三つ首白鳥亭

−ミトドケテホシイ−

3.コンピューター室

放課後わたしは手紙を青梅に見せた。朝言わなかったのは渡した人の名前が分からないのが気まずかったのが理由の半分。もう半分は二日酔いだったからだ。青梅はそんなことはないらしい。自宅二次会をしなかったのだろう。当たり前か。

「えー、なんで追わなかったんだよ、せっかくだったのに」
「ごめん。急なことでびっくりして」

こういう反応も当然予想していた。だから言うのをできるだけ先延ばしにしたかった。どうせなら黙って捨てちゃえばよかったかもな。

青梅はなにを言ってもごめんしか言わないわたしをうんざりしたみたいに見ていたが、「あ、後さ」急に声の調子を変えた。なんだろう。他の文句を思いついたのだろうか。

「この一条大介って、だれ? 犯人?」
「分からない」
「分からないばっかりじゃないか」
「本当に知らないのだもの。渡した人は間違いなく女の人だった。一条なんて人は知らない」
「俺もそんな人知らない」

青梅は考えこんだ。

「クラスの先生に聞いてみよう。こんな人知りませんかって。あ、いや、その人に用事があるのでクラスを教えてくださいの方がいいな。どんな用にしようか。大学にしとこう」

言葉にしながら考えを整理しているみたいだった。わたしは慌てる。

「青梅くん待って、先生って、担当の渡辺先生?」
「そう」
「わたし、先生に話しかけられないよ」
「なんで? 普通に体育の先生だし、体育研究室にいるよ。新体育館の横。行って聞けばいいじゃないか」
「だってろくに話したことがないし、変だと思われる」
「全然変じゃない。ちゃんと理由もでっち上げたし。それに沈丁さんは話さなくてもいいよ。俺が言うから。行こ」

わたしに同意を求めず青梅はかばんを持って歩き始めた。わたしの返事を待っていてはいつまでたっても状況が変わらないと言うことなのだろう。正しいから文句を言わずについていく。

青梅の予想は外れた。運良く体育研究室にいた渡辺先生はぶっきらぼうながらも他の先生にも確認してくれたのだが、一条大介という生徒は日坂高校にはいないそうだ。青梅の勘違いだったということにして部屋を出る。

「どういうことなんだろう。今の生徒じゃないってことだよね。OBなのかな」
「OBか」
「昨日見せてもらった竹原さんの卒業アルバムに、そんな感じの名前あったっけ?」

思い出せない。なかった気がするけど、探していた訳じゃないから確信がもてない。

「そっか、卒業アルバムも確認すればOBかどうか分かる」
「卒業アルバムも?」
「いや、知り合いや先輩に聞いてみるつもりだったけど、卒業アルバムも確認すれば確実だ」
「卒業アルバムって、高校のだよね。竹原さんの?」
「いいや。高校の全アルバム。どっかに保管されているだろ、全巻」
「どこか知っている?」
「それはこれから聞く。友だちに聞いてみる」
「分かった。じゃあいったん保留ね。友だちから情報を聞いたらまたその時ってことで」

今日はこれでおしまいかな? わたしは期待したけど、青梅はゆっくり口を開く。別のことを考えているみたいで緩慢な口調だった。

「……それまで他の線から考えてみよう。一条大介と手紙を渡した人は考えずに」
「他の線って?」

他になにかあったっけ。

「あの、生徒会室コンピューター室旧図書館」
「あ」いけない、本当に分からなかった。

手紙は大切にしまったけど、短い文章なのだからとっくに覚えている。

「なんのことか分かる? 暗号かな。推理小説みたいな」

なんだか興奮してきた。ためしにローマ字にしてみようと生徒手帳を開く。推理小説は中学生の時ずいぶん読んだ。あいにく高校受験の時に読書の趣味をやめたけど、その時のときめきはまだ忘れていない。

「そんな訳ないだろ」

青梅は一蹴して歩き出した。わたしはくじける。

「どこに行くの」
「生徒会室。手ぶらで生徒会室にいけないから、部室で適当な用事を探して口実作る」
「はあ」

あの。わたし、いなくてもよさそうだから帰っていい?

言おうかと思った言葉はいつものように霧散する。わたしはつまらなそうな表情になってついて行く。


青梅は自分の部室に着く前に適当な用事を思いついた。

「4月の新入生歓迎会のスケジュールについてがいいな。もうすぐだし」
「そうか。もうそんな季節なんだね」

わたしはぼんやり驚いた。もうすぐ4月で3年生の代わりに1年生が入学してくる。わたしも2年生だ。全然ぴんとこない。校舎の窓から見る中庭は無人で寒々としているのだけれど、ふと真新しい制服と一杯に咲き誇る桜を空想した。

「沈丁さん、もしかして部活に入っていない?」
「うん。そうだよ。よく分かったね」
「だって新入生について無関心だし」

帰宅部なのには深い意味はない。特に好きなこともないし、なんとなく。

「アメフト部のマネージャーにならない?」

いきなりなにを言うの。

「なんで?」
「俺アメリカンフットボール部なんだけど、マネージャーが足りないんだ。部員は試合できるくらいにはいるのにマネージャが。どう、入らない?」
「えっと、いや、急に言われても。一応考えておくけど」

マネージャーってなにをするのだろう。泥だらけのシャツを洗ったりするのかな。なんで部活に入って人のお世話をしないといけないのだろうか。却下却下。

初めて入る生徒会室は思った以上にごちゃごちゃしていた。特に仕事をするでなくぼんやりしていた生徒は青梅の取ってつけた質問に資料を探す。わたしは物珍しくてあちこち見渡していた。ふと青梅にささやく。

「ねえ、あれを見て」
「あれ?」

わたしが示したのは、ホワイトボード右端のらくがきだった。すっきりなにも書かれていないボードは隅に3月1日と書かれ、丸で囲まれている。

部屋内の年間予定表を確認した。1日は卒業式だ。

「生徒会って、卒業式なにかやるんですか?」
「え? いいや、卒業式は俺たちなにもしないよ。先生だけ。生徒会はそれより新歓だよ」
「でも、あのホワイトボードに書いてある」
「あれ? なんでもない。だれかが書いたんだろ」
「会議でもして書いたのですか」
「さあ。最近話し合いは特になかった」

よく分からない回答だ。わたしたちはお互い目配せをして部屋を出た。

「ねえ、あれ」
「あれ、俺たちへのメッセージじゃないかな」
「わたしもそう思う。ホワイトボードに書いたことが、そりゃはっきり覚えているものじゃないかもしれないけど、いつだれが書いたのか全然分からないなんてあまりないよ」
「生徒会は1日特になにもすることがないんだし。変だ」
「じゃあ、やっぱり卒業式になにかが起きるのね」
「きっと他の場所を回ってみれば、別のメッセージがあるんだ」

青梅は興奮気味だった。

「行ってみよう」
「今?」
「他になにか用があるの?」
「ううん。なにもない」
「じゃあ行こう。すごいね、なんだかわくわくするよ。手紙を渡されて、ヒントが書かれててって。何だか漫画の主人公になったみたいだ」
「ああ。青梅くんはすごくそれっぽいね」

心からそう思う。青梅は主人公だ。

「ちょっと怖いけどね」

頬を紅潮させながら、内緒話を打ち明けるかのように言った。

「怖い?」
「うん、怖いよ」
「どこが」
「だって漫画なら絶対ハッピーエンドになるし、例えならなくても漫画の人たちは他人だから人事として見ていられる。でもこれは自分たちなんだ。悪い結果になりたくないし、なにかのちょっとした間違いで全部駄目になるのも嫌だ。だから、怖いよ」
「そんなの、わがままよ」

わたしは静かに言った。

「そう?」
「うん、そう。青梅くんは主人公なんだから、もっと胸を張らないと。堂々としてよ」
「がんばるよ。でも買いかぶりすぎだよ」
「そうは思わないけど」

心から、そうだとは思わない。

わたしは青梅の後ろをついて歩きながら、にらむように心の中でつぶやいた。

そんなの、わがままよ。

あなたは主人公じゃない。周りから注目されて、自分の行動で周りが動いて、あなたの行動でいくらでも結末が変化する。自分が主導権を握っているのはとても快感のはずよ。

結果悲劇になろうとも、どうしようもない結果になろうとも、そんなのは主人公である喜びの前ではかすんでしまうわ。

ひきかえわたしは脇役。どうがんばっても主人公にはなれません。生まれてからずっとそうした役回り。周りに流されるだけで、自分から行動はなにも起こせず、あっという間に話から忘れ去られるだけ。いるのだかいないのだか分からない。

そんな脇役の前で、主人公が怖いなんてよくも言えるものね。贅沢よ!


コンピューター室の存在は知っていた。何回も前を通ったことがあったから。でも入ったことはない。そのうち授業で使うのかもしれないけど、今までだれかが使っているのを見たことはない。以前カリキュラムを確認したけど、コンピューターの授業もない。コンピューター室は旧型のパソコンがずらりと並ぶ、清潔だがいつも薄暗い謎の部屋だった。

青梅はコンピューター室の開け方を知っていた。鍵の管理場所を知っている上、堂々と持ち出したのだった。鍵は国語研究室の壁にかかっていて、「失礼します、お借りします」さりげない一言と共に理由も言わず持ってきた。国語研究室の先生たちは自分たちの仕事で忙しくて、青梅についてはちらりと見ただけだった。

「なんで!? 青梅くんひょっとして超能力者?」

驚いた。だれも入ったことがない部屋の鍵をあっさり持ってくるなんて、青梅は本当に特殊能力を持っているのかもしれない。

「なんで超能力とかいう発想になるのさ! そっちの方が分からないよ」
「だって!」
「偶然知ったんだよ!」

話によると、夏に図書委員会で発行している年2回の機関紙「ニチラブ」の編集作業にコンピューター室を使っていたらしい。夏の機関紙には生徒たちが投稿した小説のコンテストがあり、手描きの原稿を入力して編集する必要がある。そのためにコンピューター室を使ったそうだ。で、なんで図書委員でもない青梅が知っていたかというと、アメフト部の顧問と図書委員の顧問が同じ先生で、委員だけでは間に合いそうにないため、ピンチヒッターでアメフト部の1年生たちにも入力を手伝わせた。青梅は滅多に入れないコンピューター室に釣られて手伝ったそうだ。

「投稿小説の入力? すごい、漫画みたいね」
「やってみたらそんなに面白くなかった。入力するだけだし、面白くない小説ばっかりだし」
「あ、そうなの」

急に興奮が薄れてきた。それもそうか、しょせんは高校生が書いた小説。プロが書いた小説だってがっかりしたり期待はずれだったりするのだし、仕方がないよね。

「暗いね。電気はどこかな」
「どこかに手がかりがあるはずだけど、この部屋には黒板ないんだな」
「……青梅くん」

わたしは指さした。たくさんあるコンピューターのうちひとつ、キーボードに忘れ物のように紙切れが挟まっていることを。

青梅は真面目な顔になって紙切れを手に取った。

「見て」

紙切れには「17時」と書いてあった。どことなく生徒会室の文字に似ている。

薄暗く静まり返ったコンピューター室でわたしたちは黙って顔を見合わせた。