低い声が聞こえる。大勢の声だわ、マーカスシティ全住民をいっせいに呟かせたような、そんな大勢の低い呟きよ。怨嗟と絶望と狂気とを、少しずつ少しずつ吐き出させたようなそんな声。
そんな声聞きたくないわ。
あたしは耳をふさいだ。ふさぎながらも目をあける。
マーカスシティが滅んでいた。深夜の闇の中で建物という建物から火の手が上がっている。それなのにネオンが壁一杯に広がり目を輝かせているように輝いている。泥まみれでのみがたかっている服の人々は力なく床や軒下に寝ころがり、青い作業着の労働者が狂ったように笑いながら大道芸をやっている。へたくそな手品の前で強風がチラシを巻き上げ視界を奪う。あたしの足元で抱えるほど大きい拡声器を抱えたまま絶命している女は、あたしと同じ服装だった。
あたしは悲鳴をあげた。なによこれ! なにが起きているのよ!
靴音がする。あたしは首を曲げた。
行列がくる。新品みたいな制服を着た警察機関イージスの行列。いいや、違う、あれはセイバーよ。軍事機関セイバー。存在だけは知っているけど見たのは初めてだわ。帽子を被りおそろいの銃筒が見ていて恐ろしい。みんなひとりひとり違う人間のはずなのに、なぜか同一に見える。無機質で大量生産される機械人間に。
行列は続くわ。恐怖と狂気の行列が。あたしみたいなちっぽけな人間は簡単につぶされるのよ。そうして影を食らわれてなくなってしまうんだわ。
「違う!」あたしは叫んだ。だれもあたしを見ない、でもあたしは叫ぶわよ。あたしは死体の拡声器をもぎ取って叫んだ。ちょっと気持ち悪いけどこの際しょうがないわね。スイッチを入れると取っ手がぼんやり光る。いい感じだわ。
「この悪夢はあたしのじゃない!」あたし、声の大きさには自信があるのよ。まして拡声器付き、マーカスシティの中央広間で演説だってできるわねきっと。全身全霊で叫ぶわ。
「だれかの夢よ、あたし以外の人の悪夢よ。あたしはただ見ているだけなんだわ。見させているのはだれよ、これはなによ!」自分ながら耳が痛くなるほどだわ。まるで悲鳴だった。その悲鳴にあたしは目覚めた。悪夢から覚めた。
起きた途端燃え盛るマーカスシティも行列も浮浪者も消える。安心している場合じゃないわ。あたしは大気にむせ返りその場でのたうちまわった。
なによこれ、呼吸が苦しい!
空気自体が重くて普通の呼吸をしようとしても喉につっかえそうだわ、その上ひどい臭い。臭気とかなんて生易しくはない。肺に入った空気を全部出したいところだけど、人間は空気がないと生きていけない、あたしは喉をかきむしり咳こんだ。吐き気がこみ上げて止まらないけど、出てくるのはやけに酸っぱい液だけ。
さんざん苦しみ、やがて苦しむのにも飽きてきたわ。身体が慣れたのかしら。しばらくじっとして、涙と鼻水をぬぐうとようやくあたしは起き上がった。
荒野だった。空はとても暗く、ひび割れた大地にあるのは砂と岩だけ。動物も植物も、こけひとかけらも見えないわね。変なことに遠くまで続いている地はある点でぷっつり闇に途切れている。だれかが「はい、ここまで」そう言って壁で仕切ったかのようよ。
一番目立つものは遠くにある塔だった。ケリュケイオンの塔以上の高さを持ち、胴回りも太くてまるでお城のようだったわ。くすんだ灰色の巨大な樹にさえ見える。ほかにはあたしぐらいある岩とか、あたしの3倍はありそうな岩が無造作に転がっているだけ。
足元には拡声器が転がっている。あら、さっきのは完全白昼夢でもなかったのかしら。つかみあげてよく見るわ。取っ手の箇所には使いにくそうなむき出し金属部分が露出している。スイッチを入れてみるとぼんやり黄色い光でつつまれた。珍しいわね。持って帰ったら売れるかしら。だれのものでもないのだし、使えそうだからあたしのものにしちゃおう。
「ニードはどこに行ったのかしら」一緒にいると思った猫耳帽子のディテクティブがどこにもいない。グレイもいないわ。はぐれたわね。
味方はだれもいなくて、ここがどこか分からない。あたしは無防備で無知で危なっかしいことこの上ない。あたしは頭をかきむしったわ、すごくどうしようもないじゃないのよ!
とにかくじっとしていてもしょうがないわ。塔に行ってみよう。だれか住んでいる人がいるかもしれないし、ニードやグレイがいるかもね。こういうときは空元気が一番よ。せきこみながらあたしは無理に元気を出して歩きはじめた。
足のコンパスが短いからたどり着くだけでも一苦労よ。早足で歩いたけど、到着するまで結構時間がかかった。
近づいてみると本当に大きいわね。がっちり門を守っている鉄の扉は普通の手段では重くて開けそうにないわ。デザインは見たことがなくけばけばしい紋章で埋めつくされている。錆がない門に肩から体当たりをしてこじ開ける。
「だれかいる? ニード? グレイ?」大声で挨拶してみるけど、だれもいないようね。
「外と同じくらい殺風景ね」家具は全くなくがらんどうだった。もともと大きい建物なのに壁の仕切りさえもない部屋は大きすぎて空虚だわ。地下に続く階段と2階へ上る階段がある。どっちがいいかしらね。
「やっぱり上よ」元気よく手を振って階段へ。人に会うまで登るわよ。
低い声を聞いて足を思わずとめた。低い歌声、大勢が小さい声で歌っているんだわ。
行列がくる。あたしをふみつぶす軍隊の行列が。悪夢を思い出す。一目散に逃げたいのに、夢が本当に現実になるのか信じられなくてあたしは動かなかった。まさか、そんなはずはないわ。この声はどこからきているの。
声を探して、見つけてあたしは悲鳴をあげた。
行列がくる。行こうとしなかった階段地下から。服装はまちまちで立派な正装、絹の法衣から麻の貫頭衣、果てはボロ着まで。人種さえもばらばらで、エルフもドワーフらしい人も見える。
全員死んでいた。ミイラのように干からびて、皮が骨に張りついている。眼球のあるところは落ちくぼんだ闇で、うつむいて規則正しく歩いていく。喉から声が出るような身体の構造をとっくに放棄しているはずなのに、呪い歌のような賛美歌のような歌は続く。悲鳴をあげ続けているあたしなんてまるで見えていないわ。
ぎゃあぎゃあひとり大騒ぎしているあたしは、死者の群れに見覚えのあるものを見つけた。
「ニード!?」間違いない、ニードの猫耳帽子よ。行列の中にちらりちらりと揺れているわ。あの中にいるの? あたしは人の群れに突っこんだ。
「そこにいるの?」全然入れない。力づくで割りこもうとしても淡々と歩く人に押し返されてはじかれる。邪魔だから押しのけているのではないわ。あたしなんて目に入っていないのよ。
「このっ!」頭ごと突っこんでみたわ。かまわず歩く人の肩に両手を引っかけて無理やりしがみつく。フォーカスロッドを振り回してなんとか視界を確保する。ちょっと、死んでいるんだからもっとおとなしく動きなさいよ。
見えたわ。ニードよ。頭をがっくり落として両脇から死者に抱えられている。気絶しているのかしら、まさか死んでいるとか。冗談じゃないわ、死なされてはたまらないわよ。
「ニード!」叫んでも反応はない。足が宙に浮いたままメガホンを構えて叫んだ。「ニード!」あたしだって耳が痛くなったのに、死者もニードも無反応よ。むっ、ちゃんと聞きなさいよ!
かき分けて直接起こそうとあたしは進んだ。人並みを潜るというよりも肩を登っているようよ。動いているから登りにくいなんてものじゃないわ。振り落とされ踏まれそうになってあわてて逃げた。
あたしは寒気がした。殺意も悪意もなく、淡々とふみつぶされて死ぬのは嫌よ。でもこのままだとなんの手立てもなくニードを持ち帰られてしまうわ。
彼らは階段へと足を踏みだす。どこに行く気なのかしら。なんとかして止める手段はないのかしら。いいえ、止める必要はないのよ。彼らがどこに行こうとあたしの知ったことではないわ。ニードを置いていってくれればいいのよ。
「そうだ!」発想が転回したわ。わざわざあたしが肩をつかんで起こすことはないのよ。ニードに起きてもらえばいいのだわ。
もちろんあたしは最初にそうした。大声を出して呼びかけた。でも全然答えてくれなかったわ。普通に寝ているのじゃないからよ。
だったら普通じゃない声で呼びかければいいんだわ。歌よ。あたしが本来大得意なはずの紋唱術! 詠唱によって巨大な法紋を作り力を振るう魔法。
大きく息を吸う。フォースロッドを習った通りに身体の正面へと運ぶ。足を肩幅と同じくらい広げ、胸をかすかに張る。
そして唱える。歌にとてもよく似た紋唱を。紋唱って歌唱にすごく似ているのよ、だから紋唱使いはシンガーとも呼ばれるの。
「力よ、粒子となりてあたしの元へ」唱えているのは再生の紋唱。生命の力を導きつつみ、どんな大怪我もあっという間に治すわ。
あたしが推測するに、ニードは普通に寝ているのではなくて空気中の毒素にやられているのよ。それで昏睡しているんだわ。だったら回復をさせればきっと目覚める。体力さえ取り戻せばあたしみたいにすぐ慣れるわよ。
「生命よ、流れ巡りて彼の元へ。あたしの友を助けて」今まであたしのことなんて無視しきっていた死人たちが突然反応を起こした。手を伸ばし、緩慢な動作であたしへつかみかかってくる。うっ、気味が悪いわ。払いのけてくぐりながら魔法を続ける。止めるわけにはいかないのよ、まだ始めたばかりなのだから。
動作が遅いから油断していた。顔をあげると四方八方囲まれてつかみかかられていた。なにするのよ!
歌いながら力づくで振りきりクオーターロッドではたく。メイジに必要なものは知性と根気、そしてなにがあっても魔法を止めない根性と気合よ。ねずみにかじられたときのあたしには根性が足りなかったわ。今は違う、やる気で一杯よ。
腕をつかまれて肩を押さえられる。重くてあたしはぶざまに倒れた。その上からおおいかぶさってくる。干からびているのになんて重さなの。つぶされるわ。
もがいたけどしょせん女の子の力よ、どうにも抵抗できない。腕をぬけそうなほど引っぱられて、頭を2人がかりで踏みつけられてあたしは危うく悲鳴をあげそうになった。あげそうになりながらも魔法はやめない。声はとめない。まだなのよ、紋唱は時間がかかるのが難点なの。長く唱えないと効果が出ないのよ。
頭が軋む、肩が痛い。床の砂利が肌に食いこむ。このまま踏み潰されるのは嫌よ、でも抵抗しようがない。とうとう呪文がとぎれて代わってうなり声になる。ああ、根性が足りなかったわ。
あたしここで死ぬのかしら。こんなに善良なあたしなのに、どうしてこんなところで死なないといけないなんて。なんてかわいそうなあたし。
耳鳴りが激しい。脳をかき鳴らす聴覚に、にぶくて重くて物騒な音が割りこんだ。あたしの上に乗っていた死者が吹き飛ぶ。2つ目、3つ目。枯れ木を鉈で叩き割るように、小気味いいほど撃ち倒す。
閉じかけた目を開けるとニードがいた。猫耳帽子を被り、口元を引き締めて。地下水路で持っていた抱えるほど大きな銃よりも更に経口も重量も、もちろん威力がありそうな重火器を構えて撃つ。あれって確かバズーカって言うのよね。なんでそんなもの持っているのかしら。
一発撃つたびのとんでもない音で頭が割れそう、どれだけ威力があるのよ。耳を押さえてうずくまるあたしは、それでもしっかり目を開けていたわ。死人がニードにつかみかかっていったけど、慌てず散弾銃に持ち替えて撃ち殺していく。襲いかかってきた死人は数が多くなかった。そして最後のひとりが動かなくなる。
あたしは起き上がった。頭がまだ痛いわ。頭蓋骨にひびが入っていたらどうしよう。
「ニード、起きたの」「他の人は?」
む、開口一番にそれ? あたしの無事を喜ぶのが先じゃないのよ。
「いや、普通はそうだろうけど、メアリーは頑丈そうだし見るからにぴんぴんしているし」ひどいわ、あたし殺されかかったのよ!
「そうふくれるなって」「ふくれるわよ! あたしはひとりよ。だれもいないわ」
「全員じゃないの?」
「そんなの知らないわよ。見る前にあたし飛びこんだのだもの。グレイは見つけられなかったわ。でも死んでないでしょうね」
ニードは深いため息をついた。
「ったく」「ここはどこなのかしら。あの人たちはだれ?」
「ここは亜空間」
「亜空間?」
授業で聞いた気がするわ。なんだっけ。
「魔法によって空間を捻じ曲げ、無理やり発生させたスポットポイント。そして彼らはディモスの狂信者」「げ」
ディモスは千年前の大災害を引き起こした元凶よ。悪魔であり最悪の存在。
それなのに信じる人もいるのよ。神々を信じるようにディモスをあがめて信奉し、彼らの命令どおりになんでもする。危ないのよ、危険だわ。隣人にしたくないわね。
「聞いたことがある」ニードは帽子をかぶりなおした。
「昔迫害されたディモス信者が、魔法で空間を作り出し移住した。そこで信者は永劫にディモスをあがめ祈りを捧げる」ニードは思い出すように目を細めた。
「大昔のおとぎ話だけど、まるごと空言絵ではなかったみたいね」「なんでその信者がゾンビになっているのよ。ずっとのん気に祈っていればよかったのに」
信者って人間でしょう。寿命がくればいつかは死ぬ、死んだら普通は死にっぱなしよ。ゾンビにならないわ。
「ディモスを信奉した末路だろ」ニードは切り捨てた。「理由は分からない。呪いかディモス信仰の代償か、なにかあるのだろうけどそっちの真実は比較的どうでもいい。世界を終着に導く悪魔を信じるから、死んでも礼拝し続けるんだ。同情はしないな」
そうかもしれないけど冷たいわよ。行列の人々は立場が違ったら友人になりえたかもしれないのよ。軍靴のパレードと同じだわ。ひとりひとりはいい人だけど、集団になるとみんな変わってしまう。ディモスを信じる気持ちは分からないけど、死んでもなお祈り続けるなんて。あたしは同情と哀憫で一杯になった。
ニードはちょっとあたしを見た。
「これからどうしましょう」「ここがどのようなところか調査して、私の手で真実をつかんで、加えてグレイを探す。脱出もする」
言葉にまとめるとてっても簡単そうだわ。がんばろう! あたしはやる気が出たけど、ニードは逆にため息をついた。立ち上がる。
「しっかし、メアリーもまた物見高いね」「なによそれ」
「真相が知りたいがためにゲートを飛び越えて、地獄の世界にきたということ。そんなことをするの私だけだと思っていた」
むっ。ちょっと待ってよ。
「あたしは真実を知りたくて、なにかを見たくてきた訳じゃないのよ。ニードが飛びこんだからついて行ったんだわ」「私を? どうして」
「ニードが大切だからよ。
がんばって調査して、どんな些細なことでもとことん突き止めようとするニードにとても感謝していて、そんなニードが好きだからよ。それなのにニードはあたしのいうことを全然聞かずに、ひとりで落ちこみも失望も危険も黙って飲みこんでいるから。あたしの言うことなんて全然聞かずに、真実と危険ばっかり見ているからよ。
あたしが心配していて、ニードがとても大切だって言っていることを聞かせたいからここにきたの。ここまで追いついて、あたしの言葉に嘘はないって証明して、襟首つかまないと聞いてくれないから、聞かせるためにここにきたの」
どんなものよ、ニードのために地獄の底まできたわ。すごいでしょう。
「だからあたしの話を聞いてよ、言いたいことがあるのよ。あたしはニードが悔しがったり痛い目を見てほしくないの。あたしが大切に思っていることを知ってよ」
「おまえは、馬鹿か!」歯を食いしばって怒られたわ。
「そんなことのために、ゲートに突っこむな!」「そんなことじゃないわ、飛びこむだけの価値はあったのよ。ニードだって真実とやらのために行ったじゃない」
「真実の探求は私のスタイルだ、誇りだ、全てだ!」
「じゃああたしだってそうよ、同じくらい思っているのよ!」
「一緒にするな!」
「どう違うって言うの。同じでしょう」
ニードはぐっとつまり、うなだれた。
「全く、本当に全く……」「分かればいいのよ」
満足してあたしはうなずいたわ。全くもう、ニードが頑固だからあたしが苦労するのよ。
「じゃ、調べに行きましょう。グレイを見つけて脱出するのよ!」調べるといっても調べられるところなんてここしかないわ。塔の中よ。
「ここには何にもなさそうよね。上か下に行きましょうよ」「どっちにしようか」
「上」
人間前向きに生きなきゃ。
「そういう問題じゃないけど、正直判断材料がない。縁起を担ぐか」むっ、なんだか癇に触れる言い方ね。文句をつける前にニードはさっさと登っちゃったわ。待ちなさいよ。
上の階は人影はないけれども、多少は建物らしくなった。ちゃんと壁も扉もあるわ。
「死者が押しよせたら困るな」慎重に、うんざりするほど慎重に扉を調べながらニードはこぼした。
「その時はニードがなんとかしてよ。あたし戦えないわよ」「嘘つきがいた」
ひどいわね、今の一言に嘘はないわよ。
「正直なところ一斉にかかられたら私にも厳しいところがある。なるべく戦いを回避して進もう」大賛成だわ。でもそんなことできるのかしら。
首をかしげていると急にニードが振り返る。慎重さをかなぐり捨てていきなり散弾銃を乱射した。ちょっと、なにするの、危ないじゃないの!
「後ろ!」ふりむくと手を伸ばせば届きそうなところに亡者がいた。きゃあ、驚いたわ。
「叫ぶな、耳が痛い!」散弾銃を撃ち、あたしを背中にかばい、ニードは数歩後退した。あたしの服をつかみ後ろへと逃げる。もちろん後ろは壁よ、背中を打ったわ。ちょっと、痛いじゃないの。
「メアリーは頑丈そうだからいいじゃないか」ひどいわ!
口は気軽なことを言っているのに、ニードの手は一秒たりともとまらなかったわ。立て続けに撃って撃って撃っている。死人が折り重なって倒れていくのに止まらない。きりがないわ。逃げないと。
「どこに逃げるの、ここは敵陣よ」唇をかみしめニードは指摘した。銃撃しながら頭をすさまじく回転させ、次の一手を必死で考えている。撃ちながらもじりじり壁沿いに後退する。あたしもなにかしないと。守られているだけっていうのはあんまりよ。紅炎の紋唱を使って死人をなぎ倒すとか。いいわねそれ。さっそくフォースロッドを振り回そうとして壁にぶつけた。
「狭い空間で大魔法使おうとするな! 私も黒こげになる!」怒らないでよ!
「それより壁を叩いて。よく見て」え。どうしてよ。
「音」そこから先は聞けなかった。近寄りすぎている信者に対して、なんと直接銃でどつき蹴り上げたから。いいのかしら。つかみかかる腕を逆に前に出ることでかわし、つかんで「たっ!」地面へと転がす。もうこんなに近寄ってきているのね。
音がどうしたのよ。銃声がうるさいこんな中、なにを聞こえたのかしら。
それでも壁を見て、すぐにあたしは気づいた。
「レンガのつなぎ目が平らすぎるわ。積み上げるだけでいいはずなのに、おかしいわね」ニードがやっているみたいに密着してよく見てみた。ぺったり触れてさわってみる。
いち、に、さん、し。横へ這いずったら見つけた。あたしの手の届かないくらい高いところからジグザグに亀裂が走っている。ためしに亀裂に指を突っこんでみたら、思ったより簡単に壁が割れたわ。
「ニード、壁! 壁が開いたわ!」「隠し扉という存在ぐらい知っていて」
中は暗い。上から下へ螺旋状にぼんやりした明かりが灯っている。狂信者はいないみたいだった。
「ここから逃げましょう。死者はいないし続く道もあるわ」「いい考えだけどねメアリー」
あたしへ振り向かず、それでもあたしのほうに寄りながらニードは言う。
「その、肝心の入り口から入ってこられるのよ。メアリーでも簡単に開くぐらいなんだし、元々は彼らの塔だ。彼らの緊急用の逃げ道だ。そこに行っても追いつめられることには変わらないね」なによ、それじゃがんばっても駄目じゃないの。徒労だわ。
「メアリー、なんで私たちは自分の主張にこだわるのか知っている」知らないわよ。こんな時になに言っているの。
「自分を保つためだ。主張しないと命がけの世界で生きていけないから。流されて振り回されて負けるから。負けたくはない、死にたくはない。だから私たちは主張する。自分はこういう人間だ、自分にとって大切なことはこれだって。私にとっては真実を求めることが大切なの。真実は武器であり力だ、見つけて自分のものにする。周りの方を振り回す側になる、私が周りを律する」
つかみかかられたコートの裾がちぎれる、銃を撃ち振り回しても伸びてくる手は止まらない。銃弾で倒れるよりも死人が迫る速度の方が速い。こんな時に自分語りをしているんじゃないわよ!
「でもメアリーは、人のためにどこまでも、地獄の果てまでも飛びこめるのね」それがどうしたのよ!
「メアリーは健全だから知らないのかもしれないけれどね。必要とされるっていうのは、嬉しいことなのよ。それこそ代わりに真実をくれてやってもいいと思うぐらいには。私の信念を棚上げにしてもいいくらいには」つまり、私は負けたの。メアリーのスタイルに。
「ちょっと、なにしみじみ語っているのよ。そんなの勝ち負けじゃないでしょ」あたしに返事をするより先に、ニードはあたしを蹴っ飛ばした。あたしは隠し部屋にぶざまに転ぶ。顔をあげると、死人とつかみかかりの格闘をしているニードが扉の向こうに消えようとしていた。
ニード!?
「上へ!」天井を指差し勇ましくあたしに命じて、そして扉は閉まった。