三つ首白鳥亭

−再生する世界−

―ホイール・オブーフォーチュン―  そして運命の輪は回り続ける

富山シェルターは静かだった。

少なくとも避難民があふれかえっていないし軍人が無感情なおもむきで公道を独占してもいない。人々はいい機会だと日ごろの恨みを暴力で表現しようともせず、武器や食料を買占めさえせず荒々しい新聞の文字を見ながら不安そうにささやきあっているだけだった。

「結構なことです」
「フォーチュンさ」全がなだめようと声をかけるも尻すぼみになって消える。2人をこそこそ見ている通行人をフォーチュンは一睨みで黙らせる。女のような優男でもすさめばかなりの迫力になるのであった。

2人はすさんでいた。服は相次ぐ混乱ですり切れ、古めかしいケープはべっとり石油で汚れ全の白いシャツは黒に変色していた。髪は一週間くしを通していないかのように絡まり、風呂も同期間ほど縁遠かったようで全身から甘酸っぱい香りがした。ちょっとした難民である。

実際バーミンガムシェルターを難民として逃げてきたのだ。地下トンネルを時々思い出したようにはさまれる休憩時間以外不眠不休の飲まず食わずで歩き通しだったのである。息も絶え絶えでライヒプチに着き、そこから全力稼動のリニアモーターカーで帰った。戦場から最も遠い富山シェルターは難民にとって羨望の地であったがシェルターに受け入れ態勢が整っていず不通状態だった。そんな中もともと富山シェルターの住民である2人は悠々と帰ることができたのである。ともにほおはこけ目は微妙に宙をさまよい見る影もなく汚く無残だったが、とにかく五体満足で帰宅することはできた。バーミンガムでの体験からすると行幸ものだがフォーチュンは不機嫌であるし全も心残りがある。

「これからどこへ行く?」

深い意味に考えようとするならどこまでも深く考えられる言葉だが、とりあえず全は表面上の意味しか込めなかった。

「全はどこに住んでいるんです?」
「第十階層の端」
「遠いですね。私の店はすぐそこですよ」

全は言外の意味に甘えることにした。

フォーチュンの店はさらわれた時そのままだった。戸締りもせずにつれてこられたのだが幸いにも盗み狼藉はされていない。店の扉を閉めると全は力がぬけて座り込んだ。

「全さん、ラーメンとうどんどっちがいいですか?」
「ご飯の事?」
「そうです。世界に名だたるインスタントです」

ともに独身男性の友である。「うどんがいい」フォーチュンは湯を沸かしに奥へ行った。カップを2つ手に戻る。内容はただの水道水だが疲れた果てた全には極上の飲み物だった。

「風呂も沸かしましょうか。お互いいい臭いがします」

返事を待たずにフォーチュンは再び奥へと引っこんだ。やかんが徐々に高く鳴き出したので全も勝手に台所へ入る。本来ならフォーチュン1人で暮らしている台所は狭かったが2人入れないほどではなかった。

5分後、待ち望んだ食事を2人は黙々とすすった。湯気でおたがいの顔も見えない。うどんは関東風の濃いだし汁で油揚げはやけどしそうな熱を持っている。おいしかった。後少ししたら風呂にも入れるだろう、着替えも貸してほしいと全は都合よく考える。

「新聞」
「はい?」
「フォーチュン新聞とっている? 食べ終わったら読みたいんだ」
「とっていますけど、それよりラジオにしませんか?」
「新聞の方が知りたい事を早く知れる」

フォーチュンの家テレビないの? あれは情緒がないので嫌いです。短い会話の後全は一滴残らず汁をすすった。

「あ〜、おいしかった。こんなおいしいうどん初めてだ」
「冬華さんならこんな時でも美食にこだわるのでしょうね」

空のどんぶり2つを台所の隅に置き、返す手で不在時に折り重なった質の悪い紙の束を取ってきた。全はとうとう来たかと目をつぶる。難民生活中フォーチュンは1回たりとも冬華の名前を口にしなかった。今話すというのはそういう事なのだろう。全も覚悟を決めた。

「冬華さん、爆発に巻き込まれて死んじゃったのかな」

あえて全はずばり口にした。

「さて、どうなのでしょうか。確かに冬華さんは畳の上で死ぬ種類の人ではありませんが」
「でも敵と相打ちってのもなさそうなんだよね」

その辺タロットで占えないの? 全は何気なく聞いた。

「冬華さんにカードを一枚手渡してしまったのですよね。カードが足りないと占えません。雰囲気に飲まれてうっかりしました」
「あれってうっかりだったの!?」
「誰にでも間違いはあります」

全が叫んだのはその事ではなかったのだが、フォーチュンは苦しい言い訳をした。

「これからの世界情勢はどうなると思う?」
「混乱。混乱の時代になりますよ。オースターンがどうなったのかは分かりませんが宣誓はまだ生きています。部下のバイオウェポンは忠実に従い戦い続けるでしょうね。シェルター間でももめるでしょう。バーミンガムの難民をどう割り振るのか、シェルターの復興は。人でも資材も足りませんが、シェルターを直さないとただでさえ飽和状態の人口がパンクします。一方バーミンガムを襲ったのはどこか、あの武装と手際のよさ、絶対にどこかのシェルターが一枚かんでいます。犯人探しが始まりますよ、下手をすればシェルター間での戦争です。企業は大もうけできるので戦いをあおり、積極的に裏で戦争へと工作するでしょう。傭兵組合だって黙っていません。かりそめのまどろみはさめました」

フォーチュンは預言者のようだった。全はだらしなくほおずえをつく。

「いやな時代になる」
「いやな時代になります」
「フォーチュン。これからどうする?」

そうですね。フォーチュンは一息ついた。

「風呂に入ってもう少し食事して寝ます」
「それからは」
「さて、どうしましょうかね。タロットがないのでは仕事になりません。未定ですね。全さんは?」
「どうなるかな。バイト無断で長いことさぼったからもう首だよ。新しい仕事探さないと。このまま何事もなかったことにして日常に戻る」
「無理ですよ、全さん」

フォーチュンは断言した。「知ってしまった事を知らないふりは出来ても忘れる事はできません。覆水は盆に戻らないのです。立ち向かうも逃げるも全さんの自由です。しかし逃げるのだとしたら慎重に隠しておっかなびっくりの日々を送らざるをえないでしょう。それでも巻き込まれるときは巻き込まれますよ。今回のように」

「なんでこうなったの? どうしてこんな目に?」
「10番、運命の輪」

フォーチュンはなめらかな手つきで机の上にカードを差し出した。四隅にそれぞれ獣がおり中央に回る輪が描かれている。

「意味するは運命。人知の及ばないもの、人にはどうしようもない事、大いなる偶然。それこそが運命。運命は恐ろしいほどに平等です。不幸も幸運も全て同じ。誰も運命から逃げられません」
「フォーチュンは、これが運命だったというの!? 冬華さんが死んだのも命からがら逃げだしたのも!」

全は立ち上がった。フォーチュンはそんなアルバイターの鼻先にカードを突きつける。

「全、不幸を嘆いていますね。でも運命は、世界はそこまで人に冷たくありませんよ。向かい合い勇気を出して、用心深く考えて抜け目なく行動しなさい。運命がきまぐれに落とす幸運にありつけますよ」
「……フォーチュンは、占い師なんだね」
「何を今更」

フォーチュンはやっと微笑んだ。

「初めから占い師ですよ。フォーチュン・テラー。幸運を告げるもの。タロットを読み人を導き指し示す存在です。知らなかったのですか?」
「忘れてた」

全は疲れたように座り込んだ。

「……とにかく、これからだけど」
「入浴ですね。お互い臭います」

フォーチュンは立ち上がった。「全はゆっくりしていてください」と言い残し奥へ行く。

出る寸前に沈黙を切りさきけたたましく電話が鳴った。フォーチュンの店の固定電話だった。バイトの習性で全が2コール以内に出る。
「はいこちらフォーチュンの店…… え?」

黒髪がたなびいた。電話につかみかかって全の手からひったくる。「フォーチュン!」驚く全を無視して受話器を口元に寄せた。

「返してください」

フォーチュンは呼吸を整え、次はもう少しましに告げた。

「カードを返してください」

おいおい、初めに言う事がそれ? 呆れたような返事が全にも聞こえた。