巨大な影は動かない。髪を冷気で凍りつかせながら、俺は恐ろしくて動けなかった。霧が少しずつ晴れ、竜の巨体がゆっくり崩れる。
ようやく視界が戻った俺が見たものは、竜の額に刺した剣もそのままの、疲れ果てたようにへたりこむイーザーだった。竜は動かず、凍りついた身体から剥がれ落ちるように肉が落ち鼻の奥がつんとする刺激臭を放つ。
「イーザー」「生きていない」
棒のような声だった。
「元々半分死んでいたようなものだった。知恵はなく反射もろくに残っていない。原始的な本能と生命力だけで動いていた」「イーザー?」
「なぜだ?」
気のせいだろうか、悔しそうに見えた。なんで悔しがるのか俺には分からない。
「なんでだ」急に咳きこむ。力なく口元を押さえた。
「鼻が痛い。なんだこれ」「臭いのせいだろ」
はるか後ろの方で逃げずに最後まで見ていた学生たちが不安そうにささやいた。「死んだ?」「そうみたい」「あれなんだ?」「毒だ」「灰竜って確か」
「そこの人!」ようやくひとり、背の高い学生から声がかかる。俺たちへ語りかける心の準備ができたみたいだ。
「離れた方がいい、毒だ」「毒ってなにが」
俺の理解が遅かったのを責めないでほしい。とにかく頭が動かなかった。
「灰竜は体内に有害な空気を持っている。元々火山の中で生きる竜だ、火山から出る毒を身体の中に含んでいる。竜が死んだらその毒がばらまかれるぞ」火山の毒って、硫黄とか硫化水素とかだろうか。まずい、猛毒だ。俺はまだぼんやりしているイーザーの肩を揺さぶり「行こう」呼びかける。
「毒だ。危ない、早く行こう」「俺は」
「まずキャロルを迎えに戻ろう。荷物をまとめて出発だ。おいてきたからな、キャロルきっと怒っているぞ」
「あ、そうか。そうだな。戻らないと」
現実的な指摘にようやくイーザーは正気を取り戻した。立ち上がり剣を抜こうとする。なかなか竜の身体から抜けない。
「ミサスは」「あ。いない」
まさかどさくさに紛れて竜の下敷きになったんじゃないだろうな。心配したが探す前に崩壊直前の建物から飛び降りてきた。無事でよかった。
「竜殺しの勇者様」学生が呼びかける。視線は自分だと気づかないイーザーに注がれていた。
「え、俺?」「うん、イーザーだろうな。勇者はともかくとして、俺もミサスも殺していない」
「よかったら私たちの隊と一緒に行きませんか。帝都大学できちんとお礼がしたいです」
「俺、別にお礼をされるようなことはしていない」
「私たちのために、単身で灰竜と戦い倒したじゃないですか! 竜殺しが偉業でなかったら他のなにが偉業なんです!」
もっともだ。この世でだれもが恐れる竜を、赤の他人のために切ったなんてだれにでもできることじゃない。ついでにイーザーらしいことでもあった。ためらうイーザーに「いいじゃないか。途中まで大学の部隊と一緒だと心強い。迷子になる心配もないし」そそのかす。
「ぜひお願いします! このまま帰す訳にはいきません」「じゃあ、一緒に」
「はいっ」
ようやく方向が決まったところで安心したのか、隠れていた学生たちがわらわら出てきた。大半は引き裂かれた天幕、倒れた車から荷物を出し移動の準備をして、俺と同じ年くらいの学生はイーザーを囲み口々にほめてちやほやする。慣れていないイーザーはどうしようかと首を回して俺たちを見た。俺は放っておいた。文句なしのすごいことをしたんだし、多少はほめられた方がいい。
忘れられた感のあるミサスはそんなことを全く気にかけずに竜の死体へ向き合った。
「どうした」「あれを取れ」
せきこみながら指を指したのは、竜の2つに割れた額の奥だった。
「あれってなんだ」「肉の間にある鉱石」
「見えない。さわれば分かるかな。取るのか?」
腐った死体の狭い隙間に手を入れたくない、断りかけたが俺とミサスの腕の長さを見比べて観念した。俺の方がずっと長い、理にかなっている。
嫌々手を突っこみ固い欠片をつかむ。つかんで引き出すと黄色い石があった。琥珀に似て、触れるとほのかに暖かい。
「なんだこれ」「魔道の触媒。使い物にならなくなった脳の代わりに指示を出せる」
ミサスに渡すと、小さい手の中ですぐに砕けて砂になった。こぼれ落ちる。
「指示? 竜は自分の意思で動いていなかったのか? だれが指示を出していたんだ?」ミサスは答えなかった。答えなくても決まっているだろうとばかりに。つまらなそうに星のない空を見上げた。
「もう学問通りはおしまいだな」言うべきことを見つけられない俺の後ろで、書物を抱えている学生がつぶやいた。
「こんなに荒廃して人もいなくなった、その上街の広場には猛毒の竜が死んでいる。もうだれも戻れない。学問通りは死んだ。二度と人が住むことはないだろうな」大慌てで持つものを全て持ち、逃げるように学問通りを出る。
俺たちは逃げた。主人が死んだのにまだ元気な大こうもりと灰竜の死体からのがれようと出て行った。街の風上に急ごしらえの野営地を造り、ようやく座りこんだ時はもう朝日が昇っていた。徹夜したのに眠くない。ただ疲れた。
休ませてもらえなかった。一息ついたら同じく手が空いた大学の学生がどっとつめかけた。もちろん目当てはイーザーだった。
「すごい! 全く信じられない!」「私たちのために命がけで竜を倒したなんて。さぞ名のある勇者なのでしょう」
もてもてだった。手放しにほめられたのにイーザーは喜ぶのを通り越して「えっ、えっ」理解できないようだった。
「大学に着いたらぜひ学長と会って下さい」「その前にエアーム皇帝に。竜殺しなんてここ100年は出ていない。きっと皇帝陛下もお喜びだろう」
「近衛兵に取り上げられるかもしれませんよ!」
「それより竜騎士に」
なんだかすごい話になってきたぞ。「竜騎士?」イーザーも調子よくあこがれの職業を聞いて頬を染める。俺はこっそりミサスに聞いた。
「皇帝に会えるのか? 騎士になれるのか? 竜を殺すってそんなにすごいことなのか?」「会える。なれる。竜の種類による」
分かりやすかった。
「皇帝様に会うのはともかく、騎士になったらまずいんじゃないか? 今みたいに自由に歩けなくなるぞ」「諦めてもらう」
「騎士になることを、だよな」
うなずいたので安心した。言葉が足りないぞミサス、イーザーを諦めろと言っているのかと思った。
いい気になったのはそこまでだった。用意してもらった一番大きい天幕に入った時、そこにいたのは絶対零度のキャロルのまなざしだった。
「キャロルもついたのか」「おかげさまでね。親切な大学の人々が迎えにきてくれたわよ」
グラディアーナは見て見ぬふりをし、ザリは「えっと、無事でよかったけど」したかったであろう説教を飲みこむ。
「それで? イーザー、あたしになにか言うことはない?」「え、あ〜、その」
腰が引けていた。灰竜に突っこんだ勇気はどこへやら。一見落ちついている地下道の娘を前にして、今すぐイーザーは逃げ出しそうだった。
「……悪かった」「悪かったじゃないでしょ、この馬鹿っ!」
爆発した。
「この考えなしの戦闘狂!あたしたち置き去りにして竜の一頭殺してくるですって!イーザーの脳はどこについているの、ちっとはまともに働け!」それからはすごかった。延々キャロルはイーザーの行動がどれだけ考えなしで危険かを責めた。驚きがさめると俺はキャロルにもっともだと共感した。だんだん非難されているイーザーが気の毒になり、最後にそこまでしてもなお悪口の種類が切れていないのに感心した。15分以上声高に責めてまだ同じ単語が出てこない。すごいな。途中から俺には意味が分からない単語や発音が飛び出した。きっと種族独自の悪口なんだろうな。
「キャロル、もうそこまでに」たまりかねてザリが割って入る。
「黙っていてっ、ザリだって怒っていたでしょう!」「怒っていたけど、それはそうとして。もういいはずよ」
抑えながらの必死の目配せに、この時ばかりはイーザーも飛びついた。
「お、俺そういや用があった。また後でなキャロル」「待ちなさいっ」
待たずに逃げた。きっともういない宙を睨む。
「ふん。まあいいわ、とりあえず気はすんだし。後でのお楽しみにしてあげる」まだ言い足りないのか。
「アキトにも言っておくことがあるしね」俺?
「ちょっと待て、俺は無実だ」「止めるって言って結局止めていない。それどころか参戦している。どこが無実なのよ」
「うっ」
一緒に逃げればよかったと深く反省した。
大学の隊に混ざって進むのは楽だった。
速度は遅いが住居も食事もある。道だってきちんとした計画に基づいて決めるから多少の遠回りはあるものの安全にして確実だった。
大学の人々は俺たちに好意的だった。「私たちのために竜を倒した勇者さま」とその一味という扱いでちやほやされた。主役のイーザーやある意味同業者でもあるザリは特に話しかけられ親しまれた。ミサスは見世物になるのが嫌だったのかいつの間にかいなくなった。
「いい加減黙っていなくなるのはやめてほしいぞ」「慣れろよ。俺はもう慣れた」
あっけらかんとイーザーは言う。
「いざとなればザリに見つけてもらうからいいよ。探すのがうまそうだ」「そりゃうまそうかもしれないけど、ザリだって万能じゃないぞ。緊張感が足りないな」
数日ほど穏やかに日々は流れ、うろたえるイーザーを観察して楽しんでいた。ある夜寒かったので早めに天幕に戻った。中ではキャロルが足を組み、何回もさいころを転がしている。ちゃらりと4つの正方形がじゅうたんの上に落ちた。
「なにをしているんだ?」「学生から賭けに誘われたのだけど、久しぶりに賽を回したら腕が鈍っていたのに気づいてね。今練習中」
「腕って、まさかいかさまじゃないだろうな」
キャロルならやりかねない。さいころをかじると中から鉛が出てくるとか。
「まさか、そんなことする訳ないでしょう」すごく良心的な発言だった。
「するまでもなく手玉に取れるわよ。ちょろすぎてあくびが出そうだったわ」キャロルらしかった。
「さいころって運だろ?ちょろいもちょろくないもないぜ」「こつがあるのよ。慣れれば思い通りの目が出せるわ。教えてあげる」
「いや、いい」
丁重に断ったところでイーザーがきた。
「アキトー、俺もう疲れた、代わってくれ。……キャロル」今すぐ出て行きたそうなイーザーに、ふふんと冷笑する。
「ご心配なく、あたしの方から行くわよ。なにおびえているの、勇者様」じゅうたんに散らばったさいころを一手でかき集めて、からかうようにキャロルは外へ出る。もう怒ってはいないようだけど当分いじめるつもりなのだろう。
「イーザー、疲れたってなにをだ?」「みんながすごいすごいって言ってくれるけど、そんなことはない。俺は強くないし自分に満足していないのに、このままだと調子に乗りそうだ」
笑い飛ばそうと思ったけど、顔を見てかろうじてやめた。どうも本当に悩んでいるらしい。
「イーザーが謙遜するほど大したことでもないとは俺は思わないぞ。少なくとも勇敢だったし、いくらよれよれとはいえ竜と向かい合って生き残ったんだ。剣の腕だって初めて会った時と比べてすごく上がっていると思う」「初めて会った時のアキトは戦いに関してはど素人だったじゃないか。分からないだろ」
そうだけと今言うことか?キャロルと一緒になっていじめるぞ。
ひねながらも俺はイーザーの悩みがそれだけではないかもしれないと思った。ふと地竜の谷での洞窟のことを思い出す。あの時からもうイーザーはなにかを抱えていなかったか?
「なぁイーザー、お前」思い切って聞いてみようとしたとき、天幕のかけ布が開いた。
「イーザー様、いますか」ぎょっと見る。俺と同じぐらいの女の子が驚いたように一歩引いた。
「あの。イーザー様を呼んでほしいと言われました。宿営地の外れ、荷物用の天幕の前で待っている方です」「だれだ、その人」
警戒する。用があるなら自分から出向けばいいし、偉い人が用事で呼ぶのならそれなりの場所を指定するだろう。どちらでもない。
「名乗りませんでしたが、なんでも千年王国フォローからの使者で人目につきたくないそうです。とっても急いでいました」おずおずと布切れを差し出す。広げると幾何学的な紋章の刺繍がしてあった。
「アットのだ」「え、そうなのか?」
「間違いない、王家に連なるものとしてフォロー王家の正規紋を少し変更してある。アットが使っているものだ。急いでいるって?分かった、すぐ行く」
礼を言ってイーザーは剣をつかみ飛び出す。俺もスタッフ片手についていった。
「アット本人が?なんでここにいるんだ、すごく遠いはずだろう」「分からない。またなにかあったのか?城を追われて逃げてきたとか」
前科があるだけに笑えない。あちこちにたいまつが灯され学生や傭兵が話しこんでいるのを横目に急ぐ。やがて人も明かりもなく、寒々とした外気が貧弱な林を包むような外れでようやく足を止めた。だれかいるようには見えない。
「もっと先?」「いや、これで天幕は終わりだ。間違えたか?」
背後で小枝が折れる音がし、俺は飛び上がった。
「遅かったね」「アル!?」
角灯をかかげてもまだ低い、かかげているアルの背が低いからだ。ぼんやりした炎に照らされているのはイーザーやアットの旧友アル・グラッセだった。青く動きやすそうな服を着て、最後に見た時とまるで変わっていない。
「お前、どうしてここにいるんだ!フォローにいるはずだろっ」「急いだの。イーザー久しぶり。ちょっと見ないうちにずいぶん変わって。背も伸びた?」
「アルは伸びてないな。って、待て」
「天幕での話をこっそり聞いたよ。すごいね竜殺しなんて。夢がかなったね」
「いいから聞け、なんでアルがここにいるんだ、アットになにかあったのか?」
「大声出さないでよ、ちゃんと答えるから」
軽い態度だった。久しぶりだけど内面も全然変わっていないな。
「ここにはエアームの竜伝令できたの。フォロー王家とエアーム皇族は昔からおつき合いがあってね。交流に竜乗りを使って手紙やもののやり取りをしているんだって。乗せてもらって帝都まできた」さすが竜帝国というだけある。お使いにまで竜を使えるのか。
「で、帝都からは歩いてきた。時々風化を使って、かなり速くまでこれたよ」「風化?歩くのとどう関係があるんだ?」
「精霊術の風化のことを言っているの。火の巫女ギンコが自分を炎そのものに変えたでしょう、あれの風版。自分を大気に変えるの。うまく風に乗ればすごく速いけど、早すぎるとばらばらになって元に戻るの大変だし疲れるしで、あまりやりたくはないけどね」
「アル、お前それすごく難しいって言っていただろう。できたのか」
「できた。私は元々精霊術の能力はあったのだし、イーザーと同じようにそれなりの修行を積んだのだから」
「すごいな。もう巫女って名乗れるんじゃないか。精霊使いの限界を超えているぞ」
「どうだろう」
「待て」
友人の成長に感心するイーザーを押しのけて待ったをかける。
「どうしてギンコを知っているんだ?」バイザリムでの老巫女、俺たちを助けるために炎と化したギンコをアルが知っているはずがない。
「あっ、それ?」アルは屈託がなかった。
「イーザーの手紙に書いてあった。分かりやすいかなと思って使っただけ。私もギンコには会ったことがないよ」「手紙?」
「イーザーがアットくんに定期的に出していた報告書のこと。そうそう、それが原因で私きたんだった」
アルは呆れたようにイーザーに向き合った。
「なんだか最近すごいことに巻きこまれていない?一番最後の手紙を見てアットくん動揺していたよ。控えめに言って」「控えめじゃなくてありのままに表現すると?」
「半乱狂ってところかな。すごかったよ。ラディーンが取り押さえて、たまたまお城にいた私が本当かどうか確かめにきたの。それまでアットくんはイーザーの話を全部自分で管理して処理していたんだけどね。アットくんをベットに縛りつけてからラディーンと話し合って、とにかくこのままはよくないってことになった」
ラディーンラディーンって、自国の王様を呼び捨てていいのか?
「イーザー、手紙になにを書いたんだ」イーザーがアット向けに手紙を送っていたのは知っていた。アットと友だちなのはイーザーなんだし、一番自然だったから気にしていなかった。嫌な予感がしてイーザーにつめよる。
「なにを書いたって、全部だ」「全部?例えば雷竜神とかバイザリム炎上とかも?」
「ああ、書いた」
正直なのはいいことだけどあんまり率直過ぎるのはどうかと思うぞ。キャロルの苦労がちょっとだけ分かった。
「だめじゃんイーザー。嘘つきたくないのは分かるけどさ、ラディーンと2人で手紙全部読み返したけど、私まで倒れたくなったよ。正直すぎる」「アットは友だちだぞ、でたらめ言えるか」
「せめて手心加えようよ。あれじゃ直接的過ぎてかえって毒だぞ」
まったくだ。嘘をつかないのは長所だけど、嘘も方便と昔の人は言っていたぞ。
「ラディーンはこのことをすごく深刻に考えていてね。もし本当だったらイーザーたち寄せ集めの集団に任せておけない、各国と話し合って軍隊出して討伐しないといけないって言っていた。それでとにかく確認のために私がきたの。イーザー、あれは本当のこと?雷竜神とラスティアとの戦いに巻きこまれているのは真実なの?」「本当だ、手紙に嘘はない」
胸を張って言い切った。
「……イーザーのことだから本当だろうと思ったけど、やっぱりじかに聞くと違うね」さすがのアルもあまりの内容に、イーザーの性格をよく知りながらも聞くまで疑っていたらしい、頭を押さえてよろめいた。当たり前だろうな。いきなり神とか宿命の戦いなんて言葉が出て、すんなり話を信じる人は我ながらおかしいと思う。
「本当だったら王城に帰れってラディーンは言っていた。とにかく詳しく報告をして、それからはフォロー議会が行う」「待てアル。雷竜神はラスティアと戦うのは俺たちだけだといっていたぞ。大軍を引き連れるのはいらない犠牲を増やすだけで、俺たちだけで行けって伝えた」
「そんなの信じる訳がない。本当だとしたらすさまじい話だよ。暦が始まる前の神話みたい。そんなすごい戦いに、えっと、イーザーたち6人だけで任せるはずがないよ」
ごもっとも。正論すぎてなにも言えなかった。
「ラディーンはもし事実ならすぐ帰れって言っていたけど。イーザー、帰る気ある?」「ない」
言い切った。
「信じるのは癪だけど、雷竜神の話は納得できた。俺たちだけでいいようだ。今まで俺はさんざん巻きこまれて無用な血が流れたのを見てきた。クレイタ、レイド、バイザリム。腹が立つけどなアル、いらない戦いは起こしたくないんだ。俺たちだけですむならそれに越したことがない」「やっぱり」
苦笑いを浮かべる。ただでさえ童顔なのにさらに子どもっぽくなった。
「そう言うだろうと思ったよ」「分かりやすくて悪かったな。で、アル。ものは相談なんだけどこのことアットのお兄さんにごまかしてくれないか。普通に考えて信じないだろうし、そもそも信じちゃいけない立場だろうな。頼むアル、なんとかしてくれ」
「え〜」
アルは不満そうに口をとがらせた。
「面倒そう。ラディーンのことを知っているでしょう。頑固だし鋭いしで小手先のごまかしじゃ納得しないよ」「そこをなんとかしてくれ。ラスティアから倒してからちゃんと言うから。アルならできるだろう。でまかせなんて得意中の得意だ」
「ええっとね」
いたずらっ子のように目を光らせる。腰に手を当て俺たちを見上げた。
「まったく、イーザーってば」「悪いなアル。後でちゃんと礼はする」
「その手の面倒なこと、みんな私にやらせようとして」
「すまん」
「しょうがないなあ」
アルは跳ね上がり、俺は足を取られて転ぶ。角灯がはじけ、なにが起きたのか理解できない。気がつけば俺は仰向けに倒れていて、首筋に刃が押しつけられていた。
「力づくでも連れて行く」俺に覆いかぶさり、初めて見る笑いを浮かべてアルは宣言した。