三つ首白鳥亭

−カーリキリト−

2. 後継者

わたしは横たわったまま、今度はちゃんと手すりのある扉を見あげます。助かったのでしょうか。

「礼くらい言ったらどうだ? 無理を通してあけたんだ」

頭の上からそっけない声が礼儀しらずを指摘しました。もっともですが落ちつく時間をください。こっちはもう少しで死ぬところだったのです。

「あ、あの」

すかさず魔道士らしい獣人がわたしを支えてくれました。おかげでなんとか立てます。

何人もの、屈強な戦士の一団がわたしたちを見つめていました。先頭に立つのは不機嫌そのものの青年です。わたしより年上でしょうか。口にだすと失礼になるでしょうが、眉間にしわをよせた表情がとてもよくにあいます。黒い髪ですが前髪だけ色がぬけて白とも銀ともつかない色になっています。ごくまれに見る遺伝です。

謁見の部屋のようです。大きくひろい部屋の壁は金糸と赤布で魔法的防御の意味を持つタペストリがかざられ、戦士たちの後ろには水晶玉を持つ魔道士、政治家らしい壮年の男、わたしと同じように逃げこんできたらしい老人や女性の使用人もいます。先頭の男性がわたしとフィルを無遠慮な視線でながめます。

「なのれ。城の人間じゃないな。フォロー人でもない」
「わ、わたしはザリ・クロロロッド。こっちのフェアリーはフィルです」
「俺はラディーン。外の様子はどうだ」

ラディーン? にぶい痛みをかかえる頭の奥になにかが光った気がします。聞いたことがあるような。

「外は、混乱のきわみです。化け物が廊下といい窓といいあふれかえっています。フィルはあれをディスポーザーと呼びました。異世界から召喚された化け物だそうです」
「それは知っている。ったく」

よくよく見るとここにいる人全員がわたしに注目していました。なんでしょうか。わたしが部外者だから珍しいのでしょうか。

「あなたがはいってきたところはね、秘密の隠し通路だったところなのよ」

獣人の魔道士がかむように説明します。

「もう何年も使われていなくて、ラディーンさまも知らなかったの。今死にものぐるいで閉じこめられた人たちが探しあてて脱出するところだったのよ。ザリは逆からきたの」

それで手すりがない扉の意味が分かりました。そういえば扉を開けて即座にわたしをつかみいれるなんて時機がよすぎます。よく見れば周囲には置物が転がりタペストリが乱暴に切りさかれて床に落ちています。

注目されるはずです。ここへ逃げてきた人たちはようやく脱出できると思っていたところに、よりにもよってこちらから怪物をつれて逃げこんでいるわたしが飛びこんできたのです。わたしが悪いのではありませんが責任を感じますした。

しかし、ラディーン様? 様つけ?

えらい人なのでしょうか。思いだしてみます。どこかで聞いた名前でしたっけ。

「そういえば、アルとの話にでてきた」

フォロー王国現国王の名前です。思いあたって転ぶようにへたりこみました。本当はひざまずきたかったのですがとっさにできなかったのです。

「し、失礼しましたっ!」
「なんだ、アルの知り合いか。気にするな、普通は分からん」

いえ、普通だったら分かります。よく顔を見れば気づくはずでした。

もちろんわたしは直接会ったことがありません。遠くからはもちろん、写し絵さえも見たことがありません。しかし千年王国の王族にまれにでるといわれる聖痕の脱色した前髪、千年王国の国王にはあまりにも若すぎる年齢。眉間の深いしわから同年代よりは苦労を重ねていることがうかがえました。まじまじと見つめていると口を曲げて怒ったようににらみつきました。

「あ、すみません」
「あやまるな。むしろよかった。すぐそこまで化け物がせまっているのを知らずに飛びでていたら途中で鉢合わせだった。いまさら逃げようにも後ろから人がでてきて戻れない。惨事になるところだった」

なぐさめられたのでしょうか。そういう意味であやまったのではないのですが。不機嫌さはかくそうともせずにラディーン陛下は手を振ってわたしに立つよう指示しました。

謁見の間の空気が重くどよんでいます。ここにいるわたしたち全員がこの場に閉じこめられたのです。どこにも行くことができず、周囲を怪物に囲まれたままどうすることもできません。どこからかすすり泣きが聞こえました。

ラディーン王がいらだたしそうに舌打ちをしました。

「陛下」

こだまの一族でしょうか、水晶玉をかかえた獣人がラディーンにうながすように冷静に声をかけました。

「分かってる。おい、おまえらっ!」

一歩前にでます。謁見の間全体に響きわたるような大声で全員の視線をひきよせました。

「まさかこれでおしまいだと思っていないだろうな。いいかよく聞け。フォロー王国は世界一の歴史を持つ国だ。おまえらが今たっている城は1200年前に建ったものだ、俺の血筋は1600年前までさかのぼる。長い歴史のはてに俺たちはここにいる。

千年間俺らはのんびり寝ていたわけじゃない。何回も何十回も滅亡の危機があった。そのたびに歴代の王はのりこえてきた。化け物に囲まれて逃げ場がない? この程度の危機なんて日常茶飯事だった時代もあったんだぜ。フォローはそのたびに戦って勝利を重ねてきた。アドマント公国とレイドが手を組んで侵略してきたときもファナーゼ草原国に攻められたときも先王は戦って勝った。今の敵はただの怪物1匹だ。この程度でくじけたらフォロー人として先人に言い訳がたたない。世界の笑いものになるぞっ。

気を強く持て、しっかりしろ。不可能な戦いではないんだ。自分にできることをしろ、最善をつくせ。分かったら泣くのをやめて立ちあがれ!

騎士と兵士は警戒をおこたるな、戦えないものたちはいつでも逃げだす仕度をしておけ。今は待ちの時間だ。その時がくるまでへたりこむな!」

アルが呼びすてにしたくもなろうものです。ラディーン・フィロラ・ジェネ・フォロー陛下はがさつでした。荒くれものたちを激励するような演説は、歴史ある王国の王というよりも小隊の隊長に見えます。そういえばラディーン王は若い時傭兵まがいの仕事をして、小隊を率いてさまざまな戦場をわたりあるいたそうです。その名残でしょうか。

王としてふさわしいかはともかく、王の一喝で謁見の間は一気に明るくなりました。泣いて落ちこんでいた人々はラディーン王に希望を見いだし勇気をとりもどします。急に部屋が活気づき、戦士たちは剣を構えなおして女中はあたふたとけが人の面倒を見ます。わたしにも治療師らしい白衣の草原走りの一族がかけより、フィルをわたしからゆずりうけ呼吸を確かめて治療道具をだしました。

「待ってください、すぐに手も見ます」

わたしの手。爪という爪から血を流し、何枚かははがれおちてしまっています。痛さにうめきながらわたしは首を振りました。

「医療の心得はあります。自分で手当てぐらいできます」
「指を痛めてなにが自分の手当てですか」

相手にされませんでした。

「お見事、陛下」

水晶玉の魔道士が重々しくラディーン王へ呼びかけます。「おう」斜に構えたように国王はうなずきました。

「さて、実際のところどうなのですか? 希望はどれだけの重みなのでしょうか」
「嘘っぱちに決まっているだろ。はったりだよ」

断言しました。そこまで言っていいのでしょうか。あわてて周りを見ますが、さいわいにも小声で話をしている2人に注目している人はいないようです。

「千年続こうが一万年続こうが終わる時はあっさり終わるんだ。歴代の王だってここまでひどい状況になったことはないはずだぞ。正体の検討も戦い方もさっぱり分からない化け物にかこまれて閉じこめられるなんて100回生きたって体験できないぞ。絶体絶命、正真正銘の危機だ。なんていうか、もうどうしようもないな」
「陛下、私はあなたが執事だった時からのつきあいですけど、もうそろそろ空元気ではないはげましを聞きたいですよ」

頭痛をこらえるように水晶玉を額に押しつけてよろけました。急に疲れたようです。

「俺だってたまには根拠のあることを言いたいさ。泣き言を言っていないで仕事をしろ。ガド、外と連絡は取れたか」

だめですね。魔道士が首を振ります。ふさふさした耳が大きくゆれました。

「どことも通信できません」
「ちっ、高いくせに使えないおもちゃだ」
「ラディーン、水晶は未来の啓示をえるためのものです。魔道士仲間とおしゃべりするためにあるのではありません。確かにできますけど相手も水晶を持っていないといけないんですよ。そう都合よくは行きませんって」

あきれたようにたしなめます。ラディーン王は大げさに肩を落としました。

「できないものは仕方がないか。代わりに」

念を押すようにわたしを見ます。え?

「情報源がいる。これが五体満足で逃げこんできたのは幸運だったな」
「ああ、そうですね。彼女もまた例の仲間ですか」

なんでしょうか。あてにされています。ラディーンはしゃがみ、目線をわたしにあわせました。周囲をはばかるような小声でつげます。

「お前も情報屋だろう。アットを助けるためにあのちび風使いと一緒に侵入した仲間だろう。かくさなくてもいい、フィルのことは知っている」
「なっ」

ラディーン王公認の元、アルと情報屋は動いていたのでしょうか。内密だと思っていた救出作戦は半分公然と行われていたということでしょうか。

「立場上おおっぴらに俺は動けなかったが、その代わりに真相究明してくれると断言したよな。言ったのはアルだがとめなかった情報屋にも責任は少しはあるぞ。さあ言え。全部わかっているだなんて思っていない、どこまで分かった、今なにが起きているんだ、解決方法はあるのか」
「ちょっと待ってください、わたしは情報屋ではありません」

また誤解が起きているようです。アルといいラディーン王といい、どうしてみんなはわたしをただものではないと思うのでしょうか。状況が状況だけにやむをえないこととはいえ、わたしはそんなに裏がありそうな顔をしているのでしょうか。

「ごまかすな、いいからさっさと言え。多少の違法なら見逃すから」
「ごまかしていません、わたしは一般人です。ファナーゼから薬草の調査にきたものです。偶然ミサスへのお使いを頼まれてアルとであいました。まきこまれただけです」

そういえば、お使いを頼んだあの騎士はどうなったのでしょうか。今から思えば身の危険を感じてとっさに赤の他人であるわたしにわらにでもすがる思いで使ったのでしょう。

わたしは完全に無関係です。追おうとしてもなかなか足どりを追えず、手紙がミサスとその仲間にいきわたる可能性が高いと判断したのでしょうか。その判断は甘かったようです。すぐに追われてずぶずぶと巻きこまれ今わたしは絶体絶命です。今度あったら恨み言のひとつでも言いましょうか。

「そんなわけないだろ。アルと知りあいでミサスとやらも知っている、それで無関係なんてよく言えるな」
「本当です、なにもできませんし知りません。戦うことも逃げることもできません」
「じゃあどうやってここまできた。城に侵入できる程度にはこころえがあるというんだろ」
「正面から堂々と入ったんです! 水神殿から紹介状を書いてもらいました」
「そんなんで門を通れるのか!?」
「ラディーン、通れるのですよ。きちんとした紹介状を持ってごく普通の対応をしたら通します」
「門番はなにをしているっ、ざるじゃねぇか!」
「なんでもかんでもはじいていたらそれはそれでだめでしょう」

ラディーン王は乱暴に前髪を引っぱり、ガドは「あきらめてください」と諭します。わたしが悪いわけではないと思うのですが、なんだかとても申し訳ない気分になりました。

「あの、それでも多少はなにが起こっているのかを話せます」
「お」

ラディーン王は手をとめました。目を丸くして口笛をふき、「無作法ですよ」ガドにたしなまれます。

「アティウス殿下の知りあいだった法学者がやりました。懐からなにか取りだしたかと思うとふくれあがって人を襲いはじめました。フィルはディスポーザーとよびました。異世界から呼びだされた怪物でふくれあがりまわりのものを飲みこむそうです」
「まぎれもなく召喚術ですね」

重々しくうなずきました。ラディーン王は鋭くガドを見ます。

「説明しろ」
「その玉を媒介、核として魔性のものを呼びだしたのです。ディスポーザーと呼ばれる魔物に悪意はありません。フォロゼスを滅ぼそうともカーリキリトを侵略しようとも考えていません。おそらく知性はきわめて低いか、知性と呼べるものがないのでしょう。ただふくれあがり周囲を飲みこむだけです。ですが後から後から増殖するのできりがありません。ここのような末端でちまちましていたのでは到底殺すことはできません」
「末端といったな。つまりその珠、媒介とやらを壊せばディスポーザーは滅びるのか」
「滅びるかもとの世界に戻るかは分かりませんが脅威はさります。逆に言えばそれしか方法はないでしょう」
「核を壊す以外に倒せず、ディスポーザーはずっとふくれあがるというの?」
「予想では、そうです」

震えあがりました。それは下手をすればフォローのお城だけではない、フォロゼス全体をもおおいつくす、いいえもしかしたらフォロー千年王国全土に広がるかもしれないということでしょうか。もしガドの言っていることがそうでしたら大惨事となります。冗談でも比喩でもなく、今日をもってフォロー千年の歴史は閉じます。

「ちっ、なんだその召喚術というものは。ただ世界の果てと星の向こうの世界を研究する魔術だと思っていたぞ。その媒介を壊せばいいんだな」
「ええ。でも行く方法がありませんよ。ちかよるものを食らうスライムのような怪物です」
「問題はそれだけじゃない。その核はどこにあるんだ」

ガドとラディーン王が同時にわたしをにらみました。

「どこで見た」
「中庭です。武器庫の窓から見ました」
「なんでそんなところにいたんです?」

痛いところを突かれました。やましいことがあったので隠れていましたといったらこの場で拘束されてしまうのでしょうか。わたしがつまったのを見て「そんなのはどうでもいいだろ」とラディーン王がさえぎってくれました。

「それより、そこはどこだ」

どこと言われても。この城で働いているわけでもなければそもそもフォロー王国の国民でないわたしが分かるわけありません。大きく息を吸ってからできる限り細かいことを思いだそうとします。

「小さい庭でした。庭木としては中程度の樹が四方に植えていましたが、今は季節ではないようでなにも咲いていませんでした。花壇も小さく、なにかの苗が植えられていました。すみません、わたしは目が悪いのです、なにが植えてあったのか見えませんでした。緑色があったので植えてあったことは確かなのですが」
「よかろうが悪かろうがそれはどうでもいいことだな。俺は草に興味はない。細かい名前をいわれても分からん」
「ちょっと待ってください、庭師がいないか探してきます」

ガドも植物にはうといようです。水晶を抱えたまま走りだしました。

「いても分かるかどうか。たしか城には大小あわせて200は庭があったぞ。もっと具体的なことは分からないのか。門に刻みこまれた名前を覚えているとか。大きい庭は全部名前がついていたぞ。それを思いだせっ」

興奮したように肩をつかんでゆさぶります。わたしはどうすることもできずラディーン王を見ます。分からないのです。細かい名前も特徴もまったく覚えていません。のぞきこんだ武器庫もよく覚えていませんし、どうやってここまで逃げたかさえもうまく説明できそうにありません。

「頼む、謁見の間に逃げこんだこいつら全員と、なによりフォロゼスとフォローがかかっているんだ! 思いだせっ! 場所をつきとめてそこまで騎士引きつれてのりこむ、それでディスポーザーをぶちのめすんだ。だから思い出せ」
「無理です。本当に、なにも覚えていないんです!」

泣きたくなりました。どうしてわたしはあの場所でぼんやり見学していたのでしょう。こんなことになるとは思っていませんでした。それでももっとよく見ていれば役に立てたのです。そうでなくても視力がよければ、もっとそばだったら。後悔がうずまきます。わたしがもっとしっかりしていればここにいる人たちは助かるのです。それなのにわたしはここだと伝えられません。

「……悪い。おまえのせいじゃない。許せ。俺はいらだっているようだ」

放しました。かわりに白い前髪をつかみ、ほとんど無意識のまま強く引きます。十数本が抜けラディーン王の指の間から落ちました。ラディーン王の苦悩のほうがずっと大きいのです。彼らを守るべき王で、国を一身にせおう存在なのですから。それなのにわざと気楽にわたしに声をかけます。

「覚えていないのはやむをえない。魔道士たちになんとかしてもらうか。

しかし、そのうちフォロゼス全体に広がりそうだなおい。城内だけでどれだけの被害がでるか」

さらに髪を引っぱったとき、硬く頑丈なものがきしみゆがむ音がしました。謁見の間にいた全員の顔がある一点に集中します。ふだんなら各国の使者が堂々と入ってくるであろう巨大な扉がありました。

「きたか」

ラディーン王が剣を片手に扉によろうとし、その前に騎士たちに取り押さえられ強引に戻されました。

「魔法で何十にも防御を施しているんだ、そんな簡単に」

だれかがつぶやきました。戦えないものたちが我先に部屋の奥へと逃げます。わたしは動きません。足がすくんで立ちつくしています。

「陛下、お下がりください! 危険です」

血相を変えたガドが群衆からとびでました。かばうように腕を引っぱります。

「どんな魔法も結界も、はてしなく出てくる異界の魔性には負けるというのか」

無力感と絶望にあふれた声でした。

扉がはじけ飛び、わたしの足元までくだけた破片が転がり落ちました。扉の向こうには予想以上のものがいました。

血と肉と、血管と臓器を非常にせまいところに無理に押しつめたようなものがあふれかえっていました。一定の間隔で脈動らしく痙攣し、わたしの腕ほどもある触手はうごめきます。もう、何人もの人間を飲みこんだのでしょうか。どれだけの人間がこの異界の怪物のために帰らなくなったのでしょうか。

ディスポーザー。

「滅びよ!」

ガドが鋭くさけび、かかげた水晶球が青白い光をはなちます。槍ほどの大きさはある光はディスポーザーを大きくえぐり消滅させました。再び肉がもりあがります、まるで人間の傷口が月日をえるにつれて自然に回復していくように傷が消えていきます。

「ガド、結界を張ることはできないのか?」
「この分だとすぐに圧されて壊れます」

触手が無数に飛んできました。戦士たちが剣をかまえ盾をかかげてはじきます。ガドは水晶をかかげ口早に声をはりあげました。さっきの青白い光が無数のごとく宙にうき、雨あられとディスポーザーにふりそそぎます。戦闘です。戦士と魔道士たちは必死に戦い、なんとかディスポーザーを食いとめようとしています。

わたしはその中でただ震えていました。歯が合わずに口から音が聞こえます。腕で乱暴にぬぐってもすぐ涙があふれます。

「助けて、だれか」

だめです。ディスポーザーはきりがないのです。ただ単純に戦うのではいずれ力つきて負けてしまいます。戦士たちはどれくらい戦えるのでしょうか。明日まででしょうか、今日の夜でしょうか。その間にだれかがなんとかしてくれないと全滅します。

「だれか……」

ラディーン王は悔しそうに、しかし剣を構えています。外とは連絡が取れません。今ここにいる人たちは目の前の戦いに精一杯です。だれか、奇跡のように助けてくれる人は。

「だれか」

だれが。

だれがしてくれるのでしょうか。どうやって行うのでしょうか。

戦士がとめそこねた触手がわたしをかすり後ろのタペストリに突撃します。タペストリには穴が開きましたが、触手もどす黒くしおれ枯れました。タペストリに描かれている魔よけの力でしょう。

涙がつきます、震えがとまりました。床に手をつき立ち上がりました。今のところ足は言うことを聞いてくれました、一人でも立って歩けます。

「ザリ?」

わたしの変化に気がついたのでしょう、油断をせずに、それでも気さくにラディーン王は声をかけました。わたしは答えずにはいってきた場所へと歩きます。散乱した高価な石像にうもれる、乱暴に切りさかれたタペストリを取りました。赤地の絹に金銀の糸で細やかな刺繍がほどこされた、見るからに高価なタペストリです。わたしは外衣や外套のように全身をくるみます。

「ザリ? おまえなにしているんだ」
「これなら外にでてもすぐにディスポーザーに吸収されません。わたしが直接中庭まで行ってディスポーザーの核を破壊してきます」
「はっ?」

陛下の目が丸くなりました。聞きまちがえか、そうでなければ狂ったのかとも言いたげです。そうでしょう、わたしだって自分がおかしくなっていないと言いきれません。

しかし、召喚術の媒介がある中庭を知っているのはわたしだけです。そこへの道のりを説明できない以上、なんとかそこまで行くことができるのもわたしだけなのです。

ほかのだれもできません。わたしが行く以外、だれもしてくれないのです。

「おい馬鹿、よせ。自殺にしかならないぞっ」

失礼ですが無視をしました。タペストリをしっかりつかみ、肩にある荷物を胸にかかえます。謁見の間を照らしているたいまつを一つつかみます。

「本気か!? やめろっ」

ラディーン王の叫びを最後に、わたしは戦士たちをかきわけ魔性の中に飛びこみました。


もし小さくなって人の身体に入ることができるのなら、このようなものなのでしょうか。

正気では考えられない、この恐ろしい中で変なことを考え少し笑いました。最後に笑ったのがずいぶん昔のような気がします。

タペストリは効果抜群でした。少なくともわたしはとけていません。たいまつを持っていないほうの手でかばんを探し、塩の瓶をだして進む方向へふりかけました。肉片は縮み一歩ふみだす程度のすきまができます。

塩には魔物をはらい清める力があります。これで少しは楽に進めるでしょう。もっともこの調子ではすぐに塩がきれてしまいそうです。

必死に走ってきたのでいざ行こうとしても道が分からない。その心配を抱いていましたが問題なしでした。ディスポーザーがくる方向へと向かえばいいのです。脈打つ内臓の中、目前に塩をまいて空間をつくり足を踏みいれます。上下左右前後、すべてが異世界の魔物に囲まれている中たいまつは大して役に立ちませんでした。熱と不安で額に汗が浮かびます。

タペストリはいつまでもつのでしょうか。効果がなくなってしまったらわたしはディスポーザーに取りこまれてしまうのでしょうか。今かずっと先か、見当もつかない不安なものにわたしはすがっています。

塩はすぐに切れました。後はわたしが無理やり進むだけです。

胸の奥がひっくり返りそうな悪臭がします。タペストリか、それとも逃げおくれただれかが焼けただれ消化されているのでしょうか。わたしは座りこみたくなりました。くたくたでぼろぼろで、巨大な怪物の中にたったひとりです。

「だれか、だれか助けて」

だれもいません、わたしだけです。わたしが今ここにひとりきりなのはそう望んだからです。どんなに願っても助けはきません。目に熱いものが浮かんできます。もう何回目でしょうか。

「神さま」

自然に声がもれました。

「神さま。神さま。神さま
知恵深き水竜神、旅人を守護する風竜神、たけき火竜神、やさしき土竜神。ああもうそれからどんな竜神でもいい。助けて、守って、わたしにほんの少しだけでいい、ご加護を。神さま。神さま。神さま」

かすかにのぞいていた前髪が焼けました。ほんの小さなディスポーザーのかけらがまんまと侵入したようです。わたしはか細い悲鳴をあげふりはらおうとしました。足がもつれて転び、はずみでかばんがタペストリの外に落ちます。

「あ!」

わたしは即座に肩かけかばんがディスポーザーに飲みこまれ吸収されてしまうと思いました。しかしそうなりませんでした。

ディスポーザーはかばんの周りでうごめいているだけです。わたしはかばんをひったくると中をあけました。

お金に保存処理をした薬草、今までの調査結果を記入した紙の束。着替えに保存食、水袋といった最低限の生活必需品。見慣れた、もうとっくに覚えてしまっているものばかりです。

そして一番上に無造作にあるものは。かつての持ち主と同じようになにも語らず、静かにそこに座っていたものは。

震える手でかばんをつかみなおします。たいまつのもち手を口にくわえ、ミサスの黒い羽根をかかげました。ディスポーザーが恐れるように下がります。塩をまいた時のように1歩先が見えます。

竜のうろこには身を守る力があるといいます。一角獣の角には病をはらうことができるといいます。強い魔力をかねそなえた生き物の身体の一部には、それのみで強い魔力を持ち持ち主を守ります。黒翼族の神秘の羽根にも、なんらかの力があるのかもしれません。

なりゆきでかばんに入った羽根です。拾ったことさえ偶然でした。ミサスはもちろん、わたしだってこのようなことになるとはあの時まったく思っていませんでした。

おかしな話です。状況がここまで絶望的でなかったら笑いだしたかもしれません。偶然と必然のはてに、ミサスはようやくわたしを助けてくれました。こんな、ぎりぎりの場所で。

まばたきをくりかえして涙をぬぐいます。たいまつの炎が髪をこがしました。手足の震えはとまりませんが、羽根をかかげて歩くのに支障はありません。

ならば進めます。

泥のような手足を引きずり、わたしはもう1歩を踏みだしました。


道は無限とも永遠とも思いました。でも終わりはありました。見覚えのある鉄格子の扉の前まで着きました。隠れていた武器庫です。おりれば目的の中庭まではすぐです。いざと考え、ふと足をとめました。

核を前にしたときどうやってそれを破壊すればいいのでしょうか。わたしの武器といえば小刀と山道で小枝を払う山刀のみです。山刀はなたより大きめの曲刀で、きちんと手入れをすれば人も切ってしまえる強力な刃物ですが、本来は野外で使う日用品です。わたしをふくむ無数の命運をかけるにしてはいささか頼りない気がします。

ここは武器庫の前です。この非常時、少しくらい武器を借りてもいいでしょう。

中に入りました。少し意外でしたが、ディスポーザーは壁中に張りつきうごめいてはいるものの、部屋中にあふれかえってはいません。ここに生き物はいなかったからか、それとも魔法的防御がここにもほどこされているのでしょうか。

わたしは部屋中を見わたし物色します。メイスを手に取りました。メイスは本当の戦いのとき当てやすく威力が大きいので素人にも安心の武器です。わたしは戦闘の訓練を受けたことはありませんが、動けない核などいくらわたしでも当てられるはずです。

もし肉片があふれて、核に近寄れなかった時のために弓矢も一つ持っていきましょう。弓は少し学びました。人殺しのためではなく狩猟のためでしたので、騎馬民族の国民とは思えないほどの腕前だとは思いますが、それでもまったく知らないよりはいいでしょう。見てみるとそれらしい弓はなく、かわりに巨大なボウガンが立てかけてありました。ボウガンははじめてですが矢はすでに装着されていますし、たしかしかけはそうむずかしくはないはずです。なんとかなりそうです。

2つをかついでせおうとひどく背骨が痛みました。今さらです、どうせ全身あちこちに苦痛が走っているのです。疲れてあちこち血を流して、満身創痍です。さらにひとつぐらい加わったところでなんということはありません。自分をごまかして歩きます。

階段を見つけ、壁に手をつきながらおります。3階層目でディスポーザーが支配する空間が終わり、古い石造りの壁と床が見えました。ディスポーザーのかけらはあちこちで見られるものの、包みこまれるほどではありません。わたしは顔をあげました。

そこは心臓でした。草木はすべて侵食され土が露出します。空になった庭には筋肉でくるまれ一定の時刻で脈打つ血と肉の塊が、蜘蛛の巣のようにはりめぐらされている血管に支えられて浮いていました。不気味でおぞましい異形のものです。あるべきではない、あってはならない異物。わたしはこれを殺しにきました。

タペストリが肩から落ちました。わたしの力が抜けたせいではあるのですが、一面業火であぶられ焼けこげすすけている様子を見るに、もう限界だったのでしょう。どのみち今は全身をディスポーザーにつつまれているわけではありません。もう大丈夫です。

メイスを両手でにぎりしめ一歩前へでます。冷や汗が額を流れおち、鼓動の音が巨大化し跳ねあがります。

どくん。わたしとディスポーザーの心臓の音が重なりました。その瞬間、わたしはもぎつかまれるように放りこまれました。光の中へ意識を投げだされるように連れさられます。

「!?」

七色の光、無数の顔、はてしない人の思い。それらすべてがわたしの中をかけぬけていきます。だれかの願いが、考えが、のろいが、祈りがわたしをつらぬきます。幻覚だと思いました。このようなものが現実に存在しうるわけないのです。自分のもの以外の思考を理解してしまうだなんてありえません。これは夢です。たとえば薬物中毒者が見る夢。

夢の中で、わたしは一つの情景を見ました。だれかの記憶、ほんの一瞬の思考を自分で見る以上に鮮明に見ました。

暗くせまい部屋です。獣脂の明かりの中で、部屋の主は取引を成立させました。

それは悪いことでした。恩知らずで厚顔の卑劣な取引でした。部屋の主にも言い訳はあったのかもしれません、しかし裏切りであることには変わりません。彼に今まで金と時間を援助し支えてきた主人へのひどい裏切りです。

取りひき相手はなにかをささやき、血のような紅の珠をてわたします。いざという時の切り札だと彼は伝えます。嘘です。それは使用者はもちろん周囲をすべて滅ぼし食らう怪物を召喚するためのものです。彼は知っています。これが使われたらどうなるのか、知っていてなおかつ教えることなく裏切り者に与えます。

明かりが揺れました。元凶の男がようやく顔を見せます。

金髪を後ろになでた、知的で冷静で、やさしいとも言えるほど穏やかな顔。自分の起こしたことがどれだけの苦しみと悲しみをもたらすのか十分理解していて、なおかつ涼しい顔で行うもの。

「ラスティア!」

夢が砕けます。幻は指をすりぬけ霧散します。幻覚は悲鳴とともに消えうせました。残ったのは死んだ庭とディスポーザーの心臓。わたしはメイスを持ちその前にたしかに立っています。いつのまにか落としたたいまつが、もう日が見えない夕暮れの空に狂ったようにおどる影を映します。

わたしの後ろで影がふくらみ人の形を取りました。目のはしでだれかを確認します。

「なにを見た」

やっとミサスの声を聞きました。低く小さい声ですが発音がはっきりしていて聞きとりやすいです。

「なぜラスティアを知っている」

そういえば影にもぐり裏の世界を歩く魔法があると聞いたことがあります。ミサスはその魔法で今までかくれていたのでしょうか。ラスティアの名を聞きとがめたということは、ミサスの探し人はラスティアなのでしょうか。

ミサスの声は聞こえましたが答えられませんでした。自分のことで精一杯です、疑問が頭の中で渦をまきます。メイスとはこんなに重いものだったのでしょうか。わたしは鍛えていないわりにかなりの力持ちではあるのですが、重さのまり引きずるように歩きます。

なぜ。

メイスを振りあげます。くぐもった音とともにメイスが心臓にめりこみました。まるで分厚い布団をたたいたかのようです。メイスはそのまま心臓へともぐりこんでいきました。手を放さなければわたしも取られていたでしょう。

なぜ。

次の武器を取ります。背中のクロスボウを肩にかつぎ、構えます。メイスより重く、持っているだけで身体が揺らぎます。

なぜ。

ミサスの羽根が少し開きました。有翼人についてはよく分かりませんが、鵞鳥を驚かした時に羽根を広げて飛びさるのに似ていました。驚いたのでしょうか。なににでしょう。ディスポーザーの心臓か、わたしの行動か、かついでいた武器か、わたし自身か。クロスボウにしてはとてつもない至近距離でわたしは引き金を引きます。

反動でわたしはふきとび、壁に打ちつけられて肺の空気を全部吐きだします。痛みにあえぎながらもなんとか目を開けていました。ディスポーザーの心臓が黒くゆがみ縮みます。血管が枯れ筋肉が乾き、ただの汚らしいなにかの残骸へと見る見るしおれていきます。あれほど城を圧し、好き勝手に暴れていたディスポーザーの末路にしてはあっけなさすぎました。

心臓があったところには干からびた肉に埋もれた、標準よりはるかに大きいボウの矢につらぬかれくだけた宝石がありました。紅色をまとった黒です。憎らしいことに媒介核はかけらでも美しく、最後まで内臓の色をしていました。

なぜ。

わたしははって核へと行こうとします。顔が上がりません。どうしたことか全身に力が入りません。視界に黒い斑点が次々におちて広がっていきます。

なぜ。

なぜ、ラスティア、あなたが。どうして、ラスティア、あなたが。

なぜ。なぜ。なぜ。

前に進めません。身体が重いからです。あまりにも疑問が多すぎて重すぎて先が見えません。

なぜ。

視界が黒にぬりつぶされ、わたしは光も音もないところへおいていかれました。

目を開けると温かくてやわらかい、気持ちのいいところでした。どこからかいい香りがしてきます。わたしはため息をして再び目を閉じました。

「あれ、今起きてなかった?」

のんきな声がすぐ横から聞こえます。ふだんなら目を開けて答えるところではありますが、今は心地よすぎてその気になれませんでした。

「待って、起きて、おーきーてーよ、ザーリ。ザーリ・クロロロッドォー」

顔をつねられます。だれでしょう、わたしをそんな変な発音で呼ぶ人は。いやいやながら目を開けると、呼吸がかかるくらいすぐ目の前に小さな人影がありました。

「シェシェイ?」
「起きた!」

わたしの肩に乗る程度の小柄なピクシーは喜んで飛びまわります。羽根から七色の燐粉が舞い、幻想的な軌道を描きました。

「なにをしているの」

眠くてたまりませんが、なんとかそれだけでも聞こうとします。1回質問をしたとたん、疑問が次々とわきました。

「シェシェイは無事だったの。アルは無事? わたし、たしかディスポーザーの核を傷つけたと思ったのだけどそれからどうなったの? ディスポーザーは滅んだ?」
「ああん、待ってよ落ちついて。ちゃんと全部説明するからっ。どうしよう、すっごくうれしい。ずっとこのまま寝たきりかもと思ったんだよっ」

落ちつくのはシェシェイのほうが先じゃないでしょうか。

「喜ばせてよ、だってザリ丸2日は寝たきりだったんだよ!」
「2日!?」

驚きました。驚きすぎて思わず跳ねあがり立ちくらみを起こしかけます。2日寝て急激に起きあがっても立ちくらみですむ辺りがわたしの頑丈さを物語っています。普通はもっと衰弱するものなのですが。

「そんなに寝ていたの! それで、それからはどうなったの? ここはどこ? ラディーン王は、城の人たちは。アルは。後、えっとミサスはどこかにいる?」
「とにかくなんとかなったの。あの召喚獣は消滅、ついでにアットがなにもしていないということがちゃんと証明できて解放された。ここは王家の別荘のひとつでね、お城に寝泊りできなくなったからかわりにラディーンとかぼくらが使っている。お城の被害は甚大でね、ラディーンも復帰したアットも毎日お城でお仕事しているよ。ラディーン頭をかかえていた。3年分の王室予算を使っても間に合わないって。人死にもすごくでたし」

シェシェイはかるく話しますが、あらためて大事件だったと思い知ります。

「あの情報屋のフェアリーも命に別状はないけど土神殿送りになったよ」
「別状はないのね。それならいいわ。アルは? 無事なの?」
「そこにいる」

シェシェイが下を指します。つられてわたしは見ました。

わたしはベットに寝かされていました。それも雑魚寝ではなく、広い客間です。毛布は肌触りがよく、枕元には花がいけられていい香りをただよわせています。めがねがないのでよく見えませんが、わたしには不似合いなほど立派な部屋のようです。枕元にわたしの荷物がつまれていますが前まで持っていたのと同じものとはすぐに分からないほどぼろぼろになってきたなくなりました。その横にクロスボウとミサスの黒羽根も置かれています。なぜか毛布のかたまりも無造作に落ちていました。

「どこにいるの?」
「そこ。あ、たしかザリ目が悪いんだっけ? 枕元枕元」

手さぐりでめがねらしいものをつかんでかけます。とたんに視界がはっきりしました。毛布のかたまりにしか見えなかったものに埋もれてぐっすり寝ているアルの姿などもはっきりと見えます。

「アル!? そこでなにをしているの?」
「あ、起きないよ。ゆすらないでね」
「ベットに寝かせないの」

起き上がれる程度には元気なわたしが寝ていて、起きない女の子が地べたなんて許されるものではありません。代わろうと立ちあがってシェシェイにおさえこまれました。実際ピクシーの腕力なんてないも同然だったのですが、立たないでほしいという意思にわたしは従いました。

「責めないで。これはアルが望んだことなの」
「アルが?」
「どうしてもどうしてもザリが気になるからってそばから離れようとしないんだよ。ちゃんと寝床ぐらいあるよ、でもここがいいっていうの。ほら、すごくすごく巻きこんじゃったでしょう。それで責任感感じているんだよ」
「別に感じることじゃないと思うけど、それと起きないのとどういう関係があるの?」
「アルは無傷だけどさ、脱出するのに精霊術さんざんさんざん使ったの。精霊術は魔法みたいに使いすぎると体力消耗するものじゃないけど、心の力を使うんだって。精神力を消耗するの。使った精神力は薬や魔法で回復するものじゃなくて、一番てっとりはやい方法はひたすら寝ることなんだって。だからアル、あの日以来ご飯に起きる以外はぐっすり寝て起きないの。それでぼくがかわりにザリが起きたとき用のめざまし任命されたの。ザリが起きたらアルも起こしてって。いいけどね、別に。ぼくも気になっていたし。でも起きてよかった! 精霊術士が寝ているのとはちがうもん、このまま衰弱死したらどうなるかと思った!」

途中から感極まって鼻の先に抱きつかれました。

「まさかディスポーザーを滅ぼせるなんて思わなかった! ぼくとアルはとにかく逃げて逃げて、なんとか城から脱出したけどもうだめだと思ったもん! あの占い師、えっとガドだって、あの人も驚いていたよ、 媒介核は並みの力で壊せるものじゃないって。そんななかよくも飛びこんでいけたなって。すごく運がよかったんだよ」
「並みの力では壊せない? でも、わたしでも破壊できたわよ。たしかにメイスでは無理だったけど、あのクロスボウを使って」
「並みじゃないからできたんだよ。アーバレストなんて持ちだしてさ」

アーバレスト? 聞きなじみがありません。

「兵器だよ、へ・い・き」

わたしがクロスボウだと思っていた武器によりかかりながらシェシェイは言いました。

「大昔、あちこちで戦争があったときに使われたお城を攻める兵器。兵器というには小さすぎるけど武器というには大きすぎて強力すぎる。普通のアーバレストに比べて小型でなんとか一人でも扱えるけど、矢の装着には専用の巻き上げ機が必要だし、撃てば金属鎧を粉砕して城壁を破壊する。忘れられた古い兵器だよ」

ただの事実の羅列にしては迫力がすぎました。本当のことへの重みでしょうか。

「よくこんなの持っていったね。用意周到!」
「ちがう、偶然よ。クロスボウかと思ったの。とんでもないものを持ちだしたみたいね」
「あ、でもさ。ラディーンがこれやるって言っていたよ。どうせ使わないし記念にくれてやろうって。ここまでアーバレストを有効利用した人もそうはいないからってね。よかったね!」
「わたしは使う予定がないのだけど」

そもそも兵器を普通の人に簡単に送ってもいいのでしょうか。

「ミサスがどこにいるかは知らない。でも無事だよ、ディスポーザーが消えたらラディーンの前に現れてまた消えちゃった」
「そう」

彼に聞きたいことがありました。がっかりするより「でもね」シェシェイはつけくわえます。

「別に遊んでいたんじゃないみたいだよ。だってアットについてすごい証拠を押しつけていったもん」
「証拠?」
「うん。捏造といんちきの記録。この書類からするにアットが下克上をたくらむわけないとか、法学者がこうしてアットを陥れようとしたとかいう手紙とか。それをラディーンに押しつけて、アットの無罪が認められたの。ぼく少し見直した。一応周りの事情とか分かっていたんだね。てっきりわがままをおしとおしてどこか行ったと思ったんだけど、ちゃんと仕事していたよ」
「そう」

なにもかもが、正しく本来あるべき方向へとおさまっていく。その中でわたしは目を閉じ意識を飛ばしました。真実、元凶、事件の全貌。金色の髪を持つ、自信に満ちた青年の表情。見覚えのあるその顔。

「どしたの、ザリ。顔が怖いよ。なんでもっと喜ばないの? ディスポーザーは消えて知っている人はみんな助かったんだよ、ザリの自殺まがいの努力は報われたんだよ? それなのにどうして?」
「シェシェイ、アティウス殿下とミサスはなぜ知りあいなの?」
「え、え〜? なぜって、えっと、アットがミサスとイーザーとアキトと、この人たちミサスの友だちなんだけど、その人たちに人探しを頼んだからだよ。どこかの街が異世界とつながってすごい被害がでたことがあって、偶然その場にいあわせたんだって。それでそれ起こした犯人を探して捕まえてって頼んだから」
「どんな人なの、その犯人は」

わたしは嘘が苦手です。すぐ顔にでてしまうのです。どうかシェシェイが気づきませんように。

「えっと、どんな人だっけ? アルから聞いたけど忘れたな。あ、そうだ、ラスティアっていう名前。ザリ? どうしたの、顔が青いよ。なにか食べる、白湯飲む? あ、お医者さんの方がいいか」
「いえ、いい。大丈夫」

やわらかい枕にもたれかかりました。固く目を閉じて考えます。背中が冷たいです。汗をかいているからです。

なぜ。

問いかけに答えてくれる人はいません。だれにも分からない問いです。

なぜ。

それでもわたしは声をあげます。知りたいからです。知らなくてはいけないからです。

なぜ。

知るためにはどうすればいいのでしょう。思いだしたのはディスポーザーに囲まれて一人で進もうとしているときのことでした。泣きだしそうになりながら、怖くて怖くて逃げだしそうになりながら、みっともなく手探りをするわたしでした。

知るためには。

「ザーリ?」
「シェシェイ、よかったら書くものを取ってきてほしい」
「書くもの? 紙と筆のこと? 待ってて、すぐ持ってくる」

一回ひるがえって飛び、ひきだしから白い紙とペン、それに書くための小さな机を持ってきてくれました。わたしは背中を枕に押しつけて身体を起こすと、シェシェイに席をはずしてもらい書きだします。やはり体力がおとろえているのでしょうか。筆はなかなか進まず、書いては休み書いては休みを繰りかえします。ようやくできあがった長い文章を丁寧におりたたみ、かばんに隠しました。力つきて枕に顔をうずめます。

「ん、んあ?」

寝ぼけて朦朧とした声が毛布からもれます。アルがぼんやりと身動きをします。まだめざめたとは到底いえないようで、半分寝ているような表情で立ちあがりました。

「シェシェイ? あれ、ザリ? 起きているの?」
「アル。お願いがあるの。ミサスにわたしが会いたがっていることを伝えて」

わたしは目を閉じました。


少しの間目を閉じただけのつもりでした。しかし窓の外に闇がじっとうずくまり、枕元におしゃれな角灯が柔らかな明かりを部屋に投げかけています。シェシェイもいずアルのぬけがらの毛布が床に投げだされていました。寝てしまったようです。髪を軽くなでて身体を起こし、立ち上がろうとしました。昼間よりはまだ頭がすっきりしています。

外に通じる窓から夜の風がふきこみ、カーテンをおだやかにゆらしました。わたしははっとします。外の影が夜闇から切りはなされ、人工的な明かりの前におりてきました。

なぜかわたしは驚きませんでした。あらかじめ分かっていたわけでもないはずなのにつぶやきます。ミサスと。

「アルから聞いたの? 伝えたいことがあるの。待つつもりだったけど、意外とはやかった」

動きませんでした。黒い髪と羽根が風にあわせてかすかにゆれます。冷静にわたしを見つめる瞳はなんの感情もうつりません。それなのになぜかわたしは心の奥まで観察されているような気がしました。緊張して舌が口に張りつきます。

両手を使って身体を起こし、かばんに隠した手紙を取りだしました。まだわたし以外にさわられていないようで、最後においた場所そのままにありました。

「ミサスはラスティアを探しているのね」

確かめます。返事はありません。今さら答えてくれると期待したわけでもありませんから落胆しません。

「わたしはラスティアについて知っている。この紙に、わたしがラスティアについて知っているすべてを書いた」

手紙を枕もとの卓におき、その上に角灯をかたむけます。もしわたしの手がすべったら。蛍花をかたどった角灯は落ちてわれ、手紙は燃えてしまうでしょう。

「ミサスにわたす」

ミサスは動きませんでした。どんな表情をしているか闇にかくれて見えません。きっと無表情でしょう。

「その代わり、わたしも行きます」

空気がかすかに動きました。一歩踏みだす音がします。

「もしだめと言われたら手紙は見せない。燃やしてしまいます」

わたしは脅迫しました。一緒に行くことを許してくれないのならばなにも教えないと伝えたのです。

沈黙がおりました。痛いほどの静寂です。ミサスはなにも言いません。お互いただむかいあっているだけなのに問いつめられている気がしました。

「答えは」
「好きにしろ」

心の底からどうでもいいような声でした。わたしは大きく息をはきます。目の前が回り、危うく角灯を手放してしまいそうになりました。

「そうする」

力の抜けるまま、わたしは毛布の中に倒れこみました。これで2回目と思いつつ。


わたしの体調が万全になったのは5日後でした。後始末や真相追及に忙殺される王家の館をひっそりと出発します。アティウス殿下の依頼は内密のものでしたし、わたしも自分についておおっぴらに公言するつもりはありませんでした。フィルにもカシューにも、アルにもシェシェイにも人づてで知らせただけです。よって見送りもとてもひっそりしたものでした。もっとも人選は豪華です。国王陛下がじきじきにきてくれたのですから。

「ラディーン王、わたしは固く遠慮したはずですけど」

しかたなくこまって笑いながら、わたしはやんわりと静かな出発をするつもりだったことを繰りかえします。

「ああ、そういえばガドが言っていたな。でも国王は時に部下の意見を無視するんだ。覚えておけ」
「それは横暴ですよ」
「それにザリがたしかにフォロゼスをでるところを確認したい。またどこかに行って災厄を引っぱってこられたらたまったものではない」
「ディスポーザーはわたしのせいではありません」

てれかくしなのか本気なのか。わたしには区別がつきませんでした。

「まさか自分から好きこのんでついていくとはな。信じられん。ディスポーザーを殺すときに頭をうったようだな」
「ラディーン王」
「情報屋のフィルが心配していた。あれに関わりたがるなんて正気じゃないと。俺も大体同意見だ。だが望むのならばそれもよかろう。せいぜい気をつけろ」

ぶっきらぼうながらも温かい言葉でした。苦笑して礼をします。

少しはなれたところにミサスと、荷物をつんだ黒海が待っていました。アーバレストも矢の巻きあげ機もちゃんとあります。結局わたしはシェシェイの言うとおり兵器を断りきれずにもらってしまいました。さらに普通のクロスボウも一緒です。「こっちのほうが使いやすいだろ」とのありがたい言葉と一緒でした。わたしは弓兵ではないのですが。

「もらったクロスボウを、使うことがないように心がけます」
「ああ。無理だろうが望むのは自由だ」

あんまりなことを言った後、ラディーン王はわたしの頭をにらむように見つめました。正確には帽子を見ます。

「アーバレストを送る俺も俺だが、その羽根を飾るザリもかなり非常識だな。目立つ」
「そうですか?」

かぶりなおしたわたしの帽子には黒い羽が飾りのように縫いつけてあります。あの時のミサスの羽根です。

「捨てがたかったですし、かばんの中ではすぐに痛んでしまいそうでしたので。おかしいですか?」
「がっかりするほど現実的な理由だなおい」

ミサスがなにか言葉を口にします。姿がゆがみ、たちまち夜鳴鳥に変化しました。ちょこんと黒海の頭に乗るのがかわいらしいです。わたしは故郷ファナーゼ風の礼をしました。

「ラディーン王、では行ってまいります」
「行け行け。死ぬなよ」
「はい」

黒海をそっとなでてまたがりました。手綱を引き指示をします。ゆっくりした歩みはじょじょにかけ足になりました。


そのことを知ったのはずっとずっと後です。

アルはそのとき館の最上階にいました。明かりのない部屋でカーテンの陰にかくれて出発するわたしを見ていました。表情はわたしが見たことがないほど険しく、普段は幼く見える顔つきが実年齢以上に見えたそうです。

「アル、見送らなくていいの? アルらしくないよ、おかしいよ」

シェシェイが肩にとまります。表情は心配そうというよりも不安そうでした。

「ねぇ、ねぇったら」
「いいの。行ったら絶対にとめるから」
「とめる」

アルらしくないとシェシェイは思ったそうです。普段のアルはこのように言いません。どちらかといったら「私も行きたい、一緒にがんばろう!」と言う方です。それなのに奇妙なまでに腰が引けています。恐れているとさえ言えました。

「ねぇ、アルってばぁ。こっち向いてよ」
「きた」

アルはカーテンを引いて振りかえりました。密偵としての訓練もつんだことのあるシェシェイも気づきます。

「アルちゃん」

ラディーンと同じ、白い前髪の少年が飛びこんできました。顔の造作もフォロー国王と似てはいますが、まとう雰囲気はまったく違うため似ているという人は少ないでしょう。ラディーンが無骨で武人風なのに比べて少年は文化風でおっとりした印象を受けます。

ラディーンの実弟、フォロー千年王国第一王位後継者、今回の騒動の渦中の存在。アティリス・フィオラ・ジェネ・フォローその人でした。ふだんなら穏やかで荒事を好まないのに今は違いました。

「伝言聞いたよ、どうしてそう思うのさっ」
「だめ?」

うっとアティリス殿下はつまります。

「だ、だめだよ」
「アル、アットになんて言ったの?」

こっそりシェシェイが聞きました。

「うん。ラスティアの捜索を打ちきってって。イーザーの援助を取りやめてなかったことにしてって頼んだ」
「ぶっ」

思わずシェシェイはふきだしました。ピクシーにさえ無茶だと分かる提案です。

「だめだよ。ラスティアはフォロー王国の街に攻撃を加えたんだ。ひとつの都市に壊滅的な損害をあたえた、とても放っておけない、しかえしだけじゃないよ、放っておいたらまた同じことをされるかもしれない。無視しちゃいけないんだ。どこのだれだかつきとめてきちんと罰しないといけない。

それだけじゃない、ラスティアは今回のフォロゼス城壊滅にも大きく関わっているかもしれないんだよ。今のところ証拠はでてきていない、でも召喚術を使った手口、派手な破壊と殺し、やり方は同じだ。兄上と話しあった、兄上も同じことを考えていた。まだきちんとした証拠が出ていない以上兄上が動くことはできない。でもラスティアに話を聞く必要はあるって言っていた。協力してくれるって、今以上に。探さないといけない。ラスティアが何者なのか、なにを考えているのか。それなのにどうしてアルちゃん止めるのさ。

こういっちゃいけないんだろうけど、アルちゃんらしくないよ。僕はてっきりアルちゃんも行きたがるかと思ったよ。正体不明のラスティアを突きとめるなんて、いかにもアルちゃんの好きな冒険ごとだ。それなのにどうしてそんなに消極的なの。アルちゃんいつもの積極的で前向きだった。考えすぎる僕を引っぱって現実は自分の手で変えられるって教えてくれた。それなのにどうして」

「いやな予感がする」
「予感?」

うなずくアルに、すでにわたしは映っていませんでした。もっと別の、精霊使いでしか見えないものでいっぱいでした。

「ずっと前、久しぶりにイーザーと会ったときからそう。なんでなのか私にも分からないけど。恐怖に不安、つみかさなる危険。いやな予感がとまらない、行ってはいけないと心の奥から声がする。どんな意味なのか私にもわからない。けれども。アットくん。イーザーをとめないといけない、イーザーが大切だったら。アキトが、キャロルが好きだったら。やめて、これ以上関わるなって言わないと」
「アルゥ」

シェシェイが情けなさそうにつぶやきます。妖精が言うより先にアティウス殿下がきっぱり首を振りました。

「そんなことできない。絶対に考えられない」
「そう言うと思った。アットくんにはアットくんの立場があるもんね」

アルは怒っていました。アティウス殿下は腰が引けます。身分でいえば平民と殿下、天地の差がある2人ですがいまだにアティウス殿下は昔アルに振りまわされて冒険を重ねた記憶が残っています。恩と義理と好意があるのでアティウス殿下は逆らうことさえ考えられないのです。

「あのね、アルちゃん」
「アットくん、私は怖い」
「……アルちゃん?」

アティウス殿下はもちろん、シェシェイも思わずとまりました。

「あの人たちの行く末が、イーザーたちがどこに行くかが怖い。具体的になにがあるのか分からない、どう転ぶのかは分からない。でも、ただただ怖い。正体が分からない不安じゃない、もっとずっとせっぱつまった危険がある」
「アルちゃん」
「アットくんにもシェシェイにも分からないだろうね」

アルはどこかすねたように、やけっぱちのように片腕を振りまわしました。思わず飛んで逃げたシェシェイはアティウスの頭にとまります。

「精霊使いの直感だもの。精霊を感じたこともない人には分からない」
「アルちゃん!」

アティウス殿下は叫びます。ふだんアティウス殿下は声を荒げることなんてありません。兄とはちがって穏やかな気性です。ですがこのときは叫ばずにはいられなかったそうです。大声をださないとアルがそのまま、もう二度と帰ってこないような気がしたそうです。

「私、しばらくフォロゼスにいる」

アルは言いきりました。

「フォロゼスのことを考えたら当然だよね。アットくんも私がそばにいて手助けしているほうがいいでしょ。協力するよ、アットくんを捕らわれから助けだそうとしたように、復興も最大限手伝う。友だちだもん、できる限り助ける、私にできる以上のことをするよ」
「アルちゃん」
「思考はアットくんの気に入らないかもしれないけどね」

アルは冷ややかに笑いました。どうしようもないことに流され、これからおこるできごとを黙って受けいれないといけない自分を嘲笑しているようでした。

それ以上はアティウス殿下にもシェシェイにも読めませんでした。扉を閉めてその場から逃げたアルの背中を呆然と見ます。

「ねー、アット」
「なに、シェシェイ」
「友だちって言われてがっかりした? それより上って言ってほしかった? アルにどうせ精霊使いの気持ちなんて分からないでしょって言われて悲しい?」
「全部そうだよ。悪いか」

アティウス殿下は怒っていませんでした。長いつきあいの友だちがはじめて不安と恐怖を伝えたのに動揺しすぎていたのです。今までどんなことがあっても、それこそ悪人に四方かこまれても王家のごたごたに首をつっこむはめになっても大丈夫だと笑ったアルが、はじめて不安を告げました。それがアティウス殿下には怖かったのです。

「ねー、アットくん、アルもああ言っているしやめない?」
「そんなこと考えられない」
「だったらせめてあの人とめようよ。ザリのこと。ザリは勇敢かもしれないけど素人だよ。危ないよ、ああまで言っているラスティア騒動とかに首つっこませないほうがいいんじゃないの」
「それもできない。なんて言うのさ。アルちゃんの直感だから行くなって? そんなのでやめようなんて考える人はいないよ。ザリは精霊使いじゃないんだよ。根拠がなさすぎる」

それに。どことなく憂いをふくんでアティウス殿下はつけくわえました。

「ザリは行くって言ったんだ。ことを甘く見ているのかもしれないけど、それでもあの女の人は危険であることを知っているんだよ。それなのに自分から出るんだ。どうやってかは知らないけどミサスを納得させてついて行く」

きっととめちゃいけない。か弱い声は館のもっとも空に近いところから風に散って消えました。

これらのことをわたしは知りませんでした。なにも知らずにただ走っていきました。