三つ首白鳥亭

−カーリキリト−

古都ミリザム

叫びは雑踏の中でもはっきり響さんに聞こえたらしい。はっと俺を見る。鋭く俺を責める瞳に動けなくなった。

「アキト?」

ブロッサムが俺の肩をつかんで乱暴にゆする。響さんは俺から視線を外すと立ち去った。フォールストが響さんへ気安く声をかけるのがこの距離なのにはっきり聞こえる。フォールストの引き止めを無視して立ち去った。

「ねっ、アキト、どうしたって言うのさ!」

ブロッサムのいら立つ声に、俺は反応できなかった。


俺の部屋に戻るとザリはお茶を出して俺から話を聞きだした。事情を把握するとジェズモさんにお願いしてみんなを呼んだ。至れり尽くせりだったが、かいがいしさに感謝するほどの余裕が俺にはなかった。代わりに聞く。

「なんでザリは先輩と一緒だったんだ」
「えっ?」

ザリは手を止めて少し考えた。

「彼がアキトの知人だなんて知らなかったの。初めは楽師さんと男の子が話していてね、足を止めたら向こうから声をかけてきた。ほとんどフォールストがしゃべって、わたしとヒビキが聞いていたわ」
「なにを話していたんだ」
「大した話じゃなかった。わたしが通りかかった時には王城に招かれた話をしていたわ」

ザリは俺の顔をのぞきこんだ。表情が固い。

「なにが言いたいの」
「別に」
「わたしがヒビキと、ひいてはラスティアと手を組んでいると思っているの」
「仲良くしゃべっていた」
「アキトは、わたしが裏切ると思っているのね!」
「疑われても当然だろ」
「……そうね」

立ち上がって目をそらす。

「わたしは新参者だし、信用されていないしね」

ザリは明らかに気分を害したが、手は止めなかった。

八つ当たりだ。俺は自分がみじめになった。どうしてザリに当たるんだろう。気分が晴れる訳でもないのに。

その一方で俺は絶対に正しかった。ザリとフォールストが響さんと話していた。とっくになくしていたはずのザリへの疑念がよみがえり、ふくれあがって俺をつぶそうとする。フォールストへの疑いも生まれた。

ザリやフォールストがラスティア側の人間だなんて思えるか? ザリには何回も助けられたしフォールストは偶然あちこちで知り合い支えあっては別れた。よく知っている横顔が見たことのない表情になった気がした。

「アキト、どうしたっ!」

イーザーが駆けこんできた。後ろのキャロルも固い顔をしている。ミサスはと聞くと。「すぐくる」

「わたし、席を外そうか?」

ザリが冷ややかに言う。

「はっ? なんで」

イーザーが怪訝そうに聞く。今きたイーザーには分からないだろうな。

「いいや」俺は首を振った。
「ザリもいてくれ。今街でいくつかあったんだ」

途中にミサスもきた。俺は全部説明する。

「ヒビキが」イーザーは絶句する。
「ここにいたのか」
「あたしたちはマドリームにかなり長く滞在している。そのすきに追いつかれてもおかしくない」
「まぁな」

意味ありげな視線をキャロルに送って口元を引き締める。

「アキトしっかりしろ。ヒビキがここにいるってことは、ラスティアの手が入っていること確定なんだ」
「ギンコもね」

キャロルはのんびり椅子に腰かけ勝手にお茶をすする。

「アキトの読みは合っていると思う。ギンコがこの件にからんでいる。ブロッサムを使いあたしたちのことを調べている」

キャロルは足爪で軽く床をひっかいた。

「そんなのギンコでなくてもできるわよね。城の下働きひとりたらしこめばすむわ。諜報活動なんておまけよ、もっとすごいことを任されていると考えるべきね」
「ブロッサムは?」

俺は頭を振った。重い。

「ブロッサムもラスティアの仲間なのか」
「イーザー、ブロッサムはラスティアに手を貸す?」
「ありえない」

断言した。してからちょっと言いすぎたと口をすぼめる。

「知らず知らずに、とかまでは分からないぞ。でもブロッサムはラスティアを手伝うような人間じゃない。間違ったことを必要だからしろと言っても受けつけない。逆に言った人物を殴るな」
「その、指示をした人間がギンコだったら? ずいぶん尊敬していたみたいたけど」
「分からない」

イーザーは困った。

「つき合いがあった時はブロッサムに尊敬する人はいなかったんだよ。ブロッサムは元々僻地の火神官の娘でさ、あんまりけんかっぱやくてフォロゼスの火神殿に行儀見習いに出された。友達も少ないし人を敬うなんてできないんじゃないかと思った」
「人はだれでも成長するものよ、イーザー」
「ギンコの奴、ブロッサムを利用しやがって!」

イーザーは歯をくいしばり外へ出ようとした。ザリが立ちふさがる。

「どこに行くの」
「決まっている、ブロッサムに会うんだ。あのいんちき巫女の化けの皮をはいでやる」
「どうやって化けの皮をはぐつもりなの」

イーザーは虚を突かれた。ザリはまくしたてる。

「ブロッサムはギンコを深く尊敬しているわ。そんな子になんて言うの? 信じないわよ」
「俺が嘘をつくって言うのか!」
「イーザーが間違っていると思うだけよ。証拠がないわ」
「会って言えば分かる」

けんかしたことも忘れてイーザーはどなった。ザリは首を振る。

「イーザー、とにかく座って。話し合いは終わっていないわよ」
「でも」
「ザリの勝ちよイーザー」

キャロルが告げた。

「ブロッサムを納得させられない。あたしたちの手持ち札ではできないわ。だったら黙っていた方がいい。あたしたちにとってもブロッサムにとっても安全だ」

俺はぞっとした。そうか、下手に知ったらブロッサムにも危害が加わるかもしれない。イーザーはキャロルをにらんだがおとなしく引き下がった。

「分からないことのひとつは判明した訳か。ラスティアの協力者はギンコだ」
「協力者のひとりがギンコというだけよ」
「なんだって? もっといるのか?」
「当たり前でしょう。それだけじゃあラスティアが他と手を組んでいる証拠にはならない。あたしはね、ラスティアがあたしたちをはめるにしろなにをするにしろ、ギンコひとりを当てにしているとは思えないのよ。いくら巫女といっても引退の身で金も権力もない。頼りにならないわよ。

派手な動きやブロッサムを使ってちょっかいを出しているところから、ギンコはおとり役を務めているんじゃないかと思っている」

「おとり? 本命から目をそらせるための?」
「そっ」
「本命はだれ?」

答えずキャロルは話のなりゆきを見守っているミサスに目をやった。

「影踊りについてはなにか分かった?」
「分からない」

ミサスは全然すまなそうじゃなかった。調べ物がうまくいっていないからといってミサスが責められるのは筋違いだけど、普通少しは悪いと思うんじゃないかな。

「しっかりやってよ。本命はだれだか分からないわね。引きつづき調査」
「クペルマームはどうだ?」

イーザーがまたかと俺をにらむ。

「アキト、クペルマームは俺について知っていたんだ。だからアットの友だちだ、アットの友だちならラスティアの手先な訳ないだろ」
「イーザーのことならブロッサムも知っているじゃないか。ブロッサムがギンコに話して、そこからラスティアかクペルマームに情報が流れたのかもしれないぞ」

イーザーが口を開いた。キャロルが口笛を吹く。

「冴えているじゃない」
「じゃ、じゃあ、クペルマームも裏切り者なのか!」
「しっ」キャロルに口をふさがれた。
「だからって今すぐクペルマームにつめよろうなんて思わないでね。ありえる、次期国王を目指してラスティアに近寄ったとか」
「じゃあこの城への招待も罠なのか?」
「それは違うんじゃないかな。マドリーム全部をだますのは難しいわよ。クペルマームにそこまでの技量があるか。なさそうね」
「また『かもしれない』なんだよな」

イーザーは心配そうだった。

「そうよ、なにか気になるの?」
「アットへの手紙クペルマームに預けちゃったぞ」

キャロルが立ち上がった。

「どこまで書いた?」
「その時分かっていた全部。リタのこととかはまだ分かっていなかったから書いていない」
「……かろうじて許容範囲といったところかしら。ギンコがおとりだとしたらまんまとそれに乗せられている内容なのだから、まだなんとか」

キャロルが考えこんだ。イーザーも憂鬱そうに「また手紙を書くぞ。今度は直接情報屋に持ちこむ」宣言する。

「ちっ、マドリーム人全員信用できないな」
「ヒビキがいる以上実はなんでもなかった、というのはありえない。背中に注意することね」
「分かった。……あれ」

すっとんきょうな声を出した。

「そういえば、ザリとフォールストはヒビキとなんの話をしていたんだ?」

ザリの表情がこわばった。イーザーは自分の言ったことの裏の意味を分かっていずにのんきにしている。戻ってから着替える暇がなかったザリは、上品だが動きやすい乗馬服のままだった。腰までの上着とズボン姿で答える。

「フォールストとヒビキが話しているところに通りかかって足を止めたの。わたしはフォールストは知っていたけどヒビキは知らなかった。2人の様子は人懐っこい吟遊詩人が通りすがりの男の子を捕まえておしゃべりしているという感じだったわ。フォールストはわたしを覚えていたし、話の内容はライラック姫のお茶会が豪華だったことを面白おかしく誇張したものだったからわたしも聞いていたの」

疑えば疑えばいいといったような顔つきだったが、イーザーは気づかず「そうだったんだ」受け入れる。全然気にしていない。

俺は思い直した。ザリがあそこを通ったのは偶然だ。響さんを知らないザリが響さんと会ってもなにも考えないに決まっている。もしザリやフォールストが裏切っているのだとしたら、あんなすぐにばれるように響さんとは会わない。こっそりだれにも分からないように会うに決まっている。

それにザリもフォールストもラスティアには殺されそうになった。ザリはフォロゼスでひどい目に会い、フォールストはクレイタで俺たちと一緒に行動していなかったら死んでいた。どちらも今生きているのは幸運だったから。ひとつボタンをかけちがえれば無数の死者の中に加わっていた。

激動の中ラスティアが近づいていた? 俺は河の岸でザリがラスティアを問いつめたのを見た。フォールストは奇遇の範囲内でしか俺たちの周りに近寄ってこない。そして実は俺たちがフォールストのことをなにも知らないのと同じようにフォールストだって俺たちの表面しか知らない。こっそり聞いても大した情報が手に入らない。

ザリもフォールストも密偵じゃない。

気づいたときは遅かった。ザリは口を一文字に結んでいる。強い意思を持つ瞳がきらめいた。

俺はザリを傷つけた。俺が想像もつかないほど深く。

後悔のうめき声がもれた。顔をかきむしりたくなる。なんて言えばいいのか、どうしていいのか分からない。混乱している。

「アキト」

イーザーの声は低く重たかった。

「レイドでヒビキと会った」

俺は意味がよく分からなかった。

「水門国家の首都レイドで、買い物最中にヒビキを見かけたんだ。追いかけたけど逃げられた」

この本はあったときに落としていったもの。イーザーが突きつけた古い魔道書は、前にレイドでも見かけたものだった。買い物最中一時イーザーはどこかに行って、腕を怪我して帰ってきた。知り合いと会ってけんかになったって言っていたっけ。

「あの知りあいって響さんだったのかよ」

なんで言ってくれなかったんだ。のど元まで出かかった言葉を飲みこむ。俺がどう反応するかを予想したのだろう。今の俺を見ればイーザーの行動は正しい。

「魔道書をなんで響さんが持っていたんだ」

代わりに全然関係のないことを口にする。

「分からない」
「ヒビキは共通語は話せる。ひょっとしたら読み書きもできるかもしれない。でもどう考えても魔道書は読めるわけがないわよ。なんで持っているのかあたしたちさんざん話したけど分からなかった」

拾ったのかな。でも読めない本をどうして持っていたのだろう。よく分からない。

「アキト。ヒビキは俺が倒すからな」

俺は顔をあげた、反射的に叫ぶ。

「やめろ」
「やめない。ヒビキは俺の獲物だ」
「先輩なんだぞ、ちょっと前まで一緒に文化祭やっていた友だちなんだ!」

イーザーが信じられなかった。イーザーは優しい人間のはずだ。通りすがりのだれかが困っていたら手を差し伸べ、俺やアットの危機には身を持って立ちむかうじゃないか。それなのにどうしてそんなこと言うんだよ。

「いいかアキト、ヒビキは敵でラスティアの部下だ。アキトはヒビキにまだ友情を持っていてもヒビキはそうじゃない。俺はヒビキと剣を合わせたから分かる。ヒビキは人殺しも辞さない。アキトと立ちむかったら間髪入れずに切るだろう。アキトがスタッフ構える暇もない。

だから俺が行く。腕が鳴るな」

「やめろ」

卓にもたれ俺は立った。足が震えている。

「やめない。アキトは戦えないけど俺なら戦える。やってやるさ。お前は邪魔するな」

イーザーの顔は見たことがないほど冷ややかだった。俺の手を振り払い、荒々しく出ていく。

「話は終わりだろうな。俺は部屋で手紙を書くぞ。アットに新しく出す」
「どうぞご自由に」

キャロルはいたずらっぽく瞬いた。

「なにがあったのよ、まるで悪人ね。その手の台詞はあたしが言うことよ、仕事を取らないで」
「いつも貧乏くじばっかり引かせないよ、キャロル」

虚を突かれたキャロルの前をイーザーは通り過ぎていった。

「……ふぅん」
「意外だった?」
「少しはね」

認めるのはしゃくなのだろう。キャロルは強がった。

「なんでヒビキはザリに手出ししなかったのだろう」
「なんでって」

キャロルの足爪で床を引っかく音が規則正しく聞こえる。

「ザリはあの時無防備だった。ヒビキはザリを殺そうと思えば簡単にできたはずなのに」
「簡単って、人ごみの中よ! それに後少しのところにアキトもいたわ」
「大した障害じゃないわ。刺して逃げる。マドリームは治安が悪くないけれどよくもないわ。帯刀は当たり前だしけんかも珍しくない。さすがに白昼堂々人殺しは珍しいけど、本気でやるなら逃げきれるでしょう。絶好の機会を逃したのはなぜ?」
「さあ」

ザリは困ったようにつまった。

「前、レイドの時も会って逃げたのでしょう。それと同じじゃない?」
「同じかもね。でもレイドとは事情が違うわよ。イーザーはそこそこ戦える、ヒビキとは対等にいけるんじゃないかな。でもザリはそんなことはない。アキトと2人がかりでも負けたでしょうし、第一離れているじゃない。駆寄れる距離じゃないわよ」

もし響さんが手出しをしようと思えば、俺は止められなかった。偶然会ったのなら響さんはどうして何もしなかったのだろう。

「響と会った時どんな反応をしていた?」
「見上げて…… 驚いたみたいだった。目を開けて、多分無意識に腰の剣に手を伸ばした。そして目をそらした。手を離して、フォールストの話に集中しようとしていた。剣士の中には人が近寄るのを嫌がる人もいるし、よくあることと思ってなにもしなかった。そっか、ヒビキはわたしのことを知っていたんだ」

知っていたけどなにもしなかった。

「キャロル、なにを考えているの」
「ヒビキの行動はラスティアの命令による。例えばとても重要なことをたくらんでいて騒ぎになるのを避けた。これね。ギンコを加えてヒビキを動かして、ラスティアはどんなことをたくらんでいるのかしら」

キャロルは舌打ちをした。

「ザリ、あたしたちを裏切るな」

ザリはきょとんとし、みるみる頬を紅潮させた。

「キャロルまでわたしを侮辱するの?」
「ザリは優しい」

落ちついた態度だった。

「今ヒビキに同情したでしょう。あたしはザリに手を出さなかった理由は、ザリ目的かもしれないと思っているのよ」

なんだそれ。俺はキャロルを見つめる。

「常識的に考えてありえないけどね、ラスティアがザリのためにヒビキに命じたのならザリは恩を感じるでしょう。いざって時ラスティアが出てザリに助けを求めたら、ザリはラスティアに手を差し伸べないと言い切れる?」
「言い切れるわ、キャロル、馬鹿にしないで!」
「ザリ、助けてくれって叫ばれても絶対になにもしない? 無視してラスティアを討てる?」

ザリはつまった。こぶしが白く見えるほどに握りしめる。

きっとザリにはできない。できる訳ないじゃないか、ザリだもの。

「優しくてだれでも助ける。それはとてもいい特徴よ、でも今はいらない。ラスティアは強敵だ。あたしたちが狙い、あたしたちを狙っているのは普通ではありえないような化け物よ。油断する余裕がない、隙があったら即あたしたちは負ける」

キャロルは立ち上がる、優美にではなく、素早く動きの無駄がない動作だ。姫君は消え去り骨の髄まで密偵である獣人がいた。

「ザリ、裏切らないでよ。裏切ったらあたしが殺す」

だれにも目をくれずキャロルは出て行った。いつの間にかミサスも消えている。

「裏切ったりなんて」

力ない声だった。ザリもまた長身を引きずるように扉へ向かう。

「ザリ、どこ行くんだ」
「部屋。頭を冷やしてくるわ」

後手で扉は閉まり、広い部屋は俺ひとりになった。

顔を手でつかみベットに倒れこむ。色々な考えが俺を責め、俺は悔やんで悔やんだ。これが自暴自棄なのだろう。髪をかきむしり、髪が両手一杯にまとわりついているのを無感動に見た。血が爪についている。少し切ったな。

「助けてくれ」

俺はうめいた。

前にもこんなことがあった。仲間内で話し合い、持ち回って傷つけあった。

でもあの時はウィロウがいた、ウィロウが救ってくれた。きっとここにもウィロウがいたら、みんなをなだめて落ち着けてくれたのだろう。

でもウィロウはいない。俺のせいでここにはいない。だからみんなばらばらでだれもが傷ついている。

「ウィロウ、ここにきてくれ。今すぐきてくれ。きて、俺たちを助けてくれ……!」

無人の部屋でうめいても、もうだれも助けてくれない。


寝るつもりがなくても夜布団の中で動かなければ、人間自然に寝るらしい。

無限に繰りかえす思考をなぞっていた俺は、いつの間にか脈絡のない空想の中をさまよっていた。夢遊病患者のように行ったことのある場所、行ったことのない場所を往復していた。息が詰まる暗い森、一杯に広がる海、草木の枯れた赤い山。

気づいたら建物の中にいた。いかにも夢らしくぼやけていてどんな様子なのかさっぱり分からない。窓も明かりもないようだった。

満足しきったため息が聞こえる。向くと人影がだらしなく寝そべっていた。本人は寝るつもりがなかったのだろう。硬貨や布、小刀が散らかりかなりひどい。べっとり油の残るフライパンに外衣を浸して寝ていた。黄色の耳が動きしっぽが大きくはねる。しっぽの先について鈴が澄んだ音をたてる。

知った顔だった。

「グラディアーナ」
「アキトですか」

いきなり世界がゆがんだ。遠くに引きずられそうになるのを必死でつなぐ。さっきまで易々とやっていたことが今はどんなに努力してもできない。

「ひどい顔ですね」

グラディアーナは寝そべっているのに普通に世間話をする。グラディアーナも夢を見て、俺たちは夢の中で会っているのだろうか。そんなこと無理だと思うほど、俺の頭ははっきりしていなかった。

「色々あったんだよ。グラディアーナは幸せそうだな」
「ええ、満足な一日でしたよ。天気はよく毛並みもつややか、退屈なのが玉に瑕です」

俺はグラディアーナに見つめられた気がした。

「まだそんなところにいるのですか。待っているのですよ、早くきてください」
「そんなこといわれても、グラディアーナはどこにいるんだよ。そこはどこだよ」

屋根の下にいるのは分かるけど、どう見ても宿の部屋で寝ていない。外の様子が見れないし、そもそもぼやけてとりとめがない、せっかく会えてもどこにいるのか分かる訳がない。

「ここは遺跡です」
「遺跡?」
「大昔からある遺跡、地下にひっそり埋まり、だれからも忘れられた遺跡。知られていないのをいいことに私が勝手にしています。ずいぶん昔からね」

いいのか、自分の遊び場にして。

なにかが頭に引っかかった。忘れられた地下の遺跡。

(遺跡に行け、場所はグラディアーナが知っている)

あれはいつのことだったか。確かメルストアの民が襲いかかってきた時だ。初めて声がイーザーたちと対面した。

うっかり考えたのがまずかった。集中力がなくなりたちまち俺はグラディアーナと引き離される。しまったと手を伸ばしても距離は伸びるばかり。

(知りたいのなら地下で忘れられた遺跡にこい。場所はグラディアーナが知っている)
「グラディアーナ! 俺は行くぞ、待っていろ!」

俺は叫んだ。同時に跳ね起きて俺は目を覆った。

朝日がまぶしい。焼きたてパンのいい香りがして、俺はいきなり空腹を覚えた。

「おはようございます、アキトさま」

ジェズモさんがカーテンを次々に開けて、慇懃に挨拶をした。

「あ、はい。おはようございます」
「朝餉の用意をいたします」

そういえば昨日は部屋で大騒ぎをしたんだった。遊んでいたんじゃないけど散らかした気がするな。今見たところ部屋はきれいだけど。

「あの、掃除してくれたんですか」
「昨夜はずいぶん盛り上がったようですね」
「すみません」
「いいえ、私の仕事ですから」

ジェズモさんは怖かった。

「お待たせしました、どうぞお召し上がりください」

お茶を入れてジェズモさんは改めて勧めた。


落ちこんでいたはずなのに、寝て起きて目の前にご飯があれば苦悩は半減するらしい。後悔と悲しみは消えていないが、少なくとも自分ひとりの胸に収めて普通にふるまうことができた。

玉子と玉葱が浮かぶスープをすすりながら俺は考えた。

昨日の夢はなんだったんだ。普通の夢、脳が遊んで勝手な想像をした。そう思うのが一番まともな人のやることだ。でもそうは思えない。

なんせグラディアーナだ。金の瞳の猫人間は魔荒野で見たように夢とか心に関係することを自在に操る。昨日の夢もグラディアーナが見せた幻だろう。

地下の遺跡。夢が伝えたかったのはきっと遺跡だ。とっくに忘れていた記憶がよみがえる。グラディアーナが知っている地下の建築物に行けば、声に関することやたくさんの分からないことへの答えが分かる。グラディアーナ自身にも会えそうだな、もちろん生身の。考えれば考えるほど遺跡に行くべきだった。

冷えた果物についている銀の爪楊枝をくわえてかじった。でも具体的にそこがどこで、どこに行けばいいのか聞いていない。

「アキトさま、くわえるのはおやめなさい」
「あ、すみません」

俺は口を開けた。

「ジェズモさん、地下遺跡について知りませんか? 知られていないような遺跡」

知っていると期待して聞いていない。半分うわの空で聞いただけだ。

「アキトさまの目的に適うものかは分かりませんが、遺跡なら存じています」

ゆえに思いがけない返事に俺はお茶をむせた。

「アキトさま、落ち着いてくださいまし」

しかられながらも背中を叩かれ、俺の気管は正常に戻った。

「なんだって?」
「聞こえませんでしたか? 地下遺跡に心当たりがあります」
「どこにある、どんなだ」
「冷静になさいませ。今お答えいたしますからお食事を続けてください」

そうだった、朝ご飯の途中だったな。落ち着きを取り戻すために俺はパンをかじった。大麦の香りがする。

「バイザリムから東へ、ディマで5時間ほど行ったところに遺跡が発見されました。一年前のことです。昔の大都市のようですが、半分土にうずくまっていて消滅する寸前だったようです。エアーム竜帝国めが強い関心を示し、天幕を張って調査していますよ」

ジェズモさんはただの遺跡に俺やエアーム竜帝国の人々が興味を持つのが理解できないようだった。俺も学術関心は低いけど、興味を持つ理由はある。遠かろうとまた魔荒野を歩くはめになろうとも大したことはない。行かないと。

「あ、でもまた魔荒野で迷子はごめんだな。死ぬから」
「アキトさま?」
「あ、すみません。こっちの話です。ジェズモさん、今日のお勉強お休みしてもいいですか」

ジェズモさんはうなずいたばかりか、荷物とディマ車の手配までをしてくれた。


ご飯の後一緒に遺跡探索をすべくあちこち走ったがミサスだけは捕まらなかった。どこを探してもいない。

不思議には思わなかった。ミサスはくっきり足跡を残していた。少なくとも途中までは。

「全く非常識な」

腹を立てている図書館司書は頭髪が滅びゆく中年の男だった。前髪は絶滅していたし10年後には後頭部も同じ運命をたどるだろう。

「夜中に駆けこんで奥にこもることがすでに礼儀知らずだと言うのに、朝になったら片付けもしないで飛びだしたんだ。遠い国の客だか知らないが、しょせん半分けだものの化け物だ」

吐き捨てるように司書は机の周りを歩く。「本が混ざってしまった。どうやって戻すのだというんだ」
ミサスは獣人ではなく黒翼族だ。つまり半獣ではない。でも言ってもしょうがないよな。

図書館は大きく威厳たっぷりだった。壁を本棚という本棚で埋め、全ての棚に古そうな装飾の本と巻物が詰まっている。俺の見た限り本棚は整理整頓の反対だから、司書の人は普段自分の仕事をさぼっていると見た。本にも床にもほこりがたっぷり積もっていて空気はかび臭い。背表紙が読めない本や千切れた巻物まで適当にその辺に積んであり、引っこ抜くと雪崩を起こしそうだ。ひどいな。俺は本を読むとくらくらする人種だから気にならないけど、読書家の人が見たら血管が切れるんじゃないか。

散らかった図書館だからミサスが後片付けをしなくてもいいかというとそうでもない。ミサスもかなりひどいことをしていた。

机の一角に陣取りめぼしい本を片っ端から読んでは積み上げたらしく、机の上には膨大な書物の塔が立ち並んでいた。もし読んでいる最中にこっそり近づいて塔をつついたら本は崩れてミサスは圧死しただろう。それくらいのすごさだった。

「いつの間にこんなに読んでいたのか」

感心した。ミサスが読書をするのはレイドの時ぐらいしか見ていない。魔法使いが本嫌いな訳はないけど、速読術でも学んでいなければこんな量は読めないぞ。

「図書館を出てからミサスはどこに行ったんだろう?」
「知らないよ、急いでいたようだけどね。全く、だれが後始末をするんだ」

俺が責任をとって片付けるはめになりそうなので、早々に礼を言って出た。ミサスの行いにはちょっと罪悪感を覚えたけど、魔法語の本を片付けなんて到底できない。共通語の読み書きさえ危ないんだ。

図書館を出てからのミサスの足どりはぷっつりとぎれていた。そこから空を飛んだのじゃないかと思うほど、見事に消滅していた。どこに行ったのだか。とにかく今はミサス抜きで出発するしかなさそうだった。

「王城の陰謀、ヒビキの出現、イーザーの友だちをたぶらかす巫女。それに加えてグラディアーナの夢にミサスの失踪。問題が山積みで頭痛がしてくるわ」

キャロルは大げさに頭を振った。

ジェズモさんが用意したのは6人乗りのディマ車だった。キャロルもザリも馬のほうがよかったのだが、俺が乗れないのでしかたなく受け取った。御者の用意は内々のことだからと断り、イーザーが手綱を握っている。俺以外全員ディマを操ることができる。

また魔荒野だから暑かろうと思ったら、ジェズモさんに呆れられた。

「東部は涼しいですよ。バイザリム西の広大な荒野は年中灼熱の地ですが、東はそこまでひどくはありません。緑も多少はあります」
「沙漠なのに涼しいんだ。なんで?」
「存じません。冷たい風が東から来るのと関係深いそうです」

遺跡へ行くために簡単に地理を教わった。東に行くとしばらく荒野で、その後ミーディア山脈にぶつかる。そこから先がエアーム竜帝国領。山を境に寒くなり、雪も降るそうだ。

ジェズモさんに習ったとおりちっとも暑くない。直射日光は厳しいのに空気は冷たい。おかしな気分だった。車の中は揺れるのを除けば快適だったが、御者をしているイーザーとひとり車ではなく黒海に乗ることを選んだザリは灰色の外套を着ている。

「アキトには安心したぞ」

急にイーザーにつぶやかれた。なんだ?

「昨日のアキトは全く見ていられなかった。数日間あのままかと思った」
「イーザー」

ザリがたしなめるように眉をひそめるが、俺は「あー」無気力にあいづちを打っただけだった。

俺もこんなに早く立ち直れるとは思わなかった。厳密に言えば立ち直っているのではないのかもしれない。まだぼんやりしているだけなのかもな。

「グラディアーナのおかげだ。声の思わせぶりな予言によれば、遺跡に行けば色々分かるって言われたんだ。行かないでどうする」
「今はマドリームで一杯なのに。後にしてよ」
「できる限りがんばって伝えてみる。グラディアーナも分からない人だな。出たり消えたり」
「幽霊みたいだな」
「やめてくれ」

俺は死者と話しているのか? 不気味な話だ。

「あ、そうだ。アキトも元気になったことだし、都合よく周りに人もいない。いいことを教えてあげるよ」

ふざけたようにキャロルは言った。

「なに?」
「ライラック姫のお茶会に毒を持ちこんだのはリタよ」

そういう重大情報をついでのように言われても困る。

「本当か、どうやって分かった!」
「厨房の下働きと話をしたのよ。その少年、城から出たことがなくてね、獣人を見たのはあたしが初めてみたい。珍しがられたわ。耳を触られちゃった」
「それで」
「その子はお茶会当日料理の手伝いをしていたのだけど、リタが台所の様子を見にきたそうよ。リタ以外に怪しい人はいないと断言されたわ」
「お菓子の出来を見にきたとかじゃあないの?」
「なんでリタがそんなことするのよ。リタは使用人じゃないわよ。厨房の用事は使用人に頼めばいいのに、どうして自分からきたのよ」

用事もないのに厨房にきた理由は。キャロルの言い方だと毒を盛りにきたせいとしか思えなくなった。

「なんで。目的は俺たちか?」
「ライラック姫じゃないか?」

イーザーが振り返る。前を注意しなくても問題なくディマは先へ歩いてくれる。自動車との大きな違いだ。

「だって俺たちは大勢いた客人のひとりでしかないだろ。お菓子がだれに行くのか分からない。でもライラック姫は一番偉い人だろ。席も決まっているだろうしお菓子だって一番先に配られそうだ。毒を盛りやすい」
「そうよね」

キャロルも同意した。本当だったらリタさんは仲のいいライラック姫を殺そうとしたのか。

「なんで!」
「なんでって」

キャロルは俺を馬鹿にした目で見た。

「ハシド家の娘が消えれば得する人がいるからでしょう」
「それだけで殺そうとするのか?」
「する。絶対にする。当たり前でしょう」
「キャロル」ザリはディマ車に黒海を寄せた。
「わたしたちが滞在しているときに偶然暗殺未遂事件が起きたの?」

キャロルは苦い顔になった。

「偶然と認めたくない。なにかの意図が隠されているはずよ」

ライラック姫が暗殺されるのと俺たちが居合わせたのとどんな関係があるのだろう。偶然とは思えないけど裏があるとも考えにくい。

「よく考える必要がるわね。なにか訳があるのか、情報の聞きもらしがあるのか」
「話の途中だがそれまでだ」

イーザーが前へ指を指した。

「あれじゃないか」

荒野にひっそり沈むように、崩れかけた街があった。


遺跡は無人じゃなかった。

もちろん住民はいない。ジェズモさんが言っていた、エアーム帝国の調査したがっている人たちが天幕を張って野営していた。

天幕の中から出てきた研究員たちは種族もばらばらの小集団だった。俺たちを変な人のように見ているが、俺も同じように見ている。お互い様だな。

研究者集団のまとめ役は緑色の鱗を持つ大柄な男だった。荒野なのにここが街であるかのような薄着で、肌を隠すどころか薄いシャツ一枚しか着ていない。なんて命知らずな。

「俺はイクオンジュルト。お前たち、迷子か?」
「違うわよ」

キャロルが先頭に立ち、遺跡をのぞいて猫人と会いたいと伝える。こっそりイーザーが教えてくれた。「あの人竜人だ」

「竜人?」
「竜の特徴を持っている種族だ。鱗状の肌を持っていたり火を吹いたり尻尾があったりする。現れる特徴は個人差があるぞ。エアーム帝国にしかいないと思っていたけどな。あ、ここの人たちエアーム帝国の住民か」
「鱗って頑丈なのかな。固いのかな」
「だろ」
「リザードマンとは違うのね」
「多分。どう違うのかは分からないけど」

荒野民にも似ている。先祖が同じなのかもしれない。

「月瞳の一族なんて知らないぜ」

イクオンジュルトは疑問の入る余地が全くない、きっぱりした口調で言った。

「そう?

いないならいないでいいわ。あたしたち遺跡に入りたいの。いい?」
「キャロルもまたあっさり受け入れた。

おい待て、グラディアーナがいないなら入っても意味ないぞ。俺たちは猫人と会いにきたんだ。歴史的建造物を見物しにきたんじゃない。

あ。よく考えたら遺跡は街丸々ひとつなのに研究者たちは10人足らず、こっそり街に入ろうと思えばいくらでも入れそうだ。グラディアーナは律儀に断るような性格はしていないだろうし、竜人たちに知られずに遺跡で遊ぶなんて楽勝だろう。

「オレが止める権限はないんだけど、ミリザムは。あ、ミリザムってここの名前な。古文書から見つけたんだ。ミリザムはあちこち崩れているし、広すぎて迷子になるぞ。オレが案内しようか?」

キャロルはミリザムを見あげた。

「そうした方がよさそうね。お願いできる?」
「任せとけって」

イクオンジュルトは胸を大きく叩いた。

側にいた小さい妖精に後のことを指示してから、緑色の竜人は大またでミリザムを歩きだした。迷いがない足取りはミリザムのことを知りつくしているようで頼もしい。よく見ると裸足だ。鱗って頑丈なんだな。

「マドリームはエアーム竜帝国の政権抗争に敗れた一派が荒野へ逃げこんで作った国だ」

かなりの早足で歩きながらイクオンジュルトは解説した。

「それまでは法術を使う人々が女族長をかかげて細々と暮らしていた」
「法術ってなんだ?」
「すごく古い魔法。魔法の原型。今は一部獣人が使うだけだ」

ミリザムは柑子色の煉瓦を家にも道にもたっぷり使って作られていた。よっぽど古いのだろう、あちこち割れたり欠けたりしていて風化が進み砂利に埋もれそうになっていた。注意しないで歩くとひどい目に会いそうだ、穴ぼこに足を取られて転んだりとか、壁によりかかったら崩れるとか。

「現地の女族長を貴族が娶って支配した。ミリザムは地元民が荒野の主だったころの一番大きな街だ」

古の大都市は気の毒に、当時の面影は全くなかった。道は狭く積もった砂で歩いた跡が残る。宮殿か少なくとも豪邸だったであろう大きな家が瓦礫の山になっているのを見て、俺は時の無常さを感じずに入られなかった。祇園精舎の鐘が聞こえる。

「地下もあると聞いたのだけど」

キャロルがさりげなく聞いた。草だ、グラディアーナが見せた夢では日のあたる場所ではなかったし、声だって地下遺跡って言った。最後尾を歩きながら俺はよく覚えているなと感心した。

「あるぞ。地下水路だろ。昔はずっと遠くの河から水を引いていて、街に張り巡らせていたんだ。今はとっくに枯れているけど、頑丈だから崩れていない」
「見せてくれない」
「いいぜ」

地下に潜ることは予想していたから、明かりの用意はちゃんとしていた。イーザーとザリは角灯、俺は懐中電灯。キャロルは暗闇でもちゃんと見えるのでいらない。イクオンジュルトもそうらしい。

崩れた道路からもぐりこむ。地下水路はいっそ寒かった。水路と聞いたが想像したよりもかなり広い。壁も床もなめらかでびっちり組み合わせられた煉瓦を見ると、水漏れなんて起こりそうもない。

「昔は水が豊富だったんだな。壁の跡を見ろ。かなり高く位置に水線がある。街のあちこちに井戸があり、住民は水を自由に利用できた」

水はなくなっても井戸はなくならない。一定の間隔で道路標識のように井戸から陽光が降りそそいでいる。

俺は失望した。最後から2番目を歩いているイーザーにそっと伝える。

「夢で見たのはここじゃない」

あそこは光が全く差しこまない密閉空間だった。床ももっとなめらかで砂は積もっていなかった。はっきり覚えている訳じゃないけど、断言できる、ここじゃない。

「本当か?」
「本当だよ。ここにグラディアーナはいない」
「遺跡で、地下で、長いこと知られていなかったんだぞ。条件にぴったりじゃないか」
「でも違うんだ」
「じゃあどこなんだよ」
「そんなこと言われても、俺が知っている訳ないだろ」
「やり直しか」

角灯を手にしたイーザーはがっかりした。俺もだ、時間と馬を無駄使いしてしまった。イーザーが小走りで先頭集団の3人に伝えようとする。俺はひとり残されてため息をついた。

天井から砂が落ちる音がして俺は振り返った。

ずっと後、角に人影が逃げていった。灰色の外套が目の端に見える。腰に刺している刀の鞘もかろうじて分かった。

……響さん?

後姿、それもほんの一瞬だけど見覚えがあった。きっとそうだ。

足の力がなえる。キャロルたちを見た。俺と響さんにはだれも気づかず先へ進んでいく。

イーザー、と呼びかけようとした。途端に舌がしびれる。

響は俺が倒すからな。つい半日前にイーザーに宣言された。

駄目だ、イーザーには教えられない。

イーザーからすれば響さんは赤の他人だ。でも俺はそうじゃない。高校の先輩で実行委員仲間だ。

響さんがここにいるのは俺のせいだ。平和に日本で生きていたのに、俺のせいで剣を片手にここにいる。だから俺がなんとかしないと。殺すなんて絶対にできない。

一歩踏み出した。もう一歩、もう一歩。初めはゆっくりと足音を立てないように、少しずつ速く。角を曲がってからは駆け足で。

鋭い日本刀を思い浮かべるといきなり怖くなって足がとまった。でもイーザーに任せてはいけない。がんばれと自分をはげました。ザリは一緒にいてなんの危害も加えられなかったんだ。きっと大丈夫だ。

走ってすぐに気がついた。地下水路は迷路のように入り組んでいて複雑な作りになっている。井戸のおかげで真っ暗ではないが、足元が悪くて転びそうになる。

迷いそうだ。俺戻れるのか?

走りながら現実的な不安に駆られた。思い悩むと不安が次々に飛び出してくる。そういえば。俺はようやく思いあたった。響さんがザリに手を出さなかったのは人目のある街中だからだ。無人の遺跡でひとり消えても騒ぎにならない。今更だが致命的な誤りに気づいた。

立ちどまる。大間違いをしでかしたのを思い知った。早く戻らないと。

天井からほこりが舞った。視界が揺れる。すぐ突き上げるような激しい揺れに変わり俺は膝をついた。

地震? こんな時に?

へっぴり腰でよろめきながら俺は思い出した。この感覚は身に覚えがある。

土の精霊石。大地の精霊の力を結晶化した魔法の石。衝撃を与えると地震が人工的に起こり、俺は前にも巻きこまれた。

ひょっとしてこれも? 俺の前で天井を支える煉瓦が落ちて粉々に砕ける。引き金となって天井が崩れ落ちた。