三つ首白鳥亭

−カーリキリト−

灰の降る街で 1

街は知識通りと呼ばれていた。

城のように巨大な水神殿を軸に、北南に伸びる大通りだけで街の機能は十分果せる。水竜神は知識を司り、ここの水神殿は知識の探求に異様なまでの意欲を注いでいる。神殿に通う神官と研究者と学生。彼らを支える商人。街はそれだけで成立ち、人口のほぼ全ては通りだけで完結していた。

街は火山のふもとにある。アム火山から吹き出る灰で空はいつも白く街には灰が降っていた。だから知識通りの住民はよけいに狭く暮らしたがった。日々の掃除の手間がいらないもん。

あたしはギリス・ブロシア。あたしは外側、昔火山が噴火する前街だった地域、今は人影もまばらな区間に住んでいる。


街は早くから暗くなる。灰のせいで知識通りに太陽は届きにくい。基礎魔法言語の授業の後はいつもよりさらに悪かった。雨が降りそう。灰を含んだ雨に当たると髪も服も汚れるしとっても落ちにくい。あたしは水神殿から走って帰った。

水神殿から家までの最短道はまともな住民なら近寄りもしない。定住者はほぼいないし歩いているのは家なしか盗人だけ。掃除はろくにされていないから道の両端はうず高く火山灰が積もっている。壁は芝居がかって無学な落書きでびっしりだった。

あたしは怖がらない。だってまともな街の人から見ればあたしだってごろつきだから。あたしは通行人から物を盗んだり脅したりはしたことがないけど、それは運良くまとまったお金があるから。なかったらきっと同じことをしていただろうな。住む所は通り外れの見捨てられた集合住宅に勝手にいるだけ、親も保護者もここにはいない。

雨と競争、一面のらくがきを横目にあたしは行く。この辺は嫌いじゃない。危険だけどなんたって自分が住んでいるんだし、注意深く行動すれば大半の問題は避けられる。むしろ慣れればいいところだ。静かで神殿に近い。乱暴で口汚い落書きを見るだけで安らぐくらい。実を言えば落書きをしたこともある。転がっている染料を使って、いかにもそれっぽく大きくてけばけばしい一言を。後で恥ずかしくなったけど。

小道にいるのが自分だけでないのに気づいた。少し先、売れも使えもしない粗大ごみが投げこまれて山になっている突き当りで人がもめている。とっさに隠れて様子をうかがった。巻きこまれたくない。

「見かけない顔だな」
「どこのものだ」

男が4人、全員若い。見るに他3人がひとりにちょっかい出している。

「お前たちには関係がない」
「アドマンドやマドリームの連中が流れこんでくるからな。俺たちの縄張りで勝手なことさせるかよ」

前半に関しては男が正しい。ここはエアーム帝国領だけど国土の端の上、アムの山脈でさえぎられているのでエアームの目が届きにくい。昔から商人と神官が話し合って街を治めている。街の規模としてとても小さいからなんとかやっていけるみたいだ。

「見ろよ、細い剣だな」

ひとりの方の男が帯刀しているのはあたしも気づいていた、確かに細い剣だった。3人の方は棍棒に手斧に長剣にといかにも重くて強そうな武器なのに、その剣ときたらあたしでも振り回せそうだった。

「なんだよ、ただの飾りか? いいとこのお坊ちゃん気取りか?」
「試してみるか?」

ひらめくように剣が抜かれた。黒鉄の片刃で白い刀身は普通の剣とは全く違う。盗賊の刃物よりも鋭く、切れないものはこの世にないのじゃないかと思うような輝きだった。性格に男の鼻先で先端が止まる。

「ひぃぃ!」
「失せろ」

男は慌てて下がった。腰が引けている。頃あいだとあたしは判断した。刃物が出た以上血なまぐさいことになる。もういい。戻って別の道を通ろう。

「……へ、へへっ」
「おい、あれ出せよ」

男たちは逃げなかった。やけに自信ありげに懐から鉄の塊を取り出す。早く逃げ出した方がいいのに。

「見ろ、これは銃ってな」

男はそれ以上喋らなかった。ちょっと足を止めたのがあたしの間違い。囲まれている男に一瞬凶暴さがひらめき、細い刃が鉄を持っている男の喉を貫いた。ためらいなく人を殺した。あたしは全身凍りついたように動けなくなった。けんかも暴力も日常茶飯事だけど、人殺しなんて、しかもこんなになにげなく。

「拳銃」

血が吹き出て男の顔と服をまだらに染める。喉から水がつまった音がして、切られた方はあっけなく絶命した。

「引き金を引くと弾が出る道具。どこから盗んだんだ。教えてやる、5,6回使ったらもう弾は出ない。ただのごみだ」
「あ、あ」
「助けてくれ!」

髪から血をしたたり落とす男の解説を聞いていたのはあたしだけだった。運良く生き残った2人は我先にと逃げだす。途中あたしとすれ違ったけど、きっと見えていなかった。

彼らの姿が見えなくなると男は剣の血と脂を死体の服でぬぐい、しゃがんで死体の懐やポケットを探った。

死体漁りも別に初めてじゃないのだろう。男はわずかな金を盗むと死体の首をつかんでひきずった。ごみの山、視界の影に蹴りいれて死体を隠す。血の跡も引きずった跡もあるのに、ちょっと端に寄せただけで満足らしい。

あたしはじっと見つめていた。人殺しに驚いたんじゃない。確かにちょっとびっくりしたけど、あたしが動かないのはれっきとした理由があった。

「だれだ」

いつから気づかれていたのだろう。抜き身の刃を手にしたまま独り言のように誰何する。あたしは震えそうになる。身体をそらすと、決心して前に出て向き合った。

男は拍子抜けしたようにあたしを見た。きっとあたしが強そうには見えない女だからだろう。男は逃げるでもなく口封じのために切りかかりもしなかった。

「逃げないのか」

意外そうに問われる。そうか、立ち向かっているあたしも相当珍しいか。でもあたしにはどうしても聞きたいことがあった。

「君は魔道士なの?」

さっき男が語った銃の知識は講義で聞いたことがあった。高位の異世界技術をなんで知っているの。一般人の理解が及ぶものじゃないよ。このごろつきは昔うんと高度な学問を収めたのだろう。

それなのに今ここにいる。あたしは落ちぶれた姿が我慢できなかった。どんなに苦労して勉強しても、果てがこれじゃあ意味がない!

「魔道士じゃあない」
「嘘だ、だったらどうして銃について知っているのさ」

男の目が遠くを見るように虚ろになった。

「昔、俺が暮らしていたところにはよくあるものだったから」

壁に倒れかかるように座りこんだ。

「ここじゃ違うみたいだな」

あたしはもうひとつの、もっと恐ろしい可能性に思いあたった。

「君は魔法をかけられた方なの。元は外の世界にいた」

だったら分かりやすい。銃の知識は男の世界ではだれでも知っているものなのだろう。でも、それならやっぱり変。だれがこの人を呼んだの。世界を超えて人を呼ぶなんてすごい労力がかかる。そのままさまよわせるなんて考えられない。魔道士の元から逃げてきたのかな。

質問をするあたしへ、男は顔を見上げた。

「魔法をかけられた? なにを言っているのか分からない」
「……どうして知らないの!」

思わず叫んだ。もしかしてこの人はカーリキリトのことも魔法のことも知らないの?

「きっと君は召喚系列の魔道士に、異なる世界から呼び出されたんだよ! 初めてここにきたとき近くにいた人が召喚士、その人が君を呼んだ人だよ!」
「だれもいなかった」

男は目を閉じた。

「電車の中からいきなり街中へ転がり落ちた。追われたが、その中に魔道士はいなかった」

男のいうことは全て魔道の常識から外れている。

「本当?」
「本当だよ、なんで聞くんだ」

なんでって。あたしはとまどった。だって水神殿で習ったことと全然違う。

男がここにいる意味が分かったらきっと大手柄だろう。貴重な異界知識があたしのものになる。

はたと気づいた。でもこの男は人殺しの泥棒だ。なにげなく人を殺して当たり前のように盗む。今更だけど怖くなった。この男はあたしをあっけなく殺すのだろうな。

「あ」

冷たいものが髪に降れた。雨だ、とうとう降ってきた。急いで帰らないと。

「あたし、もう行かないと。さよなら」

男がいてくれと言ったわけじゃないけど、言い訳をして帰ろうとした。男は黙って動かない。

……あ、その場所。やだな、君そこに座り続けるの。今まで気づかなかったあたしもあたしだけど。そこは嫌なところなんだよ。どいてよ。

走り去るあたしの心の声は、もちろん男には届かなかった。


夜になって雨は本格的に降り始めた。

もともといつもくもり空の学問通りだけど、こう雨が降るとなにも見えなくなる。夜になったらなおさらだ。かろうじて字が読めるくらいの明かりの中、あたしは魔道書と向き合っていた。

ふとあたしは自分が読んでいないのに気がついた。さっきから本の字を追っているだけ。油がもったいないと身についた貧乏根性がささやく。あたしは本を閉じて明かりを消した。

真っ暗の部屋に目が慣れるまであたしは動かなかった。どうせ歩き回ってもつまづけるほどものはない。

机と椅子、そして数冊の魔道書。部屋の反対側は水回りで炊事道具とわずかながらの食料が転がっている。服は今着ているのを含めて2種類しか持っていないし娯楽品の類は全くない。

なにもない部屋の中でじっとしているとさっきの男を思い出す。

人殺しの浮浪者、薄汚い泥棒。それなのにあたしは気になってしょうがなかった。なんでかあたしにも分からない。

歩く異世界参考書、珍しい知識に目がくらんでいるのか。本当は大切に扱われるはずの人間が放置されたのに驚いているのか。みすぼらしさを哀れんでいるのか。頭に浮かぶ答えらしきことをひとつひとつ検証してみたけど、どれも違う気がする。

考えごとは霧散して、いつの間にかただ雨音を聞いているだけになった。雨は好き。ひとりでいてもちっとも不自然じゃあないから。

「あ、そうだ」

あたしは思い出した。しばらく前から治安のため、自衛団が巡回しているんだった。

もしあの男が見つかったら、よくてここから追い出される。悪ければ死体が見つかって問い正される。ごろつきの価値なんて高くないけど、それでも殺人の罪は重い。処刑される。

あたしは外に飛び出た。灰混じりの雨に打たれ、冷たさに正気に戻る。

あたしってば。そんなことしてもあたしに得はない。雨具もないのだし風邪でも引いたら大変だ。薬も看病してくれる人もいない。浮浪者のためにそこまでしなくても。

でも風邪と処刑、どっちがましかなんて決まりきっている。あたしはなにかするわけでもない。ちょっと行って、男がまだいるようなら一言言ってあげるだけだ。そのくらいなんでもない。

……うん、行こう。

半分壊れた角灯をかかげ、あたしはあばら家を飛び出した。灰と水が混ざって地面におかしな模様を作っている。転ばないようにゆっくり行こうとしていたけど、雨に打たれて気が変わった。小走りで進む。

もしあの男がいなかったらどうしよう。当たり前の疑問が今更ながらに浮かぶ。雨なんだし、いつまでいると思っている方が間違いだ。もしいなかったら。すぐに帰ってこんな馬鹿みたいなことをやめる。それだけ。

男はまだいた。自分が信じられずによく見る。男は壁に寄りかかり、雨に打たれるままだった。角灯を見て警戒した面持ちで顔を上げる。険しい表情はどこか力がなく弱々しい。

「君、まだいたの」
「なんの用だ」

あたしが人手を連れて襲いかかるとでも思っているのか、あたしの背中へ目をこらしている。

「この辺は自警団が見にくるの。離れていた方がいいって言いにきた」
「……それはまた、ご親切に」

皮肉っぽく笑う。あたしはその顔で、男はさりげない好意や人から優しくされることを諦めているのを知った。あたしの言ったことに裏があると思っている。長居すると困るから追いはらおうと思われている。

隠そうともしない冷ややかな態度に、あたしはとうとう決心した。

「でも気が変わった」

ええい、全部そんなところにいる君が悪い!

「君、一緒にきて。あたしは雨露しのげる場所も、異界人が知った方がいいことも知っている」

男は呆気に取られた。剣から手を離さずに、用心深い目であたしを見る。

「なんでいきなりそんなことを言い出すんだ」
「だって君、そこにいる」

あたしは男の背中を指した。いぶかしげに男は見上げる。

けばけばしい落書きは雨でも落ちずにへばりついている。

その中のひとつ、壁に大きく書かれた文字。

『助けて』

それはかつてあたしが書いた。男はずっとその下に座っていた。


「あたしはギリス・ブロシア。君の名前はなんていうの」
「……修」

冷たい雨の夜だった。