三つ首白鳥亭

−カーリキリト−

ウィロウ

夏の日差しはきつい。俺は無意識のうちに起き上がってカーテンを閉め、再びタオルケットにたおれる。朦朧とした意識の中でここが日本であることを認識する。テストが終わってから急に暑くなってきたな。

「秋、起きなくていいの? もういくからねっ」

世界ひろしといえども俺を秋と呼ぶのは父さん母さん、今は東京にいる姉さんぐらいだ。玄関の鍵がかけられる音を聞きながら俺は再び眠りの中へと目をとじた。主観で数分間ぼんやりして、再びとろんと目をあける。その辺にころがっているめざまし時計が見えた。8時半だった。

え? 高校の一時限がはじまるのが9時、ホームルームが8時50分、出席をとるのが8時45分…… というのは建前で本当はホームルームとおなじ8時50分、ここから学校まで自転車で15分、後5分。

ねすごした! 眠気もなにもかもふきとんだ俺ははねおきて、その辺に投げているワイシャツと制服へ走った。

(よく寝ていたな)
「声! いたなら起こしてくれよ」
(私はお前のめざましではない)

髪を手櫛で整えて、洗面所へ行って顔をあらう。居間には母さんが用意してくれた朝食がおいてあった。

「こんなにねすごしたのはじめてだ」
(夜遅くまで騒いでいてからな。おまけに幽霊と交戦した。つかれたのだろう)
「それはあっちでの話だろ」

すわって朝食を食べる。後3分。

「向こうでおきればな。皆おなじだからすこしは寝坊してもよかったのに。いやそもそも、どうせなら日本の夜のすごい速い時間に俺を戻せばぐっすり安眠できたのに」
(時間を揺り動かすなど私には無理だ。時間を自在にあやつるのは禁呪だ。できるのはせいぜい世界の無限の距離をこえるとき、つじつま合わせをするくらいだ)
「なにが言いたいのかよく分からない。いいさ、絶対そのうちまっとうな暮らしにもどってみせる」
(せいぜいがんばれ。そろそろ時間だぞ)
「あ」

後0分。俺ははしを置き、かばんに荷物を手早くつめて家を飛びだした。階段を駆け下り自転車に飛び乗る。今マイナス5分。

「間に合うか、自分!」

俺は駐輪所から自転車を引っぱりだし、学校へ向けて全力でこぎはじめた。

なにごともやればできる。ホームルームのチャイムが鳴り響く校舎で、俺は教室にかけこんだ。寸前でかけこんだのは俺だけだが遅刻はもう珍しくない。もう大半の生徒は高校にもなれたし、期末テスト直後の学校なんてこんなもんだ。クラスの雰囲気はだらけていた。

「それから大谷、12時半に生物実験室で文化祭実行委員会がある」

それを忘れていた。それなりに真面目に授業をうけた後、空腹を頻繁にうったえる胃袋をなだめて生物実験室へ行った。生物実験室は荷沢さんと後数人がいるだけでほとんど人がいない。会議がはじめられる程度に人が集まったのはそれから20分たってからだった。

まず荷沢さんが終業式までに各クラスでの出し物を決めるようロングホームルームで話し合うよう指示して、毎年どういう感じでおこなわれているか説明する。傾向として1年は食べ物屋や喫茶店、2年は迷路やお化け屋敷、3年は演劇をするらしい。そうしないと文句を言われるのだろうか、すこし心配になってきた。

「それから日坂高校は実行委員会でも毎年なんか出し物をします。なにかやりたいものはありますか?」

これは比較的活発に手があがった。たこ焼きだの縁日だのよくあるものもあれば、ウォーリーを探せ学校版やカルタ大会なんてのもあった。やっぱり人気があるのは演劇で、最後票をあつめた時は3分の2近くが劇に集中していた。

大変なのはそれからだった。どんな演劇をするかでもめにもめた。時代劇に学園物、恋愛劇冒険物SFミステリーにファンタジー。最後の1つなら俺は完璧に演じられる自信があったが、2時間の長い話しあいの末にSFと決まった。内容は独自に考えるそうだ。そこでようやく今日はお開きとなった。

(やれやれ、やっと終わった)
(ただすわって書いていただけの人間がなにを言う)
(声、まだいたのか。それだけでも十分疲れるんだ。結局昼ぬきで3時間は話しあいしていたぜ。たいした内容じゃないくせに)
(人間なにかに夢中になると、その手の事柄が気にならなくなる)
(悪かったな、夢中になってなくて。ほら、俺って色々な経験をしてすっかり冷静になったからさ)
(それは冷静ではなく無気力という。一連の出来事がおこる前からお前はそうだった)
(別にいいだろ、そんなこと。声には関係ない)
「大谷くん、鍵しめちゃうよ」

ふと我にかえると、教室にいるのは俺1人だった。ドア付近に荷沢さんと響さんと桜木さんがいて俺をまっている。いけね、俺はさっさと書記ノートと筆入れをかばんに押しこんで3人の元へはしった。

「劇はどんなのがいいかな」

職員室へ鍵をかえしに行く途中、荷沢さんはそんなことを聞いてきた。

「内容ですか? なるべく登場人物がたくさんのほうがいいですよね。みんなが登場できます」
「そうね、基本的なストーリーは冒険物でいいかな。スターウォーズみたいな」
「迫力ある戦闘シーンがほしいです。見せ場は必要ですよ」
「でも長くなりすぎないようにしないとな。実行委員の仕事もあるんだ」

活発に意見がかわされる中で俺は1人無言でうしろをあるいていた。特に深い考えもないし劇にも熱心じゃないのだから俺としては当然だ。鍵をかえした後に沢さんと響さんは電車にのって帰り、俺と桜木さんは徒歩で一緒に帰った。

「大谷くんはこういうのが苦手?」

自転車を引いてあるいていた俺は桜木さんに突然話しかけられてすこし驚いた。

「こういうのって?」
「お芝居とか、みんなの前で意見を言うとか。大谷くん1回もしゃべらなかったよね?」

そのことか。「あまり得意じゃない、それに書くのに忙しかったし」それに話しあいの結果どうなろうともどうでもよかったということは言わないでおいた。

「桜木さんは? 劇、すきなのか?」
「うん、中学生のころは演劇部だったし」

すこしなつかしそうにおっとりと言う桜木さんは、いわゆる美人ではないがかわいかった。

そういえば女の子と2人きりで一緒に帰るというのは俺からすればすごいことじゃないか? なにせ俺は女の子と手をつないだこともろくにない。

あ、でもむこうではキャロルとほとんど一日中、もう何日も一緒だな。いやでもイーザーもいるから2人きりではないし…… と俺が考えている間に会話は淡々と進み、俺たちはあっさり別れてそれぞれの帰路についた。

もったいないことをしたかもしれないと思いつつ、残りの距離を自転車で行って家に帰った。マンションの階段をかけあがって家に帰る。

「ただいま」

返事はない。両親とも働いているのだから当然で、返事があったら俺のほうが驚く。部屋に入ってかばんをおき、しばらく床にころがってやすむと念願の昼飯もとめて台所へ向かった。冷蔵庫にカレーがあったので炊飯器の中に入れっぱなしの白米を山盛りにもってカレー汁をたっぷりかけて食す。

食べおわってから食器を水につけて、制服からジャージにきがえる。部屋のすみに転がしておいたスタッフを2日かかってつくった特製の布袋にいれる。そして俺は家をでる。

自転車をつかわず徒歩で近所の低い山へ行く。小さい時は探検と称して理由もなくこの山にあそびに行ったが、今はだれもいない。ありがたく分け入って5分、遠い昔に見つけたひらけた空間にでた。

俺がなにをしようとしているかというと、自分を鍛えようとしているのだった。少なくとも身体がなまって、また向こうに行ったときはじめからやり直しにならない程度には努力するつもりでいる。自発的努力はテスト前と受験前しかしたことがない俺だが、ここで真面目にならないとキャロルにこれ以上ないほど馬鹿にされるし、物理的に痛い目をみる。必死にならざるをえなかった。

学校で習ったストレッチをしてスタッフのすぶりをする。上から振り下ろすのと突くのとをそれぞれ疲れるまで行い、腕が上がらなくなったら休憩。3分したら再びとりかかる。次にスタッフの中央を持ってくるくる回転させるように持ちかえる練習をする。剣にはないスタッフだけの特徴で、殴るのにも受け流すのにも都合がいいからキャロルから覚えろときつく言われている。人のいない森でひたすらくるくるしているのは俺がばかみたいだが、いかにすばやく半回転して持ち直せるかというのは生存率に大きく関わるとキャロルから重要性と効率を声高に告げられているのでやらざるをえない。ちなみに俺は見たことがないが、ミサスが持っている槍もそうやって刃のない方で殴ることもできるらしい。ためしにやってみせろとミサスに言ったが無視された。

次は走る。スタッフを家に持ち帰ってから近所をランニングする。基礎体力づくりもかねているが、それよりもっと実用的な目的がある。あっちでは歩いたり走ったり飛んだり跳ねたりする機会が多く、現代日本人である俺はほかのみんなにくらべて劣っているのだった。はやくならないとおいていかれる。もっと即物的な理由として、いざという時逃げるための練習もかねている。情けないと馬鹿にするなかれ、どうせ一朝一夕では強くなれないのだ。勝てない相手と戦って昔の武将みたいに華々しく討ち死にするよりは俺は走るほうを選ぶ。そうしているうちにイーザーが助けにきてくれるかもしれないし。

体育の渡辺先生の言にしたがって最後にストレッチをして終わりだ。全部が終わっても夏なのでまだ明るい。自分でもよく続くなと思っている、最近の俺の日課だった。

翌々日、教室のうしろでやる気なくほおづえをついていた。学級委員が熱心に黒板に書きこんでいる。「じゃあ文化祭なにする?」

かなり間があいた後ためらいがちにぱらぱら手があがる。学級委員はそれを1つ1つ聞いては書きだしている。大変そうだった。

こういうのは本来文化祭実行委員の俺がやることかもしれない。でも俺はしたくないので学級委員の黒木にまかせた。奴ならきっと立派にクラスの意向をまとめてくれるだろうし、事実そうだった。ああ楽だ。

俺がのんびり黒木の健闘ぶりをながめていると、最後部の席のクラスメイトから声をかけられた。

「(大谷くん、外でよんでいる)」

見るとうしろのドアには荷沢さんがいて手招きをしていた。俺は音を立てないようにこっそり席から外れる。

「大谷くん」
「なんですか?」
「台本できたから、役員さんに一足先に届けようと思って。正式に次の会で配るけど一応把握しておいて」

へっ、もう台本できたの?

「明日、終業式の後にまた集まりがあるからそれまでによんでいてね。それじゃクラス会議がんばってね!」

それだけ言って荷沢さんは行ってしまった。行動力のある人だと感心して席にもどり、適当に紙をホチキスでとめた本を見てみる。50ページはありそうな台本にはS F調活劇が書かれていた。劇は本当にこれでいく気らしい。

2日でこれを書いた気合と根性はすごい。ぶあつい紙のたばからひしひし怨念が伝わってくるようだ。でも勝手に書いちゃっていいのか? こうしたいという人や自分でかいてみたい人がいたらどうするのだろう。気にはなったがまあいいかと考えなおした。細かいことだ。

そうしている間に俺のクラスではお好み焼きで決定していた。細かい打ち合わせは休み中の登校日と2学期に話し合うことにして解放される。意外とはやく終わった。

いつもどおり俺は駐輪所で自分の自転車をとり帰宅する。昼飯はどうしよう、たまには自分で玉子でも焼くかなと思いつつ家の鍵をあけてドアをひらいた。

「ただいま」

もちろん答えはない。その代わりドアをしめて鍵をかけたとたん、立っていられないほどに世界が回りはじめた。

「げ、せめて予告ぐらいしてくれ……」
(つまらないことを言うな)

小ばかにしたような声を最後に俺の意識は飛んだ。

日本で遅刻しかけた代わりにカーリキリトではいつも通りに起きた。おなじ部屋のイーザーはまだ寝ている。

「制服でこっちに来たのは久しぶりだな」

きがえて簡単に身支度をととのえると下へ行った。1階ではすでにキャロルとシェシェイがいて、葉のういた粥と蜂蜜のようなものを食べながら話している。

「おはよう、アキト」
「おはよう、昨日おそくまで騒いでいたのにはやいな」
「あたしは墓場の騒ぎに加わっていなかったから」
「ぼくたち妖精は人間とちょっとだけ違うんだよ。ねぇ、イーザーとあの羽の人は?」

羽の人というのはミサスのことだろう。イーザーはまだ寝ていると俺は答えた。

「アルもまだ寝ていたよ。精霊術つかいすぎたって言っていた。羽の人は?」
「ミサスは起きないでしょ。出発する前に一声かければついてくるわよ。アキト、悪いけどイーザー起こしてくれない? 話を聞いてみると、けっこう大変そうよ」

俺は席について湯気のたつお粥を見る。お粥はうすそうだし具は菜っ葉と玉子だけだがいかにもおいしそうだった。そういや俺はあっちでもお昼ご飯をぬいているんだよな。腹減った。

「大変そうって、そんなに険しい道なのか?」
「いいや、分からない。そこまでが楽か厳しいか、大変かそうでないかが全然分からない。」

俺は納得がいかなかった。「なんでだ? 道案内だっているのに分からないわけないだろ」

「アキト、案内人をよく観察してからその言葉をつかうことね」

冷ややかなキャロルの目に催促されて俺はシェシェイを見る。手のひらに乗る大きさ、光かがやく燐分をふくんだ半透明の羽、突っつかれても多分いたくない、針ぐらいのレイピア。妖精といわれてすぐ想像する姿かたちをシェシェイはしている。

ひょっとして、と俺は思った。

「身体が小さいから、俺が大変なところでも楽々すすめて、だから道がどうか分からないってことか?」
「はずれ。いい線いっていたけど。正解は」

えへへ、とシェシェイはかわいらしく首をかしげた。

「ぼく、その人にあいにいく時、いっつも飛んで行ってるから陸の道しらないの」

俺は思わずこおりついた。かわいこぶっているピクシーのうしろでキャロルがあきらめたようにお茶に手をのばす。

「それじゃ、道案内として役に立たないだろ」

シェシェイは悪くない。悪いのはシェシェイの姿を見てもそういう可能性に思いつきもしなかった俺たちのほうだった。いつも立派な羽があるのに魔法をつかわないととべないどっかの誰かを見ているから気にもとめなかった。

「今日は大変な日になりそうだな」

俺は前途にかげりを感じて憂鬱になった。

「大変な数日間、の間違いでしょ」

あっさりキャロルが訂正する。ますます陰鬱になった。

俺の予感はあたった。

実を言うと、でもすごく楽にすすめるかもしれないとも思っていたのだが、アルの住むイゼーオから2時間ほど街道を行き、森に入ったとたん淡い希望はうちくだかれた。

木が邪魔でまっすぐに進めない。前に行きたい行きたいと思いながら気がつけば直角にはずれている。足元も地面がやわらかかったり腐った木が転がっていてつまずいて転びそうになったし、その辺のやぶやら枝やらでむき出しの手があっという間に傷だらけになった。こういうときは手袋をしているほかの人がうらやましい。頼もしいはずのスタッフも、ここでは長くて邪魔なだけだった。こんなことなら日本で森を歩く練習もすればよかったと思ったが、すぐに考えを改めた。こんな森、2時間電車を乗りでもしないかぎりお目にかかれない。

「やっぱり歩きにくかったね」

1人楽しているシェシェイが空を舞いながら俺の前まで来た。

「なあ、シェシェイがひとっ飛びして先にその人と話して、森の外に出てきてもらうことはできないのか?」

訪れる身としていい身分であることは分かっている。でもそのほうがずっと楽だし時間の節約になる。

「だ〜め、その人森から出られないんだから」
「なんだその人は。仙人か?」

そういえばなんとなくその「人」と呼んでいるけど、ここではその人が人間でない可能性もある。

「驚かしたいから内緒」

気楽にシェシェイはキャロルのほうへ飛んでいった。あったら驚くような人物なのか。でも俺も人外にはなれた。そう滅多なことではびっくりしないぞ。

そうこう悪戦苦闘しているうちに、キャロルが「そろそろ野営のしたくをしよう」と言いだした。

「シェシェイ、ちょっと周囲を飛んで野営に適した場所を探しだしてくれない?」
「うんいいよ、まかせて」

言うがはやいかシェシェイは飛んでいった。いいよな、飛べる奴は。

30分後にもどってきたシェシェイが提示したのは、木々の間にかろうじて存在している空き地だった。3人が背筋を伸ばしてねっころがればもう一杯になってしまいそうなせまいところだったが、とりあえず風はふせげる。

「水がほしいけど、河は近くにある?」
「ずっとむこうにわき水があったよ、でもほんのちょっと」
「あたしがくんでくる。アキトとイーザーは薪をあつめて」
「あ、そうだ。ここでは火を使わないで」
「げ」

あんまりといえばあんまりなシェシェイの提案だった。この感想は俺にかぎったわけではなく、イーザーからも反論の声がでる。

「おいおい、いくら夏が近いからって夜は冷えるんだぞ」
「獣におそわれたらどうするの。それにあたし以外は暗いと視界がきかなくなる連中ばかりなのよ。火は必要よ」
「なら、ほんのちょっとだけだよ。すこし明るいだけのね。絶対によく燃やしちゃだめだよ。木も生木をあつめないでね、夜ごはんもつめたいもので我慢して」
「なんでそんなに気を使わなくちゃいけないんだ?」
「待っててくれてるその人は火がきらいなの」
「その人って、もしかしてエルフか?」
「へへっ、内緒」

シェシェイは笑ってごまかした。

うすい円盤状の乾燥パンとチーズのさみしい夕食のあと、じゃあっとシェシェイは浮かびあがった

「僕行ってくるね」
「どこに」
「その人とこ。これからくるよって伝えとく」

わずかな焚き火の明かりの中、くるりと一回転すると上へ飛んでいき、燐光のみのこして消えていった。

「いそがしいピクシー」キャロルが見上げてつぶやく。
「あたしたちも見張りの準備をしよう」
「見張り?」
「うん、動物や賊がおそってくるかもしれないから2組ぐらいで見張りをたてて交代で警戒するの」

さっと俺たち全体を見わたした。

「あたしとイーザー、そしてアキトとミサスでいい?」
「いいけど、どうしてそうしたんだ?」
「警戒心と戦力上のつりあいから」

俺はミサスがきらいではないが、そういう風に言われた後にミサスと組まされると釈然としないものが胸にのこる。その通りではあるが。

「あたしらが先でいい?」
「俺は別にいいよ」
「じゃ、決まりで」

決まったらはやく寝るにかぎる。冷えてもきたので俺は今の服の上にさらにきがえを2枚着て、パーカーを毛布代わりにはおった。

「これ下に引きなよ。地面にじかに寝ると寒いよ」

キャロルが自分の貫頭衣をかしてくれたのでありがたくいただく。俺もこういうときのためにマントみたいなものを買っておこうかな。でもマントなんて日本のどこに売っているのだろう。手に入るとしたらせいぜいポンチョか?

ミサスは身軽にその辺の木によじ登った。そのまま帰ってこない。

「? おーい、ミサス?」
「放っておいたら。木の上で寝るつもりなのでしょう」
「寝るって、そんなところ、不安定で寝られるわけないじゃないか」俺が小学生のころ木の上で寝るのにあこがれて、ためしに木にやってみたことがある。結果は寝るどころか落ちないように気をつけなくてはいけなくてくつろげさえしなかった。「それに火にも遠くて寒いし」
「ほら、言うじゃない。馬鹿と鳥は高いところがすきって」

軽やかに言ってのけたキャロルに、おいとイーザーが苦笑いをしてたしなめる。

「たぶん、羽がある種族にとっては高いところは安全と直結して安らぐんじゃないか? ミサスにとってはきっとそっちの方が落ちつくんだよ。気にしないでおこう」

本人が安らげるならいいのだろう。俺はイーザーの言うとおり気にするのをやめた。

「時間になったら起こすわよ」
「よろしく。じゃ、おやすみ」

俺は横になって目をとじた。

しずかだった。火のはぜる音が時々して、木の葉がこすれあう。だれも話さずにいるのでよけいそう感じる。手のすり傷がまた痛みだしてきた。

今日もくたくたに疲れているのに、なぜかすぐに寝つけなかった。はじめてじかに地面に寝たせいかもしれない。キャロルの貫頭衣はかたくほこりっぽいにおいがして、毛布代わりに適しているとはいえない。

「イーザー」

そのキャロルが突然口をひらいた。俺は薄目をあける。

「エルフに会ったことがある?」

そういえばこれから会うシェシェイの友達がエルフでないかといっていたな。でもエルフってなんだろう。前に知った灰エルフの親戚かな。

「いやない。灰エルフなら一緒に行動していたことがあるけど」
「あたしもない。イーザーは多少はなれていると思ってもいいの?」
「いや、そうは思わないでくれ。灰エルフは人なつっこい種族だけどエルフはほこり高く、自分の住んでいる森以外ではめったに姿をあらわさない。こういう機会でもなければ一生あえなかったよ」
「そっか」

キャロルは肩をすくめた。

「イーザーも意外と友好関係ひろいね」
「意外とってなんだよ。失礼だな」

軽い言いあいを最後に、俺は目をとじて眠りにつこうとした。

「おきろ!」

うわっ! 夜分にいきなりたたきおこされた。びっくりして目をこすると目の前にイーザーがいる。明かりは焚き火だけでむらがあり、まだらにてらされた顔がなんだか怖い。

「なんだよ、もう時間か、せっかく気持ちよく寝ていたのに」
「そのままだと気持ちよく永眠するはめになるよ、アキト」

物騒なこと言われて俺は目がさめた。と、そこでイーザーもキャロルも武器を手にし、油断なく外を見つめている。俺もスタッフに手がのびた。

「なにがおきたんだ!?」
「声が大きいって。ゴブリンにかこまれた」
「ゴブリンってなんだ?」

なにかの時に聞いたことがある気がするけど忘れた。キャロルは「これだから」とため息をつく。なんだよ。

「ゴブリンっていうのは子鬼。森にむれて住み、性質は残虐で人をおそう」

げっ。最後をはやく言ってくれ。

「そんなのにかこまれたのか?」
「うん。分かったら火を背にして円陣をつくって。ゴブリンもあたしと同じように夜目がきく。火を消されるとまずい」
「あ、ああ」そこで俺は思いだした。「ミサスは?」

イーザーは木を見あげた。

「もういい加減おきているだろう。こっちからよじ登っておこすわけにも行かないし、危なくなったら援護ぐらいはしてくれるさ」

なんてたよりない。

のんきにしていたのもそこまでだった。俺の心の準備が整わないうちに四方八方から1メートルほどの人影がなにかわめきながら飛びだしてくる。

外見は鬼というほど悪くない…… と思う。暗くてよくわからないので断言できないが。むしろ臭いのほうがきつかった。10日は風呂にはいっていない悪臭がする。

「うわっ!」

その人影が向かってくる。とっさに俺はスタッフを振った。スタッフは見当違いのところを空振りして、小刀をもった人影は突進してくる。

う゛ん。宙からしずかに黒い刃がおちてきてゴブリンを切りさく。どす黒い血が一面にとびちり悪臭がさらに強くなり、俺は下腹部からの強烈な吐き気におそわれた。しかし一方で自分がそのようにならなくて安心してもいた。きっとやったのはミサスだ。

俺の左右で次々に金属音がひびく。イーザーとキャロルだろうが確認する余裕はなかった。倒れている仲間を無視してまたゴブリンが俺のほうへくる。今度は冷静に狙いをさだめて、胸のあたりをスタッフでついた。

戦いは長引きそうだった。キャロルが群れるといったとおり、向こうは10人以上はいるようだった。波のようにばらばらかかってくるのを必死で俺は食いとめようとする。もちろんたいして成功してはいなかったが、補助をミサスが完璧にひきうけてくれて、俺はいまだに奇跡の無傷だった。俺よりイーザーたちのほうが大変だっただろう。確かに俺より腕はたつとはいえ、俺にミサスがいることを敵もちゃんとしっていて、2人のほうにしわよせされていた。

目の前のゴブリンを無我夢中で打ち払うと、ふと俺の前にはだれもいなくなっていた。敵から逃げずに立ちむかって、しかもミサスの助けがあったとはいえなんとかするなんて俺も進歩したものだ。キャロルは情け容赦なく敵をたたききっていた。剣をざっとおろし、ぎょっと違う方向を見る。そこにもゴブリンが短い剣を持ってつっこんできた。俺はスタッフを振りあげ、キャロルは腰のナイフを抜こうとする。

ぐわっしゃ! 重い棍棒の一撃がゴブリンの脳天に大命中した。当然のようにゴブリンがたおれる。

「アキト?」

キャロルが抜いたナイフを構えながら向こうを見た。俺じゃない。スタッフはまだ空中にあるし俺はここにいる。

棍棒は再び宙を舞った。俺のが棒だとしたらまさに棍棒だった。巨大で重く、一撃一撃が致命傷をよぶ。俺は唖然とそいつを見た。

「ひ…… ひきあげろ!」

思わぬ伏兵と仲間がへったのが原因か、ゴブリンは逃げだした。仲間が死んでいるのか怪我しただけなのかこの混乱ではゴブリンはわからないらしく、たおれた仲間をすべて引きずってあっという間に森の闇に同化した。なにごともなかったかのように静寂がのこる。

あざやかな逃げっぷりに感心している場合ではない。焚き火が大きくはねて俺たちではない人物の顔を照らす。

俺はぎょっとした。長い長い髪はあざやかな若草色だった。瞳も深い濃緑でじっと見つめるとすいこまれてしまいそうだった。しかしうつろで、俺たちを見下ろしながら何も見ていないみたいだ。肌は白く2メートルをこす大柄で、粗末な服を身にまとっている。どことなく中性的だった。今すぐ俺たちもゴブリンと同じようにしてやろうという雰囲気はみじんも感じられないが、手にしている大きな棍棒は簡単に俺の頭をかちわれるだろう。

「だれだ?」

剣を鞘におさめもしないでイーザーはきいた。

そいつはぎこちない笑い顔をつくり一礼した。

「イーザー・ハルクさんはどちらですか」

声まで中性的だが、身のこなしや口調は女っぽい。俺だとイーザーが意外そうにこたえる。

「はじめまして、私はウィロウ。樹人、エントです。アティリス殿下の命により同行します」
「はっ?」

イーザーは口を大きくあけた。俺だってそうしたい。ウィロウと名乗った女(?)はすっと手紙をだした。

「殿下より手紙をあずかっています」
「あ、ああ」

イーザーは封を適当にきって、焚き火の明かりにかざして読みはじめる。俺はキャロルにこっそりきいた。

「エントってなんだ?」
「アキト、こっちにきてどれくらいたつ?」
「しょうがないだろ」
「こうも頻繁だとからかいたくなるのよ。エントは樹の人。外見は木そのものか、人間離れしているか、ほとんど人間とおなじか」

ウィロウは最後らしい。よかった。

「長い寿命をもち、知を尊び森を愛する種族。珍しいわよ、この辺では」
「それから」

ウィロウが突然俺たちの間に割りこんできた。わっ。

「これをイーザーさん以外の方にと、アティリス殿下より受けたまりました」
「ありがと」

キャロルは受けとった。俺は字を読めないし、ミサスは木の上。キャロルしか受けとる人はいなかった。イーザーがのけぞってうめく。

「あ、あ〜あ〜、アットの奴」
「なんて書いてあったんだ?」

イーザーは手紙をよこしかけて、俺の文盲を思いだしたのか手を引っこめわざわざ読みあげた。

「前略、イーザーへ

先日は僕の依頼を受けてくれてありがとう。ウィロウのことできっと驚いているだろうから僕が説明する。

ウィロウはエントで、樹の精霊使いでもある。その知識と精霊術はきっと捜索の役に立つと思って、ウィロウに頼んで同行してもらうことになった。

特にイーザーたちの中には精霊使いは1人もいないだろうから、イーザーが見逃してしまうようなことでもきっとウィロウなら見出せると思う。そのためにも、ぜひウィロウの同行を認めてほしい。もちろんウィロウは依頼のことはすべて知っている。僕がはなした。

以上、書中をもって申します。草々」

イーザーは手紙をとじる。俺はこっちにも拝啓敬具があったことにすこし驚いた。

「芸が細かいな、アット。まったく。気がきくのはいいけど細かすぎるとそのうち大きなことで損するぞ」

それでもまんざらではないらしく、顔は笑っている。

「くくっ」

キャロルが我慢できないと笑いだした。イーザーが笑い顔を引っこめる。

「キャロルどうした。そっちにはなんて書いてあるんだ」
「イーザーには読ませるなってまず書いてあるよ」
「いいから、それ以外にはなにがある」

じゃあ、とキャロルは改まった。まだすこし肩がふるえているのを落ちつけて深呼吸をする。

「こっちはイーザーには見せないでほしい。

ウィロウを同行させたのは、イーザーに書いた手紙の理由だけではない。

しっていると思うが、イーザーは一見冷たいようで実は情熱家だ。それに正義感が強いので、ついつい突っ走ってしまう部分もある。そうして無駄に怪我をすることを僕はよくしっている。

そこで、ぜひウィロウを同行させたい。樹の精霊術は回復能力にとてもすぐれているらしい。

なお、このことがイーザーに知られたらよけいなことをするなと僕がどなられてしまう。くれぐれもイーザーには悟られないようにしてくれ。   アット」

俺は笑っていいのかこまったらいいのか非常に迷った。イーザーは今にも飛びかかりそうな怖い目でキャロルをにらんでいる。ミサスはここにいないからどんな顔をしているのか分からないが、キャロルは遠慮なく笑ってウィロウはきょとんとしている。

「あの、それで皆さんはどう判断しますか?」
「決まっているだろ」イーザーは苦々しく言った。
「ここでウィロウを追い返すほど、俺は狭量じゃない」

このときほど笑いを我慢するのがくるしかったことはないが、命に関わりそうなので俺は一声ももらさずたえきった。