青梅はもう少し活動範囲が広かった。携帯電話の会社と所属する委員会と、加えて部活の友人、塾の友人にクラスの友人、その他多数。時間がかかると言ったのもうなずける。青梅が携帯電話を契約した時がわたしより早かったし、人数は比べものにならなかった。
「でも、これなら簡単だ。園芸委員会の名簿を見ればいい、その中で俺が教えたことのある人がいればいいんだ」「どうやって名簿を見るの」
「顧問の先生に頼めばいい」
「あ、そうか」
思いつかなかったけど、そうすれば簡単に全員を把握できる。
その日の放課後、早速顧問の先生に頭をさげ、わたしたちは該当者がいないことを確認した。
「どういうこと?」あっさり分かると思っていたから意外だ。だれでもないということになる。
「多分、送った人たちは複数犯なんだろうな」青梅もがっかりはしていたようだが、すぐ乗り越えて次の考えへ進んだ。
「複数の人たちが友だち同士だった場合とかはもう手に負えない。俺たちからじゃ分からない。じゃあ保留にして、別の方向から考えよう」「別の方向」
「なんでこんなメールを出したのかってこと」
青梅は生徒手帳を取り出し書きこんだ。「ミトドケテホシイ」「旗をかかげろ、火をおこせ。3月は革命の季節」
「なんでかって、メールを出した理由?」なんだか書きこまないといけない気がして手帳を取り出す。手帳に書くのは初めてだった。身分証明以外に使ったことがない生徒手帳は開くと硬く、思った以上に小さい。
「うん。このメッセージを届けたいと思った理由、読んでほしいと思ったことについて。そもそもこのメールにはどんな意味があると思う?」「なにかを見届けてほしいってことは分かるけど、3月の方は全然分からない」
3月は革命の季節。よく分からない。意味はあるの?
「うん。でもこっちの方が推理してなにか分かりそうな気がする。見届けての方はそれだけだから」「3月。来月だよね。3月って革命が多い季節だっけ?」
「さあ。3月革命はあるけれど。確か17世紀にドイツ・オーストリアで起きた革命。関係ないんじゃないかな」
「3月に革命があるから見てほしいとか」
「革命っていっても大げさなものじゃないかもしれない。デモとか、国を引っくり返すじゃなくてもっと小さいこと。比喩かもしれない、本当の革命じゃなくて、なにかを変えるとか大事件を起こすとかをするから見てほしいとか。それだったら自分たちで起こして自分たちを見てほしいってことになる。で、ミトドケテホシイとも送った」
「まさか犯罪じゃないよね。ほら、卒業式のお礼参りとか、新聞に載るような事件とか」
不安になった。得体の知れないメールが急に恐ろしくなる。
「まさか」青梅は少しも気にしていなかった。ばっさり意見を切り捨てる。
「犯罪だったら見てほしいなんて思う訳ないよ」「周りに見てほしいって思う犯罪だってある」
「だったら意味が分からないメールを送るなんて回りくどいことはしない。ありえないって」
「じゃあ、なにを見てほしいの」
自分の声にいらだちが混ざったことに気がついた。伝えようと思って混ぜたのではない。
「分からない。だれが、なにをするつもりなのか。どうしてそれを見てほしいのか。なにかを3月中にするぐらいしか分からない。なにかとはなんだ」わたしは答えなかった。すでに青梅は自分の考えを追っている。わたしが口出しをすることはない。なにかを言ってもたった今のようにきっぱり否定されてそれで終わるだろう。
「3月に学校でする大きなことって言ったら、終業式か卒業式だ。手分けをして他の人になにか変わったことがないか聞いてみようか。クラスメイトとか先輩とか。さりげなく、世間話みたいに」「うん」
「じゃあ今日はここまでで。友だちに話を聞いたらまた声をかけるよ」
「分かった」
解散となった。わたしはどう声をかけるか考える。
クラスメイトに親しい人はいない。声をかけたり話しこんだりする人はいるけど、そういうあいまいなことを気楽に話せる人は思いつかない。変な人と思われるのは嫌だ。
先輩に関してはもっといない。帰宅部所属のわたしにとって、先輩と触れ合うことができるのは委員会ぐらいだ。わたしは園芸委員会に所属している。決まった活動日はない、せいぜい水やり当番と、時々全体の集まりがあるくらい。
学校を出る前に行ってみようか。全体の集まりはちゃんと教室を借りるが、水やり当番は校庭端の小屋で支度をしてからでかける。人がいるかは分からないが、のぞくだけはのぞいてみよう。
園芸小屋にはだれもいなかった。小屋といっても納屋、もしくは用具置き場と言った方が正しいような場所だ。屋根のある場所は植木鉢と園芸用土がつみかさなっていて、人間のためにあるものといえば雨風にさらされて塗装がはげた椅子ぐらいだ。無造作に積まれている椅子をひとつ取りわたしは座った。ぼんやり煉瓦の山を見つめる。静かでだれかがくる気配は微塵もない。
もし他の人がきたとしてもどうやって聞けばいいのだろう。1年間在籍しているにもかかわらずわたしはこの委員会にはなじんでいない。親しい先輩がいない。委員会で偶然会わないと話しかけられさえできない。
クラスや委員や学校に限らない。わたしはどうもどの集まりでも浮いていて、特別に親しい人がいない。どの集団においてもなんとなく違和感がある。自分の居場所がない。
それはなにかが悪いとかそういうのではない。きっとわたしはなにかが違う、これは違うと思いながら生きていくのだろうと予感していた。それで外から見ればわたしはその集団の目立たない、でも間違いなく普通の一員なんだ。
人がくるはずもない小屋で、無意識にわたしは桜色の携帯電話をさわっていた。
「ミトドケテホシイ、ミトドケテホシイ」なにをしてほしいのかまるで分からないメッセージ。
「あなたはわたしになにをしてほしいの?」「卒業式だよ」
青梅がわたしの机に手をついて言った時は、一瞬なんのことか分からなかった。
「なにかやるとしたら、きっと卒業式だ。先輩たちから聞いた」「そうなの?」
青梅はどこからそういうことを聞きだすのだろう。わたしはまだ他の人に話しかけさえしていないのに。
「どんな話を聞いたの?」「ああ。聞いたのは卒業式の後について。部活にも出ないし集まりもしない、クラスの打ち上げに誘ってもこない人が結構いるらしい」
「単になにもしない人なんじゃないの?」
「そうかもしれないけど、メールがきたこととかと一緒に考えると怪しいだろ。普段はクラスのまとめ役をしていたりリーダー格の人たちだそうだ。なにもしないなんて変だよ。今度そういう人を探して話しかけてみるよ」
「本当に早いね。今日学校が終わってから聞きに行くの?」
「いいや。別の人と話す約束をした。俺の従兄弟の竹原さん。今は社会人しているけど昔日坂高校に通っていたんだ。携帯のメール知っているから連絡してみて、もうずっと会っていないしすごく久しぶりだから会うことになった。今日の放課後、F駅前の喫茶店で」
「親戚も日坂高校に通っていたの? すごいね」
「うん。その人から日坂高校について聞いて、受験がんばった。竹原さんと会うの、沈丁さんもくる?」
喫茶店で待ち合わせをして社会人と会う。青梅のやることはわたしにとってあまりにもすごすぎて、同じクラスの高校生とは思えない。
そんな中に混ざるのは気後れしたが、
「うん、行く」青梅の自然な態度は、行かないなんて返事があるなんて疑ってもいないようだったので、頷かざるをえなかった。
喫茶店は慣れていない。普段はミスタードーナッツやマクドナルドのようなファーストフード店にお世話になっている。だって値段が段違いだもの。喫茶店のコーヒー1杯がドーナツ2皿になる。慣れないサラリーマンや主婦の客層にほのかに香る煙草の香り、すっかりわたしは浮き足立った。
青梅はわたしの緊張に気づかず、当たり前のようにコーヒーをすすって時計を気にする。そろそろ夕方が退場しようとしている時間帯だ。暗くなり外を歩く人々の層がだんだん変化していく。そのことがまた不安にかられる。
わたしは緊張していてろくにしゃべらなかったし、青梅も特に話さなかった。わたしの目の前にいる社交的なクラスメイトは、沈黙が苦にならないらしい。
約束の時間から10分遅刻して、約束の竹原さんがきた。遅くなってすみませんと席につく人は思ったよりずっと年上の人だった。スーツではなく、きちんとしているが普通の服だった。どんな仕事をしているんだろう。聞きたいけれど初対面の大人に声をかけられない。
「お忙しいのにすみません。お久しぶりです」「お久しぶりです。おばさんの体調はどう?」
「いつも通りです」
「そうか。えっと、初めまして。竹原です」
最後はわたしに向けてだった。「初めまして。沈丁です」
竹原さんはそれでわたしに対しての礼儀は果したとばかり青梅と自分たちの両親や共通の親戚について話し始めた。わたしは無視されていたけどむしろほっとする。竹原さんと話すことはないし話したくてもうまく口が回らない。しどろもどろになって変な人と思われてしまう。だからこうして聞いているだけというのは楽だった。ぼんやり話を半分聞いて、もう半分は喫茶店の客や時計を眺めて過ごす。
時計の針が20分進み、竹原さんの注文したチーズトーストがなくなってからようやく本題に入った。
「卒業式にする変なことだよね」「はい。竹さんなにかありましたか、竹さんが高校生だった時」
「聞いてから考えたけど、特に思いつかないんだよなあ。俺がぼーっと過ごしていたっというのもあるけど。第一3年生の3学期なんて登校自由だし。今更高校でなにかをやるかなあ」
「分かりませんか」
「うん、全然」
「よその高校だと、例えば卒業式で証書をもらうとき後ろの生徒にピースしたり写真を撮ったりとかするみたいですけど」
「日坂高校じゃ見たことない。よその高校だろ。一色高校か?」
「違いますよ」
一色高校とは日坂高校の隣にある高校のことだ。隣駅で歩いて5分。日坂高校と似たような地理の上偏差値は大体同じ、日坂高校が少しだけ上。似たような学校のせいか高校としては仲がいいけど、生徒の中にはライバル心を抱いている人もいる。竹原さんもどうやらそうらしい。わたしもライバルだと思っている。日坂高校の方が海に近いし高台だから景色も良くて富士山が見える。それに歴史が古い、日坂高校は戦前からある高校だもの。負けない。
「だったら卒業アルバムとか見ようか。家にあるよ。俺が知らなかったことが書いてあるかもしれない」「あ、いいですね」
あっさり決まった。空のトレイを片付けて喫茶店を出る。寒さは多少緩んだとはいえ、まだまだ身を縮める気候だ。空はすっかり藍色で、わたしは明るい街並みにも負けない星をひとつふたつ見つけた。
竹原さんの家は近くだった。アパートの2階、男のひとり暮らしとして想像していた部屋よりはきれいだった。ホットカーペットの敷いている居間に通されて、ペットボトルの烏龍茶を注いでもらう。竹原さんはとりあえず自分の分を注ぐと口をつけずにクローゼットのダンボールを引っ張り出した。埃が立たないようにそっと開けて、古い教科書や経済の専門書、辞書などを積み上げていく。
「お、あった」ダンボールの一番下から、カバーに入った白い本をわたしたちに向けた。青梅が受け取り引っ張り出す。わたしも後ろからのぞきこんだ。
文集に載っている写真はわたしたちが通っている日坂高校だった。もちろんそれは当たり前で、同じ高校なのだし竹原さんは若いのだからその時と今とそんなに変わっているはずがない。分かってはいるのだけど、校舎は同じなのに知っている人がだれもいない写真はわたしには不思議だった。
丁寧に頁をめくる。入学式、部活、遠足の歩こう会、合唱コンクールに学期末球技大会、文化祭体育祭に修学旅行。3年間の生徒たちが写真で楽しそうに笑っていた。みんな青梅のように明るくて屈託がない。もちろん陰気でぼんやりした生徒などいるはずもない。
「沈丁さん、見てよこれ。日坂新聞まで掲載されている」「本当だ。すごいね」
日坂新聞は新聞部が発行している新聞だ。たまに配られる。校内新聞なのに企業の広告が掲載されていて本格的だ。日坂新聞はかなり細かい学校の色々について書いている。卒業文集に掲載されている当時の新聞も同じだった。
竹原さんはなにも手出しをせず、缶ビールを開けてわたしたちを面白そうに見ていた。
じっくり読んで、やがて青梅は残念そうに卒業アルバムを閉じた。
「なかったね」「うん」
机に追加で置かれた3杯の蜜柑色のジュースに、わたしと青梅はほぼ同時に手を伸ばした。
「3月に行うなにかは載っていなかった」これを見ればすんなり分かると思っていた訳じゃないけれど、やっぱりスカだとがっかりする。
「って、これ」コップに口をつけた青梅が吹き出しそうになる。
「お酒じゃないですか」「うん。どうかな。初心者でもおいしく飲めるよ。まだ高校生だとそんなに飲みなれてないだろ?」
「飲みなれていないって、まだ飲めませんよ」
青梅は困ったようにコップを置く。わたしは置かない。
「杏露酒ですね。甘いです」「沈丁さん?」
「なんだ、いけるじゃないか。求道もどうぞ、遠慮せずに」
「いや、遠慮って。なんで沈丁さんは知っているんだよ」
「飲んだことあるもの。これどこのスーパーにもあるし安いし甘いしでいいよ」
「なんで飲んだことあるんだよ」
「こっそり買っているの。初めて買ったのは中学生の時かな」
もちろんわたしは未成年だからいけないことだ。いけないことだけど酔うのは面白いからついこっそりと。青梅はぶつぶつ言いながらもひとりだけ仲間はずれは寂しかったのか少しずつ口をつける。無理をしなくてもいいのに。
「やっぱり夜の集まりに酒がないとな。口も回らないよ」「そういうのに高校生を巻きこまないでください。ばれたら大目玉です」
それから先の進展はなにもなく、わたしたちはもてなされて帰った。お酒のせいでろくに覚えてさえいない。はっきり思い出せるのは時計もない、妖しい絵がたくさん貼った部屋の壁ばかりだ。
「でも、今思い出せば高校時代って変な期間だったよな」赤黒い壁を背景に、聞き取りにくい竹原さんの声がぼそぼそ続いたのも覚えている。
「中学生ほどもの知らずでもなく、大学生ほど大人っぽくない。今自分のいるところが狭い世界で、外にはたくさんのことがあることは分かっているけど知識もお金もない、なにかをしたいけどなにもできない。俺は鬱々と過ごしていたっけ。求道がうらやましいよ、そんなふうに動けて。俺が求道と同じ年だった時はできなかった。でも、なんでだろうな。時々妙に懐かしくなる。
戻りたい訳じゃないのに。いいことが起きた訳でもないし、つまらないことも嫌だったこともたくさんあったのに。自分で選んだ家に住んで食べたいものを好きなだけ食べて飲みたい酒を飲める、今の方がずっと幸せなのに。それでも高校生だった頃が無性に懐かしい。
懐かしがっても仕方がないのにな」
お酒の甘い霞の向こう側で、この言葉だけはやけに鮮明だった。
「どうしてだろうな。高校生だった時が人生で一番いい時だったなんて、そんなの絶対に思いたくもないのに」翌朝のわたしは体調を崩していた。
理由は自明の上自業自得だった。家に帰った後、杏露酒だけでは物足りず日本酒を一升瓶でこっそり飲んでいたからだ。飲みすぎた。飲みすぎはよくない。どうしようもなく気持ちが悪い。いっそ休んじゃえばよかった。
愚者の後知恵愚者の後知恵、後悔先に立たず。平凡な高校生は二日酔いをひた隠しにして校門をくぐる。
「沈丁さんですか」「ええ」
答えてから機嫌悪く向いた。知らない人がいる。制服を着ているから日坂高校生なのだろう。知らない人だけど、生徒の大半が知らない人なのだから気にもならない。
「頼まれたの。一条大介さんって人からこれを渡してだって。それじゃ」封筒を手渡してその人はわたしと逆方向に行ってしまう。今から授業なのになんなのだろうあの人。
歩きながら封筒を開けた。封はされていない。中にはワープロ打ちされた文章だった。
「青梅様生徒会室
コンピューター室
旧図書館
一条大介より」
思わず今の人を探すも、もうどこにもいなかった。校門からは左にテニスコート、左は丘でまっすぐに校舎に続いている。つまり隠れるところがない。でもいったん校門を出てしまえば、住宅地でこそないものどこにでも隠れられる。わたしは二日酔いの気持ち悪さを押し殺しながら、ぼんやりと立っていた。