三つ首白鳥亭

−カーリキリト−

灰の降る街で 3

その日あたしとシュウは長々と議論をした。あたしはシュウの長めの髪を切りたくて、シュウは刃物を持った人間に近寄られるのを嫌がった。

あたしが髪を切りたがる理由は簡単、今の髪型が嫌だからだ。別に長髪が駄目なんじゃない。ただ、今のシュウは切らないから伸びたんであって、髪が目や顔を隠して見にくいし不清潔に見える。そしてあたしはシュウの髪は切った方が絶対似合うと思っている。

一方シュウの反論は一見正論のように見えるけど見当違いだった。

「あたしはやろうと思えばいつでもシュウを傷つけられたんだよ。寝こんでいた時に。そのとき安らかに寝ていて今嫌って言うのはどうなのよっ」

あれはどう見ても安らかではないし、あたしは傷つけたくってもできなかったのだろうけど無視した。細かいことだよ。

あたしは正しいし声も大きかった。シュウは粘ったけど最終的にはおとなしく散髪屋ギリスの手にかかることになった。

「初めから観念すれば時間の節約だったのに」

シーツを外衣のように服にかけて、あたしは小刀で髪を切る。シーツはシュウの提案だった。と言うより初めからそうしていて、あたしが疑問を口にすると逆に驚いていた。シュウの国では髪を切る時の一般的な風習のようだった。なるほど、そうすれば髪は服に入らない。

「そうだった、すっかり忘れていたよ。荷沢でさんざん体験したのに」
「シュウの国でもニサワって人は同じことしたんだ」
「同じじゃない。日本で髪が伸びたら床屋に行っていた。荷沢は仕切りたがり屋だったんだ」

そうだろうね。自分で自分の髪切るなんて難しいもの。シュウなんて切る前から諦めていて伸ばしっぱなしだし。

「あたしは自分の髪切るのうまいよ」

自慢した。あたしは鏡がなくても結構上手にこしらえる。もしいまいちでも数週間我慢すればいいのだし。

「自分で?」
「うん、自分で」

言ってから失言したのに気がついた。しまった、言わなくてもいいこと言っちゃった。シュウはあたしの発言に礼儀正しく無視をした。あたしも話を変える。口が軽いのどうにかしなきゃね。

「今日学校休みだから暇があるの。たまっているノートの整理しなきゃ。シュウはなにか予定ある?」
「ない」

予想していた。あったら驚くよ。

「なにもないならノートの整理手伝ってよ。最近復習ばっかりでたまっちゃっているの」

自分で言っておきながら、あたしは本気で期待していなかった。勉強は自分でやるものだよね。

「できない。俺は字が読めない」
「え?」

うっかり左横の髪を切りすぎた。

「そうだったの? あ、でも習っている訳ないよね。普通の人はできるからうっかりシュウもそうだと思っちゃった」
「その普通の人はどこで習っているんだ」
「水神殿。田舎だったら土神殿。昔偉い異界人が基礎教育は大切だって、一生かけてだれでも読み書きや計算を学ばせるようにした」

字が読めない人なんてシュウしかいないんじゃないかな。

「そうだシュウ、水神殿に行って字を習わない? 便利だよ」

我ながらいい提案だった。それなのにシュウは「やめておく」素っ気なく断る。

「どうして。字を読みたくないの?」
「そうじゃない。文字は読めた方がいいに決まっている」

やんわりと認めたものの、シュウは行かないだろうなと感じた。人間が嫌いなシュウを学校に行かせるなんてできないか。

「あたしが字を教えようか?」

言ってから後悔した。あたしだって自分の勉強があるのに、シュウのまで見るなんて。でも言っちゃったものは仕方がないし、急にあたしはその気になってきた。

「そうしよう、どう?」
「自分の勉強で忙しいだろう。俺に構っている暇はあるのか」
「うん、だから手を抜くよ。自分でその分がんばってね。大丈夫、話せるのだからすぐ書けるようになるよ。はい、髪終わり」

人の髪を切ったのは初めてだけど、全体的にかなりよくできた。切ってみて分かったけど、シュウの容貌は悪くなかった。背は高く身のこなしに無駄がない。いつもシュウを危険そうに見せる鋭い目も、今は短くなった髪を触って様子を確かめるのに忙しい。年相当、あたしと同年代の男の子がいる。いつもこうならいいのに。シーツを取って軽く払う。

どういう風に教えよう。あたしの頭は一杯になった。読み書きは十代の子どもでもできる。シュウに約束した「ここの常識」の範囲内だよね。シュウは自分の世界で学生やっていたくらいなんだから頭はいいはず、きっと覚える。さっそくあたしは練習用の木切れと白墨を持ち出した。

自分の勉強の前に少しだけのつもりだったけど、案の定シュウの覚えは速かった。文字に発音、基本的な名詞動詞、ついつい熱中して授業は続き、シュウが自分の名前を書けるようにまでなった。

「ここの言葉は、英語にも似ていないんだな」

小休止であたしが伸びをしていると、シュウが熱心に木切れを見つめながら言った。

「シュウの国の言葉?」
「いいや。母国語じゃない。世界の標準語」
「シュウは2つ使えるの」
「英語の方は片言だけどな」

あれ。でも確かシュウの世界って。

「シュウの世界は人間ばかりで妖精も獣人もいないのでしょう。それなのに複数言葉があるの」

あたしのさりげない質問にシュウは聞き返した。「民族ごとに別の言葉を使わないのか?」

「使わないよ。一部の獣人や妖精は自分たち専用の暗譜や言い回しを持っているけど。地下道の一族って言うねずみの獣人とか」

魔法具も確かに言葉だけど、普通に使うものじゃないし。こんな当たり前のことにシュウはすごく衝撃だったみたい。聞けばシュウの世界では百種類以上の言葉があって、みんなでばらばらに使っているみたいだ。

そんなところで人間は生活ができるの? あたしにとっては非常識だった。こんな風に違いがあるなんて、すごく面白い。


あたしの家は道側の一部にひびが入って空が見える。いつもは布でふさいでいるけど安物だから雨は吹きこむ灰は入るとろくなことはない。

朝起きるとひびの下にこんもり灰がうずくまっていた。

「また夜すごく降った」

うんざりしながら外に出る。予想通り道と屋根に火山灰が積もっていた。灰竜がねぐらにしている火山は景気よく街に灰を降り積もらせて住民の頭痛の種になっている。軽くてどこにでも入るし、雪のように溶けない。身体も服も汚れる。

シュウは見るの初めてかな。

あたしは驚くシュウを想像して楽しくなった。もう起きているかな。目を丸くするシュウに威張って説明することを思うとあたしは今すぐ見せたくなった。

あたしがたたき起こさなくてもシュウはもう起きていた。夜まで勉強しなくちゃ退学の危機さえあるあたしと違って、シュウは遅くまで起きている理由がない。

シュウの住んでいる家はあたしが住み着いている家より深刻みたいだった。足で灰を蹴っ飛ばして外へ出ようとしていた。

「なにしているの」
「雨漏りの後始末。夜のうちに降ってきて、起きたら山がいくつかできていた」

それで掃除か。でもシュウは灰をなめている。そんなやり方じゃあ部屋に灰を撒き散らすだけだ。

「待ってシュウ、灰ほうき貸すから」

学問通りで暮らす以上灰ほうきは必需品だ。必要最低最低限のものしかないあたしの家にも手製の灰ほうきを壁に立てかけてある。あたしはつかんで外に出た。

「はい、これ」
「ありがとう。グラウンドの土ならしみたいだな」

土ならしって農作業で使うあれのことかな。それよりかなり小さいけど、形は似ている。

「お礼は屋根の灰かきでね」

冗談のつもりで軽く言ったら「ああ」うなずかれた。あれ?

「いいの?」
「別にそれくらい」

いいのかな? 屋根によじ登って灰を掻き落とすのは結構重労働なんだけどな。

「それくらいする」

むしろあたしの方がなに言っているんだという風だった。かなり大雑把に部屋の灰をかき出すシュウを見て、あたしはよからぬたくらみを頭の中で練り始めた。


学校が休みの昼過ぎ、あたしは自分の巻物を戻して壁のひびから向こう家の様子を見た。かろうじて見えたシュウは奥で共通語覚書の木版を眺めていた。

よし、準備は万全、作戦開始だ。あたしは麻袋をかついで自分の家を出た。

「シュウ!」
「なんだ」
「買出し一緒に行って」
「えっ?」

顔を上げた。困惑している。

「食料品の買出し。市場へまとめて買いに行くんだけど重いんだ。荷物持ちして、シュウも半分食べるんだしさ」
「……分かった」

灰かきの時とは違い、明らかに気が進んでいないみたいだった。力仕事が嫌なんじゃない、人の中に行くのが怖いのだろう。

やめておけばよかった。早くもあたしは後悔した。緊張感がしぼむ。シュウがさっと立ち上がり、麻袋を代わりに持たなかったら「やっぱりやめた」と言ったところだ。

「市場はどこだ」
「え……? あっち」

相変わらず手につかんでいるカタナを見て、あたしはため息をつきたくなった。武器がなくても市場は安全だよ。

市場は時間が中途半端だったのにも限らず、それなりに騒がしくてにぎわっていた。学問通りの街は人口が多くないので、多いといってもたかが知れているけど。

あたしはみすぼらしい商人のところを回り、パンや野菜くずを山のように買いこんだ。安いのが一番、鮮度なんて後回し。それなのにあたしは今までおなかを壊したことはない。頑丈な自分に感謝。

シュウは見かけは全く平気だった。急にどこにもいないかのように周囲に溶けこみ、存在感がまったくなくなった。一言もしゃべらずに大量の食料をかつぐ。人ごみの中にいるのは苦痛じゃないのかな。

とはいえシュウの視線をふさぐほどの大量の荷物になってくると、腕力に感心しているだけの自分がすごい薄情もののような気がしてきた。後はもう少しだし、一回帰ろう。

そう思ったらシュウの方で「俺が先に帰ればいいだけだろ」反対された。

「重そうだよ」
「これくらい持てる」

本当にシュウは重くなさそうだった。

「じゃあお願いしようかな」
「ああ」

平気で、表面にしわが寄った果実の袋をあたしの手から取り上げて、シュウはあたしに背を向けた。

いらないお世話だったかな。あたしは背中を見つめていた。

買い物に誘ったのは荷物持ちがほしかったからだけど、でもシュウの人嫌いをなんとかしたかったからというのもあった。シュウを一般人ぽく見せかけるために、勉強はもちろんだけどやっぱり人との関わりも大切だと思う。少なくともあたしが街に住み、森に住む隠者の生活を知らない以上、あたしが教えることだと思った。でも

背中が遠くなっていくのを見続ける。急に苦しくなった。なんでだろう。おいていかないでの声がのど元までせりあがる。

あたし、馬鹿みたい。なんでこんなことを思うんだろう。

「買い物しなきゃ」

あたしはシュウから目を離す。雑踏へ意識を向けてあたしは歩き出した。