待っていよう。
あたしから見つけられなくても、シュウはあたしを見つけてくれる。
だったらあたしは待とう。しゃがみこんで、動かないで。
赤く書いたあたしのらくがき、あたしはここでシュウと会った。だからここにいればシュウはくる。
危険だった。ちっとも理性的ではない。他の人が見たらきっと馬鹿馬鹿しくて笑うだろう。
それでもあたしは座りこみ、暗い空を見上げて待つ。
だれにも分からないだろう、あたしの気持ちも、あたしがここにいることも。
分かるのはシュウだけだ。だからあたしは待つんだ。
灰が降る。だれもいない通りを、かく人がいない屋根を覆いつくす。寒い、疲れて眠い。ぼんやりしているのに眠りたくない。
学問通り。死に絶えた通りはかつて多くの人が通った。いつもの行商人、天幕市へ行く剣士、帝都からきた学生たち。多くの人が生活のため、お金のため、学問のために行き交った。
今はもうだれもいない。力つきそうな見習い魔道士が寂しく眺めているだけ。
あたしは待っている、絶対にくると分かっている。座っていじけるあたしを、シュウは見つけてくれるんだ。
音がした。
かつての往来を思い出させる蹄。通りに人影が大きく揺れて、踊るように動いている。隠そうなんて少しも考えていない足音は、あたしの正面で歩みをとめた。
「どうして」角灯に照らされたザリの顔は、怒っているとも泣いているとも見えた。
「どうして、なにも持っていかなかったの」薬草師はひとりだった。横にいるのは黒海だけ。どうしたの。シッコクは、エアーム帝国の兵士たちは。
あたしと違ってザリを守る人はたくさんいるのに、どうしてひとりでここにくるの。
「わたし、いつでもかばんを枕元に置いていたのよ。盗まれやすいように、ギリスが逃げてもちゃんと食べられるように、食料もお金も入れていたわ。それなのにどうして手ぶらで行ったの」手綱を放してあたしへとしゃがみこむ。
「なんでギリスみたいないい子が、ひとりでがんばらないといけないの」「知っていた」
ひとりごとのようにあたしは言った。
「本当は分かっていたの、ザリ」「ギリス」
「シュウはいないんでしょう」
ザリはとまった。一番知られたくないことを言われてしまったよう。
変なの。あたしはこんなに平気なのに。
「あたし考えたの。なんでこんなに長い時間が経っているのにシュウはこなかったのか。ラスティアはだれか。なんでザリはできすぎるほど偶然にあたしに会って、こんなに世話を焼いているのか」冷静に考えてザリがあたしの敵なはずはない。初めて会った時あたしは弱っていた。いつでも危害を加えられたのにしなかった。あたしの面倒を見てあたしを守った。
長い空白の時間、ザリがあたしにしたこと、賞金首、悪夢、シッコクの態度。
「考えて分かった。ザリはラスティアの敵だったのでしょう。ラスティアは大悪人で、帝国を揺るがすほどのなにかをしようとしていたんだ。ザリはラスティアをどうにかした。終わってからあたしという子がラスティアに捕まっているのを知って助けにきたんだ」あたしに目的地を選ばせて一緒に行ったのは、仲良くなって折を見て本当のことを伝えるため、もしくは悟らせるため。人がよく情け深い性格はきっと本当のことだろう。あたしに都合のいい、とっても勝手な考えだけどきっと正しい。
そこまで気を使う理由は。
ザリはシュウのことを知っていて、あたしにとってシュウがどれだけ大切なのかを知っているからだ。回りくどくしたのは少しでも衝撃を和らげるため。なんでシュウを知っているのか、ラスティアとなにがあったのかは分からない。でも大体は正解だったみたい。ザリは今にも泣きそうな、小さな子どものような表情だった。
「ありがとっ、ザリ!」あたしはとっておきの明るさで笑う。
「いないんだったらこれないよね。しょうがない。行こ、ザリ。街を出て安全なところに行かないと。これからのこと相談してもいいのね?」あたしは強い、あたしは明るい。いつだってひとりでなんとかやってきた。これくらいなんでもない。
「シュウがいないんだし、いつまでもくよくよしていられないわね。ね、今まで色々やってくれたんだし、もう少し甘えさせてもらうよ。ザリが助けてくれるんだし、あたしも元気出さないと」あたしは立ち上がって、立ち上がろうとして。
あれ。
おかしいな、立てない。
力が入らない、身体が言うことをきかない。まだそれくらいの体力あるのに。
「変だね、どうしてだろ」「もう、限界なのよ」
ザリはあたしに水を手渡した。
「無理をして明るく言っても、もうくじけてしまっているから立てないのよ」なに言っているのザリ。あたしは平気よ。ほらこんなに。シュウはいなくても落ちこんでなんていられないよ。
ねえ、そうでしょうザリ。
どうして泣いているの。
「やめて。やめましょう。そんなこと言わないで、笑わないで、虚勢を張らないで。傷ついて傷ついて死んでしまいそうで、もう疲れ果てているのになおも立とうとしないで。もう強がらなくても、ギリスを傷つける人はいないのよ」ザリ。
「無理をしないと生きていけなかった。平気な振りをしないと耐えられなかった。だれからも守られなかった。ひとりで生きないといけなかった。だから笑うのが習慣になっているのね。もう、いいの。もういいのよ」いつだって平気だった。なんてことなかった。がんばれた。
強さが必要だった。ひとたび座りこむともう起きられないのが分かっていたから。
あたしは座りこんだ。もう立てない。シュウがいないことに気づいたから、あたしを必要として、あたしが必要なシュウはもういないから。
ずっとひとりだったのに、あたしは大切な人というのを知ってしまった。知ってしまってから失った。
だから立てない。もう歩けない。
シュウはいない。だからあたしもおしまいだ。
ザリ、ねぇザリ。
あたし、ザリは優しい人だと思っていたよ。知らない女の子のあたしに親切だったから。
あたしの間違いだった。ザリはとびきり冷酷な人間だった。
なんで気づかせたの、あたしが弱い人間だなんて。
知ってしまったからにはもう歩けない。ひとりで生きていけない。今まで目をそむけてなんとか生きていたのに。気づかない振りをしていたのに。
ねぇザリ。ザリはすごく冷たい人だよ。こうしてあたしを殺したのだから。
ザリは赤い上着をそっとあたしにかけて、横に座りこんだ。
「そのまま聞いて。わたしはギリスに嘘をついていたの。知っていて本当のことを話さなかった。教えるわ。なにがあったのかを」
そしてザリは話し始める。長い話を、長い長い話を。