三つ首白鳥亭

−カーリキリト−

我ら日坂高校生

ビルが群がる都市は、夜明けだというのに騒がしかった。

パトカーが行き交い警察官の制服を狭い道のあちこちで見かけた。空は蛍光灯に染まる窓が、穏やかな朝の乳白色に対抗している。車のクラクションがコンクリートの街にとどろいた。

「翌日ですね」

人間の姿でグラディアーナが指摘する。日本では秋になりつつあった。真冬のカーリキリトからひとっ飛びしてきた身としては暖かくって変だ。

「外行こう、外」

まずはそれからだ。ビルの中にいてもなにも変わらない。


自転車は日坂高校駅に置いてきたので駅まで徒歩だ。途中前を通ったデパートの時計を見上げる。5時半だった。

歩いてみると人の姿は思った以上に少ない。勤め人や学生が見当たらず、いるのは警備員と警察だけ。警察官らしい人が高校生と白人男性という奇妙な組み合わせを不審がっていたので早足で逃げる。

「魔物化け物怪物は綺麗にいなくなりましたね」
「よかった。でもこれどうしよう。街は大騒ぎだ」
「どうにもできませんね」

グラディアーナはきっぱりしていた。

「放っておきなさい。元凶は取り除いたのですし、いいではありませんか」
「いいのか?」
「いいのですよ」

もう電車はとっくに動いている時間だったが、運行停止の文字が改札口の黒板に大きく張りつけられていた。駅員さんが「君!」俺たちを見て顔色を変える。

「テレビを見なかったのか。帰りなさい! 今日はどの線も動かないよ!」

外出禁止命令でも出たのだろうか。返事をしてそそくさと離れる。逃げた俺はふと公衆電話を見て足をとめた。

「ちょっと待ったグラディアーナ、家に電話する。なにがあったのか分かるかも」
「そうですね。ついでに無断外泊を謝っておいた方がいいですね」

そういえば。

「カーリキリトでもアキトぐらいの子が一晩帰らなかったら大騒ぎですよ。まして異常に平穏なニホンではまずいでしょうね」
「日本で外泊してもカーリキリトよりははるかに安全だと思うけどな。俺はなにも言わずに行ったし、まずいかも」

日本の金はとっくにないけど、運良く生徒手帳に入学の時もらったテレホンカードが入れたままだった。入れて家への番号を打つ。思った以上にすんなり思い出せて驚いた。

「でもこんな時間だし、だれも出ないかもしれない」
『はい大谷です!』

一コール終わらないうちに出た。この声は。

「姉さん?」
『あ、秋! 今どこでなにしているのよ!』

思いっきり怒鳴られ、思わず受話器を耳から放す。

「あの」
『今大変なのよ! F駅で集団幻覚だか動物の群れが出現して人を襲ったとかで、ずっとテレビでやっているわ。それなのに秋帰らないし、どれだけ心配したと思っているのよ!』
「ご、ごめん!」

ふと夢で見た夏輝姉さんを思い出す。あれも本心なのかな。

「心配かけてごめん。俺は元気で傷ひとつないよ」

異世界で何回も死ぬような目にあったことは黙っていよう。どうせ言っても信じないだろうし。

『だったら、こんな時間までどこでなにしていたの!』
「え、えっと」

どう言おう、なんて嘘つこう。こういう時もっともらしく聞こえる嘘は。

「友達の家に泊まっていた!」
『どこのだれよ、電話のひとつもできなかったの?』

姉さん厳しい。汗ばむ俺の手から受話器が抜き取られた。

「もしもし、大谷さんのお母さんですか?」

グラディアーナ、しかも声が変わっている。今までまがりなりに成人男性の声だったのに、高校生らしい高めの声質だった。

「お姉さんでしたか。すみません。俺先輩で、はい、遅くなったし泊まれと言って…… はい、すみません、よく言っておきます。はい、はい」

はいと俺に受話器を返した。

「伝言があるそうですよ」

なんだろう。また説教かな?

『秋、もう高校生なんだし私も親じゃないからうるさく言わない。でもせめて人の家に泊まる時は電話して。心配するから』
「悪かった。ちゃんとする」
『夜中に桜木さんから電話あったわよ』
「桜木から? なんて!」
『秋人さんいませんかって。また電話するって切ったわ。すごく遅い時間だったわよ』
「ありがと姉さん。電車今とまっているからさ。復旧したら帰る!」
『待ちなさい秋、着払いでタクシー使いなさいよ』

聞かずに切った。

「桜木から電話きていた」
「おや。家に帰って電話を待ちますか?」
「いや」
「こっちからかけるのですね」
「俺桜木の番号知らないし、それに」

桜木は今どこにいるのだろう。

家で寝ている。普通はそうだ。こんな時間だろうしきっと疲れているだろうな。家に帰ってゆっくりお風呂に入ってぐっすり寝たいに決まっている。

普通なら。そして俺も桜木もとても普通なんて言えない体験をしてきた。桜木はどこに行くだろうか。俺と会える場所へ。会うために。

ひょっとして。

合理的でも理性的ともいえない考えが浮かんだ。あそこかもしれない。

「アキト?」
「行く」

生徒手帳をしまって歩き出す。

「どこに」
「桜木がいるかもしれないところ」
「心当たりがあるようですね」
「ある。いない可能性のほうが高いけど、どうせ帰り道だし歩く」

普通なら電車を使う距離だけど、電車はとまっているし歩けるから歩く。線路にそって歩き始めた。


駅から離れると急に静かになった。

朝日の下、観葉植物にたまった露がこぼれ落ちる。車も電車も人もなく、秋の朝を歩いているのは2人だけだった。

「グラディアーナ、服と杖なんとかした方がいいぞ」

世間話で口にする。革の胴衣も杖も、カーリキリトならともかくここでは仮装しているようにしか見えない。

「あなたに言われたくはありませんね。ひどい格好ですよ」

もっともな反論だった。

「戦地帰りのようです。学校の服はどうしたのですか」
「制服か?」

どこへやったっけ。捨てていないはずだけど。

「あ、今着ているこれだ」

遠くに海が見える。アロエの群れを横目に歩き続ける。朝日を浴びてきらめく海面は穏やかにないでいた。

「その、つぎはぎだらけしみまみれのよごれたボロが、学校の服のなれの果て?」
「果てって言うな。ちゃんとつくろっているんだ。だから今までもったんだぞ」
「でも日本では着られそうにありませんね」
「分かっているよ」

ずっと続く砂浜を右手に、アスファルトの公道を歩く。いつもなら車で朝から渋滞しているのに、今日に限ってがらがらだった。制限速度を越えているトラックが横をすり抜ける。

俺は立ちどまった。

日坂高校前駅。小さいけれども正面が海に面している景観抜群の駅。

いるかもと思った。俺ならここでくるのを待つだろうから、きっと彼女も。

日坂高校から歩いて5分、電車は12分おき、人の少ない時間帯は駅員さんがいなくなる。日坂高校最寄り駅。

「桜木」

桜木まどかはそこにいた。駅のベンチにもたれかかってうとうと寝ていた。

格好のひどさは俺と同じか勝っている。ブレザーのスカートには切れこみが入り、ベストは破れかけている。靴は片方なくしているし、髪はくしゃくしゃ顔はほこりまみれだ。俺の呼びかけに目をさまして起き上がる。ぼんやりと俺へ焦点を合わせる。

「大谷くん?」
「桜木!」

踏切までは遠い。思いきって柵を乗りこえ線路を直接横切った。まだ電車はこないんだ、いいか。

「大谷くん! なんで、まさか」

ひたすら驚いていた桜木の目がすわり細くなった。あれ。

「今まで私に黙ってこんなことしていたのね。ずうっと」
「う、うん」
「大谷くんはずるい」

腕を組んで俺をしかる。そこに俺が今まで知っていた控えめな女子高生の姿はない。

「ひとりで先行って、ひとりで決めちゃって。私にできたのは推理と闇雲にがんばることだけだったのに」
「よくできたな」
「2人がいなくなっちゃって、化け物もいなくなって、私はなにもできなかった。どこかにいるかもしれないってあちこち探していたら、大谷くんがラスティアに気をつけろって。それで私、取り壊し予定のビルにいたそれっぽい人を見かけて消火器ぶつけたの」
「結果的によかったけど、初対面の人にそういうことしたらまずいだろ」
「なにがあったの」

まっすぐに問いつめられる。目がまぶしくて直視できない。

「みんな消えてから長髪の人が出てきた。よくやって言って、なにが起きたのか話したよ」
「クララレシュウムか」
「そう名乗った」

なんだ。クララレシュウムはなにもしていないと言っておきながら、ちゃんと後始末もしていたんだな。

「なんて言っていた」
「みんな話してくれた。大谷くんが私のいないところでなにをしていたのか、ラスティアとはなにか、自分の正体とか」

言葉を切った。目が急にうるむ。

「響先輩についても、聞いた」
「そっか」

俺は冷静に受け止めた。

「あのですね。そこまで知っているのならなにも聞かなくてもいいのではありませんか?」

グラディアーナが口をはさむ。桜木は首を振った。

「大谷くんの口から聞きたいの、私、初対面の人をそこまで信用しない」

俺が変わったように桜木も変わっていた。行けとクララレシュウムに背中を押された桜木はもう以前の桜木ではなかった。一晩で背が伸びた訳でも目に見えて成長した訳でもないけれど、宿命に飛びこみカーリキリトが混ざる駅前を走った桜木は俺を気押す迫力を身につけていた。

「分かった。ちゃんと話す、話すよ」

観念する。ごまかそうとは思っていなかったしごまかせる相手ではない。

「どこから話せばいいんだ」
「初めから、終わりまで」
「長いぞ、すごく長いぞ」
「分かっている。でも話して。なにも省いたりなかったことにしないで」
「分かった。えっとな、まず」
「その前に」

桜木は俺の手を握った。朝の光が駅一杯にあふれ、海面の反射が目にまぶしい。

「おかえり。やっと見つけた」

嬉しそうな笑い顔に、俺はたった今言おうとした言葉をみんな忘れた。