三つ首白鳥亭

−ガン・ブレイド ウィズの声を聞け−

4.そばにいて、必要として

螺旋を描いている階段を駆け上がる。階段の両脇に揺れるおぼろげな、ろうそくのようなぼんやりした明かりしか光源はない。階段がどこまで続いているのかは、どんなに見上げて目をこらしても分からない。

そうよ、階段登っているのよ! あたしはニードを見捨てて上に行っているのよ!

しょうがないでしょ、隠し扉はこっちからじゃ開けられないのよ! 壁に手がかりは全くなくて、いくらやっても爪がはがれそうになったぐらいだわ。向こうから聞こえるのは銃声だけ、いくらあたしが開けろと叫んでも全く反応なし!

あたしは泣いた。泣いて泣いて泣きわめいた。壁にこぶしをたたきつけてメガホンで叫んだ。そうまでしても反応なしよ! だったらあたしのやることは、ニードの命令に従って最上階を目指すことだけなのよ!

「う、う」

ニードが残った理由は信者の足止めよ。だれかが扉の前に残って食い止めないと先に進めなかった。

でも、なんであたしをかばうのよ、スタイルの勝ち負けなんてないわよ。どうして一緒に行こうって考えないの!

「う、うああ」

あたしは泣いた。泣きながら走った。

違う。ただ泣くのは嫌だから叫んだ。叫びながら歌った。泣きながら歌った。歌いながら足を止めなかった。

「あああああ!」

だってそうでしょ、それしかできないのよ! あたしは開かない扉を開けることも、死人を一掃することも、それどころか戦闘の助けになることもできないのよ! できることは一つだけ、先へ進むこと。

足は悲鳴をあげて痛いし頭に血があつまってはじけそうだわ、きっと顔は真っ赤ね。でもあたしはとまらない。絶対に立ちどまるものですか、はいつくばっても岩を歯で歩こうとも、なにがなんでも上に行くの、ニードの行動を無駄になんてしないわよ。

止まらない泣き声を歯をくいしばって耐え、目を袖でぬぐう。

あたしの叫びは枯れない。紋唱術の使い手、シンガーの声を妨げられるものなんてこの世にいないわよ。例え見習いシンガーでもね。

叫べ。全力で全霊で。壁を越えて次元を超えて、あたしの声を届けて。

「っ!」

屋上にたどり着いた。登りきる直前まで気づかなかったわ、転ぶところだったわよ。

塔のてっぺんだった。風は強く髪が乱暴にあおられる。気温は低くないのに骨身にしみるわ。見下ろすとただの荒野でしかなかった。生き物の気配一つもない。思った以上に高かったのね。高いところは好きだわ、うきうきするのよ。

広くなかった。反対側を回ってみると、あたしの身長の倍くらいはある翡翠色のお皿のようなものがどっかり座っていて、手前に干からびた死体がもたれかかっていたわ。

う、気味が悪いわね。我慢して近寄ってみる。死体は風化が進んでいて、ちょっと触れれば崩れてしまいそうなくらい古い。死んでいる信者と違って魔法使いの法衣を着ていた。あたしの服と似ているわね。手にはクオーターロッドを持っていることだしますます嫌だわ。あたしが死んでいるみたいよ。

お皿はひびが全体に走っていて、なんだか文字か模様のようにさえ見えた。暗いから翡翠というより沼色に見えるわね。こんなところに大切そうにあるけれども、意味でもあるのかしら。さわってみたり押してみたり叩いてみたけどよく分からないわ。

首をかしげていると、元々強かった風が烈風になって翻り、あたしは今度こそ転んだ。

いくら荒野だからってこの突風はなによ、ひどい天候ね。文句を言って立ち上がった途端、あたしは悲鳴をあげた。

ドラゴンよ、ドラゴンだわ! 体長はざっと3メートル、鱗というよりも固く硬質化した肌で全身が覆われている。ぱっと見た姿はよく聞くドラゴンの姿だけど、きちんと観察していると首が長かったり前脚がなかったり、色々異なる点があるわね。

って、のん気にしている場合じゃないわ! じっとしていたら丸焼けよ!

急いでどこかに逃げないと。塔の中にもう一度戻ろう、そうよそれがいいわ。

引き返そうとした途端ドラゴンが口を開いた。喉の奥から溶岩色の塊が見える。

ぎゃあ、炎だわ。逃げるのが遅かった、丸焼きになる!

びっくりしたあたしに、でも炎が直撃とはならなかった。冷気が足元から沸いたかと思うと一気に跳ね上がり、辺り一帯に同心円の氷の欠片が舞い上がった。炎とぶつかり相殺しあう。暗い中に無数のきらめきが雪みたいに広がって、まあ綺麗。

「ドラゴン前に一番乗りなんて、大したスタイルだな!」
「グレイ!」

ガンナーズヘブン特別講師にして一流ブレイサー、一緒にここに落ちたはずなのに気がつけばどこにもいなかった男が、いつの間にか扉の前で格好つけていた。足元に氷でできた狼がまとわりついてすぐに消える。エレメンタラーね、精獣の力を借りて魔法を使うものたちのことよ。

「どこに行っていたのよ」
「遅刻しちまって悪いな。さあ、パーティーのはじまり……」

言い切る前にドラゴンの長い首がかみついてきた。ついでに鞭みたいに長いしっぽがうなって飛んでくる。とっさに避けられたのは立派だけど、のんびりしているからよ。

「どうするの、ドラゴンと戦って勝てるの!?」
「まかせろ、伊達に伝説してねぇよ!」

跳ね上がって銃口を向ける。言ったとおり銃弾は全て命中したみたい、鱗から血がにじみ出た。

「それだけなの!?」
「てめぇ覚えていろ!」

うっかり本音が出ちゃったけど、グレイは悪くないんだわ。竜の肌が固すぎて、竜が巨大すぎて大した打撃にならないのよ。

どうしよう。いっそ魔法で。どうもいい線行かないあたしだけど、大威力の魔法はシンガーの特権よ。自分にできることをしなきゃね。

……あら?

「ちっ!」

鋭く舌打ちをした。目を細め、冷静にドラゴンを見つめる。ドラゴンはあたしたちがすぐ丸焼けにできない相手だと分かったはずなのに、翼をひろげ塔ごと震えそうな叫びを上げる。破壊衝動に飢えているのかしら、なんて生き物なの、ここにいるだけあるわね。

「さ、どうして攻めたもんかな」

冷静にグレイが唇をゆがめた瞬間、叩き割るように扉が開いた。ぎゃあ、死人が登ってきた!

出てきたのはれっきとした人間だった。しかも知った顔だわ、ロダリクよ!

「無事か!?」
「ロダリク、気をつけろ」

さらに後ろから不気味なデカダンス、「ドラゴンじゃないか」リィンまでほそっこい顔を突きだしているわ。ちょっと、なんでいるのよ。

「お前を追ったに決まっているだろ、メアリー!」

剣を構え、あたしをかばうように竜の前に立ちふさがる。え、あたし?

「メアリー、少しは考えたらどうだ」

デカダンスの口調はあたしをしかるようだったわ。

「ブレイサーなりたての女の子が突っこんで、自称歴戦の我々が怯えて見ている訳にも行かない」
「スタイル、って訳じゃないけどな」

リィンが付け足す。

「今のメアリーたちをほっておいて安全策に流れるほど、俺たちは堅実じゃないってことだ」

そんなちっぽけな理由で危険に突入するなんて! あたしは叫びたくなった。きてくれたことが嬉しくて。

「喜ぶのは早い」

デカダンスが手持ちのランタンをドラゴンへ向ける。人数が増えたから逃げてくれないかしらと思ったけど、考えが甘かったみたいね。口いっぱいの炎を蓄えて一気に吐き出した。ぎゃあ! あたしはあわてて逃げだす。

といっても隠れる場所なんてないのよ、障害物なしの見通しのいい屋上だものね。一番目立つもの、つまり沼色の皿に隠れた。裏でしゃがみこむ。

隠れながら思う。そういえば、この干からびた死体はなにをしたかったのかしら。皿の前に隠れている、法衣姿のミイラのことよ。さっき自分で言った言葉を思い返す。自分にできることをする。ここで死にたいからいる訳じゃないわよね。目的があるからここにきたのだわ。目的とは?

沼色の皿を見上げる。これかしら。

「メアリー! なに遊んでいるんだよ!」
「遊んでいないわ、黙っていて、考えているのよ!」

じっくり見ると、だんだんひび割れが文字に見えてきた。いいえ、本当は元々文字だったのかもしれない。長い月日と荒れた環境でひびが入り読みにくくなったとか。文字だとしたらなにかしら。

「メアリー、ぼさっとするな! こいつは空を飛べるんだ!」

二回目の叫びであたしは振り返った。

ぎゃあ、目の前にドラゴンの顔! 手を伸ばせば鼻にも触れられそうな近くよ! どうしてこんな近くにまでいるのよ。後ろを向いていた隙に近寄られたみたい。やめてよ、頭をかじりつかれたら死んじゃうじゃないの!

悲鳴をあげて拡声器を振り回す。とっさに横顔を叩くつもりだったわ。どうせなんてことないでしょうけど、なにもしないよりはましよ。

はたこうとした瞬間大爆発が起きた。あたしにかじりつこうとした首がひしゃげるようにとびはねる。耳が一瞬死んで目を白黒させるあたしの前で、爆発の衝撃でドラゴンは塔から落ちそうになった。落ちればよかったのに。

もちろん拡声器の力じゃないわ。そんな便利な機械じゃないわよ。

爆発した理由は。そんな重火器を使える人間はここにはいないわ。いないはずよ。

あたしは顔をあげた。

「真実を求めて調査するのはいいけど」
「ニード!」

バズーカを抱きかかえ、頭にはお茶目な猫耳帽子。表情は冷静で達観。ディテクティブ、ニード・ニア!

「目の前のことも注意を向けないとけつまずく」

大きな三つあみが爆風で揺れた。

「ニードにだけは言われたくないわよ!」あたしは飛んで抱きついた。
「ひゃ! 離れろっ」
「信じられない、なんで、なんでここにいるの!」
「言ったでしょう、上で会うって。私は約束を守る」

冷静ぶって格好つけ、そして少し照れくさそうに帽子を直す。

「自分ひとりなら十分戦って避けられたんだ。守らなくてはいけないメアリーがいたから追いつめられていたの。ひとりだったらなんとでもない」

む、足手まとい宣言されたわ。でもよかった、無事でよかった!

と、感動の再会をしている場合じゃないわ。落ちかけたドラゴンは立ち直り、あたしたち向けて長い首を海蛇のように曲げる。

空白が訪れた。ほんのわずかな時間、ジェンガのように崩れ去ってしまいそうな睨み合い。あたしたちは動けなかったしドラゴンも動かない。

「メアリー」

ニードはドラゴンから視線を外さず口を開いた。

「鏡について知っているか」

鏡? なにを言っているの、後ろの沼色のことかしら。

「きっとこれが要だ」

どういうこと?

「狂信者たちは次元の隙間に迫害されない空間を作って移り住んだ。いくら荒れ野とはいえひとつの世界を作るなんて生半可なことではできない。術士たちの能力もさることながら、大掛かりな魔法の道具や設備も必要とする」

そうでしょうね。魔法はひとりの天才が唱えればなんでもできるものじゃないわよ。

「使用した設備はこれじゃないかと私は見ている」
「ほう、嬢ちゃん理由は」
「他に大掛かりな建物もなければ、大きな設備がおける場所もない」
「消去法かい」

うなずいたわ。

「もしこの鏡が装置の一部なら、利用して自分たちに有利にするようなことも帰り道を作ることもできる」

すごいじゃないそれ。早く調査しなきゃね。

「メアリーの仕事よ」

ニードは素っ気なく伝えた。

え、なんでよ、どうしてよ! あたしは探偵じゃないわよ、ニードが探偵でしょ。

「私は知識は広いけどね、魔法の言語は使えないのよ」
「言っとくが、俺にも無理だぜ。精霊魔法には決まった言語形体がない」

紋唱術だって口語が主よ、字を読むのは苦手なのよ!

と言っても、客観的に考えてみたらこの中で一番分かるのはあたしよね。メイジだもの、見習いだけど。

よし、だったらがんばろう。あ、そうそう。あたしが読解している間ちゃんと守ってね。ドラゴンのごちそうになるのはごめんよ。

「メアリーを食べるような悪食クリーチャーなんていない気がするんだけどな……」

がうっ! 無礼者は一喝して、あたしはお皿改め鏡へ向き合った。

ええと、文字よ。

共通語じゃないわね。そもそも昔の言葉よ。今のあたしたちが読める訳がないわ。魔法の言葉よねきっと。

魔法の言葉は系統ごとに違う。大きく異なりはしないけど、紋唱術士が機装術についての本をすぐに理解できるほどでもない。詳しくは分からないわよ、あたし紋唱術以外の本読まないもの。本は字が多くて嫌いなのよね。

嫌いだけど我慢してじっくり見るわ。後ろが急に騒がしくなった。なにかが始まったみたい。石壁を踏み走り、爪と剣がぶつかり合う音。あたしは気になった。振り返りたいけど我慢して見る。こっちを先にしなきゃ。

なんて書いてあるのかしらね。にらむように見つめる。床に座りこんで指で砂利が混じる床に字を書き写す。

こんなところに書いてあるのだもの、複雑な長文じゃないわよ。慎重に読めば分かるわ、きっと。

後ろで叫び声が聞こえる。熱い熱風も。う、なにが起きているのか、分かるけれど分かりたくない。振り向きたくてたまらないけど、みんなブレイサーだもの、大丈夫よね。

「えっと、ディモス、加護。前半はともかく、後ろはなによあれ。えっと」
「メアリー、あぶねぇ!」

ロダリクが叫ぶ。とっさにしゃがんで転がった。たった今まであたしがいたところにドラゴンの炎がはぜる。当たったら死ぬじゃないのよ!

「分かったか?」
「今読んでいるところ!」

そう簡単に分かってたまるものですか。運命の女神カードもないのに。

集中乱している場合じゃないわ。えっと、細かい違いには目をつぶるとして。前半は「ディモスの加護により聖地に存在する」よ。後半は? 「永遠に支配する」その間にある文章がよく分からないわね。なんてあるのかしら。

きっとディモス関係よ。ずっとディモスをたたえているのだもの、ここもそうよね。

「あいつ、よくこんな時に本当に集中できるな。ずっと咆哮で耳が痛いのに」
「一般人なら狂乱を起こすはずだぞ、ドラゴンの咆哮なんて」
「普段でかい声だから気にならないんだろ」

必死で脳を回転させて、奇跡的に昔習った授業を思い出した。ディモスの勉強だったわ。ディモスには固有名詞としての名前がない。称号と能力で個体ごとを見分けている。確かその個体ごとの特徴の中に、こんな文章があった気がするわ。

「無にして有なる欠片! ディモス『深淵の大公』の所有物よ」

あたしってすごいわ、あんなに退屈だったのによく覚えていたわね。

つまり全文は「ディモスの加護にて聖地存在す。無にして有なる欠片の力は楽園永遠に支配す」よ!

う、だからどうしたって言うのよ。そこから先よ、そこから! だからなに、その結果この言葉にはどんな力があるの。

「無にして有なる欠片の力が重要なところね。支配しているのだもの。守っていないのよね」

調査の後は実行よ。どんなことでもまず試してみないと。

「無にして有なる欠片の力、この世界をなくしてあたしたちを返して!」

なにも起こらなかった。ひどい! ぱっと一挙解決してよ!

起きなかったならしょうがないわ。起こす方法を考えないと。

直接的につけくわえても無駄なのよね。この言葉が鍵と言う推理は間違っていないはずよ。使い方が間違っていたんだわ。

魔法を引き起こす方法がどこかにあるはずよ。でも今その言葉がない。今この場でこれ以上探すのは無理よね。あったとしても分からない。

ないなら作ればいい。つまり共通語としてつけくわえるのではなくて、紋唱の言葉として組み立て直すのはどうかしら。

いい考えだわ。問題はひとつ。自力で呪文を組み立てるのってすっごく高位なのよ! 難しいの、試験でもまるで歯が立たなかったのよ、あたしには無理なのよぉ!

無理だけど。絶対に無理だけど。でも。

「メアリー!」
「黙ってよ」

テストで駄目だと退学だけど、ここで駄目だと亡者の仲間入りよね。う、強制的にやる気がわいてきたわ。がんばらないと。

まず、単語にしてばらばらにする。その後音を分解する。切り刻んで粉々にして、意味はそのまま組み立てる。あたしでも使えるように、歌えるように。音はそのまま意味もそのまま、そのままでは使えないので自分用に作り直す。

「無。有。欠片の力。世界。次元。創造。解放」

口に出してみる。繰り返してみる。

音。メロディ。無機質な単語をかじって噛み砕いて、裏読みして隠された単語を見つけて。そうして拾った音見つけた言葉隠されていた意味に音を乗せてリズムを生み出す。

「イコール。無と有は等しい。反因果律。祈り。異なる世界。作り出した世界。ディモスの力」

う、やっぱり難しいわ。どうやってこれらから歌を作れっていうのよ。もうくじけそうだわ。

「逃げろぉ!」

もう黙ってよ、今いいところなんだから。がんばっているの、邪魔しないでよ。

言おうとした瞬間視界が弾けた。

「ぎゃ」

肺から搾り出された息は言葉にならずに消えてしまう。なにがあったのか分からない。それよりも全身の神経が真っ白になって麻痺したみたい。目の前がかすむ。

「……!」

力が入らない頭をだれかが支えた。耳元で叫んでいる。なによもう、うるさいわね。聞こえているわよ。

「メアリーにポーションを、早く!」
「使い切ったに決まっているだろう」
「ドラゴンがまたくる、早く起きろ!」

目をこじ開けると、見慣れた猫耳帽子が見えたわ。ニード、こんなところでなにしているの?

「ニード、あたしどうしたの?」

起き上がろうと思ったけど力が入らないわ。う、痛くないのに動けないって変な感じね。

「頑丈ね、まだしゃべれるの。ドラゴンの体当たりを受けたのよ。背中から思いっきり」

鏡がなかったら衝撃で塔から落ちていたところよ。ニードはいら立ったようにかばんを探る。なにしているのよニード。

「どこかにないか、アムリタポーション。メアリーが死兆星一号になったら困るのよ! 私たち全体として、それに私だって」
「そんなことよりもあたしを支えてよ。もっと鏡が見えるようにして」

かろうじて腕で目をこする。よし、視界がすっきりしたわ。

「いいところなんだから、もう少しで歌ができるのだから」

紋唱よ。言葉と音を組み立てて詠唱をするのよ。かろうじて頭を起こす。フォースロッドを片手に、もう片手は地面に手をついて。体重の大半はニードに支えてもらっているわ。はるか遠くからドラゴンの凶暴な叫びが聞こえる。それ以外は静かだったわ。大丈夫かしらねみんな。

「破滅をあがめる魂よ、安らかなれ」
「……イノセントめが」

あきれ返ったようにニードがつぶやいた。あたしは意味を聞いている余裕がない。咆哮が聞こえる。

「祈りは実りユートピアは役割をはたした。終わりの時がきた」

加護は消えて支配は終わる。魔法はおしまいよ。

「無と有、永劫の力は砕け散れ。無数無限に広がりつくせ。あたしたちを解放して」

色鮮やかな翡翠色に視界が染まり、あたしは足場を失って落下した。


「うおっ!」
「ぎゃ!」

目が回る。今までの暗い空ではなく、白い天井が見えた。

「な、なにが起きた!?」

グレイが拳銃を構えて叫ぶ。落ちたのはあたしだけじゃなかった、全員みたいね。

「ここはどこだ!」
「会議室みたい」

ニードが答える。冷静そうだけど冷静ではない。だからどうするとかを一切語らず、見て分かることだけを言ったのだもの。

会議室だった。円状の机の真ん中、空きがあるところにあたしたちは転がっている。円卓には偉そうな人たちがずらっと並んでいた。みんな法衣姿だわ、メイジね。偉い魔道師たちもあたしたちより驚いている。勝ったわ。

「ウィザードギルト!?」
「なんでこんなところに?」
「おまえら、どこからきたんだ!?」

いっせいにどなりあう。血気盛んなロダリクは剣を構えるし、メイジも剣を抜いて魔法の準備をする。げ、喧嘩っ早いのは「青の」トリステザ先生じゃないの! 一目散に逃げたいけど、身体が重くて立ち上がれそうにない。

「げ、フィナーゼ・トリステザ?」
「アッシュ! どうしてここにいるの!」

ニードがあたしの肩をつかんで耳元でささやいた。恐ろしいほどの早口だったわ。

「なにをしたメアリー」
「鍵となる言葉を利用して歌を作り上げたの」
「どういうこと」
「無にして有なる欠片の力、というのが要だったのよ。ディモスのその持ち物によってあの空間は成立していたのだわ。その言葉の元に世界の崩壊を命じて滅ぼした」
「そんな簡単に?」
「強運だったのよ。ハードラックよ」

元々クリーチャーがマーカスシティに侵入したのが、あたしたちが探検に出た理由よね。だったらそもそも空間にがたがきていたのかもしれないわ。長い時間もたったし、維持管理する人がだれもいないようだったもの。崩れそうなところにうっかりとどめを刺したのかもね。あたしのせいじゃないわ、運が悪かったのよ。

「待った」

なによ。

「胸騒ぎがする。どういう言葉で命じたの。共通語で言うと?」
「あたしたちを解放してって」
「一字一句その通り?」
「そうよ」
「まずい」

どこがよ。

「あたしたち、の定義をしていない」
「なにが言いたいのよ」

あたしもうくたくたなんだけど。全身まんべんなく今更ながらに痛くなってきたし、寒いし眠いわ。こんなに人がいるのだからだれか回復魔法をかけてくれそうなものなのに。みんな薄情ね。

「つまりそれだと。あのドラゴンも、あたしたちの範疇に入るってこ」

そのニードの背中に、あたしはニードが心配したものを見た。うっかり悲鳴をあげる。

巨大で凶暴、理性の欠片もない生き物が、切りとられたような沼色のなにもない空間から押し出されるように出現する。咆哮をあげてたった今まで平和そのものだった会議室に登場したのを。

ドラゴン! ぎゃあ、一緒にきちゃった!

「メアリー! どういうことだー!」
「あたしは知らないわよ!」

急遽死闘の場となった広い部屋なのに、あたしの声は全員に聞こえたみたい。即座に反論された、かっきり全員から。

「おまえのせいだろ!」

あたしは悪くないわよぉ!