三つ首白鳥亭

−カーリキリト−

1. クララレシュウム

夢を見ていた。

罪悪感が見せる悪夢ではない、立ちどまらせさまよわせる迷路ではない。とろとろうとうと、なにも心配することなくまどろむ、とろけるような甘く極上の夢。


「駄目ね、どこも動かない」

キャロルが首を振りながら戻ってきた。

「手動で開く扉は全部開けたわ。あさってみたけどなにもなかった。せっかく雷竜神殿にいるのに」
「お前な、キャロル」

イーザーがたしなめるも知らん顔だった。ザリは小さく笑って包帯を巻きつける。ミサスは迷惑そうだったが逆らわない。

「ねぇ、ザリ」
「なに」
「アキト、いいの?」

気がかりそうに俺をのぞきこむ。

「目は開いているのにちっとも反応しないわ。どこも傷ついていないのに」
「少なくとも昏睡するほどの怪我じゃないのにな」
「目をさまさなくてもいいのかしら?」
「心配しないで」

なだめるように優しく伝えた。

「脈拍も呼吸も異常は全くないわ。少し疲れてぼんやりしているだけよ。すぐ目をさますわ」

俺はやり取りを見て聞きながらも反応せず、ただまどろんでいた。


「上出来だ、秋人」
「クララレシュウム」

上も下もない場所で、気がついたら横にクララレシュウムがいた。

「うまくいった。思った以上にうまくいった」
「教えてくれ」

もうどれだけ繰り返したのだろう、俺は聞いた。

「なにが起きたんだ、ラスティアはどこへ行った」
「奪われた力を奪い返した」

簡単に説明した。

「隙を作りラスティアのそばにいて、なおかつラスティアよりも祭壇の中に立った」
「それだけで? それだけで盗んだ精霊術と竜の力を取り返せるのか? すごく簡単じゃないか」

だれにでもできることだろう。

「ならばどうやって実行するんだ? 条件を満たしてみろ」

思いつかない。

「あの爆発は。ラスティアはどうなった」
「竜の力を奪い返した反動だ。力づくで取り戻したようなものだからな。力のうねりとねじれもまた大きかった。本来ただの人間であるラスティアが耐えられるものではない」
「俺は耐えられたぞ」

今の夢うつつが完全無傷とはいいがたいものの、とりあえず消滅はしていない。

「お前の負担は私が代わったからだよ」

こともなく答えた。

「さすがに痛かった。今までずっと閉じこめられた上、わずかな能力を目いっぱい使って動いたことだし、私も疲れたよ。少し寝る」
「少し? どれくらいだ」
「さて。何年か、人間にとっては永遠とも感じる時間かもしれない。私にも分からない」

それはとんでもないことだぞ、俺をかばったせいで。

「よく考えろ。そもそも秋人はだれのせいで死にかけたんだ。私にも少しは責任があるのではないか」

それはそうだけど。

「でも神さまが寝たきりなのはまずいだろ。なんとかならないのか」
「なんともならない」

あっけらかんとした態度を見ていると、本当にどうでもいいことのような気がしてきた。

「第一、私への認識を秋人は正しくしていない」
「え?」
「私は竜で、百年ごとに再生する特異な身体を持つ。世界一の雷使いだ。だが私が世界を作った訳でも動かしている訳でもない。管理者のように振舞いそれっぽいことをし、世界を見つめ時に兄姉竜と共にちょっかいを出すが、それだけだ。このカーリキリトに住む他の生き物と条件は同じだ。特殊な生まれではない」
「え、えっ。なんだって」

立ち上がって問いつめる。だったら今までのはなんだったんだ。信じているイーザーやザリはどうなるんだ。カーリキリトの常識が丸ごと引っくり返されたんだぞ、いいのか。

「なにを慌てているんだ。元々信仰深くもないのに」
「だってまずいだろ」
「どこがだ」
「どこって言われても」
「考えてみろ秋人。確かにそれは隠された秘密だ。私と、私の兄姉竜と、後は秋人しか知らないカーリキリト最大の秘密だ。だが知ったからといってなんだ? 今まで世界はそうだったのだぞ、そしてこれからも。祈る神々が不在でも世界はあり続ける。なにか危険な要素はあるのか?」

詰めよられるように言われてしまった。そう言われると問題なしのような気がする。でもまずくないか。どこがと答えられないけど、いいのかそれで。

「公開してみるか、秋人。表に出て手当たり次第叫ぶか。お前の一声で大混乱が起きる、戦乱も起きるぞ」
「いやだよ、俺がここにいるのはカーリキリトを壊すためじゃない。第一だれも信じないよ」

俺はふてくされた。できないことを分かっていて言うのだから、クララレシュウムという奴は。


キャロルに手を引かれて外へ出た。外は夜明け間近のもっとも寒くて暗い時間だった。

「せめてもう少し明るくならないと危ないな」

一通り外を見渡したイーザーが結論づける。

「道は厳しいし寒すぎる。雪が残っていて危ない」
「雪がとけるのはいつかしらね」

珍しくキャロルが感情的になる。「さぁ」イーザーは素っ気なく群青色の空を見上げていた。厚い雲が見る見るうちに流れ、アザーオロム山脈を通りあるいは引っかかる。

「春になって時間が経てばだろうな。それまではとけそうにない」

「精霊使いたちの認識は正しい」

俺が落ち着いたのを見計らってクララレシュウムは説明を続けた。

「彼らは竜神にそこまでの敬意を払っていない。彼らにとって竜神と呼ばれる存在は先輩、兄姉、父母だ。精霊術、つまり内面の強い力を持っている年長者としか思っていない。敬称をつけたり苦しい時名をすがることはあっても、ひざまずいて拝みはしないし日々祈りを捧げることはない。精霊使いは直感で世界を見る。伝承や知識はそこまで気にしない。そして彼らの判断はこの時ばかりは正しい。

カーリキリトには神はいない。私たちが見張っているので、便宜上名を出してあたかも役目であるかのように振舞っているがな」

「なんでそんな変なことをするんだ」
「人には祈る相手が必要だからだよ」

あっけらかんとしていた。

「正真正銘ひとりきりで立ち、常に強くあれる人間はいない。仮にいるのだとしたら、支えられているのに気づかない馬鹿者かあえて見なかったことにして強く振舞うものだ。だれにでも他者は必要だ。思い出に立つ人物なり、横で共に歩く友なり、あるいは叫びと祈りを受けとめる神なり」
「それは大変なことじゃないのか」

心配になった。

「神さまでもないのにそんなことをするなんて重いだろう。そうだ、今回だって。ラスティアは神であろうクララレシュウムから竜の力を奪ったんだぞ。力と責任を横取りした。もし名乗っていなければ起こらなかったのに」
「秋人、お前が自分の意に反して宿命を背負ったのと同じだよ。私もまた望む望まないにもかかわらずやらなくてはいけない仕事がある。ミサスの言う通りだ。自分の運命を自分で左右していると思うほど傲慢にはなれない」
「ラスティアは、カーリキリトが発展しないのは雷竜の怠慢だと言っていた。怠けているから千年経っても三千年経っても同じなんだって」
「この世界に新しい技術や革新が起こりにくいのは、神不在のせいかもしれない」

クララレシュウムは目を細めた。

「変わらない、変化しない。もともとある材料だけでふくらみ豊かになり大きくなっている。熟成か腐敗かは分からない」
「いつかはじけるんじゃないか」

不安になった。もしここにラスティアがいたら同じことを言うだろうと思いつつ。

「一方向への変化も同じだろう。正しい道に向かっているのかその先は崖なのかだれにも分からない」
「ラスティアはそっちの方を願っていた」
「そうだな。私たちも大昔考えていた。そして結論を出した。もう、いいと。神不在で五千年は経った。初めから受け入れた訳ではない。自分たちの仕事を恨んだこともあったが、カーリキリトを見てこれでいいとした。今更だ。どうしようもないことだし、どうする必要のないことだ。唯一神にしろラスティアにしろ、この世界はひとつの意思によって支配されるのを望んでいないんだ」
「クララレシュウム!」

長い法衣をつかんで揺さぶりたくなった。

「俺のしたことは正しかったんだよな、俺は勝ったんだよな!?」
「勝った。だが正しいかは分からない。私が決めることではない」

動けなくなった俺へ、クララレシュウムは猫のように笑った。

「だが秋人は救った。私と、今のカーリキリトに住むありとあらゆる生き物を。ついでに文化も魔法も、裏にへばりついている世界も。カーリキリトを救った、救世主だ。それだけでは足りないか?」

「これからどうするの」

朝日でアザーオロム山が巨大な影を作る。日は弱々しいも千切れるように流れる雲の端を紅に染め、空を少しずつ、すがすがしい天色に変えていく。先頭に立ち背骨が曲がりそうなほどの大荷物を追いながらザリは問う。吐く息が白い。

「ザリは」

俺を肩で支えながらイーザーが質問を返す。疲れ果てた顔だったが足どりはしっかりしていた。

「ファナーゼ草原国に帰るわ。神殿長のブロム様に報告しないと。調査結果もね」
「俺も帰ろうかな、故郷。ずっと離れていた。こうして考えると懐かしい」
「イーザーの国はどこ?」
「フォロー千年王国。山奥で一日歩かないと人里に出られないような所だった。沼しかない陰気なところだけど平和だった」
「家がある人はいいわね」

キャロルが茶化した。いいわねと言ってはいるがうらやましくはなさそうだった。

「キャロルは」
「あたしね。どうしようかな」

足爪で雪を引っかいた。頭巾の下で片方だけの耳が動く。

「グラディアーナを見習って、気楽なひとり旅とでもいこうかしら」
「もっといいもの見習えよ」

思わずイーザーは足をとめる。みんなの後ろを黙ってミサスは歩いていた。


「もう、クララレシュウムには会えないのか?」
「そうなる。もう私の大半は停止している。今ここでお前と話しているのは残骸、残りかすのようなものだ」
「さみしくなるな」

しんみりした。今まで優しいことを言ってもらった覚えはないし、冷静に考えて恨み言のひとつも言っていい気がするが、それはそれ、この偉そうな言葉と別れるとなると気分が落ちこんでくる。

「そうか? よせ、感傷的になるな。そういうのは苦手だ」
「これからどうなるんだ」
「ふもとへ降りてそれから帰る。何人かはまた出発する」
「新たな旅立ちか」

俺はどうしよう。帰るところがない、もう日本には帰れない。旅立つっていってもどこに。

暗い未来を振り切った。

「違う、俺たちじゃない。カーリキリトだよ。世界はこれからどうなるんだ」
「変わらない、今のままだ。その道を選んだのは私と、そして秋人だ。だが傷は残った。戦いでいくつもの場所に爪跡が残された。怪我は治さないといけない。手当てと修復が必要だ」
「どうやって」
「考えてある。だがそこまでお前に押しつけようとは思っていない」

グラディアーナの言葉がよみがえった。うぬぼれてはいけません。あなたは宿命の者ですが、あなたにもできないことはたくさんあるのです。

これも「手出しのできないこと」なのだろうか。

「ああそうだ。異世界の行き来は昔のようになるぞ。世界を隔離した私は眠り、ラスティアもいないのだから。メルストアの民もいないのは困った。あまり異界が流れこんできてはカーリキリトがなくなってしまう。そこは兄姉竜に言っておこう」
「そうか」

それは俺には関係がない。意識して聞き逃した。

「フォールストは」

静かに聞く。

「あの青いリュート弾きはなにものだ」
「私にも分からない。あれは不確定不確実な存在だ。だれの味方でもあり、それゆえ中立、青の楽師」

クララレシュウムは手をかざした。先にあったはずの指は光に透けてない。全身が陽炎のようにゆらめく。

「時間だ」
「行くのか」

急に苦しくなった。泣きたい、だが涙なんて一滴も出てこない。

「声まで俺を置いていっちゃうのか」
「泣き言はいい。夢は終わりだ。さ、行け。友が待っている」

ふわふわきらめき、なくなりかけた腕で遠くを示す。俺はつられて目を向けた。

「おーい!」

白い人影が信じられない薄着で歩いてくる。

「お前ら、なにやったんだぁ!?」
「シーン!?」

目がさめた。途端に身体を乗り出して、支えていたイーザーを巻きこんで転ぶ。

転びながらも両手をついて上体を起こした。あの総白髪は間違いない、アザーオロム山脈の番竜シーンだ。後に人を連れている。そのうちのひとりが走り出した。

「!」

キャロルが口の中で「げっ」かみ殺し、ザリが肩かけかばんを落とした。イーザーはとっさにおよび腰になり、俺は迷わず逃げ出した。

「黒竜のクロ!」
「アット!」
「おまけにシェシェイまで」
「逃げないで!」

クロがこうもりの羽根で飛んで俺の先回りをした。小さい両手でとうせんぼをする。そうするとあどけなくかわいい子どもだが、その両手でさんざん張り倒された俺はまるで笑えない。

「イーザー、逃げないで! 大丈夫、話を聞いて!」

アットが声を張り上げる。キャロルがぼやいた。

「エアーム帝国直々の黒竜に元フォロー千年王国の王位後継者とは、なんて豪勢なお出迎えなの」

「事情は知っている。エアーム皇帝や兄上、じゃない、フォロー千年王国国王も」

まだ一介の旅人のような服装のまま、丁寧にアットは説明した。頭の上にシェシェイ、両脇に竜2人を控えさせて。

「アットが説明したのか?」
「いいや。僕じゃない。雷竜神直々に」
「なんだそれ。どういうことだ」
「今までのイーザーの手紙、エアームでの言動、起こった数々の現象。それらに加えて昨日夜起こった光だよ。アザーオロム中照らした光はエアーム帝国にもフォロー千年王国にも届いたんだ。兄上がすわなにごとかと窓に駆け寄ったら頭の中で声がしたんだって。『喜べ千年王国の王よ。世界は守られた。宿命の者秋人が反逆者ラスティアを倒したのだ!』だって」
「そうまでされたら信じない訳にはいかないよね、王様も皇帝様も」

楽しそうにシェシェイが補足する。クララレシュウム、なんて派手なことをするんだ。

「で、どうしてアットがここにいるんだ」
「僕も言われたから。『千年王国の後継者よ、宿命の者を迎えに行ってやれ。そのまま放っておいたら彼らは影のように消え去る。それはお前たち全ての本意ではあるまい?』だって」
「ぼくも聞こえた」
「私もルーサー様も聞いた。エアーム帝国の人間としては竜神直々に認めた異界の人間を逃して、これ以上威信が泥まみれになりたくなかったから迎えに行くようにって命じられた。フォロー千年王国のラディーン陛下も同じ意見だったそうで、すぐ行けって怒られちゃったよ。エアームを代表して私がきた」
「ぼくたちは途中クロに見つけられちゃったの。で、誤解を解いた後一緒に行くことになった。エアーム帝都でラディーンも待っているよ、行こう」
「なんでアットのお兄さん、じゃない、ラディーン国王まで待っているんだよ!」

イーザーは叫ぶようだった。まあまあとアットがなだめる。

「竜便で。僕が代々の竜一族全員お願いしたから乗れる竜がいなかったはずだったんだけど、たまたまきていた帝国伝令の竜使いに無理を言って単独で乗ってきたそうだよ」
「俺はきた方法を知りたい訳じゃない! なんで東の果てまでくるんだよ、そんな大事なのか?」
「たまたまって、それ経過報告する正式な使いだろ。よく無理を言えたな」
「フォロー千年王国国王がお付きもなしできたの? 他国になめられるわよ、なにしているの」

弟が弟なら兄も兄だ。口々に勝手なことを言う俺たちに「大事だよ」シェシェイはイーザーにだけ答えた。

「あの、わざわざきてくれてありがたいけどさ、俺たちエアーム帝国に捕まったら」

よくてそこのクロにぼこぼこ、悪くて国家反逆罪になるんじゃないのか?

「しないよ」

クロはむすっとしていた。したいんじゃないのか?

「帝国の血と黒竜の誇りにかけて、いきなりひどいことはしない。ふもとで竜使いが待っている、帝都に戻ってもらうよ」

有無を言わせぬ風だったが、害意はないみたいだった。見つかった上強引に切り抜けられるかも分からない。アットとシェシェイもいることだし、断るのはやめた方がよさそうだ。

ふもとの集落では大騒ぎだった。竜が降りるのに慣れているとはいえ、竜騎士一小隊ともなれば話が違うらしい。思わずクロを見ると「護衛もなしで凱旋させる訳にはいかない」しれっとしていた。

「ちょっとアキト」

つくなり竜使いのフィーナに怒られた。俺たちが乗ってきた親族零細経営の竜使いの一族は青い顔をしていた。まるで盗賊の一団に囲まれているようだった。

「なにしたのよ! どんな犯罪すれば皇族護衛の黒竜がアザーオロム山脈番竜を連れて一緒に山登りするの!」

ごめんフィーナ、俺にも分からない。

「そんなことよりも騎竜は? 大至急この人間と私たちを帝都まで連れて行って。騎士は自分の騎竜を持っている。私は自前で変身するからいい」
「た、ただ今!」

まだ若いフィーナはすぐさま髪を翻して走った。

騎士の乗る竜は立派で目つきも鋭く、金属の鎧までつけていたが、フィーナたちの竜の方が大きかった。クロの変身した黒竜は大きさこそ一番小さかったが、きっとこの竜たちの中で一番頭がよく強いのだろう、自分から先頭を切って飛んだ。舞い上がる竜たちの姿はそれは壮観で、俺は竜騎士に囲まれているという物騒な状況なのにも関わらず思わず声をあげた。


きらめく塔と山と一体化している帝都は、きた時は遠かったはずなのに帰る時は思った以上に近かった。もっと遠くてもよかったのだけど。

竜に乗りながらでも十分入れる巨大な城門には遠慮がちに人々が集まっていた。

扉は閉まっていた。とっくに開けていなくてはいけない門番は仕事をさぼっている。

さぼりたくてさぼっている訳ではなさそうだった。一応は仕事をしようとがんばったみたいだが、負けたらしい。負かした原因は緊張したように門の前で俺たちを見ている。

「あ、おい!」

姿を見た途端、まだちゃんと竜が着地していないのにもかかわらず俺は降りた。慌てすぎて転ぶのと大差ない降り方だったが、後ろのイーザーの方がひどいのでいいか。

「アットのお兄さん!」
「ラディーン国王陛下と呼びなさいって」
「アル! あ、グラディアーナも」
「私はおまけですか」

グラディアーナが突っこんだ。ちゃんと影も身体もある生身のグラディアーナだ。そういえばラスティアとクララレシュウム消滅の時余波を受けて真っ先に消えたんだったっけ。俺がそれどころではなかったし、多分無事だと思っていたから心配しなかった。予想通り無事だったし。

緊張感のない月瞳の一族とは裏腹に、アルとラディーン国王周辺は触れば切られるほどの緊張だった。事実興奮のあまり無意識にアルがやっているのだろう、周りの大気がゆるやかに渦を巻き髪が逆立っている。降りたシェシェイが飛ばされないようにアットの襟をつかんだ。

初めて見るラディーン国王は王というよりどこかの兵士のような簡素な服だった。帯剣までしている。アットと同じ系列の、だが表情が全然違うのでまるで似ていない顔つきだった、薄い色の前髪が共通していなかったら分からない。

「兄上」

アットは落ち着いていた。落ち着いて、今まで俺が乗っていたフィーナの竜を見上げる。

「兄上お久しぶりです。クララレシュウムの導きにより、最後の仕事をしてきました」

これだけ多くの人がいるのに、アットの声はよく聞こえた。

「僕はやってはいけないことをしました。なにもかも僕ひとりで考え行ったことです。どうか罰を下してください。国王の名の下に、気のすむようにしてください」
「ラディーン、指一本でもなにかしたら、私黙っていないからね」

アルは挑発的だった。目の下には厚いくまで、小刻みに指が震えている。でも闘志は十分だった。今にも歯をむき出しにしてうなりそうだった。

「アットくんを傷つけるのなら、その前に血まみれになっているかもね」
「アルちゃん」

ラディーン国王は無言だった。

「今にも倒れそうな精霊使いでも、これくらいはできるんだから」
「おい、アル! アットのお兄さんも待て!」

イーザーが2人の間に割って入った。両腕を広げてかばうように立ちふさがる。

「アットのやったことは、そりゃ方法はともかく仕方のないことだったんだ。おかげで俺たちは勝てた。アットのおかげだ。だから罰なんてするな」
「そうだ」

俺もまたイーザーとラディーン国王の間に立った。まっすぐに国王を見る。

「アットの、国家の法も兄弟仲も捨てて決死の覚悟があったから俺たちは雷竜神神殿にたどりつけたんだ」
「よせ、イーザーとアキト」

アットが俺たちをつかむ。

「兄上は国王としてやらなくてはいけないことをやるんだ。邪魔しないでくれ」
「いやだ。ここででしゃばらないでなにが友だちだよ」
「そうだ、絶対にアットだけに責任を押しつけない」

俺たちは力づくでアットを黙らせにかかった。そっちに気を取られていて「あ」グラディアーナがつぶやくまでラディーン国王のことを忘れていた。

全身の力を持ってラディーン国王は俺を殴りイーザーを殴った。見かけ通り力も強い。目から星が出てだらしなく地面へとへばりついた。いきなり殴るなんて乱暴じゃないか。アットとは性格もかなり違うんだな。

「イーザー! 兄上、乱暴すぎます」
「黙れ。俺に弟なんていない」

後5人は殴らないと気がすまなそうな声だった。

「行け」
「兄上?」

ラディーン国王は外衣翻すほどの激しさで怒鳴った。

「失せろ、この大馬鹿者! 二度とフォローの名を名乗るな!」

呆然としてフォロー国王を見上げるアットの腕を、アルとシェシェイがつかんだ。

「行こう」
「アルちゃん」
「いいってことだよ、アットくん、行こう」

風が舞い上がる。アルの髪が荒れ狂い、アルとつかんでいるアットを空気が包みこみ浮き上がる。

「行こうって、どこに。行けるところなんてどこにもないよ」
「いいじゃない。どこかへ行こう。遠くのどこかへ。殿下じゃないアットくんに戻ったんだし、だからはるか遠くへ行こう」
「アル」
「イーザーもくる?」

ちょっとお茶に誘うように、アルはまだ腰をついているイーザーに聞いた。イーザーは苦く笑って口をぬぐう。

「いい。俺は別のところに行くから」
「分かった、またどこかでね!」

軽やかに明るく、ずっと昔からの友人たちは笑顔で手を振り合った。そして2人と肩のピクシーは轟音と共に、俺たちの前で烈風となって駆けぬけ、見えなくなった。

「あなたは行っちゃ駄目」

こっそり逃げかけていたグラディアーナをクロがしっかりつかんだ。首根っこをにぎられ「ぎゃう、待ってくださいそこは弱いんです、あなたただでさえ馬鹿みたいな怪力ですし」細々と抵抗する。

「エアームでなにが起きたのか知っている3人は今飛んで行っちゃったからね。猫だけは逃がさないよ、いいからきて」

その時のグラディアーナの顔は、猫なのにここまで露骨に嫌な顔ができるんだなぁと深く俺を感心させた。