砦を出て半日後、現在位置と地図を見比べていたイーザーが顔をあげた。
「意外と早かったかな、もうそろそろ街が見えるはずだ」「もし砦に寄らなかったらぎりぎり夕暮れに着いたことになったのね」
キャロルが進行方向を見る。「うん、見えた」
「アキトどうした?」イーザーが地図をかたづける。
「ぼんやりしていないか?街でのんびり休めるのに嬉しくないのか?」「うれしいけど色々考えることがあって混乱しているんだ」
俺はわざとらしくため息をついた。
「アキトも悩むのね」「どういうことだ、キャロル」
「別にアキトのことけなしているわけじゃないわよ。アキトは深く考えたり悩んだりせず表面的に騒いで思考を終了させる種類の人間だと思っているだけ」
それは本当にけなしていないのだろうか? 結果的に俺の混乱を招いた当の本人はすまなそうな表情をした。2メートルをこえる巨体なのにそういう顔をするとなんだかかわいい。ウィロウに遠慮したわけではないだろうが、キャロルのからかいはありがたいことにそれだけですんだ。
街にはいるといささか変な目で見られるがもうとっくになれた。害になるわけではないし放っておこう。
それよりもっと大事なことが分かった。適当な露天商に話しかけたキャロルが首をふりふり戻ってくる。
「まいったわね。情報屋がない」「え? じゃあ今日どこに泊まるんだ?」
情報屋は俺たちのようにふらふらしている人たちのための世界的な組合で、宿をとれたり食事ができたり地図や地理、街の事情などを聞くことができる施設だ。俺はしょっぱなから色々あってよい印象は持っていないが非常に便利なのは疑っていない。そこがないとなると。
「田舎はこれだから。普通の宿を探して泊まろう。適当でいいわよね」「エントが入れるくらいの大きさでな」
にぎやかな通りと人外含む人ごみをかき分け進み、要領が分からない俺とウィロウは放っておいてキャロルは今日の宿を探しあてた。ミサスは一言もしゃべらず黙って俺たちについてきている。特に文句はないということなのだろう。
キャロルが見つけたのは気持ちが悪い看板の酒場だった。割と新しいところみたいだが人の出入りがはげしいらしく、木の扉は取手が変色していた。
「地域密着の酒場兼宿か。うさんくさくも高そうにも見えない」イーザーも認印を押したので俺は思い扉を開けた。
中は薄暗いもののきちんと掃除されていて清潔だった。夕食には早い時間だが、もう何人かの団体が席についておしゃべりに興じている。キャロルの目は確かだった。店内はよい雰囲気に満ちていて、客もいかにも楽しそうに過ごしている。
!!
「そこの人!」俺はおしゃべりしている団体のうちの一人、銀髪の男の手に飛びかからんばかりにつめよった。にこやかなまま表情を凍りつかせたその男の手には鈍く光る拳銃がにぎられていた。
俺は今まで銃というものを間近で見たことはないが、TVや映画で散々写しだされているので知っている。間違いなく拳銃だった。しかしながら持ち主の男は明らかに俺の同類ではなくイーザーみたいな地元の人みたいだ。
なんでここの住民が拳銃を持っているのか。きっと理由は俺みたいなよその世界の人からもらったか買ったかだ。
「それ、どこで手に入れた? 誰から買った!? なんで持っているんだ、教えてくれっ!」その場にいた大柄な男も猫をつれた女の人も、男だか女だか分からない小さい人も皆あっけにとられたようだが俺は気にしなかった。
「なんであんたそんなことを知りたがるんだ」「俺、実は」
ぐえ。なんの予告もなく背中に走った鈍痛のせいで変な声を出してしまった。
「いや悪いわね。こいつちょっと興奮しやすいたちでね、ごめんね」「おいキャロル、俺はな」
キャロルはブーツ穴から出ている立派な足爪でスニーカーごしに俺の足を踏んだ。そのせいで俺はまたしても言いそびれ、キャロルはだらしない愛想笑いを浮かべながら俺を外へ引きずりだした。
「あのなキャロル」「たわけ」
宿から出たとたんきつい言葉が返ってきた。
「なんのつもりか知らないけど一体なにやってんの? 彼ら思いっきり不審がっていたわよ」「怪しまれて調べないといいな。アキトのことを権力者なり情報やなりに報告されたらややこしいことになる。とりあえず今日の宿はべつのところにしよう」
イーザーが困った顔をして腕を組み、ウィロウが穏やかになだめる。ミサスにさえもかろうじてだが面倒そうな色が読みとれた。俺はそんなに非難されなくてはいけないことをしたのだろうか。
「いや、これには理由があってな」「言い訳は後でじっくり聞くわよ。じっくりとね。とりあえずこの場から離れなきゃ、泊まるところも見つけよう」
言うが早いか、キャロルは二の腕をつかんだまま歩きだした。
残念なことに次に発見した宿は居心地よさそうではなかった。わきには生ごみがうずたかく積まれているし昼間から店内には酒の臭いとこっそりこっちを観察しているがらの悪そうな男であふれていた。俺は入るのはいやだったがイーザーが先陣をきって飛びこみ、あっさり部屋を2つ借りて2階へあがったのでついていかないわけにはいかなかった。さっそく部屋に引きこもるとキャロルが大きく息をついて「臭いがきつい」とこぼす。
「酒か?」「もちろんそうよ。ついでに厨房の奥で色々腐った臭いもしたわね」
キャロルは酒の臭いが嫌いらしい。台所で腐った臭いがするのだったらここで食事をすべきではないと感じたのもつかの間、こってり俺はしぼられた。
「なるほど、アキトの世界にしかないものを銀髪の男が持っていたと」「たしかに由来を聞きたくなる気持ちも分かるけど、すこし落ちつくべきだったな。俺たち全員に顔覚えられたぞ。あれじゃ改めて落ちついて聞きだすなんて無理だ」
キャロルとイーザーはけして愉快そうではない表情だった。
「正直に事情を話すとアキトに危害がおよぶ恐れがあるのですよね。それでしたら残念ですが、嘘の事情を話すというのはどうですか」「異世界にからまずにそれについて聞ける事情が思いつかない。第一その銃とやらさえもよく知らないのだし」
俺にも拳銃の細かい仕組みは分かっていない。きちんと説明できる銃なんて社会で習った火縄銃くらいだ。俺の説明を聞いたキャロルの理解度はそれはひどいことになっているだろう。
「ではどうしますか?」「あの男たちの団体を通さずに銃をどこから手に入れたのか探ればいいのでしょう。あたしがちょっと行ってくるから先に買い物でもしてきてよ」
言うが早いか、キャロルは立ちあがって服のほこりをはたいた。
「今すぐですか? 少し休んでからでもよいのではないでしょうか」「あたしはエントとは違って人並みの寿命しかないのよ。とろとろやっていたら日が暮れちゃうわ」
疲れを感じさせないはきはきとした口調で言い残し、キャロルは出て行った。現在90年生きて若いと呼ばれるウィロウの種族と比べるほうが間違っていると思うが。
「俺たちは?」「ここでじっとしていてもしょうがない、いつでも出発できるように買い物にでよう」
イーザーが外衣の止め具をはずしながら答えた。
夕方になってもキャロルは戻ってこなかった。ウィロウは心配したがどうしようもない。俺も以前似たようなことがあったのを思いだして不安になった。あの時はキャロルなら大丈夫だと安心していたらとんでもない目にあったっけ。
翌朝も俺はキャロルに会わなかった。一回深夜に帰ってきてまたでて行ったらしい。昼ごろイーザーが火竜神殿になにかの用で行き、ミサスもいつのまにか消えたので俺とウィロウはおなじ部屋でのんびり話していると、不意に扉が叩かれた。
「どなたでしょうか」「開けて、あたしよ。面白いことが分かった」
「キャロル」
急いで俺はドアを開ける。その向こうにはけろりとしたキャロルがいた。
「アキト、あたしよでドアを開けるのは無用心よ」「キャロルの声だったじゃないか」
「他人の声真似ぐらい少し練習すれば誰にもできる。せめて名前と用件ぐらい聞きなさい」
「へーへー」
「それで面白いことが分かったと今言いましたが、具体的になにが分かったのでしょうか」
あくまで冷静なウィロウにキャロルはにっこり笑った。
「裏でこっそり銃が出回っていることが分かった」「出回るって、そんなにたくさんあるのか?」
正直俺は驚いた。でも見方を変えてみればだからこそ俺の目に触れたのかもしれない。
「アキトが思っているようにたくさんではないよ。値段が馬鹿みたいに高いし、まだ試作品の段階だからね。安ければ買ってもよかったのだけど」危ないぞキャロル。もし暴発でもしたらどうする。
「それで一体、どこから出回っているのでしょうか」「それも調べた。ドワーフの工房からだ。名前はガンツ。工房の住所もばっちり」
「ドワーフってなんだ?」
キャロルはがっくりうつむいた。その勢いたるや首を落とさないか心配になるほどだった。
「ドワーフとは大地に関係する妖精の一種です。体格は人間に比べて背が低く筋肉質で鍛冶や細工の技術に秀でています。妖精の中では人間と交流が深く、しばしば街でであいます」まるで教科書を読んでいるかのようなウィロウの完璧な説明だった。そして説明を終えてからおやと首をかしげる。
「アキトはドワーフを知らなかったのですか。有名ですよ」「知らなかった。そういえば白雪姫の取り巻きの小人たちもドワーフっていったっけ? それくらいしか知らないな」
「そんな基本的なことも知らないなんて。アキト、あんたはここに来てどれくらいたつ?」
淡々としているウィロウとのんびりほおをかいている俺と比べて、目がすわったキャロルは怖かった。そんなに致命的なことなのだろうか? 俺にはよく分からなかった。
「まぁまぁキャロル、怒ってはいけません。今知ったのだからいいのではないでしょうか」「突っつけばもっとすごいことがでてきそうであたしは怖い。しょうがないけどさ。ともかくそういう訳だから、アキト行こう」
「俺も?」
「当たり前でしょう。アキトが話を聞きたいのだから」
全くその通りだった。
情報屋を三人ででて少しすると、先頭のキャロルが俺たちをふりかえりもせずに話しかけた。
「ウィロウ、悪いけどアキト連れて2人で工房へ行って」「私はかまいませんが、なぜですか?」
「ふりむかないでね、後をつけられている」
俺は思わず後ろを見かけて「アキト!」としかられた。
「誰が後をつけているんだ? 俺たちなにもしていないのに」「初めに銃を持っていた男の差し金でしょう。あたしたちがなんであんなに大騒ぎをしたのか見極めたいのよ。敵かどうかというのも含めて」
「全然気がつかなかった」
姿なき尾行者に俺は寒気を覚えた。
「あたしもよ。腕がいいわね」「キャロル、どうするつもりですか」
「まく。先に行っていて」
短いが自信に満ちた返事だった。俺の寒気はやわらいだ。なんてキャロルは頼もしいんだ。
角を曲がってキャロルの合図とともに俺とウィロウは小走りで目的地へ急いだ。キャロルはその場に待機、すぐに姿が見えなくなった。
「大丈夫だよな」「キャロルはこのような事態に慣れているようです。一人での対応も難しくなさそうですし任せても問題はないでしょう。むしろ素人のわれわれはキャロルの足手まといになる可能性もあります」
「そりゃそうだけど、でも少し心配だ」
こんなことをキャロルに聞かれたら、どうせ心配する相手が間違っていると言われそうだが。
「信用しましょう、アキト」おっとり言われてしぶしぶ俺はうなずいた。
不慣れな俺と街のことはよく分かっていないウィロウだけだと、口頭で言われただけの所へたどりつくのも一苦労だった。いい年した二人が。それどころか年を合計したら百歳はこえるのに情けないことだ。
やっとたどりついた工房とやらは町工場のような小さい建物だった。レンガで造られた家はそっけなく、見ていて美しいとも住みたいとも思わない。
「ここでいいんだよな」「表札がないので断言はできませんがそうだと思います」
表札があっても俺はここの字は読めないから意味がないのだが。
「じゃあ、さっそく」礼儀作法に従って俺は扉をたたいて「すみませーん」と声をあげて待った。
中からの返事はなかった。
「いないのかな?」「聞こえていないのかもしれません」
「じゃあもう一回」
俺はこぶしをにぎりしめ、ふと気がついた。
「ウィロウ」「はい」
「こげくさくないか?」
俺はけして鼻がいいわけではないが臭う。どこかでなにかが燃えている。ウィロウは首をかしげた。
「言われてみればそのような気がします。しかしどこででしょうか」周りを見ても焚き火の類は見当たらない。ふと俺は恐ろしい想像をしてしまった。
「もしかして、家の中が燃えているんじゃないか?」「なるほど」
いやウィロウ、なるほどと言ってる場合じゃない。今の俺の思いつきが正しいのかただの妄想なのか、確認する方法は1つしかなかった。ノブに手をかけて引いた。
幸いにもというか不思議にというか、鍵はかかってなかった。
「アキト、家主の許しをえないで家宅に入るのは人間の法律では罪に当たるのではないですか?」「日本じゃ不法侵入罪って言う。でも緊急事態だから許されるよ」
思いきって扉を開けたのは正しかった。薄暗く狭い室内は煙で充満していて、たちまち俺はむせて涙こぼれた。
「なんだこれ」「奥でなにかが燃えているのでしょう。煙は目とのどを痛めます。なるべくすわないほうがいいでしょう」
服のそでで口を押さえながらウィロウは奥を見すえた。
「長居は不必要です。早く立ち去ったほうがいいでしょう」「ああ」全く同意見だった。ある一点をのぞけば。「でも奥に人がいたらどうしよう。ガンツって人とか」
「もしガンツ氏がいる場合、救出する必要がありますね」
「行こう、なるべく危なくないように」
俺は身をかがめて口元を覆い奥へ走った。煙と薄暗いので視界が悪かったが廊下のあちこちにどうやってつけているのか黄色の明かりがあってかろうじて前に進めた。
「ウィロウはあっちのほうを。俺は右へ行く」「はい。人が見つからない場合すみやかに合流して脱出しましょう」
打ち合わせをしてから進む。自分の選んだ道を進むにつれて煙がひどくなり、俺ははいつくばって進むはめになった。火も火事も怖い。見知らぬ家で一人煙の中を進むのは引き返したくなるくらい怖い。早く帰りたいと思いながら適当な部屋をのぞきこむ。
俺は運がよかったか、もしくはすごく悪かったらしい。ある部屋をのぞきこんだとたん炎の舌が視界一杯に広がった。元は紙だったであろう白い灰が部屋中に舞いひろがり、こぶし以上の鉄の塊やしきつめられた石の端がちらちら真紅色に輝く。部屋の前に立っているだけでも汗がふきだす炎の中に、背が低いわりにやたらとがっしりしている人物が倒れていた。この人か?
のんびり推測している場合ではない。一酸化炭素中毒でも起こしたのだろうか。動かない身体をつかみ、俺は外に運び出そうとした。身長のわりにやたらと重く、俺が歯をくいしばって引きずっても動かない。
「ウィロウ! 来てくれ、人がいた!」俺は叫んだつもりだったがかすれてせきこんだ。ウィロウに聞こえるどころか声がでたかどうか。一人では移動どころか下手すれば俺まで倒れることになる。
どうしよう。珠のように吹きでる汗をぬぐい俺は周りを見わたした。なにか役に立つものはないか探してみた。
変なものが見つかった。そんなことをしている場合ではないと思いつつ見る。石づくりの棚に大事そうにさまざまな銃が置かれていた。この前見た拳銃以外にも大きな狩猟銃やそれより大きい戦争用かと思うようなバズーカまで。数少ないそれらは石の家には不釣合いで違和感をぬぐいきれなかった。
やっぱりこの人が銃を作って売っていたのか。よく作れたな、ここから技術革新が始まるのかな。
感心していると急に背中の汗がいっせいに引くような寒気をおぼえた。
「わ」振りかえる。もちろん後ろにはだれもいない。
いや、絶対そんなはずはない。今だれかが俺を見ていた。冷酷に敵意をこめて俺を観察していた。ここには俺とウィロウ以外の人はいないはずだと言い聞かせても鳥肌は止まらない。
入り口まで行ってみて様子を見ようとしたが、その前に汗が目に入って今の状況を俺に思いでさせた。そんなことより今は人命救助だ。
「アキト」「ウィロウ! いいところに」
熱烈歓迎する俺をウィロウはきょとんと見返した。助かった。
「一通り見ましたがだれもいなかったので戻ってきました」そんなこと見れば分かるから説明しなくてもいい。とはいえ俺の今までの行動も火事の中にいるとは思えないほど危機感がなかったが。
「この人運ぶの手伝ってくれ、俺じゃ無理だ」熱を感じていないのだろうか、汗ひとつかいていない顔でウィロウはうなずき気絶しているドワーフを米袋でも抱えるように肩にかついだ。
「重いですね。では行きましょう」ウィロウが言っても重そうに見えない。
「アキト、他に人を見ませんでしたか」煙を避けて出口へ走りだす俺にウィロウはついてくる。
「いや別に」「そうですか」
「ウィロウはなにか見たのか?」あの視線を俺は脳裏に思いおこした。
「人影を見ました。しかし気のせいかもしれません。おや」
ウィロウは出口で立ち止まった。扉の取手を動かしてのんびりと俺を見る。
「鍵がかかってます。開きません」「嘘だろ!?」そこで俺は煙にむせた。さんざんせきこんでようやく言いなおす。
「だって、入った時鍵はかかっていなかったのに」
「困りましたね、どうしましょう」
どうしましょうと言われても。とっくの昔に俺は度重なる難問に物事を考えるのをやめている。かといってウィロウはどっしり構えているが落ちつきすぎて名案が思いつくより先に俺たちが蒸し焼きになりそうだ。
せめてこの場にイーザーかキャロルがいてくれたら。ミサスでもいい。
扉が外側から力いっぱい殴られた。「だれか中にいる?」
俺は神々に感謝の祈りをささげた。
「いるいる、キャロル助けてくれ! 中が火事で人見つけて助けたのはいいんだけど、鍵がかかってでれないんだ」「アキト? ならなんで入れたのよ。鍵は内側からかけるものよ、そっちで開ければいいじゃないの」
そういえばそうだ。俺は鍵を開けようとした。普通の設置場所よりも低い俺の太もも辺りにあるかんぬきはどう見ても開いていた。
「鍵がかかってない」「しかし扉は開きません。特に扉を固定したわけでもないように思えます」
「じゃあなんでだ?」
あまりにも訳が分からなかった。
「ちょっと待って。ならなんとかして扉か窓を」キャロルのせっぱつまった声にいえとウィロウは首をふる。ドワーフを床にそっと置いた。
「……はっ」静かな気合とともに身体を半回転させ、扉に肘うちをした。扉が大きくうなりあっけなくこっぱみじんとなり外にふきとぶ。外には扉をこじ開けようとしていたのか、パールや小さい槌を持ったキャロルが目を丸くしていた。新鮮な空気に触れ、ころがるように俺は外に出る。
「……扉を叩きわるなんて、あなたそれでも知恵と森の守護者?」「一番効率的かつ合理的です」
堂々と言うウィロウがおかしかった。こんな状況だというのに。
「ではアキト、はやくこの場から逃げましょう」ウィロウが再びドワーフを抱え、なんてことないかのように出てきた。
「うん、そうね…… でもそのドワーフは置いていこう。目立つしあたしらが放火誘拐しているように見える」「そうですね。下ろしてしかるべき手当てをしましょう」
「手当てはあたしたちがやる必要なさそうよ」
キャロルが指をさした。どたばただれかが来る。「例の尾行者とその仲間たち」キャロルは手早く言った。
「いいのでしょうか?」「いいのよ。逃げよう」
素直なウィロウはキャロルに手を引かれるまま逃げた。
こそこそと、しかし最大限急いで俺たちは宿屋に戻り自室―正確にはキャロルとウィロウの部屋に飛びこんだ。ドアを閉めたとたんにしゃがみこむ。緊張が切れたせいかなかなか立てなかった。
「もう俺火事の家に入りたくない」「入りたがる人はいないよ、アキト」
俺に水袋を投げてからキャロルもベットに腰かけた。
「キャロル、尾行はどうでしたか?」「まいた。腕のいい奴でねずみに化けてやっとまけた。地下道の一族でよかった。そっちは?」
「さぁ」あの人無事かなと思いをはせる。
「アーキートーそれじゃ困るよ。あれは事故、それとも放火? あそこに銃はあった? なにが起きたのか分かっている?」
「あ、そういうことか」キャロルのくれた水はそう冷たくもなかったが、熱に焼かれたのどにありがたかった。
「銃は色々あった、ほとんどは俺が知らない奴だけど。他にも設計図かな、紙がいっぱい燃えていた」
「出火原因ですが相手がドワーフ、しかも新種の武器開発をしようとするほど腕のいい技術士が火事を起こすとは考えにくいです。放火と思うべきでしょう」
「あたしもそう思う。でもだれが?」
「根拠として考えるにはあまりにも不十分ですが、現場に人の気配を感知しました」
キャロルとウィロウが怖い可能性を口にしているのを横に、俺はベッドにもたれかかってぼんやりした。固いが冷たい床が気持ちよく、ほてった体がひきよせられる。
自然に俺はうたたねをしていた。
「……お?」
起きると日本の俺の部屋だった。外は夏の日差しでまぶしい。まだ朝だがせみの鳴き声は今日も力いっぱい熱い一日になることを約束していた。
「変なところで俺戻ってきたな」火にあおられる等いろいろあってもう日本では着ることができない服を脱ぎ、その辺に投げだしてあったTシャツとズボンを身につける。まだ朝早いらしく両親が寝ている家をしのび足で歩き、最近とみにお世話になっている救急箱を取って戻った。オロナインを身体のあちこち赤くなっているところにぬる。
「声、いるか?」返事はない。銃のことで質問したいことがたくさんあるのにこういうときにいない。俺は口を閉じてオロナインのふたをした。
「記念すべき高校最初の夏休みが火傷ではじまるなんて不吉だな」でも不吉でもなんでも夏休みだ。のんびりしようとまだ5時半だった。休日の朝としては早すぎる。まず基本として昼まで寝て、それからどうしよう。市民プールに行くもよし、図書館で涼みながら漫画を読みふけるもよし。幸せな気持ちで寝ころがり、俺はやっと思いだした。
「10時から学校で文化祭の打ち合わせだった」幸福はけしとんだ。とほほと俺はめざまし時計を9時に合わせる。とにかく二度寝の時間だけはかろうじてあった。
予想通り打ち合わせはつまらなかった。備品は予算はほとんど去年をなぞっていて、その再確認で終わった。はりきっている荷沢さんはともかくとして大半の意見は俺と同じらしく、半分ぐらい無断欠席していた。俺もそうしたかった。
打ち合わせは5時に終わったが俺には続きがあった。役員なので今後の予定を話しあい実行委員企画についてをやって教室にいのこり、終わったのは7時だった。いくら夏でももう夕暮れ。なんで俺は夏休みなのにいつもより長く学校にいるのだろうかと自問した。
「鍵を職員室に返してくる」戸じまりをして響さんが鍵を手に階段を降りた。職員室とは棟が離れているので少し時間がかかるだろう。
「響が戻ったら皆で一緒に帰ろう」「はい、荷沢先輩」
女の子同士の和やかな会話になんとなく入れず、俺はひとりさびしくはなれて窓から外を見ていた。休みである上にこの時間、さすがに人影はなく中庭は静かだった。
ん?
「どうしたの大谷くん」「あんな人、学校にいましたっけ?」
手で自分をあおぎながら荷沢さんも外を見た。下に見たことがない男の人が校舎から出てきた。よれよれの普段着でどう見ても高校生ではない。
「なにあの人」「不審者じゃないですか?」
なんとなく俺たちは気まずげに視線を交わした。
学校での盗難事件なんてよくあることだし痴漢が出るのも珍しくもなんともない。見知らぬ中年男が不審者、あるいは犯罪者でも全然おかしくない。
「どうします?」「先生に言う?」
「でもそれで違ったら恥ずかしいよ」
「違わなかったらこの場で逃がしちゃうのはまずくありませんか?」
「まずいね」
難しい問題だった。
「俺、ちょっと声かけてきます」もし遊びにきたOBや父兄の人であろうと泥棒であろうと、まずはだれなのか確認しないといけない。そしてこういう危険な役は男である俺がやるべきだろう。いくら男女平等をみっちりしこまれた俺でも女の子にそんなことさせて平然としていられない。ある意味不公平でも男だから怖くないわけなくても、それでも行かないといけない。まして荷沢さんや桜木さんはキャロルとは違ってただの高校生、俺より弱い。
「危ないよ」「でも、このままもね。響がここにいればいいのに。無駄に剣術やっているんだから」
響さんが怒りそうなこと言ってるな。少なくともイーザーなら絶対怒るぞ。俺は荷物をおいて一段飛ばしで階段を降り中庭に着地した。水が吹かない噴水や藤棚の中庭はボールやTぼうきがその辺に放っておかれて小汚い。そしてこそこそした男がいた。
「あの」声をかけると飛びあがるように痙攣して俺を見る。ずいぶん長く風呂に入っていなさそうで、正直俺は話しかけたくなかった。臭う。
「すみませんが、どちらの方でしょうか」もっと気のきいたこと、せめてこの状況にふさわしいことが言えないのかと俺は自分が情けなくなった。
「だれにも言うな……」男の声は小さくて聞きとりにくかった。ミサスを見習ってほしい、ほとんど話さないし小声だし時に省略しすぎるが、普通の人が話すより聞きとりやすい。
「殺すぞ」震える手で男は尻ポケットからおりたたみナイフを取りだした。
全身の毛が逆立った気がした。急に中庭の風景が遠くなって男しか見えなくなる。俺はここが日本だというのを忘れて周りを見た。
ナイフだ、切られる、痛い目にあわされる。いやだったら立ちむかわないと!
Tぼうきが転がっている。飛びついて拾った。ほうきはスタッフよりも軽くて短く頼りない。男から距離をとろうと足を後ろに下げてほうきを構える。
どうしよう、それからどうすればいいんだ? イーザーたちはこういう時どうすればいいと言っていた?
「でやぁ!」上段からの一撃はやすやす命中し、男はナイフを落とした。うめいて俺に背を向けて逃げだそうとする。
(逃がすか!)キャロルの声が聞こえた気がした。そうだ、まだ誰か残っているかもしれないのに、こんな危ない人物を放置できない。
俺はほうきを相手のふくらはぎに力をこめて叩きつけた。ひっくり返るのを放っておいてナイフを踏む。キャロルがいつもやっていることだった。
「動くな!」相手はなにやらうめいたが聞こえない。でも抵抗するそぶりは見せなかったのでよしとしておく。自分がひどく熱っぽい。
「大谷くん」おびえた声がして俺は振りかえった。桜木さんが信じられないように俺を見る。俺はやっと我にかえって自分がしでかしたことを見た。
俺は今なにをした!?
この男は変質者でナイフを持っていたけれども、きっと本気で刺すつもりはなかった。ここは日本だから。
もしここがカーリキリトだったら。日本ほど治安のよくないあっちでは俺の行動は正しい。街中で刃物を振りまわすのは犯罪で、ぼこぼこにされてもしょうがない。俺はとがめられないだろう。
でもここは日本だ。ここでは刃物を見たからといって殴りかかってはいけない。
それなのに。俺はなんでこんなことをしたんだ。どうしてこんな恐ろしいことを。めまいがしてきて俺は棒立ちになった。桜木さんの視線は不安そうだった。ここでの俺は異端だ。桜木さんの目は世間を代表している。
荷沢さんと一緒に体育の渡辺先生が走ってくる。俺はそれを悪い夢であるかのように見ていた。
男はやっぱり泥棒だった。警察が調べたところ盗んだ部費が出てきたらしい。他のところでもやっていないか厳重に調べられるそうだ。
俺も一緒に警察に連れていかれた。暴行罪かとおびえたが「お手柄だったが危ないからもうするな」と注意されただけだった。やっぱり相手が犯罪者だと態度が違う。
学校を出ようとした時間が時間だから俺の帰宅時間は遅れた。珍しく両親が先に帰っていたほどだった。もちろん俺は両親にもがっちり怒られたが、いまさら俺にはどうこうということはなかった。
説教が終わった後、俺は風呂もご飯もそこそこに部屋に引っこんだ。そのまま布団に寝ころがる。
(ふさぎこんでいるのか。珍しいな)「あ、声」
(間延びしている。ぼんやりしたいなら放っておくが、話したいのならしっかり話せ)
「いや。俺いつの間にこんなに暴力的になったんだろうって」
前の俺はこんなことはできなかった。逃げだすことさえせずになにが起きたのか理解しないままぼんやりしていただろう。冷静に反撃するなんて絶対にしない。
それなのにさっきはどうだ、学校にいることも桜木さんたちがいることもすっかり忘れてどうするべきか冷静に考えて行動したぞ。まるで生粋のカーリキリト人だ。暴力を振るうのにためらいがない、相手がナイフを持っているから殴っても平気なんてそんなことあるか。
「まるでイーザーやキャロルだ。俺じゃないみたいだ。おい声、一体これから俺はどうなるんだ? そのうちこっちでも平気で人を殴るような奴になるのか? それとも今までと同じか?」
(お前は秋人だ。本質は変わらない)「だって、今の見ただろ!」
(もう行け)
俺は強いめまいを感じて目を閉じた。視界が闇に染まる。
身体をゆさぶられる感触に俺はゆっくり目を開けた。
「アキト?」ウィロウの深緑の瞳が心配そうに俺を見ていた。
「ここはカーリキリトなのか?」「そうよ」
寝ぼけているのとばかりにキャロルは首をかしげた。俺は頭をふって気分をはっきりさせようとする。
「アキト、具合が悪いのですか?」「いや、そんなことはない」
「きっと煙の悪影響ですね。部屋に戻ってゆっくり休んだらどうでしょうか」
「そうよ。ここで寝られると困る」
俺がぼんやりしているのは火事のせいじゃないが、日本でこんなことがあってとは言えない。おとなしく勘違いのままにしておいた。
「そうだな。部屋に戻って寝る」夢遊病患者のように俺は立ちあがって部屋のドアを開けた。
廊下はひどく静かだった。暗くて人影どころか物音ひとつしない、俺は一歩踏みだした。
「ちょっと待った」ぐえっ。キャロルがいきなりえりをつかんで引きずり、俺を部屋へ戻した。返す動作でドアを閉める。無駄のない鮮やかな手口だった。
「なにするんだよキャロル」やっと目がさめた俺はのどをおさえながら文句を言う。
「静かすぎる」「え?」
「人気がないのはいいとして物音1つしないのは異常よ。外の物音さえも聞こえないなんて変だ」
言われてみればそうだが。
「でも聞こえないものはしょうがないよ、偶然人が少ないんじゃないか?」「異常なできごとを警告と取るか偶然と取るかで寿命がかわる。そこにいて、ようすを見てくる」
キャロルは剣をつかみ、ドアからそっと周囲を見てから外へ歩いた。
「そこまでしなくてもいいと思うけどな」「慎重なのはいいことですが度がすぎるのはよくありません。しかしここは専門家のキャロルにまかせたほうが賢明でしょう」
「そうか? そうか」
やっぱり俺はどこまで行ってもキャロルのようにはなれそうにない。
「何者?」張りつめた声が部屋までとどいてきた。俺とウィロウは顔を見合わせ、互いに棍棒とスタッフを手にして外へ出る。
「どうしましたか」俺は思わずうめいた。薄暗い廊下でキャロルは剣を抜いて2人と対峙していた。1人は俺より背の高い赤毛の女の人で斧をむきだしで持っている。鋭い茶色の瞳といい所々を鉄板で補強した革鎧といい、こんな人が廊下にいたらキャロルでなくても剣を抜いてしまう。
俺がうめいた原因は奥の人物だった。金色の糸の縁取りがある白い法衣を着た男は肌も髪も白く、目が青いだけだった。黄色人種の日本人の常識からすると気味が悪く、なんとなく蛇や爬虫類を連想させる。
ウィロウが気味悪がっている俺の肩に手を置き、たいして驚いてもいなさそうに首をかしげた。
「男性のほうは法衣とリングから察するに魔道士ですね。全身から色が抜け落ちたような白い人間はメルストアの民でしょう。手前の女性はその護衛ではないでしょうか」「メルストアの民?」
聞きおぼえがある気がする。それもすごくよくないほうでの聞きおぼえが。
「メルストアの民って、確か俺みたいなほかの世界の人間を殺すって言う、あの?」「それは間違ってはいませんが正しくもありません。古代に魔法とその言葉を神々よりさずかった人々の一族です。体色が人間にしては極めて少なく、か弱い民ですが古代より守りつたえる魔法はすばらしいものばかりです。自分たちで世界を守らなくてはいけないという使命感を持っており、異世界に由来する現象には厳しい対応をします」
「どっちにしろ俺が危ないことには変わりないじゃないか」
「そういえばそうですね」
「そういえばじゃない」
のんびり説明するよりそっちの結論にたどりついてくれ。
「あなたたち、冗談言うだけなら帰ってよ」キャロルの声は北極の風もかくやというくらい冷たかった。確かに真剣に向き合っている後ろでのんきに喋られたら怒るだろうな。俺は深く反省し、怖いのでキャロルの顔は見ないようにした。
「で、そのメルストアの人間がなんの用? ただの通りすがりならそこをどいてよ」「そこの男に用がある」
赤毛の女のほうが感情のない声を出す。
「その男は形こそ人と同じものなれど内は異物。地下道の娘、奴をわたしてもらおう」「やなこった」
言いきるキャロルは勇ましい。なんて考えている場合ではない、まだとまどっているウィロウの後ろで俺はキャロルと赤毛のにらみ合いを恐々見ていた。
「ならば力づくでも奪いとるまで」「やってみたら? 高くつくわよ」
「助けは来ぬぞ。2階全体に人払いをかけた」
俺はこっそり聞いた。「ウィロウ、人払いってなんだ?」
「定めた空間を関係者以外が入らないようにするための魔法です。人は魔法をかけた場所に立ち寄るのを自覚なく避けようとします。一回魔法が認識されると人払いの効力は消えます」
「だが認識はできぬ。少なくとも並のものはな」
女がウィロウの言葉を横からとった。
「そしてもはや逃げることも切りぬけることもできない。われらは魔道士と護衛士、剣であろうと魔道であろうと対することはできぬ」「護衛士ですか」
ウィロウは珍しいものを見たようだった。
「メルストアの人間は通常体色が先天的に欠けていますが、時々正常な体色を持って生まれるものもいます。それらは魔道士ではなく戦士としての訓練を受けます。そして特定の人物に剣をささげ、終始側を離れず守りとおす誓いを立てます。それが護衛士です」「専門の護衛か」
生まれた時から訓練しているなんて、女の自信の裏づけがとれた。
「ウィロウ、無駄ばかりのその口を閉じてくれるとあたしすごく嬉しいんだけど」キャロル怖いぞ、ウィロウに聞いた俺も悪かったんだから許して機嫌をなおしてくれ。ウィロウは俺の前に立ちふさがって手をひろげた。
「アキトは確かにこの世の人間ではありません。しかし平穏で無害な人柄であり、この世にいかなる害もおよぼしていません。干渉は不要です、まして排斥は無意味であります」「そうとは思えんな」
白い男がはじめて口を開いた。明らかに俺たちを見下している。キャロルやウィロウまで一緒に見下しているのが不愉快だった。
「調べたぞ。無害ならばなぜ有力者と結びついている? なぜその男の行く先々で事件が起こる?」有力者? アットのことだと気がつくまでに時間がかかった。
「その男は世界の災いだ。この世を裏から正しく導くのがわれらメルストアの民の使命」「勝手なことを言うなよ! アットのことはなりゆきだし、俺が事件起こしているわけじゃない!」
「ガンツの工房燃やしたのもあんたたちね」
やぶから棒にキャロルは聞いた。
「そうだ。現在の文化に急激につりあわない技術を広げられては世界に反する。偶然知らずに入手しただけだったから命まではとらなかったが、ついでに異界のものを見つけるとはな。かのものに技術を伝えたのはお前か」「違う、俺はそんなことしていない。命をとらないって火事の中放っておけば普通は死ぬだろっ」
なに考えているんだ。
「黙せ、化け物」白い男は一言つぶやく。男の前の空気がゆがんだかと思うと、ゆがみの中心が俺たちへむかってきた。キャロルウィロウは初めから分かっていたかのように左右へよける。俺は分かっていなかったがウィロウに腕を引っぱられて一緒に逃げた。当たった壁が音を立ててへこみ、ドアが内側へはじけ飛ぶ。全力で体当たりしてもこうはならない。
キャロルは刃をひらめかせて男へ向かった。まるで縮めていたばねが解放されたようなすばやさだった。
「エレニ!」「きやれ」
斧の女が立ちふさがった。はげしい金属音と火花が飛ぶ。力負けしたのはキャロルだった。2歩分退く。エレニと呼ばれた女は2歩寄る。再び武器が交差した。今度はキャロルはまともに受けず流そうとするも、相手も分かっているのか斧は空回りをしなかった。打ち合いが始まる。
後ろの男と俺はどうしていたのか。どっちも黙って見ていた。断っておくが俺だってなにか助けたいと思っている。でも目の前の白刃のきらめきは俺からは早すぎてとてもわりこめそうにはない。男はエレニを信用しているのか俺たちを馬鹿にしているのか、やっぱりなにもしなかった。
俺をかばった姿勢のままウィロウはメルストアたちへの目を細めた。にらむというより近眼の人がものをよく見るために細めた感じだった。
男の周辺に緑色の粉のようなものが木の壁から浮かんで舞う。男は鼻で笑い、一言で炎を呼びだし緑を焼きつくした。灰にもならずに消滅する。
「この程度か、エント」「街中、特に人工建築物内では厳しいですね」
しかしと、俺のスタッフよりはるかに太い棍棒を見る。
「私の武器ではキャロルに加勢はおろか、ここでは満足にふるうこともできません。アキト、私は困りました」「俺だって困っているよっ。イーザーもミサスもこんな時にどこほっつき歩いているんだ!」
「さあ。分かりません」
廊下に響く金属音とともにキャロルが鋭い声をあげた。体勢をくずし、転びそうになる。エレニは容赦なく斧を振り下ろした。
「キャロル!」キャロルは自ら転んだ。両手で持っていた剣を手放し右手が魔法のようにすばやく動く。エレニの顔がゆがみ、斧は目標をはずして床をたたきわる。引きぬき構えなおすころにはすでにキャロルは立ちあがり予備の小刀をブーツから取りだし構えていた。いまさらのように銅貨が澄んだ音を立ててころがりとまる。
「キャロル」「大丈夫かっ?」
「なんとかね」
「エレニ、なにをてこずっている。ねずみ程度さっさとつぶしてしまえ」
「そううまくはいかぬ。地下道の娘は剣の技こそ凡百だがいくつも隠し技を持っている。さらにまだ樹の子も異界のものもなにもしていない」
「いいわけはいい、なら魔法で一気にしとめる!」
男が、あくまでエレニの後ろでつぶやいた。俺たちの彼らの間に握りこぶし程度の火の玉がいくつも浮きあがり、俺たちめがけて飛んでくる。
「ぎゃああ!」半分腰を抜かしながら俺は逃げた。火の玉は壁に大きな焦げ目を作ってきえる。1つ俺めがけて飛んできたものがあったが、俺に命中するより前にキャロルが投げた銅貨に当たってはじけ飛ぶ。熱風に息がつまった。
「イウリオス、派手に動くな」エレニの忠告が聞こえなかったのか、さらにイウリオスは手を前にかかげた。手から光り輝く稲妻が出現して、やっぱり俺へ一直線に飛んできた。
「なんで俺ばっかり!」逃げられない。俺は反射的に目を閉じた。どうか痛くありませんように。
「やはり狙いがアキトだからではないでしょうか」想像に反して身体はまったく痛くなかった。目を開けるとウィロウが俺の前に立ちはだかっていた。交差している両腕は黒くすすけてこげている。
「ウィロウ!」「私は痛みや傷には人間より強いです。安心してください」
いつも通りの口調だった。イウリオスはそんなウィロウを見て舌打ちする。
「エレニ、派手に動かないとしとめられない。行くぞ」反論か同意か、エレニがなにか言おうとした時イウリオスの目が見開いた。
「ぐあっ!」なんだなんだと思う間もなった。はるか遠くで巨大なガラスの塊を粉々にくだいたような派手な音がする。俺は周りを見る、もちろんなにごともない。
「なんだ?」「イウリオス! やぶれたぞ!」
主語が抜けているのでどうして慌てているのか分からない。でも俺以外には分かったらしい。「ミサスです」とウィロウが静かに場を制した。
「やった、どう気づいたのか知らないけど、ミサスが人払いを解除した!」キャロルの顔が喜びに輝いた。
「ミサスが?」「他にできる人はいないわよ。そこの2人、さっさとしっぽ巻いて帰ったら? 史上最強の魔道士がもうすぐ来るわよ?」
「獣人めが!」
キャロルの挑発にイウリオスは簡単に乗った。激昂する魔道士の腕をつかんでエレニがうなずく。
「退くぞ」「臆したか!」
「否。人払いの結界はもう効果がない。もうすぐ黒翼族がくるだろう、もう1人剣士も相手方には存在している。全員にこられたらイウリオス、私はあなたを守りきれない」
イウリオスは憎くて憎くてたまらないとばかりに俺たちをにらみつけた。
「本来われわれの使命は異界の道具の消去だ。もう果たした。ここで負ける戦いはできない。退くぞ」「くっ、おぼえておけ化け物。ふたたびあい見るとき、俺の手できさまを灰にしてくれる」
イウリオスは逃げるというのにやけに堂々としていた。エレニは斧の構えをくずすことなく、けして俺たちに背を向けない。逃げる背中に切りつけたがっているキャロルを牽制しているのだろう。
緊張とは無関係の軽い足音が階段を登ってきた。
「イウリオス!」「分かっている」
どこまで分かっていたのか。イウリオスは指先に雷撃をあつめて俺たちと反対側に投げた。階段を登ってくる人を攻撃したのではなく、目標はあくまでも壁。
さえぎる人がいなかったので当然命中した。今までと威力が段違いの雷は壁をつらぬく。
「げっ」魔法は壁に大穴をあけた。あんなのを相手にしていたのかと震えがくる。穴の向こうにイウリオスはためらいなく身を投げ、エレニもすばやく飛んだ。キャロルがエレニの背中に小刀を投げるも当たらずころがる。
「ちっ」「おい、どうした?」
登ってきたのは顔色を変えたイーザーと、普段とまったく変わらないミサスだった。イーザーは大穴を見て絶句する。他にも床にも穴、壁にはこげ跡。すさまじい跡が残っていた。どうするんだろこれ。
「ウィロウ、怪我してるじゃないかっ、なにがあったんだ!?」「私は大丈夫です、イーザー」
「メルストアの民にばれた」
キャロルの説明は単純だった。剣を拾ってミサスにつめよる。
「ミサス、ミサスはあいつらが逃げること分かっていたんでしょう。どうして逃げるままにしておいたのよ!」「逃げるならもう危険じゃないだろ」
面倒そうに答え、キャロルは脱力した。因果はこうして回るんだと俺は感心する。俺もミサスの変な考えで逃がしてもらった口だった。
「ばれたってアキトのことが? 本当か?」「嘘は言わないわよ、イーザー。どうしてここにこれたの?」
「ミサスが」
イーザーは黒翼族をちらりと見た。ミサスが完全に無視しているのを見て自分で説明するしかないと判断したのだろう、続ける。
「俺が帰ってもどうしても上に上がる気になれず下で時間をつぶしていたら、ミサスがくるなり「魔法除去」を使って結界を壊したんだ。結界がきえてミサスが行って、俺も残っているみんなが気になって走った。戦いがあったのか?」「もちろん。ここの銃を始末するついでにアキトをナンパしにきたのよ。丁重にお断りしたけど」
「丁重?」
もちろん宿のありさまから、どれだけ丁寧だったのかイーザーはすぐ分かったはずだ。
「助かった。ミサスありがとう」「お礼は後! 逃げるわよ」
キャロルが断言した。
「え、どうして」「アキト、またあいつらにこられたら厄介だし、この宿の弁償はだれがするはめになると思う?」
そのことをすっかり忘れていた。壊したのは俺たちじゃないけど犯人は逃げた。恐る恐るのぞきにくる客を無視してキャロルは宿の主が来ないうちにと荷物を取りに走った。