ミサスが具体的になにをしたのかは分からない。
ラスティアの術を打ち破ったのは確かだけど、なにが目的だったのか、他にどんな影響がでたのかを知る方法はない。
だから司令室のモニターがみんな消え部屋の大半に渡る電気の明かりが消えていても、すぐそばまで追ってきていた機械兵がだらしなく倒れて動かないのも、そうかと受け入れるだけだった。
「どうやったんだろう。これ手探り試行錯誤してやったことだろう。間違えて大切な配線切ったんじゃないのか」「兵が生きているよりはずっとましです」
「後でクララレシュウムが困るかもな」
「今私たちが非常に困っていたのですよ。大目に見てもらいましょう」
角灯をかかげて棚から本を抜き取り麻袋につめながら言う。おいグラディアーナ。
「泥棒だぞ」「いいじゃないですか。報酬の先払いだと思えば罪悪感も抱きませんよ」
俺も別に痛まないけどさ。盗賊や密偵はこんな人ばっかりだ。
もうひとりの密偵は壁にかけてある板を熱心に見つめていた。外して床に降ろし、直線ばかりの絵を爪でなぞる。
「キャロル」「アキト、グラディアーナもきて。これ神殿の見取り図よ」
聞き捨てられないことを聞いた。
「そうか? 交差している線がたくさんあるぞ。とても建物の見取り図には見えない。抽象画かと思った」「チュウショウガ? よく分からないけど違うわ、2つの図が重なっている。太い方の線だけを見て。典型的な神殿よ」
「細い方はなんだろう」
「精霊の力の流れとか、そんなのじゃないかしら」
筆を取り出し太い線をなぞる。墨をはじいてうまくのらないが、見やすくなった。
「全景は結構大きいな。今いるところはどこだろう」「さあ」
現在地が分からないなんて前途は暗い。
「他のみんなはどこに散ったんだろう。イーザーだけはさっぱり分からないな。ラスティアはどこにいるんだ? こんなに広いんだ、こっそり隠れていたらどうしようか」「それはないでしょ」
いとも簡単にキャロルはその可能性を捨てる。
「なんでラスティアが雷神殿本殿にいると思っているの。こんな目立って分かりやすく、だれでも知っているこの神殿に」「え」
「遠くて環境が厳しいからなんて言わないでよね。この雷の本殿は神話にも出てくる、カーリキリトの民なら子どもでも知っている場所なのよ。巡礼者だっている、ちゃんとたどり着ける神殿。隠れ場所として最悪ね」
それもそうだな。なんでだっけ。
「雷竜神のせいか? クララレシュウムがここにいて、ラスティアはクララレシュウムから力を奪った。離れるとクララレシュウムが暴れて力を奪い返そうとするからラスティアは動けない」「よくできました」
ラスティアは動けない。今までラスティアは指示を出すばかりで直接行動したのは自分の影か他人だった。
くる訳がないという自信と傲慢の表れなのかもしれない。でも第一の理由はそれだ。動けないんだ。
「でも神殿といっても広いぞ。どこかにいるのは分かってもどこにいるのか分からないと困る」「もう少し頭を使ってよ。今の話をもう忘れたの」
忘れていないけど関係が分からない。
「ラスティアは雷竜神と同じところにいるのよ。雷竜神、神殿の主と同じところに。主がその辺の小部屋や廊下にいる訳ないでしょう。それなりの奥、格式高いところにどんと座っているに決まっているわよ」「あ」
見取り図に目を移した。部屋の数20以上は優にあるが、その中で大きく立派なところは。
「こういう建物で一番なのは司令室かメインコンピューターがあるところとか」司令室はここで、メインコンピューターはきっとザリがいた部屋だ。どっちももう侵入済み。他の部屋はと考えこむ俺に、キャロルは指を突きつけた。
「アキト、ここは神殿。本来は祈りを捧げる場所よ。実際の生活や管理もそれなりに大切だけど、一番はそこじゃない」「どこだとキャロルは思うんだ?」
「ここ」
中央の一番広い空間へ触れた。
「祭殿。神が降り立ち鎮座するところ」今どこにいようと、行きつくのは難しくないと判断した。
「大きい方広い方へと歩けばつく」見取り図を簡単に写した紙を俺に手渡して、キャロルは自信を持っていた。
機械兵と同じように神殿全体も電気が落ちていた。明かりは緑の非常灯のみで暗い。獣人2人には十分のようだったが、俺には人の顔も見分けられない暗さだった。
停電で一番困ったのが自動ドアだった。電気が通っていないので開かない。がんばってこじ開けようと剣を刺しこみ力任せにやってみたが、疲れただけだった。
「アキトの世界はみんなこうなの? これじゃいざって時困らない?」言い返せなかった。
幸いにして電気なしでも動く扉もちゃんとあった。なかったら本当に閉じこめられていただろう。数こそ多くはなかったが見取り図を参照に正しい道を行っているようだった。
「イーザーがどこにいるのかまるで分からないな」「夢から醒めているのは確実ですが、さてそれからは」
グラディアーナも首をひねる。
「探したいところではありますが、どこにいるのか分からないので探しようがありません」「おまけに雷神殿は広すぎるわ。まるで城か街よ、探検するほどの余裕はないわね」
一方ミサスとザリの無事は確認しているが、会えそうにないことには変わりない。
待てよ。
「ミサスは影から影を飛びまわって動けるんだろう。ここで動かず待っていたらそのうち見つけてくれないかな」「アキト、あれはミサスよ。必要なことは瞬時にやるけど、必要でないこと代案があることはどんなに言ったって指一本動かさないわ」
キャロルは断言した。「ありえない」
「それに影を行くというのはどっちの面においても無防備になります。ラスティアが干渉してくるかもしれない。その危険を考えるとためらいますね」半透明で向こう側が見えるグラディアーナも同意する。
「だったらさ、グラディアーナが代わりに」「私も条件は同じですよ。特に今は本来の身体は遠く帝都にあります。ちょっとでも手を出されて払われたらそう簡単には戻ってこれません」
グラディアーナがいなくなったら困る。
「でも、このままずっと会えないのも困るだろう」「そうね」
手動の扉を罠がないか調べて慎重に開ける。続く廊下は5人ぐらいが横に並んで歩けるほど広かった。床には塵ひとつなく、ぼんやりとした非常灯がさらに先へと俺たちをいざなう。
「目印をつけて歩くとか、してくれれば分かりやすいのだけど。思いつかないかしらね」「密偵盗賊の発想ですね」
グラディアーナは聞こえるか聞こえないかの低い声で応じる。口調こそ普段と変わりなかったが、毛が逆立つほど緊張している。
「ザリは無理でしょうね。きっと考えられない。イーザーが思いつくかどうか」「あたしやアルと少なからぬ時間を過ごしたのだし学習能力は高い。見込みはあるわ」
揃って同時に立ち止まった。口を閉じる。俺は2人の反応を見て、自分の幻聴でないことを確かめた。
イーザーの声がした。
俺は聞こえただけだったけどキャロルはもう少し具体的なことも分かったらしい。身振りで前を指す。
聞こえたということはミサスと合流できたのだろうか、だったら万々歳だ。キャロルとグラディアーナは緊張を崩さず、魔法のように足音を立てずに小走りになる。俺もつられて無言になった。でもいるなら声ぐらいかければいいのに。黙って行かなくても。
角を曲がると広い廊下の途中に巨大な扉があった。自動ドアの無機質さもなく、非常扉の簡素さもない。古めかしくてびっしり装飾が施されている。扉自体で一財産になりそうだった。
両開きの扉はかすかに開いていて、中から強力な明かりがもれている。
「黙れっ!」内からまぎれもないイーザーの声がした。遠くからでも聞こえるはずだ、かなりの大声だった。
イーザーの声だけど、でもこれは。
「雷竜神のやり口は気に入らない。でもお前の手段はもっと気に食わない! ザリを誘惑しそこなったから俺か? ふざけるな!」「そもそもクララレシュウムが秋人を巻きこんだのを忘れたのか? 秋人もアルもアティウスも、一対一の戦いにクララレシュウムは無関係の人間を引きずりこんだ。それは俺が悪いのか? 俺の罪か? 参加させたのはそもそもだれだ?」
血の気が引いた。キャロルがやっているように俺もこっそり隙間からのぞき見る。
扉以上に立派な内装の部屋だった。部屋は広く天井は高く、柱にも壁にも扉と同じ、文字とも絵ともつかない装飾が彫ってある。
奥には地上のレイドにある雷神殿で見たようなプラスチック板の祭壇が設けられていた。レイドよりもはるかに大きく、小さな家ならすっぽり入ってしまいそうだった。プラスチック板から目を焼きそうな光が放たれている。広い部屋に光源は祭壇だけで、あちこちに怪しい陰影がくっきり移っていた。
祭壇の上にはラスティアが、ふもとにイーザーがいた。
ラスティアは白い上着、腰には大振りの曲刀を差していた。金髪も自信にあふれた態度も変わりないが、光に照らされて天井にいくつも影が揺れていた。
本物のラスティアだ。身体と影を持つ生身の。
対するイーザーは背後から見ても怒っていた。剣を構え今すぐにでも祭壇を駆け上がり切りつけそうだ。
「イーザーも命じ押しつけられた戦いに不満を持ちいら立っている。そのはずだ。イーザーの剣は目的をかなえ友を守るためにある。見知らぬものの命令で見知らぬものを殺すためではない」イーザーの腕は切りかかるには下にあり、ラスティアの言うことが重なる度に剣の重さで沈む。
早くラスティアの元についたイーザーは無事だった。でも今まで迷い不満に思っていたことを暴かれ、ラスティアと自分、2人の強敵と戦うはめになった。苦戦しているのは見て分かった。イーザー。
キャロルが俺とグラディアーナを手でとめ、力の限り扉を蹴った。反対側にいる俺は驚いて声も出せず、グラディアーナも口だけでおやとつぶやく。
「なに馬鹿なことを真に受けているの」ふてぶてしい、堂々とした足どりだった。胸を張りラスティアには目もくれず、イーザーを子ども扱いするように高圧的に言う。
「なにも分かっていないあたしたちに手を出したのはどっちよ。事情がさっぱりの時点で街ごと抹殺しようとしたのはどこのだれよ。ラスティアの行いはしかたなく戦っているものではないわ。危険だから全力でつぶしにかかってきたじゃない。なに忘れているの」「キャロル!?」
「ラスティアもがんばるのはいいけどそんな安っぽい手でイーザーを惑わせないでほしいわ。もっとましな手口はなかったの」
「宿命の影」
物陰から隠れている俺には3人の顔は見えず、どんな感情が交差したのかも判断できない。
「きたか。宿命の影、裏の存在。ひとりでなにをしにきた? 頼る本体もなしで俺の前にきたのか」「あたしは影だけど、実体のない幽霊じゃないわよ」
歩く爪音はなくならず、抜刀の音が加わった。
「あたしはアキトにできないことをするために今ここにいるのよ。アキトの不得意なところを行う。優劣はないの、表か裏かの違いはあっても、やるべきものはそこにあるし、できる方がやるだけよ。アキトにできないことなんてたくさんある。それこそ山のように、いやできないことばかりと言ってもいい」そこまで言わなくても。
「例えば、情報を集めるとか、鍵を開けて物を盗むとか」ちゃっちゃっと続いていた爪音が消えた。
「戦いとか」「宿命の者が代わりに戦うだと」
ラスティアの声に抑えきれない喜びが加わった。
「では影は道を失い間違った選択をした。お前ではけして勝てない、そして揃う前に宿命が欠ければ俺が勝つ!」「キャロル!」
「大外れよラスティア!」
キャロルもまた優位を疑っていなかった。
「あたしについてまだ見誤っているわねっ、あんたが一番怖がって、死に物狂いで追いはらおうとしたものもちゃんといるのよ! あたしが連れてきたわ。アキト!」高らかに呼ばれ、グラディアーナも片目を閉じて手招きし歩き出す。俺はつられた。明かりの向こう、扉の影から内へと踏みこむ。
「アキト?」意表を突かれ甲高くイーザーは叫んだが、俺はそれよりラスティアを見ていた。
表情は崩れていた。不安と驚愕、そしてまぎれもない恐怖があった。無意識のうちだろう、ラスティアの周囲に小さい電流がいくつも走り火花を散らした。感情がゆらめいて、自分の精霊を操る力を制御できていない。
俺はようやく、俺がラスティアにおびえ怖がったのと同じように、ラスティアもまた宿命の者を恐れ最大の脅威だと思っていたことを悟った。
「!」とっさにラスティアは聞こえない叫びを上げ手を振る。部屋全体に白光が走り、あちこちで小さな爆発が立て続けに起きた。キャロル頭上にも雷撃がはじけとっさに避ける。
ラスティアの狙いは俺だった。すぐ後ろで毛穴が開くような電圧が跳ね飛び最大級の爆発を見せる。グラディアーナが「わっ!」正面へ逃げる。迷わず俺もそうした。かがみこんで前へ、そこしか逃げ場がない。
「消えろ宿命!」部屋の壁という壁から巨大な影がにじみ出た。かろうじて人型の、目が血のように赤い影たちは腕を伸ばし俺たちへと歩を進める。
ラスティアは同時に精霊術も操った。意識してなのか無意識なのかは分からない。空中に光り輝く槍が浮き上がる。実体のない、だが髪の毛逆立つほどの巨大な雷は、命中したら確実に人を殺すだろう。なにかを考える暇もなく、金の槍は俺めがけて一直線に走った。
「アキト!」逃げなきゃ。判断したのにそれでも遅すぎた。視界が白く染まる、全身の血が逆流する。
「ア、キ」予想外の方向から衝撃はきた。
「トぉぉ!」イーザーが。とっさに俺へと体当たりをする。俺はあっけなくはじき飛ばされ転んだ。すぐ上をすさまじいエネルギーの塊が飛んで扉にぶつかり、扉も後ろの壁も焼き崩れた。金属の壁は見えないほど小さい継ぎ目からはがれてひしゃげる。かすってさえいないのに俺の全細胞に小さな傷が入り体液が流れ出たような虚脱感と衝撃を感じた。
「そうか、そういう意味だったのか。ふざけやがって!」「イーザー」
キャロルが代わっていち早くきた影へと切りかかる。手ごたえはまるでなく、その分大した傷にもなっていないようだった。切ったところから闇のような燐分がこぼれて消えていく。
「クララレシュウム! あいつ、今度会ったら竜神だろうと捕らわれていようと構わない、殴るぞ」「なに言っているのよ」
「あいつは俺をはめやがった! だました!」
起き上がって上段から影へと飛びかかる。気がつけばすっかり囲まれていた。グラディアーナが自分の顔ほどもある握りこぶしを軽やかに避け杖を振る。俺もすぐ近くにはだれもいないことを確認してからスタッフで大きく弧を描いた。自然と俺たちは背中を向け合い円陣を組んで影の巨人に対抗していた。
「あいつは、クララレシュウムは言った。お前だけがラスティアを殺せる、だが見返りに友も殺すことになるって」「はっ?」
「俺はなにかの理由で俺たちのだれかを殺し、その上でラスティアを殺すんだと思っていた。でも違った。友だちを見殺しにしたくなければラスティアを殺すのを諦めろといっていたんだ」
「なんで、よ!」
「そう言われなければ、今俺はラスティアに飛びかかって行ったからだよ! 今のラスティアは隙だらけだった、魔法を連発したからだ。今なら切りかかれた、でも俺はためらった。クララレシュウムの予知があったから、絶好の機会を逃がした」
そしてラスティアに切りかかっていたら俺は死んでいた。電撃が直撃していた。
「ふざけやがって、あいつは俺のことを知っていた。知っていて、とっさにためらうだろうって言い残したんだ。そうすれば俺がアキトを忘れないから」「そしてイーザーが自分の行動を制限するように、宿命に少なからず不満を持つイーザーが変なことをしないように、いじったり余計ないたずらをしないように思わせぶりな発言をした。悩んでいればいらないことをしませんからね」
グラディアーナが冷静に告げる。巨人の首あたりを突き横へと流す。傷口から煙のように影が吹き上がり見る見るうちに影の巨人は消えていった。
「イーザーがラスティアの隙を突いて殺せばアキトも死んでいた。クララレシュウムは見通していたのね」「あいつ、なめやがってはめやがって、クララレシュウム!」
歯ぎしりをして叫び力任せに剣を振るい捨て身のように影を切っていく。
「ふむ」振り回し突いてなぎ払うばかりだった杖を持ち直し、爪を床に引っかき軽やかな足取りで飛び跳ねる。涼やかに転がる鈴の音がした。
「影は夢のすぐそばにある。影を操り恐怖をもたらすなら、夢の爪で目覚めよう」魔法とも精霊術とも異なる力、獣人特有の能力、多芸なグラディアーナ一番の得意技。
大きくないはずの鈴が広い部屋へこだまし、実在しない巨大な腕が影の巨人5体はまとめて払いのけた。抵抗する余地さえ与えず消える。
ちゃ。
のどからほとばしる叫びの代わりに爪音が走った。グラディアーナの作った隙間へ飛び囲いを突破し、一直線にラスティアへ。
「キャロル!」立ちふさがる影の巨人を叩き切る。
「!」ラスティアの髪が広がり電撃がはじけて襲いかかる。
「ふっ」ためらいなくキャロルは剣を捨てた。固い音が部屋一杯に反響する。腕が見えないほど速く動き、空中の電撃はその場ではじけ消滅する。目が潰れそうな光の中、小石が転がり小さく音を残す。ブーツに差していた小刀を抜きラスティアへかかる。
「キャロル!」ラスティアも大きさの割りにすさまじい速さで曲刀を抜き小刀を受けとめる。ラスティアの目の前で着地し、沈むように深くかがむ。腰に差していた大振りのナイフを一呼吸の動作で取り出し、垂直に飛び上がって切りかかる。
ラスティアは一本は曲刀でとめ、もう一本は突如出現した七色に輝く壁にとめられた。
「!」ラスティアが叫び、キャロルは突き飛ばされたようにはじき転がった。「かっ」背中を打ち胸の空気をすべて吐いたような声をあげる。ラスティアは手をかざした。
「宿命の影!」「よせ!」
最後の一体を切り、イーザーはとっさに走る。
部屋の外、もうなくなった扉の向こうでだれかが叫ぶ。
「ラスティア!」赤い人影がクロスボウを構えていた。叫びながらボウを撃った。石壁も崩す機械仕掛けの矢はラスティアめがけて空気を切り裂く。
「良心!」七色の壁が一瞬で広がる。矢は壁に命中し、白くはじけて消えた。七色の壁もまた砕け粉々になり、数百本の香水瓶を落として割ったかのようなきらめきと反射を見せる。
ザリがここにいるということは。
「きさまがここにいるということは!」崩れた壁、へし折れた柱、俺のラスティアの明かりの向こう側。無数にある影から小さい人影が飛び出した。音はなく、今までなんの気配もなく。影歩きの魔法を使って。
「翼の戦士」人ならぬ体格と漆黒の羽根を持つミサスはほぼ一言かそれ以下の言葉だけで貫く刃、黒い炎、へばりつく羽根を呼び出し高く飛ぶ。ついでに自分へ飛ぶ魔法はかけたらしい。本当の鳥のようにはばたいた。
「!」焼き尽くす炎を、鋭い刃をラスティアは受けとめ、打ち消しねじふせた。同時にはるか上空で白くまばゆい雷がはじける。「っ!」かすったのか直撃したのかは分からない。大粒の血がしたたり床に絵を描く。墜落するように、力つきたようにミサスは落ちる。
「ミサス!」自由落下ではなかった。傷ついたもののまだ行動する能力は残っている。滑空するように落ちて地に足をつける。すぐ膝をつき、よろめいて手を床につくものの、まだ倒れてもいなければ戦意を失ってもいない。
一瞬、静寂が落ちた。
だれも動かず、無音でなにもおきない。空白の時間。
全員揃った。時は満ちた。
動いていく。なにもかも正しく揃っていく。
長い長い時間準備していたことがらが揃っていく。
めまぐるしく動いていく中、とうとう俺はそれを見つけた。
分かった。
分かってしまった。
重大なできごととできごとの間、ほんの空白の偶然に俺は理解した。
気づいてしまえば明白だった。これ以上分かりやすいことがらはないくらい分かりやすかった。どうしてそんな、鼻先に吊り下げられたことがらに気づかなかったのか不思議だ。
気づくのは遅すぎたけど、でも手遅れではない。
俺は踏み出した。
「ラスティア」
ラスティアに立ちむかう、真っ向から顔を見上げる。
怖くはない。自分のことながら不思議だった。相手は街を滅ぼし国家を操る魔法使いなのに。
「なんで負けそうなのか、教えてやる」迷わない、ためらわない。なにをすべきか知っているから、言うべき言葉をちゃんと持っているから。
「ラスティアは身勝手で独善的だ」足はとめない。スタッフを突きつけて言いきる。ラスティアの表情は読めない。
「ラスティアは雷竜のクララレシュウムを陥れて力を奪った。世界を変えるためだ。停滞して身動きしないこの世界に変化をもたらすために」何千年経っても変わらないカーリキリト。千年前の建物が今でも使え、産業革命もコペルニクス的技術転換も起こらないこの世界。魔法があり妖精と獣人が歩く異界。
「だがラスティアにはできない。なぜならラスティアは世界を変えると言いながらろくにカーリキリトを見ていないからだ。自分ひとりで分かった気になっている。住んでいる人たちを無視して、今のここでしか生きていけない人をなかったことにして、カーリキリトを自分の理想通りに作り変えようとしている」
同情心を覚えた。ラスティアは敵で、今までずっと逃げて追って立ち向かった相手なのに。憎みこそすれ共感する相手ではないのに。
「ある意味仕方がないことだった。ラスティアは魔道士にして神子だった。生まれながらに絶大な力と才能を持っていた。だから人に助けてもらうことはなかった。なんでも自分でできたから」ラスティアは才能があった。それはラスティアのせいではない。ラスティアが責められることではない。
でもラスティアは想像しなかった。隣人も自分と同じくらいの考えを持ち生きていることについて思いつきもしなかった。その鈍感さと無神経さは責められることだ。
「協力することを知らず、助け合うことが理解できない。そんな貧しい考えで好き勝手をした。人を傷つけた、家を街を国を傷つけた。血にまみれた道を歩いて恨みと泣き声をたくさん作った」それは悪いことだ。それはもう声高に伝えよう。何回でも何回でも、もう言えない人のために言おう。
「お前は悪人だ。勝手で独善的な、どうしようもない大馬鹿者だ。だからラスティアは負けるんだよ。こんな俺みたいな、どこにでもいる高校生に。どんなにラスティアが才能あろうと共感する人も助けてくれる人もいない。冷ややかな契約と憎しみを伴った無理矢理の忠誠しかない。良心のザリでさえラスティアを見捨てた。ラスティアはだれからも愛されず、守られず、助けられることもない。ラスティアは今もこれからもずっとひとりきりで、自分の考えに溺れながらかなうことがない夢を見るんだ。
ラスティアは負けるんだ。ひとりだから、ずっとずっと今もこれからも未来永劫ひとりきりなんだから」
桜木、そうだろう。ラスティアには走って助けにきてくれる人はいない。
「だからラスティアは俺ごときに負けるんだよ」冷ややかで固いラスティアの仮面がゆっくりはがれる。致命的な傷を負い、絶望と憎悪に満ちた、ひどく傷ついた顔が下に隠されていた。
「宿命の者、異界人、大谷秋人」もう揺るぎない自信はない。俺が崩した。なんてことはない、知ったことを伝えただけだ。
「よかろう、なら証明してみせろ! 死ね!」近くで見ると大剣にも近い曲刀がうねり、電撃が走った。俺は低く身を傾けてひと飛びする。すぐ横に巨大な熱量を持つ光が通り抜ける。俺はスタッフを両手でしっかりつかみ、曲刀を正面から受け止めた。重い一撃に手がしびれ足が下がる。
歯を食いしばり、全身の力を持って曲刀を左へと流す。闇雲といえる斬撃を受けとめ、さらに俺は飛んだ。ラスティアの真横、祭壇の中心へと踏みこむ。
「ラスティア!」大鐘のような大声が、世界中の鐘を合わせて鳴らしたような歓喜がとどろいた。
「返してもらうぞ!」今まで隠れていた、ずっと潜んでいた金の光が俺から抜け出る。おぼろげな手を伸ばし、身長よりも長い髪をなびかせて祭殿へと飛びこみ潜る。
「盗んだものを返してもらうぞ!」「雷竜!」
声。雷竜神。クララレシュウム。そこにいたのか。
高らかな勝利宣言と共に、なにもかも白く塗りつぶす大爆発が起きた。
「くはっ!」
真っ先に反応したのはグラディアーナだった。瞳孔がなくなりそうなほど細くなり、爆風にえぐりとられるように姿がかき消されている。驚愕の表情のまま消えた。
悲鳴が聞こえる。苦痛で条件反射として出てくる、開けっ放しの口から聞こえる叫び。
「アキト!」白濁した視界の中、キャロルに駆けよられて肩をつかまれて、それでようやく俺の悲鳴だと気づく。俺が自覚ないまま叫んでいた。
ラスティアもまた同じだった。曲刀は手からこぼれ落ちる。その指先が光の粒となって宙に消える。
ラスティアは両目を見開き呆然と手を見る。加速するかのように指が手がまぶしい粒子となり光の中で消えていく。
「ク……!」なにか意味のあることを叫ぼうとした、その口も失われる。金の髪が顔が光となり塵になり消える。俺の見ている前で反逆者ラスティアは消滅した。
俺もああなる。苦痛でばらばらになった意識の中人事のように理解した。
「アキトッ」崩れ落ちキャロルに支えられる。キャロルのつかんでいる手がはじける熱で赤らむ。やけどに気づいていないかのようにキャロルは俺を離さない。「アキトォ!」
俺もラスティアのようになる。焼き尽くされるようにばらばらになって跡形もなく消滅する。
それもいいか。目を閉じた。
俺は消滅する。いいじゃないか。この長い長い道のりの終着点としてぴったりだ。
今までずっと歩いてきた。たくさんのものを犠牲にした。踏みつけて進んできた。だから、これはしょうがないことなのだろう。
「諦めるのか、アキト」懐かしい、もうはるか昔に聞いた声が耳元に戻った。
「少し早すぎるな」光をはねのけるようにそこにいた。長い長い金色の髪、男とも女ともつかない性別を超えた若々しい顔立ち、立派な青年の姿なのに変わらず大きすぎる法衣。背中にはなににも似ていない羽根。
「秋人、大谷秋人。宿命の者」後から俺を支える。俺とキャロル2人を守るように羽根が覆う。
「私はお前にどれだけの戦いを強いたのか。お前たちにどのような犠牲を押しつけ、苦しい道を歩かせてきた」俺を抱く手に力がこもる。意識がぼんやりし、俺は光の中安らぎと眠気を感じた。
「ならばせめて、これくらいは代わろう」クララレシュウムの姿が輝く。夢うつつの中見上げた目に、もう明るすぎて輪郭さえ見えないクララレシュウムが映る。人の姿に覆いかぶさるように直線のみで構成された巨大な生物が重なる。
竜。雷竜神クララレシュウムの本当の姿。姿がぼやけた。手が透ける。光が逃げ出しはじけるように身体がなくなっていく。
「神よ。神とやら。なんでもできてなんでも知っている全能の存在」発音はまだ明瞭で偉そうでふてぶてしかった。俺のよく知っている声だった。
「もしいるのなら応えてくれ。異界の我が友を守る力を私に。それくらいはいいだろう」輝きがはじけた。クララレシュウムの姿は光となり、部屋中神殿中アザーオロム山脈の空一杯にあふれかえり、そして消えた。
静寂。光がなくなった後、空白の祭殿。
闇が戻りなにも聞こえないこの場所で、俺はゆっくり立ち上がる。キャロルが慌てて俺を支えた。
「クララレシュウム」なにもかもがおぼろげな中、俺は言った。
「ついに終わったぞ、クララレシュウム」