『新着メールが一件あります』
『題名:なし』
『本文:ミトドケテホシイ』
▼1.自室
「なにこれ」
自分の部屋でわたしは身体を起こしてよく見た。真新しい桜色の携帯電話はまだ大して指紋もついていなければ汚れてもいない。困惑するわたしになにも答えない。
主語なし、目的語なし、差出人不明。宛先は自分、沈丁春香あて。
「本文が一言だけ、これじゃなんだか分からない」だれに聞かせるともなくつぶやいた。
翌日高校の教室に入り、わたしは足を止めた。
『旗をかかげろ、火をおこせ。3月は革命の季節』黒板の端から端までこの文字で埋めつくされていた。特徴をわざと加えたような荒々しい、見ているだけで傷つけられるような文字だった。
「なんだこれ」「だれの字でもないぞ」
クラスメイトたちが浮き足立っている。昨日で4日間の期末試験も終わり、終業まで指折り数える日々だった。多少浮き足立つ人がいるかもしれないが、全体としてのんびりとした空気が学校全体を覆っていた。そんなうたたねしているような日々に突如これ。
「なんだろうね」小さな声のざわめきにかき消される。担当の渡辺先生が遅ればせながら教室に入り、黒板をちらりと見た。
「よく分からないが消すぞ」興味もなく黒板消しをつかみ、なぞの文字はあっけなく消えさってしまう。
「もう席につけ」のんびりした呼びかけにわたしもようやく動き座った。忘れかけていたメールの文章がよみがえる。
「ミトドケテホシイ」「ミトドケテホシイ。ミトドケテホシイ」
春の息吹が香る。2月にしては柔らかい日差しの中、こっそり口の中で繰り返す。日坂高校の生徒たちが思い思いに話して歩く騒がしい昼休み、ゆっくり廊下を歩くわたしに注意を向ける人はいない。
「旗をかかげろ、火をおこせ。3月は革命の季節」上履きのまま外へ出る。さすがにまだ風が冷たく、急にはしゃぎ声もお弁当片手に移動する生徒の姿も消える。やせ我慢をして中庭まで行く。
校舎に四方を覆い隠されているような中庭は底冷えが厳しく、それぞれの校舎からのぞきこめる窓があるにもかかわらず、人目のつかない死角のような場所だった。壁に寄りかかり、なおざりな手入れの竹やぶをながめながら、買ってきたパンの袋を開ける。
「わたしの携帯にきたメール、次の日黒板に書かれていたらくがき。どちらも書いた人は不明」思わずうなって牛乳へ口をつける。紙パックの青い長方体は少しずつへこんだ。
「関係あるのかな。よく分からない言葉は同じだし。こんなたてつづけに変なメッセージが無関係に投げこまれることはきっとない」だが、まったく同じものとも思えなかった。
「メールはわたしにミトドケテホシイって頼んでいる。らくがきはクラス全員に呼びかけている。ミトドケテホシイはともかく、らくがきはどうしたいのか分からない。革命の季節ってなに」分からないところはまだある。
「らくがきはだれでもできるよね。朝早く学校にきて書けばいいもの。でもわたしのメールは? 携帯のメアドは人に教えていないのに。そもそもまだ使い方覚えていない。どうやって携帯のメアドを知ったの」ミトドケテホシイ。
それは分かった。でもなにを?
紙パックが空になり、ストローで品のない音を立てる。風に身体を震わせ、ごみをコンビニ袋に入れて口をむすんだ。やっぱりまだ2月だ。風が冷たい。
教室に戻って席につこうとしたわたしに声がかけられた。
「沈丁さん、今、いい?」顔をあげると今まで話したことのない男の子がそばにいた。表情は慎重にうかがっている。緊張した。警戒心が自然に身構えさせる。
「青梅くん」名前が分かったことについてはわたし自身が驚いた。青梅求道、クラスメイトだが交流はない。なにごとにもいつの間にかものごとの中心にいて取りまとめている人だ。一方わたしは行事に積極的でない。
「なんですか」「メール、きた?」
思わず顔が凍りつく。まるでかまをかけて成功したように「やっぱり沈丁さんも受けとったんだ」ひとり納得してうなずいた。
「朝黒板のらくがきを見た時、他の人たちに比べて沈丁さんの反応はなんだか違っていたから、そうかと思って」「青梅くんは、なんのことか分かった?」
悪いことをしている訳ではないが、自然に声が低くなった。
「分からない。放課後にまたいい? 話したいことがあるんだ」短い話にはなりそうもないということだった。
「俺の携帯電話にもメールがきた。昨日の夜遅く、内容は黒板と同じだった。送信者はフリーメール」
「フリーメール?」
聞き馴染まない言葉だった。
「だれでも登録することができるメールのこと。手に入れるのも簡単だし捨てるのも簡単。俺が返信した時にはもう破棄されていた」「ひょっとして、わたしのもそうかも」
慌てて携帯電話を取り出す。ぎこちなく送信者のメールアドレスを表示して青梅の携帯とつき合わせた。送信者のアドレスは違ったが、試しに返信してみたら即座に宛先不明で戻ってきた。
「でも沈丁さんのメールは俺のと違うんだな」青梅にきたメールの内容は「旗をかかげろ、火をおこせ。3月は革命の季節」わたしにきたメールは「ミトドケテホシイ」。
「うん。なんだろうねこれ。やっぱりいたずらかな」「いたずらにしてはわざわざ黒板に大きく書いたり2人以上に送ったり。なんか変だよ」
「2人以上?」
「俺たち以外にもいるかもしれないから」
青梅は言葉を切ってわたしを見た。
「探そう」「え?」
「メールを出したり黒板に書いた人を探そう。なんでこんなことをするのか、なにをしたいのか知りたい」
「え、うん」
「黒板の方はだれでも朝のうちに教室に忍びこんで書くことができるけど、メールアドレスはそうじゃない。俺たちが教えないと送れない。今まで教えたことのある人を一覧表にして見比べればきっと分かる」
「教えたことのある人」
「人数が多いから少し時間がかかる。明日の朝でいいかな。で、休み時間とお昼休みに確認しよう。いい?」
「うん」
「とりあえずメアド教えて。メールしたくなる時があるかもしれないから」
「分かった」
不慣れな手で青梅のメールアドレスを登録した。すかすかのアドレス帳に青梅の名前が書き加えられた。
「できるかどうか分からないけど、なんだかわくわくするなぁ」交換した後、青梅は軽く言った。
「どうせ終業式までキマスポしかないんだし、今練習大してないしさ」キマスポとは学期末球技大会のことだ。期末スポーツ大会、略してキマスポ。それぞれの学期末、試験が終わってからすぐ練習をし始めて、終業式の前日にクラスごとトーナメント式に戦う。男子はバスケとサッカー、女子はバレーとバスケだ。勝っても特に賞品がある訳じゃないけど、みんな熱心に練習する。
「なんだかすごく面白いね」「ああ、うん、面白いね」
また明日の朝。そんな約束をしてから帰る。帰宅方向は逆なので高校のゆるやかな下り坂を通り校門を出たところで別れた。
「時間がかかる」わたしは帰路の電車の中で、桜色の携帯電話を取りだした。
「わたしはかからないって、言えばよかったな」わたしのメールを知っている人間は限られている。携帯電話を契約した会社と連絡先を登録した園芸委員会。すぐ言えばよかったのに、とっさに口にできなかった。
愚者の後知恵、愚者の後知恵。ああすればよかったこうすればよかった。いつものことだけど。