三つ首白鳥亭

−カーリキリト−

ある日空から唐突に

空から硬貨が落ちてきた。

「お」

かけよって拾う。まちがいなくコインだった。五百円玉に似ていたが、幾何学的な文様はどの硬貨とも違った。

「どうした」
「降ってきた」
「はっ?」

イーザーが空を見上げる。俺もそうしてみた。上空には高い建築物などなく、周りは平屋かさもなくば屋台だった。うっかりだれかが2階から落としたわけではないようだ。

「なにやってんの」
「空から金が降ってきたんだって」
「はぁ?」

イーザーと反応は似ていたが、隠し切れぬ悪意と馬鹿にした感じがあったのは気のせいではないはずだ。キャロルは俺の手の硬貨を1枚取りあげてながめる。

「共通硬貨ではもちろんないわね。フォローでもレイドでもエアームでもない。マドリーム荒野国? ファナーゼ草原国? あの辺は金の流通が甘いはずだわ、アドマンド公国かしら、あたしはこんな硬貨見たことはない」

キャロルにも分からないのだったら相当珍しいものなんだろう。俺はなんとなくしこりを残しながら財布を取りだしてしまおうとした。

「そこ、どっか行きなさい」

キャロルが邪険に手で追いはらう動作をする。

見るといつのまにか子どもがすぐそばにいた。人懐っこそうに笑う。

「それ、珍しいね。ねぇもっとよく見せてよ」
「赤の他人に自分の金を見せるなんて、そんなうかつ者いるわけないでしょ」
「僕いろんなもの集めるの好きだよ。特に硬貨集めが好き。見たことがなければないほどいいんだ。盗もうなんて思わないよ、見せて」

馴れ馴れしい子どもだ。キャロルは「いいからうせなさい」露骨に嫌そうな表情になる。俺はしゃがんで同じ目線になった。同じ目線に立つのが子どもと話すこつだと聞いたことがある。子どもと話したことはほとんどないんでよく分からないが。

「おまえ、コイン集めが好きなのか」
「うんっ」
「じゃあこれあげる」

財布をひっくり返して中のものを全部出し、そこからここで使われている硬貨を抜きとる。残ったのは一円玉五円玉十円玉と日本の硬貨だけだ。それを子どもの小さな手ににぎらせた。隣で見守っていたイーザーがもう空になった俺の手をつかむ。

「おいアキト。それおまえのところの金だろ。全部あげちゃってどうするんだよ」
「いいんだよ。もう使えないんだから」

だったらなくってもかまわない。むしろあると財布をのぞくたびに日本を思い返す。だったら未練をきっぱりなくすためにここであげちゃおう。絶句するイーザーを無視して俺は立った。子どもは目を輝かせて俺を見上げる。

「見たことないのばっかりだ! お兄ちゃん、本当にもらっていいの!?」
「ああ。全部やる」
「うわぁ、ありがとう! 僕大切にするよ!」

舞い上がるような足どりで手を振った。「絶対に忘れないからね!」と何回も繰りかえしながら手を振るって姿を消す。いいことをした。俺はささやかな満足にひたった。

「アキト、あれ子どもじゃない」
「え?」
「あれはハーフリング、妖精の一種。身体はあの通り小さいけど、たぶんアキトより年上、もう成人していると思うわ。すばしっこく悪知恵が働くから甘く見るとひどい目にあうわよ」
「年上?

大人?」
「考えてみなさい。子どもが武装している複数の大人へ寄ってこないわよ、怖いもの」
別に俺たち大人じゃない。まだ成人を越している年齢の人はいないはずだ。あ、子どもから見ればそんなの関係なく大人扱いか。俺も小学生の時は高校生は一人前だと思っていた。

「だってあの言葉使い」
「ハーフリンクには多いわよ、子どもっぽい舌ったらずの話し方。本当の子どもがあんなに口が回るわけないでしょ。人間社会だと子どものふりをしているほうが楽だし便利だからそうふるまっているだけよ」」
「本当に?」
「本当に」

落ちこんだ。年上の人と目線を合わせてどうするんだよ俺。

「ま、いい勉強になったでしょう。見かけで判断すると恥ずかしいわよ。痛い目にあう前でよかったね」
「分かったよ」

どちらにしろ欲しがっている人に渡せたからいいや。自分を納得させる。捨てるよりははるかにましのはずだ。そう考えると元気が出てきた。

「ひとつ利口になったところで行くわよ。今日の宿探さないと」
「あ。うん」

財布を片付けようとして、謎の硬貨はいまだに俺が持っているのに気づいた。これ、どうしよう。落とし主もいそうにないしここで投げだすのもなんだかためらう。なりゆきだ、しばらく持っておこう。


街に入るとあらためて千年王国ではないんだと思いしる。

一番強く感じたのは人外の少なさだった。フォローでは妖精獣人多種多様な種族がいて目を回したものだったが、ここでは道行く人々の大多数は人間だった。いまや少数派になってしまったキャロルもフォローでは堂々と歩いていたのに、ここでは頭巾をかぶり人目につかないようにうつむいて歩いている。

「キャロル、なんでそうしているんだ。堂々とすればいいのに」
「人じゃなくて当たり前のフォローとは違うからね。あんまりおおっぴらに地下道の一族であることを回りに知られたくない」

声までひそめていた。

逆に剣などの武器はフォローでは街にはいるときは目立たないように隠すか布でおおうかしていたのに、レイドでは腰にさしたままだった。イーザーやキャロルだけではなく道行く人々がみなそうだった。中には抜き身のまま持ち歩いている人もいて、少なからず俺は気分がよくなかった。危ないぞ、あれ。

「フォロー千年王国では街中や人里では剣を抜くのは禁じられている。レイドはそうじゃない。その違いだよ」
「文化は同じなのにな。服とか街並みとかは違いがないのに」
「情報屋がなさそうね」

キャロルは違うところを見ていた。たしかに結構な時間を歩いているのに情報屋は影も形もない。

「しょうがない、普通の宿でいいか」

歩きながら耳飾りや首飾りなどの装飾品を売っている屋台を通りかかる。どの品物もきらびやかに宝石で飾りつけられている。どうせ本物じゃないのだろうけどきれいだった。キャロルもこういうのほしがったりするのかな。正面から来る茶色の貫頭衣をきた人を避けながらぼんやりする。

と、貫頭衣の男が、白昼堂々屋台から売り物をわしづかみにしてもときた方向へ走って逃げた。「へ?」一部始終見ていた俺は大胆さに呆然として泥棒を逃がした。

「ど」

店番をしていた老人が、男の姿が見えなくなってからようやく声をあげる。

「泥棒!」

そこまではいい。物を盗まれた店主がそういうのは正しい。だがよりにもよって、老人の目も指も一直線にキャロルをさしていた。道行く人すべての目が灰色の貫頭衣をきたキャロルに向けられる。

キャロルは眉をひそめ、そして言い訳も弁解もせず逃げだした。

「おいっ!?」
「まてっ、この泥棒!」

当たり前だがイーザーがキャロルを追い、我に返った俺もそうする。老人の怒声が周囲を震わせ、事情をよく知らない道行く人が俺たちを追いかけようとする。誤解だ、キャロルは泥棒じゃない。

「キャロル、なんで逃げるんだよ。どう見てもキャロルは盗んでないだろ」

イーザーが呼びかけるのをかろうじて聞きとれた。

「言ってもむだだもの。こういう地域は人間でないってだけで犯人にされるし問答無用で捕まるわよ。口でどうこう言うより逃げたほうが確実よ」
「だからって。こんなのひどいだろ」
「しょうがないでしょ。イーザー、今なら他人のふりができるわよ。一緒に逃げるのやめたら?」
「馬鹿言え! 放っておけるか!」

大通りを外れて狭い小道を選ぶ。大きなごみ箱をすり抜けて、子どもが遊んでいるところへ通りぬけて邪魔する。俺たちを追いかけているおせっかいな人たちは土地勘があるのだろう、全力で走ってもちっとも引き離せない。「とっつかまえて叩きのめせ!」物騒極まりない発言が聞こえた。

「どうするんだ、おい!」

色とりどりの洗濯物が干してある紐を引っかけくぐり抜けながらさけんだ。

「さて、どうしようか。どこかつきあたりに誘いこんで叩きのめす?」
「それじゃ本当の犯罪者になるだろう!」
「あたしは気にしないわよ」
「気にしろ、たのむ」

泣くぞ。俺はどんな悪いことをした結果、見知らぬ土地で泥棒と勘違いされ罵られながら逃げないといけないんだろう。一番気の毒なのはキャロルだが、俺だって少しは不幸だ。

「お兄ちゃん、こっちこっち」

その時、十字路の右方向から女よりも細い手が俺たちを手まねいた。ものかげからおどけるようにおいでおいでとする。

「なに、今忙しいんだけど」
「助けてあげるよ、こっちきて」

キャロルは少しためらってから、手の誘いに応じた。

ついていくと行きとまりだった。今なら間に合うとほかの逃げ道を探しかけたが、山積みのごみと崩れかけた廃木材の中から手まねきは続いていた。キャロルはためらわずに走り、目の前で消えた。

「抜け道か」

近づかないと分からなかったが、油がたっぷりしみこんだぼろ布の下に引き戸があって、その下に道が続いていた。長いスタッフを廃木材の中へ隠し、地下道へ踏みこんで戸を閉める。真っ暗になった。

「お兄ちゃんたち、危なかったね」

命がけで逃げて、まだ危ない状況のはずなのに異様に明るい声がする。聞きおぼえがある声だった。

「コインをあげた人!」

うっかり立ち上がりかけて頭をぶつける。子どもは気楽そうにけらけら笑った。おっと、子どもじゃなかったっけ。

「ハーフリング、明かりはある? 人間は暗闇だと見えないのよ」
「あるよ」

急に獣脂の頼りない明かりが広がった。ハーフリングは扉付きの角灯を持っていて、それを開けたのだった。

「盗賊の角灯」イーザーがつぶやいた。
「まだだよ。まだ危ないのは終わってないよ。僕についてきて。安全なところに連れて行ってあげる」

しめってカビとこけだらけの地下道を軽やかに歩きだした。足元は暗いしそこら中で陥没があったり水たまりがあったりしてとても歩きやすくはないが、ハーフリングは足音ひとつ立てない。慣れているのかそれともキャロルの同類で暗くても目が見えるのだろうか。俺はおっかなびっくり歩きながら小さい後姿を見ていた。

「貴族の館に続いているよ。昔こっそり脱出できるように抜け道を作ったんだけど、今はだれも住んでいない。あ、だれもじゃないや、僕が住んでる。古いし汚いけど静かで快適だよ」

危険は去っていないと自分で言ったくせによくしゃべる。不安だからしゃべるという顔つきではないし、今どうしても話さないといけない必要な情報でもない。俺たちを安心させるためか? そういう思いやりがひそんでいるようでもないみたいだ。きっと話したいから話しているんだろう。追われて逃げている雰囲気が出ないが、外に声がもれるわけでもないし気にしないでおこう。

「災難だったね。お兄ちゃんフォローからきたんでしょ。あそこはいいね、住みやすいし人間じゃないの当たり前だし。古い遺跡も多くて楽しいし。レイドはあんまりいいところじゃないけどもっとひどいところもあるんだよ、知ってた? 聖レイファ国は人間しか入っちゃいけないんだって」

俺はどうしても聞きたかったことを、会話がとぎれるわずかな隙間を見つけて聞くことにした。

「あのさ」
「ん、なにお兄ちゃん」
「何歳だ?」
「32年生きてるよ」

倍の年齢じゃないか。親しくしてくれるのはいいけど、俺はおじさんにお兄ちゃん呼ばわりされたくないぞ。

「でもさそんなに気にすることかな? そもそもエルフとかドワーフとか、妖精は一般的に人間よりずっと長くいくるんだ。すごい人はほんとすごいよ。でも精神的に成長しにくいって言われるし、僕たちに年齢なんて重要なことじゃないんだよ。その人がどんな人かの方が大切だよ」
「うん、そうかもな」

俺も時にキャロルやイーザーが同じ年だというのを忘れそうになる。イーザーもそうだけどキャロルは特に大人びているよな。

「あ、そういや自己紹介してないや。僕はピッツ、ハーフリングだよ」

くるくる話題が変わる奴だな。俺たちも順に名前を告げていった。

「さ、ついた。ここが僕の家だよ」

長い悪路をでた先は野生化した庭園だった。元は美しかったであろうそこはバラは伸び放題で奇怪な形になっていて、生垣は雑草に負けておおいつくされ枯れかけている。白い大理石の彫刻はなくなっているかこけとひびでおおわれているかのどちらかだった。腰あたりまで草はおおいしげり、道は館へ続く獣道のみ。何年放っておいたらこうなるんだと聞きたいほどの荒れようだった。

もちろん館もすごかった。2階建ての洋館だったが、窓は当たり前のようにガラスも木戸もなく穴があるだけだった。壁は半分崩れていて、もう半分はつたで覆われている。ここから見た限りでは室内も泥だらけのとても人が住める環境ではなかった。

「いつから無人なんだ?」
「知らない、そんなの小さいことだよ、気にしない気にしない」

多少なら俺も気にしない。でもこれは多少じゃないだろ。下手をすれば十年単位で放置されているぞ。ピッツは角灯を消して館へ進んでいった。

「キャロル、どう思う?」
「おや」感心したように俺を見る。
「入っていきなり家が崩れそうじゃないか」

感心が顔から消えた。

「そっちね。なんだ、心配しすぎよ」
「こんなぼろ家、心配して当然だろ」
「隠れ家としては気に入ったわよ。静かだし人がきたらすぐに分かるわ。あたしたちにぴったりじゃない」

いかにもキャロルらしい感想だった。

「あたしはピッツが信用できるかの方が気になるけどね」
「ピッツ? あのハーフリンスの人が?」
「都合のいい助けは疑っておいて損はないわよ。でも今回は誘われてもよさそうね。いざとなったときの心構えだけはしておいてね」

平然と告げてキャロルは先に進む。それこそもう少し人を信じてもいいだろうと説教するよりも先に。言うべきことを言えずに釈然としないものを抱えて俺は首をかしげた。

館の中は俺が思った以上にひどかった。泥と蜘蛛の巣は当然だし、そこらじゅうにひび割れた食器、壊れた人形、なにに使うのか見当もつかないものなどガラクタがそこらじゅうにうずたかく積まれていた。昔は貴族の館だったのかもしれないが、今となってはただのごみ捨て場だった。栄枯盛衰のはかなさを感じる。

「これなんだ? 細々とした…… この道具は」

イーザーもよっぽどごみと言いたかったのだろう、つまった。

「僕の収集品。すごいでしょ」

するとこのごみの山はピッツが集めたというのか。だったらひどい。俺の姉貴も色々なものを集めるのが好きだったが、きちんと整理されていないとコレクションの価値は半減だと力説していた。そのわりにはきちんと整理されたことは一回もなかったしすぐ飽きてばっかりだったけど。この散らかりようは半減どころかだいなしだ。専門の人が見たら倒れるぞ。

「屋敷の寿命よりガラクタの重みで館がつぶれるわよ。人の家を壊す前に捨てたら?」

遠慮していたことをキャロルはずばり言った。「おいキャロル、俺たち助けられている立場」こっそり言うけど平然としている。

「あっはは、ひどいなぁ」

ピッツは気を悪くしなかった。よかった。

「奥へきてよ。お茶があるよ。すっごく珍しいものなんだ、すごいでしょ」
「悪いな、そこまでしてもらって。今日会ったばっかりなのに」
「いいよ。同じ人外、仲良くしないとね。お兄ちゃん硬貨くれたし。それに実は、それとは別にお兄ちゃんに用があったんだ」
「俺?」
「そう、探してたんだよ。さあこっち、きて」

キャロルの言う通り、無邪気そうにふるまっておきながら結構したたかな人だったのかもしれない。自分に比べて大きい俺の手を取り、きしむ扉を開けたときにはもう逃げられなかったからだ。

そこらじゅうにありとあらゆる通貨が積まれてあり、地震があったら下じきになって死にそうだった。申し訳なくすみっこに卓と椅子が2つ、卓の上には空の杯がおいてあった。

杯に腰かけて待っていた人がいた。今までさんざん人外を見てきた俺だが、それでもおかしさのあまり目を見張った。体長10センチの小人で、黒のトレンチコートと大きなつばの帽子をかぶっていた。顔は真っ黒ののっぺらぼうで、唇の薄い口は人間でいえばほおのあたりまで裂けていた。コートからのぞく手足は機械でできた精密な義手で、本物さながらになめらかに動いている。

キャロルが俺とピッツの間にすばやく割りこみひきはなす。イーザーが俺たちをかばうように小人の前まで進んだ。

ピッツは平気だった。小人もとっさに俺たちが警戒したのに動じない。

「椅子がたりないね。探せばあるかな、でも大事な収集品を崩しちゃいそうでいやだな。その辺に座っていて。今お茶入れるよ。それまで話していて。お兄ちゃんに用があるんだって」

お兄ちゃんは俺のことだよな。トレンチコートの小人も俺へと向いている。困ってキャロルを見たら、「今度は一体なにをしたの?」疑われていた。誤解だ。

(はじめまして、地元の人。私は96566です。以後よろしく)

脳裏にひらめくように意思が伝わってきて自分の耳を押さえた。

「うお!?」

今のは音ではなかった。空気のふるえとして耳で聞いていない。直接分かったんだ。そんなこと到底ありえないはずなのに、なぜだか小人の言いたいことが俺には理解できた。

(私は一般的な発音機能が備わっていないので意思疎通は心話でさせてもらいます)
「心話? テレパシーのことか?」
(そうです。そちらの発音は聞きとれますし翻訳機能はついています。会話に不自由はありませんよ)

いくら不自由はないといってもおかしな気分だった。ピッツは雲か霞のごとく姿を消した以上、俺たちはどうしても会話を続けないといけないのだろう。敵意はないみたいだけど落ちつかない。

「俺は大谷秋人、こっちはイーザー、女の子はキャロル」
(結構です。では大谷さん、さっそくですけど返してください)

声が俺をそう呼ぶように、小人は俺を正確な漢字の発音で呼んだ。

「なにを?」
(私の落し物です。大谷さんの周囲のゆがみに遭遇してうっかり落としてしまいました。ここではなんでもないものですが、市場であれがないとまわりに相手にしてもらえないのです。私の身を証明する道具を返してください)
「身? 証明?」

拾った覚えはない。人違いではないか。口にだす前に財布を取りだした。

「身分証明書じゃないけど、これなら今日拾ったよ」

空から落ちてきた硬貨を見せると96566は宙を浮いて俺の手まできた。

(それです。返してください)
「うん、別にいいよ」
「その前にもっと事情を話しなさいよ」

キャロルが横から硬貨をかっさらった。わりこんでくる。

「あたしはあなたみたいな種族は知らないし、こんな硬貨も見たことないわ。名前だって珍妙極まりない。あなたはどこのだれでこれは何なの。後でもめごとにまきこまれるのはごめんだわ。かえしてほしければもっと誠意を持って話しなさい」

言っていることは間違いではないし理屈はわかる。でも本人を前にして言うことではないよな。俺はうろたえて96566は困ったように空中をさまよった。

(私の事情はここの人には分かりにくいのです)
「それはこっちが判断することよ」

キャロルは硬貨を手でもてあそびながら冷たくいいはなった。96566はふらふらしたあげく卓へともどる。

(私はですね。方々を回っては珍しい商品を仕入れて売っている仕事をしていまして。要は商人です。私の故郷では宇宙商人と呼ばれていますが、この地では異界人と一般的に言われます)
「ふぅん」
(あまり驚きませんね)

96566は俺たちのしらけた反応に拍子抜けした。驚いてほしかったのだろうけどイーザーは肩をすくめる。

「アキトもそうだし変なことも変わったことも経験した。いまさらアキトの同類がいたところでなんとも思わないよ」
「ちょっと待てイーザー。俺の日本にこんな人はいないからな」

差別をする気はないが日本を誤解されないために注釈を入れる。

(そこの人もそうなのでしたか! 通りで珍しい名前だと思いました。こんなに現地人に似ているのなら商売するのにさぞ便利でしょうね)
「俺は商売するためにいるんじゃないけどな。96566はどこからきたんだ」
(私の世界はNo.5。科学技術と第五感外能力が発達した世界です。異界の存在も広く認知されていて交流も盛んです。私はその中でも特に珍しい世界や貿易ができない世界と通じています)
「密輸か!?」

俺は驚いた。キャロルが「密輸はもうかるのよね」と共感したようにうなずく。そういう問題じゃないだろ。

(私の世界の法にも市場の法にも触れていません)

いつかふれそうで怖いな。「第五感のなんとかってなんだ」

(一般的に超能力と呼ばれています。ここでは精霊術と呼ばれていますね)
「精霊術って超能力のことだったんだ!」

驚いた。「お茶だよ〜」ピッツが人数分のきたない杯を盆にのせて戻ってきた。器用なことに盆を頭の上にのせて手をひろげて均衡をたもっている。よくこぼさないな。

「96566、返してもらえた?」
(まだです。その前に身の上話をするはめになりました)

飲み物をもらって一口すすった。インスタントコーヒーだった。たしかにこれは珍しい、96566にわけてもらったのだろうか。残念なことに湯は沸騰直前のすさまじい熱さだったし粉の量が多すぎて苦いし下にたまっている。味にこだわらない俺にでも分かるまずさだ、せっかくの珍しいものもだいなしだった。

「で、密貿易商がカーリキリトでなんの用だ?」

急に愛国心がわきあがってきたのか、イーザーは険悪な表情で腕をくむ。

(こそこそやっています。大規模にやると専門の魔道士一族がでしゃばって粛清されてしまうのですよ。大がかりにはできません)

その魔法使い集団もよく知っていたが、今は関係がないので黙っていた。

(ここでは精霊石をピッツを通して買っています。超能力の媒介物を人工的に創造することができるのは全世界から見ても珍しいのですよ。くる価値があります)
「へぇ」キャロルは感心したようだった。無意識のうちに足爪で地面を引っかく。
「どこで知りあったのよ」
(偶然ですよ、偶然。だれもこないと思って店屋の屋根で休んでいたら人形と間違われて拾われました。さらに子どものように振りまわすのでつい正体をあらわしてしまって)
「あの時はびっくりしたなあ。おもちゃにしないでくださいって怒られて。でもその後友だちになったよ」

外見と同じように中身も結構子どもっぽいハーフリングだ。人形遊びなんて俺でもしない。それ以前に俺は人形を買いあたえられた覚えも自分の人形で遊んだこともないから、そういう習慣は子供の時からない。

(今日も買いつけをして次元を超えて帰ろうとしたら、そこの人の周りがゆがんでましてね。引きずられかけてなんとか振りきったら落としていたんです)
「ふむ。矛盾点はないわね」キャロルは足をもとにもどした。
(納得していただけたでしょうか。では返してください)

96566にとって風呂ほどもあるコーヒーに口をつけずに再び飛んだ。硬貨を持っているキャロルはさえぎる。

「まだよ」
(納得したのでしょう)
「したけどそれとは別よ。大切なものなのでしょう。今までアキトが保護していたのだからね、見返りとして情報をちょうだい」

キャロルはずうずうしかった。96566の顔を構成する部品は口だけだが、それでも引きつったのが分かる。

(落としたのはそこの人のせいです)
「アキトがなにかしたわけじゃないわ。むしろなにかしているのはそっちでしょう。ちょっとおしゃべりしましょうと言っているだけよ。不満だっていうなら口止め料のことも考えはじめようか? ちょっと知っていることを話すだけにとどめておいたほうがましだと思わない?」

黙って96566は机へ戻った。たしかにメルストアの民に告げ口をしたら96566の首は間違いなく物理的に飛ぶ。俺も体験したことだ。96566を気の毒に思うと同時に、似たような立場だというのに平然と自分たちを棚に上げて96566を脅しにかかるキャロルの大胆さに感心した。

(……なにが聞きたいのです)
「そこのアキトは日本っていう国出身なのだけど、元の世界に戻すことはできる?」
「おいキャロル、俺は戻れないし戻る気はないぞ」

帰らないことは伝えたはずなのにどうしてむしかえすんだろう。

「状況が変わるかもしれないし、知っておいて損はないでしょ」

堂々とした答えが返ってきた。「どうなの」つめよる。

(自分で帰れないんですか? いや、私が帰すのはむずかしいですよ。まず私はそこの人の出身世界を知りません。私は自分で行き来できる能力を持っていません。専門の道具を使っているのですが、別世界に行くためにはまずその世界について知っていないといけません。加えて世界を知るというのは大変なことですよ、ただ文化や風習を知るのとはちがうのです。世界そのものを身で理解しないといけないのです。すぐにできることではありません)
「96566の知り合いでアキトの出身地を知っている人間はいないの?」
(市場に行けばいるかもしれませんが、私の飛翔道具は一人用です)
「その道具を売ってくれない?」
(高いですよ。この世界の王侯貴族でも買えません)
「ちっ」

キャロルはあきらめた。

(もういいですか)
「まだ。魔法や道具によって他人を異世界へおくったり戻したりすることは簡単にできるの?」
(世界によってさまざまです。異界の存在が広く知られていて、宇宙船や召喚魔法が発達しているのなら楽でしょう。ここはむずかしいはずです。最高の魔法使いか超能力者でないとできませんね)

召喚魔法はキャロルたちにもなじみのあることだからともかく、宇宙船には2人は無反応だった。俺には理解できたけど、どっちみちどうしようもない。宇宙船なんてここにはもちろんないし、俺のところだって有人宇宙船は月より先にはいけない。それにしても、異世界って異星と表現してもいいものだったんだ。

「別の世界のだれかが、自分とは関係ない世界から世界へ、人を動かすことはできるの?」
(ええ、できます)

96566は俺に目を走らせた。目に見える目はないが。

(ははぁ、そこの大谷さんのことについて言っているのですね、だったら分かります、彼を動かしているのはこの次元のだれかですよ)

地元ってカーリキリトのことだよな。

(彼の周りに残っているひずみを見れば分かります。彼はつたない技術で力押しのように移動したのですよ。だから周囲に余波がのこっていて不都合がおこるのです。他の世界に関わることができる能力者ならもっと高い手法を持っているはずです)

つまり俺がここにいるのはカーリキリトのだれかの仕業ということか。もし声がやったのなら声はカーリキリト出身なのだろうか。それならばなんで日本にばかりいたのだろう。

(もういいですか)

キャロルは唇に指をあてて考える。俺とイーザーを見た。

「なにか聞きたいことある?」
「ない」
「もういい。ありがとう」
(そうですか。ではさようなら)

心底安心したように96566はキャロルまで飛び硬貨を受けとった。96566の大きさから硬貨は両手で抱えるほど大きい。硬貨を支えながらどこからか海中時計を出す。96566の身体の大きさにあった時計はそのわりによく響く音をたてて時をきざむ。一段と早くなったと思うと96566の姿が半透明へとなった。

(若いのに大変なようですが、この広い宇宙ではたまに聞きます。とりのこされた人が努力の末帰還した話も聞きますから、気を落とさずにがんばってください!)

はげまして消えようとし…… 急にはげしい振動とともに96566の姿がもどる。

揺れたと思ったのは96566だけだった。もし地震だったらガラクタがくずれおちるはずだ。96566は殺虫剤をかけられた虫みたいにふらふらしながら床に落ちた。

「どうした?」

イーザーが拾った。手の上でめまいを起こしているように動かない。ぼんやりした思念が伝わった。

(行けない)
「行けない?」
(先日までいききできたのに、急にできなくなりました。今までゆるやかな網だったのに突然超合金の板ができたようです。どうしてだ、これでは帰れない)
「な、なんで。どうして!?」

ピッツがあわてたようにイーザーから96566をうばう。96566は人形のようにされるがままだった。

(分かりません。さっぱり分からないのです)
「帰れなくなったら96566こまるでしょ」
(こまりますよ、こまるどころではありません! ここだって悪いところではありませんが、私はNo.5に財産も生活もあるのです!)
「どうして帰れないの?」
(私が知りたいっ)
「……俺のせいかもしれない」

のどに重いものがつかえたが、話さないわけにはいかなかった。全員の視線がそろって俺に向く。

「俺、日本を断ちきるとき声に言われた。俺がいること自体でその場所のほころびになって異世界からの出入り口になりやすいって。だから俺をここに送って、二度と戻れないようにほころびを閉じてくれって。ひょっとしたらそれかもしれない。ほころびをとじたから、カーリキリトにもともといる人も異世界の人もだれもでれなくなったんだ」
(馬鹿な)

96566は唖然とした。キャロルに硬貨を返してもらえなかったときよりもずっと。

(そんなことができるものがいるのですか? そんなこと、よほど異世界交流が発達しているところでもできない)
「よく分からないけど、むしろ発達していないからできるんじゃないかな。ひとつしかない港が閉鎖されたようなものでしょ。たくさんあるのを全部閉鎖するよりは大きいのひとつを閉じるほうが楽だよ」
(それにしても。大谷さん、あなた何者です。なんでそんなことができるのです。そんなの、到底普通じゃない)

答えられない。96566は色々教えてくれたのに、俺は96566の質問になにも返せない。ピッツが「なんだ、ならそのうち帰れるよ。96566も言ってたじゃない、努力の末帰ってこれた人もいるって」

(あれはひとごとだから言えたことです! 自分のことはまた別ですよ)
「そんな勝手なこと言って」

ピッツが96566をちゃかすのを尻目にそっとでて行く。「あの、大谷さん!? ちょっと待ってください」無視をした。汚い部屋に足音をのこし、門をくぐったところで「おいっ」イーザーに腕をつかまれた。

「行くなよアキト、なんて顔しているんだ」
「行くしかないだろ。俺これ以上のこと知らないんだ。なにも話せないしなにもできない。全部やったことだ。俺にできることは先に進むことだよ」
「……アキト」

あ。

しまった、傷つけた。

顔を見なくても分かる、八つ当たりをして傷つけた。イーザーには悪いがせずにはいられなかった。暗くて重い気分に支配されながら歩きだそうとすると、急に首になにかがまきついてつまる。

「ぐっ」
「アキト、96566ががっかりしたらピッツがちゃかしただろ」

イーザーが腕を回していたんだった。以前俺が同じことをやったからお返しなのかもしれないが、あいにく俺とイーザーでは鍛え方が違う。苦しい、早くほどいてくれ。

「同じだ。いじける気持ちは分かるけど、アキトには俺とキャロルがいるからな。深刻そうな顔をしたら笑いとばしてやる、覚えておけ」

言いたいことだけ言って乱暴に腕をほどいた。はずみで俺は思わず転んでしりもちをつくがイーザーは気にしない。ふんとキャロルのように鼻をならし、大またで先に行ってしまった。


その後あらためて戻り、動揺する96566と気楽なピッツに別れをつげて数日たった。

ミサスが出発してから9日後、アットからの送金が再開していた。今まで数日おきに確認していたが、やっと今までもらいそこねていた金銭が情報屋を通しててわたされる。かなり重かった。

「やれやれ、安心した。危なくはないけどそろそろ少なくなってきたからな」
「多少ならかせいでくるわよ。一晩で数日分の旅費を持ってこようか?」
「キャロルだと確実に犯罪がらみになるだろ。やっちゃ駄目だ」

巾着にしまいながら軽くうけながす。もっともすぎて返事ができない。

「で、一体なにがあったっていうの?」

キャロルの疑問はもっともだった。フォロゼスまで馬で3日かかったとすれば、ミサスは今日から数えて6日前についたということになる。6日間なにしていたんだろう。なにか困ったことがあって忙しかったのだろうか、ただの手違いで遅くなったのだろうか。

カーリキリトでは事件が伝わるのが遅い。新聞もテレビもないので遠い国の最新報道が3ヵ月後に届くこともある。遠いところでなにが起きているのか知りようがない。

「じゃ、それも聞こうか」

だから情報屋の存在は本当にありがたい。子どもの駄賃ていどの手間料で世界各地の最新情報を知ることができるし、たまに瓦版のように店内にできごと一覧表をはりつける。どんな魔法と技術で情報を扱っているのかは知らないが、全世界で繁栄している理由はよく分かった。便利すぎる。

「最近千年王国フォローでなにか変わったことないか?」店員に聞くイーザーの背中を見ながら俺はぼんやりした。
「だっ、なんだってぇ!?」

だれかが食べかけの皿を落とす。店内中の視線がイーザーに集まった。本人はまったく気にせずますます加熱していく。

「それでアットは。王家はどうなった、フォロゼスはどうなった!?」
「イーザー声が大きいわよ。見られているじゃない」

他人のふりをしたい要求をふりきりキャロルは黙らせようとする。「これが落ちついていられるか!」イーザーはその気持ちをまったく理解していないようだった。

「どうしたのよ、まったくもう」
「フォロゼスの王城が攻撃をうけて壊滅した!」

なるほど、それは冷静になれない。フォロー王家やアットと関係が深い俺たちなら、イーザーに追従して大騒ぎしてもしょうがないような大事件だった。