どうして桜木さんが動揺したのかよく分かる。適当に言ったことがすごく深い意味を持ったら逃げだしもするだろうし後で誤解をとくために電話もするだろう。我ながらあれは自分で気づかないほうがどうかしていた。言い訳になるけど別のことばかり考えていたから気が回らなかったんだ。
長い目で見ればあの時気づかないほうがよかった。もしその場で理解したら家に帰って電話を取るまでずっと考えこんでいただろう。釈明の電話を理解の前に受けとってよかった。あれが後からきたらもう桜木さんの顔をまともに見れなかったかもしれない。
俺は夜中まで考えこみ、結局一番言い形になったのだと納得して、いまだ動揺収まらないままとりあえず寝た。
もちろん興奮さめぬまま何度も布団の中で寝返りをうち、あの時すぐ普通のほうの意味にとっていればよかったとしみじみ後悔して、やっぱり今で一番いいのだと言い聞かせて、でもとぐるぐる弧を回る思考をかかえて。
ようやく思考がぼんやりして寝かけたなと思いふと気がつけばそこは俺の家ではなく宿の一室のベットの上だった。起きあがるとせまい部屋の反対側でイーザーの長い髪が毛布の端からはみでている。
悩み事で眠れなかったのは生まれて初めてだった。仕方がないので頭がぼんやりしながら起きる。朝から幸先最悪だった。
街でたりなくなった食べものや消耗品の買い物を手分けして行う。俺はキャロルと一緒に行った。
なごやかに会話をしながら荷物をかかえていたらいきなりキャロルが険しい顔になった。両手一杯の平パンと硬皮果をかかえていた俺はびっくりする。
「どうした、キャロル」「そのまま歩いて。誰かに見られている」
「おっ?」
「怪しいそぶりをしないで。なんでもないように動く。ほら」
ほとんど口を動かさずにキャロルは指示した。そんなこと言っても動揺せずにはいられない。だれかに見られているなんて。ん?
「キャロル、少しぐらい見られているからってそう警戒することでもないんじゃないか? 俺だって珍しい人がいたら悪いと思いつつ見ちゃうぞ」「なんで。あたしとアキトの組み合わせのどこに珍しい要素があるって言うのよ。今は2人だけなのよ」
そうだった、俺とキャロルだけだったっけ。地下道の一族はまったく珍しくない存在だし、それと俺となんて背景に溶けこんでしまいそうなほど地味だ。
「だれかに似ているとか、気づいていないけど変な格好しているとか」「現実から逃げないで」
「じゃあどうして見られるんだよ。だれだ?」
ふりかえろうとしてキャロルにたしなめられた。
「男、あたしと大差ない年頃。背格好はイーザーを貧しくしたような感じ。魔道士には到底見えないし、密偵にしてもあたしがすぐ気づくくらいだから大したことはない。ごろつきか浮浪者かしら」「俺は浮浪者に恨まれるおぼえはないぞ。なんで見るんだ?」
「強盗の下見とかかもね。あたしもアキトも金持ちそうには見えないけど強そうにも見えないし、買い物中で食べ物一杯かかえているからね」
「げ」
ここは治安が悪いところだったのかと俺は荷物をしっかりかつぎなおした。言われてみたらコロシアムほどではないけどすさんでいる気がする。
「どうせ長く滞在しないところだしフォロー王国内だから治安が悪いっていってもたかが知れているから気にしないでおいたのだけど」「言ってくれよ」
俺を無視してキャロルは無邪気そうに目を大きく開けて虚空を見た。
「街の外で大勢でこられても、ミサスもいることだし負けやしないと思う。でも面倒だし1人のうちに潰しておきましょうか。アキト、後よろしく」乾燥して保存した薬草と荷物を俺に押しつけて、足どり軽く後ろへかけだした。重量過剰で動けない俺は「おい、荷物どうするんだよ、よろしく言われても」というだけでおいていかれる。幸いキャロルはすぐに戻ってきた。俺の悲鳴を聞いたからではない。
「いない。行っちゃった」「ばれて逃げられたのか」
「声が聞こえる距離じゃなかったけどそうでしょうね。アキトが大根役者だったから逃げられたのよ」
「キャロルが油断していたせいだよ」
俺たちはどうでもいい軽口をたたきながらも、背中から見ていた浮浪者の影を意識せずにはいられなかった。さらに数点野菜等食糧を買いこむと帰宅してイーザーとウィロウへそのことを話した。
「本当かよ。まいったな」珍しく髪を下ろしたイーザーが机にほおづえをついてうなった。イーザーの髪ずいぶん伸びたな。
「盗人に襲われるのは困ります。早めに街をでて周辺をよく警戒しましょう」ウィロウの提案はだれにでもできる内容だったが、背中に目がついているのかもしれないほど勘がいいキャロルと、キャロルより鋭いミサスと、野外で本領発揮するウィロウがいる。たとえ相手が透明人間であってもすきはない。
「相手が大勢だったらどうするんだよ」「それはない。それなりに大きい犯罪組合だったら偵察があんなちゃちなわけがない。あれじゃせいぜいごろつきの集団よ」
自信たっぷりに断言して、そしてふとキャロルは俺の顔をまじまじと見た。
「なんだ?」「いや別に。食糧買ったから荷造りしましょう」
そのまま別の話題に移り、俺もそれきり忘れた。
次の日俺はぼんやり白兵戦を見ていた。もちろんお芝居のほうだ。
前45分の劇で一番盛り上がる場所はなんといっても終劇間際、敵味方入り乱れての大活劇だ。初めのときはひっちゃかめっちゃかで見ていられなかったが、最近は結構いい感じになっている。意外とすごい劇になるかもしれない。
学校全体としても大きなうねりが起こるように文化祭一色になっている。さまざまなクラスや部活の人たちが血走った目で乱暴に走りまわり、大声で話し合ったり角材をかついでいる。浮き足立っていた。
(お前のような人間もいないわけではなさそうだな)(大きなお世話だ、声)
もはや驚きもせずにカラスを追い払う類の邪険さを持って俺は声に返事をした。
(お前に関係のあることが進行している。聞きたいか?)(もったいぶるなよ)
(夏輝が学校にきている)
俺は持っていたシャーペンを落とした。
(なんで?)(家に演劇の台本を忘れていっただろう。台本を届けにという口実だ)
(忘れたんじゃない! 使わないからおいていったんだ!)
(当人にそう言え。内心としては去年卒業した母校の見学とお前の怪我について真相追及が目的だな)
卒業生が学校に遊びにくるのは珍しくない。日坂高校は開かれている。といったら聞こえはいいが、じつの所警備が皆無も同様なのですごく人が入りやすい。先日の泥棒騒ぎで少しは改善するらしいが、まだまだその動きは目立っていない。元日坂高校生たちは内実をすごくよく分かっているのでじつに気楽に訪れる。俺としては犯罪者でもなんでもない卒業生が遊びにくるのはどうとも思っていないが、実の姉となれば話は別だ。
(冗談じゃない、見つけて家に帰さないと俺が笑いものになる)(目上の、しかも身内のものに対する態度としてふさわしくないな)
(身内だからこそだよ)
劇に夢中な実行委員たちは俺1人の動揺なんてもちろん眼中に入っていない。こっそり中庭から立ちさり、はた迷惑なわが姉を探した。
(でも迷路みたいな日坂高校内でどこから探せばいいんだ? 俺まだ自分の使う校舎しか分かっていないんだぞ)(頭を使え。彼女が高校にきた目的は知っているだろう)
蒸し暑い廊下で俺は立ち止まった。もし姉さんが思い出にひたりたいのなら、かつて所属していた山岳部の部室か、昔使っていた教室か、景色がよく常日頃から絶賛していた美術室か。そして俺を調べにきたのならば。
数分後、国語研究室で俺は担当の小長井先生と談笑している姉を見つけた。
(なかなか早かったな)(今までの鍛錬が違うんだよ)
「あ、秋人。どうしたの怖い顔して。先生、それじゃあ失礼します」
「ああ、大谷さん。文化祭にも顔を出してな」
なごやかに手を振る姉を廊下まで引きずって、俺は改めて向きなおった。
「なんで姉さんがここにいるんだよ」「秋家に台本忘れていったでしょ。だめじゃない」
「忘れたんじゃない、おいていったんだよ。用がすんだなら帰れって」
「そう邪険にしないでよ。懐かしの母校を見ていってもいいでしょう」
「俺の友だちの前にはくるなよ、恥ずかしいからな」
「分かってるって。じゃあね」
うなぎのように姉さんは俺から逃れて、すぐ近くの階段をかけ上がった。さすが3年間所属しただけあって迷路のような学校の構造を熟知している。
「まずったかな」(なにを不都合とするのかは知らないが、少なくとも痴漢退治はばれた。今日の夜問われるだろうな)
「すごくまずいぞ」
(まあがんばれ。そろそろ戻らないと抜けだしたことがばれるぞ)
俺は返事をせず、あちこち破られ折れ曲がり、すっかりぼろ紙になった台本を持って中庭へ降りた。
昼食をはさんで午後もう一回リハーサルをする。衣装や小道具はもうほとんどできているので実際に着て使う。響さんふんする物語の主人公は高周波ブレードを手に帝国へ立ちむかう。
「ぼくもレジスタンスに加えてくれ。この剣で帝国と戦おう」「はっ、役に立つのか? 足手まといがおちだな」
「言いすぎだ」
日々うんざりする練習により、はじめは棒読みだったせりふも今ではちょっとした演劇部程度にはなった。こうして結果を見るとスパルタというのも正しいのかもしれない。
「彼女はリサ・ルサ。占い師だ。彼女の超能力は本物だよ」「さっそくだが、帝国の今後について知りたい」
「ついでに新入りの運命も見てやれよ」
SFっぽいというよりもファンタジーな服を着て、目隠しをした桜木さんが水晶を模したガラス玉をのぞきこんだ。よく考えたら桜木さん、1年で役員をやって配役についてと忙しそうだ。普段からおとなしいしなにかと派手な荷沢さんの影に隠れていたので気がつかなかった。
「よくがんばるな」(お前とは大違いだな。いまさら気がついたというのがいかにもだ)
「大きなお世話だ」
声とむなしい会話をしている間にも話は進んでいく。いよいよ舞台は最終局面、わずか数人の主人公がレジスタンスを率いて帝国へ侵入し、皇帝と戦う場面だ。
「皇帝、いよいよ最後だ!」「笑わせてくれる、虫けらがなにをしたところでむだだ!」
俺がすごいひねくれ者なのだろうか、一大クライマックスが時代劇に見えてきた。
(物語の節は同じだ。神話までさかのぼるお約束に一高校生が抵抗できるわけはない)「別にそこまでむずかしく考えていないよ」
皇帝を倒して感動的に幕が引かれる。練習も終わりになればいうことがないのだけど、もちろんそんなことはなくできていないところやむずかしいところを暗くなるまで、否暗くなっても繰りかえして練習をした。終わったのは星が見える7時半だった。
「おつかれさま、また明日ね」明日の猛練習を予告し、疲れた実行委員たちはそれぞれ帰路につく。俺も運動していないけどそれなりに疲れた。道で桜木さんたちと別れて自転車で家へと向かう。
「気が重い」(家に帰りたくないのか。そんなに姉が苦手か)
「帰れば問いつめられるんだ、楽しく家に帰れないよ」
憂鬱と帰った俺をむかえた姉さんは心なしか上機嫌だった。夕御飯までできている。探検部できたえた野外料理が俺を待っていた。
「なに変な顔しているの。どうせ道にろくな店がないもの、買い食いしていないからおなかすいたでしょう」「姉さんがご飯作るなんてどうしたんだ? CDかしてほしいとか」
「秋、私をなんだと思っているの。いいからすわりなさい」
空腹で目が回りそうだったのでおとなしく席についたが、正面にすわりそ知らぬ顔でテレビを見ている姉さんから目を離せなかった。なにを考えているんだ、いつ質問が飛んでくるんだ。覚悟はしていたはずだけれども、こうして黙られると聞かれないかもという安心感といつ聞かれるか分からないという不安が混ざり、どうにも落ち着かない。聞くなら聞く、聞かないなら聞かないで統一してくれないと、おちおち食事も安らかにできない。
「ねえ、秋」とうとうきた。「なんだ?」
「桜木さんって文化祭の実行委員会で知りあったの?」気負いをくじかれた。あいまいにうなずく。
「ああ、そうだよ。1年2組の実行委員会」「秋は3組よね」
「うん」
姉さんは気味の悪い笑いを浮かべた。俺とおなじ顔でそれはやめてほしい。
「今日小長井先生から痴漢のこと聞いたよ」ほら、今度こそ。俺はやわらかめのご飯を飲みこんではしをおき、腹に力を入れて待った。
「やるじゃない。私秋のこと見直したわよ。本当に高校に入ってから変わってきているのね。怪我しない程度にがんばんなさい」それだけだった。そして今までの会話を忘れたように「コンビミ行ってくるわね」とサンダルをつっかけて出ていく。残されたのは夕飯の前で拍子抜けしている俺。
「おしまい? これで? 気持ち悪いぞ。どなられるとか怒られると思っていたのにあんな温かく見守られても」(彼女は思い違いをしている)
「声。どんな思い違いだ?」
(お前が桜木のことが好きで、追って文化祭実行委員に入ったり彼女のために痴漢と戦ったりしていると思っている)
あんまりだ。壮大な誤解に俺は脳細胞が死滅していく音を聞いた。
(聞かれる前に説明してやる。昔からやる気が見られなかった弟が文化祭実行委員に入った。なんらかの心境の変化があったのだろうと推測できる。時々桜木から電話がかかってくる。日坂高校へ行ってみると桜木ふくむ委員会仲間と一緒の時に痴漢を退治した。聞いてみると彼女と知りあったのは実行委員会でだ。夏輝はいまどき小学生でもお目にかかれないような甘酸っぱい恋を弟が経験していると思いこんでいる)「なんでそうなる」
「理由は今言った」
「電話がくるのは桜木さんが2組で俺が3組だからだよ」
(夏輝は知らない)
「伝えてくる!」
俄然と俺ははしをおいて立ち上がった。
「誤解を解いてやる!かんちがいでもすごすぎる」
(ではあらためて問いただされた場合、どのように答えるつもりだ?)
「う」なにも考えていなかった。
「声、お前なんてこというんだよっ。そりゃ丸く収まったかもしれないけど、だからって、それじゃ。そりゃ困らないし実害ないけど、でも」
俺は続けられず、冷たいフローリングにへたりこんだ。
「どうしてそんなこと考えたんだか」(内心彼女が望んでいたからだ)
思いがけない返事だった。
(彼女はお前が明るく健康的な高校生活を送ることを望んでいた。だからいくつかの部分から自分にとって都合のいいことを抜擢して、真実ととりちがえた人は自分の信じたいことを信じる。幸せなことだが、いつかお前はいくつかの点で真実を見すえなくてはいけないときがくる。希望や思いこみや、先入観にとらわれるな。さもないと過ちをおかす)
「あ、ああ。気をつける」話が変な風にころがった。とまどいながらも俺はいすに座りなおし、再びはしを手にとった。
「アキト、起きているのか?」
「え? えっと、ぼんやりしていた」
「寝ていたわよ、それはもう見事に。歩きながら寝るなんてたいしたものね」
キャロルにちゃかされた。言われたそばからあくびがでる。文化祭が近くて、連日連夜練習に準備にかけ回っているから疲れて眠い。風のうわさでは倒れた生徒もいるそうだ。
「最近いつもそうだな。どうした?」「なにせあさってだし。眠い」
「あさって?」
「いやこっちの話」
「キャロル」
ウィロウがキャロルの肩をそっとたたいた。ウィロウは力が強いので人にふれるときは慎重にしないと驚くし痛い。
「街道をまっすぐに行くと橋があり、超えてから少し進むとフォロー千年王国の国土果てにつきます」「ええ、そう。今昼すぎだから夕刻には千年王国からでているわ」
もうフォロー王国をでるのか。意外と狭い国だった。今までフォローであったさまざまなことを感慨深く思いかえし、この先にある新しい国についてウィロウへ聞こうとした。
「しかし橋がないようです」俺はフライングをしたようだった。
「え? 道を間違えたのか?」イーザーがウィロウの広げている地図を背伸びしてのぞきこむ。キャロルは2回地面を爪で引っかくと剣呑な目つきになって「ちょっと見てくる」走りだした。
少し行くと、まるで地面を垂直に切って力づくで広げたような崖があった。獣人の行商人や杖を持つ男みたいに地味な女の人たちが反対側を指さしてなにか話し合っている。岸の向こうにはいかにも頑丈そうなつり橋が引力にひかれてだらしなくたれさがっていた。
「橋が落ちている」「困りましたね。岸の距離から考えるに、橋なしでは飛行でもしない限りわたれません。ここが通れないといったん引きかえして別のわき道を行かざるをえません。時間がよけいにかかります」
キャロルは岸へ歩みよりかかんだ。イーザーは話し合いの輪へ入ろうと声をかける。俺は手を打った。
「簡単じゃないか。ミサスにかついで飛んで行ってもらえばいいんだ」ミサスは俺の期待の目を完全に無視した。ウィロウは少し考える。
「アキト、いい提案ですが欠点があります。黒翼族にとって黒翼魔法は秘儀であり、大勢の人前で披露するのはミサスさんにとって好ましいことではありません。一般的に黒翼族は非力で、アキトやキャロル、ましてや人間より重量がある私を抱えられるとは思えません。それに魔法で軽量化した自分を支えるだけで精一杯の黒翼族の飛行能力では私たちを運ぶのは無理です」「ウィロウって重いのか?」
「アキトの2倍以上は体重があります。さらに問題があります」
「まだあるのか」
あきらめてほかの方法にしようと考えはじめていたから、いまさらきく必要はなかったのだけど口をはさめなかった。
「アキトも知ってのとおり、ミサスさんは必要以上の労働はどんな形であれ積極的ではありません。私たちがあらゆる可能性を吟味検証して協力を求めるのならばともかく、気軽に頼んでもミサスさんは承知してくれるでしょうか」ひとごとのように岸を見ているミサスに、俺は絶対無理だと結論した。
「回り道をするのはいやだな。橋をかけなおせないのか」「かけなおす、ですか?」
ウィロウがきょとんと首をかしげた。俺はつけくわえる。
「同じような橋を作ろうっていうんじゃないぞ、縄梯子とかそんな簡単なものでいいんだ」「いくつか問題があります。だれが向こうまで行き橋をかけるのか、私たちが十分にわたることができる長い縄梯子がどこにあるのか、きちんとした知識ならびに技術はあるのか、私のような人間の基準より重いものでも支えられるのか、そのような不安定なもので私たち全員が問題なく進めるのかどうか」
「もういい、もういいウィロウ」
「まだたくさんありますが」
「あきらめるからもういい」
ウィロウに悪気がないのは分かっているが、すごく馬鹿にされている気がしてならなかった。キャロルが軽い足どりで戻ってくる。
「ちょっとまずいわよ、これは」「なにがだ?」
「縄の切れ目がなめらかだった。だれかが橋を落としたようね」
「げ」
キャロルのいう通りまずかった。ウィロウは腕を組んで「だれが行ったのでしょうか」つぶやく。
「さて。昨日の不審者かしら」「あの怪しい視線のか」
「おい、みんな」
イーザーが戻った。
「あの杖持っている人、ラケルさんっていうんだけど、飛行の魔法を使えるから普通の人なら抱えて運んでくれるってさ」「渡りに船だ」
不親切なミサスとは違ってすすんで言ってくれたのが嬉しい。喜んで好意に甘えようとしたが、そんな俺の首根をキャロルはわしづかみにした。爪がくいこんで痛い。
「アキト、空飛ぶのはいいけどウィロウはどう考えても普通の人より重いのよ」人よりはるかに長身のウィロウは本人申請によると体重も人の2倍はあるそうだ。俺は心なし困っているウィロウを見て、女魔法使いの細腕を見て頭をさげた。
「ウィロウをおいていけば進めるけど」「そんなことできるか。あきらめるよ。ウィロウ、人の倍なんて重すぎるぞ。水に浮かないんじゃないか」
「はい、私は水にしずみます」
冗談だったのに、ウィロウは大まじめにうなずいた。断りに行ったイーザーの後姿を見送りながら、俺は恨めしくキャロルを見る。さっきから意見をだめだしされてばかりで、キャロルのせいではないけどへこみそうだった。
「どうするんだ、俺たち」「決まっているでしょ」
キャロルは肩をすくめた。
「回り道して数日よけいにかけてすすむのよ」結局それしかなさそうだった。
とうとう日本できてほしくない朝がきた。秋とは思えないほど太陽は輝かしく、6時前なのに俺と自転車の影は濃い。せみの音はけたたましく住宅地とアスファルトの大地にこだまし、早くも汗がふきでてきた。
(いよいよか)声でさえ今日のことを言っている。いやがおうにも気分は高まった。
「いよいよ文化祭だな」(落ちついているな。また面倒だのいやだのとぬかすかと思ったが)
「ここまできたら腹もくくるさ。今日と明日さえ乗りきればまたいつもの高校生活だ。早起きとも単純労働ともさようならだ」
(くくるのがおそすぎるぞ)
「うるさいやい」
6時ごろに学校に着いた。普段なら人気のないはずの時間帯なのに今日はあちこち人のいないところがなく、いまだにどこかでかなづちの音が聞こえる。無骨な灰色の正門のかわりに文化祭実行委員がこしらえた合板の緑門が取りつけられていて風船がこれでもかと張りついていた。
文化祭実行委員が今日使う道具類全てがしまわれている生物実験室には、さすがに少なかったがそれでも当たり前のように3人がいて働いていた。
「おはようございます」「おはよう、大谷くん。私たちは新体育館で2番目と最後から2番目だから、新体育館に大道具を運んで。6時半からリハーサルね」
「はい」
俺は響さんと一緒に背景になる銀色の機械がびっしり書かれた合板をかついだ。横で桜木さんがダンボールで作った銃を両手一杯にかついで身軽に先に行く。
「響先輩、今日の主役ですけど緊張していますか?」「ああ、緊張している」
あまりそうは見えない。
「6時集合だったのに集まりがいまいちでしたね」「きたのは熱心だった4人だけか。そんなものだろ」
「熱心って、俺も入っているんですか?」
「当たり前だろ。荷沢のきつい仕事をさぼらず、遅刻もほとんどなしでついてきたんだから。俺も桜木さんも部活とかで結構休んだのに、大谷くんだけ休まなかった」
俺が塾も習い事もしていない帰宅部員だからじゃないのだろうか。義務として努力はしたが熱心にとりかかった覚えはない。でもせっかくのいい評価を自分から崩すこともないので言わなかった。
「あ、そうだ」いったん荷物を新体育館へおいてひかえ教室へ戻ってきたとき、響さんはすみに投げだした自分の荷物からなにかを取りだして俺にてわたした。
「前の写真」「あ、できたんですか」
以前荷沢さんが気まぐれに撮影した写真だった。毎朝見ている砂浜に俺たちがならんでいる。荷沢さんは自信ありげに、桜木さんはひかえめながらもきちんと存在を主張している。それに比べて俺と響さんはそうとう地味だった。俺は所在なげでどうしてここに立っているのだろうと自問しているようだったし、響さんも落ちつきすぎて影がうすい。よくとれた写真だった、いろいろな意味で。
やっと人が集まりはじめたのは15分後でリハーサルは20分遅れで行われた。あわただしく動いているうちに9時半になって文化祭が始まった。こんなに早い時間で自分たちの支度でてんてこまいなのにもう一般参加者らしい学外の人がちらほら見る。模擬店はいっせいに活発な呼びかけを始めた。
「一番初めの3年の劇が始まったよ」「もうそんなか。俺たちも45分後にはそうなっているのか」
「大谷くん、今のうちに自分のクラスを見てきたら?」
「そうしよっかな。桜木さんありがとう、すぐ戻る」
3組をはじめとする1年生は3年の教室を使って模擬店を開いている。1年生棟は校門から一番遠く人が来ないので劇のため空っぽになった3年生棟を使わせてもらっているのだった。使いなれない教室でクラスメイトたちは熱い鉄板の上でお好み焼きを焼いていた。看板の絵よりもずいぶん薄い商品はどちらかといえばお好み焼きに近かった。もちろんそんなよけいなことは言わずにエプロン姿の関口からミックスお好み焼きを1つ買った。
「今日何時起きだった?」「5時半」
「俺は6時半。どうしてそんなに早いんだ?」
「俺劇やるもん。リハーサルがあったんだよ」
「俺たちだって大変なんだぜ。三分の一が部活の方行って、黒木が当番表を決めるのに2日かかった」
「そっちも大変なんだな」
(秋人、そろそろ行ったほうがいい)
「じゃあおれそろそろ行くな。がんばって焼いてくれ」
お好み焼きをつつんでいた紙を捨てて、人ごみかき分けて俺は新体育館へ向かった。人が多すぎて走れない。
新体育館では俺たちの1つ前の劇が最高潮に盛り上がっていた。こっそり楽屋裏へ行く。もう桜木さんや響さんは衣装を着て台本を読みかえし、荷沢さんはジャージ姿で細かい注意をしている。舞台にでもしなければ音響も照明もしない俺まで緊張してきた。
「今から舞台へ行くんだな」「そうだよ。どうしよう。いまさらになって怖くなった」
台本を読みかえしていた桜木さんが俺を見上げた。笑顔がぎこちない、桜木さんの感じている緊張が俺にまで伝わってきて震えそうになった。
「大丈夫だよ。あんだけ練習したんだから心配ない」「うん……」
(はげましの言葉としては及第点だな)
声がからかうようにちょっかいをだしてくる。
(うるさいぞ声、現実とごっちゃになるから今はやめてくれ。うっかり返事したらどうするんだ)(だれもかれも自分のことに精一杯だ。お前の奇妙な言動など気にしない)
(したらどうするんだよ)
「大谷くん?」
ほら気にする人がいた。目の前で話している俺がいきなりぼんやりしたらそれは桜木さんでなくても変に思うだろう。
「えわっ。いや、ちょっとぼんやりした」「そろそろです」
台本を丸めながら荷沢さんが実行委員会全員へ呼びかけた。いつもはやまないおしゃべりが消え静まりかえる。この場にいる全員の目が実行委員長へ集中した。
「今日のために私たちは夏休み前から練習を続けてきました。みんな朝早くから夕方遅くまで一生懸命でした」前の舞台が終わった。舞台裏にまでも拍手がなりひびく。
「落ちついて練習通りに行こう。みんな、がんばろう」「はい」
気持ちはひとつになり返事がそろう。そして舞台ははじまる。
はるか未来、宇宙は邪悪な帝国に支配されていた。辺境の星に住むある青年は一旗上げようと父の形見である高周波ブレードだけを手に帝都へ行き、悪行の数々を目の当たりにしてレジスタンスへ身を投じる。
「俺がレジスタンスにふさわしいのか、その腕で試してみたらどうだ」「言われなくてもそうすらぁ!」
小刀を投げる真似をする、響さん扮する主人公はいあいぬきのように剣をぬいた。音響室では鉄板と小刀をマイクへ近づけてからたたきつける。鋭い、思わず身を引いてしまいそうな金属音が体育館中を走った。
「へぇ、やるな」小刀を投げた役がゆっくり響さんにちかよる。レジスタンス指導者がすばやく押しとどめた。
「もういい、よせ。新入りもだ」こうして暗い舞台の上、浮かび上がるようなスポットライトでてらされた場所で改めて見るとこの世に二つとないすごい演劇のような気分になる。衣装も道具も音楽も、役者の演技話し方、ちょっとした動作までがぴったりくみあい、ただの高校生のお芝居とはとても思えない。今まで練習でさんざん見たはずなのに目が離せなかった。
帝国との戦いをくりかえすうちに主人公は自分の父親が初代レジスタンスの指導者であることを知る。でもレジスタンスは帝国のしかけた罠で主人公たち数人を残して全滅する。主人公はレジスタンスと父親の遺志をついで皇帝へ最後の戦いをいどむ。舞台は壇上から客席の通路まで広がり、敵味方いりまじった決戦がめまぐるしく展開する。あっちで黒い帝国兵が倒れたかと思ったらこっちで白いレジスタンス兵がひっくり返り、頭でも打ったのか本当に痛そうに身をよじった。気の毒に。
その中で響さんだけは群がる兵を獅子奮闘でおいちらして皇帝へ走る。主人公が舞台へかけ上がった瞬間音響が重く低い曲になり、全てのスポットライトが2人へ集中する。主人公と皇帝は互いに大きく弧を描いて間合いをはかり、そしてブレードと金色の杖が交差する。
打ち、払い、派手に切りあい大きく跳ぶ。息つぐ間もなく武器がひらめきつばぜり合いをくりかえす。主人公がよろめいて観客席から悲鳴が上がり、皇帝がおいうちをかけようとするも、主人公はうけながして皇帝を切りさく。
帝国は倒れ宇宙に平和が戻った。主人公たちレジスタンスは新しく平和な世界をつくろうと誓いあい幕が下りた。拍手が分厚いはずの幕をゆらして届く。
「まだだよ! 一列にならんで、最後の挨拶をしないと」小声で役者に告げる荷沢さんの声がくぐもっていた。目が潤んでいるのに心の底から驚く。
(なかなかだった)おもしろがっているような声。初舞台は大成功に終わった。