三つ首白鳥亭

−キョウとサキ−

助言について

「サキ、ぼくは今悩んでいるんだ。それはコーヒーについてだよ。いつもぼくはぼく特製のブレンドを飲むのだが、量がとても少なくなってしまった。これでは一杯分にとても足りない。ところがブレンド豆の追加はなく、あるのはコロンビアの中煎りの豆のみだ。そこでぼくは非常に真剣に考えている。今日はコロンビアのストレートにするか、それとも少ないブレンドで少ないコーヒーを飲むか。これは実に大変な苦悩だよ」
「知るか」

サキの答えは短かった。本人はとうにさわやかな香りのスリランカ製紅茶を入れている。手にはクリスティーの古い文庫本があった。

「つれないね。実に冷たくてそっけない。でもぼく好みの素敵な返事だ。君がそのように冷たいからこそ、ぼくは君のそばが実に居心地がいいんだ。詳しく聞きたいかい?」
「どうせ否と答えてもキョウは聞かせるのだろう」

キョウの目の前には英語辞書があった。キョウとサキの親の親の世代で使われたような古い辞書である。紙は茶褐色でインクは薄くかすれ、辞書としても本としても賞味期限が切れている。しかしキョウは好んで手にとった。

「その通りだよ。よく分かってくれてぼくはうれしい。

ぼくはサキがこうしたらいいああしたらいいと言わなかったのがうれしいんだ。何のアドバイスもせず放りだしたのが実にいい。なぜならアドバイスとは強制力を持って人にのしかかるからだ。

分かりやすく言おう。誰かが誰かに相談を持ちかけた。持ちかけられた誰かは真剣に考えて、自分の人生と照らし合わせて最善の温かい心のこもった助言をした。実に麗しい光景だが、しかしこの助言は推奨ではない、強制だ。必ず従わなくてはいけないものなのだよ。

もちろん法的な根拠は何もない。罰せられたり傷つけられたりといったことはない。しかしそれは強制なんだ。確実に正しく一字一句間違いなく実行しないといけない。そうでなければ後で非難されてなじられて無視される。友好的な関係は失われ、もう二度と相手にされない。この言葉だけが残される。従え、さもなくば関係は破棄だ。

助言を与えた側から見ればこうだ。わたしはあなたのためを思って教えた。その通りにすればあなたはよりよくなり幸福になれる。与えられたほうはそうは思っていない。参考にしたいだけかもしれないし、もともと答えは自分の中で出ているのかもしれない。しかし反論は許されない。こうすればあなたのためになる、だからわたしの思っている通りにすべきだ。うるわしい善意がそこにある」

サキは文庫本のページをめくった。聞いているのかいないのか、眼鏡の奥の表情は変わらない。

「相談してそうなるのならばまだましだ。なぜならアドバイスを受ける側もそれを望んでいるのだから。自らの人格を押しつぶし、自分の思考をすべて否定して責任をなすりつけようとしているのだから。悪いのは望んでもいないのに助言をするものだよ。求められてもいないのに相手の思考も経験も否定して、これは見返りを求めない善意だという顔をしながら、相手が自分の思うがままに動くのをこの上ない喜びにしている者たちだ。たいした事があったわけではない人生を思い返して、無数の失敗を自分でもなく相手にも与える人々だよ。善意という名の心の底のにやけている顔にはまったく胸が焼ける」
「キョウ、もしわたしが善意ではなく悪意で放置しているのだとしたらどう思う? 事実そうだ、わたしはキョウが心の底からどうなろうともかまわないから放っておいている」
「かまわない、まったくかまわない。方向外れの善意の押し付けに比べたら悪意ある放置のほうがまだましだ。だからぼくはサキを好ましく思うのだろうね。ところで結局ぼくはどうするか決めたよ。少ないブレンドで少ないコーヒーを飲もう。置いておいてもどうせあまってしまうのだから」

コーヒーミルのけたたましく豆を砕く音が、静かな図書館にとどろいて消えた。