三つ首白鳥亭

−再生する世界−

恋人たちが出会いし時、審判の雷降りそそぐ 後編

冬華はフォーチュンが投げた紙切れを拾い上げた。古ぼけた紙に幻想的な絵が描かれている。フォーチュンがたいている香と同じ香りがした。

冬華にはただの紙切れだがどれだけ大切にしているものを受け取ったのかは理解できた。

「悪いね、フォーチュン」

シェルターに絶え間なく振動が聞こえる。フォーチュンが扉をこじ開けようとあがいているのだろう。無駄だ、防災用シャッターの対象には暴動も含まれている。一般市民が入手できる武器ではびくともしないように設計されているのだ。扉は今の所とても良い仕事をしていた。

初めからそのつもりだった。全もフォーチュンも戦いとは無縁である。巻き込んだのは冬華だ。だから切りのいいところでだまくらかして追い返すつもりだった。非戦闘民をこんな所で放置するのは危険だが、ここから先へ一緒に行くのと比べたら天国のように安全である。あの2人なら舌先三寸とはったりで何とかするだろう。

冬華は自らの行く先を考える。自分は無傷、手も足も頭も問題なし、右手には武器、背中にも武器、体調は上々。下り階段の先は闇でその果てには敵が待ち構えている。

「上等」

冬華は恐れなかった。身を翻し柔らかい髪をなびかせ走った。

高い天井に足音が響く。常なら何百人も通るエスカレーターに今いるのは冬華1人だけ。否、この階層に冬華だけだった。こうしてただ孤独に走っていると全もフォーチュンも幻で世界には冬華しかいないような気さえしてくる。

1人を自ら選んだ冬華の耳にかすれがちな雑音が入る。機械を止めAGを狂わすノイズではなく、正真正銘意味のない音の集合、それは原始の時代の掛け声でありタクラマカンの恋の歌でありウィーンの格調高いオーケストラでありロシアの流行歌だった。

動力階層へ行く道はいつもなら厳重に鍵がかけられ軍人が守っている。今では無人で肝心の扉はだらしなく開いている。露骨さに冬華は嫌悪感を抱いた。

「こうでもしないと怖がって帰ると思っているの?」

明かりはもうない。正真正銘シェルターの底で冬華はライトをつけ道を照らす。懐中電灯は小型のわりにずっしり重く、これで人を殴れば怪我をするだろうし直視したら目が潰れる。

すぐに不用品となった。1歩また1歩慎重に進む冬華の前で闇が反転し光りあふれた。

「!」

身についた反射神経で上げた銃をおろす。闇に慣れた目では眩しいが普通の状態であれば隣人の顔も分からないほどまだ暗い。光量を極端に抑えた中で立体映像の人間が踊っていた。架空の人々は顔がなく性別がなく服もあいまいでぼんやりしている。群集は彼らにしか聞こえない曲の元で身をよじらせていた。


Show me love, show me love, show me love,show me love……

冬華は進んだ。幻に騙されて罠にはめられたり待ち伏せられてはたまらない。オースターンはそんなことはしなさそうだが周りまでどう動くかは分からない。部下には強烈なカリスマで絶対服従させていそうだが、利用している人間はどうだか。

人工的な光と音で感覚がおかしくなる。上下左右が消えうせ現実なのか夢なのか区別ができなくなる。超現実の空間に冬華は地底へ落ちていくような目眩を感じた。ひょっとしたらこれは人間を狂わせるノイズなのかもしれない。冬華はもう狂気の淵を越えたのだろうか?


Show me love, show me love, show me love,show me love……

冬華さん。

肩に軽く手がかかった。

とっさに冬華は銃口を向ける、しかし冬華には相手が誰だか分かっていた。条件反射の銃を動かさず問いつめる。回答によっては撃つつもりだ、もちろん威嚇射撃だが。

「フォーチュン、どこからここにっ」

誰もいない。

誰もいなかった。退廃的な幻が踊っているだけだ。銃が腕の重みで自然に下がった。

フォーチュンはいない。今確かに手が置かれたと思ったのに、女顔負けの端正な笑みはそこにはいない。冬華は舌打ちをして柔らかい髪をかきむしった。

「とうとういかれたか」

自分をさらに罵倒しようと大きく息を吸い込んだが、ふと思い返して汚い言葉の代わりにポケットを探る。

7番、戦車

目の前に敵がいようと障害があろうと、すべて叩き潰してがむしゃらに走るチャリオットが命なき空間に広がる。意味は勝利、光り輝く未来のためにどこまでも走るたくましさ。

冬華さん、負けないで下さい。

私は見ています。この場にいなくても最後まで見届けます。ですからどうか自分の信じる道を。困難も障害もうちくだきオースターンの元へ。走ってください。

冬華は確かに聞いた。

「変な真似を」

冬華は薄く笑った。いまさらそんな事、フォーチュンに言われなくてもそうする。しかし目はさめた。この先ははっきり見える。オースターンへ続く唯一の道、もうどんな音も映像も冬華は惑わされない。


show me love, 'Till I'm screaming for more……

カードの言葉に忠実に冬華は走った。

フォーチュンは悲しいまでに顔をしかめている。頭の中で冬華の後を追う方法をいくつも考えては不採用印を押しているのだろう、全には占い師の心理状況が目に見えるようだった。

「なんでだろうね」

言うつもりがなかったことを全は口にした。

「なんです」
「いやさ。なんでフォーチュンはそこまで冬華にこだわるの? お互いただの友達だろ。一緒に死地に飛び込む縁はないはずだよ。助けてくれたけど元は巻き込まれたのも冬華がらみだ。それで嫌になったとか怒っているとかじゃなくて、フォーチュンがそこまでがんばる理由がぴんとこないんだ」

全にはここまで連れて来られた恨みも敵意もなかった。フォーチュンは口を開けては何も語らずとじ、また開けては発音に失敗する。占い師は全に向きあった。

「ただの友達ですけどね、でも友だちなのですよ。偶然知り合ってどうでもいいような話をして持ってきたお菓子を食べて。恩も義理も大してありませんが友だちなのですよ。助けて一緒に行きたいと思うのは当然ではありませんか」

全の分かったのか分からないのかの表情で見つめられ、とうとう諦めたようにフォーチュンは息をついた。物憂げな表情に長いつややかな髪が覆う。

「十代の『愚者』ではないのですし、白々しいのはやめましょうか」
「え、嘘だったの今の」
「半分くらいは嘘です。ああ、友だちというのは嘘ではありませんよ、念のため」

どちらかというと素直な全は軽く衝撃だったらしいが、フォーチュンは気づかわずに続ける。

「もっと原始的、打算的なものです。オースターン、あの怪物バイオウェポンは人間に成り代わって世界の支配者になろうとしています。手段として穏やかな方法を使うとは考えられませんね」

その怪物の銃口に晒されたことがある全は震えて同意した。

「乱暴な手段で成り代わられる身としては面白くありませんね」
「うん、面白くないね」

全は軽くうなずいたが、それきり会話が進まないようなので確認した。

「それが理由?」
「ええ」
「面白くないって、それだけで!?」
「全さん声が大きい。面白くないというのは相当控えめな表現ですよ。許しがたい、捨ててはおけないというのが正直なところです。ですが私はオースターンに何もできません。冬華さんにはできる、だから私は冬華さんを追うのですよ」
「だからって、冬華に何かできる訳ないじゃないか」
「できますよ」
「どうして! 冬華は女の人だし、いやそれはまあいいとしても軍人じゃないしAGも持っていない、ただの人なんだよ!」
「力のカードを知らないのですか、全。か弱き娘は素手で獅子を取り押さえるのですよ。」

全の表情から察するに、冬華と同じように占いには興味はないらしい。

「無理じゃありませんよ。現にオースターンは冬華さんを呼びました。シェルターにも軍にも歯牙にかけなかったオースターンは冬華という人間を呼んだのです。冬華さんはオースターンの前まで何の障害もなく行けるでしょう、そしてオースターンと向かい合えば冬華さんはオースターンを殺せます。どんな軍人でも司令官でもできないことですよ」
「だからフォーチュンは冬華を追うの」
「そうです」

全は口の中で弱く何かを言ったが結局飲み込むことにしたらしい。反論はあるものの疑いはない全にフォーチュンは少し申し訳なく思った。フォーチュンは嘘はついていなかったが真実を全て語ってもいなかったのである。

(見ずにはいられないのですよ)

もしも、とフォーチュンは仮定する。もしフォーチュンの友人が戦場にさらわれたなら、怒りに任せて飛び込むことができるだろうか。もしフォーチュンが正真正銘世界の敵に呼ばれたら肩を張って突撃することができるだろうか。

考えなしで無謀で、原始的で力強くまぶしい。

(このよどんで停滞した世界で、他にそんな事をする人を知らないのですよ。欠点があってたった一人きりで、しかし熱い。まるで偽の青空かすませる太陽のように。

全さん、私は思うのですよ。ひょっとしてこの騒ぎは冬華さんが起こしたものではないかと。あの力強さに引きずりこまれた風が吹き込み混乱が起こったのではないかと。冬華さんは何もしていません。でもだとしたら、これは冬華さんの戦いなのですよ。きわめて個人的で、しかし重要な)

暗い建物の中、灰色の世界で偽の空をフォーチュンは仰いだ。

(見ずにはいられないのですよ、まぶしすぎて)
「フォーチュン!」

全が指さすその先にライヒプチシェルター印のジープが土煙を上げていた。

連合軍も敵だ。冬華の声がよみがえる。

「そこの民間人、止まりなさい」

落ちついた英語でジープが呼びかけた。

「我々はライヒプチシェルター軍部です。ここは危険です。すぐ避難所に逃げなさい」

あまりにも常識的過ぎてかえって意外な言葉だった。正直者の全は喜びかけるも申し訳なさそうにフォーチュンを見る。

「でも、友だちが奥に行っているんです」
「我々で探します。避難しなさい」

きっと自宅や故郷を離れたくないとごねる住民を無限に対応してきたのだろう。礼儀正しく3人の軍人が車から降りて銃を向けた。

「フォーチュン!」
「っく」

相手が一人程度なら口で丸めこむなり何とかなりそうだが、3人の問答無用な軍人と向かい合ってどうにかしようというのは考えるだに馬鹿馬鹿しい。銃口はうつろに光り、ぐずぐずこの場にいて我々の邪魔になるのならばこの場で殺すと言っている。

「……女帝の逆位置」

フォーチュンの手からハンドガンがこぼれ落ちた。カードの意味するは束縛、そして誤った命令。


冬華は走った。幻覚踏み潰し拳銃を手にライフルとバズーカを背に。心身ともに重い物を背負っているにもかかわらず足は速かった。全身が熱を帯びている。春夏秋冬ならぬ冬冬冬冬のこの世の中で、はるか地下の最重要地域が消して温まる訳がないのに、冬華が駆け抜けた後は熱を持った。

走って走って走って、そうして両開きの自動ドアが見えた時点でやっと止まった。背中のバズーカをさして重くなさそうに肩にかけて構える。

「オースタァァン!」

狙いは正確だった。ドアは被弾し一瞬で破壊された。もし罠が仕掛けられていたり待ち伏せされていてもドアと一緒に粉みじんに砕け散っただろう。

しかし不意打ちの証拠である肉片の代わりに抑えても抑えきれない笑い声が漏れてきた。

「ここだよ、双琉冬華」

冬華は鼻を鳴らしバズーカを肩から下ろすことすらなく大またで声の主の元へ歩いた。柔らかい髪が怒っているかのように震えて揺れる。

「会いたかった」

最深部の部屋は広く明るかった。シェルターの全人口を養える環境循環装置に水圧調整機、大小無数の機械が部屋を占領している。ここの住民はお前たちじゃないのだよと告げるかのように見通しは悪く足の踏み場は少ない。

オースターンはそこにいた。温度設定装置が上等のソファーでもあるようにもたれかかっている。黒の戦闘胴着、その上に灰色の迷彩服。瞳は少女のようなスプリングストリーム、肌は白く全体としてはすっきりした体型のティーンエイジ、初めて見た時となんら変わってはいなかった。顔には狂おしいほどの喜びで、輝かんばかりの極上の笑顔が張りついていた。

「俺がどれだけ会いたかったか、冬華には分からないだろうな」
「分からないわよ、私は永遠に会いたくなかった」

強烈な愛のささやきに冬華は冷たかった。本題へ切りこむ。

「よくもこんな馬鹿な真似をしたものだ。今すぐ全世界に謝罪して前言撤回をしなさい。そうすれば逃げても追わないわよ」
「いやだね」

オースターンは身体を起こしてわざとらしく首を振った。

「冬華は知らないだろうけど、ここまで来るのに結構苦労したんだぜ? 最後まで続ける。もちろん冬華、付き合ってくれるよな」
「死んでもごめんだ」

くっくっくっ。オースターンはのどの奥で笑った。

「それ重いだろ。撃ったらどうだ? 軽くなるぜ」
「気づかいどうも」
「撃てないんだろ?」

自分でけしかけておきながらオースターンはずばり切りこんだ。

「そりゃそうだよな。ここには最重要な機械で一杯だ。配線1つ傷ついただけでバーミンガム中停電するかもしれないし空気の流れが止まって全住民が窒息するかもしれない。怖くて撃たなかったとしても誰も冬華を攻めやしねぇよ」
「わたしは」

冬華はバズーカを降ろさなかった。

「甘く見ない方がいいわよ。わたしは撃てる。後で大いに良心の呵責に苦しむだろうけど、でも撃てる」
「へぇ!?」
「どこまでみくびりゃ気がすむのよ。呼び声に答えた時点で覚悟ぐらい決めているわよ。そっちこそ座っているだけで安全だと思っているのなら早めに逃げ帰った方がいいわね」
「冬華、人間はもうだめだぞ?」

当たり前の事を当たり前のように。オースターンは冬華1人のためだけに語る。

「地上は核の冬だ。年中ぶ厚い雲と雪で人間が出て行ったら生きていけない。シェルターはあちこちポンコツでいつ止まってもおかしくない。人は逃げられない、もうどのシェルターも収容人口は一杯で難民を受け入れる余裕はない。ごまかしごまかし機械を動かして、いつとなりのシェルターが倒れるのか息をひそめている状態だ。いつ人類が滅んでも俺はおどろかねぇ」

冬華は動かなかった。

「人間の文明文化数千年分も丸ごと滅ぶのはもったいないとおもわねぇか? この広い地球が無人になるのは宇宙の資源の無駄使いだ、そうだよな? だから俺たちが代わりに引き継いでやるよ。ちょっとばっかし形は変わるが昔馬鹿な人間がいた事を代々伝えて人間が生きていた記憶を受け継いでやる。だから老いぼれは若者に道を譲れ。おとなしく世界を俺に渡せ。なっ?」
「それが、この馬鹿げた事の動機?」

冬華の細い髪が震えた。「ああそうだよ」オースターンは無邪気に肯定する。

「悪党、人殺しのテロリスト」
「聞き飽きたぜ、そんなん」
「もやし野郎、サド、時代遅れの刀使い」
「お、ちょっと新しいな」

冬華はバズーカの焦点を合わせた。

「この、嘘つき」

オースターンはゆっくり微笑んだ。

「ああ、そうだ」

ダァァン! 被弾するより早くオースターンは四足で飛び跳ねた。無人の機械に命中し2人の髪が爆風で暴れる。

「このっ、嘘つきほら吹き詐欺野郎! それだけじゃないでしょ、それ以外にもあるだろ!

オースターンが大義のために? オースターンが世界のために? 笑わせる、そんな奴じゃないでしょ、そんなおとなしくていい奴じゃないでしょ!」

高周波ブレードを手にオースターンは跳ね回る。冬華はバズーカを捨て肩がけにしていたマシンガン、ストーンブラスト15を腰だめに構えた。オースターンを狙い引き金に手をかける。世界一貴重な機械がはぜてえぐれて銃弾の洗礼を受けた。

「分かった。オースターンとわたしと、ついでにフォーチュンは似てるんだ。お互い個人主義、他人がシェルターが世界がといったってその前に自分の感情が先に来る。理由なんて後付けよ。似た者同士だから分かる、何をたくらんでいる!」

オースターンには当たらなかった。剣を手にしているくせに二足で走らない、最高の教育を受けた科学の申し子のはずなのに動物くさい。オースターンは矛盾した生き物だった。人と同じである。

「オースターン、あんたの理由はどこにある? その心はどこにある。なぜ、何のため、どんな理由で起こした!」
「理由? 理由か? 俺が研究所を壊して馬鹿どもと一緒にバーミンガムへ乗り込んで、全人類にけんかを売って今ここで冬華といる理由?」

オースターンは笑った。

「そりゃ人間が大嫌いだからだよ」

「他にあるか、決まってんだろ。好かれていると思ったのか?」

こんな自明の事を何を。オースターンは馬鹿にしきっていた。

「勝手に身体作って腐った世界押し付けてふざけんなだぜ? てめぇで壊したもんを自己満足でよそに押し付けんなよ。しかも身体がまた不良品ときた。放射耐久力と高い運動能力と引き換えに俺は何を得た? ずーっと続く耳鳴り! 三日に一度の健康測定で飯の代わりに点滴抗生物質薬薬薬!」

冬華は撃ち続けた。どこぞのコードを切断して無関係の装置を破壊する。方向も速度も完璧に計算したはずなのに外れだ。

「耳鳴りは役に立ったけどな。研究してみたら壊すことが分かった。人も機械も」

分かった、ノイズの事か。人を狂わせAGを狂わせる。オースターンはいつもそれを聞いているのか。冬華は愕然として恐れた。

「しかもだ、人間恨みたくても恨めねぇ。心理プロテクトが張られているんだ。殺す事も傷つける事も、文句1つ言えねぇんだぜ? これ分かるか? 狂いたくても狂うことさえできない俺が冬華に分かるか!?」

どうしても当たらない、かすり傷1つつけられない。冬華の腕が悪いのか、それとも。

人の形をした生き物が弾よりも速いだなんてありうるのだろうか。冬華は舌打ちをしてマシンガンを捨てた。これ以上シェルターの寿命を縮めないためにもそろそろ思い直したほうがいい。もう十分壊した。請求書が来るならば一瞬にして極貧地獄に突き落とされるだろうほど破壊の限りを尽くした。

「俺はがんばった。プロテクトを弱めるためにどうすればいいのか努力した。分かった時には楽勝過ぎて笑っちまったぜ。俺にはさらに上位の心理プロテクトがかけられている、それに従えばいい。上位のに従っている限り下位のをちょっと破ってもかまわない、その間だけ俺は人を殺せる。好きなだけ今までの仕返しができる。プログラムはこう言っている――」
「……世界を継げ」
「その通り」

オースターンは立ち止まって微笑んだ。冬華はマシンガンの代わりにエネルギーボルト05を握る。護身用の小型拳銃、いつまでひょこひょこオースターンが走り回っているわけはない、遠からずブレードで切りかかってくる。そのときが唯一の機会。

「世界継承に反対する奴らに俺が無条件で殺されたら困るからな。精神担当の学者たちはいい仕事したぜ、見つけたときの喜びといったらなかったぞ。

だから冬華、俺は本当は世界の事なんてどうでもいいんだ。手段のほうがはるかに大切だぜ。人間を殺す! 殺して殺して殺して最後の一人まで殺す。これが本当だ、冬華。納得したか?」

ああ納得したとも。しかし後1つ謎が残る。

「……なんでわたしを呼んだ」
「決まっているだろ」オースターンはあざ笑った。
「何を言うかと思ったら。冬華は俺が初めて出会った人間で、俺の名付け親兼業なんだぜ? 今呼ばないでいつ呼ぶんだ」

おいおいと冬華は顔をしかめた。

「何だよ。まさかあのときの俺に名前があって偶然正解したとでも思ってんのか?」
「わたしを阿呆と思っているのか。まさか、どうせ名無しのゴンベイだったのでしょう」
「その通り。サンプルに名前はいらない、個体の区別ができればそれでいい…… 長ったらしい番号はついていた、でもそれだけだった。オースターン、いい名じゃねぇか。冬華がつけたんだぞ」

オースターンは満足しているようだった。冬華はぜひともその満足を台無しにしてみたくなる。

「由来も何もない、いい加減に呼んだだけよ」
「分かっているよ、でもそれがどうした? 名前なんてそんなもんだろ。冬華、お前だってその名前大のお気に入りだけど命名者は鼻ほじりながらつけたのかもしれないんだぜ?」

オースターンががっかりしなかった事に冬華はがっかりした。

「名前がある、誰の物でもない一つだけの固有名詞が。それだけで十分だ」
「分かったよ。ちぇ、あの時無視すればよかった」そうすれば呼ばれずにすんだかもしれない。

名付け親云々はもういい。分かりきっていた事だと。しかし初めて出会った人間とは聞き逃せない。

「もう1つ、初めて会った人間というのは間違いだ。科学者達はどうしたニックはどうした。そっちの方が先でしょう。わたしより先にAGちゃんばらで出合ったはずよ」
「あいつら? あいつらはだめだ、決まっているじゃないか。学者は脳みそが服着ているような奴で人間性ってもん投げ捨ててる。学者以外は全員バイオウェポンだ、呼んでどうする」
「ニックはバイオウェポンだったの」
「へぇ、知らなかったんだ。あんたの目玉はガラス球だな」
「うっさい」

外見が人間と全く同じなので疑いもしなかったが、言われてみれば納得した。それでなぜ幼い子どもがAGを扱い何でも屋をやっているのか謎が解ける。

「あいつら俺と製作者同じだな。ウォルトのじじいが作った。旧型だけど性能いいぜ、呼んでもちっとも反応しねぇし」

その辺りはオースターンはどうでもいいらしい。冬華も竹屋の同職業の人物には興味がない。

「まっとうな人間は冬華あんたが初めてだ。敬意と深い愛情を表して宴会に呼ぶのは当たり前だろ?」
「騒ぎの内容による。はた迷惑な」
「そうか? まぁ気にすんなよ」
「身勝手な事ばかりほざいて」
「聞いたのは冬華だぜ?」

少しも悪びれずしれっと返す。

「オースターン。あんたはわたしを完膚なきまでに怒らせた。心臓に風穴の1つでも開けないと気がすまないね」
「望む所だ」

子どものような純真さと無垢さでうなずいた。「俺だって目の前の人間を生きたまま返す気はねぇよ、フォーチュンみたいな目的がない限りはな。人との共存みたいな麗しい事はさらさら考えてねぇぜ」

殺し合いをするためにオースターンは冬華を呼んだ。高周波ブレードを構える。細身からは想像もできない力と瞬発力の持ち主は刃を冬華の心臓一直線に狙う。

「強制参加の特別決戦だが、もし勝ったら報酬も甚大だぜ? 俺を殺せば冬華はバイオウェポンから人類を救った英雄だぜ? 50年後全ての命と文明をまっさらにしちまうバットエンドルートでもあるけどな」
「2つ聞かせよう。繰り返さないからよく聞きなさい」

足を肩幅まで広げる。目線と銃口は同じ高さへ持っていく。

「1つ、わたしはそんな報酬はほしくない。名声はなかなかいいけど伴う義務が重過ぎてついていけないのよ。そしてもう1つ」

拳銃の基本は両手扱いで。呼吸は細く吐き、手の震えを最大限止める。

「わたしはこれで終わりだなんて、たとえ一瞬であろうとどんな苦境であろうと、全く思っていない」
「あ、そう」

オースターンの姿がかききえた。刃を両手で構えまっすぐ心臓を狙う。冬華は動かない。銃口はオースターンの胸を指している。

「死ねっ、冬華!」
「死ぬのはお前だ、オースタァァン!」

卵形のゆりかご最深部で、軽い銃弾音が響いて消えた。


ぷしゅ。いつの時代も缶ビールを開ける心地よさは変わらない。気だるげな動作で白宝はビールと口づけをした。のどがなる。

「……ぷはっ」

ため息まで白宝は上品だった。

腰かけているのは瓦礫の山、流れた血は黒く大地を染め周囲は硝酸と死臭でむせ返る。味方の銃弾は使い果たしてナイフもナックルも折れるまで酷使した。後はもう歯で戦うかというような惨状だった。

「白宝さん」
「ちょっと休ませて、竹屋」
「そうじゃなくて、ぼくにも頂戴」

誰もが体力も気力も使い果たしてだらしなく座り込んでいる。スティルは弾が空になった大型拳銃を心無くもてあそび、アーシェンスはぼんやりと虚空をながめていた。それでも彼らは勝者だった。津波のように襲いかかるバイオウェポンの軍団から大切な依頼主と自分たちの命を守りきった。そして瓦礫の頂点で空を見上げている白宝こそがバイオウェポンの群れに小グループで立ちむかい、立て続けに指示を飛ばして一人の死者も出さずに返り討ちにした名将だった。

もっとも彼女にはそれはどうでもいい事かもしれない。疲れきって勝利を喜ぶ事もしないジャーナリストは科学者に「そこの崩れた壁から拾った」とだけ言った。

「壁って、もともとは民家だったんじゃない」
「そうかもね」

虚脱しているのは竹屋も同じだった。黙って窃盗を見逃す。

「……はっ」

もう一口ビールを飲んで白宝は空を見上げる。色は灰色、希望はかすか。


引き金を引くと同時に高周波ブレードの切っ先が心臓へ貫いた。

くぐもった苦痛の悲鳴とともに冬華は後ろへふきとぶ。人形のように無抵抗のまま壁にぶち当たり積んであった空箱に埋もれた。
「……がっ!」

呼吸を吐き出し箱を払い、冬華ははいつくばって出てきた。

「オースターン……!」

苦痛で身動き1つ嫌がる自分を無理に鼓舞して立ち上がる。

オースターンはいた。冷たい床に大の字で倒れている。表情はいつもの全てを馬鹿にして見下している笑みだった。そしてボディースーツの右胸に小さな穴が開いていて、規則正しく血が吹き出ていた。

オースターンは死んでいた。

「はっ」

冬華は崩れ落ちる。我が愛しい心臓の上に手を当てた。金属のひんやりした感覚の上に力づくでえぐられた刀傷があった。

ソーサラー社フォースフィールド35。暴動の棍棒やふりそそぐがれき等物理衝撃の緩和を目的としたボディースーツ。爆風や対火仕様でないため今ひとつ使い勝手が悪い上に、現在開発途中の試作品。わずかばかりの謝礼とそれ以外に武器オタクの血が騒いで物好きにも試着を引き受けたとっておきの防具。

銃さえ避けるオースターンの刃をかわすのは不可能だ。冬華はフォースフィールドを引っ張り出しずっと服の下に着ていた。それこそくつろぐ時も寝る時でさえ着ていた。おかげで身体中こわばりあちこち痛くて重い。しかしこの服は考えられる限り最高の仕事をした。もしオースターンがブレードを使わなかったら、もし首や頭を狙われたら、もしスーツがブレードに負けたら。あらゆる不確定要素を抱え、しかし冬華は賭けに勝った。

「いったい、ちぇ」

とはいえ無傷のはずがない。一撃全てを吸収する虫のいい防具などこの世に存在しない。胸のあざは当分消えないだろうし肋骨が折れている可能性も大いにある。ただの呼吸に冬華は苦しみうずくまった。戦いの後どちらも痛い目を見るのは個人でも国家でも関係ない。

「はあ」

冬華は仰向けに寝ころがった。

終わった。何はともあれ終わった。オースターンは死に冬華は生きている。まずまずの終着だった。

「全世界にオースターンが死んだのを伝えないと」

寝そべったまま冬華は考える。これでバイオウェポンたちも多少はおとなしくなるだろう。唯一のリーダー、絶対のカリスマがいなくなった軍なんて烏合の群れだ。簡単に蹴散らせる。白宝にこの事を知らせよう。きっと景気よくあちこちにばら撒く。

後は襲撃者と連合軍の戦いだ。そこまで冬華の関与する所ではないがバイオウェポンの一派が終わった以上襲撃者に勝ち目はない。その後はどうなるか。バーミンガムの復興は、戦いの報酬は。悩みどころは山とある。冬華は疲れて考えるのをやめた。関係のない事だ。

「とにかく、帰ろう」

言うことを聞かない身体にじっくり言い聞かせるべく決めたその時。

『おめでとう!』

元気のいい祝福の言が届いた。冬華は意思を総動員して寝てい続けたい身体をたたき起こす。

「オースターン!?」

馬鹿な殺したはずだ! ちゃんと今でもすぐそこに死体が転がっている。

『おめでとう、人殺し兼人類の救世主。気分はどうだ? まだ生きてるか?』
「あ」

簡単である、生前録音した声を流しているのだった。ただのタイマーにしては時期が合いすぎている。オースターンが死んでしばらくしてから流れるよう細工したのだろうか。

『勝者には褒美が必要だよな。用意したぜ。ついでに俺の目的もかなうすぐれものだ』

言葉は冬華の都合にかまわず続いた。

『なんたって負けたからそりゃしょうがねぇが、それでも俺は自分の生きていた跡もやった事も全部押しつぶされてなかったことにされるのは嫌だ。分かるだろ?

だからな。俺の生体反応が消えて一定時間がたったらここ一帯は爆発する』

息が止まった。

『花火兼せめてものって奴だ。本当はシェルターごとこっぱみじんと行きたかったができないものがしょうがねぇ。どうせここの機械全部ぶっ壊れればシェルターはおしまいだ。そうだろう?』

その通り。ゆりかごの住民は古い装置で命をつないでいる。もしなくなれば全バーミンガム住民が路頭に迷う。
『今から走って逃げれば死ななくてすむと思うぜ。あ、AGの中でじっと我慢ってのもありだな。AGはスクラップになるが中の人は生き残れる。

でももちろん隠してある爆弾見つけて解除するよな? 爆弾の量はぎりぎりだ。1つでも解除に成功すれば機械は助かるかもな。もちろん生身はお釈迦だが。

あっははは! 好きな道を選びな!もういっちょシェルターを救うかしっぽまいて逃げるか! はははは……』

オースターンは楽しそうだった。最後の最後まで楽しそうにしていた。冬華は歯をくいしばり、一回生き返してまた殺してやろうかと実現不可能な未来を望んでしまった。

「いかれバイオウェポン! よくもろくでもない事を!」

どうする? 冬華は沸点を超えてなお上昇する心の温度を脇へ置いて迫られた二択を改めてみた。自分の命かシェルター1つか。与えられた時間は少ない。

いらだって髪をかきあげその辺を乱暴に蹴飛ばそうとした冬華は信じられないように後ろを向いた。さびと蒸気圧の臭い、鉄と血から織り成す死の香り。まだ姿はない、しかしこの音と距離で間違える訳がない。

「軍…… 連合軍がここまでたどり着ける訳ないから、きっと侵略軍」

一連の計画をオースターンの身勝手で台無しにされる訳にはいかない。彼らが迅速にオースターン征伐隊を結成したのは明らかだった。

明らかではあったがどうしてこんなにタイミングが悪い。まず冬華は侵略軍の相手をしてからでないとオースターンの冗談に向かえない。相手をするといっても具体的にどうする。戦うか事情を聞かせるか嘘をつくか。

「ったく、どいつもこいつも!」

最大限に困難な状況に、しかし冬華はあきらめなかった。

困ったように苦々しく、雄雄しく無謀なまでに勇ましく笑った。

「しょうがない」

冬華はバズーカを拾い上げると侵略軍と正面から向き合った。



そして。

バーミンガムは揺れた。

「ぎゃあっ!」
「うわっ!」

フォーチュンたちはシェルターが崩壊するのではないかと本気で怯えた。地鳴りは後から後から絶え間なく続いて、天井から砂埃がふりそそぎ弱っていた建物は次々に崩れた。

「た、助けてぇ!」
「そんな事言われてもっ」

フォーチュンにもどうしようもない。どうにかできる訳がない。ただお互い抱きあってすくむだけだ。

「車両停止!」

ライヒプチ軍は敵襲来と間違えた。車を捨て銃を構え厳戒態勢をとった。

永遠に続くかと思った揺れは徐々に収まりやがて止まった。明かりが消え車のライトが唯一の光源となる。空調も止まりシェルターではありえない静寂が降臨した。

「何、何、何があったの?」
「……ああ」

フォーチュンはへたり込んだ。何があったのか理解できてしまったのだ。

「フォーチュン?」
「審判です」
「え?」
「最後の審判が、今振り下ろされたのです」

全はフォーチュンの言いたい事は分からなかったが、それでもへたり込んだ理由のうち1つは理解した。

冬華さんは? 冬華さんどうなったの?

声に出ない質問は、もちろん誰も答えない。