三つ首白鳥亭

−カーリキリト−

伝える

翌日になってやっと戻ってきたシェシェイは、ゴブリンとの戦いとウィロウを聞いてこういった。

「ぼくもそこにいたかったな」

俺は二度とごめんだ。

「シェシェイ、ゴブリンが森にいるならいるって言っておいて。昨日はおどろいたわ」

くんできた水で白湯をこしらえているキャロルは温度を確かめた、ちょうどよかったらしく、それぞれの椀にうつす。

「ここにゴブリンがでたなんてはじめて聞くよ。第一、ここゴブリンがでるわけないもん」
「なんでそんなにきっぱりいえるんだ?」

イーザーが椀を片手でもちながら言う。シェシェイはこまったような、楽しみを邪魔されたような顔をしてウィロウを見る。

「ウィロウ、知っているよね?」
「私には分かります」
「ちぇ。じゃ、もう内緒にしてもしかたないか。おどろかせたかったのにな。今から会う人もエントなの」

ふぅんとイーザーは顔をあげ、キャロルもシェシェイを見上げる。ミサスはなにごともなかったように白湯をすすっている。どうでもいいらしい。

「エントは森の守り主、深い叡智とはるかな生命をもつ種族。そのエントが住み家としている森にゴブリンの盗賊がうろついているわけがない。許されるはずがないんだ」
「でも実際にいたわよ。あたしだけじゃない、シェシェイ以外の全員が見たわ」
「おっかしいな」

シェシェイはイーザーの頭の上にのってあぐらをくんだ。落ちつかない奴だな。

「推測ですが、私には理由がわかります」おごそかにウィロウは言った。
「私たちは森の中での出来事は自分の目の前で起きていることのように感じることができます。昨日イーザー・ハルクさんの居場所へ行くことができたのも、そこで戦いが起きているのを感じたからです。

しかしゴブリンの盗賊たちは今でも感知できません。樹とはまた別の精霊術を知っていて、感知から姿をかくしている可能性もありますが、昨日の戦いでは精霊の力は感じられませんでした。感知を阻止するなんらかの魔道を使って森にはいりこんだのだと思います。また森での収集を目的とする人間はエントの住む森に入るのは好みませんし、森に愛情をいだくものはエントの尊敬の念とともに入るのを遠慮します。すなわちエントの森には盗賊にとって狼藉する相手がそもそも存在しません。そのことより考えるとゴブリンたちはつい最近森へきたと考えられます」

淡々と一定の口調でウィロウは続けた。今回の襲撃に関係した話ではなかったらとっくに俺はいねむりしているような話し方だった。この口調は高校の先生ににている。それもあと5年で定年退職する年配の先生にそっくりだ。

「ウィロウ、俺のことはイーザーってよびすてにしてくれ。もう少し論点をずばりと話してくれないか」

上の空でイーザーが言う。「あたしも」キャロルもにこやかに同意した。俺も右におなじくだ。いちいち姓と名前全部よばれるのは変だし、周りが呼び捨ての中1人さんづけにされるのもまた気恥ずかしい。

「つまり特別な道具を使ってエントの目をごまかして最近森にきたということか。でもなんのために」

俺が思いつく理由は1つしかなかった。

「追っ手としても、あたしたち相手にゴブリンというのは物足りなすぎない? あたしたち3人なら数で押しきれるけど、こっちにはミサスもいるのよ」

キャロルも俺と同じようにラスティアというものの仕業と考えたらしい。料理道具をかたづけながらイーザーもうなずく。

「いいさ。過大評価されてすごい化け物送りこまれるよりはましだ。今は十分に警戒してエントのところへ行こう。ウィロウ、森のことは分かるって言っていたよな」
「はい、イーザー」
「シェシェイが言ったエントのいるところが分かるか?」
「はい」
「なら道案内はウィロウがしてくれ。シェシェイはその代わりに周辺の警戒をてつだってくれ」

シェシェイはめんどくさそうっ、と口をとがらしたがそれでもうなずいた。


道中は昨日とくらべて格段に楽になった。森の厳しさは変わらなかったが、森に精通しているウィロウが案内してくれたおかげで安楽に進むことができた。シェシェイの道案内が悪いと思ってはいないが、やっぱり空を飛ぶ小さい虫よりは空を飛べない大柄な人に案内されたい。

さらにウィロウは精霊術という嬉しいおまけまであった。その恩恵をすぐに俺はかみしめることになった。

びっしりやぶにおおわれて迂回しなければいけない場所があった。普通なら森だからしょうがないとあきらめて遠回りするのだが。

「すこし待っていてください」

ウィロウは手を祈りの形に合わせ目を閉じた。風もないのにやぶがざわめき、あたかも前からあったかのように左右にわれて道ができた。細くてせまいが、それでも道だ。ウィロウがなんてことはないように「では行きましょう」と歩きだす。

「すごい、これが精霊術か!」
「そんなに感動することか? アルだって精霊術つかってみせたじゃないか。目の前で」

イーザーが苦笑いする。たしかに俺は精霊術を見るのははじめてではないが、その時はのんびり観賞どころじゃなかった。イーザーやミサスみたいに神秘的な呪文を使う魔法もいいけど、こうして祈りでなにかがおこる精霊術というのもまたいい。

「樹の精霊術は、地の術の中に入るものなの?」

キャロルが難しい質問をした。「あたしが今までにあった精霊使いはそういうのを整理したり体系立てて考えたりしないのよ。だから聞いてみたいのだけど」

「そうですね、ほとんどの精霊術は四大精霊のうちの地、風、水に区分できます。樹は地、雷は風、氷、霧は水。他にも砂などの非一般的な術もすべてこの3つに分けられますね。特に水は本質がいかようにも変化しうるものですから非常に種類が多いです。逆に炎は唯一にして不変、炎は炎以外になりえないためそれ以外の術はありません。

例外は光と闇です。2つは四大精霊とは性質を異とするもので、互いに逆であり等しいです。

精霊は理屈を立てて考えることがむずかしい不確実なものですから、きちんと説明するのは困難なのですけれども、多少は役に立ちましたか?」

「魔法も精霊術にも縁のないあたしにはそれで十分よ」

俺には十分すぎてよく分からなかった。そんな感じで昼をずいぶん過ぎたころ、スズメガのようにシェシェイがひゅんと戻ってきた。

「ちょっと探しちゃった。皆もうこんなところまで来たんだ。はやいね」
「おかえり。無駄口はともかく、なにか変わったことはあった?」

シェシェイはキャロルの手の上に乗ると、ふるふる首をふった。

「ううん、なにもなかった」
「よかった、引きつづきお願い」
「え?」

シェシェイはなに言っているのとキャロルを見返した。

「その人まで後ちょっとだよ。だから戻ってきたんだけど、行かないの?」

あまりにも静かすぎて気づかなかった。

はじめ俺はなんてことない普通の森の風景の一部だと思っていた。その中に大きな、俺が3人ぐらいで手をつないで、やっとぐるりと木の周りを囲めるような大きな木があった。葉は深い緑で幹はつややかな土の色をしている。はのこすれあう音が心地よかった。

思わず見とれていた俺は、地上からウィロウの身長あたりの高さにどことなく人間の顔に似ていることを発見し、1人子どものように嬉しくなった。

キャロルの肩からシェシェイが飛んで、木の幹にしがみつくと嬉しそうにほおずりをした。

「こんにちは、樹竜神の子、木と森の人、昨日言って人たちをつれてきたよ」

ようこそ……

いくつものささやき声が葉の音にまざって聞こえた。中性的でやわらかくやさしい。

光竜神のいとし子、妖精の娘、そして私の同属に導かれし子たち……

ひどくゆっくりした声の発生源がその木からだと、やっと俺は気がついた。ウィロウを見上げると、敬意を表しているのか目をとじて軽く頭をさげている。

「でえぇ! これが、その人?」
「アキトだまって! 失礼でしょ」

キャロルがたしなめるが、俺は呆然と口をあけていた。だって、いくらいくら人間じゃないと覚悟していても、変な人になれていても、まさか動物ですらないなんて思わなかったぞ。まるっきり人面樹じゃないか。

「驚きましたか、アキト」

ウィロウが聞く。俺は大きくうなずいた。「てっきりウィロウみたいな人が森の奥で暮らしているんだと思ってた。どうしてこの人もエントなのにこんなにウィロウと違うんだ?」

「われわれエントは人としての命と樹としての命2つを持っているといわれています。若い時は人の佐賀が強く、人に似た姿をしていますが、歳をえて人としての命がきえると樹の性が出現し、樹として残りの人生をすごします」
「だからこんなに姿が違うのか」

変な人生と思わなくもないが、樹と人間の寿命の差を考えるとなんとなく納得できた。それに普通は1つしかない命が2つもあるのだから多少のおかしさは目をつぶるべきかもしれない。俺の失礼な考えはいざ知らず、ウィロウはエントへ向かう。

「わが兄弟よ」

わが兄弟よ。

呼びかけに円とも答える。2人は外国語のような言葉で話しはじめた。大昔の詩を詠唱しているのかのようにゆっくり優しい響きを持つ。

「エント語。エントたちの独自の言葉だよ」

シェシェイが俺の肩にとまった。

「きれいだな。それになんだかミサスの呪文ににてる」
「でもすっごく長くなるよ。エント同士の話って大したこと話さなくてもすごい時間がかかるからね。ウィロウとあの人、しばらく話しっぱなしだと思うよ」
「シェシェイ、もう会ったんだし、いい加減にこのエントさんの名前を教えてくれよ。いつまでもあの人じゃ悪いって」
「ないよ」

シェシェイは本物の蝶々のように飛びたった。ない? なんだそれは。

「樹の姿のエントにはね、名前の概念がないんだって。だからぼくも名前は知らない。その人で呼んでる」

静かに光の翼を動かして、シェシェイは俺らをゆっくり見まわした。

「じゃ、もういいよね。ぼく帰る」
「え? あ、そっか」

シェシェイの仕事は道案内であって、エントの元まで来たらもうおしまいだった。案内としてはあまり役に立っていなかったが、一緒だと楽しかった。いなくなるのは残念だけど仕方がない。

「じゃ、これからも気をつけてね。ばいばい」

あっけらかんとシェシェイは空を飛んで見えなくなった。

「あたしたちもウィロウとの話が終わってからエントに聞くこと聞こう」

キャロルはそう近くの樹に寄りかかった。俺も習ってなるべく音を立てないように座りこむ。俺たちが無言になるとその場に完全な静寂が寄りそった。ウィロウとエントは話しているはずなのに、その声も森の一部として完全にとけあい調和している。全てが完成している、俺はその心地よさに身をゆだね目を閉じた。森の香りと優しく全てをつつむエントの気配を俺は感じた。


うっかり俺がうたたねして起きた後でも、日が落ちて野営の支度をしても、夕食を食べてもう寝たいというときになっても2人の話は続いた。

「長いって、シェシェイが言っていたわね」

キャロルがあきらめたように言う。夜火の番はいらない。火をエントが嫌うからそもそも火はたかなかった。それに樹の姿のエントのそばにいれば絶対に安全でもあるとキャロルは断言した。

「だからって長すぎる。2人とも疲れないのか?」
「さぁ。エントは気が長いからね、まだ挨拶も終わっていないかもよ」
「やめてくれ」

俺はうめいて、集められるだけ集めた毛布代わりの着替えにもぐりこんだ。この努力が実ったのか、エントの効果か、昨日寝たところよりも温かい気がする。ぐっすり眠れそうだった。

俺がぐっすり休んで朝になっておきて朝ごはんを食べて、暇だからとイーザーの昔の武勇伝やキャロルのカーリキリト神話を聞いて過ごしていると、昼ごろやっとエントたちは口を閉じた。

「あなたがたに、この方がお話したいことがあるそうです」
「やっとか」

イーザーは起きあがって伸びをした。

「イーザーたちが呼びかけに答えてここに来たことをこの方はご存知です。皆様、この方に触れてください」

俺はすこし面食らった。

「どうしてさわるんだ? 話したいことがあるんだろ」
「こちらのほうが早く正確なんです」

よく分からないがウィロウは冗談を言っているようには見えなかったし、イーザーは軽くうなずいて触れるので俺もそうした。ひんやりした樹皮にそっと手を当てる。その瞬間頭の中に俺のものではない映像が鮮明に現れ、あっという間に俺は取りこまれた。

樹と花と草と。俺たちが植物と呼んでいるもの全てをこのエントは知っている。彼らは俺たちとは違う方法で、でも俺たちよりずっと親密につながっている。この世界のはるか西には大樹海と呼ばれる場所があって、そこにひときわ古い樹がある。それが樹竜神。

竜ぐらいなら俺も知っている。でも空を飛んで火を吐く空想上の生き物としか思っていなかった俺には、エントに近いこれも竜というのは不思議だった。後でウィロウに聞いてみよう。

その大陸の反対側、東の果てには山がある。そこから先の大陸を人の手から断絶するような険しい山脈は、実質上この世の終わりだった。山は赤茶けた不毛の地で、生き物はろくにいず草木もまばらだ。

その地から声が聞こえる。

ラスティア。

動物には聞きとれないかすかな声を、植物は感じていた。

ラスティア、ラスティア。

振動が広がる。にじみ出るように1つの音が世界に迫る。

不吉だ。

理屈も根拠もなく、しかし頭の中に雷光とどろいたかのように直感した。のろいの言葉のように俺はその名前を聞く。はるか東の地からラスティアとこだまする。

そうです。わたしもまたそう感じました。

なぜこのようなことが起きているかは分かりません。ラスティアがなにか、人か物かのろいかなにも知りません。しかし不安なのです。胸の奥から奇妙な感情があふれて止まらないのです。

だからあなたを呼びました。

でもそれが分からん。そこでどうして俺なんだ? そう思うんだったらアットとか王様とか偉い人に伝えたほうがいいじゃないか。

聞こえないのですか。ラスティアと同じようにあなたの名前も聞こえました。

げ、俺?

たった数回、かすかに、ほんのわずか、しかしたしかにアキトという名を。だから私はあなたを呼んだのです。伝えるために。

どういうことだ、なんで俺なんだ? さっぱり分からないぞ。謎解きしたくて俺を呼んだのだったら見当違いだ。どうして、なんで。

「アキト!」

目の前が白くなってほおがしびれた。俺は目を白黒させる。キャロルが俺の真正面に立って怖い顔をしていた。

「あれ、キャロル」
「あれ、じゃない。正気に戻った?」

キャロルのうしろからイーザーも心配そうにのぞきこんでいる。

「飲みこまれかけていたぞ。気をつけて、自分をしっかりもて。もういいか?」
「あ、ああ。なんとか」

まだ夢見心地のまま俺はまばたきを繰りかえした。

「え、今のは一体なんだ? 飲みこまれかけたってなにに?」
「なんていうか、説明しにくいんだが」

イーザーは困ったようにウィロウを見あげた。はいとうなずく。

「わが兄弟は己が知ったことを間違いなく伝えるために、直接精神で語りかけたのです。これは直接的で言葉による誤解はまず起こりえませんが、慣れていないと危険でもあります。心に引きずりこまれて精神が戻らないことがあるのです」
「それを飲みこまれるっていうのか」

そういえば以前もイーザーが悲鳴をあげなかったら危なかった。正しく物事を伝えたいという気持ちは分かったからエントはもう少し安全な方法をとってほしい。

「聞いたか、話を」
「ああ、東から漏れいずるようにラスティアの名が、だろ。知った」

ん?

「東の果てっていったらエアーム帝国のアザーオロム山脈か。遠いし行くのは大変だな」
「ラスティアとはエアームゆかりの人物なのかもしれない。調べてみようね」

イーザーたちは俺の名前も一緒に聞こえたことは知らないのか? 直接精神に語りかけたのだし、イーザーにだけ言い忘れたというのも変だ。俺はエントを見上げた。黙っていろということなんだろうか。

「ありがとうございます、東へ行きます」

イーザーがエントに深く頭をさげた。俺も慌ててならう。エントはなにも答えなかった。

「東へはどう行ったらいいんだ?」
「おいおい。でも、そうだな。街道ぞいに一回北上してフェル森共和国まで行って、そこから東までずっとかな」
「その前にここから出ないと。ウィロウ、案内お願いできる?」
「はい」

ウィロウはもう一度エントへ礼をして、それから穏やかに「こちらです」と言った。


帰りもウィロウのおかげで楽だった。俺はぼんやりしながら歩いていた。

「この分だと夕方までには出られるかな」
「どうかしら。でもそうね、そんなに時間はかからなさそうね」

イーザーとキャロルものんびり会話する。と、最後尾でいつもと変わらないミサスが立ちどまった。

「どうしたミサス」
「たぁいへぇんだあぁ!」

とまったミサスの頭上すれすれを通過して、俺の顔面に虹色の羽虫が体当たりしてきた。ぶっ、痛くはないけど驚く。

「うわっ、誰か丸めた新聞紙か殺虫剤!」
「あ〜、またぼくを虫扱いしてる!」
「アキト落ちつけ。シェシェイだ」

もちろん指図されるまでなく、俺はそれがさっき帰ったはずのピクシーだと知っていた。

「お前家に帰ったんじゃないのかよ」
「帰る前に寄り道してたらね、大変なこと知っちゃった! 追いかけられて、しばらく隠れていたんだけど、行っちゃったからイーザーに言おうと思ったらイーザーもうあの人のところいなくて、そんで探して」
「ちょっと待て。苦労話はいいから、その大変なことってなに?」

キャロルがさえぎる。シェシェイは今度はそっちの顔に大接近した。

「たくさんのゴブリンがいるの! 囲んで一気に襲おうとしているんだよっ、早く逃げよう!」
「げっ」

そういえばゴブリンのことすっかり忘れていた。キャロルは聞いても慌てず聞きかえす。

「どうしてゴブリンにシェシェイが追われるのさ。ピクシーは小さくすばやくて、しかも自分の姿を消すことだってできるのでしょう。ゴブリンごときに見つかる訳も、ましてや追われる訳がないわ」
「荘だ、ゴブリンとは別の、なにか変な人も一緒にいて、そいつがぼくを追っかけまわしたの。ねぇ、いいから早く逃げようよ…… あ」

シェシェイの動きが止まり、キャロルは剣をぬいた。

「もう遅いみたい」

樹の影、幹の向こうからちらほらゴブリンたちが姿を現していた。イーザーも剣を抜きながら小声で俺たちへ言う。

「(固まれ、ばらばらだと不利だ。それからその男とやらをゴブリンよりも優先して叩いたほうがいい。シェシェイ、そいつはどこにいるんだ?)」
「あそこ!」

シェシェイが指差した方向を見る。ぼろぼろの灰色の法衣に身を包んだ人物がそこにいた。服の中は暗くて顔も種族も性別も分からない。

俺はそいつに見覚えがあった。全身に鳥肌が立つ、記憶がよみがえる。暗い街を化け物におびえながらさまよった思い出だ。

「お前は、クレイタの時の召喚士!」

イーザーが怒気を含んだ声で叫ぶ。でもイーザーよりも、誰よりもなによりも早かったのはミサスだった。俺がその姿を認識するよりも先に飛び出し、一音節の呪文とともに刃を虚空から作りだして灰色のローブを切りさく。

あ、殺したと俺は思った。胴体を横一文字にすっぱり切りさいた、俺ならまず生きていない。

俺なら。つまり人間なら。しかし切りさかれた法衣からは血の代わりに黒い煙のようなものが出てきた。まるで布の下は闇で、その闇が漏れてきたようだった。それを確認してミサスの表情がほんの少し、もうそろそろ結構一緒にいるので分かったその程度だが変わった。

「ミサス、そいつは一体」
「魔法がきかない」
「はっ?」珍しく口をきいたミサスの言った意味が俺はよく分からなかった。そんな俺をおいてきぼりで続ける。
「影か。どこの異世界のものだ」
(いかにも)

ひどくしわがれて気味の悪い返事がきた。

(影と沈黙の世界ウラヌから来た次元移動者、それが我。見破ったのはやはり翼の戦士か)

ということは俺と同じ立場? こいつも次元移動者? 嘘だろ。混乱した俺とは対照的に、ミサスはそんなことはどうでもよさそうだった。

「気をつけろミサス! 加勢はいるか!?」

イーザーが今すぐ突撃したそうに構える。

「いらん」
「だってそいつ魔法がきかないんだろ、ならっ」
「なんとかする」

振り返りもせずにミサスはもう1回呪文をとなえる。すぐに効果が現れる。ミサスの足元の影が深く黒くなったかと思うと、ミサスの身体がゆれて自分の影の中へ吸いこまれるように落ちて入っていった。ミサスとそろえるように法衣の魔術師もゆらめいて消える。なにが起こったのか俺には全く理解できなかった。

「なんだ今のは」
「あの灰色はミサスに任せとけってことじゃない?」

油断なくキャロルが周囲を見わたす。すこしいらだっているのか言葉が速い。

「こっちはこっちで大変なんだから。シェシェイ、この場にいあわせたのが不運だったね、手伝ってもらうよ」
「いいけどさ、うんとたくさんいるよ」

シェシェイの言う通り、ゴブリンは10人をは軽く越えている。13まで数えて俺はいやになってやめた。俺たちの前に姿を見せていない奴だっているだろうからそれを合わせると20人はいたりして。背筋が寒くなったのでその考えを無理に否定した。

「ウィロウ、接近戦になる前に精霊術ですこしでも数を減らせないか?」

イーザーがすり足で下がりながら言う。

「攻撃でなくても、相手の動きを鈍くするとか、気をそらすとか。どんなにささやかでもいいから」
「すみません、ですが無理です」

俺はがっかりした。イーザーはめげた風でもなく、すまなそうなウィロウにどうしてと重ねる。

「森はエントの天下だろ?」
「いささか誇張表現ですが、その通りです。ですが私には現実の視界内にゴブリンを認めることはできますが、精霊術の的としてゴブリンを捕らえられません」
「つまり、それってどういうことだ?」

俺は訳が分からなくなった。ウィロウの話は一本調で長い上むずかしい。

「簡単に言いますと、樹はゴブリンをいないものとして扱っています。いないものには戦えません」
「なんでだろ」
「分かりません」

俺たちが敵前でのんきに精霊術について語っているのを見るのにいい加減あきたか、なめられていると。思ったのか、ゴブリンの1人が悲鳴のような甲高い笛をふいて合図をすると、ゴブリンは一斉に襲いかかってきた。

「うわぁ!」
「落ちつけ! アキト、後ろはあたしが見る、前だけを集中してっ」

キャロルが背中を向けて俺を激励した。

「だからくれぐれも恐慌状態になってあたしをスタッフで殴らないでね」

俺は優しさに泣けてきた。すこし感動したのにそういう意味があったのかい。

俺はあいかわらず弱かった。スタッフは長いので適当に振りまわしてゴブリンを近づけさせないことはできても、当てるなんて数えられるほど。我ながら泣けてくる。

両脇はイーザーとウィロウがいる。イーザーはいつもどおり勇敢に、つまりちょっと危ないじゃないかと心配するほどの戦いぶりだった。直刃の剣を片手で構え、振るい、突き、なぎ、バックラーでゴブリンのナイフを受ける。逆にウィロウは落ち着きはらい、戦いの動きとしてはいささかゆっくりと棍棒を叩き落とす。相手の動きを正確に考えて振り下ろされた棍棒は、キャロルなら避けられてもゴブリンには無理だった。骨を砕かんばかりの一撃はゴブリンを3メートルは吹き飛ばした。

内心俺が役立たずだと思っていたシェシェイはとんでもない働きだった。

「たっ」

かわいい声でシェシェイは針レイピアでゴブリンの手の甲を深く刺した。たとえ針だって刺されば痛いし、それが手ならばなおさらだ。怒り狂ったゴブリンはやたらめったらナイフを振りまわすが、ひらひら身軽なシェシェイには当たらず。

「へっへへ、さよなら」

その姿が空気と同化するように消える。ただシェシェイの周辺の燐光だけがそのまま変わらず、あっちへこっちへと飛んでいって、またどこかでゴブリンの悲鳴が聞こえる。

「おとり役として最適ね」

キャロルの言うとおり、かなりの数のゴブリンが自分の手にぶすりとやった憎らしいピクシーを追うのにとられていた。俺は手のひらサイズの女の子より弱いのかと自分が情けなくなったが、シェシェイがいないと今ごろ俺がナイフでぶすりとやられていたかもしれないので感情をおしころした。

「長期戦になるぞ! 俺たちが疲れはてるか、ゴブリンたちがおそれをなして逃げるかどちからだ、がんばれ!」

イーザーは激励のつもりだろうが、その指摘はすこしも俺には嬉しくない、かえってがっかりした。

「あ?」
「どうしましたか、イーザー」
「なんだあれ」

手を休めずに、イーザーは俺に聞こえるように声をはった。

「ずっと奥、小柄なゴブリン。なにか変なもの持っていたぞ。葉っぱがついたぼうきれ、両手で大切そうに」
「どこに?」
「あっちの、あ、くそ、もういない、見失った。あの辺だったんだが」
「こいつぅ!?」

どうしてそんな遠くにいるシェシェイにまで。けしてイーザーの声は大きくなかった、シェシェイが常識はずれの耳を持っているのだろう。きちんと聞きつけたシェシェイは透明化をといて空中で1人のゴブリンを指さす。そいつか小柄かどうかはよく分からないが、たしかに変なものを持っていた。黒い樹皮の葉をびっしりつけた小枝を大切そうにつかんでいる。

「あれです」

ウィロウがこの場にそぐわないほど静かな声で伝えた。

「なんだって。なら、この、どけ! お前ら」

イーザーが勇んでそいつのところまで行こうとするが、目の前にゴブリンがいるから進めない。逆にその枝持ちゴブリンは逃げだそうとする。

「どうして追いかけるんだ?」
「後で説明する、そんなことよりもあいつをっ」

鋭い風を切る音がした。ゴブリンが叫んで枝を落とし、右手を押さえてぎゃあぎゃあわめく。なんだと俺が思ったが、視界のはしでキャロルがにっと笑い、落ちた剣を拾っていたので理解した。

「キャロル、石投げか?」
「当然」

自信満々に言いきるキャロルは俺ではなくウィロウを見ていた。

「これでいいの?」
「はい、これで」

風もないのにウィロウの緑の髪が広がった。

「精霊術が使えます」

森全体に変化が起きた気がした。耳ではとらえられない衝撃が一瞬で走りぬける。

ずるり。足元からつるがうごめいた。動物のように自在に動き、ゴブリンの足をすくって転ばせる。動きを邪魔してひどい時には逆さづりにする。

ばらりと上からなにかが振ってゴブリンの頭に当たった。木の実や枯れ枝などだった。俺の親指くらいの堅い木の実から、一抱えありそうな大きな枝まで種類様々だった。

枝がうごめいた。人間が腕でよくやるように枝が大きく払われ、ゴブリンをなぎ払った。1本ではない、俺たち周囲の木々、全てが動きはじめる。驚いたゴブリンは俺たちを放っておいて樹から離れようとするが、樹自体が動いているかのように枝が当たる。

いつの間には足元いっぱいにこけが広がっていた。たっぷり水分を含んだこけは足場としては最悪だろう、踏んづけたゴブリンが面白いように転ぶ。

枯れ木や木の幹に生えていたきのこが触れてもいないのに胞子をまきちらした。胞子をすったゴブリンは金切声をあげて顔をかきむしりたおれる。俺はとっさに口元をおおった。

もはや俺たちがなにかをする必要はなかった。森全体がゴブリンの敵であり、俺たちは緑の嵐の中に安全に立っていた。木が、草が、つるが、こけが、きのこが、森に属する全てがそれぞれの方法でゴブリンと戦い打ちのめしている。

「去りなさい、盗賊よ」

ウィロウが静かな怒りの表情で言う。自分の家に土足で踏みこまれ荒らされた怒りだ。

「仲間とともに失せなさい。さもないと、森のエントの脅威を永ごうその身に刻みます」

一喝で十分すぎた。かろうじて無事な数人は一目散に逃げだし、そうするとつるにつかまっていたゴブリンも次々つるから落ちて逃げた。気絶している仲間は引きずって、だめそうなのは放っておいて。そして残ったのはゴブリンの死体と血の臭い、そして俺たちだった。

「つるをゆるめて逃がしたの?」

キャロルがそっと聞いた。はいとウィロウは答える。

「優しいね。でも猛攻だった、あたしは驚いたよ。さすがはエント」
「私のみの力ではありません」

ひかえめな笑みを浮かべ、ウィロウは感謝するように手を祈りの形に組んだ。

「あの方が、私を助けてくれたのです」

戦いが終わると俺はまっさきに物陰に突入して胃の中のものを戻した。こい血の臭いにゴブリンの体臭、死体ときてはもうだめだった。

出すものを全部出してもまだ物足りない。最悪の気分で顔をあげると、イーザーがゴブリンの死体を一ヶ所にあつめて腐葉土や落ち葉をかぶせていた。神妙な表情でなにか言葉を口にする。雰囲気から弔いの言葉なのだろう。俺もそうしようかと思ったがまだ吐き気がするのでやめた。

ウィロウはキャロルがたたき落とした小枝を拾った。

「ウィロウ、それは一体なんだったんだ?」
「樹の精霊力による感知を阻害する魔法の道具のようです。これを彼らが持っていましたからわたしにはゴブリンの居場所が分かりませんでした」
「便利だね」
「私には便利とは思えません」

むっとしたようにウィロウは小枝を地面にさした。

「そりゃウィロウは精霊術をつかう方だからね。どうする?

あたしたちの役には立たないだろうけど、街で売りとばせばいい値になると思うわよ」
「いいえ」ウィロウはキャロルの甘いさそいにきっぱり首をふった。

「これはなんの益ももたらしません。封印してしまいます」

ウィロウは髪を1本ぬいて枝のまわりにからめた。枝の上に手をかざすと、若草色の髪が鼓動をうったかのように脈打ちのたうち膨張する。からみついた髪が小枝を包みこむようにうごめき、俺があっけにとられているうちに小枝の代わりに1本の若木があった。

「ウィロウ、今のなんだ?」

驚くというより呆然として俺は聞いた。

「精霊術で封印したのです」
「封印ってなんだ?」

またキャロルに馬鹿にされるかなと思ったが、意外にもキャロルは口をはさまずにおとなしく聞いた。キャロルも知らないのだろうか。あるいは高く売れると思った小枝があっけなくなくなったので悲しいのかもしれない。

「封印とは、あるものを精霊の力でもって半永久的に活動を停止させることです。精霊の種類によって向き不向きがありますし、個々細かい特性はちがいますから知らなくても無理はありません」
「アキトが無知なのはいつものことだから別にいいけど、なんでも封印できるの? 生きものでも?」

失礼だな、キャロル。

「はい、できます」
「髪の毛はなんの目的で使ったの?」
「樹の封印は体の一部によるいけにえが必要なのです。その代わり封印を受けたものは生きた樹の中に取りこまれ、樹の生育とともに存在がうすくなり、最後には消滅してしまいます」

怖いことを言われて俺は青くなった。若々しい苗木が急に恐ろしい怪物に見えてくる。

「ミサスは戻ったか?」

祈りが終わったらしいイーザーが俺たちのところへくる。俺はいやと首を横にふった。

「あの時ミサスはなにをしたんだ? あのウラヌだっけ、魔道士をなんとかするって地面にもぐって、そうしたら向こうも同じように消えた」

疑問に答えたのはシェシェイだった。

「きっとあれ、影潜りだよ」
「なんだそれ」
「えっとね、硬貨の表と裏みたいに影の世界っていうのが世界の裏に張りついているんだって」
「異界か?」
「ううん、それもカーリキリトの一部だよ。普通の人は知らないし行けないけど。『そこはきょがじつとなりじつがきょでありあらざるもの。そんざいなきものがありえるところ』なんだって。影潜りはね、そんな世界に行く方法の1つで魔法だよ。ぼくも見たの初めてだけど」

明らかにシェシェイではないほかの誰かが言ったのだろう。ぎこちない棒読みを聞いて俺は首をかしげる。イーザーが難しい顔で質問をした。

「そこでは、ここだと傷つけられないものでも傷つけられる?」
「そうみたいだね」
「だったらミサスはそこに行ったんだ。そこならあの魔道士を傷つけられるから。道士の方もだまって死にたくはないだろうから同じところに行って対抗したんだろう」
「いつ帰ってくるんだ?」

考えなしに言うと全員がおしだまった。

「わっかんないな。だってあっちの世界だもん」
「すぐか明日か、それとももっと先か」
「それにミサスが帰ってくるとはかぎらないからね。ウラヌの道士の方がきたりして」

キャロルの言い回しに俺はうすら寒くなった。その示す意味を考えるとよくなった気分がまた戻りそうになる。

「これからどうします?」
「どうするって、待つしかないだろ」

イーザーは乱暴にその辺の岩に座った。日はそろそろかげろうとしている。

「ねぇ、ぼく、家に帰るね」

シェシェイが恐る恐る申しでた。イーザーがうなずく。

「アルによろしく言っておいてくれ。ありがとうって」
「うん、そんじゃね!」

小さなピクシーは今度こそ、七色の燐粉をまきちらして空の向こうにきえた。後は誰も発言しない。重い空気のみ。時間の経過が急におそくなった。ミサスはまだ戻らない。

「ミサスなら、すぐに帰ってくるよな、どうせなにも喋らずに、ちらりとこっちを見るだけで終わって、どうなったかろくに説明してくれないんだ、きっと」
「ありえるわね」

キャロルは笑み1つよこさずに事務的に答えた。

「ありえる、どころじゃなくてさ、俺にはそれ以外考えられない」

ミサスはいつでもどんな時でも勝者の側に立っていた。なに考えているのか分かりにくい表情で口をきかずにそこにいた。俺はすこし怖いながらもすっかり慣れていた。だから今度も大丈夫だろう。

(でも、相手は呪文1つでクレイタを異世界に沈めた道士だ。今までとは全く違う)

内なる声が俺がわざと無視していた恐ろしい事実をつきつける。(勝てるわけがない、無事なはずがない)

そんなことはない。

空気が冷たく落ちていく。小柄な黒翼族はまだ帰らない。いつのまにかミサスがいることになれて、不在がどうしようもなく落ちつかない。

「野営の仕度を始めるべきだと思います」

ウィロウが空を見上げてもらした。

「ここは野営に適していません。移動の必要があります」
「ああ、そうだな」

イーザーは口だけで実際に動こうとしなかった。ウィロウが困って悲しそうな顔になる。

「イーザー」
「ウィロウたちで行ってくれ。俺はもう少しここで待っている」
「1人でですか?」
「エントがいる森にどんな危険があるっていうんだ。ミサスが戻ってきたとき俺たちがどっか行ってたら文句を言われる」
「アキト、行こう」

キャロルが立ちあがって尻の泥をはらった。

「つきあっていたら風邪をひく」
「そうだな」

口だけなのはイーザーだけではないようだ。正確にいえば俺は立ち上がろうとはしたのだが、ここを去った後でミサスがきたらと思うと動けなくなった。

「アーキートー、分かっていると思うけど、アキトがここにいて出迎えてくれてもミサスは感謝しないよ。むしろ温かい飯がある方が喜ぶと思うな。今からでも野営のしたくは遅いくらいなんだよ。てつだって」
「うん。でももう少しだけ待ってくれよ」

わざとらしくキャロルは大きくため息をついた。

「これだから。ウィロウ、ここは足場が悪いし風も通る、おまけに血みどろの戦いもあった。でも仕方がない、飯を作ろう」
「はい」

火を使わずに2人が用意した保存食の夕食はおいしいものではなかったが、ありがたく俺はいただいた。

ミサスはまだ戻らない。夜の闇に沈んだイーザーのまとう空気が険しくなるのを肌で感じる。

寒くなってきた。すわっている場所から体温が吸いとられるように冷える。キャロルが荷物から布をありったけ出して着ろとばかりに俺たちに渡してくれる。これ見よがしなため息をキャロルは忘れなかったが俺は感謝した。

「交代で見張りを立てようか」
「キャロル、この森に危険はありません」
「ミサスが戻ったときのためよ。それに影の道士の方が来る可能性もある。寝こけているうちに昇天したくはない」
「そっちはないと思うんだがな」

俺の声は自分で情けなくなるほど弱々しかった。キャロルは肩をすくめてなにも言わずにまずイーザーねと勝手に順番をわりふる。俺は一番最後だった。

ミサスはまだ帰らない。俺はなかなか眠れなかった。寒さは厚着をしても外から伝わり俺はふるえた。手足の冷えはきつく、特に足は放っておくと痛いかのように凍えて何回もこすり合わせた。

きびしい夜だったが、それでも寝ることはできたようだ。うとうとしてきたと思ったら肩をゆさぶられて「交代ですよ」と起こされた。礼を言って俺はこわばった身体を動かし眠気をはらおうとした。寒いやら眠いやらで俺のうけもった時間だけが理不尽に長い気がした。

長い夜がやっと明けて、森の中がすこし明るくなって皆が自主的に起きはじめた。ミサスはまだこない。


「あらかじめ言っておく」

夕食と同じ内容の朝ごはんを取りながらキャロルはきっぱり言った。

「今日の夕方まで待って、こなかったら先へ行く」
「それは冷たくないか?」

イーザーがはっきり不満を表す。一晩待ちぼうけをしたせいか、イーザーはすさんでいた。

「それがどうした。いつまでもこんなところでじっとしていられない。あたしたちには温かいご飯と屋根が必要だ。体力が落ちる。今昨日と同じように元気なのはウィロウだけよ」

エントの種族は寒さに強いのか、それとも寒さを感じないのか。靴をぬいで凍えた足をさすっている俺からすれば薄着で平然としているウィロウがつくづくうらやましい。

「ミサスを放っておけというのか?」
「そうよ、待っていたってしょうがないわ」
「放っておいてどうするんだ? 森で失踪したから仕方がないとあきらめるつもりか?」
「冗談、戻ってきたらあたしたちのところに来るでしょ。ミサスを保護が必要な子どもだと思っているの? あたしたちは宿でミサスを待てばいい」
「もし俺たちがどこにいるのか分からなかったらどうする気だ」
「知るか。それはミサスがまぬけなだけよ」
「おい、キャロル! 」
「イーザー。イーザーは頑丈で気力十分でも、あたしとアキトはそうはいかないんだよ」

イーザーは俺を見て、追いつめられたように顔をゆがめた。その肩をウィロウが軽くたたく。

「夕方まで待つとキャロルは言っています。キャロルは譲歩しました。ミサスは心配ですがいつまでもここにいる訳にもいきません」
「分かった」

吐き捨てるようにイーザーはいった。

ミサスはまだ戻らない、戻る気配もなに1つない。時が過ぎ太陽がのぼって暖かくなってきた。それでもなにも起こらない。

俺はため息をついて軽く目をとじた。耳鳴りがかすかにする。視界が揺れてきて吐き気がしてきた。もしかしたらとまさかの気持ちが互いに交差しあう。なにもできずに待つのは苦しい。

もしも。

キャロルが剣を抜いて振りかえった。そう離れていないところで影が大きく盛りあがり人らしき形をとる。

「どっちだ」

キャロルは構えたまま動かない。黒い塊は見る見る間に人の形を整えていく。そして俺は、影の背中に羽を認めた。

ミサスはなにごともなかったかのように動きだし、俺たちを一瞥した。

「ミサス!」

わっと俺たちは群がる。

「おそかったじゃないか」
「心配したぞ!」
「影の道士はどうなりましたか?」

熱烈歓迎の俺たちに、しかしミサスはよく見ないと分からないほどかすかに不審そうな顔をした。

「なんでここにいる」
「なんでって」

俺は質問の意味がよくつかめなかった。代わりにキャロルが「イーザーが残って待つと聞かなかったのよ」と肩をすくめる。ミサスもその答えで満足したらしく、後はなにも言おうとしなかった。

ちょっと待て、だからって俺たちに必要な説明まで省かれてもこまる。

「ミサス、一体なにをしたんだ? ウラヌの道士とやらはどうなったんだ?」
「シェシェイの話だと影の世界に潜ったといっていたが、どうなんだ?」

俺とイーザーは行こうとするミサスにしつこく追いすがって聞いた。ミサスはこっちを見もしなかったがそれでも反応はする。

「影へ飛んで道士を引きだした。表で戦いが終わったようだからでてきた」
「なんでこんなに時間がかかったんだ?」
「まくのに時間がかかった」

口数がとにかく少ないのでなにがおきたのか正確には分からなかったが、つまり俺が上でゴブリンとどんぱちやっている間にウラヌの魔道士をひきつけて逃げまわっていたらしい。生きて帰ってきたのは嬉しいが、道士を倒すどころか一太刀すらあびせていないのは残念だと思った。我ながら現金だ。

「影の世界ウラヌって知っている?」
「知らない」
「なら次、あっちの世界へ行く前に、ミサスはのろいと言っていたけどそれはなに?」
「魔道でけして傷つかないのろい」
「なんでそんなこと分かったんだ? 自分の魔法がきかなかっただけなのに」
「のろいの魔道を使ってみた、その感触で分かった」

つまりミサスは他人をのろうことができるらしい。ぞっとする反面ああやっぱりと思わなくもなかった。魔法使いでも素直で熱いイーザーとは違ってミサスは底が見えない。いかにも使いそうだった。

「どこがのろいだ、むしろ祝福だろ。剣で切れない上に魔法もきかないなんて。たのみの魔法も通じないのだったら、あいつを殺すには今みたいにミサスが影にもぐって剣でも刺すしかないのか?」
「それで勝てるんですか?」

無視された。もちろん答えるまでもなく無理だろう。いくらミサスが強くても魔法使いだ。ミサスの武器は剣じゃなくて槍だけど、槍を使うのは魔法を使うよりも下手だろうし、今までそんなに使っているところも見ていないし、しかしたら俺以下の腕かもしれない。一方向こうはとんでもない大魔法を使う。勝機が見当たらない。

ウィロウがうつむいて考える。キャロルは「厄介なものが目前に」とはき捨てた。俺も同意見だ、言いようのない不安と恐怖が足元からせりあがってきて俺を包みこむ。俺は窒息したような感覚を味わった。

「とりあえず、行くか」

いつでも出発できるようまとめた荷物を取って、キャロルは俺に投げた。おおっと。

「元気がいいな」
「空元気よ。どうあがいても殺せそうにない強力な敵が現れて元気があるわけないでしょ。でもじっとしていてもしょうがないし、現実問題として森をでて街のベッドで寝たいしね。とにかく行こう」

確かに検討は後でもできる。それにウィロウには悪いが街や人里が恋しくなってきた。

俺はふと立ちどまって振りかえった。出会いも戦いもなにもなかったかのように木々が並び葉が風にゆれる。俺は精一杯の感謝をこめて一礼すると、遠ざかるキャロルへ向かって走った。