三つ首白鳥亭

−カーリキリト−

灰の降る街で 4

「魔法使い?」
「魔法使いの決闘だ」

魔法使い? あたしは聞き逃さず、すかさず人だかりの中にもぐりこんだ。かき分けてやっと中心の2人が見える。

一人は銀髪の痩せた男、もう一人はくるみ色の髪をした女の人だった。男は今にもつかみかかりにうなり、女はうんざりと短く切った髪に手を当てる。

「レックス、分かっていないようだから何回も言うけど私は捕まる気も殺される気もない。私の力ならそれくらいなんてことない。レックスには荷が重い仕事だ。マドリームに帰れ。私相手だったらだれもレックスを責めない」
「そうはいかない」

レックスは歯をむき出しにして笑った。女はしょうがないとリングがはまった左手を差し出す。

「ラケル、お前の偉そうな顔も最後だ。俺はとっておきをもらったんだ。あんたの死体を出せば俺は出世できる、宮廷魔道士にだってなれる!」
「しがない神殿勤めのレックスが? 嘘を吹きこまれているよ」
「うるさい! 死ね、ラケル!」

レックスは懐から文様が描きこまれた精霊石を出した。くすぶるような紅色を見てラケルの顔色が変わる。

「しまえ! レックスには無理だ!」
「いつも見下しやがって!」

2人は同時に言葉を唱えた。レックスは石に眠る魂に目覚めよと呼びかけ、ラケルはおとなしく寝ていろとそれぞれの魔法の言葉で呼びかける。音韻発音、魔道の力はラケルの方がはるかに正確で強力だけど、レックスの半覚醒の石を押しとどめることはできない。

はじめはかすかに、徐々に強さを増して精霊石が輝いた。炎の舌が伸び空を覆っている灰をあおる。野次馬はようやく目の前で魔法合戦が行われているのを理解し逃げようとする。

あたしは動けなかった。

「レックス、よせ。こんなところで石憑きを呼び出したらどうなるか、それくらい分かっているだろう。とんでもないことになるぞ!」

レックスは顔を上げた。

「ラ、ケル」

炎は膨らんで、レックスの手を飲み腕を覆った。

「あ、熱い熱い熱い熱いうわあああ!」
「レックス、抑えろ!」
「助けてくれラケル! あ、うわあああ!」

恐怖で大きく口を開けながら、レックスは炎に飲みこまれる。肌がはじけて黒い墨となり、生きたまま火炎にくわれて灰除けの天幕がつられたように発火した。

「馬鹿っ!」

ラケルは一歩下がった。レックスがいたところには今は全身が炎に包まれた狼が牙を剥いていた。あたしと同じくらい大きい狼がうなると露天が燃え上がる。人々はだれも残っていない。

あたしは動けなかった。額から汗が落ちる。開けっ放しの口も目も乾いて痛い。火に煽られた布が肩に落ちた。

「ごめんなさい」

ごめんなさい、ごめんなさい。

ラケルは振り返った。「人ぉ!?」叫ぶ。

「君なにやっているの、逃げなさい!」

あんたさえいなければ。あんたさえ生まれなければ。

ごめんなさいお母さん。ごめんなさいだからたすけて。

狼は飛んだ、巨体に似合わない軽い身のこなしで。「君っ!」ラケルが言って炎でできた牙は迫って市場は燃えて崩れ落ちてあたしは動けないで。

「お、か、あ」
「ギリス!」

あたしは横からかっさらわれた。肌の表面を熱がなでる。通りが反転して地面に投げ出される。見上げた目に、シュウが刀を抜く姿が映った。

「……シュウ?」

あたしを助けた。なんで助けたの。危ないのに、とてもとても危ないのに。

「下がっていろ」

狼は太い前足で大地をつかむ。シュウは薄い刃を両手で構えて立ちはだかる。目が合った。

「君たち逃げなさい!」

無理。もう敵とみなされた。逃げようとした瞬間あたしたちに飛びかかってかみちぎる。「っ!」ラケルは両手で印を合わせ呪文を唱え始めた。シュウは微動しない。

飛びかかってきた。シュウは避ける。落ち着いていた。交差した瞬間狼の前足を切りつける。本物の炎を切っているかのように刃は素通りした。

狼は切りつけられたことが分かっていず、大きく口を開けて炎を吐き出す。吐息は巨大な炎となってあふれ出た。シュウはそんなことまでできるとは思っていなかったのだろう。まともに命中した。

「シュウ!」

心臓を冷たい手で握られたかと思った。でも炎がかき消えた後、シュウは大やけどどころかすすさえついていない。慌てて離れるも、シュウ自身にもなにがあったのか分からないらしく不思議そうだった。

「結界を張ったよ、少年!」

ラケルが叫んだ。

「これが強いのは火だけで、打撃の防御はしないからね!」

それだけ言って再び詠唱に集中する。あんなすごい吐息でも無傷ですんだのだからかなりの大技なんだろう。

「ギリス」

シュウは狼から視線を離さずあたしへ聞いた。

「切っても死なないのか。こいつは」
「ううん」

あたしは怪物が現れた時のことと、授業で習ったことを必死で思い出して結びつけた。確かこれは石憑き、精霊石に付与魔道で擬似的な意識を植えつける。意識は時間とともに膨れ上がって、やがて生き物のように振舞う。たいていは凶暴な意識を与えて敵に対して放つ。知性はないから味方にさえ襲いかかりかねないのが最大の欠点。

違う、シュウが知りたがっているのは殺し方であって作り方じゃない。今いる狼は炎の精霊席から作られた石憑きで、普通に切りかかったのじゃあ傷つけられない。火を切っても消えないのと一緒だ。

精霊石。

火は壊せなくても火の精霊石は壊せる。核は精霊石で怪物は付加されたおまけにすぎない。でも精霊石はどこにあるのだろう。狼の体内だ、それは分かっている。炎の中に隠された紅色の石なんて肉眼では探せないよ。

血走った目で辺りを見た。後ろに力なく横たわっている黒焦げの死体がある。あたしは哀れみや嫌悪よりも、手首を飾っているリングを見た。

魔道士が魔法を使うには媒体となるリングが必要。そしてあたしは自分のリングを持っていない。あたしは魔力探知の魔法を学校で習った。

この3点から導き出す結論にあたしは飛びついた。走ってレックスの死体へ駆け寄り、手首からリングを盗った。良心の咎めや死者への冒涜などといった感情は、目の前の危険には無力だ。

「ギリスっ」

あたしはリングをつかみ習った魔法の言葉を繰り返した。さんざん練習したから正確だと思うけど、実践したことがないから自信がない。

言葉が終ると視界が変化した。石憑きの狼とシュウ、ラケルに商店街といった風景が広がっている。その中で数か所が淡く光り輝いた。ラケルのリングにあたしが奪ったリング、そして石憑きの額。そこが精霊石だ!

「額! そこの精霊石を壊せば石憑きは消える」

シュウはあたしの言葉を丸々信じた。カタナを上段に構え真正面から狼へ走る。炎の吐息がくるのもまったく意にかけない。いくらラケルの障壁があると分かっていても、あたしの方が死ぬかと思った。

カタナは正確に精霊石を貫いた。精霊石は鉱物としての強度は最低に近い。あっけなく精霊石は砕け散った。石憑きも今までのが夢幻であるかのように消えた。

シュウはそれでも構えを解かなかったけど、ラケルが息を吐いたので、これで終わりだと分かった。