三つ首白鳥亭

−カーリキリト−

帰るべきところへ 1

あたしは目覚めた。

「!」

途端に記憶と感覚が逆流して押しつぶされる。うずくまって倒れた。

「っ」

今まで凍りついていた身体に体温が戻る。停止していた頭に今まで生きていたこと、ギリス・ブロシアが体験してきたことが無秩序未整理に流れこんではじけた。

少し前まで当たり前として受け取ってきた感覚の多さにむせ返る。冷たい空気、乾いた土の匂い、光がまぶしくて目を閉じても突き刺さってきた。

意識がかき消される。叫ぼうとしたけど開いた口からは弱いうめき声しか出てこない。吐き気がとまらない。

もだえる。苦しい。ぼんやりあたしは発狂の恐怖が、すぐそこまで迫っているのを感じた。

「た」

かろうじて伸ばした手は、むなしく固い地面を引っかいた。

「た、す、けて」

かすれた助けはだれを呼んでいるのだろう。あたしはそこまで意識できない。ただ名前を呼ぶ。

「シュウ……!」

どれくらい経ったのか分からない。

あたしはのたうち回り腕に爪を立てて頭を地面にこすりつけた。永遠にやっていたと思ったけど、あたしの外側では時間は正常に流れていたらしい。

疲れきってなにも動かすことができなくなり、いつの間にかうたたねしていたみたい。次に目をさますと強い日差しに襲われる。それでもなんとか、今度は目を開けていられた。

仰向けのまま首だけ動かす。

洞窟みたいだった。風か水に削られた自然の洞穴。高いところから日が差しこんでくる。

「寒い」

乾いてかすれた声でつぶやく。途端に凍えた。寒い、まるで真冬みたい。震えたいけどそんな力はない。

寒いだけじゃない、眠気でぼんやりしているけれども、なんだか身体中が痛い。すぐに理由が分かってこっそり笑った。そうだよね。苦しまぎれにあちこちぶつけて自分から傷つけたのだもの。顔も手足も小さな切り傷だらけ、あざになっているところも多そう。

自虐してから、本当なら一番に気づかなくてはいけないことを思い出した。

「ここはどこだろう。なんであたしここにいるんだろう」

こんなところ見たことない。

あたし、つまりギリス・ブロシアは学問通りで暮らしている。山に囲まれた街だけど、こんな洞窟があるなんて知らない。あったとしてもおかしくはないけど、あたしがここにいることがおかしい。

あたし、どうしたんだっけ。まだ意味なく渦を巻いている記憶から前のことを思い出そうとする。なにがあたしに起こったのだろう。

貧しい生活、魔道士になるための勉強の日々、灰が振っている暗い街。いつも火を吹いている火山には、老いた竜が住むという。

「そうだ」

思い出した、その竜が街を襲ったんだ。あたしは逃げた。ひとりで? ううん、2人で。シュウと一緒に。

「そして、白い男に襲われたんだ!」

白い男。召喚士で、シュウを呼び出したと言っていた。男はあたしに術をかけた。あれはなんの魔法だったんだろう。だからあたしここにいるのかしら。

ううん、そんなことはどうでもいい。まだめまいがひどい、頭に血が一滴も回っていないみたいだ。それでもあたしは起き上がる。まっすぐ立てない、むき出しの岩でできた壁に手をかけて身体を支える。

シュウは、シュウはどこ。

いない、見つけられない。一緒じゃない、離れてしまった。

「シュウ!」

そんなはずはない。あの時まで一緒だった。シュウがあたしを置いてどこかに行っちゃうなんてしない。そんなことはありえない。

シュウ。あたしと同じくらいの年齢の異界人。唯一あたしを探して見つけてくれる人。あたしが守って教えてあげて、同時に守ってくれてかばってくれる。だれからも見られず気にとめられないもの同士。

そのシュウがここにいない。どうして、なんで。

落ち着け、あたし。暴れ狂う心臓を押さえて言い聞かせる。

シュウがあたしを置いてどこかに行ってしまう訳がない。白い男によって無理に引き離されたんだ。

あの男がなにもので、どんな方法でシュウを召喚してあたしを連れて行ったのかは分からない。でも離されたのだったら。

自分の足とは思えない重いものを引きずる。

だったら、探さないと。シュウを見つけなきゃ。きっと心配している。あたしを探しているかも。

行かなきゃ。シュウにまた会うんだ。

自分を引きずる思いで、あたしは洞窟からはい出た。


あんなに強い光だったのに、出てみたら今にも雪が降りそうな曇り空だった。風が強く叩きつけるように吹き、耳元で悲しい叫びを聞かせる。

岩山だった。見たことがないほど高く、赤茶色の地には生命の姿がほとんどない。わずかに棘だらけの低木が生えてくぼみに草を見るだけだった。上では雪が残り、山頂は雲の向こうだ。

ここはどこだろう。アム火山でないことは確かみたい。

一歩前に歩くのにもよろめきそう。体力はろくになく、目はかすんで距離感がつかめない。寒くて凍えているはずなのに、ぼんやりとしてひとごとみたいだ。

何回転んだだろう。倒れて、すぐ起き上がらずじっとしていた時、岩陰に人の姿を見つけた。よく見る。間違いなく人だ。

赤毛の女の人だった。すぐ横に黒く大きな馬を連れて岩に腰かけぼんやりしている。

泣いていると、初め思ってしまった。憂い顔は泣いていないし頬に涙の跡もない。それなのに深く物思いにふける横顔を見ると、どうしてもそう見える。まるで泣いて泣いて、何日も泣きはらしてもう涙が枯れ果てたようだった。

「なに、しているの」

声をかけてから後悔した。なにものか分からないのに、ひょっとしたら白い男の家来かもしれないのに。あたしってばうかつだ。

女の人は突然のことにも驚かず、ゆっくり顔を上げた。緩慢な動作はますますあたしの想像を裏付けそうだけど、正面から見ても涙が流れたようには見えない。

「人を待っていたの」

とても落ち着いていた。

「知り合いの魔道士よ。とてもすごい力の持ち主と評判だけど、わたしからしたら危なっかしくてとても黙ってみていられない人。ここで会うはずだったのよ」

人を待っている。それはあたしにとってとてもひとごととは思えなくて。ぐっと我慢して知らなくてはいけないことを聞く。

「ここがどこだか知っている」
「アザーオロム山のふもと。この先特に道もない辺境よ」
「アザーオロム山!?」

驚いた、東のさいはて、死の山脈だ。地図はそこで終わり、雷竜神クララレシュウムを祭る本神殿以外のものはない。向こう側はおろか山頂を見た人さえいない山。あたし、とんでもないところにいるみたい。

嫌な予感がしてあたしは言葉を重ねる。

「今はいつ? 結構寒いけど」
「新年祭を越えたところよ。もうすぐ春とはいえきざしはまだないわね」

ラスティアは思った以上にすごい魔道士だったみたい。身体が動かしにくいのも納得。ものすごい長い期間あたしは停止していたんだ。

シュウ。急に申し訳ない思いがこみ上がる。そこまで長い期間あたしはいなかった。今ごろシュウはどうしているのだろう。ぐずぐずしていられない、一刻も早く見つけないと。

「ここをまっすぐ下れば人里につく?」
「つくわよ。4時間はかかったわ。行くなら今すぐ出発しないと暗くなってしまう」
「分かった。ありがと」
「ねぇ、あなたは魔道士?」

穏やかに聞かれた。どうして分かったのだろうと不思議に思って、手首にある焼けこげたリングに気づく。分かって当然、手首のリングは魔法を発動するための媒介、魔道士であるなによりの証。

「よかったら護衛としてわたしに雇われない。待っている人がやってくれるはずだったのだけど、どうもすっぽかされちゃったみたい。お給料ははずむわ、どう」
「えっ?」

願ってもいない提案だった。聞き間違えかと思ったけど、拝むような手は本当のことみたい。

「女の子にこんなことお願いするのはどうかと思うけど、よかったら頼まれて」
「う、うん、うん!」

飛びついた。雇われれば当座のお金が手に入る。今のあたしは文無しだ。こんないい話見逃すつもりはない。

「あたしはギリス、よろしく!」
「わたしはザリよ、これから…… なにあなた」

伸ばしかけた手が引っこんだ。

「ふらふらで倒れそうじゃない! どうしたのよ。待ってね、食料はあるわ、水もよ」

今更のように荷物をあさってあたしに干した無花果と杏を突き出す。あれ。

「さっ、食べて。ごめんね気づかなかったわ」

さっきまでの間延びした姿とはまるで別人だった。なんだろうこの人。いわゆる世話好きなのかしら。