三つ首白鳥亭

−ミトドケテホシイ−

7.裏山

「沈丁さん」

式が終わりみんな一斉に立ち上がる。前を向きながらなにも見ていないわたしへ、青梅が話しかけた。

表情は硬く、動作はぎこちなかった。けんかしたばかりだもの、当たり前だ。手には携帯電話を握りしめている。それで言いたいことが分かった。

「わたしも受け取った」
「一緒に行く?」
「うん」
「じゃあ、30分前に言われた場所に」
「分かった」

余計な会話はしなかった。したい気分ではなかった。せめて一条について話した方がいいのだろうけど、肝心のわたしが混乱している。青梅もなにも話さない。

わたしたち1年生は卒業式が終わったら解散になる。わたしはF駅で時間をつぶした。酒は飲んでいない、念のため。いくらなんでもそこまで酒乱一直線の道に進むつもりはない。ミスタードーナッツでカフェオレを飲みながらずっと考えていた。卒業式の後、一条の会、ミトドケテホシイミトドケテホシイ、一条大介は故人だった。

「君は愛したことがあるか?」

だれがこんなことをしているのか、なぜ手がかりをばらまき、わたしたちを誘導しているのか、どういうつもりなのか。まるで理解できない。

約束の時間になった。理解はできなかったがとりあえず二日酔いは醒めた。学校に戻る。

弓道部前はだれもいなかった。かなり警戒をして周りを見渡す。待ち伏せしているようには見えない、メモ用紙もはさまっていない。待つだけみたいだ。

少しして青梅もきた。隣に並ぶ。

「卒業式の時以外に、メールはきた?」
「なにもきていない。なにかきたの?」
「ううん。なにも」

なりゆきで青梅に嘘をつきっぱなしだ。罪悪感はあるが、切り出し方が分からない。いいや、機会を見つけて話そう。

今は話すことはない。沈黙のままぼんやりなにかを待つ。空には雲ひとつない。なんていい天気なんだろう。時間の流れが今日はとても遅い。

「5時だ」

青梅が宣言する。なにもない、だれもこない。

「間違えたか?」
「そんなはずはない」

ありえないし間違えようがない。わたしにだって断言できる。今日の卒業式の日、17時に弓道部稽古場前で。参加しますか? はい。

とするとこれはどういうことなのだろうか。もしかして悪質な冗談で、だれかがどこか隅でわたしたちを見て笑っているのだろうか。いい気がしない。

帰ろうとはどちらも言い出さなかった。黙ってそのまま待つ。

さらに10分経過した時校舎から知らない人が出てきた。制服を着ているから女子生徒なのだろうけど、だれだろう。

青梅は知っている人みたいだ。「若草先輩」驚いて駆け寄る。

「うん、よくここまでこれたね。感心感心」
「今までのは若草先輩だったんですか? なんなんですかこれは」
「まあまあ、今から説明するから」
「青梅くん、知っている方?」
「うん。3年の先輩で、委員会の会長。先輩が一条大介だったのですか?」

それは違う。一条大介は架空の人物ではない。

「違うよ。一条大介はOBで一条の会創立者」
「一条の会?」
「そう。一条の会というのはね」

若草さんはとても自慢げだった。つい気圧されて小さくなる。

「言ってみれば裏の卒業式。限られた人だけが加わることができる。青梅くんは後継者として試験に合格したのよ」

一条の会とは。

一条大介が創立した卒業のお祝いのこと。卒業式の夜に日坂高校の裏山で過ごす。初めは夜裏山で過ごすだけだったのだけど、面白がって人数が増え今では20人以上が参加している。裏山でたき火をしてその火の回りをぐるぐる回って過ごす。

こんなこと先生を初めとする大人にばれたら大変だ。だから会の参加者企画者は慎重に選ぶ。特に気をつけるのは1年後2年後会を継ぐ人だ。そのために試験をする。フリーメールからメールをして、黒板に書いて、あちこちに隠されたメモを探す。一条の会に所属している人は生徒会にもコンピューター部にもいる。メモを隠すのはお手の物だった。

「クリアおめでとう。3年生が待っているから、早く行かないと」

懐中電灯片手に若草さんは裏山をざくざく進む。慣れていないわたしは置いていかれがちだった。うっかりするとちょうど足元に引っかかる位置に有刺鉄線があったりしてひやっとする。裏山と気楽に言うものの、ここは学校の敷地ではない、市が所有している自然公園の一部だ。しかも公園という呼び名のくせになにも手入れされていない野山だ。遭難するほど深くはないけど、好き好んで道ならぬところを進みたいと思うところでもない。

「なんで、俺たちなんですか」

青梅は若草さんに楽々ついている。さすがアメフト部、体力が違う。

「青梅くんのことは知っているから。青梅くんなら後継者にぴったりだと思って。実際試験合格だし」
「わたしは?」
「え?」

若草さんの目は初めてわたしを見た。

「青梅くんが誘って連れてきたんじゃないの?」
「違います。沈丁さんにもメールはきた」
「あ、そう? じゃあたぶん、フリメを送った緑田が送ったのね。確かマニュアルにも書いてあったけど、青梅くんはひとりじゃ行動しないかもしれないって、それで仲間を増やしたのかしら。えっと……」
「わたしの名前でしたら沈丁です」
「あ、そう? 多分沈丁さん口は固そうだし、他に話すような人いないだろうし」

……どうせわたしは友だちいないですよ。青梅のおまけですよ。苛立たしいけど聞きたいことはまだある。

「一条大介はもう参加していないんですか」
「当たり前でしょ。とっくに卒業しているわよ」
「一条大介の名前で色々もらいましたけど」
「あれは単に名前を語ったのよ。若草爽じゃ謎でもなんでもない、ただの呼び出しだし」
「ミトドケテホシイとか革命の季節とか、あれはなんなんですか?」
「ミトドケテホシイ? それは知らないけど、3月は革命の季節は、そうするようにマニュアルに書いてあるのよ」
「マニュアル?」
「そう。一条大介のマニュアルよ。卒業直前に書き残したんだって。どうやって人や燃料、会費を集めるか、後輩を勧誘するか。言葉には特に意味はないわ。いかにも謎めいているでしょ」
「昨日の愛したことがあるかのメールも?」
「なにそれ」

変なこという子だなあという顔をされた。

「スパムと勘違いしているわ。それは違う」
「そうですか」

そう? わたしは納得しない。出した人が知らないと言ったのだから知らないのだろうけど、無関係なメールであるはずがない。根拠もなにもない直感だから口にはしない。すればきっと馬鹿にされる。

急に開けた場所に出た。空が木で覆われていない。中央にはきれいに積み上げられた薪、すぐ横に予備のたき火と焚き付け用のガソリン、コンビニで買ったおにぎりやサンドイッチで一杯のビニール袋が並んでいる。お酒はあるのかな。あるのならわたしもほしい。たき火の周りを囲んでいるのはさっき卒業証書を受け取った3年生たちだった。なぜかわたしたちが到着するとまばらな拍手が起こる。

「お待たせー」
「おー、青梅くん合格おめでとう!」

一条の会の参加者たちはわたしたちについては知っていたみたいだ。もっともちやほやはされず、簡単な挨拶だけで後は特に触れられなかった。なぜだか全員仮装していた。剣道着や軍服や、中国の人民服とかを着ている。まるで文化祭の後夜祭だ。若草さんも隅に隠していた布をまとい、あっという間にとんがり帽子に黒いマントの魔女になった。制服だけのわたしたちは浮いていた。

3年生たちは冷たい地面に直接座り、思い思いにおしゃべりしている。だれもが自信に満ちて、堂々とくつろいでいた。ここにいる全員が今夜の主人公で、最後の夜を楽しんでいる。わたしたちは輪のはしっこに2人で並ぶ。

わたしたちで最後だったみたいだ。特に掛け声も宣言もなく、みんなでがやがや話しているうちにだれかが薪に火をつけた。元々薪にはガソリンがかけられていたのだろう、ぱっと火がついて大きく燃え上がる。

歓声が上がった。一条の会が始まったのだ。


3年生はしゃべって、お菓子を食べてペットボトルのお茶を飲む。だれかがたき火の周りをうろうろし始めた。すぐにみんなが真似をし始め、たき火の周りをぐるぐる回る列ができる。自由で、解放された姿だった。

わたしはひどく現実離れした気分だった。

これは現実なんだろうか。それとも起きながら夢でも見ているのだろうか。足元はおぼつかないしなんだかふわふわしている。

拍子抜けしたのかもしれない。追求してきた謎があっけない真相を迎えてつまらなく思っているのかもしれない。結局謎は一条の会へ1年生を誘い出すための罠に過ぎなかった。来年はわたしたちが一条の会勧誘のため後輩へ同じことをする。若草さんたちはとてもわくわくしたのだろう。謎を仕掛けて、ちゃんと引っかかるかどきどきして、楽しかっただろう。でもわたしにはなぜか面白そうと思えなかった。謎は魅力を失い面倒な事務仕事へと変わった。

いいや。謎はまだ解けていない。胸の奥でくすぶっている疑問はたくさんある。

「面白くないよな」

仲良く体育座りで隣にいた青梅が低い声を出した。わたしはぎょっとする。

「怒っているの?」
「別に」

嘘だ。怒っている人はとりあえず否定する。でも理由が分からない。怒らせたかな。特に心当たりはない。もしかして若草さんへの話に対してわたしがあまりにも馬鹿っぽい受け答えしたから怒ったのかもしれない。

「ただ、面白くない。まどろっこしく誘い出して、分かった人だけが一条の会に参加できるとか。同じ生徒なのに一方的に試すなんてすごく馬鹿にされた気分だ。実際馬鹿にしているだろ」

怒っているのはわたしじゃない。若草さんや、一条の会先輩全員へだった。

「青梅くんらしくない」

意外だった。青梅が怒るだなんて。きっと気にせず選ばれて合格したことを誇りに思っているのだと思ったのに。

「そうだね。でも沈丁さんは俺のことを分かっていないんだよ」

青梅はわたしがとめる振りをする間もなく、立ち上がって行ってしまった。肌寒い3月の暗い山に潜ってしまう。

「どこに行くの」
「帰る。先輩たちには適当に言っておいて」

振り返ることさえしないでそのまま消えてしまう。

本当に帰っちゃった。

そんなに試されたのが嫌だったんだ。わたしは動かずに青梅の言ったことを思い返した。

俺のことを分かっていないんだよ。

わたしは気分を害していた。八つ当たりされた気分だ。なによ、青梅だってわたしのことをまるで知らないくせに。なにを考えているのか全く分かっていないくせに。

その一方で確かに青梅の正しさを分かってもいた。

そうかもしれない。きっとそうだ。

わたしは肥大した自己を甘やかしてあやすので精一杯で、青梅の考えなんて見通す余裕もつもりもない。わたしが自分のことをもったいぶって表に出していないのと同じように、青梅だって本当の自分をわたしに見せていないことを想像してもよかったのに。

なんて今更なんだろう。色々なことが見えてきても、分かった時にはもう全部終わっているんだ。いつもそうよ。

「愚者の後知恵、愚者の後知恵」

わたしはうずくまるようにより小さく座った。だれもが祭りの炎に酔いしれ、自分の影と一緒にぐるぐる回って踊っている。だれもちっぽけな1年生がいることなんて見てもいない。

炎が重そうにうめいた。わたしはなにげなく見つめる。

先輩たちがこっそり裏山に持ちこんだ薪はどれも巨大で、たき火はとても豪華で巨大だった。だからなのだろう。一本一本が重く、きちんと積んでいない。途中で何回か追加の薪を投げ入れたが、熱いのもあって近くできちんと入れていない。ただでさえバランスが悪いのに燃えて重心が崩れた。わたしの目の前でたき火は崩れる。

崩れても別にいい。炎が熱いからだれもそこまで近くには寄っていない。運良くたき火を追加しようとしている人もいなかった。あれあれ、ですむ話だった。

崩れた先が薪の予備と、初め着火する時に火を点けやすくするためのガソリンタンクでさえなければ。

とっさに動けなかった。第一気づいた人が少ない。あ。あれまずいんじゃないの。危ないよと思っているうちにこぼれたガソリンが着火し、薪へ燃え移り、あっという間に高い火柱になって火の粉が降り注ぐ。身震いするかのような炎はあちこちへ飛び火し、周辺の木や蔦、そして山まで燃えてしまうような大きな炎となる。

楽しそうな歓声は悲鳴になった。だれかが用意していたバケツを火へかけようとするが、慌てていて見当違いな場所にかかる。

わたしのすぐ横を慌てて逃げ出す人を横目で確認して、わたしもやっと現実が飲みこめた。

逃げなきゃ。ぼんやり見ている余裕なんてない。こんなに火が大きくなって、用意していたものが一気に全部燃えちゃって危ない。先輩たちと同じように立って走って逃げないと。

よろめくように立ち上がった時、わたしは信じられなくて息が止まった。

炎の中に人がいた。薪の影かと思うような人影。見間違えかと思って凝視するわたしの前で、人影は熱風にあおられ転がっている仮面を拾って顔につける。そしてわたしを見た。その人は逃げなかった。すぐ横で業火が吹き荒れているというのになんでもないかのように立ったまま。仮装の黒いマントが燃えないのが不思議なくらいだ。

わたしは周りを見た。

もうほとんどだれもいない。わずかに残っている人も荷物を持って逃げているか、おろおろ困っているかだけだ。「あ、あの」ようやく出した声は驚くほどか細く、だれも反応しない。

わたしに反応しないのはまあいい。仕方がない。でも、だれも炎の中に立っている人に気づいていない!

「嘘でしょ」

なんで、なんでだれも気づかないの。

あの人はここにいるのに、はっきりそこにいるのに。先輩たちはだれもが、だれもいないように逃げている。

だれもわたしの声を聞かない。その人に注意する人はだれもいない。

だれもその人を助けられない。わたし以外は。

わたし以外には。

自分で出した事実に心臓をつかまれたような気がした。荒れ狂う炎を前に立ったまま動けない。冷たい汗がしたたる。

「わたしが」

わたしだけが。

「なんで、わたしが」

消え去りそうな声だった。先輩たちどころか自分自身まで聞き取れない。

「なんでよ。なんでわたしがしなくちゃいけないの」

泣き出すように、堰を切ったように言葉があふれ出す。だれも聞かないのに、だれも見ていないのに。その人も、わたしも、いることをだれからも忘れられているのに、無視されているのに。

「そうよ、なんでわたしが助けないといけないの。わたしは取るに足らない人なのに、どこにでもいる背景みたいな人なのに。なんでわたしなの。どうしてわたしだけ気づいたのよ。他の人でいいじゃない! どうせわたしがやったって失敗するわよ、一緒に火にまかれるわよ。わたしは主人公じゃないもの、がんばったってろくな結末にはならないのよ、青梅くんみたいな人がやればいいじゃない。青梅くんは頭が良くて行動力があって、すごい人なんだから。青梅くんがやればよかったのに。なんでわたしなの、どうしてわたしなの。どうしてなのよ! なんでみんな、いつも自分が主役ですみたいな偉そうな顔しているのに、こんな時だけわたしに押しつけるの。わたしにはできないのよ!」

仮面が熱でぐらりとゆらぐ。まるでわたしを笑っているように。取るに足らない存在だと馬鹿にしている大勢の人々のように。

「あああ。でも!」

わたし以外の人がいなかったから、わたしは助けたくなかったから。だから焚き火に巻きこまれているのを見捨てる? なかったことにして逃げ出す?

だれもいなかった。そんな理由であの人を無視するの?

そんなこと、できる?

「そんなこと」

責める人はだれもいない。なぜならだれも気づかなかったから。仮に気づいた人がいても仕方がないと言ってくれる。危険極まりないことだから。できなくても仕方がないよ、沈丁さんは悪くないって。

でも。

そんなことは許されない。

だれもいなかったから。そんな理由で見て見ぬ振りなんて、できない。

そんなのわたしが許さない。

わたしはだれも見ていない、崩れたたき火の中へ飛びこんだ。


たき火は少し近寄るだけでもすごく熱い。顔の表面が焼けるようで、汗が一気に吹き出てきた。普通の時だったら大したことがない距離が異様に遠い。今にもくじけそう。わたしの頼りない信念なんて、炎の熱さといった具体的な脅威にはあっという間に消し飛んでしまいそう。

熱い。足が崩れそうに震える。怖くて怖くてたまらない。

こんなのだからわたしには主人公は向いていないのよ。主人公なんてできない。こんなに熱いし怖い、その上助けたとしてもだれもなんにも言われないのだから。

主人公という人たちは、きっとそんなの気にしない。火なんてなんてこともなく、あっさり助けてその上に格好いいなにかを言えるんだ。わたしにはできない。こんな簡単なことさえもしりごみして、こんなに怖がっている。

どうしてみんな、主人公なんてできるのだろう。こんなにろくでもない、嫌なことしかないのに。

なんでわたしなの。どうしてわたしがやらなくちゃいけないの。他の人でもいいじゃない、青梅でも、わたしでない人ならだれでもいいのに。

熱い。息が苦しい。吸い込む空気が熱を含んで肺を焼く。きっと火傷している。目は満足に開けられないし、汗は蒸発して肌が焼けている。だれか代わってくれるなら喜んで代わるのに。どうしてそのだれかはここにはいないの。主人公はどこにいるの。

どうしてわたしなの。なんでわたしなの。

どうして。どうして。どうして。

「どうして」

「なぜならば、君はそこにいるからだ」

燃えさかる炎の中、その人は言った。まるでここが教室にいるかのように涼しい声で。