三つ首白鳥亭

−カーリキリト−

帰るべきところへ 7

だんっ!

無人の街になってざっと千年は経っていそうな古都で、2人を乗せた黒海は崖を駆け下りた。斜面というより崖なのに、黒海もザリもためらわなかった。

「こっちへ」馬から降りて建物の陰に身を隠す。

あたしたちは追いつめられていた。それも結構執念深く。廃都で休んでいたらいつの間にか囲まれていた。人数はざっと30人くらい。女の人ひとりを捕まえるにしてはとんでもない人手だった。

「弓を持っていた」
「そうだったの。参ったわね」

ザリは目が良くないみたい。困ったように屋根が崩れてよく見える空を見上げる。

「あたしが魔法で蹴散らそうか?」

そんなことできるかどうか分からないけど、多分できないだろうな。

「駄目よ、そんな危ないことさせないわ」

あたしの存在意義を丸ごとなしにすることを言われた。

「ザリ・クロロロッド!」

だみ声がした。聞いたことがある気がするわ。前会った5人のだれかみたい。

「おとなしく出てこい、悪さはしねぇよ。ちょっと付き合ってほしいだけだ。出てこい、矢まみれにはなりたくないだろう」

ザリは唇をかみしめた。頭を回転させている。ちらりとあたしを見た。なに。

「やっぱりあたしが行くわよ。明かりはもう通じないかもしれないけど、それ以外だって使えるんだから」
「待って、今考えているの。確か眠り薬があったわ。それを燃やしていぶりだせば」

まるで断末魔のような悲鳴がこだました。とっさにザリはあたしを抱きかかえる。

「なにするのっ!」
「あ、ごめん」

壁に張りつきじっとする。荒々しい足音。「蹴散らせ!」勇ましいかけ声と剣が交錯する音がする。

「ご無事か、ザリ・クロロロッド殿!」

名指しと共に、高いはずの壁から人影が降りた。下手に落ちれば死にかねない高さなのに、きれいに着地してザリにひざまずく。

「シッコク!」
「お探ししました」
「助けてくれてありがとう。探したって、なぜ」
「エアーム帝国にとって大恩あるザリ殿を、皇帝陛下のお目通りもかなわずに帰すことなどできません。わが君も是非にと仰せです」
「悪かったわ。とても急いでいたの、申し訳ないけど皇女さまにはよく謝って。今も目的地があるのよ」
「恐れながら、せめて兵を連れてください。まだザリ殿は狙われているようだ」
「あたしは学問通りに行くの」

間延びしたこれが自分の声だと気づくのに少し時間が必要だった。もう戦いの音は遠い。ザリが「ギリス、大丈夫よ」穏やかに微笑む。

「ザリ、エアーム帝都に行くの」
「行かないわよ。他に大切なことがあるの。皇帝陛下にお目通りするのはとても光栄だけど、わたしは他にやることがあるのよ」
「ザリ殿、学問通りへ行くのなら、なおさら護衛が必要です」

空が回る。息が苦しい。なんだろうこの感覚。あたしはだれ、この赤毛の人はなに。薬草師で、おせっかいで、敵がいて悪夢にうなされるこの人は。ひざまずかれて世界の覇者エアーム皇帝にだって会えるこの人はだれ。

「学問通りはいまや毒と腐臭が漂う無人の廃墟です。人間にとってありもしないものを見て、長居するとやがて倒れる。人が訪れる場所ではありません」

よく考えれば、そもそも初めからおかしかった。

なんでザリはアザーオロム山脈にひとりでいたの。人を待っていた、あんな死の山で待ち合わせ?

あたしが質問してもなにも聞き返さなかった。普通ここはどこなんて聞かれたらおかしく思うのに。

そもそもあたしを見ても驚かない。なんでここにいるのかの一言もない。おかしいよ。まるで初めから、あたしを知っていてくることが分かっているみたいじゃない。

シッコク。エアーム皇室の一員サーラ皇女を守る黒竜。ザリは竜にかしずかれるほどの人だった。そんな人がどうして、なんであたしを待っていたの。

おかしい、おかしいよ。まるで分からない、意味が通らない。

それに学問通り。死んで腐った竜が横たわり街は死んだ。

ザリが知らない訳ないわ。大事件よ。多少なりとも関心があるようならもう知っている。知っているのに黙っていた。

なんで。どうして。

あの人はだれ。なんであたしに関わるの。なにものなの。

不安は大きくなり、ついにはじけた。

あたしの敵なのだろうか。

あの白い男、ラスティアの配下でこっそりあたしを捕まえようとしているのかしら。だとしたらあたしを知っているのも分かる。

そうか、敵だったのか。

逃げないと。

夜、シッコクたちと一緒に古都の片隅で天幕を張った。天幕というのにあたしの家よりも豪華で快適だった。温かくて風も入りこまない。本当はひとり用の天幕だそうだけど、ザリが強引にあたしと一緒にいたがった。反対側の壁ぞいで、今は平和そうに寝ている。

逃げよう。このままだと罠にはまる。いつまで経っても学問通りに行けない。シュウにも会えない。

矢も盾もたまらず、つぎはぎだらけのローブで外に出た。ふと思いついて天幕のすぐ横、ザリの愛馬黒海がつながれているのに近づく。あたしが寄ってもなにも反応せず、馬なのに知性のある目であたしを見る。

あたしはつながれている紐を解いた。放した馬がどこに行くのか確かめずに街を出る。

行こう。あたしひとりで。どうせ敵だらけ、頼れるものなんてない。

自力で、自分の足で学問通りに帰ろう。そしてシュウに会うんだ。