三つ首白鳥亭

−ガン・ブレイド ウィズの声を聞け−

2.灰色スタイル

みんなが慎重にのぞきこんだ。

「空気が湿っているぞ」
「水があるみたいだね」

へぇ。

「前のめりになるな! 落ちるだろ!」

ほとんど流れていないような静けさで、確かに浅く水が張っていたわ。水面ぎりぎりまで懐中電灯を近づけてみる。なにも見えない。

「臭いもなし」
「水につかって歩いてみるしかないのか」

デカダンスが嫌そうに言った。いいじゃないのよ。落ちて病気になるわけじゃないのよ。

「だからっていきなり靴を脱ぐなっ、飛びこむ気か!」

ニードが折りたたみの長い棒を取りだし慎重に水底をつついていった。

「なにをしているの?」
「罠がないかを調べている。もし落とし穴や危険なことがあっても、先に気づいたり避けることができる」

それだけにとどまらず、ニードは頑丈そうな眼鏡をかけた。あ、あたし知っている、ナイトゴーグルだわ、暗闇でも昼間のように見えるとってもいい道具よ。高いのよ、売ればもうかるわ。

「メアリー、よだれをたらすな」

ニードの腰に紐をくくりつけ、明かりを後ろの人に持たせて少し先に歩く。歩き方はうんざりするほど遅く、慎重にやっていることは分かった。

「だからってあくびをするなよ」

だって暇なのだもの。ねずみにたかられるのは真っ平だけど、のんびりお散歩しにきたんじゃないわよあたし。

「しっ」

スカウトのリィンがたしなめた。

「なにかくるぞ」

えっ、なにかしら? さっきはねずみだったから今度はわにとか?

「なぜその発想になるんだメアリー」
「見ろ、あっちだ!」

指を指した方角に人影が見えた。確認した途端あたしは「ひゃっ」小さく叫んだ。

半魚人よ、半魚人だわ! 表皮はぬめりを持つ虹色の鱗、シルエットこそ人型だけど明らかに人間ではない口いっぱいの牙、血走った目、あたしが見上げるほど大きい半魚人がいる! 広場にいたクリーチャーと似たような系列だわ。

そしてあたしたちめがけて襲ってきた!

ニードが銃をかまえロダリクが抜刀して走り、リィンが小さな部品を取りだしあたしはちゃんと逃げられるかしらと後ろを確認する。

「どいてなっ!」

あたしたち以外の声がした。

かっ。あたしの視界から、つまりあたしたちの後ろから数発の銃弾が壁に当たって火花を散らした。瞬間半魚人が聞くに堪えない悲鳴をあげて倒れ、水面に波紋を散らしどす黒い血を両方のこめかみから流す。

「跳弾? この精度で!?」
「だれだ」

デカダンスが鋭く問う。いまや注意は死んだ半魚人より後方の人物へ全員が向いていた。

「そう警戒するなよ、俺は味方だ」

あたしたちを和らげるように、意図的に軽い声と共に男が出てきた。

灰色の髪をしたエルフだった。見た目は20歳前後、とっても若いけどなにせ長寿のエルフだもの、信頼できないわ。

「アッシュ・ザ・スタイル!」

ロダリクが叫んだ。他のブレイサーも色めき立つ。なに、どうしたのよ。

「だれよあなた」
「メアリー、知らないのか?」

たしなめられたわ。不愉快ね、知っているわけないじゃないの。

「有名人なんだよ、ガンナーズヘブンの講師、アッシュ・ザ・スタイルのグレイ・バーネット!」

ガンナーズヘブン? 物騒な名前ね。聞いたことがあるわ、銃術協会よ。

「ガンスリンガーとしての腕はまさに一流、Aランクブレイサーだ。経歴は不祥だが噂はつきず、かの有名なR.A.S.の一員じゃないかとか、マフィアの一家を一晩で壊滅させたとか伝説の人物だ!」

知らないわよそんなこと。評判はともかく、この登場ならただの不審者だわ。

「グレイがどうしてこんなところに」

デカダンスの疑問は当然だったわ。「なに」あくまでグレイは軽かった。

「ブレイサーギルトから緊急の依頼があってな、捕まっちまった。同行するぜ。同じパーティーの仲間ってやつだ」
「すげぇ、グレイさんと一緒に……」

感動したような呟きが聞こえる。あっという間に群がったわ。本当に有名人のようね。サインをもらえば売れるかしら。

「よし、行くぞ!」

主導権をにぎったグレイは先頭に立ったわ。拳銃を片手に、警戒しながらもどこか余裕ある態度で歩を進める。

あら、さっきまで先頭にいた猫耳帽子は?

首をめぐらせてすぐ見つけたわ、一番後ろにいつの間にかいた。

「全然気づかなかったわ、いつの間に動いていたの?」
「素人に気づかれるほどうかつな動作をしないよ」

ナイトゴーグルを額へ持ち上げて、大したことでもないように肩をすくめた。腰に巻いていた紐は解いて、歩き方に慎重さはもうない。

「アッシュ・ザ・スタイルがくるなんてね。信じられない」
「そこまで?」
「そこまで。みんなの反応を見なよ。頼りきっている。実際とてもすごい人だよ。生きた伝説だ」

あたしは顔をあげた。ニードの表情はなにも映していない。

「楽ができたね。私は後ろでのんびり行こう」

あたしは寂しくてたまらなくなり、胸が張り裂けそうになった。今まで先頭で神経を張りつめて熱心にやっていたのに、いきなりもういいやなんて思っている訳がないわよ。

ニードはとってもがんばっていたわ。慎重に熱心に、地をはいつくばってなにがなんでもと調査をしていた。それなのにもっとすごい人が出てきた途端だれもニードを見ない。そんなのあんまりよ、かわいそうだわ。あたしはニードの手を握った。

「ニードはとてもがんばったわ。あたしやみんなを助けてすごかったわよ。あたしは知っているわ。

そんなこと言わないでよ、ニードにはニードにしかできないことがあるし、たった今まで全力で取りくんできたわ。グレイがどんなすごい人か知らないけど、それでもニードの仕事は残っているのよ」

ニードはちょっと引っかかったようにあたしを見た。

「……はいはい、ありがとう。気持ちだけもらっていくよ」

むっ、本気にしていないわね。

「ちょっと、ちゃんと聞きなさいよ、あたしの言っていること」
「聞いているよ、ありがとうね。さ、行こう。メアリーの仕事は残っているんだ」

背中を押されたわ。不愉快ね。いいわ、何回でも言うんだから。


グレイは確かにすごかったわ。天然にできた落とし穴もすぐさま見抜き、遭遇したねずみの群れをひとりで血祭りに上げた。

休憩になって各自食料を開き、わずかに座れる場所に座って休む。

「メアリー、自分に食料の手持ちがないからってよだれをたらすな! 食べにくいだろ」
「わけてよ」
「一食抜いても死にゃしない」
「空腹はつらいのよ、死に至る病よ、食べさせてよ」
「自分で持ってくればよかったのに」
「お金がなかったのよ、貧乏なのよ!」

貧乏は辛いわね。ひもじさと寒さは敵よ、貧乏だと逃げることができないのよ。

泣いていると「お前、その程度で泣くなよ」グレイがあたしの頭を叩いたわ。むっ、馴れ馴れしいわね。

「飯なら大目に持ってきているぜ」

なんていい人なの。あたしはありがたくごちそうになったわ。

「しっかし、歴戦ブレイサーの中でひとり浮いてるな、メアリー」

あら、そうかしら? 少しはそうかもね。あたしは乾燥パンをほおばるのに忙しくて返事をしている余裕はないわよ。

「ここにいる訳はなんだ?」

急になによ。

「なに、メアリーの話が聞きたいだけだ。素人がこんなとこにいるからにはさぞ訳でもあるんだろうな。おまえのスタイルはなんだ? ゆずれない主義は? 大事でたまらない感情はなんだ?」

変なことに関心を持つのね。あたしは胸を張って答えた。

「もちろん貧乏脱出、大金持ちになることよ。お金がないのは首がないのと一緒よ」

対角線上に座っていたニードがずっこけ、グレイは大笑いした。なによ。

「いいさいいさ、それがおめぇの生き様なら貫いてみせろ! それがスタイルってもんだ!」

こんな当たり前のことで喜ぶなんて、きっと変人なのね。かわいそうに。

「なんで私はただの貧乏人と仕事しなければならないんだ」

ニードのかすかなうめき声が聞こえた。


短すぎる休憩の後出発よ。泥がたまりすぎてヘドロになった水路をざぶざぶ越えて、気持ちの悪い虫でびっしりの通路を踏みつぶしながら行く。足の裏に張りつく感触が気持ち悪いわね。

「気持ちが悪いですむ神経の太さは誉めどころだが、よろめくな転びかけるな私につかまるなぁぁ!」

なんだか街の最深まで落ちている気分よ。どこまで水路は続いているのかしらね。

「待て」

グレイが制止した。

「あれを見ろ」

指さした方向は、見捨てられた水路の中でもさらに存在ごとすっぽ抜けたような場所だった。からからに乾いて苔さえも干からびた行き止まりには、でも普通ではないものが張りついていた。緑色の淡い光が壁一杯に広がり、周辺には共通語ではない記号で埋めつくされている。

「なによこれ」
「それは私たちがメイジに向かってする質問だと思う」

冷静にニードがつっこむ。うるさいわね、驚くくらいいいじゃないのよ。

グレイが壁に銃弾を撃ちこんだ。銃弾は壁に吸いこまれて――変な言い方だけど、こうとしか言えないのよ―― 音もなく消える。

「これ、ただの壁じゃない!」
「ゲートだな。ここではない別の場所に通じている」

デカダンスが分析する。ゲート? なんだったかしら。

「なんでメアリーが知らないんだ。ゲートとは時空術、次元を操る魔法だ。構成も制御も難しく、高位者でなければ教わることさえできない」

そういえば習った気がするわ。確かにすごい高位の術よ。次元を操る、つまり世界の空間を意のままにする。ディモスが使う力に近くて、だからディモスに対抗できる切札の術じゃないかとさえ言われているのだわ。そんなものがその辺に転がっているものなのかしら。

「あるものはしょうがねぇだろ」

グレイは大げさにあたしたちを振り返った。

「おまえらはここで待っていろ。俺が向こう側に行ってみる。一刻たっても戻らねぇ時はブレイスに帰りな。今あったことを伝えろ」

あら? どこにつながっているのかも分からないところにひとりで行く気なのかしら。無茶ね。あたしがなにか言う前にニードが前に出た。

「受け入れられない、グレイ」
「おいおい、邪魔するんじゃねぇよ探偵。一番強い人間が進んで犠牲になるって相場だろ? 格好つけさせろ」
「いいや。行かせない」

きっぱりした言い方だった。

「なぜならグレイは初めからゲートの存在を分かっていて、独り占めする気だからだ。犠牲になるつもりなんてさらさらないのだろう」
「人聞きが悪ぃな、おい」

分かっていたって、どういうことよ。

「ちょっと考えれば分かる。地下水路から外につながっていてクリーチャーが通ったなんてことがありえるなら、もっと現実離れした事態も想像できる。地下にクリーチャーが飼育されているとか、非常識などこかにつながっているかもしれないとか。そういう事態をブレイズは予想してグレイは呼ばれた、そうだろう」

なんでそれでグレイが呼ばれるのよ。

「私たちでは解決しきれないと判断されたから」

じゃあ逆にグレイひとりでやればいいのに。

「露払いは必要だし、いくら実力者でもひとりは大変だからだろう。メアリー、茶々を入れるな、私は真剣なんだ」

ひどいわ、あたしも大真面目よ!

「ひでぇな、俺たちは前座かよ!」

ロダリクが憤る。なだめるように灰色髪のブレイサーは手を上げた。

「ニード、証拠もねぇのにその言い方はねぇだろ」
「否定せず、か。違うのなら全員でゲートをくぐればいいでしょう。ひとりで行く理由はない」
「危険分散はれっきとした理由だろ。いきがるなよ」
「単独で行く方が危ないことぐらい分からないの?」

なんだかとっても不穏よ。まるでけんかしているみたい。よく考えれば二人はもちろんあたし意外全員武装しているし、ブレイサーなんて元々暴力沙汰はとっても得意な人種だわ。いつけんかになってもおかしくないのよね。ちょっと、やめてよ。

「逆に聞こうか。おまえはどうしてそこまで食ってかかるんだ?」

鋭くグレイは問う。

「俺にどんな考えがあろうが、おめぇはブレイサーとして報酬も得られるし安全だ。問題ないじゃねぇか。食ってかかる理由はない。それなのにどうして反対する? プライドか?」
「置き去りにされたら、私はもうなにが起きているのかを知ることはできないだろ。なにが起きたのか、裏にあるのはなにか、それをブレイズとグレイに全部独り占めにされたらたまったものじゃない」
「……なるほどねぇ」

グレイの目が細くなる。

「猫耳帽子のニード・ニア。真実の探求者。命の危険より俺に歯向かうより、真実を隠されるようが辛いってか。大したスタイルだな、気に入ったぜ」

笑ったはずなのに銃を突きつけられた気がしたわ。なによこの人、怖い人だわ。

「だが、行かせられねぇな。こっちにもそれなりの事情がある」
「どうやって止めるつもり? いくらグレイが強いからといってもこっちの方が大人数だし、第一グレイがゲートをくぐった後私たちを止める方法はないわよ」

そう言えばそうね。止めようがないわよ。

グレイはちっともひるまなかった。

「こうやってだ、嬢ちゃん」

グレイは天井に銃を向け、豪快に乱射したわ! ちょっと、なにするの!

当たり前だけど天井は崩れる。小さな石や小さくない破片がふりそそぎ埃が目に入って痛いわ。逃げなきゃ、今すぐ逃げるのよ。生き埋めになるのは嫌よ。涙の向こうでグレイはすかさず緑のゲートへ飛びこんだ。スライムの中に飛びこんだみたいに壁はうごめき、あっという間にブレイサーを飲みこむ。

「逃げるぞ!」

リィンが言った。当然よ、ゲートに飛びこむのは後ででもできるわ。逃げて出直すのよ。

そう振り返ると、ニードは動いていなかった。なにをしているのよ。

嫌な予感がしたわ。あたしはとっさにリィンのつかむ腕を振り払う。

ニードは崩れる地下道へ走った。土煙でろくにものが見えない中、自分からゲートに走る。今生き埋めになる危険も省みないで、その先になにが待っているのか分からないのに。

「ちょっと!」

あたしは飛んだ。予想していたから反応が早かったわ。転ぶのを覚悟で伸ばした指が猫耳帽子に触れる。

つかんだ、と思った瞬間腕が緑のヘドロへ突っこんだ。世界がぐるりと回り息がつまる。

「メアリー!」

最後に聞こえた声がだれのか、とうとう分からなかった。