あら?
デットエンドもチェイスもお化けを見る目つきであたしを見ているわ。イーターは身動きしない。沈黙が重たいわ、そんなに変なこといっていないのに。
「ゴートだって? ブレイサーの?」しっているの? 有名人なのね。
「どうしてそんなこと考えるんだ」そうね。たしかにイーターとゴートは顔も体格も声も違うわ。普通ならつながりがあるなんて思いもしないわよ。
「でも、イーターはゴートしか知らないことを知っているのよ」マーカスシティを一日中回って気づいたことがあるわ。ブレイズでも酒場でも歓楽街でもあたしは一応警戒されたわ。あたしがケリュケイオンのマントを着て杖を持っているからよ。一目であたしがメイジだってわかるわ。メイジは一見弱くても強力な魔法を使う。だからみんな注意していた。デットエンドなんてわざわざ魔法を使わせないために杖をはじいたくらいよ。
イーターはしない。あたしをろくに見ずおまけとしか考えていない。なぜ用心しないのか。それはあたしが見習いで、杖は偽者だというのをしっているから。
そのことをしっているのは限られているわ。ケリュケイオンの友達とあたし自身が話したブレイズのゴートだけよ。でもあたしの友だちからとは思えない。あたしが半人前だってことはしっていても、レプリカの杖まではしらないはずだわ。本物の杖は今もっていないだけでちゃんと支給されてはいるのよ。杖があればあたしだって完全無欠の役立たずにはならない。ここにいるメアリーというメイジがなにもできないことをしっているのはゴートだけよ。
「ゴートから話を聞いたのかもしれない」チェイスはいいながら一歩下がった。
「ありえないわ。あたし、目立つ顔していないもん」あたしは絶世の美女ではない、チェイスのように一言でいいあらわせる特徴もない。マントを脱げばすぐ人ごみにまぎれてしまう普通の顔よ、悲しいことに。
マーカスシティに何人メイジがいるのか知らないけど、あたしと同じ年頃の女の子メイジなんてうんざりするほど多いはずよ。その中で「今日の昼」「たまたま」「ゴートと話した」メアリー・ベリーメリーと今ここにたっているぼろっちいメイジをつなげられる人っているのかしら。あたし、今日の午後だけで相当変わったわ。かばんはないし顔はほこりだらけ、服は泥で汚れた。ケリュケイオンを飛びだしたときとずいぶん印象はちがうはずよ。それなのに一目でわかるものかしら。
イーターは少しも動揺しなかったわ。あたしだって負けないわよ。定期試験では自信皆無のあたしだけど、これには確信があるもの。
「それに、ゴートがイーターならふに落ちることがあるわ。チェイスの家よ」チェイスの暮らしていた工房はとってもわかりにくい場所にあったわ。あたしが見つけられないのはまだわかるけど、デットエンドが数日間探しまわって見つからないのだから、客観的に見てもわかりにくい場所にかまえていたのではないかしら。ああいう商売をしているのだもの、わざとわかりにくくしていたのかもしれない。犯罪すれすれの仕事をするんだったら仕事場を内緒にしたいわよね。
それなのにゴートはチェイスの仕事場をしっていて教えてくれたわ。冷静に考えればおかしいわよね、だってクロウとチェイスは本当ならほぼ関係がないもの同士よ。どうしてあそこにチェイスがでてきたのかしら。仮にデットエンドが引っかかったうその噂話にゴートも一杯食わされたのだとしても、そこでチェイスの工房を正確にしっていたのはどういうことかしら。
偶然が偶然重なって、チェイスの工房をしっていたゴートはうそのうわさにだまされた。可能性は0じゃないわ。でもこう考えるのはどうかしら。ゴートは全部承知の上で、デットエンドにしってほしいから工房の位置を教えた。
もちろんめくりめくってあたしとデットエンドとがであう可能性はひくいわ。ゴートだってあたしたちの直接対決を期待したわけじゃないと思うのよね。期待したのは地道に話をふりまいて、いつかそのうちのひとつがデットエンドとであうこと。大勢にばらまいていけばいつかはぶつかるわ、一回ぶつかったらデットエンドがどういう行動にでるか、あたしは身にしみてよくしっている。イーターにとってとても都合がいいわね。
イーターがゴートだったら、文字どおり他人の顔をしてうわさをふりまけるわ。ね、つじつまがあるでしょ。
だれもなにも動かなかったわ。それぞれが異なる感情を浮かべてあたしを見た。どうしたのかしら、あたしの知性とひらめきにそんなに感動したのかしら。
「……まさか」「メアリーをおさえてっ」
いうがはやいがチェイスは銃をイーターにむける。
撃った! 淡々と2丁の銃で集中砲火、デュアルショットよ! イーターは腕で顔と首をかばうけどそれ以外は穴だらけに! 殺人よ、人殺しだわ。こんな無造作に軽々と。やっぱりチェイスは悪人だわ。
「どいつもこいつも」生きている! たおれることもなく平気で立っている! なんでよどうしてよ、頭と腕から血が流れているのにしゃべっている。死体を見るのはいやだけどこれで生きているのはもっといやだわ!
「しっかりした脊髄を持っている」腕でおおっていた顔をみせた。顔を見てあたしはさけんでしまい、デットエンドが顔をしかめる。あたし紋唱をつかうから発声はかなりなのよ。さぞ大声だったと思うけどあたしだってさけびたくてさけんだわけじゃないわ、見逃して。
だって顔がうごめいたのだもの! 皮膚の下にある筋肉が心臓みたいに鼓動してもりあがり、顔からなにがつきやぶってでてきそうよ、気味が悪いわ。
「さぞ脳もうまかろう」椅子から身体をおこし立ちあがる。あら、意外と大柄だわ。
すぐにまちがいだと気がついたわ。大きくなっているのよ! 身体中の筋肉がうごめき、イーターは少しずつふくれあがっていたわ。皮膚はいつのまにかすけるように白く、白すぎて下の肉が見えて肌がほんのりピンク色!
化け物よ。化け物だわ。今までさんざん人並みはずれや人外を見てきたけど、これは正真正銘の怪物よ。
「脳すすり!?」あたしを乱暴にうしろに追いやりながらデットエンドはするどく反応する。なにそれ。
「人食い巨人スプリガンの突然変異! 食った人間の記憶を自分のものにする化け物だ!」「僕にはスティール・フェイスに見える。顔をうばう人食い巨人のあれ。酒場でのほらだと思っていたのに実在したんだ」
どっちも正しいのよ。正体があいまいな個体にべつの名前がつけられるのはどんな生物にもよくあることだわ。怪物も化け物も、つまりクリーチャーも同じなのよ。
「怪物がどうしてマーカスシティにいるの!ええい、メイジ、うるさい! いつまでさけんでいるのよ」
あたしだってとめられるものならとめたいわよ。「ったく」どこからともなくあめ玉をだして、あきっぱなしのあたしの口へなげこんだわ。あら甘い。
「アムリタ製薬の精神力増幅キャンディ」最近の製薬技術って発展しているのね。いちごミルク味だわ。
怪物―脳すすりとよぼうかしら、それともイーターのほうがわかりやすいかもね―は机のかげにかくしていた杖をつかんだわ。燦然とかがやくトパーズをいだいた杖はふるめかしく、ありとあらゆる書きこめる場所にホシビトの言葉でうまっていた。宝石をつつむかざりに見えるのは無線式小型ビットで、ほのかな明かりをはなちながら脳すすりの周囲をとびまわるわ。まぁ高そう。
「ブーストワンド。いれかわったのは3日前か」げ、顔がまた変わったわ。単に表情が変化したのではない、筋肉が移動して別人になったのよ。きもちが悪いものを見てしまったわ。新しい人物はあたしのしらない人だった。
「この顔が一番てこずった。顔は役に立たなかったが能力は大いに使えたぞ」「……う。ううあ」
あら、肉食獣のうなり声が聞こえたわ。どこかにいるのかしら。
音をたどっていったらデットエンドの口からもれていた! ひぇぇ、人間の声とは思えないわよ。
ああそうか、デットエンドがこんなに怒るってことはこの人がクロウなのね。脳すすりにとっくに食われたんだわ。
そんな、死んでいたなんてひどいわ。あんなに苦労したのにあんまりよ。
「おおおおおっ!」デットエンドがとびかかったわ。跳躍しながら抜刀し、たった二歩でイーターの前までつき下からきりさく。あ
たしだったら即死の一撃なのにイーターにとってはそう深くまできりさけなかった。おとなしくきられればいいのに、よけたのね。
それだけではない、すぐ血がとまり傷口の肉がもりあがりなおる。普通の一ヶ月ぐらいの自然治癒がちょっとぼんやり見ているうちにすすむわ、そんな、いんちきよ、どうしたらいいのよ!
デットエンドはとまらなかった。バスタードソードが小刀のように軽々とひらめき、脳すすりの腕、首、足ときりつけたわ。
どれもこれも大けが確実のはずなのに脳すすりは平然としていた。ちょっとの傷もちょっとでない傷もすぐふさぐもの。逆に自分の腕を犠牲にして剣をとめ、驚いたデットエンドを力いっぱい殴りつけた!
机ぐらい粉々になりそうな一撃にデットエンドはふっとび本棚にぶつかってふりそそぐ書類にうもれる。ぎゃあ、死んだわ!
脳すすりは剣を腕から抜き、身動きひとつしないデットエンドに返した。返却じゃないわ、お返しよ。だって刃をむけて風きり音がするほどのはやさだったもの、串刺しだわ!
デットエンドははねあがり間一髪でよける。あら、生きていたのね。対象がいなくなってころがる剣をつかむものの、足どりは重くゆらめいていたわ。痛そうね。
「デットエンド。援護いる?」お昼ごはんでも誘うような軽い口調でチェイスは銃をいじったわ。事態の大変さがわかっているのかしら。
「たのむ」短くこたえた。
「メイジ」「え、え?」
なにかしら。あたしは援護どころか足手まといにならないようにすることもできないわよ。
「逃げろ」脳すすりから目をはなさず、剣士はあたしに命じたわ。
「ここからでて、イージスでもセイバーでもいい、行って」セイバーは世界最強の軍事機関よ。あたしは関係したことはもちろん行ったことすらもないわ。軍隊ざたにまでなってしまうのかしら。
「どこでもいい、とにかくこのことをしらせて。言いふらすのは得意でしょう」まぁ人聞きのわるい。デットエンドはどうするのよ。ここで戦うんでしょ。
「そう。私たちはこいつを足どめする。メイジをかばう余力はない」弱気だわ。あんなに強いデットエンドが負けを想定している! ちょっと待って、こまるわそんな、チェイスの手助けもあるのよ。片腕でねじふせてふふんといってもらわないと、あたしの命はともしびよ!
「心配しないで。私をだれだと思っているの。マーカスシティに名をひびかせるデットエンドよ。この名をはずかしめることはしない」ああ、そのうわっつらの強気が悲しいわ。うっかり死兆星を見てしまいそうよ。
「不吉なことばかりいっていないで、いいからはやく行け!」おこられたわ。あたしはひっぱたかれるようにとびはねて背中をむける。
「逃がすか」声はくぐもっていて聞きとりにくかったわ。もう年も性別もわからない。続けてふかい響きと複雑な印を持つ言葉をはなったわ。魔法ね、フォースの塊をつくって相手にとばす魔法「魔力の矢」だわ。ブーストワンドをとりかこむビッドが後方に展開して光をはなつ。
あたる! 走りながらしゃがみころんだ、床に思いきり鼻をうつ。いたいわ。
矢はあたしの髪をかすめて扉へ命中し、木のドアはこっぱみじんになり漆喰の壁もひびが入ってくずれる。待って、これ基本魔法よ。どうしてここまで強力なの! あたしにあたったら即死だわ。さすがクリーチャー、人間離れしているわ。
「させるか!」勇ましいデットエンドの声と銃声がする。うしろをふりかえるのが怖いわ、あたしは走り、木片をとびこえてぐらぐらするさんの下を通った。
そのまま外へとびだすつもりだったのだけど外にでれなかった。扉が開かなかったのよ! おしたりひいたり体当たりしたけどだめだったわ。鍵がかかっているのではないのよ。どうして家の中から鍵をかけないといけないの。きっとさっきの魔法で壁がくずれたとき家自身がゆがんだんだわ。
つかれきって座りこむ。後ろで激戦がくりひろげられているわ。たてつづけの銃弾の音でわかるわよ。
どうしましょう。ここでがんばっても開きそうにないわね。
ほかに扉がないか探して見たけどなかったわ。走りまわってみてもない。広くない家だもの、すぐに探しきったた。
あ、探していないところがあったわ。
脳すすりがいた部屋!
危険よね。あからさまに危険だわ。どうして逃げてきたところに戻らないといけないの。でもここでじっとしていうのも芸はないわね。
隠れてこっそり行こうかしら。そうすればばれないわよね。あたしは戻ってくずれた壁からこっそりのぞく。
中は予想以上にひどいありさまだったわ。机はなげだされて、本棚は2つころがり書類が散乱している。ひびが入っていない壁はなかったし天井はこげていたわ。いなくてよかった。
「はっ!」デットエンドがとびかかりきりつける。脳すすりはブーストワンドでことなく受けとめた。火花をはっし耳がいたくなる。
その一撃はデットエンドにとってはおとりだった。脳すすりの体勢をくずしすきをつくるためのにせの攻撃だったのよ。どうしてわかったかというと、2歩下がったかと思うと瞬時に超高速で突きをはなったから。剣を受けとめるどころじゃないわ、自分が攻撃されたのかさえも気づけないわよ。デットエンドは剣をひきぬき、血がふきでるよりはやくはじけるように後ろにとびさった。一撃離脱だわ、身軽ね。
瞬迅の一撃を脳すすりは気にしなかったわ。したたる血がすぐに少なくなりとまる。これ見よがしにブーストワンドをふりまわし、声高に紋唱をとなえる。
だだだだんっ! 脳すすりの周囲の地面がはじけ紋唱がとまった。とめたのはチェイスだった。とっさに銃弾をばらまくように乱射して紋唱に必要な動作をふうじたのよ。
「デットエンド、あんまり期待しないでよ。君たち化け物同士の戦いに首をつっこめるほど僕はすごくない」「わかっている!」
自分の剣と同じように鋭くさけび、ふたたびとびかかったわ。
くるんじゃなかった、とても入っていけないわよ。窓どころか穴ぼこ1つないしいったんここに立ったら2人と自分自身の身が心配でとても動けないわ。
そもそも脳すすりは卑怯だわ。普通魔法使いは身体的に貧弱なのよ。刺されたら終わるわ。それなのになによあの馬鹿力、か弱いどころか人間を超越しているわ。その上きってもさしてもすぐなおるなんてずるいわよ。
あら。いいこと思いついたわ。
問題は強力な魔法と怪力なのよね。怪力はどうしようもないけど魔法は魔導具がなければ使えないわ。だったらこっそりしのびよって杖をとりあげるのはどうかしら。普通だったら絶対にできないことだけど今あたしはだれからも見られていないし、ここにいるなんて夢にも思われていないわ。部屋は散らかり放題、隠れる障害物にはことかかないし見られずにちかよれるわね。案外いけるかも。
ひとつのことをとことんつきとめて考えるのはあたしの長所ではない。あたしは即決してこそこそしたわ。
「っ」チェイスはすばやくバレットを交換して脳すすりに銃弾をあびせた。その後をおうようにデットエンドが走る。最小限の動作でくりだしたバスタードソードを、ぎりぎり脳すすりはよけた。
「倒せない。人間に俺は倒せない。俺はお前を殺す、お前たちを殺して脳と顔をうばう。うばって人のむれにまざる。だれも俺をとらえられない」しゃべりながら紋唱をとなえないでほしいわ。なんて非常識な生き物なの。
「なぜだっ!」巨大なこぶしをバスタードソードで受けとめる。とめたところで衝撃は吸収しきれなかったわ。デットエンドは転ぶように後退する。下がりながらさけぶ。
「どうしてクロウを、よくもクロウを! それだけじゃない、ゴートもイーターも、どうしてほかのほかの人間を殺すんだ! ゆるせん、ゆるせない、殺してくれるっ」「デットエンドおちついて。勝てないよ」
「脊髄を持つものたち。俺にも守るべきものはある」
杖が白熱してかがやく矢がはしった。「うわっ!」なさけない声をあげてチェイスがよける。
「命だ。生存こそが俺のもっとも大切なものだ。俺は生きる。生きつづける。だがお前たち人間は俺の生存をゆるすまい。俺が人を食うからだ」思わずほふく前進をとめる。そうね。たとえ脳すすりがなにもしません平和にすごしますといってもあたしたちは敵同士だわ。捕食者と被捕食者同士なかよくできるわけはないのよ。
「だから考えた。力を持とう。人を食ってもとめられない力を。ただの腕力ではない、脳からしる銃の扱いでもない、神秘の魔法でもない力を。権力だ。人が闇にきえてもだれも追求できない、合理的な力を持とう」「なるほど」
冷静に銃を構えなおす。
「脳すすりなら結構簡単にできるね、いざとなれば人の顔を盗んでまねをすればいいんだから」「単純に、直接権力者に化けないところがいやらしいわね」
そうかしら? あたしははいずりながら首をかしげた。だれにでも化けられるのならどうして回りくどいことをするのかしら。
「直接なればすぐにばれる。いくら顔と記憶を盗んでも別人が化けているのだもの、家族や友人に気づかれないわけないわ。ギャング間の権力抗争に見せかければ化け物がまぎれこんでいるなんてなかなか思いつかない。脳すすりの能力は隠される。切り札でいられる」あ、そうね。
「でもここでおしまいだ。殺してくれるわ」だから怖いのよそれ! やめてほしいわ、心臓がとまりそうよ。
「どうやって?」むっ、腹がたつ言いかたするわね。馬鹿にしているみたいだわ。
「ただのソードマスターが、ただのガンスリンガーがどうやって化け物に立ちむかうんだ?」デットエンドは答えずに身体を前へおおきくたおす。鉄のかたまりのバスタードソードが軽く見えるわ。しびれるような緊張が支配し、刹那とも永遠とも感じられる時間が訪れる。負けずにあたしもはいずる。ぎりぎりまで近づいてあたしは距離をはかった。
脳すすりは歩数で4歩、普通の距離なのに今は絶望的に遠く見えるわ。気づかれないようにするにはどうしたらいいかしら。単にかけよったのでは杖をとりあげる前に殴られそうね。
今隠れている本棚を見上げた。この上からとびかかるのはどうかしら。あたしがのったぐらいじゃ壊れそうにないし、走るより落ちる方がはやいわ。きっと脳すすりも驚くから反応だっておくれるはずよ。
決めた。あたしは側面の板をつかんで紙たばをおしのけよじのぼった。
ところが誤算があったわ。
チェイスの銃弾があたしがのっていた本棚に命中したのよ! あたしにはあたらなかったけど人がのって不安定な棚の最後の一押しになったわ。脳すすりめがけて本棚ごとまっさかさま! ぎゃあ、とびかかるつもりだったとはいえこんなかたちだったなんて!
あらゆる紙のたばをまきちらしてひっくり返り、あたしは顔をしたたかにうった。火花がまぶしいわ。これ以上ひどい顔になったらどうするのよっ。
さすりながら顔をあげると、脳すすりの顔面が目の前に ぎゃあ、こんなところまで飛んできた。逃げようとして、自分の正面にブーストワンドが突きつけられていたのに気づいたわ。考えるより先に手がのびた。あたしはブーストワンドに飛びかかった。
「よこしなさい!」「きさま、なぜここに」
脳すすりは意外そうだったわ。答える義理はないわよ! 全体重をかけて引っぱり力づくでとろうとしたけど、やっぱりか弱い女の子と化け物じゃあ比べものにならないわね。びくともしないわ。
「きさままでもが戦おうというのだな」思いがけず普通の、人間味のある声だった。あたしは驚いて手をとめる。脳すすりはあたしの首をつかみ持ちあげた。ぎゃあ、吊ってる! 息がつまり血がとまるわ。
「非力なただの人間までもが俺を殺そうとする」苦しいわよっ。あたしは暴れたけど力はちっともゆるまなかった。視界は墨をたらしたように黒ずむわ、急に意識がうすれ目の前が白くなる。
死にかけながら思ったわ。脳すすりは苦しんでいる。人間並みの知性を持ちながらあたしたちと敵であるのを心の底では悲しんでいたのね。あたしは同情した。
気の毒だけど、でもやっぱり倒さないといけないのよ。脳すすりが人を食うからだけではないわ。自分のみを守るためにむやみに人を襲いマーカスシティをのっとろうとしているからよ。やむをえない行動ではないわ、たしかなる悪意と敵意を持ってやったことよ。よく考えれば、たとえばだれかと相談すれば共存の道がひろげたかもしれないのにしなかったんだわ。たくさんの苦しみと悲しみをまいた罪はしょうがないではすまされない。
あ、でもあたしここで死ぬのね。短い一生だったわ。最後まで貧乏なままだなんて、神様はやさしく善良な人間がきらいなのね。会ったら文句をいってやるわ。
だだんっ。
でっ。背中をしたたかに撃ちつける。だれよ、死人にむち打つなんてひどいわ。
かすんだはずの目を開く。床になげだされていたわ。のどが痛くてせきこみたいし、頭は今すぐ爆発しそうだった。
「お、お、お」目にうつるほどの気迫と殺気が跳ねる。
「おおおおおっ!」髪もワンピースもちぎれんばかりに後ろへたなびく。剣とひとつになったかのような、つらぬけないものなんてこの世にないと思うような鋭すぎる、強すぎる突きだった。
切っ先はあまりにもすんなり脳すすりの首へすいこまれ貫通する。それだけで爆発するような勢いはとめられなかった。二者はぶつかり壁にたたきつけられる。バスタードソードが半分壁にめりこんでデットエンドはようやくとまり、衝撃で脳すすりの首はもげてよりによってあたしの目の前へ。
ぎゃあ、生首! 見る見るうちに血がかわき肌がひからびて骨にはりつきミイラになった。う、不気味ね。
「……はあっ、はあっ」デットエンドは剣を抜き、しばらくうつむいて呼吸を整えていた。おもむろに顔をあげてあたしの前へ立ちふさがる。
「こっ、こっ、こっ」なにかしら、あたしはにわとりじゃないわよ。脳すすりを殺したっていいたいのかしら。見ればわかるわよ。いくら超人的な回復力を持っていても首を切られたらもう終わりよね。
「この、この大ばか者!」すごい大声だったわ。脳すすりにむかったときと同じくらいの気迫よ。あたしは一瞬耳がだめになって倒れるかと思ったわ。
「危ないってぐらいわからないのか、逃げろっていわれなかったのか!? それとも自分なんてどうでもいいと考えているの? よくも、よくもあんな無茶をしたわねっ。死んだらどうするっ、メアリー・ベリーメリー!」「落ちついてデットエンド」チェイスがとめたわ。
「むだだよ。たまにいる、こういう人間。目の前の危険を見ずにまっしぐらにつきすすむ人。なおらないからいってもしょうがない」
「言わないと調子にのるぞ! 口だすな!」
一歩下がり「それもそうだな」と引いたわ。ちょっと、もっととめてよ。
「でも杖がないほうがよかったでしょう」「だからなに、手をだすなあ! 殺し合いに武器なし戦略なし考えなしで首つっこむやつがいるかっ、反省しろ! 落ちてきたとき心臓がとまるかと思ったわよ!」
おこらないでよ、事故よ事故。あたしだってすごく驚いたんだから。
外が騒がしくなった。大げさな銃声がして大勢の足音が聞こえたわ。
デットエンドとチェイスは顔を見合わせ、外へと走りだした。なに、なんなの。とりのこされたあたしへやってきたのは、なんと銃をかまえたイージス!
「動くな! 器物破壊と殺人で拘束する!」ぎゃあ! なんでいまさらイージスがくるのよ!