ぎゃあ! あたしは悲鳴をあげて物陰に逃げた。
化け物よ、化け物だわ。マーカスシティのど真ん中なのに怪物に襲われている!
あたしはメアリー・ベリーメリー。ウィザードギルト・ケリュケイオンの学生よ。
すごいでしょう、将来のメイジよ。頭いいのよ、偉いのよ。……「学生だった」だけど。
うっ、放っておいて! それより化け物よ! あたしはよりによって街の真ん中で怪物大暴れに偶然居合わせちゃったのよ! ああなんてかわいそうなあたし。なんで偶然命の危機に合わないといけないの。
ネオンきらめく人工の夜空には車が空を舞う。舞いたくて舞っているんじゃないわ、化け物に投げられたのよ。 ビルの窓を割って哀れ車はスクラップ。きゃあ、なんてことなの。あたしが当たったんじゃなくてよかった。
安心して顔をあげたら、そこには人間と蟹を適当に噛み砕いて吐き出したような怪物。今マーカスシティのど真ん中で大暴れしている異形の化け物。目が合った。
ぎゃあ、スクラップになる!
悲鳴をあげたあたしの前に、音もなく人影が降ってきた。灰色の背中の向こうにはいかつい重火器が見える。
「大丈夫?」「ブレイサー!」
颯爽とした弱者の味方、街の問題難題解決屋、頼れるみんなの小さな英雄、つまりあたしの味方は勇敢にも怪物に立ち向かった。蟹人間へ向かうブレイサーをぼんやり見つめる。
「そこの人、早く逃げろ!」肩をつかまれた。ぎゃあ、もう一匹いた! あたしは叫びフォーカスロッドを振りあげ目一杯殴りつけた。ブレイサーらしい若者の額に大命中する。あら?
1000年前に災厄「ディモス・ハザード」が起き、あたしたちの住んでいるアガスティアは本来なら混ざることがない文明が混ざり合った世界よ。剣士の横で魔法使いが失われた技術をいじり、それを笑って見ている銃士はエルフ。歴史が正常に動くのならけしてありえない世界、らしい。
でもあたし他の世界住んだことないから分からないわよ!
クリーチャー襲撃から半日、朝というより昼すぎという時間帯にあたしは警察組織イージスをとぼとぼ出た。イージスはマーカスシティ大通りに面していて、広場には街の創始者マーカスの像の前で人々は幸せそうに待ち合わせて、露天の商品を眺めて買い物をしている。
500年たっても変わらずマーカスシティに立ち続けている銅像を見上げているうちに、あたしはわっと泣き崩れた。
周囲のぎょっとした視線にめげずにむせび泣く。こんなにマーカスは平和なのに、どうしてあたしはこんなに不幸なの!
そもそもの不幸は試験の結果が悪すぎて退学になったことよ。あの時の恐怖は今でもはっきり思い出せるわ。試験終了、肩を落として自室に戻るか戻らないかの時に担当の先生が殴りこんできたわ。「青の」トリステザ先生よ。
「メアリー・ベリーメリー!」学園一恐ろしいと評判の先生に、あたしはとっさに逃げ出したわ。無理もない反応よ、だれだって猛獣に出会ったら逃げるわ。そしてトリステザ先生は猛獣より猛獣らしいのよ。
「逃げるな!」なんとトリステザ先生は足止めに紅炎の紋唱を使ったわ! 当たらなかったからいいものの、足止めしたいのなら縛鎖の紋唱も鳳の紋唱もあるじゃないのよ。人を殴ることだってお手のものでしょ、大得意でしょ。殺す気なの!
「できることなら消し炭にしたいわっ!」肯定されたわ、何てことよ。
「この結果はどういうことだ!」半分ぐらいしか答え合わせをしていない解答用紙を突きつけた。
「テスト勉強はしていなかったし、出来が悪いだろうなとは思っていたけど3枚まで採点してまだ点数一桁なんてどういうことだ!」あたしが習っている初級魔道の知識教科は5教科。基礎魔法学、精霊魔道学、紋唱魔道学、練魔学、機装魔道学。自分の専門教科の実技を含めて合計6。
「精霊魔道は一般的なイメージに流されすぎて本質をさっぱり見ていない。機装魔道学に至っては一般人のほうがまだましな回答だ。第一基礎魔法学の時点でがたがたじゃないか! 呪文作成は担当教師があれほど言っていたはずだぞ、意味をただ組みこむな、噛み砕いてばらばらにして、その上で組み立てるんだ!」わーん、分からないのよ、難しすぎるのよ! 抽象的すぎるわよ!
「まだ2枚採点していないわ!」「後2枚はディモス語が書いてあるんだ! メアリーこのころ寝ぼけていただろう!」
そういえばそうだったかもね。しょうがないのよ、疲れていたし3教科もやればいい加減眠気もくるわ。
「だからってこの点数を提出するなんて、私をなめているのか!」そんなとんでもない。トリステザ先生を馬鹿にするくらいだったらディモスの前に飛び出した方がまだましよ。あたしは幸福に長生きしたいのよ。自殺願望はないわ。
気持ちを分かってほしくて正直に伝えたら、トリステザ先生の血管が切れる音がしたわ。まぁ大変、高血圧なのかしら。まだ若いのにかわいそうね。
「メアリー・ベリーメリー! たった今退学だ、出て行けー!」わずかな荷物を片手に、あたしは命からがらたたき出された。
ひどいわ、横暴よ! 今あたしが持っているのはフォーカスロッドとわずかなお金、後は着の身着のままよ。なんてかわいそうなあたし。これからどうやって生きろって言うのよ!
ケリュケイオンには帰れないわ、ディモスより怖いトリステザ先生がいるもの。かといって故郷にも戻れない。偉くなって帰ると言いふらしちゃったし、そもそも旅費がないわよ。人生の行き詰まりよ、お金がないのは首がないのと同じよ。
これからどうしましょう。起き上がって深々とため息をついた。
いっそどこかにお金でも落ちてないかしら。気を取り直してその辺を歩いていると、クリーチャー襲撃現場につきあたった。立ち入り禁止の看板が乱立してイージスの人たちが大勢で瓦礫を片付けて現場検証をしている。う、今イージスには近寄りたくないわ。巻きこまれただけなのに朝まで取り調べよ。
逃げようとしたら張り紙に気づいた。
「急募、クリーチャー襲撃調査のブレーサー募集」あたしは飛びついた。これだわ!
ドサクサにまぎれてフォーカスロッドをしっかりつかんできたの。あたしはひよっ子でろくに魔法も使えないけど、使えるだけでも大したものよね。授業内の雑談で、ブレーサーになるようなメイジは少ないってあたし知っているのよ。
即ブレイズに行ってブレイザー手続きをし、まんまとブレイザーライセンスと今夜の仕事を手に入れた。
「ブレイサーの皆様」
まだまだ崩れた廃墟のような襲撃現場で、ブレイズの偉い人は呼びかけた。ブレイサーの数はあたしを含めて合計5人。銃を持っている人剣を持っている人格好はばらばらだったわ。でもあたしより小柄な人はいなかったし、フォーカスロッドを持っている人もいない。
「昨日マーカスシティ中核の当地域がクリーチャー襲撃にあいました。ここにいる方々にも市民救出に加わったブレイサーもいます。今回のあなたがたの任務はクリーチャーがどこから出現したのか調べ、可能であればその場で対処することです。現在の段階ではクリーチャーが外部から侵入した形跡も目撃情報もありません。推測では地下通路から侵入したと考えています。街中にクリーチャーが出現したことへの脅威、ならびにいつまた登場しかねない事態を放置しておく訳にはいけません。すみやかな成果を期待しています」
そうよね、あたしの故郷だってど田舎だけど、その辺にクリーチャーは出なかったわ。危なくて出歩けもしないわよ。
「よしっ」あたしと大して変わらない年頃のガンブレイドが手を打った。
「まずは自己紹介だ、このままじゃだれがだれなのか分からないからな。まずは俺だ。俺はロダリク、ガンブレイドだ!」「デカダンス・ディザスター。普段はエンジニアを仕事としている」
大柄で根暗そうな男が続く。ブレイサーといえどもみんな仲良しの知り合いというわけではないのね。
「ニード・ニア。ディテクティブ」なぜか猫耳帽子を被った女の子があたしをちらりと見た。
「このメンバーに疑問点がひとつある」「言いなさい、ニード」
「そこにどう考えても素人で、確か一緒に襲われていた普通の市民が紛れこんでいるのはどういうこと」
へぇ、素人さんが混ざっているのね。それは危ないわね。
と思っていたらその場にいた全員の視線があたしに向いていた。むっ、なによ。
「彼女もれっきとしたライセンスを持っている、ブレイサーで間違いない」「メイジだと判定が通るのが甘くなる。ライセンスを持っているからといって任務に向いているとは限らない。危険性から言って彼女の参加を見合わせるべきだと思う」
ちょっと待ってよ。
「それじゃ困るのよ! あたしは学園を追い出されて、今明日の生活にも困るところなのよっ! この街に泊めてくれそうな友だちいないし、せっかくの仕事にけちつけないでよ」なぜか全体の空気が重くなった。あら?
「昨日役立たずだったじゃないか」どうしてそんなこと言うのよ。
「昨日ここでクリーチャーを撃退していたの。ついでに言うと逃げているメイジの前に立ってクリーチャーと戦闘していたのも私」あら、そうだったかしら。言われてみればそうだった気がするわ。しょうがないわよ、緊急事態だったもの。
「そのくせ応援ブレイサーをクリーチャーと勘違いしてロッドではたくわ、誰かの荷物が落ちているのを目ざとく見つけて盗ろうとしたり」お金がなかったのだもの、目の前にあったら手も伸びるわよぉ。
「私は彼女の参加に反対。全体を危険にさらすし本人のためにもよくない」ひどい言い方だわ、あたしに恨みでもあるのかしら。
「気持ちも言いたいこともよく分かる、ニード。だが現状を考えてメイジを欠かすことはできない」「そうだよ、ここにいるんだ、一緒に行こうぜ」
ロダリクが調子よく言った。
「なんだったらニードが補佐してやろうぜ。慣れない女の子をさ。もう知り合いなんだろ、面倒見てやれよ」ニードは露骨に嫌そうな顔になった。なぜよ!
「まずは手分けをして周辺を探そう」
ニードがどこからか広場の地図を取りだした。
「どこからクリーチャーが出現したのかつきとめる必要がある」あら、さっき言われていなかったっけ。地下水路から来たのでしょ。
「それは推測、ちゃんと調べないと無駄足を踏んだり、見当違いな方向に進みかねない」細かいのね。あたしたちは2人組に分かれて調査に乗りだした。あたしはニードと組むことになったわ。「知り合いなんだろ」だって。赤の他人なのにね。
「……気を取り直して、と」なぜ気を取り直す必要があるのかしら。大きめの背負い袋からニードは大きな懐中電灯を取りだしたわ。
「持って照らして」言われた通りにニードの顔面へ電源を入れた。まあ明るい。クオーツのレーザーガンのようだわ。
「メアリー! 私じゃない、地面! 私の顔面照らしてどうするっ」それならそうと早く言えばいいのに。まぎらわしいわね。
「やっぱりあの時他人の振りをしていればよかった、なんでしょっぱなから」よく分からないことを言いながらニードは周りを見渡した。慎重にあちこちを歩き、瓦礫の山へ注意深く手を突っこみはいつくばって崩れた壁の向こうをのぞきこもうとする。砂粒ひとつ逃さないような徹底さだったわ。
「なにやっているの?」「真実へたどり着くための手がかりを探している」
「クリーチャーがどこからきたか?」
「そう。最初の第一歩が見つかれば早い。って、メアリー! 瓦礫に触れるな壁によりかかるな、崩れる下敷きになる!」
偏狭と言えるような執念だわ。でも探偵としてはあたしみたいに大雑把な人よりはそっちの方がいいわよね。
真実探求への努力は報われた。ある十字路に積まれていた瓦礫をどけると、マンホールを下から無理やりこじ開けて破壊したような亀裂を見つけた。中は暗くてよく見えない。懐中電灯を照らしてみるとほこりが分厚く積もっている道が見えた。
「水路みたいね」それも捨てられて忘れられた水路よ。
「埃の様子を見ろ、乱れている」言われるまで気づかなかったわ。
「通った跡だ。ここからで間違いないね。ってメアリー! のぞきこむな落ちかけるな普通に落ちたら痛いですむ高さじゃないって!」みんなを呼ぶ。探索するつもりね。でもどうやって降りるのかしらと思ったら、都合のいいことに縄はしごを持っていたわ。
「なんでそんなものまで持っているの?」「ブレイサーといえどもだれもが肉体的に頑健じゃない。特にメイジは普通の人以下のことだってある。そういう時のために昇りやすく降りやすい道具を用意しているんだ」
「用意周到なのね」
「下手をすれば高層ビル並みの崖をよじ登ることもあるからな。使いやすい道具を用意するのもブレイサーの知恵。メアリー! なんで落ちかけるのよ、暴れるな叫ぶな耳が痛い!」
踏みはずしたものはしょうがないでしょう! ぐすん。
水路は明かりが全くなく、乾いたこけと埃が混ざった臭いがした。思ったよりも大きく天井は高い。ニードは降りるとさっそく床にはいつくばって調べる。
「なにが知りたいの」「クリーチャーがどこからきたのか。メアリー懐中電灯を振り回すな天井を照らしてもしょうがないだろ、おとなしく床を照らしてくれ」
水路は相当広いわ。どういう風に街を覆っているのかしら。下手すればマーカスシティ全部かもね。歩いて調べるつもりなのかしら。マーカスシティは広いのよ、何日がかりになるのやら。
「ん?」ロダリクが自分の懐中電灯を、だれもいない通路へ向けた。
「どうしたロダリク」「今なにか。動くものが」
「どれどれ」
気軽に懐中電灯を向ける。奥の曲がり角から灰色の猫がどっと駆けてきた。まるで曇天の日、海原に浮かぶ波みたいだったわ。
よく見たら猫じゃなくてねずみだったわ。
猫ほどのドブネズミ! あたしたちはねずみの群れに突撃された。
「たぁっ!」ロダリクが剣を振るいねずみを蹴散らしていく。大型拳銃が乱射され広範囲に銃弾がばらまかれる。ニードも調査をやめて、銃身が大きい散弾銃を両手で構えた。接近武器ではない銃なのに零距離で振るわれる。みんな強いのね。伊達にブレイサー名乗っていないんだわ。
「メアリー、戦えとは言わない、せめて悲鳴をやめろ」そんなこと言われても無理よ! ねずみよ、ねずみだわ!
ねずみは嫌いだわ、あたしの食料をかじるし逆に捕まえても食べられないのだもの。でもこの場合はあたしが食べられる!
首とか顔とかむき出しの手足とか、そういうところをかじろうとむらがる。振り払おうとしたけれども次から次へとよじ登ってくる。ぎゃああ、ねずみにかじられるのは嫌よ!
あたしは法衣を脱いで顔喉手足と必死ではたいた。ようやく全部はたき終えたところですかさず見渡す。誰かの背中に逃げなきゃ。こんなことに突っ立っていられないわよ、危なすぎて。
ところが、いつの間にか全員あたしから離れていた。ちょっと待ってよ、なんでよ!
あ、そうか。武器を振り回したり銃を撃っているのにぴったりくっついていたらかえって危ないものね。でもこの状況だと一番危ないのはあたしだわ。
あれかしら、自分でなんとかしろってことなのね。しょうがない、紋唱を声高らかに歌おう。あたしの歌を聞けっ!
「はるかなる地の底より紅蓮は眠る、眠れる炎は空をもこがす、」クオーターロッドを構えたところでいっせいにねずみが群がってきた。ぎゃあ、唱えている暇がない!
この世のメイジはどうやって魔法を戦闘に使っているのかしら。考えてみれば不思議ね。あたしが考えている以上に殴る蹴るができる人たちばかりなのかしら。あたしは後ろを向いて走って逃げながら考えた。
むやみやたらに走って走る。ニードの懐中電灯はとっても性能がよかったわ。少なくともあたしは転ばないし、走るのに邪魔にならない程度の大きさと重さだわ。
後ろのむき出しになった首に飛びつかれてあたしは叫んだ。ぎゃあ、追いつかれた! 思わず転んだあたしの背中に群がる。
と、背中という背中を乱暴に叩かれる。痛いわね、だれよ!
返事の代わりに超至近距離からの銃声だった。ニードが叩き落としたねずみをかたっぱしから銃で始末している。びっくりしている間に劣勢を動物的感でねずみは逃げていった。あんなにたくさんいたのに一匹もいなくなったわ。
「助かったわ、ありがとう。ニードって強いのね」そのニードの表情はまるで見えない。猫耳帽子の影絵がなんだか不気味だわ。
あら? 転がってあさっての方向を照らす懐中電灯の先に目を取られた。
「危険、ということがようやく分かったかな。早く帰った方がいい。ここは危険で、寄せ集めのブレイサーは後方のメイジを守ることさえもできていないのだから」どこか苦々しく、嘲っているような声だった。「全く、情けない。だからひとりの方がいいんだ」なにに対して情けないのかは分からない。あたしかしら。むっ、失礼ね。
「そんなことよりもあれ見て!」あたしはニードを押しのけて立ち上がった。壁の一部が大きく崩れて向こう側が見える。崩壊した壁の内側はまだ新しく、周囲の月日がべっとりこびりついていないわ。新鮮な岩の香りがする。
「ここ、最近壊されたんだわ! きっとクリーチャーよ、ねずみには絶対に無理だし、人間でもないわよ。人からは忘れられている地下道だもの!」「あ、ああ」
あたしに押されたようにニードはのぞきこんだ。
「たぶん、そうなのだろう」「やったわ! これあたしの手柄よね? すごいわあたし、クリーチャーの足跡を見つけるなんて!」
両手を挙げて自画自賛するあたしに、なぜかニードは遠い目になった。
「あの時違う人を助けていれば、この破天荒の面倒を見ずにすんだ……」あら、過去に悔いでもあるのかしら。気の毒に。