三つ首白鳥亭

−カーリキリト−

花をください。両手一杯の花束を

F駅改札口から左の階段を下りたところに花屋はある。駅から3分、ビルの一角を使っているので小さい店だが、棚に花を一杯詰めこんでいるので品数はそこそこある。

桜木は開店しているのを確かめると改札口へ戻った。時計は10時10分前を指している。

「少し早すぎちゃったか」

いつものブレザーではない。普段は着ない黒いワンピースを着ていた。他の人に見られている気がし、なんだか落ち着かない。

実際、まだ2回しか袖を通したことのないワンピースを着て胸元に校章をつけ、どこか上の空で改札口に立つ高校生は人目を引いた。

「桜木」
「あ、大谷くん」

白人男性を引き連れた制服の男子高校生ほどでもないが。人化したグラディアーナは金髪の三つあみを長くたらしてつま先まで神経が通っているように歩く。日曜日の駅前で一番注目されている人物だった。

「グラディアーナ、目立っている」
「やむをえませんね。ニホンでニホン人以外はみんなそうです。異界人に慣れていないことには文句は言いませんが、異種族も異人種でさえも入っていなさすぎなんですよ」
「無理を言わないで」

外国人でさえまだ珍しいのに、異種族など望むべくもない。グラディアーナ本来の姿を見せたら大騒動だ。以前うっかり猫人の姿を見て桜木は倒れそうになった。

「変なこと言っていないで、行こう」

3人で全員だった。秘密を共有するものたちは歩き始める。

桜木があらかじめ下見をしていた花屋はとっくに開いている。3人が入っても驚かないくらいには礼儀正しかった。

「どんな花がいいかな」
「やっぱり白だろう。なにかやっちゃいけないことあるかな。入院している人に根つきはよくないとか、白い菊は駄目とか」
「今更じゃないかな」
「そっか」
「アキト、あの薬なんでしょうね」

グラディアーナがアキトの首元を引き、隅に隠している薬瓶を見せる。

「あれ? えっと、なんだろう」

グラディアーナは新しいもの、珍しいものに目がない。そして異世界カーリキリト出身のグラディアーナにとって日本で見るもの全てが珍しい。

グラディアーナはもう大人だ。日本の基準から考えると実年齢よりはるかに落ち着いている。面白そうなものを見ても騒がない。

代わりに正体を知っている秋人に聞くのだった。なまじ観察力がよく細かいところまで気づくので回数が多く、秋人がつまることもたびたびあった。

秋人も以前はそのように聞き回ってはカーリキリトの知識を増やしていった。ならば聞かれるのも仕方がないのだろう。

桜木は放っておいて花を眺める。きれいだった。色とりどり、世界中の花々がこの小さな花屋で華やかに、あるいはつつましく咲いている。

「意外と高いな。500円も出しても小さな花束しか買えない」

まんまと逃げてきた秋人が、まるで夢のないことを言う。

「大谷くんてば」

なにも今言わなくても。呆れたがバケツに入った一杯の花、赤い縁取りの白い花を見る熱心な眼差しに口を閉ざした。525円と書いてある値札にはトルコキキョウの名が緑のクレヨンで書かれている。


「桜木、制服じゃないのか」
「前一回使ったことがあったの。いいよね」
「いいだろ」

秋人は前を向いた。

「そっちの方が正式っぽいし」
「うん」

2人でお金を出し合って買ったのはかすみ草に白いカーネーション、菊を組み合わせた花束だった。ささやかではあったが2人の高校生が用意したものにしてはまあまあだった。

日坂高校は風光明媚な地域にある。平日の朝よりも休日の昼の方が電車は混んでいた。

「豪華ですね」

電車の中、花束を見てグラディアーナは感心したようにため息をつく。

「花の季節でもないのにこんなにたくさん」
「カーリキリトには温室がないか。あってもすごく少なそうだからな」
「花売りなんて野山の花まとめただけですよ。こんなにたくさん集められるなんて」

大げさに言えば感動しているようだった。

「ねぇ、グラディアーナはどんな花が好き?」
「私ですか」

電車はアロエの群れを通過して海へと向かっていく。観光客だろう、不慣れな乗客が急に開けた光景に歓声を上げる。秋人たちは見向きもしなかった。見慣れている。

「あれ」
「あれ?」
「そこの土手に咲いている赤い花。最近見るようになりました。派手でいいですね」

目を細めて満足そうにうなずく。桜木と秋人は顔をあわせた。

「彼岸花」

お彼岸に咲く花、別名墓場花。土手や墓場でよく見かけ、地下茎には毒を持つ。縁起という点ではこれ以上悪い花もないだろう。

「(グラディアーナ、趣味悪いぞ)」
「(いや待って、ヨーロッパでは華やかということで生け花にしているんだって。不吉なのは日本とかアジアの国々だけだって)」

本人には黙っていることにした。知らなくてもいいことはあるのだし、どうでもいい知識である。

「大谷くんは」
「俺? あんまり花には詳しくないし、特に」

いかにも男の子らしい、興味のない口ぶりだった。

「桜木にはあるのか」
「私はユーストマが好き」

ユーストマが好き。薔薇ほど華やかではなく、だれもが知っている花ではないかもしれないけど、白くつつましいあの花が好き。

ユーストマが好き。聞きなれない言葉、口に馴染みにくい、でも柔らかい名前が好き。

ユーストマが好き。

「そうか」

花に詳しくない人が、よく分からないままとりあえずうなずく。その間延びした話の流れになるのも好き。

電車が日坂高校前についた。降りたのは3人だけだった。

休日の駅は無人だった。制服の少年と黒ワンピースの少女、白人の青年は話し合った訳でもなく海へと歩く。海風に白い花が揺れた。

よく晴れた日だった。空は限りなく続き、海は穏やかで浜辺は静かだった。日坂高校からかすかにブラスバンドと部活動の歓声が聞こえる。

「いい日だ」

涼風に髪をなでられながら、秋人は目を細める。

「絶好の葬式日和だ」

弔いの細かいしきたりは知らない。

桜木も秋人も日本のことでさえ危ない、ましてやカーリキリトのことなど分かるはずもない。グラディアーナも葬儀や宗教にそれほどの関心はなかった。

考えた末、どの文化でも通じる方法で行おうとなった。黒い服、白い花を捧げる。場所はひとつ、日坂高校に。さすがに学校内には無理なので前に広がる海へ。

白いカーネーションと百合と菊、かすみ草は波にさらわればらばらになる。穏やかな海面に広がっていくのは、まるで涙がこぼれていくようだった。

「多くの人に」

アキトは広がる花を見ながらぼんやり口にする。

「今まで会った人に、すれ違った人に、向かい合った人に、そしてもう会えない人に。ウィロウ、メルストア、ギンコ、クララレシュウム」
「そして響先輩」

喪服で海を見送る。秋人の後姿を桜木は見ていた。

桜木は「切り札」として宿命の戦いに参加していたが、カーリキリトに行ったことがない。名前を呼ばれてもぴんとこない。

ただ秋人がこめる深い悲しみと懐かしさには黙って頭をたれる。気持ちが寄りそった。

これは秋人の葬儀だ。桜木はそう考える。

秋人と桜木は本質は同じ道を歩いたが、いくつもの違いはある。桜木はひとりで一晩、一気にラスティアまでたどりついた。一方秋人は一年をかけて、多くの人々の間をよろめきながら歩いていった。その分だけ多くのことをし、泣きながら、背中に多くの別れと死を残しながらの道だった。

今はその人たちの弔いの日。桜木が知らない人たち、唯一知っている響先輩、今はもういない人たちを懐かしみ、別れ、透明な涙を流す日。

さよなら、聞かれないように桜木はつぶやく。

そしてさようなら大谷くん。目の前にいるのにまだ手が届きそうにない人。


「あ、そうだ」

駅の改札口で、大きな肩かけかばんから秋人はなにかを取りだした。

「桜木、これいる?」
「え」

桜木の目にユーストマの花が映った。「安い」500円の10本足らずの花を包んだだけの花束。

「2人でお金合わせたし意外と安くすんだから。桜木が見ていたのもついでに買った。今日付き合ってくれたお礼で。桜木にぴったりかなと思って」

恐る恐ると、桜木は触れれば消えてしまうかのように丁寧に触れる。グラディアーナは口笛を吹いた。

「やるじゃないですかアキト。サクラギが好きだと言ったユーストマをプレゼントですか」
「ユーストマ?」

秋人はきょとんとした。

「グラディアーナ、違うよ。これはトルコキキョウっていうんだ。違う花だよ」
「同じですよ」
「同じよ」

桜木とグラディアーナの声が揃った。

「トルコキキョウは和名で、本当の名前がユーストマ。同じ花だよ」
「あれ、そうだったのか? なんでグラディアーナまで知っているんだよ」
「ひらがなカタカナまではなんとか読めますよ。書いてありましたよ、見なかったのですか」
「見なかった」
「なんでトルコキキョウなんです?」
「え、えっと」

言いよどんだ。

「トルコキキョウって、トルコってついているのにトルコ産じゃなくて、キキョウってあるのにキキョウ科じゃないんだよ。そういう名前と逆なところが、おとなしいのにいきなりラスティアを攻撃する過激な桜木っぽくて」

なんだそれは。

「女の子に花を贈る動機としてはあんまりですね」

グラディアーナは嘆いた。

「これだからアキトは」
「なんだよ、それは」
「分からないのがなお重症です」

まるで漫才のようにじゃれあう宿命の者と世界の目を前に、まあいいかと桜木は笑ってユーストマを胸に抱いた。

ねぇ、大谷くん。

今はこれでいいけど、いつか私にたくさんのユーストマを頂戴。両手一杯のユーストマを。

そうしたら花を目印に、大谷くんは私をいつでも見つけられるし、私も大谷くんに追いつける。

ね、いつか送ってね。

両手一杯のユーストマを。