シュウはあたしを信用しなかった。
それでもあたしについてくる気になったのは切実に今日の寝床と明日以降の知識が欲しかったのだろう。
いざとなれば唯一価値のある持ち物の剣にものを言わせる気なのかも。実際シュウの腕はすごいのだろう。見たことのない技法で剣を操り簡単に殺してしまえる。あたしなんて2秒で片が付きそう。
負けるものか。あたしは気を強く持った。殺されるためにあたしはシュウを案内しているんじゃない。この男は人を殺すけど、むやみやたらに襲いかかる殺人鬼ではない。大丈夫、あたしを殺す理由はない。
「魔道とは、言葉が持つ力を使って様々なことをする術。中には魔法でないととても実現できないこともある」シュウがどこまで分かっているのか見当もつかないので、最初から説明する。
「魔道の範囲は膨大なので魔道系統や効果によって細かく分けられている。魔道士はその中から自分の専門を選ぶ。召喚魔道は新しい魔道。ここではない世界や生物を研究する異界研究から派生した。やることは異界研究の他に人をここへ呼び寄せること、自分がよそに行き来すること。でもその2つができる人間は滅多にいない。いたとしても絶対確実というのはない」
ここにシュウがいる以上、1つができる人は近くにいると思うけど、どう探せばいいのかが分からない。
「詳しいな」シュウはあたしを賞賛しているのではなさそうだった。疑惑がにじみ出ている。
「あたしだって魔道士だもの。勉強中だけど」まだ魔法の媒体であるリングも渡されていない見習いだけど、それでも魔道士であることに変わりがない。
「この街は学園通り。大きな水神殿があって、そこでなんでも教われる。あたしも通っている。学園通りはエアーム竜帝国領だけど、商人と神殿で自治しているようなもの。北はアドマンド公国、西にはマドリーム荒野国、南は水門国家レイド。街は火山のせいで学校と研究所しかない」街の説明は大体すんだし、あたしの家まで着いたので中止した。
「この辺はみんな空き家なの。だれも住んでいない。だから好きなように使って大丈夫」昔大きな事故があって、それ以来だれも住んでいないらしい。あたしは学問通りに着いた時、転がりこむようにここに住みついた。今の所、あたし以外のもの好きはいない。
あたしはようやく直視しないでいた問題に気がついた。虚ろに周囲を観察しているシュウを置いて家に入り台所に向かう。部屋の隅に大切につつんでいるパンを取りだした。
あたしだってお腹は空いているしいつだって食料は困っている。でもシュウを置いてあたしだけひとり食べるわけにもいかない。しぶしぶ自分の分を減らすことにした。半分に割って小さい方を持って外に出る。
「食べる?」なるべくにこやかに言ったつもりだったけど、やっぱりあたしの顔は引きつっていた。でもあたしの不快さをシュウに気づかれることはなかった。ひったくられるように手からパンが奪われる。シュウはその場でうずくまりかぶりつく。固いのに大きく噛み千切り、ろくにかまずに飲み込む。当然喉に詰まらせてむせるけど、せきこみながらまた噛みつく。だれにも取られないようにしっかりつかんでむさぼる。灰混じりの安くて固いパンなのに。
食べながら嗚咽が聞こえた。見開いた目に涙が浮かんでパンに落とす。あたしは思わずもう片方のパンも差し出して、自分の家に逃げこんだ。
いたたまれなかった。
家の中でじっと耳をふさいでいた、ふさぎながら気配を感じようと神経を澄ませていた。やがてシュウはあたしの家正面の空き家に入ってそれきりになった。
今日の夜は屋根のあるところで過ごす気らしい。あたしも息を詰めるのをやめて寝ることにした。
翌朝、朝日が昇る前に飛び起きて向かいの家をのぞいた。灰と瓦礫が分厚く積もった家は寒々しくて暗い。一部屋しかない家の出入り口近くでシュウは壁によりかかっていた。あたしの足音で目がさめたのだろうか、それとも元々寝ていなかったのだろうか。こっそりのぞいたはずだったのに、真っ先に見えたのは抜刀してあたしに向かう刃だった。怖くなってあたしは逃げた。逃げかけて足を止める。刃は追ってこない。
「あ…… お、おはよう。あたしよ、ギリス。昨日会った。覚えているよねもちろん」答えはなかった。あたしを確認してシュウは再び壁に寄りかかって座る。
この時自分が臆して逃げなかったことを誇りに思った。
「食べ物、買ってくる。シュウもお腹が空いたでしょう。ちょっと待っていて」あたしの言っていることをちゃんと聞いたかどうかも確認せずに、返す足で財布をつかむと市場へ走った。もう雨はやんでいる。足元にいくつもの灰混じりの水たまりができていた。
ちょっとの言葉どおり、大して時間をかけずにあたしは帰った。パンとチーズの塊を1つづつに瓜を2つ。今度こそはあたしもご飯を食べたい。
自宅でチーズと瓜を切り分けて、水差しから水をくんで鍋に移してかまどに火を入れた。そこまでしてようやく食料をシュウに持っていく。
シュウは昨日ほどがっついていない。あたしから目を離さずに受けとる。
「シュウはどれくらいここにいるの?」瓜は筋が多くそう瑞々しくもなかったけど、ほんのり甘い。あたしには十分だった。
「きたのは文化祭の2日目だから秋だ。1年もたっていない」よかった、ちゃんと言葉で返事をしてくれた。多少なまりはあるけど普通だ。剣は手放さないけど、会話の滑り出しとしては順調。
「文化祭ってなに?」「高校の行事」
「高校って?」
「俺のいたところで、15歳から18歳までが通う学校」
「シュウは学生だったんだ」
学校に通えるなんて向こうの世界でのシュウはお金持ちだったのかな。今ではとてもそうは見えないけど。
「なにを勉強していたの」「普通のことを」
「普通って?」
シュウの世界についてなにも分からない以上、普通なんて言われてもよく分からない。普通を勉強ってどういう意味なの?
「現国に数学、英語に科学に政経」もちろんあたしに理解はできない。
あたしが次に言う前に、瓜を全部食べたシュウは壁にもたれかかった。ぼんやりしている。なんだか目が潤んでいた。
「シュウ?」呆けているような表情を見てあたしは悪い予感を覚えた。
「ねぇ」手を差し伸べる。危なくなったら逃げようとしていたのに、あっさり手首をつかまれた。力は強い。
「なんだ」あたしの目的はもう叶った。
「熱がある!」それもかなり高い。きっと風邪だ、そうでなければそれより悪い病気だ。
「大丈夫? すごく高いよ。どうして言わなかったの!」「どういうつもりだ?」
熱に浮かされているくせに恐ろしい眼光であたしを貫く。いきなり戦場に投げ出された気になって、あたしは逃げたくなった。
「ギリスも貧しい暮らしなのに、どうして俺に構うんだ」嫌な質問だ。
なにが嫌って、そんなことあたしにも答えられないもの。あたしは自分の行動理由が自分でも分からない。シュウは明確な答えをもらうまでこの目をやめないだろう。
「だって、君の持つ異界の知識が欲しいからだよ」あたしは保身に走った。問題の本質から逃げて、シュウが聞きたがる、信じたがるようなことを言った。
「ここではないところについての知識は魔道士にとってすごく貴重だもん。あたしみたいな見習いにとってどれだけ勉強になるか分からない。だから教わりたいんだ」「そうか」
シュウの目から力が抜けた。自分をあざ笑っているような皮肉っぽい表情を作る。満足したみたいにあたしの手首を放した。
今のシュウに、あたしの本当の動機を言っても信じないだろう。だから信じやすい理由を作ってだました。単純な利害の問題ならいいと思ったし、嘘をでっち上げたのでもないから信じやすい。
捕まれた手首には赤く跡が残っていた。あたしに背を向けるシュウの気持ちが、自分でも意外なほど分かる気がする。哀れみの気持ちと共にあたしはシュウを許した。
安心したせいなのか、シュウはそれきり沈黙した。声をかけても返事をしない。
寝てはいない。意識を失ってもいない。剣をしっかりつかんで、熱に浮かされた焦点の合わない目で同じ部屋にいるあたしを見つめる。少しでも怪しい動きをしたら切りかからんばかりだった。
「寝ないの。病気なのに」恐怖と、そして純粋な疑問からあたしは口を開く。
理由は教えてくれなかった。しょうがないから自分で推理する。
「あたしは寝首をかかない」きっとシュウは、あたしが敵になると思っている。
「自警団を呼ぶくらいなら今すぐ呼んでる。いいや、とっくに呼んでいる。そもそも傷つけようと思っているのなら、雨の中行かなかったよ」無駄だった。身じろぎひとつしない。敵意に耐えきれずあたしは家を出て行った。
シュウは友人としては仲良くなれそうにないけど、病人としては優等生だった。黙っている。たまにうめいたり、熱に浮かされたり以外はおとなしくしていた。静かすぎて黙って死なないのかと、あたしは家をのぞきこんでは呼吸を確認した。シュウは死ななかったけど、絶対にあたしの前で寝なかった。どれだけ足音を立てずに近寄っても、あたしの呼吸や気配を感じとったのかあたしの前で目を閉じない。
病気に対してどうしていいのか分からない。あたしは今までずっと健康体で、風邪さえも滅多にひかない。自分の頑丈さが今度ばかりは恨めしい。どうしていいのか分からないもの。とにかくよれよれの毛布をかけて様子を見た。医者を呼んだり薬を買うお金なんてあたしにはない。
シュウが起き上がったのは3日後だった。自力で治したようなものだった。シュウもあたしに負けず劣らず頑丈な性質なのだろう。
3日間と、加えて調子が戻った2日でシュウの性格を大体把握した。つまり、冷静で意志が強く、重度の人間不信。けして剣―― カタナという、シュウの国独自に発展した武器だそうだ―― を絶対に手放さず、ごくまれにだれかが通りかかるたびに身体をこわばらせ、いつでも切りかかれるように手が動いていた。まるでこの世界全ての人間が敵で、少しでも油断したら殺されると信じているかのように。あたしに対しても例外じゃない。寝ず、油断をせず、あたしの次の行動を鋭く観察している。
異様な警戒心は元からか、それともここにきてからなのか。あたしは気になって遠まわしに色々聞いてみた。シュウはこの前ついた嘘をまともに信じていて、向こうのことについてはぽつぽつ話した。でもこっちにきてからのことはとたんに口が重くなる。しょうがないので足りないところは自分の空想で補う。
シュウが元いた国、ニホンは平和で安定していたそうだ。シュウもその恩恵を十分受けて育った。武術も発展して、シュウは祖父から剣術を学んだ。実用に使う機会は全くなかったらしい。
シュウがきた時、どこの国かはあたしにも分からなかった。シュウの言う「ヨーロッパのような国」だけではそれがどこなのか見当もつかない。レイドかマドリームかアドマンドか。エアームではないと思う。山を越えられない。
そこから追い回されて、学問通りへたどり着いた。服装も全然違うし、言葉も常識さえも通じない。特に言葉は今の世人間種なら当たり前のように使える共通語さえ分からない。それじゃ不気味だ、おかしいと思われる。シュウは迷信深い人々から逃げ、唯一の価値ある持ち物カタナを狙う人々から逃げた。逃げながら死に物狂いで言葉を覚え常識を身につけ、服を目立たないものに変えた。どのような手段で生きてきたのかは言わなかったしあたしも聞かなかった。要するに、そこで剣の腕を磨きに磨いたというのだろう。
一方でシュウもあたしがどんな人間でどんな生活をしていたのかを理解したみたいだ。きっとあたしが思っている以上に。
あたしは学問通りの水神殿学校に通う生徒。分野は魔法で生活は貧乏。火を灯すのもけちって、ご飯をお腹いっぱい食べるなんて考えられず、いつも手垢のついている魔道書を繰り返し読んでは勉強をしている。勉強に忙しくて働く時間がない。だから貧しい。
この世には本があれば3食も忘れる類の人もいるけど、あたしはそうじゃない。勉強するのは嫌じゃないけど、他に楽しいことは探せばあるだろうし、ご飯の方がよっほどいい。それなのに血肉を削って魔法に挑むのには目的があるからだ。
だって将来お金になるのだもの。財産は使えばなくなるけど知識はどこまでもついてくる。神殿にも王宮にも努められるし仕事には困らない。有望だった。
それだけという訳でもない。他にも理由はあるけれども、それはこっちの話ということで。
「魔道はね、言葉が一番大切なの」あたしはシュウの前で授業開始した。シュウの欲しがっている知識の中に魔法が含まれているのかは微妙だけど、ただでさえ軽いあたしの口は専門分野を与えられてますますなめらかになる。
「魔法の言葉を正確に詠唱することによって魔道は力を発揮する。傷を治したりただの石ころに擬似的な命を吹きこんだりできる。強力だけど決まった言葉によって決まったことしかできないからちょっと不便かもね。正しく言えないのに難しい魔法を使おうとすると反動、しっぺ返しがきて自分が痛い目に会うし、魔道の力を集中させて焦点をあわせるシンボルがないと使えないし、色々難しいね」「シンボルって」
シュウが聞いたのは知りたいからではなく、半分礼儀半分義務だった。
「魔法を使うために必要な小道具のこと。杖とか短剣とか装飾品とか。普通の方法では作れない。今の流行は手首飾りのリングだよ」もちろんあたしは持っていない。まだ半人前の生徒だしね。
あたしがリングなしなのは分かっていたのか、シュウには訊ねられなかった。なんだ、がっかり。
夜、シュウはカタナを見つめる。
珍しく晴れた夜だった。窓から差しこむ月明かりがカタナに反射して、横顔をほんの少し写す。
壁にもたれかかって、無防備で虚ろな表情で。構えるでもなくもて遊びでさえなしに。ただ持って眺めている。
声が出ない。なにをやっているのか分かった途端、頭の一部が凍りついた。
あたしは無意識に声を出していたのだろうか。「なんだ」いつもと変わりのない落ち着いた言葉だった。顔さえ見ていなければ、あたしはなにもなかったと思いこんで帰っただろう。
「おかしなことは考えていない。ぼんやりしているだけだ」先回りされてしまった。なにを言っているの、今すぐ喉を突きそうな顔のくせに。ちょっとでも考えればすぐ分かる、今までシュウには死ぬ機会はたくさんあったのに生きていた。カタナを握り人を怖がって、それでもしぶとく自分の生命にすがっている。シュウに死ぬ気は全くない。
ないのだろうけど。
「やめてよ」食いしばる歯の間から漏れた空気はかろうじて言葉だった。言葉を操る魔道士修行の賜物だった。
「ひとりでカタナを眺めないで」壁に書かれた助けての文字。ずっとひとりでいたシュウ。
ああもう、思い出すのはそんなことばかりだ。シュウの目が焦点を結び、やっとあたしを見る。
「あたし、見たくない」なにを? さぁ、あたしに聞かれても分からない。
こっそりシュウは気づいていたけど、あたしは理性より衝動に従って行動する人間だった。