三つ首白鳥亭

−カーリキリト−

帰るべきところへ 6

高価なドレスの代わりに作務衣を着て、黒髪は動きやすいように後に束ねたリタに、かつて無駄に豪華なマドリームの宮殿で笑いさざめいていた少女の面影はない。どう見ても侍女、もしくは下働きだった。

「無茶ですわ、無茶」

口の中でふてくされたようにつぶやく。腰に手を当てて見下すのは、きれい好きの人間が見たら倒れてしまいかねないほどの汚い部屋だった。本に杖、巨大な水晶の結晶といった高価なもの、毛布に空の酒瓶、日常品まで思う存分ぶちまけられている。

「ナーガの無限の寿命を考えると、この部屋はざっと千年単位で汚れてきていますわね」

思わず貧血を起こしそうになる。影踊りとして能力は確かであっても、人間としてはか弱い女性だ。気が遠くなりながらも手は動き、大きいものから順番に、重要なものと明らかなごみを取り分けていく。

「今までずっと汚れていたのですからこのままでいいではないですか。数日できれいにするなんて無理ですわよ」
「その割に手はよく動くわね」

女性にしては低い声に、リタは拾いかけていた毛布を落とした。けしてリタには逆らうことのできない大魔道士。

「鬱金さま!」
「きっと影でザリとぶつかったのがいい影響になっているのね。良心の知識や考え方、行動を吸い取った。良心でよかったわ。これが翼の戦士だったらどれだけ悲惨だったか」
「すぐきれいにします」
「ええ、早くね。厨房と書斎もね。宝物庫もやって。とりあえずそこまででいいわ、最終的には全部きれいにしてもらうつもりだけど。そうそう食事に手を抜いたらただじゃすまないわよ」
「はいっ!」

なぜわたくしは荒野の大魔道士の元こき使われているのかしら。疑問に思うリタだった。あの時マドリームにいるのもザリたちに同行するのも危険だった。しかしこのような未来を望んでいた訳でもない。

「一通り掃除もすんだら、バイザリムに行ってもらうわ」
「はい?」

聞き間違えかと思ったが、鬱金は床に大きな音を立てて座りこみ、せっかく積んだ本を引きずり出す。崩れるのも構わず開いて読み始めた。

「わたくしですか?」
「あなたしかいないじゃない」
「なぜわたくしなんです」
「あなたまでそれを言う訳?」

うんざりしたように豊かな髪を手ですく。

「向いているからよ。つべこべ言わずに従いなさい」
「はい」

逆らわないことにした。元々古の契約で逆らえないのだが、人間社会で生活していく上で多少はリタも学んだのだった。

「わたくしが行ってなにをするのですか」
「マドリームの王を選んでらっしゃい」

とんでもないことを言った。

「いなければ女王でもいいわ。今の王よりはましな人物を王座に座らせて政治をさせなさい」
「なぜ鬱金さまがマドリーム国の安定を願うのですか。鬱金さまには関係のないことですわよ」
「残念ながらね、あながちそうでもないのよ」

いらだたしそうに本を投げ捨てる。目的のものではなかったらしい。

「奥で寝ていた時ならともかく、起きたら外の雑音が騒がしくてかなわないわ。連日連夜伝説の大魔道士さまに会いにきて声高にひざまずく。やっていられないわ」
「帰ってもらうように伝えるのはわたくしですけどね」
「マドリームに住んでいる以上、この地が多少落ち着く必要があるのよ。面倒だけどしょうがない。リタがやりなさい」
「はい」

やりなさいと言われても、そんなに簡単なことなのだろうか。

「ああそう、あれの手入れも忘れないようにね」
「はい」
「嫌そうね」

鬱金は面白がっている。リタも今回は遠慮しなかった。

「鬱金さま、あれはなんなのですか」
「魔法よ。精霊術の封印を魔法でやっただけ。力むき出しの精霊術とは違って高度に調整されているわ。負担は低い」
「鬱金さま、あれは生き物のはずでした」

理解できないと首を振る。

「それだというのに動きません。呼吸をしていません。生きるために必要なことをなにもしていません。それでは生きているとは言えません。あれはものです」
「必要があって止めているのよ。気味が悪いでしょうけど受け入れなさい」
「なぜそのようなことを」
「今生きていては困るのよ。同時にこれから先生きていないと困るの。苦肉の策ね」

固い足音がこだました。リタは驚かない。ずいぶん前から気づいていた。訪問者も礼儀上分かりやすい形で存在を知らせただけにすぎない。

「きたわね」

鬱金はゆっくり首を動かす。

「待っていたわよ、翼の戦士」