あれから数日後、俺たちは集落を出てクレイタへ舞い戻った。
しばらく静かな集落で過ごしていたから、クレイタの人外入り乱れている大通りの騒がしさに俺は飲まれるかと思った。人ごみをかき分けて前を歩いているキャロルたちとはぐれないよう努力する。
「グラディアーナ探しの再開か」「見つかるといいわね。人通りがない田舎とはちがって、それなりににぎやかな所だから。情報屋に大金を払っても見つかるかどうか」
もう以前と変わらないイーザーとキャロルが俺の前で歩きながら話し合っている。その通り、色々あったが肝心のグラディアーナについてはそれほど進歩がないのだった。とほほ。
「蜘蛛の糸のように頼りない手がかりね。しょうがないか。とりあえず、将来を憂う前に今夜の宿を取りましょう」「賛成」
俺は諸手を挙げてキャロルに同意した。安心して帰ることのできるベットと拠点がほしい。
「何、アキト? この程度で疲れたの? 貧弱ね」「疲れてないよ」
軽くキャロルにからかわれつつ、俺たちは適当に歩いているうちに広場に出た。人の波をかき分けて、情報屋らしい看板を探す。ここでは日本とは違って街のあちこちに地図など当然ないので、目的地へ行くためには建物の軒先に下がっている看板がかなり重要となる。そのせいか、どこの酒場や飯屋や小売店も個性的な看板を下げていた。ちなみにあと目安になるのは公的施設や河などの自然物。まるで迷子になれといわんばかりのそっけなさだった。交番もないので本当に迷子になったら永遠の離別になるかもしれない。
「あっ」そこれ俺たちは思い思いの感嘆の言葉を吐いた。さりげなく3人で目配せする。
「あれ? アキトじゃない」向こうも結構早く気がついた。リュートを抱いた、青の楽師のフォールストは座った状態から俺たちを見上げてとびきりの笑顔を見せる。
「それにキャロルも。イーザーはフロイタの時には会わなかったわね。どうしていたの?」「いや別に」
自分のうかつさで死にかけてましたとは誇りにかけて言いたくないらしい。イーザーはあいまいにぼかして顔を明後日の方向に向けた。
「そういうフォースルトこそ、何でここにいるんだ?」「別に深い意味は無いよ。にぎやかな都市で路銀を稼ぎたかったの。ここで会えるとは思えなかったよ」
「あたしもよ」
キャロルが珍しく穏やかな表情になって同意した。
「そういえば、今日はよく知り合いによく会うね。さっきミサスにも会ったよ」「ミサスも近くにいるのか?」
もう永遠に会う事はないだろうと思っていたから以外だった。キャロルが軽く俺の肩に手をかける。
「そう驚く事でもないでしょ。あの集落から行けるのはフロイタとクレイタだけど、フロイタの道はふさいだし、立場上フロイタに行く訳はないでしょう」「言われてみたら、そうだな」
とはいえその辺にミサスがうろついているとはどうしても思えなかった。想像しにくい。俺が悩んでいるとイーザーが横から割り込んだ。
「フォールスト、今ミサスがどこにいるか知ってるか?」「それは分からないけど、会った場所になら案内できるよ。こっち」
フォールストはいとも簡単に演奏を中断して、リュートを袋に入れて立ち上がった。路銀稼ぎはいいのだろうか。俺はこっそりイーザーに聞く。
「何でミサスを探すんだ? 興味本位で見てみたいのか?」「そんな事はない。一言礼を言うためだ。そいつのおかげで俺もアキトたちも助かったんだから、何か言うのが筋だろう」
いかにもイーザーらしかった。
フォールストにつられて細い路地へ路地へと俺たちは行った。商店街でもなく、民家でもない。寂れて人通りがなくなったとおりだった。何となく誰がに見られているようで落ち着かないが、誰も物怖じしないので仕方なくついて行く。
「フォールスト、何かミサスと話したのか?」イーザー何気なく聞いた。そういやイーザーは、フォールストとミサスは単なる通りすがりである事を知らないのか。特にミサスからしたら、フォールストなんて覚えてもいないだろう。
「声をかけて、少し話したよ」「おお」
予想外だった。
「それ、本当にミサスか? そっくりさんじゃないのか?」「見間違えっこないよ、あんな外見だもん」
それもそうか。フォールストは足を止めた。
「この辺で見かけたんだけど、もういないのかな?」「手分けして探してみる?」
あまり乗り気でないように、それでもキャロルは提案した。
「そうだな。俺は左へ行く。またここで落ち合おう」「わたしはイーザーについていくね」
簡単に決めて、イーザーとフォールストは行く。俺たちもその反対側に向かって歩き始める。
「でも、見つかるかな?」「見つからないでしょう。ミサスは置物じゃないんだから、今頃別の所に移動しているわよ。まぁそれでイーザーの気が晴れるのだったら付き合ってもいいわ。万が一というのもあるし」
「ミサスはなにをしにこんな所に来たんだろうな」
「以前渡した精霊石を換金しにきたんでしょう。正規での販売も結構だけど、やっぱりああいうのは裏でこそ高価だからね」
「何でキャロルはそう言う事に詳しいんだ?」
「どうしてアキトはそう言う事にあたしがうといと思うの?」
俺たちは不毛でたわいない事を話しながらその辺をうろついていた。それにも飽きてもとの所へ帰ろうとする。イーザーには見つからなかったと報告するか。
「あっ」キャロルが実に嫌そうな声を漏らした。
「どうした?」「あれ」
キャロルが人気のない建物の1つの屋上を指差した。俺も見上げると、そこに黒い布が今にも落ちそうに引っかかっている。
「ん?」俺は目をこすってよく見てみた。あの黒い布って大きな羽に見えなくもない。そして少し前に見覚えがある気がする。キャロルががっかりとため息をついた。
「あんな所で何やってんだか。アキト、イーザー呼びに行ってよ」3階建てビルのような建物の階段を上がって、俺たちは屋上へと出た。こそこそする必要はないのに、なぜか足音を忍ばせてしまう。最も完全に無音で歩けるのはキャロルぐらいで、フォールストなんかは普段と大して変わらない音を立てていたが。
階段を上りきった俺たちの前に全視界の青空とクレイタの街が広がった。緒戦は高層建築物などない田舎の街だから低い家々ばかりで驚くほど空が映えた。そして縁の低い手すりにミサスが寄りかかっていた。目を閉じてまるで眠っているようだった。
「久しぶり」「よぉ」
俺とキャロルがそろって声をかけてもミサスはこっちを向きもしなかった。かすかに黒い瞳が開かれる。俺たちはそれなりにミサスには慣れたので気にしなかった。むしろ目を開いた事に驚く。反応があるなんてびっくりだ。
もちろん不慣れなイーザーは面食らった。それでも義務を果たすため1歩前に出る。
「初めまして、ミサス。俺はイーザー・ハルク。アキトの友人だ」それがどうした、とばかりにミサスはイーザーを無視を決め込んでいる。感心にもイーザーはひるまずに続けた。
「俺は一言、貴方に礼が言いたくて」「あっ」
会話とは全く関係なく、フォールストは明後日を見上げて呟いた。
「どうした?」イーザーが少し迷惑そうにフォールストに聞き返す。不機嫌には気がつかず、フォールストは空を指差した。
「あの人、何やっているんだろうね」俺はつられて顔を上げた。
宙に男が立っていた。やや長めの金髪とけぶるような翠の瞳。白いコートのようなものを着たその姿は、カーリキリト人というよりどことなく現在人のようだった。街の中央に近い所の、ここよりたっぷり3メートルは上の空に立っていた。立っているという言い方はおかしいかもしれないけど、まるで地面の上であるかのように男は安定しているのでそれ以外に言いようがない。遠いにもかかわらず、俺はなぜかその男の細やかな表情までわかる気がした。男は一見余裕そうに見えて、実は焦っているようだった。何かに怖がり恐れている事が何となく分かった。
「本当に何やっているんだ?」俺にはさっぱり分からなかった。人型の生物が空を飛ぶのは珍しいがない訳ではない。カーリキリトでは目の前のミサスを含めて羽のある人もいるし、魔法だってあるのだから空を飛ぶのは不可能じゃないだろう。しかし何のつもりだろう。見た所何かをしている風ではないが。
「怪しい奴。今どきあんな時代遅れのローブなんか着て」キャロルも俺に続く。ん、ローブ?
「何言ってんだよ、そんなの着てないぞ」俺は言いながらもう1回空に視線を移した。
「……え?」俺は視力には自信がある。何せ現代平均日本高校生にしては本もテレビもさっぱり見ないのでその分視力はいい。今まで何回も目を疑うような事があったが、それでも俺の目は正常に働いていた。
俺がさっき金髪の男と思っていた奴は、怪しい宗教団体のようなぼろぼろの灰色のローブに全身を包んでいて顔も見えない謎の人物になっていた。
「あれ?」「着ているじゃない。何言ってるの」
「あ、うん、そうだな」
さっきのは絶対に見間違いじゃない。それでも何回見てもその人物はローブだった。どうなっているんだ?
俺が頭上にクエスチョンマークをたくさん飛ばしていると、それを追うかのようにぞっとするかのような声が爽やかな青空に響いた。俺は直感的に魔法だと理解した。しかし、この禍々しさは何なのだろう。イーザーとはミサスが魔法のための言葉を使うのには何とも思わないのに、どうしてこれはこんなに背中が冷えるのだろう。
「アキト? 何ぼんやりしているの?」キャロルに指摘され、俺は我に帰った。フォールストがぼけっとローブを見つめ、イーザーも呆けたように空に心を奪われている。ミサスもいつの間にか手すりから身を起こしていた。
「禁呪だ」かすれた声でイーザーが呟いた。
「イーザー、何だそれは」俺の質問は無視された。はっと正気に返ったイーザーはそんな些細な事を振り切るように大声をあげる。
「逃げろ! 皆、早く!」言うが早いが、イーザーは走り出した。キャロルも俺の手首をつかんで走り出す。
「うわっ、キャロル」「アキト、なんだかまずい雰囲気よ」
「ミサスは、フォールストは?」
ミサスについては心配する必要なかった。とっくにいなくなっている。フォールストものんびり突っ立っているのが自分だけだと知って、「わわっ」と大慌てで俺たちの後を追う。
「一体何なんだ? 何でイーザーはああも必死なんだ?」「さぁ、あたしも魔法については無知だし説明されていないから分からない。でもアキト、冷静ぶったイーザーがああまでして逃げるのはおかしくない?」
確かにおかしかった。今更ながらに俺は不安になる。
―空が暗くなった。曇ってもいないのに光量が薄れて、空が灰色へ黒へと変化していく。
「ぐっ!?」不意に息苦しくなった。のどに何かつかえて呼吸が出来なくなるような、そんな感覚だった。俺は立ち止まり、のどを押さえて空気求めて咳き込んだ。
「うぇ、気持ちが悪りぃ…… 何なんだ?」「げほっ、う、がはっ!」
後ろでフォールストが俺よりよっぽどひどい症状を起こしてうずくまる。どこからか悲鳴や叫び声が複数聞こえてきた。キャロルは片手でのどを押さえつつも、「早く!」と俺を引っぱる。その前に立ちはだかるように人影が出現した。
「キャロル、前!」影が伸び上がり、キャロルに覆いかぶさってくる。キャロルは腰の剣を抜き、深く切りつけた。悲鳴のような甲高い声をあげて人影は伸びて消える。え?
「今の影の本体は? 誰かいないのか?」「いないっ」
キャロルは荒々しく周囲を見、吐き捨てる。
「本当に影が実体化して襲ってくるって? 吟遊詩人の伝承歌じゃないんだから」「う、後ろからぁ!」
のどを押さえて涙目になりながらもフォールストが走ってきた。その後ろを見たら、なるほど、走る理由がよく分かる。影が5,6体まとめてこっちへ来た。
「アキト、前へ! 突破するっ」勇ましくキャロルが叫んで走り出した。進行方向からもわらわら影の化け物が出てくる。ためらい1つ見せずにキャロルは切りかった。
「わっ」時同じくして後ろから来ていた影も一斉に襲いかかってきた。思わす俺はスタッフを振るう。雲か霞を殴っているような手ごたえとは裏腹に、影はあっけなく消滅する。
……え。今、俺が切った?
俺は今までずっと何かをやっつけたり大怪我させた事はない。そりゃ、小学生の頃は好奇心で虫を潰して殺していたけど、それ以外はねずみ一匹殺していないし、人相手だったらあざになる程度のけんかしかした事がない。
そんな俺がやっつけた? 相手が命あるかどうか分からない化け物だろうと、俺がやっつけた事には変わりない。なんだか俺は地面に吸い込まれるような気がした。現実感が喪失していく。俺は自分を支えきれずによろめいた。
「きゃあっ!」フォールストが悲鳴を上げた。見ると、それでもスタッフを離していない両腕に影が絡みついていた。そういえば、そこだけ火のそばにいるように暖かい。
「ちっ」キャロルがその辺の瓦礫のかけらを投げた。まるで弾丸のように石は風を切り裂き、ぼすりと影にもぐりこむ。影は俺から離れた。
「う、うわあぁあ!」離れた瞬間、両腕にすさまじい痛みが走った。痛くて痛くてとてもスタッフを持っていられず、手からこぼれ落ちる。キャロルは剣を片手に俺の所へ駆け寄り、肩を乱暴につかんだ。
「痛っ、いだだだ、やめろキャロル!」「フォー! スタッフ持って、アキトのやつ」
「う、うん」
「行くよっ!」
俺を無理に引っぱり、キャロルは一気に階段を駆け下りた。剣を振るいながら、階段をまとめて飛び降り、敵陣を突っ切る。俺は痛いのと無茶なのとで目を白黒させているだけだった。
「キャロル、止めろ! 無理だし、痛いってっ」「嫌だね、そうしないと守れないもの。はっ!」
前に立ちふさがる影を2体まとめて袈裟切りにし、キャロルは走った。俺は急に足元から段差が消えている事に気がついた。
「着いた。嘘みたい」後ろでフォールストがスタッフを両手に、肩で息をしていた。俺も同意見だった。
「こっちへ、キャロル!」一息ついている暇もない。キャロルは俺を引っぱった。引っぱらなくても俺は行くって!
イーザーの声の導きのままに、俺たちはさっきまで屋上にいた建物へ入った。外も暗いのだから、中はもう夜のように暗いが影の襲撃は止んだ。その奥にイーザーはいた。使われていないためほこりと砂利積もる床に、なぜか剣を突き立てている。
「キャロル、手を貸してくれっ。地下室の入り口がここにある」「もっちろん。フォールスト頼んだ」
「ええっ?」
キャロルは俺を放り、イーザーへ走った。イーザーの隣に立つと同じように床に剣を突き立てる。
「キャロル、わたし1人じゃ無理だよ、奴らをやっつけるなんて」「いざって時はそこの羽野郎にでも頼ってて!」
「へっ?」
俺はこの部屋の内部の壁にミサスが寄りかかって見物している事を今初めて知った。とっくに他へ逃げたと思ったのに。
「よっと」イーザーとキャロルが石の床板の隙間に剣を差し込むと、てこの原理で2人がかりで薄板を持ち上げた。その下には石造りの空洞が見える。イーザーが剣を手放して薄板をつかんで、さらに高く上げる。もう人がはいり込める。
「早く入れ! この中へ避難しろっ」キャロルはイーザーと自分の剣2本をつかんで地下に飛び込んだ。次にミサスが、地下に持ち込むには長すぎる槍をあっけなく捨てて中に入る。以前折れていたはずだが、この街で槍を修理したのだろうか。
「アキト、わたしたちも」フォールストが俺の服のすそを引っぱった。
「う、うん」実を言うと俺には少々のためらいがあった。あそこに逃げても影が追ってきたらどうしよう。
「早くっ、奴らが来ちゃうよ!」俺はそこで決意した。激しく自己主張をしている両腕をかばいながらゆっくり俺は中へ入った。フォールストがスタッフを持って俺に続く。最後に今まで石畳を支えていたイーザーが滑り込むように中へ飛び込む。
鈍い音がして真っ暗になった。
1番初めに明かりをつけたのは俺だった。別に威張れる事じゃない。俺はただ荷物から懐中電灯を取り出して電源を入れればいいのに対し、他の皆はランタンを出して油を出して火打ち石を…… から始まるんだ。俺が早くない訳がない。
白い明かりにぼんやり皆が浮かび上がった。ここは古い物置だったみたいでもう何年も使っていないらしく、床が泥だらけであちこちにかびが生えていた。キャロルはじっと耳を澄まし、イーザーは青ざめながらも歯を食いしばっている。ミサスだけが変わらない。
「今のは、何だったの?」フォールストが全員を代表して言った。外とはうって変わって地下は静かだった。フォールストの反響する声しか聞こえない。
「何がなんだか、あたしにはさっぱり分からない」キャロルの返事は俺の思った事と同じだった。そして疑わしそうに地下室の扉を見上げる。
「ここ、本当に安全なの?」「たぶん安全だ」
イーザーは棒読みだった。他の何かに気を取られているらしい。
「影は剣で切れた。と言う事は半ば実体化していると言う事だ。実体には壁を通り抜けられない」「たぶんって何よ」
「絶対に、とはいえないからだよ。俺の常識が通じないかもしれない」
イーザーの声がより低くなった。
「何せここはもう、カーリキリトじゃないからな」俺にはその意味が全く分からなかった。
「召喚術の事?」キャロルも困惑している。「イーザー、つまりあたしたちは召喚術によってアキトの出身国のような所に送り込まれたの?」
「日本はこんな所じゃないぞっ」俺は慌てて言い訳をして、腕をかばってうめいた。キャロルが俺の懐中電灯を取って腕を見る。
「大した事はない。焦げただけよ」「十分じゃないか」
「まぁまぁ。簡単だけど手当てしておくわよ」
キャロルは俺の服の袖の部分を切り離した。荷物から布を取り出して、丁寧に腕を水で拭いて何かの軟膏をつけて布を巻く。服が破けた……
「イーザー、召喚術って言うのは、他の所から何かを呼び出す魔法でしょう? それとわたしたちと何の関係が」フォールストはそこまで言って「あっ」と立ち上がった。
「わたし、それ分かったかもしれない。前に聞いた事がある、でもまさか」「たぶん、そうだよ」
イーザーは疲れたように壁に寄りかかった。
「なぁ、いい加減難なのか教えてくれよ。出し惜しみしていないでさ」俺はじらされるのにうんざりしてフォールストのすそを引っぱった。フォールストは俺を見下ろすと、静かに座り込んでゆっくり話し始めた。
「あまり自信はないけれども、きっと街全体にある魔法をかけられたのだと思う。この術はまだ召喚術が存在せず、その断片が魔道の一部だった時の物で、禁呪だった」「禁呪って何だ?」
当然ながらこれは俺。さっきもイーザーに聞いたけど、答えをもらい損ねた。
「禁じられた魔法」まんまな答えが返ってきた。それじゃ分からねぇよ。
「何が禁じられているんだ?」「えっと、その魔法を使う事、使い方を知る事、その存在自身」
「何で禁じられているんだ?」
「その魔法が大いなる破壊を生み出すから。取り返しのつかない事態を招くから。世界そのものがどうにかなってしまうから。だから禁じられているの」
淡々とした口調にぞっと背筋が冷える。大声を張り上げている訳ではないのになんだか現実的に想像できてしまいそうで、俺は慌てて口をはさんだ。
「で、それと今とどう関わりがあるんだ?」「このクレイタ全体が禁呪に沈んだんだと思う。こことは異なる世界への門を開いて、一時的にここをカーリキリトではない所にしてしまう術を使われたの」
「そんな事出来るのか?」
「普通の人には出来ないよ。普通の人ならそれだけで寿命が終わっちゃうくらい魔術の勉強を長くしないと覚えられない。それにそのままだとすぐに門は閉じて、ここはカーリキリトに戻る。だからさらに結界を街全体に張ったんだと思う」
黙って聞いていたキャロルが口をはさんだ。
「結界ってどんな」「魔法で創られた結界で、ここと世界を切り離すもの。クレイタとカーリキリトは今離されて、ここは門の向こうの世界なの。だからここは影だって身体を持つし、私たちの知っている世界律は一切通用しないの。だよね」
最後にフォールストはイーザーに確認した。「あ、うん」とイーザーは目を丸くしていた。
「よく知っているな。魔法使いでもないのに」「でも、空想のお話かと思っていたよ。こうして自分が巻き込まれるなんて…… 思いもしなかった」
話が終わり、今の状況を思い出したのだろう、フォールストは震え、両肩を抱いた。
「これから、どうする?」誰も何も答えなかった。答えられる物ではないから当然かもしれない。あまりの重苦しさに俺は我慢出来ずに口を開けた。
「ここでじっとしていてもしょうがないし、その門を何とかするか結界を何とかするかしないといけないんだよな」「アーキートー」
固い表情をキャロルは崩した。
「門ってどこにあるのか知ってたら教えて。それにあの影の化け物がわっさわさいそうな所にあたし行きたくないなぁ。そして門を具体的にどうするのか言ってくれると嬉しいんだけど」ぐっ。俺は思わずイーザーに目で助けを求めた。
「言っておくけど、俺は魔法解除を使えないからな。それに門がすぐに見えるものだとは思わないぞ」「もうとっくに閉じているかもね。だって話によれば結界がある限りここは異世界のままなのでしょう? もう門はいらないはずよ」
いつの間にか今までの重圧がなくなり、イーザーとキャロルはいつもの調子を取り戻した。俺は安心する。別に何か変わった訳ではないが、何となく気が楽になった。
「じゃあ結界だ、それを何とかしよう」「だからどうやって。魔法の結界よ? 叩いて壊れるような代物とは思えないわね」
「俺はそのための魔法を使えないって。それに結界に近づくためには相当歩きそうだ。どれだけ影に襲われるか」
いくら何でも2人がかりで攻撃する事はないだろう。俺は更なる突破口を見つけるために頭をふりしぼった。大して中身が出ない。
「あ、言っておくけど、わたしは魔法なんて使えないよ」フォールストまで。確かに期待はしていないけど、改めてそう言われるのは寂しい。俺はこの件に関する最後の望みにすがった。
「ミサスは? 魔法使いだろう。何とか出来ないか?」「出来る」
「うぇ?」
正直、俺はほとんど期待していなかった。何も話さず、蛍光灯の届くと届かないのはざまに座っているミサスを俺と同じように何も出来ないと思っていた。何だ、大違いだった。
「魔法解除を使える」どうでもよさそうに言って、壁にミサスは寄りかかった。もともと黒っぽい服を着ているのでそれだけで闇に溶けてしまいそうに見える。
「おい、ミサス。それってつまりこの街から逃げ出せるって事じゃないか?」返事はない。肯定の意味を持つのか、それとも答えるのが面倒だからな。
「何だ、じゃあ簡単じゃないか」ミサスがひょいと飛んでいって、そのゲートなり結界なりを魔法で消せば万事解決」言い切る前にミサスににらまれた。少し顔を上げて俺の目を見る。生粋日本人より黒い瞳が初めて俺をまともに見る。何を考えているのか分からない、底に何が流れているのか全く分からないまなざしに俺は凍りつく。
俺の視界からミサスが隠れた。キャロルが俺たちの間に割り込んだからだった。
「アキト、黒翼族と目を合わせると呪われちゃうよ」軽い言い様だったが、ミサスへの警戒をあらわにしていた。
ひえぇ。2人とも怖い。俺が何かまずい事をしたのだろうか。ちっとも身に覚えがない。
ちなみに後でイーザーに聞いてみたらこういう答えが返ってきた。「まずい事をしたよ。黒翼族とか、種族特有の魔法は大概が秘儀として扱われているんだ。簡単に話していいものじゃない。それなのに全然知らないフォールストや俺の前でおおっぴらにしちゃって」
もちろん俺はそれを聞いて大いに反省した。
「でも、そのためにはやっぱりここを出て影の中を行かなくちゃいけないんだよね」フォールストが強引に話を戻した。イーザーも協力する。
「うん。魔法解除は接触しないと発動しない」フォールストがちらりと俺たちをうかがった。
「やっぱり危ないよ。止めた方がいいよ」「ならいっその事、ここでじっと待っている?」
キャロルがとんでもなく後ろ向きな事を言い出した。
「おいおい、あのな」「待ってアキト。いいたいことは分かるけど、あたしの言い分を聞いて。ここはどこかの森の中じゃない、それなりの規模の街なのよ。すぐに異変があるって気づかれるし、げんいんも5人中2人も知っているような物なら分かるわよ。で当然何かしらの対策が取られるでしょう? 魔法解除って基本魔法よね、イーザー」
「ああ」
じゃあ何でイーザーは使えないんだろう。俺は言ってはいけない事のような気がして口にしなかった。
「ならすぐに魔法解除が使われるわよ。その間この安全な地下室で待っていれば何の心配も危険もなく過ごせるって」「う〜む」
確かに何も問題はない。手間いらずの苦労いらずだ。疑問があるとすれば。
「ここはそんなに安全か?」「現に影が1匹も来ないじゃない」
「それに息苦しいし」
「異界の空気だからしょうがないわよ。それに人間は地下に慣れていないし」
「いや、そうじゃなくて」
俺は酸欠を心配したのだが。まぁいいか。酸欠になりかけたら気づくだろうし、酸素を説明する事が俺に出来るとは思わなかった。
「俺はキャロルに賛成だ」「わたしも。わたしは影の中を行くなんて事は出来ない」
「じゃ、いいか」
俺は降参した。ミサスはずっと無言だが反対じゃないだろう。後はずっと外から助けが来る事を期待して待てばいいのだ。今までの難関に比べたらはるかに楽だった。
初めに異変に気づいたのはミサスだった。周りに無関心に見えても重要な事はきちんと知覚しているらしい。次がフォールストだった。といってもフォールストは外の異変に気がついたのではなくミサスの様子に気がついたのだが。
「何、ミサス」今までの疲れか、うとうとしていたフォールストが眠そうに目をうっすら開いた。それに俺も首だけ動かしてミサスを見る。ミサスは数時間前と全く変わらない体勢でいた。それでしびれないのか?
「どうしたんだよ」「今、ミサスが変だったから。どうしたの?」
フォールストには悪いが、俺には何も変わっていないように見えた。
「耳を澄ませ」国語の文法問題に流用できそうなほど味も素っ気もないせりふだな。俺は言われるままに耳に手を当てた。
「何も聞こえないぞ」「いや待って」
いつの間にかキャロルもこれに参加していた。
「聞こえる、かすかに。この音は、ひょっとして」出入り口の真下まで行って、キャロルはそうっと扉を開けた。本当に、指1本入るかは入らないかぐらい、そうっと。
「!」外は赤かった。闇の中からその真紅ははっきり見て取れた。
「嘘だろっ」外は血のように赤い炎が踊り狂っていた。熱風が離れている俺の顔にまで届く。
「どっかから、飛び火したか」キャロルが扉を閉めて呟く。俺はろくにそれを聞いていなかった。
「どうしよ、どうしよう。外は火事だけど、それでもここにいれば安全かな?」「そんな訳ないだろっ!」
俺は大声をあげた。キャロルも深くうなずいてくれる。
「ここにじっとしていたら蒸し焼きだ。早く逃げよう」「逃げて、どこへ行くの? 外にはあいつらがうようよいるよ」
俺はぐっと返事に詰まった。
「生きながら焼かれるよりは戦死の方がましよ」重い空気が張りつめた。
「うん。そうだな。これはアキトとキャロルが正しいよな」イーザーが上を見上げて1人うなずいた。
「影たちはけして強くない。落ち着いて戦えば勝てるよ。勝てそうだったらここから出て進んだ方がいい」キャロルが荷物をつかんだ。
「ほら、アキトも早く。逃げよう」「あ、ああ」
俺もかばんを担いだ。もういい加減手になじんだスタッフを強くにぎる。
「その前に聞いておく。アキト、もう戦える?」「何だそれは」
「あたしたちが補助に行かなくても1人で影と戦えそうかって事」
「えー」
俺はさっきの事を思い返した。特に問題もなくぶちのめしていたよな。
「大丈夫だと思う」「そう。で、フォールストは?」
「わたし?」
フォールストは目を丸くした。
俺はさっき、フォールストが逃げてばっかりだった事を知っている。格好も服装も外見を重視していて動き回るのには向いていなさそうだ。戦いには向いていない気がする。第一本人がさっきそう言っていた。
「別にあたしも最前線に立ってくれとは言わない。でも自分の身くらいは守れるよね。武器を持っている?」「うん、それなら」
フォールストは荷物の奥に閉まってあるナイフを出した。カーリキリトではどこにでも見られる物で、明らかに安物だった。キャロルは失望した様子でそれを手にし、鞘から抜いてみる。
「さびている」「え、そうだったの?」
駄目そうだった。
「フォールスト、なるべくあたしたちから離れないでね」「うん、それならできそう」
のんきなフォールストにキャロルはやれやれと肩をすくめた。
「アキトも。一応気を使ってあげてね」「ああ」
俺は苦笑しながらうなずいて、気がついた。今まで俺はずっと最弱で、戦いの時は誰かに守られていたけど、現在の俺は立派な戦力なんだろうか。おまけに俺より弱い、守ってあげなきゃいけない人までいる。責任が重く肩にのしかかったが、やっと一人前扱いされているようで嬉しかった。
「準備はいいか?」イーザーが呼びかける。
「開けるぞ。皆、一斉に飛び出せよ」俺たちは緊張した顔でそれぞれ返事をした。それを確認すると、イーザーは思い切って扉を開けた。
「けへっ、すごい煙!」
たちまち視界が涙でぼやけた。暗くてろくに物も見えない。俺は服の袖で口元を覆った。
「這いつくばれ、鼻と口に何か布を当てろ。行くぞ」小学校の時の避難訓練がよみがえる。実際に使うはめになるとは思っていなかったから、いい加減だったなぁ。真面目にやっていても今役に立っているとは思えないが。
下ばかり見ていたけど、どっちが出口か見当ぐらいはついたのでそっちの方向へ行く。ごきぶりのようにはいつくばって進む。沙漠もかくや、といわんばかりの熱さが胸を焼き肌を焦がす。煙で息をするのも苦しい。俺から言い出した事だから何だが、止めておけばよかったとどうしても思ってしまう。涙は止まらず、飛んできた火の粉が髪へ落ちてくる。払いのける気力もすぐになくなった。
そもそもなんで煉瓦造りの建物じゃないんだろう? 剣と魔法の世界のくせに。樹を使うから火事になるんだよ!
ばかばかしい八つ当たりをしでもしないと、とても前へ進めなかった。
ああもう、あのままじっと待っていればよかった。
熱い……
「アキト!」「けほ、え」
涼しい風が来た。寒さに身をよじて震える。周りから、いつの間にか火の色が失せていた。
脱出できた訳ではない。単に建物の外に出ただけだ。俺はつばきを飲み込もうとしながら周囲を見る。大して広くもない通りのあちこちから火の手が上がっていた。
「皆、無事か!?」イーザーが顔についたすすをぬぐった。もう全員あちこち黒ずんでいる。
「お、待、た、せ。けほっ」最後にフォールストがへとへとになりながら出てきた。うわっ。
「じっとして!」「え? きゃ」
キャロルが無理に、フォールストの頭巾代わりの空色の布を引きちぎる。どこから飛び火したのか、ちりちり燃えていた布はキャロルが捨てると同時に赤い舌を出し始めた。フォールストは髪をそっと、たぶん無意識に触れる。たんぱく質が焼けるいやな臭いがした。
「来るぞっ!」ゆっくり脱出を祝っている暇がない。熱風と真紅の炎に照らされて、ゆらゆら影たちが躍るように俺たちの周りを取り囲む。悪い夢のようだった。俺はスタッフを構える。熱に浮かされているようであり、それでいて頭はやけに澄んで冴えていた。
影が襲いかかって来た。
俺は2歩前へ出てスタッフで薙いだ。2匹ぐらい当たって消滅するが、残りがどっと群がってきた。俺は右手を軸にして左手を組み替え、殴っていない方の端を向けるように半回転させた。両手の間隔を開けて1歩下がり、奴らの攻撃を受けるも、逆に力いっぱい押し返す。細いスタッフの上下に影が広がってくる。俺はさらに1歩下がり、スタッフを無理に動かした。
「でやっ」頭上へ振りかぶり、そのまま一息にスタッフを振り下ろした。何かを殴った感覚はなかったが、俺の目前の影が消滅する。なぜか俺はにんまりと笑った。
「アキト、こんな狭い所で豪快にスタッフを振るわないでよ。あたしたちにぶつかったらどうするの」キャロルが冷静に言う。途端に俺は現実へ戻ってきた。
「あ、悪い。気がつかなかった」「反省より先に前を向け!」
黒いマントをひるがえし、剣を振るいながらイーザーが叫ぶ。そして俺の前が何もない事を知ると、ちらりと俺を見た。
「みんな、アキトの前へ。ここから脱出するぞっ」「と言う訳で、アキト悪いけど先陣切って」
キャロルが素早く俺の横へ来て冷酷に告げた。
「俺が? そんな、無茶だぁ!」「泣き言は言わない。張り切りすぎて突破口を作ったアキトが悪い。あたしも手伝うから、ほら、前を見る!」
後ろに押されて走り出した俺に影が束になって襲ってきた。頭で判断するより先に身体の方が動く。止まっては引き、突き、殴り、薙ぎ払う。誰よりも先行して大きく振るい、受け止める。この闇と炎の世界で嵐の中核にいるようだった。スタッフをまるで腕の延長のように動かし、俺は走り抜けようとしていた。
不意に影が襲ってこない、開けた空間に出たとき、俺は疲れ果ててひざを地面に突いた。息を荒げても入ってくるのはどす黒い空気だけ、寒々とした風が汗にまみれた身体をぞっと冷やす。スタッフを杖代わりにして何とか上半身だけ起こし、緩慢な動きで周囲を見た。
街は一変していた。あれほど騒がしかった通りは沈黙が降り、見渡す限り黒と白の単色の世界だった。人気は消えうせ、建物は見捨てられて何年もしたように荒れている。その辺の建物の影に倒れ伏している人のようなものが見えたが、暗くてよく分からなかった。ただそれを見て胃の中が逆流したような感覚を覚え、吐き気がこみ上げてきた。本来あるべきものの代わりにそこらかしこに影の気配で満ちていて、俺は全身見張られているような気がした。
「とりあえず、ここまで来れたか」イーザーはまだ元気そうにそう言った。俺たちは全員いた。一番危なかったフォールストも俺よりへとへとで疲れていたがそれでもちゃんとここにいる。
「でももう、隠れてやり過ごせなくなったわね」キャロルが周りの無数の目をにらみつけた。
「なぁ、何であいつら襲ってこないんだ?」襲ってきて欲しい訳じゃないが、手を出されないのも気になる。
「分かっているんでしょう。あたしたちに抵抗する意思があって、それがある限りやられるだけだって。あたしたちが油断した時、戦えなくなった時にどっと来るわよ、きっと」遠くで何かが燃えて崩れる音がした。夕闇の世界の中、俺たちの顔にちらちら緋色が走る。
「これから、どうしようか」ぺったり地面に腰を降ろして、フォールストが暗い膜で覆われた空を見上げる。
「どうしようって、もう逃げられないし、隠れられないし、なら」「進むしかないわね」
キャロルも空を見上げた。
「アキト、さっき言った通りになりそうよ」「さっきって」
「幸いに、門はどこにあるか分からないけど、壁ならあそこにあるし」
キャロルは視線を下へ降ろした。町を包んでいる結界が、俺たちが入ってきた街の出入り口まで覆って地面へ続き潜っている。
あそこまでなら歩いて行ける。俺は意図を理解してうめき声を漏らし、少し後ろのイーザーを見た。
「本当にあそこまで行くのか?」「言い出したのはアキトだろ」
「ミサスがひょいと空を飛んで上まで行けないのか?」
「距離としては上と横と変わらない。空飛んだミサスがあの影に狙い撃ちされるぞ」
「うぅ」
「諦めろ。危険なのはみんな一緒だ」
イーザーの答えは冷たかった。
「陣形を決めて、結界に触れる所まで行こう。そしてミサスが魔法解除をする。基本的にはこれでいいよな」キャロルとフォールストは割合あっさり、俺はいやいやうなずいた。ミサスは無言だった。
「ミサス、何か不満があるのか?」「ない」
「ならいいけど」
イーザーは困惑したようだった。ミサスと会って数時間しかたっていないからまだ慣れていないんだな。
「戦闘は、そうね、イーザーにアキト。次にミサスとフォールスト、最後があたし、それでいい?」「ああ」
これに似たやり取りが、カーリキリトに来たばっかりの時にもあった気がする。戦える人物を前後に置いて、真ん中に弱い人を据える。フォールストはともかく、何でミサスがそこにいるのか分からなかったが、俺は自分が先頭に立った事が重要だった。なんだか大変な事になりそうな気がする。
「おいアキト、行くぞ」「あ、うん」
それについて深く検討する暇もなく、俺はイーザーたちの方へ歩いていった。



