス事件の真相が気になるわね。だれが、なんの目的で起こしたのか」
「……ラスティアか?」

俺はつぶやく。こんな大規模破壊は、いつぞやのクレイタに似ていた。

「俺がまだフォロゼスにいると思って、ラスティアが俺を殺すためにしたのか?」
「それはない」

イーザーがきっぱり首を振る。

「根っこの一族の丘でアキトとラスティアは会ったぞ。ラスティアがまだ城にいると思うはずがない」
「ラスティアがやったことならアキト以外の目的があってそうしたのよね。たとえば、アキトのお友だち、声の味方がいたとか、召喚術に関係する重要ななにがあったとか。歴史ある城だもの、そのくらいあるわよ」
「あるのか? フォロゼスの城に重要ななにかが」
「実際のところは知らない。ないんじゃないの」

無責任な、それじゃ予想じゃなくてただの想像だろう。

「ラスティアがやっとは限らないわよね。ただの国家転覆の計画かもしれないし、他国侵略の第一歩かもしれない」

もっとたちが悪いじゃないか。そんなことを白昼堂々と言わないでほしい。俺は人目が気になる。

「だったら大事件じゃないか」
「大事でないと言ったおぼえはないわ。他国の侵略だったらどうしようもないのよね。今他国にいるあたしたちが関係できることではない。アティウス殿下と国王陛下になんとかしてもらわないと。まったく、フォロゼスの密偵はとんだ無能ぞろいね、なにやっているのかしら」

キャロルの怒りは違う方向に向いているらしい。そうは言うけど上空からなぞの魔法使いに巨大魔法撃たれたらどんな優秀な密偵でもどうしようもないと思うぞ。

「あたしたちはフォロゼスに戻ってもしょうがない」

キャロルは確認した。

「アットのように地位があるわけでもないし、ミサスのようにだれよりも強いとはいかない。戻ってもやることがない」
「だからって放っておけというのか? 様子を見に戻ったほうがいいだろう。今なにが起こっているのか、なんでこうなったのか俺は知りたい」

心情的にイーザーのほうが共感できた。友だちが大事件に巻きこまれて、しかも1人はまだ消息不明。ぜひともその場へ行って無事であるのを見届けたい。

「イーザァ。フォロゼスは遠いわよ。行くだけで時間を無駄にするわ。イーザーが行ってもやることはない。そしてあたしたちにはやらなくてはいけないことがある。ねえイーザー、どっちを優先する? 自分の不安を解消するためにまきもどるか、それとも肝心の友人の頼みのために前進するのか」
「キャロル」
「手紙でも書いたらどう?」

珍しくキャロルは同情するように優しくなった。

「生身で行けないのだったら殿下あてにでも書いて送りなさいよ。殿下の無事ははっきりしているのだし、殿下を経由してミサスが今どうしているのかも分かるわよ。そうしなさいよ」

イーザーはうつむいて歯をくいしばるも「分かった」しぶしぶ同意した。

その日のうちにイーザーは俺のボールペンとノートを使い、ぶあつい手紙を書きあげて情報屋の郵便にお願いした。


次日には情報屋瓦版にフォロゼスのことが大きく報じられて人だかりをつくった。内容は俺たちが知ったことと大差なかった。

次の日もそのまた次の日も、ミサスも手紙の返事もこなかった。イーザーはいらだったが「後処理で忙しいのでしょ」キャロルは平然としていた。

「ミサスほどの魔道士がそこにいて、なにもせず帰すわけはないわよ。調査に残党狩り、あとかたづけとやることは山ほどあるわ。怠け者のミサスも殿下が言ったのならむげにはできないでしょうね」

またもキャロルの意見は正しかった。

しかし3日目も一週間たってもなんの返事もないとなれば、のんきと野卑される俺でも不安に襲われる。キャロルも首をかしげたし、イーザーもあえて平然とふるまっているように努力していたが、無理が見え見えで正直そばによりたくなかった。

ミサスが負けるなんて想像しにくい。たとえ相手が異世界の化け物だとしても。俺の知っているミサスは不敗だった。しかしだからといって次も必勝が約束されているわけでもない。今なにをしているんだろうか。あの表情の読みにくい顔で傷ひとつなくこっちへむかっているのか、仕事が山のようにあってまだ城にいるのか、それとも怪我をして寝こんでいるのか、最悪のことが起きたのか。

想像は悪いほうへと広がり、俺はとても平然としていられなかった。我慢は早々に限界にたっし、今すぐフォロゼスに戻ってなにが起こっているのか確かめようと叫びたくなった。さながら俺とイーザーの我慢比べのようだった。イーザーのほうがフォローとアットへの情熱は高いが、俺のほうが忍耐力が低い。どっちが先にフォロゼスへ行こうとわめきだすか勝負だった。

9日目になった。夕方街に入り今日の宿を探すため大通りを歩く。幸いに今日も俺とイーザーはまだ持ちこたえていた。

野菜や燻製にした肉を大声で売りさばこうとする商人の声が通りに満ちていた。通りにはさまざまな店がたちならび、雑多に人々は買い物や帰宅に忙しく歩く。余裕をすり減らしている俺にその光景は平和そのものに見えた。

「あ」

イーザーが気の抜けた声をだした。視線を追って顔をあげる。

大通りに並ぶ材木屋の一角に、大量の材木を壁に立てかけていた。崩れないように太いロープでくくりつけられているが、古くて太いロープは結び方がゆるく、荷物を積んだ牛車に引っかかってひっぱられ、あっけなくほどけた。

ぼんやり見ているうちにゆっくり材木が崩れ、ばらばらになる。

「!?」

通りを行く人は驚いたように立ちどまり逃げた。

一人だけ逃げなかった。めがねをかけた女性で、イーザーの視線に気づき歩きながら見上げる。そこまではいい、しかし目の前で木材がほどけているというのに目を細め、なにが起きているのか分からないように立ちどまる。ちょうど近眼の人が遠くのものがよく見えないので細めるのに似ていた。

「危ない!」

思わず叫ぶ。女性はやっと目の前でなにが起こっているのか気がついた。逃げようと腰を引くが遅すぎる。身長の2倍はありそうな木材がふりそそいだ。

「くっ!」

イーザーが走った。飛び出して女性の手首をつかみ、ひっぱって共に倒れる。女性の帽子が宙を舞い、木材が大地にたたきつけられて土煙が舞った。

「イーザー!」
「大丈夫だ」

どなりかえす。すぐふりかえり「平気ですか?」気づかう。

「ええ、無事」

女性は驚きすぎたのか、ぼんやり俺たちの顔を見る。

「どこのまぬけよ、こんなむすび方をしたのは」

キャロルが馬鹿にしたように木材を足爪でけっとばした。もし下敷きになったら死にはしないかもしれないけど大怪我まちがいなしだろう。骨を折ったかもしれない。

周りにもようやく騒ぎが広がる。「どうした?」「怪我はないか?」

「兄ちゃんやるな、かっこよかったぜ!」

通りすがりの野次に「うえ?」照れたように赤面し、あわてて立ち上がる。

「たいしたもんだな、身をていして女の子助けるなんて!」
「別に俺そんなことじゃあ」

いや、そんなことをした。はやし立てるような拍手がして女の人も「ありがとう、助けてくれて。おかげで命拾いしたわ」まだへたりこんだまま礼を言う。

「本当、大したことをしたわよ。知らない人のためにふりそそぐ木材に突撃なんて」

キャロルの言葉は周りの人と同じ内容だったけど棘があった。イーザーがひるむ。

「なんだよ、言いたいことがあるのか」
「別に。なにもないわよ、そうとらえるなんてやましい気持ちがあるんじゃないの?」
「しょうがないだろ、危なかったんだ」
「もし今ので足でも折っていたらイーザーを人道的においてきぼりにできたのに。残念ね」
「おいていかないでくれ」

騒ぎを聞きつけた材木屋の職人さんがようやく飛びだした。状況を見てひらに謝る。まわりも立ちどまるのをやめて自分たちの仕事に戻り、通りにようやく日常の空気が戻ってきた。

女性と俺たち3人は店に通されさらに謝罪され、見舞い代わりのお金をさしだされた。もうけたいわけじゃなかったからイーザーは遠慮しようとしたが、その前にキャロルがありがたく受けとる。材木屋で結構時間を取られたみたいで、店を出たときにはもう空は薄暗かった。

「あの」

一緒に店を出た女性が、どこか熱いものに触れるように声をかける。

「よかったら、わたしも助けてもらった御礼をしたいから一緒にきて。わたしは水神殿に世話になっているわ、すぐそこだし時間は取らせないから」
「いや、いいです」

きっぱりイーザーは断る。

「とっさに助けただけです。感謝されるほど立派なことではありません」
「いいえ、ぜひいらして。このまま別れるわけにはいかないわ。本当にすぐなのよ」

女性が指をさしたところは通りの反対側、10軒ほど向こうの建物だった。本当にすぐだ、歩いて1分もしなさそうだった。

イーザーは頑固だったが女性はもっとだった。5分ほどやり取りしてキャロルが不機嫌になりかけたころ、とうとうイーザーが折れる。どうせすぐそこだし、一緒に行くことになった。

「水神殿? 神官なの?」

女性を先頭に歩きながらキャロルがたずねた。

「いいえ、学者よ。草原国ファナーゼからきたの」
「ああ、通りで。レイドの人間らしくない顔立ちだと思った」

カーリキリトにも人種の違いがあったのか。これだけ人間外が多いのだから人類は全部ひとくくりにされるのかと思っていた。

神殿前でふと女性は立ちどまり見上げる。つられて俺も水神殿の門へと首をかたむけた。

夕暮れ時、薄暗い街中で神殿の全貌はよく見えない。新しいものでも芸術的価値があるわけでもなさそうだ。門の一番高いところにカラスが止まっていて、暗くなりつつある神殿に不気味さをつけくわえていた。人がいないわけでも明かりがないわけでもないのになぜ不気味に思うのだろう。

がたん。イーザーの手から荷物がこぼれ落ちた。

「ミ」

カラスが羽ばたき舞いおりる。おりながら姿がふくらみ変化していった。黒い羽、子どものように小柄な体格、黒い目はなにも映さず俺たちを見つめている。音もなく着地したのは、俺たちがよくよく知っている人物だった。

「ミサス!?」
「おまえ、どうしてここに」

ミサスにかけよろうとしたが、その前にキャロルに肩をつかまれて後ろへひっぱられた。俺をかばうように前に出る。キャロルの目は女性を向いていた。

「あ、やっぱりあなたたちがイーザーだったのね。言いあっていたし人間の男の子2人に地下道の女の子と聞いていたから、たぶんそうだと思ったのよ。でももっと詳しく説明してくれればよかったのに」

女性は気安くミサスへ声をかける。少し恨みがましそうだった。この女の人とミサスは知り合いなのか? なんだかとっても親しそうだけど、ミサスの友だちか?

「だれ」

キャロルは簡潔ながら、深い敵意と警戒心をむき出しにして質問をした。

「あたしたちのことを知っていて、自分を黙ってここまで連れてきたわね。ミサスとどういう関係なの。なんであたしたちをだました」
「ごめんなさい、そんなに怒らないで。だますつもりはなかったの、確信が持てなかったのよ。もし間違えていたら恥ずかしいだけじゃない、大事なことを他の人にばらしてしまうことになるから言えなかったの」

女性に敵意はなかった。キャロルの勢いからするとのんきとも取れそうな態度で続ける。

「わたしはザリ・クロロロッド。草原国ファナーゼ出身。ミサスとはフォロゼス城の事件で知りあい、ここまで一緒にきた」

そしてザリは爆弾を落とした。それはもう破壊力絶大の、とほうもない一言だった。

「これからも同行します。以後よろしく」

到底水神殿に世話になる気にはなれない。だれにも聞かせたくない話をしたいし問いつめたいこともいっぱいある。特にキャロルがいやがった。水神殿はザリのほうがなじみぶかい。相手の本拠地にうかうか入るつもりはないそうだ。

「そこまで警戒しなくてもいいのに」

こっそりたしなめるも。

「2回もだまされるつもりはないわ」

受けいれられなかった。火も吐きそうな勢いを肌で感じ提案をあきらめる。急いで情報屋を探し、2人部屋を借りて長い話をしてもらうことになった。細かいこと、具体的になにが起きたのかを客観的ながらも話したのはザリだった。ミサスはあいかわらずひとごとのように部屋のすみで澄ましている。

長い長い話だった。ザリは丁寧に話したし、途中飛んでくる質問にもきちんと答えたからだ。

それに内容が内容だった。だんだん俺たちは口をはさむのをやめて話に圧倒された。ザリがフォロゼスでミサスと一緒に体験したことはすさまじい、それこそ俺がそこにいたら確実に死んでいたであろうできごとだった。

「ちょっと待って、要約させて」

キャロルが頭痛をこらえるようにこめかみをおさえる。足元を見ると足爪が木製の床に食いこんでいた。いつものようにひっかかくわけにはいかないのだろうけど、結果的には一緒になりそうだ。

「つまり、フォロゼス城でアティウス殿下が反逆をたくらんだということで拘束されていた。で、あの風使いとピクシーが救出しようとしたら犯人が異世界からなぞの化け物を呼びだしてフォロゼス城を壊滅させた。ザリはいったん逃げだしたものの戻って怪物を倒した。そしてミサスと一緒にここにいて、これからあたしたちと同行したいって言うのね、ミサスの許可の下で」
「ええ。でもあの魔物だけどわたしは大したことはやっていないわ、幸運と偶然が重なったのよ」
「ザリは戦士ではなくて、戦ったこともないアキト以下の普通の薬草師。嘘みたいだ」

イーザーが確認をする。まるで冗談のような話だった。

「ザリ、悪いけどちょっと席をはずして。身内で相談したいことがある」
「わたしで答えられることだったら答えるわよ」
「そうじゃないのよ、ちょっとしたこと。それにこれからはしたない言動をするつもりなの。これから一緒に行くザリの第一印象をこれ以上悪くしたくないわ」

冗談めかしたように笑うキャロルに「分かった、それじゃあ黒海の様子を見てくるわ」といたずらっぽく席を立った。ザリはきっと想像もつかないだろうな。はしたないというのが嘘になるくらいのことをするつもりだというのが俺にはよくよく分かった。

ザリが静かに扉を閉め、廊下を行き階段をくだり、足音が聞こえなくなってからせまい部屋は爆発した。今まで当事者がいるから口に出せなかったことがいっせいにあふれ出した。

「ただの薬草師ぃ! 嘘だろっ?」
「異世界の化け物をやっつけだだってぇ!?」
「これから一緒!? 冗談じゃないわよ!」
「普通の人がついてくるのか!? アキトひとりだけでも大変なんだぞ!」
「ミサスっ、おまえなに言ったんだよ! ミサスがなにもいわないことは知っているけど、それで誤解させたんじゃないのか!? あのザリって人この旅が安全で楽ちんなものだと思っているんじゃないよなっ! その必要最低限のことさえいわないくせで致命的な誤解をさせたんじゃないのか?」

ミサスならやりかねない。というかそれしか考えられない。俺はミサスを深く信頼しているが、それほど信用しているわけじゃない。せめてアットがとめてくれればよかったのに。

大騒ぎする俺たちをミサスはしらけたような、感情の映らない目で見つめ2通の手紙を取りだして俺に渡した。

「ん、なんだこれ」

ひとつは殴り書いたような乱雑な字、もう一つは流れるような、多少の癖はあるもののきれいな女性の字だった。

俺はカーリキリトの国語は目下勉強中の身だ。簡単な単語はわかるがそれ以上はよく分からない。乱暴なほうをイーザーに、きれいなほうをキャロルにてわたし、2人がけげんそうに目を通すのをおとなしく待つ。

「うっわぁ」
「どうした、イーザー」
「これ、アットのお兄さんからだ」

アットのお兄さん。つまりフォロー王国国王その人じゃないのか。フォローで一番えらい人だ。だれかのお兄さんとかおまけ呼ばわりしていいのだろうか。

「そうだよ、王様だよ。この手紙にちゃんと書いてある。今までありがとうとか、事件のあらましとザリがミサスと交渉して同行することとか! あ、これからもアットをよろしくとも書いてあったぞ」
「そんなごく普通の社交辞令はいいよ。ほかにはなんてある」

イーザーは乱暴に手紙を閉じてキャロルにてわたした。読みかえす元気はないらしい。

「ザリが言ったことと同じだ。フォロゼスでアットが王位を狙って反逆をしようという疑いがかかり幽閉された。それでアルや情報屋、ミサスが協力して疑いを晴らそうとした」
「ミサスも、協力?」

キャロルが聞きなれない言葉を聞いたように首をかしげる。

「結果的にがつきそうだけどとにかく協力したらしい。それで追いつめられた犯人が異世界から化け物を召喚した。怪物ディスポーザー。巨大な肉の塊で、ありとあらゆるものを飲みこみ押しつぶすものだそうだ」
「ちょっと待て!」

思わずとめた。化け物が出たということは知っている。でもそれがたった一人が召喚したなんて信じられない。召喚術は珍しい魔法のはずだし、異世界からだれかを召喚するなんてとてつもなく難しいと聞いた。それなのにどうしてそう簡単にできるんだ。

「道具を使ったそうだ、魔法の道具。その人物は法律学者で魔法は知らないはずだった」
「どこからそんなもの手に入れたのよ」
「分からない」
「分からないなんてそんなわけないでしょう。一族丸ごと拷問にかけてなにがなんでも聞きだすのよ」
「キャロル、そんな物騒な」

思わずとめる。一族丸ごとってどこの古代世界だ。

「ふん、礼儀作法なんかにかまっていられないわよ。あたしたちはもともと物騒で残酷な生き物なのよ。必要に応じてつつしみぶかくしているけれども、緊急時にまでかまっていられるものですか」
「どうあがこうと聞きだせないよ。その人はまっさきにディスポーザーの犠牲になったんだから」

イーザーが苦々しく手紙を指した。

「どうしてだよ。自分でよびだしたのにどうして自分がまっさきに犠牲になるんだ」
「アットのお兄さんは召喚に失敗したのか、そもそも不完全な道具でもともと制御できないようなものだったのかと考えている」
「まちがいなく後者ね」

自信たっぷりに断言する。

「どんな道具かは知らないけど、呼びっぱなしの不完全なものだったら作るのも楽でしょうね。渡した相手、上司か仲間かは知らないけどその人物も危なくなった時完璧に口止めできる。ばっちりね」
「ばっちりって、おい。じゃあもうなんのためにアットをおとしいれたのかも分からないんだ」
「その法学者に道具を渡した相手がだれかもな」

沈黙が落ちた。話すことがなくなったのではない。お互い言いたいことが同じだろうとなんとなく理解しておしだまってしまった。

「ラスティアの仕業か?」

あえて踏みこんだのは、やっぱりイーザーだった。

「異世界からの召喚術、アットと関係がある人。人命や街をためらいなく踏みにじる行動。似ている」
「こんな力を持つ悪党がこの世に2人以上いてほしくないわね。でも、なぜそんなことを」
「知るか。アキトはここにいるぞ。俺たちを狙ったんじゃない」
「じゃあアットを狙ったんだ。アットは俺たちの味方をしてくれている。だから狙われたんだよ」
「そんな理由でここまで大規模破壊をするか? フォロゼスだぞ、千年王国の首都だぞ。一人の人間を狙うために城ごと叩き壊そうとするやつがいるか」
「じゃあ見せしめ。あたしたちに自分の力を見せつけようとした」
「それもだめだな。なんでそこまで派手なことをしたのかという理由にならない」
「イーザー、本当はラスティアはフォローと敵対しようなんて思わず、そのまま直接滅ぼすつもりだったんじゃないのか」

なんとか俺も話に加わろうと割りこんだ。

「だって今回ディスポーザーを滅ぼしたのは偶然と幸運が重なったからだ。ザリの運がすごくよかったから倒せたんだ。もしそのままだったらフォロゼスは滅んだんだろ。王城はなくなって、ひょっとしてアットもアットのお兄さんも死んだかもしれない。敵対どころじゃなくなる。丸ごとかたづけようとしたんじゃないのか」
「アキト!」

イーザーの顔色が変わった。

「物騒なこと言うなっ!」
「仮にラディーン国王とアティウス殿下がいなくなったら。現王の血筋は途絶えるわね」

キャロルは平然と分析した。ぎょっとするイーザーに「黙って」と制する。

「でもだからって即座に王家が消滅することはないわよ。国王の血筋を持っている貴族なんて売るほどいるもの。ラディーン陛下ほどの人物はそう簡単にいないとしても、王城の壊滅が即座に王家断絶とはならない。でも弱体化するのはまちがいがない。今世界はそこそこ平穏とはいえ弱った国を周辺国が黙ってみているとは思わない。下手すれば戦争になる。

滅びやしないと思うわ。フォローは千年王国よ。今までしぶとく残ってきた。でもディスポーザー召喚の犯人を追うのはきつくなる。ラスティア探しなんてもちろん中止になる。あたしたちを援助する余裕はなくなるわね」

キャロルは腕を組んだ。

「ミサス。もしそこにザリがいなくてもディスポーザーを倒せた?」

今まで気配さえもろくに感じさせず、黙って俺たちの話を聞いていたミサスはうなずいた。

「ラディーン陛下やアティウス殿下を生きのびさせる自信は?」

横に首をふる。

「そう。まあ、そうよね。いくらミサスでも全知全能じゃないもの。もしディスポーザーのそばにいたのだったらミサスも助けようがないわね」

キャロルはたいして落胆しなかった。

「クレイタの例があるからな。仮にラスティアがこれの犯人だったとしても俺たちからは動機が分からない。フォローを滅ぼすつもりだったのか、アットを殺すつもりだったのか、見せしめか。全部という可能性もあるし単に残虐で派手なことがしたかっただけだったりな」
「つまり、分からないってことか?」
「保留にするんだ。分からないんじゃない」

しっくりこなかったがどうしようもないことだった。話を聞きだす唯一の犯人は死んじゃっているし、後は遠くからの推測しかできない。

「次。あのザリとかいう人だけど。

アットのお兄さんでもザリという人物について調べたそうだ。草原国ファナーゼ出身、24歳、人間。ファナーゼは街に住む人たちと風習が俺たちと全然違う草原人がいるが、ザリは街の人だ。肉親はなし、薬草の分布調査のため数年前から諸国を旅している。ちゃんと派遣した水神殿にも確認を取ったそうだ。経歴に怪しいところ、おかしいところはなにひとつないとフォロー王国密偵の名にかけて太鼓判を押された」

「名にかける価値があるのかどうか怪しいわね」

キャロルは辛辣にいって自分の持っている手紙をイーザーに渡す。

「なにも怪しいところがないのか。いいことではあるな」
「おまえな。そんな人がどうして同行したがるんだよ!」

あきれたように言うイーザーを見て、その通りだなと思いなおした。

「ミサスがいいって言ったのなら俺たちは断れないな。一体どういってうなずかせたんだか」
「それは俺も気になっている」

俺たちでさえ会話が起こりにくいのにザリはどうやって話したのだろう。

「まさか、色香に惑わされたとか」
「いやそれはないだろう」
「おおよそ考えられない。まだ彼女が実は一流の戦士だったというほうが説得力はあるわ」

即座に否定された。あ、やっぱり?

「ミサスの性格が性格だし、ザリの方にも人を惑わすような色香は皆無だからな」

あらかじめ言っておく、別にザリが男らしいわけではない。顔つきも声もしぐさも完全に女性のものだ。男性とまちがえようがない。でも不思議にすごく女性らしいとも感じなかった。

外見が悪いんだろうか。キャロルとは反対のすらりとした身体つきで背が高い。それも「カーリキリトの人間女性にしては」ではない。俺やイーザーを追いこしているし平均的日本男性にも勝っている長身だった。非常識に大きいまでとは言わないが、カーリキリト人は栄養状態が悪いせいか、日本人と同じくらいかさらに低いことも珍しくないのに。よほど両親が大きかったのだろうか。

服装がまずいのかもしれない。白いシャツに赤い上着をはおり、すきなく着こなしている。肌の露出は少なく、顔と手以外は全部布でおおわれていた。知的ながらいかにも活動的といった風がある。そのせいで女っぽくないのだろうか。

「アキト、第一種族が違うでしょ。その手の感情がわくわけないのよ」
「え、そうかのか?」

キャロルはつまらないことを聞くなと俺をにらむ。

「当たり前でしょ。種族がちがうというのは文化も風俗も生活も、なにもかも違うということよ。友好関係が成立させるのだけでも大変なのに恋愛感情なんてとてもとても」

俺はキャロルやミサスは友達だと思っていたけど、それは俺のかんちがいで2人とも俺についてなんとも思っていないのだろうか。荒涼とした気分になった。

「それに子もなせないわ。人間は一部の獣人や妖精をのぞいて子孫を残せない。だからそんな感情がわくわけはないのよ」
「キ、キャロル! 頼むからそんな堂々と子とか子孫とか言わないでくれよっ」

こっちは女の子と手をつないだこともないような高校生だ、繊細な年頃なんだぞ。俺は耳まで赤くなった。

「いや、そこまできっぱり断言することもないけどな」

イーザーはあさっての方向を向きながらもごもご言う。なんだろう、種族の違う女の子に恋したことがあるのだろうか。

「絶対にないとは言いきれないけどね。でも成立したら歌になるくらい珍しいことであるのは確かよ」

種族が多いのにそんな考え方をするのか。いやむしろ多いからそんな考え方があるのだろうか。イーザーの反応から絶対多数の意見というわけでもなさそうだが、一般的カーリキリトの考え方なのだろう。キャロルの自信を見てまたひとつ勉強をした。

「ま、たとえ同族だとしてもミサスが私情で人を仲間に加えるなんて考えられないけどね」
「俺もそう思う。でさ、ザリのことだけどミサスがうなずいたのなら追い返すわけにはいかないだろ」

イーザーはあきらめたようだった。卓にひじをつく。

「あたしは反対よ」

キャロルは言いきった。「なんでだ」イーザーは振りかえる。

「決まっているでしょう。怪しいからよ。経歴が白いからって安全というわけはないでしょ。ここまで普通の人で事情を知って、それでも同行するなんておかしいわよ。絶対に裏があるわ。もしラスティアの間者だったらどうするのよ」
「間者? スパイってことだよな。あのザリが?」

見たところいい人のようだし材木がふりそそいでくるのに気づかない程度には抜けている。とてもラスティアの手下だなんて考えられない。でもザリとは知りあったばっかりだ。とても内面を知っているとはいえない。

「キャロルおまえ、ミサスの面子をつぶす気かよ」
「ミサスに面子なんて残っていたの?」

悪意たっぷりに無邪気に聞きかえす。当のミサスはとちらりと見るといねむりをしていた。自分がことの発端なんだからもう少しは関わってほしいと思うのはわがままなのだろうか。

「アキトの意見は?」
「俺?」

呼びかけられて気がついた。ミサスとイーザーは賛成、キャロルが反対。2対1だ。もし俺が反対すれば2対2、平行線になるのか。ある意味俺の意見でザリの同行について決まる。

「俺は……」

俺はどうしたいんだろう。少し考える。

「俺は賛成」

イーザーは勝ち誇ったように笑い、キャロルは「これだからったく」といかにもいやそうに舌打ちする。

「ほら見ろキャロル。多数決だ、これで決定だぞ」
「待ちなさい。理由は? イーザーに流されてとかくだらない理由だったら却下するわよ。どうして。アキトはどうしてザリを同行してもいいと思うの」
「だって、いい人っぽいし、戦えないんだったらそんなに警戒することもないしさ、それに」
「それに?」

俺は宙を見た。それにな。

「見上げたところに人の顔があるって、いいよな」
「はっ?」
「話しているうちに首が痛くなってくるのとか、そういう人がいるのっていいよな。一緒にいてほしい」
「なにそれ。どこの話よ」

さっぱり分からないと首をふるキャロルを押しのけてイーザーは俺の肩をつかんだ。

「分かった! おまえザリとウィロウをごっちゃにしてるな! ウィロウを重ねてみているんだろっ」
「あ、そうかもしれない」

2人はまったくちがう人だ。エントのウィロウとザリがそっくりなわけはない。それでも探そうと思えばいくらでも共通点は見つかる。背がすごく高いこと、知的で優しそうなところ。フォロゼスを分かりやすく説明するザリに一本調でうんちくを語るウィロウの面影が重なる。イーザーはあきれたように口を開けた。

「アキト、おまえ結構まずいぞ。自覚しているか?」
「よく分かっていないかもしれない」
「まちがっても本人には言うなよ」
「言わないよ」

当たり前だけどウィロウとザリはなんの関係もない。ザリはウィロウのことさえ知らないだろう。それなのにウィロウに似ているなんて言われても困るだけだ。

「ったく。でも決まりだな。ザリは一緒に行く」
「後悔しないでね」

キャロルは不吉に予言した。

「キャロル、それでそっちの手紙は」

キャロルの態度を気にせずイーザーは問いかける。

「うん、あたしたち行き先を変えることになったわ」

あまりにも平然と告げるので、一瞬流してしまいそうになった。

「どこに寄るんだ?」
「もよりの雷竜神神殿」
「雷竜神の神殿? どうして」
「この手紙に書いてあったのよ」

女文字のほうをイーザーはなにげなく開く。さっと目を通したかと思えば変な声を出した。

「どうした」
「すごいことが書いてある」
「読んでくれ」
「自分で読め」
「まだ読めないんだよ」
「そろそろ覚えろよ。えっとな」

不満を言いつつ読むイーザーは本当に人がいい。

「ラスティア。荒野国マドリーム出身。魔道士にして雷のミコ。神童、天才と誉れ高いも若くして失踪、その後の消息不明」
「それひょっとしてラスティアについてか! それ手紙に書いてあったことなのか、ミサスどうしてそんなの持っていたんだよ、だれに書いてもらったんだ?」

首をつかんで問いつめようとしたがよけられた。転びそうになる。

「ひょっとしなくてもそうよ。確かにラスティアについて書いてあるわ」
「それ、本当のことか? だれかのいたずらじゃあないのか?」

イーザーが疑わしそうに目を細める。

「そうかもしれないしそうでないかもしれない。現時点では判断のしようがないわ。ミサス、これどこで手に入れたのか言ってよ。そうでないと真偽のほどが分からないわ」

ミサスはいかにも面倒そうに口を開いた。

「フォロゼスのディスポーザー騒ぎで手に入れた」
「だれから、どうして」

今度は返事をしてくれなかった。面倒だから無視したのではない、はっきりと拒絶された。

「ミサス?」

ミサスが黙っているのは珍しくもなんともない。でも意思を持って黙るのは珍しく、俺はとまどった。なんでだ。

「……あ、でもキャロル、それ偽物だよ」
「どうして」
「ほら、今巫女って言った。巫女って精霊使いのすごい人だろ。女にしかなれないんじゃないのか。ラスティアは男だ。だったら巫女になんてなれっこない」

逆男女差別だと思ったからよく覚えている。

「ごくごくまれにだけど、男でもそう呼ばれるにふさわしい実力を持つ人がいるよ。そういう人は尊敬の意味もこめて神子と呼ばれる。珍しいけどないわけではないわ。それよりあたしはこっちのほうが気になる。魔道士にして精霊使いってどういうこと?」

なんで疑問に持つのか分からなかった。

「おかしいのか?」
「魔法と精霊術は両立しないのよ」
「なんで」
「あたしは魔道士でも精霊使いでもないけど、2つの力の源は実のところ同じで、考え方が違うだけなのよ。魔道士は言葉によって力を使い、精霊使いは生まれつき持つ意識で精霊を動かす。この力と精霊はうんと本質的なところでは同一で、だからこそ2つを同時に使うことはできない。世界の常識よ。あ、ちなみに獣人の特力は自分の中に生まれつき持つものだから、どちらかと両立できるけど」
「でもさ」

俺は忘れていない。根っこの一族の森でラスティアは言葉が必要な魔法とそうでない魔法2つを使ったのを見た。ラスティアはなんでもないように自然に扱っていた。

「俺ひとりなら見間違えかも知れないけど、ミサスもいたんだ。絶対に使っていた」
「常識的にありえない」
「だから天才と呼ばれるのかもな」

イーザーがむずかしい顔で口をはさむ。

「人間が天才と呼ばれるなんて、並大抵のことじゃない。人間は色々なことがまんべんなくできるかわりになにかに突起しているわけじゃない。たとえば剣術なら人間より明らかに力が強い種族もすばやい種族もたくさんいる。

例えば魔法。どんなにがんばっても同じ努力をした黒翼族の魔道士にはかなわないし、不老長寿のナーガの魔道士には歯が立たない。よほど技や術が強力でも、人間である限り天才なんて言われるのは無理だ。

でも、魔法と精霊術を同時に使えるようになったらどうだろう。相反する2つの力を使えたら。常識では考えられないことをなしとげられたら、人間だけれども天才とほめたたえられるのじゃないかな」

じっくりと、考えながらしゃべり終えたイーザーは顔をあげ、俺たちにじっと見つめられているのに気づいてとまどう。

「あ、なんだ。どこか間違っていたか」
「いや。それは納得がいく」

キャロルがかみしめるようにうなづいた。

「アキトとミサスが目撃している以上あるのでしょう。ならば手紙もつじつまが合う。ここは常識に反してラスティアは魔法と精霊術を同時に使える、ということにしましょう。そんなに目立つ人物だったらなんでフォローで探しても分からなかったのかしらね。普通知ったら忘れないわよ」
「なにか事情があってかくされたとか、黙らざるをえなかったとか」
「そうね。魔法使いなら水神殿に行けばいい。完璧とまでは行かなくても学問をつかさどる水神殿は魔法使いについても名簿を作って把握しているはずよ。精霊使いとしてなら雷神殿に行けば分かる。詳しく知るために荒野国マドリームにもよらないと」
「マドリームってどんな国だ? 遠いのか?」
「すぐ近くよ。レイドの北、エアーム帝国の西。国土は広いけどその大半が魔荒野と呼ばれる荒地、岩砂漠でね。貧しい、なにもない国よ」

さっそくイーザーが地図を広げ、急遽進路変更のためにキャロルと向きあった。

あまり選択肢がなかった。街頭を外れて首都にまで行き、そこから出ている舟で河を上り、荒野国マドリームまで行くことに決める。

「待ってくれキャロル。河を舟で上流へ行けるのか?」
「いけるわよ。大きい河なら流れもゆるやかだし、いい船頭に当たれば相当はやく進めるわ。マドリームの適当な舟着き所で降りる」
「レイドの首都の評判を聞いたことあるぞ、ほかならぬキャロルから。犯罪都市レイドか?」
「よく覚えていました」

忘れるか。

「どうしてそんなところに行くんだよ。キャロル自身が行きたくないって言っていたのに」
「その時は行く理由がなかったからよ。今は理由がある。ここから近くて、水神殿も雷神殿もありそうで、マドリームへ一番はやくいける河がある。レイドしかないわ」
「そんな」

からかい半分とはいえ、キャロルはどんな街かというのをさんざん聞かせた。殺人暴力麻薬に誘拐なんでもあり、その名も高き犯罪都市。そんな場所にのこのこ行って大丈夫なのだろうか。

「大丈夫かなんて知らないわ」

キャロルは冷たかった。

「そもそも都市までの道が少し厄介ね。古くて使われていない道だから整備が甘いだろうし、途中宿場街もなさそうだし。治安だって不安よ」
「心配なことばっかりじゃないか」
「そうよ。でも行くか行かないかじゃない、行くのよ。いくら心配があろうとも問題が起ころうともひとつひとつ切りぬけていくしかないわ」

同行のことと今後行く道についてを告げると、ザリは安心したように「ありがとう。これからよろしく」うなずいた。

「よろしく」
「今日は水神殿に泊まらないの?」
「あたしたちは情報屋のほうが都合がいいから。悪いわね」

まったく悪そうには思っていないようだったがザリは気にせずに「わたしは一回水神殿に戻るわね」

「明日くるから、その時また」
「水神殿まで送るわよ」

思いがけない言葉に、ザリはもとより俺まで思わずキャロルを見る。送っていく?

「そんな、いいのよ。すぐそこなんだし」
「すぐそこの材木屋で大怪我しかかった人の言葉とは思えないわね」
「それは」
「送っていくわよ。暗いから危ないのだし。アキト、ついてきて」
「俺も?」人を送る?

キャロルの発言とは思えない。

「あたしだってか弱いわよ」

断じてキャロルはか弱い女の子ではない。俺より強いし剣も使える。それだって言うのに俺になにか言わせる余地もなく、二の腕をつかんで無理に外へと歩いた。

「ザリ、ちょっといい?」

夜はとっくに街全体に覆いかぶさっていた。まだ人の姿は見えるが、道は暗く少し角を曲がるとあっという間になにも見えなくなる。どんな話になるのか不安になり耳をそばだてる。

「なに?」
「どうしてあたしたちと一緒に行くの? 危険だしなにが起こるのか分からないのよ」

当たり前の疑問だった。ザリも軽くうなずく。

「下手しなくても死ぬかもしれないのだし、ザリは戦いなんてまるでできないのでしょう。関わらなければいいのにどうして首をつっこむの?」

キャロル、それ年上の人にむかって言う言葉じゃない。

前々から思っているのだが、キャロルは年長者への尊敬の念が足りない気がする。ザリは一歳二歳年上なのではない。日本だったら高校生と新任の先生ぐらい年が離れている。たしかにキャロルは大人びているが、それでも態度を改めたほうがいいと思う。でもミサスにさえああだからな。言っても直らなさそうだ。注意するのは断念した。

「そうね。たしかにわたしが行きたがるのは変よね」

少し遠い目になる。

「ええ、変よ。なんで」
「理由は義憤かな」
「義憤?」

正義という感情に普段無縁のキャロルは、食べ物ではないものを飲みこんだかのような顔になった。

「許せないと思って」

ザリはうつむいた。

「どんな理由があるかは分からないけど、危険な怪物を城の中に解きはなってたくさんの人の命を奪ったことが許せない。だれが行ったのか、なぜそんなことをしたのかを知りたい。突きとめて、その償いをさせたい」

淡々と語るザリの言葉にはなんの抑揚もなく、かえって心に迫った。

確かにザリはフォロー城の中でたいへんな目にあった。大変なんて一言では到底言いつくせない。死ぬようなひどい目にあった。どれだけ怖かったのか、そのときザリがなにを思ったのか俺には分からない。その体験を胸に犯人を追いつめようと決めたのは納得がいった。

「そっか」

キャロルはにこやかに、高いところにある肩を背伸びして叩いた。その表情に裏は特になさそうで、かえって俺は不安になった。