三つ首白鳥亭

−再生する世界−

魔術師は星とともに 前編

バーミンガムシェルター前は戦場だった。

各国選りすぐりの軍人たちがバーミンガムに巣くうゲリラを圧倒的破壊力で文字通り潰していく。その後の始末がすむと宿営地が迅速に立ち、戦いの後は1つ残らず片付けられていった。

「本当に戦場なの?」

対放射線対衝撃用の全身ボディースーツをまとった竹屋の疑問はもっともだった。戦う人と戦う道具はあるが戦う敵がいない。

「そうよ」

冬華は断言した。弾丸の破片、地にこびりついた黒い液体、ゴーグル越しの視界だけでもこれだけある。匂い、肌全体で感じる張りつめた雰囲気。冬華は背筋を伸ばした。全身に程よい緊張が走り、常に戦闘体勢になれるように手が銃器を求めて動く。幸いな事にスーツの可動性は非常によく、生身の人間が厚着をしているのとたいして運動性に差はなかった。これならいざという時に戦える。

「冬華さん。あの、例の約束、忘れていませんよね」

竹屋は冬華の緊張が移ったのか、不安そうに冬華を見つめる。

「例の約束?」
「ほら、僕の警護をするっていう事。それがここに来るための口実と言うことは分かっているけど、そばにいる限り守ってよね」

冬華としてはそんな事で大の男がびくびくするなと怒りたかったが、か弱い民間人の研究者としてはそんな事で済む問題でもない、やむをえないだろうと思い直して「分かっている」と投げやりに返事をした。それはさらに竹屋の不安をあおったようだが、冬華としてもこの場で愛想良く笑えない。

「Dr.Takeya!」
「呼んでいるよ」

竹屋は冬華を恨めしげに見て、若い軍人らしい男の方へ走った。

今となっては何に使われたのか分からない部屋に、さらに軍用の立派なテントが設置されていた。案内された竹屋は中に1歩踏み出したとたんうめいてうずくまった。口元を押さえて目から涙がにじむ。冬華は義理から竹屋の背をさすりつつも、同じように困惑して眉をひそめた。

テントの中は戦死者が並んでいた。おそらく竹屋が鑑定すべき敵のバイオウェポンたちなのだろう。地面に直接投げ出されている死体は五体満足であるほうが珍しく、下半身がちぎれているなどいった悲惨な状況が当たり前になっている。もしこの場に生身でいたのなら竹屋は匂いで即座にここから逃げ出すか胃の中の物をぶちまけただろう。これだから軍人はいけない。死に慣れすぎて配慮が欠けている。自分もそうであるにもかかわらず冬華は舌打ちをしたくなった。
「Dr、鑑定を」

竹屋の反応など一行に介さず軍人はある意味非現実な実用性のある事を言った。

「無茶言うな、この顔を見てから物を言ってよ」

相手に日本語が通じないことを良しとして、冬華は礼儀作法を無視した。しかし竹屋をかばう意図はない。竹屋の背中を軽くたたくと「適当にがんばれ、終わったころに来る」といい加減にはげまして、冬華は立ち去ろうとした。

「と、冬華さん! 僕を見捨てるのか!?」

1人は寂しいと竹屋は冬華の足に引っ付く。

「竹屋、さっきから思っていたのだが、何だかあなたの口調は奥さんに逃げられそうになっているかわいそうな旦那さんに聞こえてならないのだけど」
「失礼な、僕には恋人がいる、冬華さんよりも可愛くていい子だ。そんな事よりもどうして行っちゃうの!」

よほど冬華はその能天気な頭をライトニング15の柄でどついたろかと思った。いい? と顔を近づけ、すわった目で語りかける。

「わたしは誘拐されたフォーチュンのため、オースターンやここの侵略者たちについてできる限りの情報を集めて彼らを助け出す準備をする。竹屋の事は放っておく訳ではない。でもここで仕事をしている間は無事でしょう、わたし以上に頼りになる軍人たちがいるのだから。だから仕事がない時は警護をする。その代わりそれ以外の時間には口出ししないで」

竹屋に反論はあったかもしれないが、冬華の勢いに押されて首を縦に振った。

「よし、じゃあ行く」

スーツを着ているためいつものコートはない。それでも勇ましくひるがえるコートの幻像をおぼえる動作で、冬華は本来の目的に向けて歩き出した。


竹屋は半分泣きながらも持ってきた遺伝子キットと用意された実験議具、コンピューターで解析を試みた。冬華はあちこち回り、バーミンガムシェルター内について探った。

冬華の目的も竹屋の仕事も思うようにはかどらなかった。竹屋は遺伝子を解析するには足りなさ過ぎる器具道具と人手、周囲の研究に関する無理解が災いした。竹屋が元は植物関係のバイオテクノロジー技術者と言うこともあって動物を扱うのは苦手なのである。竹屋は再三人員と器具の追加を訴えたが、戦場でそのような要求は通りにくかった。冬華の方も誘拐事件もオースターンの事も隠しながら探るのでただでさえ容易ではない情報収集は困難を極めた。結局冬華は軍の下っ端や半分耄碌した老兵、果てはフリーの報道レポーターやその護衛とといった軍人でさえない人種とお友達になっただけだった。

(そしてあっという間に2日目の夕方)
「冬華、そろそろあなたの研究者さんの仕事が終わる時間じゃないの?」

フリーの報道レポーター、金白宝と名乗る女性は女物にしては頑健そうな腕時計を見て冬華に指摘した。北京シェルター出身の彼女は穏やかで落ち着いており、とても戦場のレポーターには見えない優美さで空のドラム缶に腰かけ手元の紅茶を1口含む。仕事にいそしんでいる雰囲気も見られなかったので報道レポーターと言うのは嘘かもしれなかったが、危険人物にも思えなかったので冬華は放っておいている。そばには彼女の護衛のスティルが、少し離れた場所で火器の入ったコンテナにもたれかかっていた。冬華はいまだにこの若い男の声を聞いたことがない。化学兵器でのどをやられて声が出せないそうだ。

「ああ、そうだね。迎えにいかないとうるさいな」

地下鉄内での放射線量は健康を害する量はないということが昨日分かってからはスーツを脱ぎ、冬華は普段の胴衣とコートの姿だった。そして手には金と同じカップがある。紅茶は100グラムごとに真空パックで保管されている上等のニルギリで爽やかで上品な味だった。香りがまたよく、かぐと不安も消え去り穏やかな気持ちになる。冬華は最後の一口をすすってお茶請けのクッキーをつまんだ。口の中で生地がとろけ甘く広がる。金は戦場にいい物を持ってきていた。金持ちなのか酔狂なのか。

「じゃあね。なかなか報道許可が下りないから退屈しているの。またお話してね」
「ええ、そうね」

こっちはごめんだという言葉を飲み込んで、冬華はその場を離れた。

これで3日目も無駄に終わった。連合国の解放作戦も布陣と情報収集の段階で、まだ本格的に乗り込んではいない。冬華は一向に進まない現状にいらだち、単身で闇雲にバーミンガムシェルターにもぐりこもうかとさえ思った。

舌打ちを1つ。不機嫌を隠さずに冬華は竹屋がつめているバイオ研究所へ向かった。実際は研究員1人の死体置き場なのだが名前だけを聞くといかにも立派に聞こえる。

「お姫様を護衛の騎士がお迎えに来ましたよ、と」

何気なくテントをくぐると、竹屋は1人ではなかった。なぜかうろたえる竹屋とは対照的に3人の護衛を引き連れたハロイド大佐は見下す視線を隠そうともせず冬華へ向く。冬華の方も鼻を鳴らした。ライプチヒシェルターで出会って以来の対面だが、余計な事を言う気にも媚を売る気にもなれない。個人の感情を考慮してもどうしてもこの男を信用できなかった。気を許したら裏切られる、利用されるとの予感がある。

「雇い主を放り出してどこへ行っていた?」
「地下鉄内にて友人と会っていました、失礼します。竹屋、宿営地へ帰ろう」

最低限の礼儀正しさのみを見せて竹屋の腕をつかむ。もっと好印象を与えようよと竹屋が目で訴えるが、冬華の知った事ではなかった。

「ソウリュウトーカ、君は友人を探してここにいるそうだな」

竹屋の腕をつかむ手に力がこもった。このお喋りめ。冬華が何か弁解する前に大佐は護衛の1人が持っていたケープをつかんで投げた。あまりにも古典的で流行とは無縁の布は空気抵抗のなすがまま地面に落ちる。

冬華は拾わなかった。大佐も動かない。

「第7階層で回収された衣服だ。多少は調べさせてもらった、ソウリュウには心当たりがあるのではないか?」

それだけ言うと、ハロイド大佐は部下を引き連れて出て行った。竹屋が安心の余り大きなため息をつくのを尻目にケープを拾う。絹の前時代的なケープには心当たりがあった。こんな古めかしいものを自ら着用するものはそうはたくさんいない。

「フォーチュンの物だ」

第7階層。無意識にくりかえす冬華に、竹屋は恐る恐る申告した。

「冬華さん、あの、これ、罠じゃない? こんなに簡単に見つかるなんて怪しいよ」
「やっぱり? 竹屋さえもそう思うほどあからさまか」

台詞とは裏腹に、しかし冬華はケープから目を離さなかった。ケープは何も語らない。


地下に半分埋もれているシェルターは20の階層に分かれていて、それぞれ役割を負っている。第1階層は全てをつかさどる制御施設、6階層までが軍事施設。7から10階層が冬華やフォーチュンが普段暮らしている居住施設、11から19階層が農業工業施設で、居住空間から毎日大半の人間が働きに出かけている。最深部の第20階層が動力施設で、上層部のごく限られた一部しか入ることが許されない。階層ごとの行き来はエレベーターと螺旋型階段によって行われ、地上へ行くには軍事施設化工場施設からいくつか通じているエレベーターを通して行われる。

ケープが落ちていたのは第7階層、立派な居住空間である。本来なら危うい均衡の上穏やかな日常が流れている空間は全て崩れ去り、階層全体が廃墟と化していた。

「人がいないともろいものだね」誰にも聞かせるでなく、冬華は1人つぶやいた。首にはケープがマフラーのように巻かれていて、普段のコートの代わりに派手な黄色のジャケットを着ている。

第7階層である。しかも1人である。

竹屋でさえも疑うほどあからさまなほど怪しいバーミンガムシェルターの第7階層に、たった1人冬華は潜入しているのだった。

もちろん冬華もこれが何らかの罠であるかもしれないと承知している。ハロイド大佐が冬華のためにケープを拾ってくれたなんて夢にも思っていない。よくて冬華を利用しようとしているのだろうし、普通に考えれば生贄にしようとしているのだろう。

ではなぜ冬華はそれでも来たのか。1つはこのケープが間違いなくフォーチュンの物だったからだ。普段からフォーチュンがこのケープを肩にかけているのを見ている。ハロイド大佐が何を考えているか知らないが、フォーチュンがここにいることは確かのようだ。ならば動く理由になる。

さらにもう1つ冬華には理由があった。

本音を言うと、冬華は何の変化もない現状にうんざりしたのだ。たとえ罠だと分かっていてもそれを承知で冬華は状況を動かしたかった。冬華の行動によって命運が左右されるのは冬華本人ではなくフォーチュンだ。自分の責任で一般市民の友人を巻き込んだ。そのいらだちが冬華をあせらせている。

報道レポーターの白宝から借りたジャケットの黄色が目にまぶしい。もし発見質問された時に冬華は白宝と同職業のふりして言い訳をしようとたくらんでいる。騙される者はそうはいないだろうが、コートの何でも屋が言うよりは効果的だろう。冬華は息をつめ建物の間を足音立てずに走り、自分自身も分からない何かの手がかりを探して、無言で死んだシェルターの中を駆ける。細い髪が速度に翻弄されひるがえった。

足はせわしなく前へと急ぎ、目は人の気配を探し、探し人の気配を探る。冬華は不意に速度を落とし左の路地へと飛んだ。1秒の空白の後冬華が走っていた道ははぜわれ砕け散る。

「来た」

今までのつもり積もった経験が数式をはじき出し、敵の位置が頭にひらめく。エネルギーボルト05を構えおおよその見当とともに引き金を引く。

「善良中立貧乏な報道官にいきなり発砲とは何!?」

とりあえず撃て。話はそれからだ。戦場では当然の、しかし実に殺伐とした作法どおりに冬華は口火を切った。返事の代わりに口径が並外れて大きいであろう銃が火を噴く。威力をその身で受ける前に冬華は逃げ出した。

普通の人間が持てる物じゃないな。爆音で逆立つ髪もそのままに分析した。適当な物陰に隠れるふりをして走り続ける。白黒だった世界に赤い色がきらめき、静寂は破られもはや潜む気はまったくない足音が奇妙にも破壊音と同音量で聞こえる。

(AGでもない。AGなら普通近寄られたら気がつく。バイオウェポンな人の偵察兵か)

バイオウェポンなんて本当にろくなものじゃないと認識を新たに積み立てる。いかにも伝統と格式を重んじる旧イギリス人気概あふれるレンガの道で銃弾がはぜるなか、同じく耐久レンガの古いアパートメントへ冬華は駆け込んだ。ここから窓から窓へ飛び逃げ反撃の機会をうかがうつもりだ。

2階の窓へ走り、手を伸ばせば届くような距離の隣の窓のさんへ足を踏み出したところで階層全体に振動が走り、冬華は危うく落ちるところだった。

「次は何!」

声を出す余裕などないし答えてくれる優しい人もいないのは分かっているのに、それでも冬華は叫ばずにはいられない。建物の中に転がるように窓から隣の建物へ侵入してから、改めて異変について観察した。

幸いな事に窓から外へつながる通路はよく見えた。実際には巨大な出入り口から2台のAGとその後から何台ものジープが入ってくる。

「そういうことか」

冬華はハロイド大佐の意図がつかめた。

もともとここに何らかの敵勢力がいるだろうという情報をつかむも、あやふや過ぎて正規の兵隊を送り込めない。そのためうかつな何でも屋を送り込んで敵の攻撃を誘発、それをきっかけに味方が大手を振って流れ込むというところだ。

もちろん、「味方」が冬華の味方であるとはかぎらない。

「ちぇ」

冬華は迷いなく軍へも背を向けて別の家の窓へ走り出した。つまり軍からも逃げた。もはや軍も信用できない。不審を抱きつつも妥協点を見出してなあなあに接していたが、いまやのんびり彼らの前に現れたらバイオウェポンとともに殺される。相手が民間人であろうと愛国を主張する報道レポーターであろうと、面倒だからの一言で切り捨てられかねない。相手がハロイド大佐の部下ならばなおさらいけにえの口封じとして間違いなく銃弾が飛んでくるであろう。

走りながら冬華は端末を取りだした。1つ指を操作するとすぐにつながる。

『あ、冬華? 首尾はどう?』

端末の向こうから緊迫した状況には似つかわしくないおっとり声が電波に乗って届く。上着を借りたお礼代わりに何か軍が動くことがあったら連絡するように白宝に言われたのだ。冬華も一も二もなく乗った。カメラを持って映像を全国の皆様へ届ける報道陣がいれば軍も無茶な事はひかえる。白宝は冬華のいざという時のお守りだった。これだから友達は作っておいて損はない。

「最悪。バイオウェポンがいて襲い掛かってきて、さらに軍も来た」
『すごい! やっと私もこれで行動できるわ。ずっと待っていて退屈だったのよ、今からカメラを持ってそっちへ行くわね』

行くといっても行かせてもらえないだろう。

『私は北京シェルターの全人民と、世界中の画面の前の人たちが味方なのよ。シェルター上層部とも仲良くさせてもらっているから虎の衣の権力もあるわ。大丈夫、何とかそっちへ行くわ。軍が止めても行く自信があるわ。今までそうしてきたのだもの。じゃあ冬華、特ダネありがとう』

端末は切れた。白宝のやけに自信過剰な発言に冬華は呆れるよりも感心した。なるほど、たった1人の護衛のみで戦場に出ることが出来る報道レポーター、度胸が違う。

「下手な軍人よりいい根性ね。無謀でなければいいけど」

数回窓を飛び越えて、冬華は階段を下り、再び地面の人になった。頭の中ではどうやってフォーチュンを見つけられるか、その後どうやってこの場を逃れるかの2点のみに限られていた。戦場脱出についてはもう考えている。隠れてほとぼりを冷ましてからこっそり行けばいい。何なら竹屋か白宝に迎えに来させる。逆に未だに解決の糸口さえ見つかっていないのが行方不明の友人だった。どこに行くか、どうやって探すか。そもそもまだ生きているのか。冬華は歯をくいしばった。

角を曲がると10歩分先に身体に張り付く戦闘衣を着た青年が大型拳銃を構えて立っていた。銃口は冬華に狙いを定めている。その風景を認識行動するより先に背後から軽い金属音がした。「動くな」

冬華は自分の鼓動が急速に早く細くなるのを感じた。まんまと挟み撃ちにされた自身のうかつさを呪う。

「何者だ。連合軍か」

どう答えるべきか冬華は迷った。はいと答えると完全に敵対している事になる。その場で頭に風穴が開いてもおかしくはない。しかし情報収集のため生かされる可能性もある。一方無関係なものだと答えたらどうなるだろうか。はいそうですかと帰されると思うほど冬華は楽天家ではない、やっぱり結果的に頭の風通しがよくなったら非常に困る。まごまごしていても最終的には同じ道をたどるだろう。冬華の背中に冷たい汗が流れた。

「っつ」

後ろの人物が声をもらした。冬華の前の男も銃は動かさず視線を走らせる。もちろんそれを見て冬華も仰天した。

戦車が近づいていた。まだかなり遠くに位置しているが遠近感が狂うほど大きい。ちょっとした小屋ほどもある巨大な鉄の塊が道をほじくり溝を破壊しながら3人の元へ、戦車にしては最大級の速度で近寄る。

1人がもう1人に目で合図をして、もう1人はかすかに首を横に振る。冬華は混乱してきた。軍にしてはやけに早いし、しかし敵のテロリストたちではないだろう。無関係な第三者がここに突然現れる訳もない。だとしたら、一体何なのだ、冬華は現実逃避のあまりの幻覚かとさえ思った。

けして幻覚ではない証拠として、戦車砲が火を噴いた。

冬華にも青年たちにも当たらず、10メートルははなれた建物に命中して建築物が音をたてて崩れる。冬華か青年か、どちらかの敵らしい。

「ちっ」

AGに押されて現在の戦闘ではあまり重要視されていないとはいえ、生身で戦車にかなう訳がない。相手が戦車ならと青年2人は即座に冬華を放っておいて逃げ出した。冬華も彼らに追撃をせずに黙っていた。何かがおかしいと今までの経験が告げる。

何かはすぐに分かった。戦車の操縦が下手なのだった。あっちによろめいては壁を破壊し、こっちによろめいては窓を砕く。戦車の大砲もまったくあさっての方角へ撃っていた。威嚇にしてもひどすぎるが、もしわざとではなく真剣に狙った結果だとすれば、中にいるのは軍に入って3日のペーペーでしかありえない。上官に見つかったら即降格ものであろう。

何者じゃい。冬華が逃げずにつったっていると戦車の上部から丸い金属の蓋がやけに細い腕で開けられた。腕の持ち主の顔が出る。なかなか優美な動作だったが、こんな硝酸臭と煙の中で首だけ出した仕草はこっけいですらあった。

冬華は笑わなかった。笑いが場違いだから慎んだわけでもなく、相手へ思いやりを持って遠慮したのでもない。

「冬華さんでしたか。囚われの姫君が王子様を助けに来ましたよ」

占い師は丁寧な、しかし場違いでもあるあでやかな笑みを浮かべた。


時は遡る。

ケープを盗られてフォーチュンは機嫌が悪かった。愛用のケープがいつのまにか部屋からなくなっていたのだった。人質としては破格の与えられた広い部屋の中心で気難しげに指で卓を叩く。

「フォーチュン、そんなにがっかりしないで」

全が慰めるも、顔には「たかが布切れでそこまで」と書いてあった。

「がっかりなどしていません」
「いやいやいや、ぜんぜんそうは見えないから」
「していません。怒っているだけです」
「なお悪いじゃないか」

全は肩を落としたが、フォーチュンはそれで態度を改めない。その程度で怒りを隠せるのならば初めから全の前で怒りをあらわにしない。

2人は今の所衣食住には不便していなかったが、フォーチュンは頑固にももらった着替えには目もくれずに古めかしい絹の民族衣装を着たままだった。着たままだと不衛生だと思ったのか、1回自分で洗濯をして夜のうちに乾かしてまた着ている。こだわりなくもらった軍の作業服を着ている全にはおおよそ理解できなかった。

「いいですか、全。私は占い師です」
「うん、知っている」
「その仕事に全身全霊誇りを持ってあたっているのです。そしてこの服装は珍しくて人目を引き行動しにくく、普通に考えてよい格好とはいえません」
「あ、自覚していたんだ」
「黙って聞いてください。ではなぜ常にこの服を着ているのか。私が占い師で、これははるか昔の占い師の姿そのものだからです。言ってみればこれは制服、それを盗まれて平然としていますか! これは占い師に対する侮辱です」
「そう」

出会うたびに職業が変わる、転がる石の全にはフォーチュンの核の雲より高い職業意識がいまいち分からなかったが素直にうなずいた。

「そうです。これは許せておけません、さっそく犯人を捜して懲らしめてやらないと」
「そんなことよりここから逃げ出すことが先だよっ」

流石に制止しようと全が立ち上がったとき、2人の部屋のドアが横に滑った。マシンガンを肩がけにした軍人2人が立っている。

「オースターンが呼んでいる。来い」
「……はいはい、行きますよ」

怒りのはけ口を失って、フォーチュンは険悪な表情のまま答えた。

捕らえられてここに着てから、ちょくちょくオースターンに2人は呼ばれた。それも時と状況を考えずに平気で深夜だろうと早朝だろうと呼び出す。立場が弱いフォーチュンたちは内心明日にしろと言いたいのをこらえつつも従っていた。それで呼ばれていっても何をするでもなく、つらつら会話をするだけなので分からない。フォーチュンが気に入ったのか物珍しくて見ていたいのかどちらかだろう。ちなみに初めはおびえていた全もすっかりなじんだ。敏感な嗅覚でフォーチュン1人が気に入られているのを察知し、オースターンとの対話では空気のように気配を見せずに過ごしている。フォーチュンはその的確な適応力に内心感心していた。きっと長生きするだろう。

「フォーチュン、変だ」

全が小声でささやく。小声といってもフォーチュンに聞こえるのだから先導している軍人2人にも聞こえているのだろうが、それに気づいてか気づかずか続ける。

「何がです?」
「何かがおかしい。こう、雰囲気が気分が悪い」
「抽象的すぎます」
「うん、そうなんだけど、でもさこう」

上手く説明できないともがいているうちにオースターンの部屋まで着いた。フォーチュンは業務用の微笑を浮かべて扉を開ける。

中ではオースターンが仰向けにベッドに倒れていた。いつもいるはずの取り巻きが今日に限って誰もいない。手で大型拳銃をもてあそびながらも視線は虚空をさまよっている。口元にはまぎれもない喜びがあった。部屋の扉が閉まるとオースターンは上半身を起こした。

「冬華が来た。バーミンガムに来た」

オースターンは喜びを隠しきれずに告げた。声も瞳も熱を帯びて輝き、まるで恋する乙女のようだった。あるいは目の前に獲物がたくさんいるので舌なめずりをしている狂戦士。

「そうですか、よかったですね」

顔こそ微笑を浮かべているものの、他人事のようにいい加減にフォーチュンは答えた。

もちろん他人事であるわけはない。つまりフォーチュンたちを助けるため、民間人立ち入り禁止のはずのバーミンガムまでわざわざ来たということだ。金も労力も使っただろうし、戦闘もいくつもあったのかもしれない。冬華のせいで今こんなに困っているにもかかわらず、ただの友人のフォーチュンたちのためにそこまでした事が逆に心に痛かった。

(冬華さん、まったくあなたは義理堅い人です)

そして逆に言えば、冬華を誘う目的で誘拐したオースターンたちはフォーチュンがいらなくなったということでもある。今現在でも労力のかかる不穏分子であるのにさらに不要になったらどうなるのか。

「殺しやしないよ」

フォーチュンの言いたい事を先取りして、あっけらかんとオースターンは告げた。

「もうすぐここを出てく。人間には計画があるし、俺も計画があるから。しばらくここに閉じ込める。運がよければ冬華が助けるだろ」

オースターンは無邪気な子供のように嬉しそうに顔をゆがめた。フォーチュンはなぜかはるか老獪な悪意あるたくらみを裏に感じて仕方がなかった。

「フォーチュンは今まで訳が分からなかっただろう? 振り回されてばっかだもんな」
「状況的に当然です」
「だから、いい事2つ教えてやるよ。いや3つかな。俺と、俺の味方のふりした人間と、俺の敵のふりをした人間がなに考えているか教えてやる」

それからオースターンがした話は短かったが、フォーチュンたちには何十分も経過したかのような衝撃的な内容だった。

――フォーチュンが言葉も業務用スマイルもなくして立ち尽くしている間に、オースターンは拳銃を肩にかついてベッドから床へ一息で飛んだ。腕を振り子代わりにもせずに驚異的な脚力を見せつけ、へたくそな歌を口ずさみ部屋を出る。

「あ」

全が驚愕もそのままに、それでもドアへ腕を伸ばすと、オースターンが片手でその肩に狙いをつけた。硬直してゆっくり腕を下ろすのをオースターンは満足げに見守る。

「助かりたいか? なら祈れよ、神様なんかいいぜ、がんばりゃこたえてくれるさ」

自分の言った事がおかしくて仕方がないと腹をよじりながら、オースターンは扉を閉めて外からロックをした。


全はフォーチュンを必死でゆさぶって正気に戻し、2人で部屋を出るためのありとあらゆる努力をした。

第一に考えたのはどこかに通路がないかどうかだった。外から鍵がかけられたのだから扉は開かない。まさかオースターンの言う通りのんびり祈っていても開く訳はない。開く扉がどこかに隠れているのではと占い師とアルバイターは部屋中をひっくり返して調べた。ベッドを動かしじゅうたんをのけ豪勢な家具を隅に寄せて、床をはいつくばり天井を凝視し、まさに隅から隅まで泥棒でもここまでやらないというほど部屋を荒らして、壁という壁床という床を調べた。通路はどこにも見当たらない。

疲れ果て一休みしてから、全がぼんやりと上を見上げた。

「フォーチュン、こんな時に占いで何とかならないの?」

裏返しになったじゅうたんの上に腰かけていたフォーチュンは「そうですね」としみじみうなずいた。

「あ、占いの道具を持っていない?」
「まさか、持っていますよ。失礼な」

フォーチュンは自分のタロットカードを四六時中持ち歩いていた。大切なものはいつでも持ち歩いていたいという心境なのであろうし、占い師としての職業病なのかもしれない。

「じゃあ占ってよ、どうしたらこの状況から脱出できるかとか」
「占いとはそんなに都合のいいものではありませんよ」

あまり気乗りがしないようだったが、それでも丁寧にカードを切って1枚めくった。カードにはライオンの口を押さえた美しい女性が描かれている。

「8番、力のカード」

フォーチュンはカードを素早く残りの束に混ぜてしまうと、大きくため息をついた。

「正攻法で正面から行くのがいいでしょうね」
「正攻法って、ひょっとして」

フォーチュンは重々しくカードをしまった。

「ドアをぶち破りましょう」

そこからがまた大変だった。ぶち破ると一言で言っても簡単に済むものであるわけがない。ましてや華奢な占い師と若造アルバイターという、肉体労働には不向きな職種の2人が挑むのである。互いの身長と体格を考慮して、体当たりや蹴り飛ばしてもドアが壊れるより自分たちが壊れることを確認した後、家具にその役割を代わってもらうことにした。力をあわせてテーブルを抱え、合図で横にスライドする扉にぶつかる。繰り返しては休憩し、テーブルが傷んできたら椅子、卓、動かせる大きさの家具を持ち出してはドアと格闘した。

がんばったご褒美なのか、あるいはへたり込んでは立ち上がりをくりかえす彼らを哀れんだのかは分からないが、結果的に幸運の女神は地道な努力に微笑んだ。もう数えるのも馬鹿らしい何十回目の挑戦でドアが今までとは違う音がし、全く動かなかったドアは渾身の力を込めれば何とか横に動くようになった。

「開いた。万歳、助かった」

すでにここにいたものたち全員が退去している通路の中、万歳の習慣がないフォーチュンは全の真似をせずにじっくり考えた。ここはどこか、どうすれば安全な所までたどりつけるのか、無事帰還するためには何をするべきなのか。全を経由してここが相当大きな基地である事、重火器や兵器は一通りそろっている事、本拠地ではない事は知っている。しかし具体的な事は何も分かっていない。ここから一歩外に踏み出せばそこは外で汚染の雪を吸い込んでしまうかもしれない。いきなりAG走る戦場でどことも知れぬ人型兵器に足でもふんづけられるかもしれない。それともシェルターからはるかはなれた陸の孤島で、人里へたどりつくのに何日もかかるかもしれない。悪い可能性は無限大だった。そのような状況でどうするべきか。

「何がともあれまずは出口ですよね。出口がないと脱出のどうのこうのもありません、見つけてから外の見当をつけて、必要なものを集めますか。さ、全さん、行きましょうか」
「その前にやる事がある」

全は立ち上がらずに粘つくようにフォーチュンを見た。

「なんです?」
「ご飯を食べよう。おなかが減った」
「冬華さんみたいなことを言いますね」

こんな時だというのにまっさきに空腹を訴える全にフォーチュンは呆れて笑った。確かに空腹である。飲まず食わずで慣れない運動を行ったせいで空腹のあまり胃が痛い。しかしやはりご飯を食べたがっている場合ではないし、そのためなら1日ぐらいフォーチュンは絶食を覚悟していた。

「だってすいたじゃないか。冬華でなくってもこういう時は何か食べたくなるよ。別に豪華なものとか、食べると健康になるものしかいやと言っている訳じゃないんだよ、普通のジャンクフードでも、この際猫まんまでもいい、人もいないっぽいしつまみ食いしても怒られないよ。食堂とか台所へ行って何か食べよう」

全にしては珍しくフォーチュンに逆らって主張した。そこまで言われるとフォーチュンの我慢を誓ったはずの腹も強烈に主張し始める。

「それもそうですね。ご飯から先にしましょうか」

かくして2人はおおよそ原始的な目的の元、人が全て消えた基地をさまようことになった。


撤退は最低限の時間を与えられたらしい。あったはずの機具道具はあらかた持ち去られていて、基地がやけに広く感じられた。

「夜逃げ後みたいだ」

全の指摘は正しく状況を表現していた。

「夜逃げをしたことがあるのですか?」
「ない。でも不動産と引越し屋のアルバイトをしたことがあるから、結構見たことがある」

平凡は平凡なりに人生に活劇を秘めている。「だとしたら私たちはその空き家に入る泥棒ですね。何かめぼしいものはないのでしょうか?」

本職の盗人のようにフォーチュンは注意深く使えるもの、価値があるものを捜し求めたがその何かが見つかるより先に台所に着いた。

「フォーチュン、食べ物がある!」

全は嬉しそうに冷蔵庫の野菜室からジャガイモを取りだした。業務用の冷蔵庫は部屋のように大きく、置き去りにされているジャガイモも10袋分だった。

「きっとジャガイモは重いから置いていかれたんだね。フォーチュン、バターないかな。バターがあればじゃがバタができる。熱々のジャガイモにたっぷりバターを乗っけて、四角いバターがとろりと半分溶けてジャガイモにしみこんだところをはふはふいいながら食べるんだ。どうしよう、よだれが出てくるよ」

フォーチュンはこの青い髪のアルバイターをこっそり哀れんだ。確かにじゃがバタはおいしい。しかしジャガイモを目撃して真っ先に出る料理ではないだろうし、そこまで賛美するほどでもない。素朴なおやつに目を輝かせる若者の姿は、それよりもう少し年を取った自営業の青年には現在進行形の貧乏さを感じさせた。

「バターは見つからないな。しょうがない、この際ただのゆでジャガイモでもおいしいよね」
「全さん。悪い事は言いません、これが終わったらちゃんと就職しましょう」
「ん? それも占いの結果なの?」
「いえ、これはただの人生経験です」
「フォーチュン、ついでにジャガイモをどう料理すればいいのか占ってよ」
「それくらい自分でお決めなさい」

結局全は大きななべに湯を張って、ジャガイモをゆでて芯まで柔らかくなったらむいて食べた。フォーチュンもお相伴をしたが、心はどこが出入り口で、この後どうするかということだけだった。

「フォーチュン、もう1つどう?」
「ジャガイモばかりそんなにたくさん食べられませんよ、少し周囲を見てきますので、全さんはここにいてください」
「周囲って、どうしてさ。そんなに見るものはないんじゃないの?」
「ただの思いつきですが、食堂に大量の物品を運ぶのは大変です。水も食料も重いものですしごみだって相当出ます。それを少しでも軽減する方法として、あらかじめ食堂を出入り口付近に配置するということがあります。そうすれば出し入れも簡単です」
「そうなの? フォーチュンが基地に詳しいなんて知らなかったよ」
「いえ、今考えただけです。所詮素人の戯言、正しかったら運がよい程度ですよ」

7つ目のジャガイモをかじる全に胸やけを覚えながら占い師は適当に歩き始めた。自分もジャガイモを3つ食べたものの、結局空腹の調味料にも限界があるということだった。

「私も冬華さんを笑えませんね。富山シェルターは豊かですし自分が美食家だったとは知りませんでしたよ」

首をふりながらなくなって初めて分かるありがたさを感じていた。今は懐かしい何でも屋を思い返す。

兵器好きの事を考えていたからその恩寵があったのだろうか。何気なくのぞいた倉庫でフォーチュンは扉の前で固まった。目をこすり、自分の幻視ではない事を確かめると即座に服のすそを翻し、残りのジャガイモをお土産として風呂敷につつんでいた全の前に飛び出る。

「フォーチュン、あった?」
「いえ。ありませんでしたがもっとすごいものを発見しました。来てください」

強引に全の腕を引いてフォーチュンは自分が見つけたものの前へ引っぱっていった。

それは戦車だった。四角い鉄の塊にキャタピラと大砲がついた、真っ黒い死の車だった。