三つ首白鳥亭

−カーリキリト−

ディア・ウィロウ

キャロルを追っていた3人は1人すきを見てキャロルが首筋をかっきり、ウィロウが2人つたで宙づりにした。ミサスを狙っていた2人は文字通り瞬殺された。

生きのこりをキャロルがなだめすかして時には脅し話を聞きだした。たいしたことは分からなかった。響さんが俺たちが大金を持っているとそそのかし、襲うようけしかけたらしい。馬もまた響さんが商家から盗みだして彼らに与えたそうだ。男たちはその後ウィロウに頼んで宙づりのまま放っておいた。半日も浮いていれば少しは身にしみるだろうとキャロルは軽やかに笑った。

俺はイーザーに殴られた。ウィロウがとめなければもっと殴っただろう。激怒しているイーザーをなんとか落ちつかせ、ふぬけた俺をウィロウがかついで逃げるように森からでた。


宿のせまいベットでひとり俺は天井を見上げていた。なぐられたほおが熱を持っている。触らなくてもはれていることは分かった。口の中はまだ血の味がする。

「アキト」

ウィロウが遠慮しながら入ってきた。見なくても困った顔をしているのが想像できる。

「皆さんは1階で食事をとっています。部屋はここと隣の2人部屋を確保しました。ミサスさんは別に個室を取っていますけれども、今日は頼んで代わってもらいますか」
「うんってミサスが言うわけないよ」

ウィロウは黙った。

「みんななんて言っている」
「イーザーはまだ怒っています。元来感情が安定していない性質ですが、これほど長びくのは珍しいです。キャロルはイーザーにかかりきりで自分の意見をまだ述べていません。ミサスさんはいつもどおりです。ミサスさんはひょっとしたらエントより感情にとぼしいのではないでしょうか。興味深いです」
「ウィロウはどうなんだ」
「私ですか」
「怒っているだろ?」

俺は笑いたくなった。自分の馬鹿さ加減が面白くって仕方がない。

「当然だな、こんな大切なこと黙っていたんだもんな。俺が日本と行ききしていること知っていたら召喚術者探しもラスティア探しもずっと進んでいたのかもしれない、もう解決していたのかもしれない。それなのにずっと言わなかったんだ、裏切っていたんだよな」
「アキト、その考えかたは理不尽で後ろむきです。気を静めてください」
「俺は十分冷静だよ」

首をかしげたウィロウにやつ当たった。

「終わりだな。今までイーザーもキャロルも俺なんかとよく長くつきあってきた。もう見捨てるだろうな。ミサスもなにも言わなかったけど絶対にあきれはてているよ。今夜中にふらっとどっかいっちゃうんじゃないかな」
「アキト」

さしのべられた手を俺は見もしなかった。

「ウィロウだってそうだろ。俺のことどう考えている? なんて奴だと思っているだろ。これ以上一緒にいたくないとでも考えているんじゃないか? いいんだぜ隠さなくても。分かっているんだから」

無言でウィロウはこぶしを振りあげた。殴られるととっさに俺は身をすくめたが、木が折れて人がぶっ飛ぶ怪力は俺に当たらず壁に向けられた。俺の失礼極まりない態度に腹が立って壁に八つ当たりしたのかと思ったが、顔を見上げる限りそうでもなさそうだった。

どう見ても怒りとはほど遠い静かな表情で壁に手のひらを当てている。しばらくすると手の周りの木が黒く変色し何十年もたったかのように腐りはじめた。大して力を入れているようにも見えないウィロウの右手がゆっくり壁にめりこむ。

「ウィロウ、なにやっているんだ?」

俺はやけっぱちの気分を一時忘れた。

「腐食です。木の精霊術の一種で、樹木や食料などを腐らせぼろぼろにしてしまう術です。私の実力からすればまだ修行が足りず、そのため非常に集中力が必要ですし時間もかかります。それに自然の営みの一部とはいえ生あるものが滅び形を失っていくのは悲しいことです。私はこの能力を好みません」
「じゃあなんでやっているんだ?」
「はい。こうするのが一番よいと考えたからです。普通に殴って穴を開けるとうるさいですし目立ちます」

どういう風に考えたら宿の壁に穴を開けようと思うのだろうか。ウィロウの考えていることがぜんぜん分からなかった。

ウィロウの長い腕が肩まで壁にめりこんだ。手を動かしてから満足したように引っこめる。好奇心にかられておきあがりのぞいてみたら隣の部屋まで貫通していて、たぶん棚であろう家具の背中が見えた。

「それでは失礼しますね。宿の人に見つかったら怒られてしまいますので内緒にしてください」
「しきれるのか?」

ウィロウは答えずに部屋をでてしまった。内緒にしきれないだろう、どう考えても。

ウィロウはどうしてこんなことをしたのだろうか。俺をはげますために身体をはって冗談を言ったとか。まさか、だとしたら大失敗だしそもそもウィロウはそんなつまらないことをするような性格をしていない。

いくら考えても分からず、そのうち考えることさえ面倒になったのでまた寝転んだ。


イーザーはドアをけりとばさんばかりの勢いで部屋に入った。今日キャロルとウィロウが寝泊りする2人部屋は一時的に会議室になる。

「イーザー、静かに入ってよ」

いかにもうんざりしたようにおざなりに注意したキャロルによけいなお世話だと返す。

「ったく。全員いるね」

いつもなら一人部屋で寝ているミサスさえも今日はもの言わず女部屋のすみにいた。非常に珍しいことなのだが、それだけ話しあいが重要だということだろう。

「じゃ、腹にものも入れて気分も落ちついたし問題点を整理しようか」

キャロルはベッドにあさく腰かけた。

「今日の昼分かったのは、アキトは実は自分の世界へちょくちょく戻って生活していたこと、向こうのアキトの友達がこっちきて敵対したことだ。

行き帰りしていたことについて、アキトは自分の意思ではなく声と呼ばれるものによって往復させられていた。もちろんこれは異界人としては前代未聞だと思う。声とやらがなぜそんなことをするのかは分からないけど、声は召喚術についてすさまじい力を持っているであろうことは推測できる」

「知的生物を呼ぶことは大変な労力をともないます。魔法や精霊術、それ以外の手段を持って世界を渡ることは現在では不可能です。もちろん異界人には可能なのかもしれませんが話を聞く限りアキトの世界でもできないようですので、お互いの世界においてはるか高位の存在か別世界の存在が関係していると思われます」
「そうだね。そんな声と対立しているラスティアも人を呼んだり街を呪いで沈めたりと大規模なことばかりしてきたのだし。それこそ世界最高かそれ以上の魔道士を追っているようなものなのよね」

キャロルはうんざりしてようにのけぞって天井をあおいだ。意図的に気楽にふるまっている。

「アキトのほうは声について推理するのに役に立つけど、それよりもヒビキという剣士のことだ」
「重要ですか?」ウィロウは首をかしげた。「たしかにアキトのお友だちとこのように会うのは驚きましたが」

ウィロウはその辺で古い友人と会った程度の驚きしか抱いていなさそうだった。これでもウィロウなりにかなり驚いたほうなのだが、元来感情の起伏がすくない種族の上時間がたったので落ちついてしまっただけだ。

「そうよ。わざわざアキトの友人の、そこそこ腕のたつ人がきたということは、ラスティアはだれでも向こうの世界のものを好き勝手にこっちへ呼んで自分の味方にできるということになるわ。残念だけど向こうの住民全てがアキトのようなへなちょこじゃあないようだからね。現にヒビキはイーザーとためを張れる。向こうの強い戦士をたくさん呼びだされてみなさいよ。対応できないわ」
「たしかに大変です」

日本にはここよりずっと物騒な武器もあれば大量殺戮兵器だってある。そう簡単にどこにでもあるものではないしだれにでも使えるわけではないが、そういう人をつれてこられたらどうなるか。想像したくもない。

「まだある。今回はただの友だちだったのだけど、それだけでもアキトはあのざまだ。まったくの役立たずになった」
「大変親しい友だちだったのですね」

ウィロウはうなだれた。どうだかとキャロルは足爪で床を引っかいた。

「親しくなかったって、遠くで平穏に暮らしていたはずの人間が目の前に現れてこっちを殺そうとしたら落胆するでしょう。なじられてみなさい、自分を殺したくなるほど落ちこんで自暴自棄になるわよ。もしアティリス殿下がいきなり現れてお前たちの援助をしたからひどいことになったと言ったら、例えば国を追われたとかになったらどう思う?」

ウィロウはきづかわしそうにイーザーを見る。アットと旧友なのはウィロウではない、イーザーだ。険悪に口をむすんだままなにも言わないイーザーをそばに静かに答えた。

「悲しく思います。まず驚いて、自分が関わったことで不利益をかけたことを謝罪しようと思います。しかしそれはアティリス殿下の判断で不利益が発生したのであって、厳密には私には責任はないように思われますが」
「そうよ」

キャロルはわが意を得たりときっぱりうなずいた。

「そんなのこっちの知ったことではないって奴よ。ウィロウのせいではない、アティリス殿下とその敵との問題でウィロウがどんなに幸福そうだとか安穏としているかは問題ではない」
「でも思いきれない」

若緑の長髪が頭にあわせてゆれうごいた。

「事実責任がだれにあるのかは意味がありません。その結果どう思うか。キャロルは知らないとわりきれますが、アキトはそうではないようです。罵倒にとらわれるのを意志が弱いと責めることはできません。人間として当然の心理なのでしょう」
「まぁね。あたしは訓練をつんでいる。人を平気でたたっきれる戦士でもある。アキトはそうじゃない、心構えがない。腰抜けといいたいところだけどそればかりはしょうがない。教育や文化の差よ。ただの友だちがでてきただけでああだったんだ。これで親兄弟でも呼ばれてみなよ。アキトは再起不能になるね」
「そうですね。とても悪いことに私たちには防ぐ手段がありません。ラスティアの行動を制止することはできないです。大変困ります。私には人間の言うような肉親は存在していないので大丈夫なのですが」
「あたしもいない」

キャロルは首を振って立ち上がり、ベッドわきにそえつけてあった陶器の水差しをつかんでイーザーへ力の限り投げつけた。水差しは派手な音とともにぶつかり、床に落ちてくだけて中の水が床一杯に広がる。イーザーの額から血が流れあごからしたたる。

「いつまで黙っているのよ。このへぼ剣士」

イーザーは驚かなかった。血を気にもせずキャロルへ険悪な視線を向ける。

「うるさい」
「うるさいじゃないわよ、うすら馬鹿。黙ってにらんでいるだけだったらすぐあたしの前から消えて、役立たず」
「うるさいって言っているだろ。自信過剰」
「じゃあ言うがな、一番大切なことからずっと話をそらしているだろ。たらたらした序文につきあってられるか」
「へぇえ? なによそれ」
「アキトが裏切っていたことだよ!」

街中でだす大きさではなかった。ウィロウが自分が怒られたかのように身をすくめる。キャロルは動じなかった。

「なんでキャロルは平然としているんだ、こんな隠しごとされて! はじめっからアキトが自分の世界に帰っているって言っていたら、召喚術士探しも手がかり集めもずっと違っていたんだ。だまされていたんだぞ! 落ちついてられるか!」
「わめかないでよ、うるさいわね」

キャロルは冷たく対応した。ウィロウがおそるおそる口を開く。

「イーザーは人間なんですね」

キャロルも当のイーザーもウィロウの発言に耳をとめた。口論を一時中断する。

「なに言っているんだ」

イーザーが人間かどうかなんて見れば分かる。いくら異種族が多い世の中でもわざわざ確認することではないほどイーザーは人間だ。どうしていまさらそんなことを。

「だからイーザーはとても怒っているのだなと思いました」
「ウィロウ、まったく意味がわからないぞそれ」

イーザーが怒っているのは人間だからではない。イーザーはこの中では怒りっぽいほうだけど、それは種族に問題があるのではなくて個人の性質だ。

「つまりですね。私はエントです、キャロルは地下道の一族でミサスは黒翼族です。私たちはそれぞれ異なる文化や風習を持っていて、さまざまな理由からそれらを話さないことがあるのです。例えば黒翼族はその際たるもので、ミサスは自分のことについてまったくといっていいほど話しません。また私もイーザーに話していないことがたくさんあります。大半は話す必要がないから話さないのですが、中には多種族に漏洩してはならないから話さないこともあります。きっとキャロルもそのような事項があるでしょう」
「黙して語らず」

キャロルはそっぽを向いた。イーザーは気抜けした表情で、それでもいらだちおさまらないようにウィロウをうながす。

「なにが言いたい」
「つまり私たちは隠しごとを持っているので、他者が重要なことを黙っていることについて気にならないのです。この感覚は人間で風習をごまかす必要のないイーザーには縁遠いと思います」

やっと謎の発言の答えがでてきた。

「私たちは、少なくとも私はアキトの隠しごとは気にはなりません。裏切り扱いするつもりもありません。秘密なら私のほうがはるかにたくさん持っているからです」
「それにイーザーはアキトを怒れないはずよ」

キャロルの軽いつっこみにイーザーは不機嫌をぶりかえしてかみついた。

「どういう意味だ」
「イーザーだって自分が魔道士だってこと秘密にしていたじゃない。それがわかったのはイーザーが自主的に告白したからじゃないわよ」

思いがけない一撃にイーザーは息を飲んだ。そのまま呼吸を忘れたように赤くなる。

「人のこと言っていられないわね」
「だって、おい、しょうがないだろ」

イーザーはミサスを指さした。ミサスは平気で聞くだけ聞いている。話そうという気はまったくなさそうだった。

「俺が錠門魔法のことを言わなかったのは、ミサスと同じ理由だ。錠門魔法は生と死を扱う魔法だ。上位には禁呪中の禁呪、蘇生の魔法まである。部族の中核をになう秘密をそう簡単にしゃべるわけないだろ。俺に比べてアキトはどうなんだよ。今までずっと隠していてもしょうがない、ちゃんとした理由があるのか?」
「言ったじゃない、本人が。ばれたら見捨てられるかもしれない、怒られるだろうからって」
「それが一番腹がたつ!」

建物中に聞こえかねない声だった。それなのに反省してひかえるどころかますます大きくなる。

「なんだよ、そんなに俺たちが、俺が信用できないのかよ。その程度で見捨てると思っているのかよ。ふざけるな!」
「信用できないでしょうよ」

キャロルはいとも簡単に切りすてた。イーザーが射殺さんばかりににらむ。

「いくら今が仲良しさんだからってはじめは赤の他人よ。どうやったら初対面の人間を信じられるの。いくらぬけているアキトだってそれは無理な相談よ」
「アキトはいつまでたっても言わなかったぞ」
「親しくなったらかえって言えないわよ。かくしているのが申し訳なく思えて絶対に言えないわね。逆に聞くわ、イーザーだったらいつあたしたちを信用して自分の魔法を話すつもりだったの?」

イーザーは黙りこんだ。

「人のこと言えないわよ。そうでしょう?」

ウィロウ。イーザーを沈黙におとしいれて多少は満足したのか、ウィロウを見ずに呼びかけた。

「ウィロウの意見はあたしに関しては間違っているわ。あたしがアキトに怒りを感じていないのは相手がアキトだからよ」
「仲間だからですか?」

ウィロウがすこし似合わないなと考えながら言ったのは顔を見ればわかった。キャロルは苦く笑う。

「違う。もしウィロウが似たようなことしていたら足爪で引っかいているね」
「では、実は気づいていたのですか?」
「それも違う。気づいていなかったというのでもないけれどもね。時々やけにきれいになる服、早く治る傷。アキトの国のすごい技術だと思っていた。まさか行き来しているとは思わなかったわね」
「ではなぜ許しているのでしょうか。キャロルは寛大な性格でしたか?」
「まさか」キャロルは鼻で笑った。
「気にしていないのは、アキトがあたしにとって仲間なんてものをはるかにこえる存在だからよ」

ご飯を食べようとか小刀をとぐとか、日常的なことのようにキャロルはあっさりしていた。イーザーが受け入れがたいように「なんだ、それ」と切れ切れにつぶやく。

「言葉の通りよ。あたしはアキトを仲間だと思っていない。仕えるべき主だと思っている。だから怒らない、気にしない。だまされたと思わない」
「主君? 騎士みたいに?」
「人間の騎士? そんな薄っぺらいものじゃないわ」

ずいぶんないいようだ。ウィロウはそっとささやいた。

「イーザー。地下道の一族は群れます。人で言う部族単位で行動します。人間のような親子関係が存在しないかわりに部族のきずなは強く、全身全霊を持って部族の長に仕えると聞きます」
「大体あっているわよ」

キャロルは満足そうだった。

「え、でもアキトを? なんでアキトなんだ? アキトは見ての通り地下道の一族じゃない、人間だぞ。天下に名高い武人だとか膨大な知識をほこる賢者とかでもない、ごく普通の人だ。なんで仕えるとか主君とかの話になるんだ?」

イーザーの困惑はもっともだった。

「普通? イーザーは見る目がないのね。異世界で生まれ育った人間が普通なんて到底言えないわよ。すごいことじゃない」
「能力としては十分一般人だぞ。客観的に見てどれを取ってもキャロル以下のことしかできない。全然納得できないぞ」

正直すぎませんかとウィロウが注意したが、だれも聞いてはいなかった。

「そう? ま、実際そうだと思うけど、アキトはあたしの町での地下道の一族と人間とのいさかいをとめたわよ。なかなか評価できることだと思うけど」
「いさかいって、キャロルが部族を離れたあれだよな」

深く考えずイーザーは続けた。

「キャロルは一族で、長に仕え守る影の長候補だったよな。ひょっとして、裏切った一族の代わりにアキトに仕えているつもりになっているのか?」

とっさに身体を後ろにかたむけなかったらイーザーのほおに立派な足爪の傷が深々と走っただろう。完全によけきれなかったらしく皮膚がさけ赤い線が顔からしたたった。

「皮をはがされかけた」

イーザーはあごをぬぐった。いまさらのようにウィロウが「イーザー、血が」と動揺する。

「図星か」
「イーザー。あたし、普段はアキトと同じくらいぼけているのに時々変に勘のいいところが大嫌いよ」
「自分が一族をしょうがないとはいえ裏切って、今まで人生の大半を占めていた理由が失われてどうしようもなかったから同族でもないアキトを一族代わりに仕えてよりすがっているのか。本当はだれでもよくて」
「そうよ」

うめいた。

「それがどうしたの。その通りよそれでなにが分かるの!」

いつか長い地下からぬけだしたときに聞いたのと同じ悲鳴だった。

「地下道の一族でもないイーザーにあたしの気持ちがわかるの? あたしは裏切られて裏切った。価値観とかなにが大切だとかどう生きるとか、今まで生きてきた全部を裏切られて、それでどうしろって言うの、どうしようというのよ!」

心配するウィロウの手を押しどめてもう一度血をぬぐう。浅い傷はとまりかけていた。

「きっと、アキトは喜ばないぞ」
「あたしがあたしのために仕えているのよ。アキトの気持ちなんて知らない」
「そっか」

きっといいたいことがたっぷりあったのだろうがイーザーは大半を飲みこんだ。怒ったようにうつむき「悪い」と口の中でころがす。キャロルも答えない。答えられなかった。

部屋が停滞する。黒い羽がないも同然の空気巡回に合わせかすかに上下する。ミサスは内面が読みとれない虚空のような瞳を彼らに向ける。退屈しているようでもあきれているようにも見えたが、なにぶんミサスのことなのでどう考えているのか分からない。

「ミサス。どうしてミサスはそのように落ちついていられるのですか」

けして責めるでもなく言えたのはウィロウの人徳だろう。

「アキトについてなにも思っていないのですか」
「ラスティアを探す依頼とは関係がない」

単純明快だけど、それゆえにいいたいことがよくわからない。驚いたように目を丸くして、それからキャロルはゆっくり苦笑いを浮かべた。

「ああ、そうね。そういやそうだった。

ウィロウとミサスはラスティアを探すために依頼を受けて同行している。だからアキトの秘密はそんなに重要ではない。あたしは自分のために同行している。だから許せる。

でもイーザーは別格だ。最初の最初からいた。アキトに恩や義理があるわけじゃないのに、知り合ったから困っていそうだからと世話にいて友人になった。

イーザーはアキトの秘密を裏切りと考え怒ってもいい。イーザーには権利がある。思いっきり怒ってののしってふてくされて、もうそっぽを向いて投げだしてもいい。イーザーはアキトの友だちだから。あたしとかウィロウはアキトを純粋に友だちとしていないしアキトの事情も理解できるから怒らないけど、イーザーはあてはまらないわね。うっかり忘れていた、不公平だったわね。

イーザーはアキトの友だちだから黙っていたのに怒る。怒って投げだしてもいいのよ、この旅」

「……馬鹿言うな」

静かな声だった。

「投げだすか。アットの頼みだ、途中で放りださないよ。キャロルたちだけで行かせるか。想像するだけで危なっかしい」
「イーザー。アキトは」

ウィロウはすべりこむように、怖くさえあるほど真剣に問いかけた。

「正直に答えてください。アキトのことはどう思っているのですか」

イーザーがしかめ面になる。ウィロウは退かなかった。

「私たちのためにつきあってくれるのですか。ではアキトについては。許せませんか」
「……一回二回、つきあうだけじゃだめなんだよな」

重いなにかを吐きだすようだった。

「たとえもう大丈夫だと思っても、最初支えたんだったら最後まで支えないといけない。途中で投げだすのは無責任すぎる」

イーザーが床にあぐらをかいた。服のはしが床に落ちた自分の血で汚れる。

「アキトにされたことは腹がたつが、気持ちは理解できなくもないから許しておく」
「そうですか、よかった」

ところで。ウィロウは表情一つ変えずに続けた。

「イーザー、キャロル、ミサスさん。私はそこの、アキトがいる部屋との壁に穴をあけました。同時に見つかりにくいようにたなを動かして隠しました」

2人の表情が凍りついた。飛びつくように棚へ走って床に傷をつけて動かす。ウィロウの腕の太さとおなじ穴をのぞきこむと俺と目があった。ずっとのぞいていたから当然だよな。のけぞって壁にはりつくのをやめるけどもうおそい。

「アキト!」
「ご、ごめん! 話し声が気になってつい」
「どうして。あたしは部屋を確認したわよ」

キャロルが脱力する。丁寧にウィロウが説明した。

「その後皆さんが夕食を食べている間にアキトの部屋からあけました」
「弁償はどうするのよ。これ高くつくわよ。それになんて説明すればいいの、思いっきり犯罪だ」
「すみません」

ウィロウはあやまった。「こうした方がいいと考えたのです」

「なんでだよっ」

つめよられるのもあらかじめ予測していたのだろう。静かに語った。

「なぜならこの話しあいはアキトも見知っておいたほうがいいと思ったからです。しかし実際にアキトがいたらとても話しあいになりそうにありません。こっそり話を聞かせて皆さんの正直な胸のうちを話してもらうのがもっともよいと考えました」
「後で聞かせればいいだろう!」
「いいえ、全てを聞いてほしかったのです。後で人づてに聞くのでは本人も意識していない省略が発生します。いざこざもけんかも、普通の状態だったらとても聞かせられないようなことも必要だと考えました。流血ざたになるとは思いませんでしたが、それもふくめて私たちの考えていることを伝えたかったのです。

私たちはばらばらです。種族も考え方も目的も不一致です。共通する箇所を見つけるほうが困難なほどです。非難しようとは思いません、やむをえないことなのでしょう。けして非難しようとしているのではありません。しかし私たちに異差があることを認識したほうがよいと思いました。同じ考えを持ちませんし見ている方向はまちまちであることを実感してほしかったのです。

そしてその上で。違うことを認めて、許しあい理解して、それでも同一の目標を目指していることを伝えたかったのです。

同行して時間がたちました。明言すべき時機です」

イーザーもキャロルも俺も、だれもなにも言えなかった。堂々とした態度を引っこめて身をかがめ、恐る恐るイーザーをのぞきこむ。

「勝手なふるまいに怒りましたか?」
「馬鹿言え」

イーザーは顔を思いっきりこすった。キャロルが顔を上げ、含みのある笑いを浮かべる。

「ねぇ。おさまったことだしアキトの面を見物しに行こう」

俺はうめいてベッドの中にもぐりこんだ。こんな涙と鼻水で汚い顔をみせられるか。


翌朝食堂で意外な友人にあった。

「フォールスト!」
「あ、お久しぶり」

以前数回であった楽師はうれしそうに寄ってきた。青い髪に黒い瞳、さまざまな青色の組み合わせて着ているようなおかしな服装。ちっとも変わらない。

「ミサスもまだいたんだ、よかった。エントの方ははじめまして。リュート楽師のフォールストです」
「はじめまして。エントのウィロウと申します」

ミサスの性格からすれば無理もない発言だけど、ひどいこと言うなフォールスト。そんな俺を見て「どうしたの?」とたずねた。

「元気がないよ」
「色々あってな」

今までかかえていた秘密は解決した。身内間でのいさかいもウィロウのおかげでなくなった。でも問題は解決していない。今までどおり日本と行き来するだろうし、響さんについても手つかずだ。いくらウィロウががんばっても仲間同士の理解が深まっても、辛さや苦しさがなくなるというわけにはならない。これで元気はつらつな方がどうかしている。

「昨日いやなことがアキトにあってね。これでもましになったのよ、昨夜は沈没していたのだから」
「そうか。よくわからないけど大変だね」

遅れたけどフォールストは1人ではなかった。座っていた卓の向かいに知らない人を座らせている。丸い顔で俺たちを笑って見ている。浮かんでいる表情から善良素朴の香りがした。地味で粗末、頑丈で実用的そうな服を着ているところからも俺の推理が当たっていると思う。

獣人だった。小柄で人間ではない耳やしっぽがある。毛並みが灰色ではなくて茶色というところをのぞけば、キャロルのとまったく同じだった。

「あ、こちらグーさん。今一緒にグーさんの丘まで行くところ」
「そうなんだ。地下道の一族ですか」

俺もやっと相手の種族名が分かるようになったと自分で自分に感心していたら「言うと思った」すごく冷たく馬鹿にされた。

「いいえ、ぼくは根かじりの一族です。地下道とは兄弟ですね」
「根かじり?」

キャロルがこっそりささやいた。

「ねずみの獣人。地下道の一族と違って街中ではなく野や丘に住む。同じ種族だけど文化が違うから別名を持っている」
「文化? 違うのはそれだけ?」
「そうだけど、だいぶ違うわよ。根かじりの一族は地下道の一族と違って個々の家族を持つ。その代わり群れの結束はそう強くない。性格はいなか者で泥くさい」

キャロルは微妙に馬鹿にしているようだったが、俺には根かじりの一族の方が人間ぽくって好感を持った。第一キャロルが都会的で洗礼されているかというと違う気がするし。

「じゃあフォールストはグーさんの護衛の仕事中なのか」

意外だった。フォールストは俺より弱いはずだったぞ。以前一緒に戦ったときも逃げてばっかりだった。そんなフォールストでも守ってほしい人がいるのか。

「まさか。わたしにはできないよ」

自慢できることじゃないのにフォールストは朗らかに言った。キャロルが補足する。「根かじりは戦いを好まないけど、やる気になれば強いわよ。すばしっこくって案外力も強いはず」

「グーさんの住んでいる丘で根かじりのお祭りがあるんだって。夏至を祝う盛大なのが。そこにわたしが招かれたんだ、一曲爪弾いてくれって」
「なんだ、そうだったんだ」

フォールストの本業は楽器を弾いて歌うことだったな。納得した俺を見てフォールストは首をかしげた。急に思いついたように口を開く。

「一緒にくる?」
「うえ?」

俺がなにか言うより先に「友だちも連れて行っていいですか?」と話を進める。

「ちょっと待て、なに言うんだ」

いきなり変なことを言いだしたなおい。フォールストの肩をつかむと逆に面食らわれてしまった。「元気がないみたいだから、お祭りで気が晴れると思って」と弁解する。

「気持ちはありがたいけどさ。でも根かじりの人の都合もあるだろう」
「いいよ。大勢だとにぎやかで楽しそうだな」

ずいぶん簡単に許可がでた。

「あの、俺たち見ての通り人間ですけど、根かじりの丘って根かじりの一族ばっかり住んでいるところでしょう。そんな中俺たちが参加していいんですか?」

イーザーが遠慮する。

「種族なんてたいした問題じゃないよ。お客さまなら大歓迎だ。丘にはよその人があんまりこないんだ。きてくれたらうれしいな」

そんなに大雑把な考えでいいんだろうか。かなり歓迎されているみたいだけど、俺は誘いを受けてもいいのかどうか迷った。

「なら、ありがたくお邪魔します」
「イーザー」
「じゃあ一緒だ。楽しみだね、今からたって夕方にはつくよ」

やることも考えることも悩みも一杯あるのに楽しんでいいのだろうか。罪悪感がのしかかってくるが、でもここでごねるのもフォールストとイーザーの面子をつぶすことになりそうだ。一日で行ける距離ならそう大したことじゃないだろう。だったらおとなしく行こうか。

「そうだね、楽しみだ」

俺はあいまいに笑ってうなずいた。