三つ首白鳥亭

−カーリキリト−

奴らが道をやってくる

その日の風は強かった。

見晴らしのいい街道では季節にそぐわぬ冷たい風がふきあれて、外衣や服が旗のようにひるがえった。

今が冬なら骨の髄までこごえただろうが幸いなことに夏だった。強い日差しが寒さをやわらげて快適な涼しさを作りだしている。俺たちは服をしっかり押さえて目に砂が入らないように注意だけすればよかった。

ミサス以外は。

いつも小さくたたんでいる羽は今さんざん風にとられている。魔法で空を飛ぶために必要不可欠な黒い羽は地上で歩くぶんには邪魔なだけだった。なるべく小さくまとめようと努力しているようではあったが時々ふくれあがっていた。それに人よりずっと小さいせいか、それとも本物の鳥のように体格のわりに体重が少ないのか、俺たちが強い風だなぁ困るよとすませている現状を真剣に難儀しているようだった。いつも最後尾を俺たちから数歩離れてついてきているのに今日だけは少しでも風よけにと中心部にいて、身体をかがめて歩いている。本人には悪いと思いつつも、俺は笑いが顔からはなれなかった。

俺と思いは同じなんだろう。心底嬉しそうな笑顔のキャロルは光を手でさえぎって空を見あげた。

「変な風だと思ったら、空中庭園が見える。どおりで」

空中庭園? 俺は即座にペルーのインカ遺跡マチュ・ピチュを連想した。とんでもない高地にある遺跡は紙一枚入らないほどしっかりした石造りの建物で、高度から空中庭園と呼ばれている。ここにもあるなんて知らなかった。俺はキャロルの視線を追って首を曲げた。

正真正銘本当の空中に小さな岩の塊が浮いていた。小さく見えるのは遠くにあるからで、きっと家ひとつか街ひとつ分ぐらいの大きさなのだろう。あまりの常識はずれに久々に思考停止を起こした。

「なあ、ウィロウ」
「はい、なんですか」
「岩が浮いている気がするんだが」
「確かに浮いています」
「空中庭園ってなんだ?」
「天をただよう巨岩の上に存在する風神殿です。昔の調査によりあの上には立派な風神殿と美しい庭園があるそうです。ですから空中庭園と呼ばれています。無人です」

さすがは羽人間がいる世界だった。本当に空中に建物がある。俺は美術の資料集で見たマグリットのピレネーの城を思いだした。超現実主義だな。

「顔色が悪いぞ、どうしたんだ」
「驚いただけだ。ウィロウ、調査ってどうやって? ミサスみたいなのが飛んでいったのか?」
「空中庭園の調査か? 比翼族や黒翼族には無理だよ。高すぎるし空中庭園の周囲はおかしな風がふいて飛びにくいんだって。まして庭園の周りはつねに強風が吹き荒れていてちかよることもできないそうだ」

俺はミサスを見て納得した。

「じゃあどうやって調べたんだ?」
「遠視の魔法です。空中庭園はめったに見られるものではありませんよ。私もこれが2回目です」
「運がいいわね、アキト」

幸運といわれてもいまいちぴんとこないが、それでも立ちどまって空中に浮かぶ岩石を見あげた。そうか珍しいものなのか。

「なにあれ」

同じように空中庭園に感心していたはずのキャロルが首をかしげた。

「どうした、キャロル」

つれづれなるままに俺はキャロルの視線を追った。

鳥が一羽こっちへむかってきている。まだ遠いみたいで鳥かどうかも分からないけど、飛んでいるからきっとそうだろう。

「鳥だ」
「鳥? そう?」

キャロルは納得しなかった。岩も空飛ぶんだから鳥以外のものも飛んでもおかしくないよな。ミサスとか。

「どちらかといったら、あれは」

いきなりミサスの羽がふくれあがった。ほとんど表情も変わらずに小さくたたんでいた羽だけ大きく広げる。ミサスには悪いが驚いた猫がしっぽをふくらますしぐさを連想させた。よく分からないけど驚くことがあったらしい。

「ミサス?」
「逃げるぞ」

言うがはやいが身をひるがえして進行方向と逆へ走りだした。俺は首をかしげたがキャロルもまた口の中で悲鳴をかみ殺す。しっぽが大きく痙攣した。

「竜だ! あれは竜よ!」
「竜?」
「逃げるぞっ」

まだ分かっていない俺の腕をつかんでイーザーが血相変えた。「岩があったよな、すごく大きな岩。見晴らしのいいこの辺で隠れられる場所はそこだけだ、ミサスについていけ!」

竜。火をふいて空を飛ぶ大きな爬虫類の化け物だよな。日本の昔話では蛇の親戚で雨をふらす神様のようなものだ。イーザーの慌てぶりからして火をふく方らしい。それがこっちへきている、確かに大変だけどそこまで驚くことか?

「やっつけられないのか?」

つられて走りながらイーザーに聞いてみた。

「馬鹿言え! 俺は死にたくないぞ!」
「アキト。竜とは一般的な生き物よりはるかに強く人知を超えた能力の生き物の総称です。力が強く賢くとても太刀打ちできない強力な力を持つものです。それこそ神とあがめ尊敬されているものもいます。狭義の竜はうろこと牙を持つただの動物ですが、それでもその強大さには到底立ちむかえません。逃げるほうが賢明です」
「そうなんだ」

あのミサスでさえ一目見て即逃げだすのだから本当に強くかなわないんだろう。竜が通りすがった俺たちを襲うのかは分からないが、いざ襲われてから逃げだすよりはその前にいなくなったほうがいいだろうな。納得したらいまさらながらあせりと恐怖感がふくれあがってきた。そんな怖い生き物と対面するなんてどこが幸運だ。

涼しいはずだったのにたちまち汗がふきでてくる。いざ走ってみて意外にミサスの足が速いのに気がついた。普段全然走らないけどこれならキャロルとためを張れるだろう。問題は強風に身体をとられて全力を出せないことだった。たちまち俺は追いつく。

急いでいるはずなのに俺はついふりむいて竜がどれくらい近づいているか確かめた。

さっきの豆粒ほどに比べると格段に近かった。確かに竜だ、羽があり小さな前足と俺よりも大きそうな後ろ足としっぽがある。でも想像通りなのはそれだけだった。うろこの代わりに灰色の短い毛で全身くまなくおおわれていて角もない。爬虫類というよりこうもりのようだった。黒い瞳が石ころでも見るように俺たちを見つめていた。

「ぼさっとするな!」

イーザーにしかられて前を向いたが、巨大な羽や家ぐらいはある巨体は目にこびりついてはなれそうになかった。

岩に一番乗りしたのはキャロルだった。くるときはなにも考えずに通りすぎたが、たしかにここしか隠れられそうな場所はない。「早く!」おくれがちな俺たちに向かって声を上げる。普段の余裕なんてけしとんでいた。自分に出せる最大の速度で俺も岩陰に飛びこむ。お互い身を縮めて陰に隠れた。

「意外と狭いぞ」
「私も入るでしょうか」

いつものんびりしているウィロウが気がかりそうにつぶやく。岩とウィロウではぎりぎり岩のほうが大きいだけだった。不安になるのもよく分かる。

「分かったわよ」

反応は早かった。キャロルの姿がぼやけねずみになってウィロウの方によじのぼる。ミサスも一言つぶやくと鳥に変身してイーザーの肩に乗った。驚いてイーザーがうめきそうになるが、慌てて口を手でおさえる。これで2人分の隙間ができた。ウィロウが開いた場所にかがみこみ、3人と2匹は黙って身をかがめた。

時間が空いた。じっとウィロウの横で動かずにいる。恐ろしさが波のようにおおいかぶさってきて呼吸がとまりそうになった。イーザーもウィロウも真剣そのもので動かない。

急に強風がふきあれ髪をゆらし服がすごい音をたて、本気で鳥のミサスが飛ばされそうになってイーザーにつかまれた。

「うおっ?」

静かにしないといけないというのも忘れて俺はうめいた。でももうそんな必要はなかった。

竜はとびさった。はじめから俺たちなんてまったく興味がないとばかりに岩をこえてまっすぐ行ってしまった。見る見るうちに姿が小さくなりきえる。

「あれは灰竜ですね。どうしてこのようなところにいるのでしょうか」

ウィロウがのんびり疑問を提示するが、だれも答えなかった。


翌日俺は日本の逃げ道さまようアスファルトの道を自転車ひきながら歩いていた。学校へ行く足が遅い。

(急がなくていいのか? 委員会会議に遅れるぞ)
「大丈夫だよ、放っておいてくれ」

周りが無人だったので俺は口にだして答えた。われながら礼儀正しさとは程遠い。

「声、昨日のあれはなんだったんだ?」
(ウィロウが説明しただろう。竜だよ)
「こうもりじゃないか」
(説明をよく聞いていなかったのか? 竜は人知をこえた生き物の総称だ。あけすけに言えば強く賢くおかしな力を持ち分類できない生き物はみな竜だ)
「あれ賢そうには見えなかったぞ」
(全ての竜が全部の特徴をかねそなえているわけではない)
「とっさに逃げたけど、あそこでじっとしていたら襲われていたのか。怖いな」
(襲われたかもな。逃げたのは間違った選択ではない。当たり前の行動だ)
「なんで竜が出てくるんだ? あの辺竜が住んでいるのか?」
(さあな。ミサスかウィロウに聞いたらどうだ。推論を聞くことができるぞ)

その通りだ。昨日は驚きすぎてろくに話さず宿で寝たけれども一晩たったら落ちついてきた。後でウィロウとじっくり話をしてみよう。

(それよりものんびりしていたら暑いだろう。そんなに学校に行きたくないのか?)

痛いところをつかれた。立ちどまってうつむく。通りすがりの若い男の人が不審そうに俺の横を通った。

(不審者を撃退したのだろう。不名誉ではないぞ)
「ここは日本だぞ。きっと学校でみんなが俺を変な目で見るぞ。あいつあんな顔して平気で人殴れるんだぜとか。これから無視されたり変なうわさたてられるのかと思うと学校行きたくない。さぼろうかな」
(刃物に刺されて痛い目を見たりもう痛いと思えなくなるはめになるよりはましだろ。3年通う学校でまだ4ヶ月しか通っていないのにその考えはどうだ?)
「うるさいぞ、声!」

俺はわめいて八つ当たりをした。その辺の猫が驚いたように逃げる。声は黙ったがまだそばにいるような気配を感じた。たっぷり60秒俺は虚空をにらみつけ、そしてまた自転車を引いた。ああ学校へ行きたくない。

いやいや学校に着いたのは会議の時間に10分遅れたころだった。よっぽど俺は引き返したかった。遅刻したことだし帰ろうとする誘惑をたちきる。観念して1階の生物実験室へ入る。

てっきり半分近くが遅刻してこないと思っていたが、意外にもほぼ全員がきていた。当然いまさらのこのこきた俺はすごく目立つ。視線がいたいが俺が覚悟していた嫌悪や悪意はそこには見えない。

桜木さんがつつしみぶかい笑みで近よってきた。

「大谷くん、この前は大変だったね」
「え?」

俺は桜木さんの態度にも発言にも悪い感情を見つけられなかった。むしろ尊敬というか、見直したという風ですらある。てっきりこれからさけられると思っていた俺はどういう心境の変化なのか分からなかった。壇上だった荷沢さんが俺の手を取り教卓へ引っぱっていく。

「話し合いの前にお知らせします」
「荷沢先輩?」
「1年7組の大谷秋人君がこの前日坂高校にきた泥棒をやっつけました。相手はナイフを持っていたのにほうき1本で立ち向かったんです」

ぼろい教室をゆるがしかねない歓声と大拍手が起きた。最前列には響さんもいる。俺は教室を荷沢さんを交互に見た。なんだなにが起きたんだ。

(口を閉じろ。まぬけのようだぞ)
(声、まだいたのか)
(お前はほめたたえられ賞賛されている。応えたらどうだ)
(え?)

俺の混乱はさらに深まった。もう荷沢さんの声も聞こえない。

(なんでどうしてそうなる)
(いくら日本が平和であるとしても暴力が皆無ではなかろう。戦闘は秋人が思うほど拒絶はされない。まして無意味なけんかではなく盗賊を退治したのだ。当然の反応だとどうして思わない?)
(思わなかった)
(なら考えを訂正しろ。みんながお前の武勇伝を聞きたがっているぞ。そのために普段はさぼる人々までもがわざわざ暑い中学校にきたんだ。教えてやれ)

俺はかろうじて引きつった笑いを浮かべ、どうしようと困惑した。拍手はまだ終わらない。


人前で話をするのはあんまり好きじゃない。ましてや自分の自慢話なんぞ語るのだとしたら照れの1つや2つ入って当然だ。しどろもどろのしっちゃかめっちゃかになってもしょうがないと思う。それなのに実行委員の人たちは聞きたがった。

30分も講演して俺は机に戻った。つかれた。その後の5時間におよぶ会議よりもつかれた。

(書記、ちゃんと仕事をしろ)
(やってるよ)

まだ声はいた。いてほしいときにはいないのにどうでもいいときにはいつまでもはなれない。嫌いじゃないがそろそろうっとおしくなってきた。

やっと会議が終わり、俺は机につっぷすことで喜びを表現した。つかれた、帰ろう。

「大谷くん、帰りに役員でどこか行こう! 話し合いたいことがあるのよ」

さよなら俺のおだやかな夕方。先輩の誘いを1年生が断れるわけもなく、俺は他3人の役員とともに近くのファミレスまで重い身体を引きずっていった。

日坂高校周囲は海と山しかない田舎なのだが、地元の電車でふた駅もすればそれなりのにぎやかさにはありつける。俺たちは一番近いファーストフード店に入ってそれぞれ飲み物を注文した。

「本当にこの前の大谷くんはすごかったね」

桜木さんがアイスミルクティーを前に笑う。

「そうそう。あたし大谷くんのこと見直したよ」
「今まで見損なっていたというんですか、先輩」
「うん。言ったら悪いけど私は大谷くんのこと暗いというほどじゃないけど色々なことにやる気がない人だと思っていたの。でも普通の人なら逃げちゃうようなとき立ち向かっていくなんて実はすごく勇気のある人だったんだね」

正面きってほめられると照れる。いや、まあという意味のないことを言ってオレンジジュースに口をつけた。

「能ある鷹だな。その勢いで劇の主役もやってみないか?」
「響先輩、どさくさにまぎれてやめてください」

押しつけようとしてもそうは行かない。「ばれたか」と響さんが温かい笑いを見せる。

「さて、それで話し合いたいことは劇の練習の予定なんだけど」

荷沢さんが本題に入り、それから2時間俺たちはわき道にそれたり飛んだり笑い話になりながらも練習予定について話し合った。結局「土日を除く毎日」で決まった。話し合いを本当にしたのは20分くらいだから後の1時間40分は無駄といえば無駄なのだが、俺は結構楽しく過ごした。中高一貫で帰宅部の俺はこういう風に学年の違う人と話す機会は今までなかったな。新鮮な体験だった。

夕方明るいうちに解散し、俺は機嫌よく帰路についた。電車で高校まで戻ってから自転車に乗る。

(行きとは大違いだな)
「はぶられなかったからな。ほめられるのは照れくさいけど嬉しかったし。でもやっぱりあそこに響さんもいてたらな」
(だがお前はあそこにいた)思わず立ちどまるほど厳粛な口調だった。(お前はそこにいて彼はいなかった。それが全てだ。実力や技術などそこには意味はない。そこにいたお前にしかできないことだった)
「そんな大したことじゃないって。泥棒一人やっつけただけだよ。イーザーがいたらずっとあっさり片がついていただろうさ」
(当たり前だ。お前は本気でイーザーと並びうると思っているのか?)
「声、お前嫌な奴だな」
(知らなかったのか?)

俺はへこみつつ帰宅した。


翌日俺はカーリキリトで起きた。

同室のイーザーはいない。身支度を整えて朝食を求めて1階へ降りる。起きた時間が遅かったのか食堂は旅人や行商人でごった返していた。かろうじてイーザーとキャロルとウィロウが大きめの席に腰かけていたので便乗させてもらう。

「おはよう」
「おはよう。おそかったわね」

キャロルが皮肉げにテーブルにひじをついて首をかしげる。

「昨日の竜で食堂の話題は持ちきりですよ」
「あのこうもりドラゴンか」
「こうもりとはおもしろい表現をしますね。竜は一般的にエアーム竜帝国をはじめとするはるか東に住んでいるものです。もちろんフォロー千年王国にも見かけたという例がないわけではありませんでしたし、未発見の竜がでてきてもまったくおかしくはないのですが、それでも相当珍しいですし旅人には死活問題ですからね。大変なにぎわいようです」
「そうなんだ」

朝ごはんの玉子と香草が入ったおかゆをたのんだ。イーザーとキャロルはとうに食べおわっていてお茶をすすりながら今日の予定について話している。ウィロウは木のおわんいっぱいの水をまるで命の源のようにゆっくりゆっくり飲んでいる。ウィロウはこんなに大きいのに飲食は水だけだった。よくそれだけで生きていけるもんだと感心する。

おかゆはまだかなと食堂を見わたして、俺はふとぎょっとするものを見た。

「うお。ウィロウ、見ろよ」
「はい、なんでしょう」

俺がこっそり指さしたのは大きすぎる法衣の袖をまくって、深く頭巾をかぶってうつむいている人だった。それだけでも十分変な人だが肩から首に白蛇を見ていた。全長が俺の身長よりも長そうな蛇はおとなしく主人のそばでじっとしている。蛇のせいでその人は1人きりで卓に座っている。

「見ました。変わっていますね」
「物騒なペットだな」
「普通人間は蛇を愛玩動物にはしません。魔法使いの使い魔ではないでしょうか」
「使い魔ってなんだ? 黒猫じゃないのか?」
「使い魔とは魔道士が小動物と契約をして自分のしもべとする魔法、またはその小動物そのものです。契約をかわした小動物は通常よりもかしこく長寿になりはるかに死ににくくなります。使い魔は主人の手足となり働きます」
「どうしてイーザーとミサスには使い魔がいないんだ?」

呼んだか? イーザーが俺を見た。いや呼んでいないと断る。

「理由はいくつか考えられます。使い的の契約は難しく、本格的に魔道を学んだものでないと契約はできません。また契約には魔道士にも義務がともないます。術者は使い魔を自分の命をそうであるように大切にしなくてはなりませんし、使い魔の死は術者に大変な衝撃をあたえます」

1つ目の理由はイーザーに、2つ目の理由はミサスに当てはまりそうだな。イーザーには悪いが。

「魔道の系統も関係があります。イーザーもミサスさんも独自の魔道系統を扱っているので使い魔との契約はできないのではありませんか」

なるほど。俺たちがじっと見つめているのに気づいたのか、ちらりとその人は俺たちを見てスープ皿をひっくり返すほど動揺した。これはいけない。俺は天井を見上げた。

「あ、ミサスさんおはようございます」

ミサスが寝たりなそうにあくびをかみ殺しながら降りてきた。あいていた俺の隣にすわる。寝起きでぼんやりしているように見えるが、その実普通の俺よりも高い注意力をまわりにはらっている。前ふざけて座るいすをかたむけてやろうと思ったらミサスは腰かけず立ったままで俺の方が椅子と一緒に転んだ。それ以来俺は寝起きといえどミサスをみくびったりはしない。

ミサスを見ているつもりがいつのまにかまた後ろの蛇の人を見ていた。

「ぶぎゃ」

キャロルが俺の足をつっついた。それも立派な足爪で引っかくようにつっついた。ひどいぞキャロル。

「見ないでアキト」

キャロルの声色は騒がしい朝食の席のものではなかった。気がついたらイーザーも今すぐ椅子から立ち上がれるように浅くかけて足に重心を移している。

「イーザー? どうしましたか?」
「あの蛇つれている人おかしい。アキトとウィロウが話してから目に見えてすごく動揺している。注目されてどぎまぎしているだけには見えないな。アキト動くな、キャロル」
「まかせて」

キャロルは立ち上がった。イーザーは「いざという時のために備えておけ」というが、スタッフがないのにどうやって備えればいいのだろう? 俺にかぎった話ではなく、だれも武器を食堂に持ちこんでいない。おれたち全員だけではなく食堂にいる人全員がそうなんだ。当たり前だ、なんで食堂に剣もって挑まないといけない。

キャロルが白蛇の人へ足を向けた瞬間、とうとう蛇の人は椅子を蹴らんばかりに立ち上がって逃げだした。頭巾があおられ顔が見える。

「エレニィ!」

幼い顔の、ひょっとして俺と同年代か年下かもと思うような女の子だった。半泣きでおびえていてひょっとしたらかわいそうなことをしたのかもと同情したが、それよりもっと大事なことがあった。目の色は極端に薄い黄色で、肩で切りそろえられた髪は白く、肌も信じられないほど白かった。俺はこういう人物を前に見たことがある。

「メルストア!」

キャロルの手が近くのフォークをつかみ一直線に少女の首筋めがけて飛んでいく。

フォークは目に見えない力ではじき飛ばされた。同時にキャロルにもその衝撃波が飛ぶ。間一髪でキャロルはよけた。俺は2階への階段を見上げる。反対側では情報屋の扉が開いて、白蛇の女の子を正面から抱えた。

「見張りさえまっとうにできないのか! だから使い魔を置いていけといったのに」
「言いすぎだ、ひかえろ」

階段にイウリオスが、入り口近くにエレニがいた。できれば2度と会いたくない相手だった。


メルストアの民というのは世界ではじめて魔法を習った民族で肌や髪の色が極端に薄いのが特徴だった。世界の規律を守るのを使命としていて、俺のような他の世界の人を異端と排除しようとしている。当然俺たちとは敵対していた。

そんな彼らが頼りなさそうとはいえ新顔を連れてこっそり俺たちに忍びよっていた。なにを意味するのが俺でも理解できる。決着をつけようというのだろう。

「なにごとです!」

まっさきに彼らに反応のは俺たちではなく情報屋店員のお姉さんだった。それはそうだろう。手斧を持って押し入ったエレニと店内で魔法を使ったイウリオスは十分つまみ出される理由がある。

「なんて非常識な! すぐに店からでて行ってください、衛兵を呼びますよ!」

ひょっとして俺がなにもしなくても問題はかたづくかも。キャロルも自滅を期待しているのか動かなかった。

「テレシア」

エレニが白蛇の人の肩を優しくたたく。女の子はうつむきながらも魔法の言葉をつぶやき始めた。彼らは十分やる気だった。

「ちぇ」

キャロルの反応は早かった。ポケットから貨幣を取りだすと目で追いきれないほどの速度で投げた。コインはそのままなら確実にテレシアの左目に命中しただろうがエレニがかばって前に出たため、エレニの板金鎧に当たってむなしく床にころがった。

キャロルはその間じっとしていなかった。どこに隠し持っていたのか魔法のように細身のナイフを腰だめに構えてテレシアへ向かう。エレニが斧で迎えうとうとする。キャロル、熱意はかうが小さなナイフ1つで斧と戦おうなんて無茶だ。助けに行かないと。

はかったようにイーザーとミサスが動いた。イーザーはたった今まで座っていた背もたれつきの椅子を武器代わりにつかんでエレニへ。ミサスはなにも持たずにイウリオスへとそれぞれ走る。

「からすごときが俺にかなうというのかっ」
「油断するな」

エレニが警告する。イウリオスは目を細めて手でなにかの印を切りつぶやく。光り輝く矢が空中に無数出現し、ミサスめがけてふりそそぐ。

ミサスはほんの少しもひるまなかった。身を低くして背中の羽を小さくたたんで自ら飛びこむ。驚いたことに全てよけきった。目標をはずした矢はテーブルや壁に当たってこげあとを作る。運よく人間には当たらなかった。

イウリオスは2歩後ろへ下がり、今とは別の言葉を唱える。俺の頭ぐらいの大きさの、中が渦巻く球状のものが出現する。ボーリングの玉のようなものはイウリオスの手から離れると瞬時にふくらみ熱を持つ。

店の中で爆発させるか? 店内の客たちは悲鳴を上げてテーブルの下に逃げる。あまりに常識はずれの行動に俺は身動きできなかった。

ミサスは床をけり左手で球体にさわろうとする。小さく口が動く。てっきり大爆発するかと思ったのに球状の球はとけて消える。

「魔法解除ですね」ウィロウがなにがなんだか分からない俺を見て説明してくれた。「魔法解除の魔法は全ての魔法をうち消すことができます。しかし攻撃のための魔法は時機をあわせて発動させないといけません。非常に難しいです」

ずいぶん丁寧に説明してくれたが、俺はろくに聞かずに恐怖で椅子にへたりこんだ。

「キャロル下がれ!」

イーザーがエレニに突撃する。エレニは椅子を斧で受けとめた。ほんの1秒の静止の後、イーザーは椅子をひねり斧をエレニの手から落とそうとする。気づいたエレニは椅子から斧を引き戻そうとして成功する。斧をそのままイーザーの脳天に振り下ろそうとする。イーザーは椅子をかかげて斧をとめた。

イーザーは椅子を捨て後ろに下がろうとする。エレニは一瞬追いかけようとし、はっととまって顔を手でかばう。その手に、より具体的にいうなら右目のあたりに食事用ナイフが綺麗な一直線を飛んでささった。

「はずしたか」

キャロルは舌打ちをした。エレニは手からナイフを引きぬき、革の手甲が赤く染まるのをかまわず斧を構えなおす。

「テレシア、まだか」

イウリオスがさけぶ。情報屋の店員さんが突然の戦いに驚きつつも奥から人と、武器代わりの杖を持ってかけつける。

「!」

エレニにかばわれていたテレシアが、長かった魔法の言葉の最後の一節を発音しおえる。

店内の時が凍りついた。


机の上から様子をうかがっていた旅人、怖い顔でメルストアの民たちへ走ろうとしていた店員、衝撃でひっくりかえり宙を舞っている皿、全部が写真でうつしたかのように停止した。

「えっ?」
「アキト、動揺しないでください」

ウィロウが生徒をなだめる先生のように俺の肩に手をかける。

動いているのは俺とウィロウだけではなかった。息を整えて斧を地面と平行に構えるエレニと後ろにかばわれているテレシア。イーザーとキャロルは宿の停止に困惑しているがそれでもエレニから目を離さない。イウリオスは勝利を確信したかのようにゆがんだ笑みを浮かべ、ミサスは体重を感じさせないほど静かに着地した。俺たちと彼らのみが凍った店内で動いていた。

「なんだこれは、なにが起こった!」
「おそらく魔法の結界の一種でしょう。私たちと彼らのみを取りだして一時的ですが完璧に世界と切りはなしたのです」
「どうなるんだ?」
「私たちは今や私たちとメルストアの民以外のあらゆるものに干渉できないようになっています。テーブルや椅子をたたいても壊れませんし、結界の外にいる客にどのような行動をしても傷ひとつ負わせられません。なにをしてもです」
「すごい魔法じゃないか!」
「すごいです。それをあのような幼い人間が使えるなんて。さすがはメルストアの民です」
「これでもうわずらわしい俗世に邪魔されることもない」

イウリオスは俺たちを見下ろした。

「邪悪な異界のものと、その仲間ごと滅ぼしてくれる」
「そこまで言われる筋合いはないぞ!」俺は頭に血が上った。「なにもやっていないのにどうして狙うんだ!」
「お前の存在自体がすでに罪悪なんだ。消滅するがいい」

前ぶれなくミサスが動いた。手を前につきだし一章節の言葉が口からもれる。大人一人入れるような黒い炎の塊が出現してイウリオスに牙をむく。イウリオスは魔法で正面にガラス板のようなものを出して炎を防ごうとするが、香水の瓶を何十本も一気に割ったような多重音とともに板は炎によって砕かれた。

「イウリオス!」

寸前でイウリオスの周囲に膜のようなものが張られた。炎が直撃する。

爆風は俺とウィロウのところまで届いた。ウィロウが俺を抱きしめるようにしてかばってくれたが、それでも俺の皮膚は火のそばにいるかのように熱くなり、熱風に目を閉じた。すさまじい煙の中で法衣も髪もすすけたイウリオスが、しかし無傷で立っていた。きっとテレシアがもっとすごい防御の魔法を使ったのだろう。自分の魔法が防がれてもミサスは残念そうでなく、テーブルや壁やとまった人々に傷ひとつないのを確認するように見あげた。

「このような狭い場所でミサスが全力で魔法を発動させると私たちも巻きこまれますね」

まったくだ。いままで数多くもっとミサスに活躍してほしいと願っていたが、おとなしくしてほしいと思ったのは初めてだ。そして俺とウィロウも魔法に巻きこんでおいて反応がそれだけかい。

「甘く見るな。テレシア、イウリオスの補助を。短期で決着をつけるぞ!」
「ウィロウ、アキトをたのんだ。イーザー!」
「おう!」

エレニとキャロルの怒鳴り声が飛びかう。ウィロウは静かにうなずき、どんな魔法にも俺をかばって見せるとイウリオスとの間へ立ちふさがった。キャロルがナイフを下手に構え、イーザーが椅子を武器にエレニに飛びかかる。テレシアとイウリオスは魔法の言葉を唱え、エレニは斧をにぎりなおしミサスは口を開けて、そして俺は。


「もういい。やめろ」

だれのものでもない声が、その場を支配した。


奇妙な強制力があった。だれもが注目せざるをえないような力が存在していた。イーザーとエレニは見当違いを打ちあい、ほうけた顔でお互いを見る。

「完全に切りはなされているな。十分だ」

俺たちでも彼らでもない声は、周りを気にせず堂々と続いた。周りを見ても声の主はない。「どなたでしょうか」とウィロウが力をぬく。珍しいことに俺は疑問に答えることができた。この中で俺だけが正体のきれっぱしだけだけども分かっていた。

「声! なんでここにいるんだ?」
「お前は後だ。先にメルストアたちと話をつける必要がある」

あっさりあしらわれた。「アキト、例の声ってこれ? なんでここで聞こえるのよ」とキャロルが叫ぶが俺のほうが聞きたい。

「なにものだ、きさま」
「誰何など意味がない。それよりイウリオス、お前たちに頼みがある」

イウリオスは怖い顔をして後じさり俺をにらみつけた。気持ちは分かるが俺のせいじゃないぞ。

「化け物のくせに俺に命ずる気かっ」

イウリオスは手で印を切り魔法を発動させようとした。「よせ、イウリオス!」エレニの悲鳴がなければ確実になにかを使っただろう。

「なぜとめる?」
「お前はそのお方がだれだか分かるはずだ! ゆりかごの中にいるときからその方のことを聞いていた。たのむ、はむかわないでくれ」

きょとんとテレシアがエレニを見上げる。今までの冷静さが幻であるかのようにエレニは動揺していた。俺たちは初見だがきっとイウリオスもそうか、もしくはすごく珍しかったのだろう。いぶかしげに赤毛の戦士を見つめるも、不意に目をおおきく開いた。

「まさか」
「イウリオス、悪いが時間がない。この結界は完璧だがそれでもすぐにほころぶ。再び世界とむすびつく前に言うべきことがたくさんある。静かに聞け」

こんな時でも声は偉そうだった。

「お前たちをメルストアの民の代表として伝える。今後一切秋人たちに干渉するな。妨害も手助けもいらぬ。すみやかに退け。

お前たちが案じている事柄については心配はいらない。秋人にはたいした能力も意図もない。なにかを起こそうなどとみじんも思っていない。分かったな」

横で聞いている俺ですらいい気持ちはしなかった。直接言われたイウリオスはさぞ不快だろうと思ったが、震えて壁に背を打った。それどころではないらしい。

「待たせたな、秋人」

少しも申し訳なさそうに俺たちへ話しかける。

「なにものなの」

キャロルの目がすわった。エレニに一歩もひかなかったように実体のない声にも必要とあらば立ちむかうつもりだろう。

「なぜここにいるの? 今の話はなに? あなたは敵なの味方なの?」
「キャロル、お前の定義からすれば味方だ。秋人はそう思ってくれないかもしれないがな」
「アキトの知り合いなのか? なにを知っているんだ?」
「時間がない、イーザー」

声は卑怯にもあふれる質問の大半を無視した。「知りたがっていることを教えている時間はない。それに知ってしまうと使命のさまたげになる。今は知る必要がない。知りたいのなら地下の遺跡にこい。場所はグラディアーナが教える」

「グラディアーナ?」

忘れていた名前だった。召喚術に関係をもつ月瞳の一族の名前をここで聞くとは思わなかった。

「なんでグラディアーナがでてくるんだ? グラディアーナを知っているのか、その人はなにものなんだ?」
「お前たちと同じ立場のものだ。最後だ。もう結界にほころびが発生する。行かなければならない。ウィロウ」

ただ目を丸くするだけだったウィロウは驚いたように「はい?」と返した。

「すまない」

謝罪だった。心の底からのつらそうな謝罪だった。

「できればさけたかった。しかしほかにどうしようもなかった。お前しかいないんだ。その道をたどらなくてもいい、それだけは忘れるな」
「はい」

うなずいては見たものの、ウィロウにはさっぱりわけが分かっていなさそうだった。もちろん俺もよく分からない。

「ラスティアに気をつけろ」

いつか聞いた警告を最後に声の気配はきえた。


よろめきながらイウリオスは立ち上がり階段をゆっくり下りた。途中でミサスとすれ違ったがミサスもイウリオスもなにもしなかった。もうイウリオスに戦う意志はないし、だったらミサスも手をだす理由がない。

「なんだったのよ、今の」

キャロルはよろめいて床にすわりこんだ。うつろな目のイウリオスがその横を歩く。

「エレニ」

奇妙な沈黙の中、俺は思いきって質問してみた。

「エレニは声の正体を知っているのか? 今なにが起こったのかわかっているのか? 教えてくれないか」
「分かるが言えぬ」

エレニはイウリオスに手をかした。俺のほうは見もしなかった。

「なんでだ」
「一切の干渉をするなといわれた。だからなにも言わぬ」

呆然としているテレシアをエレニはゆさぶった。はっとテレシアは顔をあげる。

とたんに店の中に時間が戻った。人のざわつきと大声。宙に浮いていたコップは床に落ちて皿はそのままひっくり返る。勇ましい顔をした店員さんは狐につままれたような顔をする。向こうにしてみればいきなり俺たちの立ち位置が変わったようなものだ、無理もない。

「さらばだ、アキト」

エレニが情報屋の扉を開ける。「もう二度と会うことはないだろう」

一方的にそれだけを言って3人は情報屋をでた。扉が閉まる。

「待ちなさい!」

店員さんが追いかけようと扉を開けて外へ飛びだす。そして左右を見て間抜けな声をだした。3人はもうどこにもいなかった。

「今、一体なにが起こったのでしょうか」

ウィロウが自問する。残念ながらだれも満足に答えられない。