迷子になっていた俺たちも大変だったが、残された方もすごい騒ぎになったらしい。牛車が一台足りないと分かるや否や、隊は止まりなにがあったかで上へ下への大騒動、それこそ幻の軍団が襲いかかったかのようだという。
というのも、最強の傭兵魔道士と誉れ高いミサスがいて、それでも消えたのだからそれはもうすさまじいことがあったと予想されてしまった。大地はひび割れて固く、車輪が残らないのでどこに行ったのかさっぱり分からない。神隠しか魔物に食われたか、最悪の想像がその場にいた全員の共通認識になったそうだ。
そんな中ザリは荒野の一角に、意思疎通さえも取りにくい恐ろしい人外種族が住んでいることを知った。そして夕方になるや否や黒海と飛び出していった。
まごまごしている同行者たちへザリは断らなかった。そして二次遭難しかねないこの危険な行動はだれにも止められなかった。止められる前にザリは電光石火の早業で行動したからだ。
ザリは俺たちがその集落にいることを知っていたわけではなかった。俺たちが迷ったにしろ惑わされたにしろ、現地に住む人間の意見と助けがほしくて単身乗りこんだのだった。ひとりきりで、さんざん恐ろしいとうわさされている荒野民の住居へ。
朝方ようやく宿営地に戻り、歓迎と疑問でもみくちゃに迎えられた。やっとの思いで与えられた天幕に戻ると、そこにいたのは沙漠の夜のように凍える目つきのキャロルだった。
さぞキャロルは心配だっただろうし、うかつに迷子になった俺に怒るのもしょうがない。キャロルがにらみたくなるのも無理はない。
無理はないけれども俺にも色々あったのだから容赦してほしい。俺だって荒野の真ん中で死ぬのかと思ったんだ。笑ってお互い様と言おうよ、な。
そんなことを口に出したら命を取られるかもしれない。それくらいキャロルは迫力があった。
キャロルは怒っている時わめいたり大声を出したりしない。ひたすら冷たい目つきで答えられない質問を重ねて追いつめる。どなられた方がまだましで、いっそきびすを返して荒野民の住居へ逃げてしまいたかった。イーザーもよくキャロルに追いつめるけど、よくぞ今まで耐えられたものだな。俺は感動した。
さんざん俺をいたぶった後、矛先はミサスにも向けられた。
「天下のミサスさまは、まぬけにもアキトと同じように居眠りして迷子になっていたっていうのね」ミサスはそ知らぬ顔で天幕の柱に寄りかかり薄布をかけていた。完全に寝るつもりだ。
「まだ寝たりないの腐れ魔道士。あてにしていた自分が恥ずかしいわよ」「キャロル、ミサスは本当に体調が悪かったのよ。ある程度はしょうがないわ」
ザリが助け舟を出した。手には呪われそうな緑の液体が入った碗が2つある。俺に片方飲ませるつもりじゃないだろうな。
「ザリもザリよ、いきなり飛び出て、第三の迷子になるつもりだったの?」「心配かけてごめんなさい。思いついたとたんそれしか考えられなくなったの」
「一声かけようとは思わなかったの?」
「思わなかったわ。帰り道は黒海が覚えているだろうし、もともとなにもなくて広いだけの魔荒野は草原みたいで得意なのよ」
「へぇ、得意だったから飛び出して、周りに心配まきちらしたのね」
「キャロルだって単独行動するじゃないか。だれにも言わずに」
火中の栗に手を伸ばしたのはイーザーだった。俺はイーザーの無限の勇気に感動して、ああにはなるまいと心に誓う。
目のはしがつりあがり、キャロルは皮肉と当てこすりを山のようにぶつけようとする。その張りつめた雰囲気をちょうどよく壊すように「はい」ザリは俺に碗を出した。
「これ、飲まなきゃいけないのか? 俺は病人じゃないぞ」「だめ。失った体力と水分を補給しなきゃ。残さず飲んでね」
ひょっとしてザリも怒っているのだろうか。怒った方がまだましだったのかもしれない。
呪われた緑の液は、意外に苦くなくさわやかな味わいだった。
道のりは順調だった。少なくとももうだれも迷子にならない。朝夕に現れる幻は相変わらずだったが、数はそう多くなかった。
「そういえば、結局どうなったんだ」ようやく思い出してイーザーに聞いた。
「なんの話だ?」「クペルマームの裏」
「ああ。大丈夫だった」
簡単にイーザーは答える。
「クペルマームは昔からのアットの友だちだって。文通していてさ、色々俺たちの冒険話を知っていた」「そうなんだ」キャロルの考えすぎだったか。
「あ、それだけなら友だちだって証拠にはならないんじゃないか? 例えばイーザーがアットのお兄さん関係で色々したこととかは、結構知られている話だろ」
「そんなことはない、あれは絶対に内緒だ。俺たちと他数人だけしか知らない」
その話じゃなくてとイーザーは口をへの字に曲げた。
「変な話も知っていたんだ。アットと俺と、俺の仲間でしか知らないような冒険の話も。まったくアットのやつ、失敗談まで話さなくてもいいだろう」「どんな失敗談なんだ?」
「言う気はない」
だれの失敗談だかはよく分かった。なにをしたのだろう。だれかを助けようとしてひどい目にあったとか、思わず行動して大変なことになったとかかな。そんなの、別に恥ずかしがらなくってもいいのに。俺たちの前でもよくやっていることなんだから。
思ったけど言わずにしておいた。
あの日以来変わったことがある。寒さに震えながら毛布にもぐりこむ時、たまにグラディアーナの夢を見るようになった。内容はいつも一緒、遠くからグラディアーナが外衣をはためかせ荒野から歩いてくる。ひとり立ちつくしている俺の前で、謎めいた微笑を浮かべ、地平の果てを指して消える、もう道には迷っていないのに見てしまう。
イーザーに相談してみると、
「よほどなにか伝えたいことがあるんだろ」あっさり答えをもらった。
「なるほど、やってみる」
その日も俺は夢を見た。いつもの夢ではなかった。
「こら」乱暴なことに、俺はグラディアーナに蹴り飛ばされた。
「うおっ、なにするんだ!」周りは荒野ではなく暗いところで、俺とグラディアーナ以外の人はいなかった。
「そっちこそいつまで私を待たせるのですか。もう飽きてきました」丁寧語のくせに敬意の念がまったく見当たらない。八つ当たりのようでさえあった。
「せめて走るくらいはしてもいいではないですか。なんでとろとろ歩いているのですか。馬だってあるでしょう、駆けつけてきてください」「黒海はザリの馬だぞ、俺が乗ったらけとばされる。こう見えても最大速度で歩いているんだ。ここは沙漠なんだ、普通の道みたいに走れないって。無理を言うな」
「無理くらいしてください。私だってここまでくるのは大変なんです」
「グラディアーナがどこにいるのか知らないよ。行けないって」
「条件はこっちだって同じです。言い訳無用、待っているんですよ、来てください」
グラディアーナはすねたようにそっぽを向き、夢はそこで終わりだった。
朝になってイーザーにそのことを伝えると「わがままだな」笑われた。
「なるべく急ぐか。予定通りに行けばいいな」計画では今日で荒野を抜けるはずだった。
ここからが沙漠でここから草原なんて分かれているわけではない。なんだかあちこちに茨のような低木の群生があるなと思ったら、もう魔荒野は過ぎたと宣言された、からかわれているのかと思ったら、その日の夕方には幻を見なくなった。あっけなかった。
沙漠を越えても大変さは変わらない。日差しは鋭く昼間顔を出して歩いたら命取りだし、夜は寒さに震える。明確な変化は2つだけ、朝夕の幻を見なくなったこと、グラディアーナの夢を見なくなったこと。
「バイザリムについたら、俺たちどうなるんだろう」だんだん緑が多くなる道中、イーザーにたずねてみる。目の前の脅威が消えたら将来のことが気になってきた。
「クペルマームから聞いた、城に滞在するそうだ。好きなだけ泊まって調べ物をしてくれって」「気前がいいな」
お城に入れてもらうのはこれで2回目だ。フォロー王国のフォロゼス以来だ。どんなところなんだろう。
やがて山羊を連れた遊牧民やティマ車を引いている流れの商人、つまり俺たち以外の人を見るようになってすぐ、俺たちはバイザリムに到着した。
大河に寄りそって存在している街だった。家々は岩と泥でできているらしく、白に近い灰色の低い建物がごちゃごちゃかたまり、奥には城らしいずんぐりした半分岩半分人工物の建物がある。
「あれが城なのか?」「へぇ、旦那。昔はただのでっけぇ岩だったのをくりぬいて作ったそうです。狭くなるたびに広げて」
タブレスが親切に教えてくれた。苦労して城を作ったマドリームの昔の人には悪いけど、なんだか蟻塚みたいだ。
一行は商人住民職人たちで混乱の中を強引に通った。俺はなんだかいたたまれないような恥ずかしいような気分になったが、クペルマームたちは気にしていなかった。
衛兵が守る門を通ると、砂もほこりもない服の召使たちがどこからともなく現れて「長旅お疲れ様です」「ご無事でなにより」「すぐ国王陛下にお伝えします」「きっと喜ばれるでしょう」クペルマームをいたわった。
「ようこそおいでなさいました、フォロー千年王国アティウス殿下の客人。バイザリムにようこそ」俺たちの牛車の周りにも召使たちがきて、俺は面食らう。
「え、こちらこそ、どうも」「さっそくですがお召し変えを。風呂も用意しております」
「お風呂と着替え?」
拍子抜けしたが必要ではあった。元々身奇麗ではない上に、服は荒野の砂でうっすら黄色くなっている。強烈な日差しに焼けている上ちぎれてほつれている。水に落としたらあっという間に黄色い泥水ができそうだし、現代日本の浮浪者だってもっといい服を着ている。
俺たち自身といえば。荒野では水は貴重だし、乾燥しているからずっと風呂には入っていない、しょうがないことだが肌は垢とほこりだらけの上うっすら赤くなっていて、髪は砂を含んでぼさぼさのごわごわ、気のせいか俺の日本人そのものである黒髪は赤っぽくなった気がする。日にも焼けた、あんなに厳重に日差しを避けていたのにどうしてなのだろう。みんなにたりよったりの荒野ならともかく、城内のみんな清潔で綺麗にしているところに出ると身の置き所がなくて困る。
「どうぞこちらへ」半ば強制的に牛車から降ろされ、俺は入浴へ連れて行かれた。振り返るとイーザーも同じように手を引かれて、俺とは違う方向へ案内されている。諦めたような微妙な笑みを浮かべて俺に手を振った。思いは同じか。
強引に案内された入浴場は立派だった。脱衣所すら天井が高い上端正な彫刻が柱は壁に施され、石鹸や香水が棚に並び、湿度と一緒に複雑な香りとなって部屋に充満している。
俺が立ち尽くして感心していると、召使は手際よく俺の上着をとりシャツを脱がせようとした。
「な、なにするんだよ!」あわててシャツをつかんで召使の手から逃げる。召使の能面のような顔に困惑がよぎった。
「湯浴みのお支度ですが、なにか気になることがおありでしょうか」年配の召使が言わんとすることに俺はやっと気がついた。風呂を手伝うつもりだ。あまりといえばあんまりだ、舌がもつれる。
「あ、あのな。俺は自分で服は脱げるし、ひとりで風呂には入れるんだ、子どもじゃないんだし。むしろ、人がいると気が散って、その。とにかく俺はひとりで入るんだ、その方が好きなんだよ、悪いけど手を貸さないでくれ、離れてくれ」召使は黙り、不気味なまでに無表情な顔で俺を見たが「かしこまりました」おとなしく下がった。浴室へ「客人はおひとりで湯浴みなされるそうだ。おまえたちも下がりなさい」と声をかけると、どこにかくれていたのか使用人2人が出てきた。しかも片方は女の人だぞ。
「御用の祭はおよび下さい」丁寧というより慇懃無礼といった感じで使用人は帰っていった。俺は安心して座りこむ。小学校入学以来当たり前だが風呂はずっとひとりで入っている。人に面倒を見られながら入浴なんて絶対にごめんだった。
ボロ布と化しつつある服を脱いで浴室に入る。岩をくりぬいたような浴槽は広く、熱い湯がなみなみとあった。隅にあった桶らしきものと布と石鹸をまんまと見つけ、十分にかけ湯をして身体と髪を洗う。水がヨーロッパみたいな硬水なのか、それとも俺があまりにも汚れているせいなのか。石鹸は泡立たず垢が面白いようにわいた。3回洗って湯船に入り、そこでもまだ垢が浮くのを見ながら適当に出る。俺はいつも鴉の行水で、風呂はそんなに好きではない。なのに久しぶりのまともな入浴につい長風呂をしてしまった。のぼせた気がする。
さっぱりして身体をふき、服を着ようと思ったら肝心の服がなくなっていた。
「あれ」まさかなくしたのか。どうやったらなくなるんだ、服だぞ。どこに行ったのだろうと頭をひねっていると、目の端に派手だが新しい布が綺麗にたたまれている。ひろげてみると服だった。
「これが着替えか」今までの服は汚すぎるだから別のを用意してくれたのか。それには感謝する、しかし。
「着方が分からない」ひとりで服が着れないなんて、小さい子かはたまた悪い冗談のようだが、本当に着方が分からない。分かりやすいボタンもないし、どこを緩めれば首が通るのか分からない。
どうしようと座って考え、結局いつもの方法に頼ることにした。人の力を借りよう。
なんとか肌着らしい地味な色合いのものだけは着てから「あの、助けてください」さっき追い返した召使の人たちにドア越しに声をかける。
召使は5人に増えていた。手際よく、しかし俺が一人ではなにもできない子どものように扱いながら服を着せ、髪を梳かし油で整える。「しばらくこちらでお待ちください」控え室のような部屋に通された。
部屋にはイーザーが先にいて、落ち着かないように歩き回っていた。イーザーも俺と同じようなことを体験したらしく、見違えるほど立派だった。俺の着ているのとよく似た青色の服で、細部の糸や埋めこまれた石がやけに凝っている。顔はさっぱりしていて、髪は油で撫でつけられ後ろに流している。よく見ると髪を切られたらしく、いつも無造作に後ろでひとつにたばねられた髪が後ろで短くそろっていた。あれもう一度結べるのかな。
イーザーは足をとめて俺を凝視し、なんと笑いやがった。
「待て待てアキト、怒るなって。似合っているぞ」俺が引き返す前に素早くイーザーがなぐさめた。もう遅い。
「じゃあなんで笑うんだよ。そりゃ不釣合いだと自分でも思っているさ、でもいきなり笑うことはないだろ」「いや本当に悪かった。普段ぼろっちい格好のアキトが立派になって出てくると、なんか感慨深いのと一緒に、こう笑えるというか。あ、そういやアットがお兄さんの戴冠式に出たときもそうだったな。貧乏貴族の次男で頭でっかちで、俺たちと一緒にくもの巣まみれになったりどろどろになっていたアットがすごくいい服着てがちがちに緊張していたとき、なんでだか笑えてアルと2人して笑い転げてつまみ出された。あんな感じだ」
ひとりで納得するなよ。俺は大いに腐り、ご機嫌を取ろうとするイーザーを無視してふてくされた。
しかしミサスが出てきた時機嫌を正す。イーザーも笑わなかった。
額の青いサークレットはそのままだった。服の色もいつもと同じ黒だが、飾りが段違いだった。無機の文様がびっしり刺繍されている。動きやすそうなズボンではなくぴったりの法衣姿で、髪は整えられ黒い羽には真珠をちりばめたような細工で飾られていた。
そしてぱっと見不機嫌そうだった。
ミサスは表情が分かりにくい。親しくなってからかすかな動きでやっと分かるくらいだ。そのミサスがどう見ても分かる顔つきということは。
怒っている。それはもう、溶岩煮えたち怒髪は天をつき怒っている。勝手に服や髪や羽根をいじられたことを心の底から憤っている。
無言で座るミサスに、俺たちは思わず手を握りあわせた。ミサスがしゃべらないなんていつものことだが、今ばかりは怖い。
「アキト、話せよ」「いやだよ、俺はまだ生きていたい」
「初接近はアキト得意だろ。荒野民とも仲良くなれたんだから」
「そういうイーザーこそなにか言ってこいよ」
「絶対にごめんだ」
「いつもキャロルにうかつなこと言っているだろ」
「お互い様だ、第一相手がミサスだったら俺が死にかねない」
責任をなすりつけてから、そろって黙ることにした。おとなしく待とう。
キャロルたちは遅かった。待てども待てどもこない。女の人が身支度に手間がかかるのは知っているけど、どうしたのだろう。
「辛抱が足りないぞ」訳知り顔にイーザーは語った。「普通に着替えるだけでも時間がかかるんだ。女の子が俺たちよりいじられないわけがない。気長に待とう」
そうか。俺は素直に待った。
素直さも底をつき、もう一度イーザーになだめてもらおうとした時やっと登場した。
「お、化けたな」イーザーの感心したような調子に「もっとましなこと言ったら?」キャロルがからかう。
俺は開いた口が閉じられなかった。
キャロルはなぜか灰色の髪が伸び、長く豊かに背中を覆い耳を隠していた。目がさめるような鮮やかなラヴェンダー色のドレスは肩も胸元も粟原になる大胆な服で、同じ色のフリルで縁取られていた。腕は白いレースの手袋で爪の先まで隠し、スカートはふんわりとしていて足が見えないほど長い。そんなドレスを着て、キャロルは自信ありげで勝気な微笑を浮かべている。優雅なしぐさでわざとらしく一礼した。
その後ろ、目を白黒させているザリもまた別人だった。身体に張りつくような柔らかい黄色のドレス、右肩から足元へ身体をぐるりと回っているのは薔薇の花で、露にぬれたような花弁といい絡まるつたといい本物さながらのできだった。長くない赤毛はうなじでまとめられていて薔薇の花飾りで止めている。清楚ながらも知性あふれていて、ザリによく似合った。それはもう見事なご令嬢だった。残念なことに眼鏡の奥にある目は困り果ててあっけに取られている、それが唯一の難点だった。
「すごくきれいだ」俺は心から言った。「ありがとアキト、知っているわ。アキトこそいい服着ちゃって」
口調はからかっていたが、危うく気づかないほど俺は見とれていた。
「髪が伸びているぞ」「付け毛よ、ちょうど色が合っていてよかったわ」
「なんだか顔つきも変わっている」
「化粧しているのよ、当たり前でしょう」
ここにも化粧品はあったのか。着飾り口に紅を差したキャロルはどこから見ても完璧な貴婦人だった。俺の隣で小刀を磨いでいた女の子には見えない。
「申し訳ないけど、こういう華やかなドレスはわたしにはあわないわ。元の服を返してもらえないのかしら」ザリは堂々としていなければ落ち着いてもいなかった。考えてみれば当たり前のことで、キャロルが慣れすぎているだけだ。
「無理よ。あの服装で歩いていたら物乞いと間違えられる」「だからってこんな服。わたしは姫でも貴人でもないのよ」
「望む望まないに関わらず、あたしたちはフォローからの大切なお客様よ。マドリームはあたしたちを粗末に扱えないし、あたしもアティウス殿下の面目をつぶさない程度の威厳がほしい。我慢しなさいよ、ザリよりもっと我慢している人だっているのよ」
そこに触れるなんて、キャロルはすごい勇気の持ち主だ。
「手足と耳は隠しているんだな」「あたしの考えじゃないわ。マドリームの貴族階層に獣人はいないのよ。無理に固持するよりはおとなしくしておくわ」
イーザーには気にくわないできごとだったらしい。「獣人の誇りをなんだと思っているんだ」
「大したことじゃない。あたしの人間よりの見た目が役に立ったわ」「みなさま」
使用人に呼ばれた。堅苦しくお辞儀をされる。
「どうぞこちらへ」きっとクペルマームが呼んでいるんだ、これからについて話し合うのだろう。ちょうどよかった、これからのことより前に服について文句を言おう。
俺の覚悟は間違っていた。それはもうびっくりするほど見当違いだった。
ようやく通された部屋には、確かにクペルマームがきらびやかな服を着ていた。カスタノも地味で動きやすそうではあったが、それでも俺からすれば十分派手だった。
他にクペルマームと大して変わらないような格好の人たちが大勢いた。多くはなかったがドレスの女の人もいた。
天井に金箔が張られ彫刻が飾られている豪勢な部屋の奥、3メートルはありそうな背もたれの椅子に老人が腰かけていた。金の冠をかぶり、髪もひげも白く、目は飛び出して落ち着かない。貧弱な顔はどことなくクペルマームやカスタノと似ていた。
この老人がマドリーム荒野国の王様なのか。
冠をかぶっているのだから王様に決まっているのだろうけど、あまりそうには見えない。無駄なほど華美な格好で立派な王座に座っているが、今老いているというのをさしひいても、武勇にすぐれているようにも知性があふれているようでもない。なんで王様なのだろう。血筋か。こんな人が国で一番偉いのか。大丈夫かなマドリーム。
王様の両脇に控えている6人の男が錫杖を同時に落とした。音量が意外なほど大きく、広い謁見の間中に響いた。
「荒野の唯一の獅子偉大なるマドリーム国王オキシスマーム・ポラム・アクレモ・マドリーム四世の元に千年王国フォロー王国第一王位後継者アティウス・フィオラ・ジェネ・フォローより極めて緊急にて重大な使命をまといし忠実なる使者が謁見を願い出る!」これを6人の人間が息継ぎなしに言ったなんて信じられるか。声は見事にそろっていて、俺は感心を通り越して馬鹿馬鹿しい気持ちになった。マドリーム国王が不明瞭になにか言い、また錫杖が落ちた。
「忠実なる使者に発言の許可を与える!」度重なる迫力に俺は押される。今からでも帰りたい。
キャロルは一歩前に出て、大げさな動作でお辞儀をした。まるで流れるように綺麗で気品にあふれている。堂々とした姿はとても数時間前まで着古した貫頭衣を着ていたキャロルとは思えない。
「陛下、御身のすばらしき宮殿に我らをお招きくださいまして感動のあまり目はくらみ身体震えております。いやしきわが身に荒野唯一の花園へと呼ばれ陛下じきじきにお声いただけたことは生涯の名誉として死しても忘れません」キャロルまで調子よくしゃべったのには驚いた。しかも生き生きしている。表情はいかにも嬉しそうで、感動したようにほおを紅潮までさせているが、言った通りにキャロルが受けとっているなんてありえない。
俺たちを置き去りにして、キャロルは回りくどい言葉でひたすら自分を卑下し、国王側は比喩表現を振り回してマドリームは俺たちがきたことを嫌と思っていないと伝えた。ようやくキャロルが仰々しく退席を願い出て、6人の男が錫上と共に同意した時には、俺は立ったまま眠りかけていた。
多くの従者に囲まれ、静々と今日泊まる部屋に通された。本当は一人一人に個室が与えられるようだったが、無理を言って全員で同じ部屋に逃げこむ。キャロルがしばらく近寄らないでほしいと召使たちに伝え、晴れて俺たちは多くの視線からのがれることができた。
「面白かった! たまにはややこしい言葉使いをしないと錆びついちゃうわね!」いきなり淑女らしからぬ言葉使いで、キャロルはソファーに寄りかかった。
「どこで宮廷言葉を覚えたの? 聞いていて舌をかみ切りそうだったわよ」「ザリは知らないけど、あたしは昔一族の長補助になる予定だったの。密偵仕事も武芸も礼儀作法も習ったわ」
キャロルにとっては黒歴史、触れてはいけないことのはずだ。くつろごうとした俺とイーザーは緊張に顔をこわばらせたが、ザリは「そうだったの」よけいなことは一切口にせずにあっさり受けとめた。なにも知らないザリにとって大げさに反応するところじゃないのだろう。
「これからずっとあんな感じで行くのか。王様貴族の前になんて出て、もしラスティアがマドリームにいたら俺たちのことすぐに分かるじゃないか。クペルマームはなにを考えているんだ。アットから内密だって聞かされていないのか」「苦情の一言でも言ってやってよ。この調子なら城を出る前に秋が終わっちゃうわ」
キャロルは意地悪そうに俺たちを見た。
「もちろん、すぐでなくてもいいわよ。あたふたしているイーザーをみるのは楽しいわ」「キャロル、おまえすごくいい性格しているな」
「知らなかったの?」
白々しかった。
個人部屋は俺の住んでいるマンションぐらいはあった。掃除が行き届いていて床には髪の毛ひとつ落ちていない。壁にかかっているタペストリやそこらに置かれている壷や細工物もいかにも高そうだった。せっかくなので部屋のあちこちを探検して、感心と呆れを交互に行った。
夕飯はまた大広間まで呼ばれて王侯貴族と一緒に食べることになった。空腹だった俺は途端に食欲をなくした。またあれを繰り返すのか。イーザーたちも一緒になっていること、末席であることを伝えなかったら俺は逃げたのかもしれない。
イーザーも同じ気分だったようで、一緒に大広間に向かいながらうんざりしたように首を振った。
「夕食会、どうしても出ないといけないのか? キャロルだけでもいいんじゃないか、慣れているんだから」「臆したの?」
イーザーはキャロルをにらんだ。背筋を伸ばす。
「馬鹿言え」「もちろん出るわよね」
「当たり前だろ」
あああ、赤子の手をひねるよりもイーザーをたきつけるのは簡単だ。どうしてそんなにちょろいんだよ。
「キャロル、俺は臆したから出たくない」「出てよ。ただでさえ心配しなきゃいけないことが多いのに、これ以上頭痛の種にならないで。恥をかかなくてもすむようにあたしも気を配るからさ」
俺もとてもちょろかった。穏やかながらもきっぱり言われて逆らえない。自分のふがいなさにため息がこぼれた。
確かに夕食会ははしっこの席を割りふられたし、俺たちは固まって座ることができた。特に俺の隣はイーザーが、もう隣はキャロルで守られていた。それでもやっぱりはるか遠くには王様がいたり、なじみの薄いテーブルマナーには四苦八苦で、立派な料理もろくに味わえなかった。
表面上食事は和やかに進んだが、最後、トマトのような果物が出たところで急にイーザーがナイフを落とした。手がすべったかと思いきや、ナイフには目もくれないであさってを凝視している。ザリに声をかけられて我に返り、心配そうな周りへ引きつった笑顔で答えた。なにがあったのか知りたいが、聞けそうな雰囲気ではない。
夕食後、すぐにイーザーの部屋へ走った。俺に与えられた部屋と同じつくりの個室にイーザーはいなかったが、召使から話を聞いて急ぎキャロルのところへと走った。
キャロルは俺を一目見て即部屋の中に招き入れた。奥にはイーザーが床にあぐらをかいて座っている。やっぱり。
「アキト、俺夕食の席で知り合いを見かけた。だから驚いて手を滑らせた」イーザーは単刀直入に、俺が聞きたかったことを言った。
「イーザーは本当に顔が広いな」俺は感心したのに、イーザーは怒っているかのように首を振った。
「でも、ここにいる訳がないんだ」上等の上着をその辺に引っかけ、歯をくいしばる。
「どういうことなんだ。説明してくれよ、さっぱり分からない」「名前はブロッサム。以前一緒に行動していた友だちの一人」
大きく息を吐き、なにも分からない俺でも分かるようにと丁寧に話す。少しは落ち着いたのかな。
「俺がアットやアルと一緒だったのは知っているよな。他にも灰エルフのペイン、魔術士見習いのミルク、比翼族のティラ、そしてブロッサムだ。ブロッサムは火竜神神官の家柄で、別れる時本格的に修行するとかでフォロー千年王国の地方神殿に行ったはずだ。バイザリムの宮殿にいる訳がない」
「いる訳ないなら見間違いじゃないのか」我ながら単純な思考回路だった。「そうかもしれない、ちらりとしか見ていないし遠かったし」
「イーザーだってここにいる訳ないのに、いい服着て並んでいたのよ。ブロッサムの種族は? 外見は」
「人間の女の子。年は俺と同じくらい、背が高くて神は赤っぽい金髪を短く切っている。目立つ特徴もないし、しばらく会っていないし、言われてみれば違うかもしれない」
だんだんイーザーの自信はなくなってきている。でも俺は疑っていなかった。1、2年ぐらいならそんなに変わっていないだろうし、第一赤の他人をそんなに派手に見間違えるわけもない。
「やっぱりドレスを着ておしゃべりしていた?」「いや、いつもの服だった。袖なしの上着に胴着。知らないおばあさんを迎えにきていたみたいで、その人と一緒に帰っちゃった」
「後で調べておくわよ、もし本人だったらまたとない情報源だわ」
貴婦人の仮面を殴り捨てて、キャロルは冷静に腕を組んだ。
「その女の子がイーザーの友だちだったら、ちょっと面倒なことになるわね」独り言の意味が俺にはさっぱり分からなかった。