三つ首白鳥亭

−カーリキリト−

海を背景にして

「いっつ」

針で指をさしても血はでないことを今知った。

「針さしちゃったの?」

俺と同じく文化祭の衣装をぬっていた桜木さんが心配そうに手をとめた。

「さしたけど大丈夫」

俺は人指し指をしゃぶってすった。血はでないのに拍子抜けしながら再び作業にとりかかる。

なんだかんだで夏休みも後半戦の8月の末だった。高校生ともなれば宿題なんてでないけど、10月のはじめに文化祭が待っている。中庭のすみっこで衣装をつくろう俺たちをはじめとして、ブラバン部や各種運動部に文化部、ほとんどのクラスが文化祭か試合のために登校していて夏休みとは思えないほど学校はにぎやかだった。あちこちでむだに元気な声がして遠くでブラバンの低く長い楽器の音が聞こえる。

小道具をちまちまつくっている俺たちの前では切り合いと銃撃戦がくりひろげられていた。もちろん文化祭実行委員の演劇練習だった。現実にそんな物騒なことが起きていたら俺は衣装をすてて逃げだしている。委員会の人たちは荷沢さんが考えた大人数が派手にちゃんばらをくりひろげる複雑な動きを繰りかえしている。悪の帝国軍と主人公側のレジスタンス軍がぶつかり合い乱戦になる場面で、劇中最大一番の見せ場だった。

荷沢さんの頭の中では整理できているかもしれないが、いざ実行しているのを横で見ている限り混沌の一言につきた。あっちで遅れてこっちが早くて、それだけでもう全体がめちゃくちゃになる。全員が息を合わせて動けるようになるのはいつのことか。永遠にこないかもしれない。

その中で響さんだけはきれいに動いていた。指示通りに動くし電子ブレードの代理として木刀をかまえふるう姿は一本芯が通っている。どちらかといえば力任せにたたきわるイーザーと比べると柳のようにしなやかで、いかにも武道の達人っぽい。演劇にはもったいないくらいだった。

「やっぱり剣道やっている人はちがうな」
「大谷くん、響先輩は剣道じゃなくて剣術だよ」
「あれ、そうだっけ」でもどうちがうんだ?

そんな響さんが主役の文化祭実行委員会演劇は、宇宙に君臨する邪悪な帝国に主人公が立ちむかう話だった。主人公はレジスタンスの青年と知りあい協力するが、レジスタンスは帝国の卑劣な罠によって壊滅する。最後に生きのこったレジスタンス数人を主人公がひきいて帝国へ侵入し、激戦のすえ皇帝との戦いに勝利する。

「演劇とはいえ無茶だよな」

どうがんばっても高校生の脚本、感動あふれたものでないことは分かっているけどそれでもつっこんでしまうのは性格か、それともキャロルの現実主義がうつったのだろうか。でも剣1本で帝国には向かうのは自殺行為だけど、人外ぞろぞろ一緒に歩くよりはまだ現実味があるのかもしれない。

演劇の練習が終わっても仕事は続く。文化祭実行委員の事務仕事やいろいろな手続きと書類作りが残っている。終わるころにはもう夕日がかたむいている時間だった。紅色にそまった海は美しかったが、俺としてはもっと早く帰りたい。

「じゃあ大谷くんさようなら」
「明日もがんばろうね」

学校前の駅で桜木さんたちとわかれ俺は自転車にまたがった。どこからかもの悲しい蝉時雨が聞こえる。夏休みも終わりかと思うとなんだか泣けてきた。さりゆく夏を愛しんだわけではない。

「ろくに休んでいないのに夏休みが終わる……」
(あいていてもろくなことをしなかったのだろう)
「いきなりくるなよ、声」俺は周囲に人がいないことを確認した。「事故ったらどうする」
(このていどで自転車の操縦をあやまるのなら、どのみち近いうちにことを起こす。徒歩の通学に変えたほうがいいな)
「あのメルストアの人たちはなんだったんだ?あの後すごく大変だったんだぞ」
(お前もしつこいな。あの場で伝えた理由の通りだ。メルストアの民にこれ以上邪魔をしてほしくなかった、それだけだ。切りはなされた結界の中ででたのは気配を外にもらしたくなかったからだ)
「どうして声がいることを知られたくないんだ?」
(それくらい自分で考えろ)
「ラスティアだな、ラスティアだよな。そいつにばれたくないから内緒にしているんだな」
(さてな)
「ごまかすなよ。ラスティアって何者なんだ? 声とどういう関係なんだ?」
(ついたぞ、秋人)

どんなに問いつめても答えようとしない態度に俺は少なからず不機嫌になった。腹を立てながら駐輪場に自転車をおいて、あしどり軽く階段を登る。

「しらを切る気か? 声がどんなつもりかは知らないけどさ」

約8時間ぶりの自宅の鍵を開けて、俺はノブを引いた。マンションの規模のわりに重い扉が開く。

「ただいま。でも俺たちはすごく困っているんだ、もうそろそろ」
「おかえり、秋」
「えっ?」

返事がきて俺は心底驚いた。身にしみついた習慣だから帰ったらただいまとは言うけど、両親が共働きでめったに家にいない俺の家でおかえりが聞こえるなんてありえない。そしてこの声は。

「姉さん!? いたのか?」

俺より少し背が高く髪をワニバサミで後ろでとめている、俺とよく似た顔の女が居間で夕刊を読んでいた。

「いちゃ悪かったか」

間違いなく俺の姉、大谷夏輝だった。

(外見が似ているが性格はそうでもなさそうだな)

声の冷静な観察にも返事をすることができない。

「なんで姉さんがいるんだよ。東京で大学生やっているんじゃなかったのか」
「夏休みだから帰ってきたのよ」
「もう休みも終わりだろ?」
「大学の休みはこれからだよ。うちの大学は8月半ばから10月半ばまで」
「帰るんだったら電話くらいしろよ」
「悪い悪い」

明らかに適当に答えて、姉さんは夕刊をたたんで俺を見上げた。

「秋こそ帰りが遅かったね。なにやってたの」
「文化祭実行委員でさ、遅くまで残されたんだよ」
「じゃあ秋も劇やるんだ。役はなに?」

姉さんと俺は同じ高校出身なので内実に詳しい。

「なにもしない」
「もったいない、なにかやればいいのに。思い出になるよ、いいか悪いかはおいておいて」

だれが悪い思い出をほしがるというんだ。「別にいいだろ」

「秋、ひょっとして背がのびた?」

またすぐ話題が変わる。

「さあ。春にはかった時はのびていなかったけど」
「高校入ってから絶対背がのびたよ。目の高さが違う」
「そうか? 実感がないな」

なぜだか次に朝刊を開く姉さんを放っておいて、俺は自分の部屋へ戻った。あせばむYシャツをぬいで部屋着にきがえる。

「びっくりしたな、まったく」
(毎日会っているものには分からなくても、久々に会うものには分かるか)
(なんのことだよ)
(身長のことだ)
(俺背がのびていたのか?)
(成長期だし、十分な運動をしている。その上人より長い日数を過ごしているからな)

複雑な気分になった。背がのびたのは素直にうれしい。このまま姉さんをこせばどんなにいいだろう。でもカーリキリトへの強制旅行のせいだと思うと喜びは半減だしある意味人より年をとっていると思うとがっくりする。

「そうだ秋、私の本どこにかたづけたの? 見あたらないんだけど」
「人がきがえているのにドア開けるなよ」

上半身はだかのまま俺は怒った。立場が逆なら犯罪だぞ。姉さんは自分を恥じいってすぐさまドアを閉めるかと思いきや、いぶかしげな顔つきで俺を見る。

「姉さん、閉めろって」
「秋、腕どうしたの?」
「えっ?」

俺は灰色のシャツを持ったまま自分の両腕を見た。

忘れていたけど俺の腕はかすかに赤く変色している。それもこれも影の化け物におそわれたり死霊に襲われたり火事の中歩いたりでやけどやらのろいやらと散々な目にあっているからだった。あちこち生々しい傷跡やあざがあってとても普通の高校生とは思えない。日坂高校は1年生には水泳がない。入学当初は嫌だったけど今となってはカリキュラムに感謝していた。

「秋、これって」

これはまずい。不良でけんか三昧かと思われたか? 今どきふるいが。

「学校でいじめられてない?」

そうきたか。

「違うよ、高校生にもなってそんなのあるか」
「それは秋が世間知らずなのよ。いじめなんて社会人になってもあるのよ。日坂高校でそんなことがあるなんて信じられないけど今日び中学生が人殺しても珍しくないんだから。だれにやられたの」
「うっ」

姉さんの目は本気だった。俺は追いつめられていた。

どうしよう。いくらなんでも本当のことを言えない。姉さんもまた現代日本の住民であって、カーリキリトの話をしてもおもしろがりこそすれ真剣にとることはないだろう。逆に別の意味で心配するのが普通だ。でも黙って切りぬけられそうにない。

正直に言えないのなら取るべき手段はただ1つ、嘘をつくことだ。あざは文化祭の練習といえば同じ日坂高校同士、行事がどんなに熱中するかよく知っている姉さんは納得してくれるはずだ。腕のやけどはここ2日で急に日焼けしたということにでもしよう。

(それでは見破られる)
(声! まだいたのか?)
(なにも役を持っていないと秋人自身が言ったばかりだろう。舌の根もかわかぬうちに正反対の発言をするのか?)

その通りだった。

(だったらどうするんだよ。他に)
(けんかしたとでも言え。不機嫌そうにふるまい言葉すくなになれ)
「秋?」

姉さんはすぐそこにいる、俺に選択権はなかった。

「別に。けんかしたんだよ」
「秋みたいなどんくさい人間が? いつ、なんで」
「どうでもいいだろ。いつまで見てるんだよ」
「ちょっと、秋」

俺はミサスを真似したそっけなさでちからまかせにドアを閉めた。向こうで姉さんが押しかえそうとしたが、いつの間にか力は俺のほうが強くなっていたらしい。木の板の反対側であきらめて居間に戻る気配がした。しょうがないこととはいえ良心が痛んだ。ハードボイルドは俺には向いていない。

(これで話はすむのか?)
(すむわけがないだろう)
「それじゃ意味がないだろう。これからどうするんだよ」
(あざについて聞かれたら今のように口数を少なくして不機嫌になれ。そうすればそのうち夏輝は勝手に話を作って納得する)
「そううまくいくか?」
(人間自分が信じたいものを信じるんだ。早く服を着ろ)
「そうかな」

半信半疑で俺はシャツを頭からかぶった。麻の布の向こうで電話の呼びだし音がする。かん高い電子音が3回なった後「はい、大谷です」と姉さんがでた。

「はい。ええ、います。少し待ってください。秋、電話」

おっと。俺は慌てて両腕をそでに通して自分の部屋を飛びだした。姉さんが「桜木さんて人」と受話器をてわたす。姉さんの表情から察するにさっきのことはそう怒ってなさそうで安心した。

「はい、大谷秋人です」
「大谷くん?

桜木です、実行委員の連絡網なのだけど」
「そうか」俺は電話近くにおいておいた実行委員連絡網をつかんだ。俺の次は小杉田さんか。

「明日早く集まって遅れている小道具作りをしようってことになったの」

いかにも十分な話し合いのすえ決定したように聞こえるが、なんのことはない、荷沢さんを中心に少人数がその場ののりで適当に決めるだけだ。

「朝早くっていつ?」
「電車通学の人は始発で、そうでない人は6時に学校集合」

俺はその場で電話を放りだして不貞寝したくなった。桜木さんはなにも悪くないし電話にも罪がないことを自分に言い聞かせて我慢する。

「夏休みもあと少しだしね。早く終わったら練習ももっとするって。大谷くん?」
「ああ、分かった、行く」
「とくに役員の人は早めにだって」
「ああ」
「それじゃ伝言よろしくね」

電話は切れた。無機質な通信音を耳によほど俺はさぼろうかと思った。なんでどうして明日5時に起きて5時45分に家を飛びでないといけない。俺が同意したわけではない、荷沢さんの思いつき1つからくるとなるとよけい泣けてきた。

(黙って従っているだけで自分の意見をいわないお前が悪い)
(さぼりたいって言っても聞いてくれるわけないだろ)
(言いかたによる。むやみに休むのは会の趣旨に反するだろう。あきらめろ)
(泣き言言ってもいいか?)
(聞く気はない)
(そんな)
「秋? なにぼんやりしているの?」

姉さんは新聞の前にまだいた。「別に、朝学校に行くはめになった。6時だぜ、信じられない」

「そう? 始発集合でしょ。日坂では珍しくないよ。うちは家が近いからまだましよ。友達の天池さん4時半に家でないと間に合わないんだから」
「よくそれで死なないな」

俺は小杉田の電話番号を手でなぞり、ボタンを押した。


日本の暮らしが大変だからってもう一方が楽になるわけでもなかった。

「今まで分かっていることはこうだ」

街道のあちこちに設置されている山小屋で朝を迎え、貧しい朝食の後イーザーは声をはりあげた。手には俺が日本から持ってきた紙とシャーペンがにぎられている。あれから時間もたち気分も落ちついて余裕ができた。今までのことを整理して今後の見通しを立てようということだった。

もちろんこの空白時間を全員が必要としたわけではない。ミサスはそう動揺しなかった、少なくとも表にはまったく動じていないように見えた。ウィロウも昼ごろには平常心を取りもどしていた。でも確実にそうじゃない人もいたし、結局だれかの助けをかりずに自分たちで立ちなおらなくてはいけなかった。

「まず、俺たちはフォロー千年王国の王弟、アットからたのまれてラスティアという人物を追っている」

紙の上に文字を書く。ちなみに俺はウィロウのねばり強い努力のかいもなくほとんど字が読めない。なんとか短い動詞名詞は分かるようになったが人名になるとお手上げだった。

「こいつは悪人だ。クレイタを沈めて人を殺した。俺たちはラスティアについて情報を集め、あわよくば捕まえるか殺してしまうかしたい。

ラスティアについて分かっていることは少ない。召喚士であること、アキトが声と呼ぶ存在から反逆者と呼ばれ警戒されていること。俺たちはこう推理している。ラスティアはアキトや声、召喚術に関係するなにかの集まりや組織に敵対するもので、クレイタの件はアキトを消してしまおうとした」

「以前森であった灰色の法衣のものはどう考えているのでしょうか」
「ああ」

イーザーはその横に矢印らしい棒を引いて新しく書きくわえた。

「そいつはウラスというこことは違うところからきた次元移動者で、法衣の下は闇しかない。影に関係する魔法を使い、剣で切っても身体がないから素通りする。かといって魔法ものろいのせいで効果がない。クレイタでアキト以外に目撃された、こいつも敵だ」
「その人こそがラスティアであるという可能性はありますか?」
「ありえる。少なくともクレイタの犯人だろうな」

ラスティア本人か仲間か。どっちにしろ困る。

「ラスティアを追っている俺たちの前に現れて関わってきたのが2つ。メルストアの民と声だ。メルストアの民は次元移動者であるアキトを危険視して消そうとした。声はアキトにしか聞こえない存在で、助言をしたりなにかを教えてくれたり、アキトをちゃかしたりからかったり説教する」

イーザー、最後のは言う必要があったのか? 下に数個単語を書き、左右にそれぞれ円を書いて真ん中へ矢印を向ける。真ん中に書いてあるのは俺たちの名前だとなんとか分かった。とくに自分の名前はウィロウがさんざん苦労したかいがあって俺でも書ける。

「メルストアの民はとくに考える必要はない。奴らは奴ら独自の考え方で動いているし、最古の魔法を使うメルストアの民と新しい力の召喚術と関係のあるラスティアの仲がいいとは思えない。それに声に説得されてもう関わらないと言っていた」

左側の円をイーザーは二重線で消した。

「声のほうは深く考えないといけない」
「アキト、いくら姿がなく言葉しか聞こえないからって、呼びかけが声って言うのはあんまりだと思うわ」

いいだろ。コロシアムがあるからって街をコロシアムと呼ぶ国の住民に言われたくないぞ。

「声については分からないことが多い。種族とか、そもそもアキトの世界のものなのかここの人なのかも分からない。敵か味方も分からない。分かっているのはラスティアの敵だということ、メルストアの民に命令できる立場だということ」
「アキト、今度声がきたら何者か問いつめてよ」
「もうやってる。はぐらかされるんだよ」
「聞き方が悪いのよ。さて、声は敵か味方か?」
「話を聞いている限り敵ではなさそうですが味方と断じるのは早いと思います」

ウィロウが話をひきついだ。「私たちは一度も声もしくはそれに属するものによって傷つけられたことはありません。ラスティアへの警告をしたりメルストアの民へ話をしたりと、私たちに協力してくれています。ですから敵とは考えにくいです。

しかし味方と考えるにはいささかふに落ちない点もあります。まず協力がアキトを中心とする助言ばかりであること、メルストアの民からの協力も拒んだこと、ラスティアと敵対しているのは確実ですが残念ながら敵の敵が味方であるとは限りません。声に関しては味方と思うより中立と考えたほうが安全でしょう」

「2つ、声はなんでグラディアーナを探せというのかしら。そしてなぜウィロウだけにあやまるの?」
「もしかしたら声はエントなのかもな」

イーザーがなんの気なしに言った。キャロルがすばやく反応する。

「どうして」
「だって、アザーオロムへって行ったのはエントだろう。エントに会うことになったのもアキトがエントの声を聞いたからだ。実体のない声っていう共通点はある。それに声はなぜだかウィロウだけ話しかけたじゃないか」

そうだった。声と長いつきあいの俺は適当にあしらわれたのにウィロウには真摯に語りかけた。俺たち3人に見つめられてウィロウはまばたきをする。

「ウィロウ、どう? 声はエントだと思う?」
「いいえ、そうだとは私は思いません。エントにしてはせっかちです。キャロルたちに近いもののはずです」
「そっか」

キャロルは髪をなでた。

「そのことは考えておこう。世界は広いんだ、すばしっこいエントがいる可能性は0じゃない」

俺はキャロルのようにすばしっこいウィロウを想像してみた。不気味だと思う。

「グラディアーナはどうだ?」
「それもなんだろうな」

グラディアーナについてもう長く名前を聞いているが、まだ会ったこともなければ顔も知らない。はじめは探していたがアットの依頼で棚上げして、最近ではすっかり忘れていた。

どうしてグラディアーナをたずねることが声を理解することになるのだろう。2人は知り合いか友だちなのだろうか。それともグラディアーナは本当にすごい大学者で、異世界のことならなんでもお見通しなのだろうか。俺は興奮して伝えたら、キャロルに鼻で笑われた。

「あきっぽい月瞳族が偉大な学者になれるものか」
「じゃあ友だちか?」
「分からないわよ。ひょっとしてグラディアーナのほうも声にとりつかれたりしてね」

とりつくって声は悪霊か。きっぱり否定できないのが悲しい。

「でも会えっていわれても住所不定の一個人、社会の規則から半分はみ出したような獣人を探すなんて無理よ」
「月瞳族は放浪者なんだろ。人生の最初から最後まで定住しない。どうやって見つけろっていうんだ」

少しの間みんなおしだまった。

「まとめる」イーザーが議長らしく切り出した。
「今後の予定は変わらない。ラスティアを追ってアザーオロム山脈へ行く。ラスティアと影の道士は強力な敵だから十分注意する。道中声が話しかけてきたら耳をかたむけて、ラスティアや声のことについて聞きだす。グラディアーナも注意する。ともかく分からないことが多すぎる。どんな小さなことでも情報がほしい」

会議は終了した。キャロルは下目使いで唯一なにも発言しなかった人をにらんだが、ミサスはびくともしなかった。


次の日俺はめざまし時計ではなく頭をけとばされて起きた。未知なる襲撃である。

もしここが宿のベットだったらけとばされるはずがない。布団ゆえの悲劇だった。

「秋、めざましがうるさい」

俺の頭をはだしでこづきながら、居間で寝ていたはずの夏輝姉さんが偉そうに言った。

「ねむい、おきたくない」
「文化祭があるんでしょう」
「さぼりたい、寝かせろ」
「おきなさいって。枕をけとばすよ」

無視してうすいかけ毛布を頭からかぶったら本当に枕をけとばされた。いやいや俺は起きて顔を洗いに洗面所へよろめく。

(彼女は居間で寝ていたのか)
「あ、おはよう声。そうだ、家であいているところなんで居間か台所か風呂場しかないから」
「秋、なにぶつぶつ言ってるの」

一気に眠気は覚めた。そういやいたんだった。

「別に。早起きしなきゃいけないんで不満言っていた」
「観念しなよ、女々しいな」

よく聞こえなかったらしいので姉さんは嘘を信じた。居間に戻ると夏用布団にもぐりこんで二度寝としゃれこんだ。なんてうらやましい。

(深く追求されなくてよかったな)
(だれのせいだよ、おい、それより声聞きたいことがある)
(答えることはできない。早くしたくしろ、遅刻するぞ)

それきり声は去った。またなにも言わずにいったことは腹立たしいが、時間を見てあながち嘘でもないことを知った。あわてて制服をつかむ。

明るくない空の下自転車をこぐ。やっぱりやる気のなさがこぐ足に伝わったのか、驚くほどすいている駐輪場に自転車を入れるときには10分ぐらい遅れていた。小走りで中庭に急ぐ。

俺と同じ考えの人間がいっぱいいたらしい。中庭はがらがらだった。荷沢さんが響さんになにか言っているのを見るので挨拶をする。

「おはようございます」
「おはよう大谷くん」
「おはよう。今人こないねって話していたところ。みんな遅刻ばっかりでやる気あるの?」

おれはない。ないけどそんなことを堂々宣言して非難される気もなかった。「すみませんでした」とあやまる。

「大谷くんはいいよ、問題は他の人。このままなにもできてないのに2学期に入っていいの? 1日中文化祭の支度ができるのは夏休みだけなのに」
「はあ」

いいよと言われたけどやっぱり俺も非難されているよな。なんて答えていいものか困っていると、同じようにあいまいな顔の響さんと目が合った。その時俺たちはたしかに同じことを考えていた。今まで感じたこともない連帯感を先輩に抱いてお互いぼんやり笑った。

「衣装はどう?」
「あんまりすすんでいません」
「じゃあやらないと。どうせ人がくるまで時間があるだろうし。響、私たちもそっちやろう」
「ああ」

俺たちは中庭のすみに直接腰を下ろしてぬいものに専念した。

裁縫なんて中学校の家庭科から全然やってない。いまどき服が破けたら買ったほうが早いし安い、裁縫の技術は俺の中では不要だったしなくなりかけていた。そんなさびついた記憶を頼りにやるから当然時間がかかるしぬい目が汚い。他の人がやるのを見ていると針は豆腐にさすように布に吸いこまれていくのに、俺がやると突然抵抗しはじめる。おかしいおかしいと思っているうちにまた針をさした。しかも指と爪の間に。今度は血がにじんでさしたという実感がでてくる。

「うわっ。大谷くん大丈夫?」
「保健室開いているかな。俺バンドエイドもらってくる」

響さんが立ち上がろうとする。

「いや、響先輩大丈夫ですよ。かすり傷です」
「でも指を動かすたびにいたむだろう」

いたむ。やっぱりバンドエイドもらってこようかと思うけど、たかが針をさした傷にそんなことするのも大げさすぎる気がする。

「私絆創膏持っているよ」

桜木さんがいいよと遠慮する前にかばんから小さな桃色のプラスティックケースを取りだした。はいと中から普通のより小さい絆創膏を俺にさしだす。

「ありがとう」

差し出されたなら遠慮するのはかえって失礼だ、俺はありがたく受けとった。

結局みんなが集まったのは8時ぐらいだった。おそいじゃないかと荷沢さんじゃないが憤慨するも、考えてみれば8時だって十分早い時間だよな。午前中は衣装作りに集中し、午後は目いっぱい演劇のおさらいをした。


「大谷くん!」

7時ごろは夕方というんだろうか。かろうじて明るいから夕方だけどすぐに暗くなりそうだ。早く帰ろうと駐輪所から自転車を引っぱりだしたら桜木さんに呼びとめられた。

「荷沢先輩が今日はお疲れさまってジュースおごってくれるって」
「なぬ」

それは行かないと。

「だったらさっき解散する時に言ってくれればいいのに」
「みんないつのまにか帰っちゃったでしょう。言いそびれたんだって。大谷くんだって帰りそうだった」
「いや、いつのまにかみんないなくなったし、これで終わりかなと思って。荷沢先輩だって後かたづけしていたし」
「つかまってよかった」

中庭はC棟とB棟へつながる。B棟へ行く廊下の横にジュースの自動販売機が3台並んでいて、女の子たちがにぎやかになににしようか選んでいた。その横で荷沢さんがじっと待ち、響さんは時計を見上げている。俺はなににしよう。

「桜木さんはなににした?」
「まだ選んでないの。なににしようかな」

じっくり考えたすえ俺はポカリスエット、桜木さんはりんごジュースだった。冷たい缶に口をつけて、初めて自分ののどがかわいているのを知った。

「今日も遅くまでおつかれさま。明日も同じ時間にね」

缶ジュースにまどわれず帰ればよかった。黙って帰ってもどうせ電話がくるのだろうけど、あと2時間は幸せな気分になれたはずだ。

「もう日が落ちますね」

桜木さんが空を見上げてつぶやいた。ひたすらむしあつかった中庭に海からの風がふきこむ。

「夕日が見たい」

いつのまにか俺はつぶやいていた。すごく見たかったのではなく、なんとなく言っただけだ。海に沈む夕日が見たい。

「今の時間なら見れるな」
「よし、見よう!」

思いつきが決定事項に化けた。「うえ?」と驚く俺をよそに先輩2人は「やっぱり海ね」「美術室もいいながめだけど今美術部員がいそうだよな」と年長らしく過去の情報を元に打ちあわせる。桜木さんまで笑って乗り気そうだった。

「大谷くん、早くしよう。暗くなるよ」

そう簡単に決めていいのだろうか。俺は首をかしげながらも発言者らしく黙ってついていった。

日坂高校は南が海で北を山に囲まれている。高低差がはげしい坂を下ってふみきりをこえたらもう海だった。

「やっぱり海はいいですね」
「本当、学校から5分っていうのがまたいいよ」

急な階段を下って砂浜におりる。いつもはサーファーや剣道部のランニング、近所の人たちの散歩でわりとにぎやかなのに今日は静かだった。遠くに犬づれのおばさんがいるだけ。後ろで踏切がとじて電車が通る。

太陽はちょうど江ノ島へ沈むところだった。歩いていける距離の江ノ島は夜になるにつれてライトアップが浮きあがる。植物園の塔をはじめ島全体が輝いていた。遠くの海に漁船らしい明かりがただよっている。海はなぎで巨大な藍色のうねりがよせてはかえっていった。

「天気のいい日は大島が見えるんだって」

ぼんやり座った俺の後ろに響さんが立っていた。

「大島って、伊豆大島の? 俺まだ見たことないですよ」
「俺もだ。OBから聞いた話」
「意外と近いんですね、大島」

響さんは電車通学で毎日海を見ているけど、俺は山のほうから自転車を転がすので海を見る機会は少ない。今後なるべく目をこらしていよう。

「ちょっとすみません」

桜木さんが茶色のローファーと靴下をぬいだ。「やっぱり砂が入っている」と嫌な顔をする。まだ熱い砂をふんで桜木さんは慎重に波打ちぎわに足をつけた。冷たいと悲鳴を上げるけど楽しそうだった。俺も加わろうかと思ったけど面倒だったのでやめた。

「絵に描いたようね」

荷沢さんがしみじみつぶやいた。「あ」なにか思いついたらしく犬のおばさんのところへ走る。

「ちょっと待って、写真とるよ」
「写真?」
「荷沢カメラ持っていたのか?」
「うん。いつも使い捨てをかばんの中に入れてるの」

緑色のインスタントカメラを振りまわし自慢そうだった。

「いい記念になるよ。お願いしまぁす」

人のよさそうなおばさんによって、俺たちは海を背景に2枚写真をとった。

おばさんにお礼を言った。荷沢さんは機嫌よく現像したら焼き増しするねと浮かれている。

「響これ卒業アルバムにどうかな。3年になったらアルバム委員に教えるの」
「その時までおぼえているか?」
「おぼえているわよ」

自信たっぷりだった。

日坂高校前駅で別れる。俺だけ自転車だから学校に戻り、残る先輩たちは電車だ。時間大丈夫かと先を急ぐ荷沢さんと響さんを前に後輩2人はのんびりしていた。

「大谷くん、もしかして前に比べて背がのびた?」

突然に桜木さんが口を開く。

「うん、伸びたみたいだ。姉貴にもそういわれた」

俺は考えた。約半年ぶりの姉さんに言われるならともかく桜木さんに言われるなんてよっぽどのびたのだろう。

「前とは目線が違うみたいだから。そうか、やっぱり」
「よく気がついたな」
「分かるよ、大谷くんなんだか成長はやいもん」
「ん?」

どういう意味だ? 見ているめきめき大きくなっていくとか。そんな馬鹿な。

「大谷くんってなんだか変わっていっている。初めて会った時と比べてずっと大人っぽくなった感じ。まだ半年もたっていないのにね。すごいと思って目が離せないの。いつも見ているよ」

警戒心が急に成長をはじめた。

なにが言いたいんだ? まさか他の世界に行っていることを知っているとか。

今まで俺は怪しいそぶりを見せたのだろうか。心あたりはあった。声とぶつぶつ会話するところを見られたのか、スタッフ持って裏山へ行こうとしているのを目撃されたか。どっちにしてもまずい、どうしよう。

あ。でもよく考えればばれたからって困るかというとそうでもないのか。

言いふらされたって周りは桜木さんの頭に変なものが沸いたとしか思わない。逆に桜木さんはだれにも相談できずに、かといって直接本人に異世界行っているのなんて聞けるわけもなく悩むだけだ。俺はけして困らない。なんだ、心配して損した。

そもそもばれるわけがないか。俺が空中へしゃべっていたり棒持ってうろうろしているのを見ても、頭のたががはずれたのかと心配する人はいてもここではないところで人外に囲まれているだなんて思うわけがない。連想したらそっちの方がどうかしている。

「へぇ」

はっと桜木さんは俺を見て、あわてて口元を押さえた。

「せ、先輩たちがもう改札口にいるし、私も行かなくちゃ」
「あ、本当だ」
「じゃあね!」

うろたえて駅へ走っていた。逃げるみたいにみえた。

どうしたのだろう。観察しているといって俺が気を悪くしたと思ったのかな。異世界交流で考えこんだのを気にしたのかもしれない。しまった、どうせ異世界の冒険がばれるわけないのだから、もっと大らかにふるまうべきだった。桜木さん怒っていないといいけどと俺は駅に入ってくる電車をながめ、自転車をとりに学校へ戻ろうとした。


(お前という奴は)

自転車を自宅の駐輪場へ預けていると声が来た。階段を上がりながら口には出さずに答える。

(なんだ?)
(いや、なに。高校生らしいさわやかな一日だったな)
(さわやか? そうか)
(秋人には分からないだろうな。色々と)

なにがいいたいんだか、奥歯になにかはさまったようなことを言う。会話をしながら階段をあがって家へ戻った。家には姉さんがいてだれかと話をしている。俺はいまだに休日でもないのに俺より先に人がいるというのは落ちつかない思いだった。

(見事に骨の髄までかぎっ子だな)
(すごいだろ)
(ほめてはいない)

来客かと思ったら電話だった。相手は友だちなのだろうか、姉さんは壁に寄りかかって親しげに話をしている。姉さんは俺を認めると片手を上げて、受話器から耳を離した。

「おかえり、秋」
「ただいま」
「桜木さんって人から電話よ」

俺の友だちじゃないか。俺は姉さんの手から受話器をひったくった。

「もしもし、大谷です。姉貴がすみません」
「えっ。いや、お姉さんにはお世話になりました」
「本当にすみません。えっと、それでなんの用です?」

しばらく受話器の向こうが静かになった。

「もしもし?」
「えっと、今日私帰り際にすごく変なこと言っちゃったから、あやまろうと思って。ごめん、深い意味は全然ないんだあれ。気軽に言っただけで」
「はあ」

またお互いに黙る。電話ごしだと会話が続かない。

「それだけです。あの、今日はどうもありがとう。お疲れさまでした」
「あ、こちらこそどうも」
「それじゃあまた明日」

それで電話は切れた。

「なんなんだ一体」
「秋、今の彼女?」

姉さんがとんでもない口出しをした。

「違う! なに変なこと考えてるんだよ、これだから女は。実行委員会仲間だって」
「ふうん」

姉さんのふくみあるような笑いに俺は気分を悪くして「人の電話を勝手にとるなよ」と俺は部屋に戻った。

「ったく、なんなんだか」
(秋人、お前は)
「なんだ」
(なにも考えていないのか、鋭すぎるほど物事を正しく見抜いているのかのどちらかに見えるな。もちろんおまえはなにも考えていないのは知っている。しかしここまで正しい対応をするのをみると感心してやまない)

なんだそれは。

「どういう意味だ?」
(深い意味はない、後で自分が考えろ。文化祭もそろそろだな)
「そうだけど」

声のいう通りもうすぐ夏休みが終わりだ。秋になる、文化祭の季節になるのだ。俺は今さらながらにそのことを実感した。


夕食時、ようやく桜木さんの言った言葉を素直に受けとめた場合についての感情を理解し、姉さんの前なのに関わらず奇声を上げて身もだえするはめになった。